За родину! 2003年 03月 13日
Мася さん

Очень прятно ХИРО-сан.
(はじめまして、hiroさん)

私にとって大事な(彼女の)祖国の名誉のためでしたので...
当初、ФЭДの始まりって世間一般に言われる通りだと思っていましたがちょっと調べただけなんです。
管理人さんが書いて下さったようにその時期ドイツとの関係が色々あるのでので、もしかしたら名誉挽回できるかな?という気がします。
私は文系です。

За родину!:
この言葉は第二次大戦中、飛行機や戦車に書かれた「祖国のために!」という意味です。

あっmirについてもう一つ!
мирには「世界」という意味もあります。ソヴィエト時代にあったスローガンで「Миру мир」というのがありました。
読みと意味は「ミールゥ(世界に) ミール(平和を)」になります。

週末にモスクワから友人が来日するので、彼の弟のカメラ屋さんからお土産を持っていくぞ、何がいい?とメールがきましたが、出発が1日早くなった!!
15日にはガールフレンドのお父ちゃんが学会で京都に。東京に来たら会ってくれって!!
弟のお母ちゃんが25日に来日!!
みんなロシアからです。

Я соиду с ума! (気がくるぅ〜)

Пока

いろいろ 2003年 03月 13日
hiro さん

私は小中高大とずっと無意識に受験戦争の中を理系で過ごしてきました。不幸にも世界史を全く知らないことに社会に出て知り、今になって無知さを恥ずかしく思います。ですが時々こうして好きなカメラを通して、先のラッパロ条約だのなんだのと話を伺うと本当に面白く感じることができます。なんとお読みするのか分からず、申し訳ないのですがМасяさんの書き込み等はとても面白かったです。管理人さまも技術者畑の方のようですが深い知識に感銘を受けます。ともさん@2CVさんからは実は別の掲示板にて沢山のカメラ知識を頂きました。また、これらのカメラを通した歴史を伺える機会を楽しみにしています。

Mirさん、初めまして。

>側室を沢山持った殿様を思い浮かべてしまいました。

私もこの文章を面白く伺いました。Mirは「平和」という意味なのですね。ソ連時代のカメラに付けられていた名前だとは私には意外に思えました。面白いですね。

■□これで私も毎日ご飯食べれます!! 2003年 03月 13日
■パンダダルマ さん (orca@k7.dion.ne.jp)
URL:http://orcajapan.com/soho/index.html

人生変えることで来ました!!<(_ _)>
主婦や子育て中ママ・専業・副業・アルバイト感覚で自由な時間だけで在宅でも小遣いが!

Re:もうやめます。 2003年 03月 13日
管理人(金井) さん

>もうやめます。
そうしていただくと、助かります。こんなくだらない議論が延々と続いたらどうしようか、と困っておりました。

 

 せっかく書き込んでいただいた方に対して、反論など、本当はしたくないのですが、一応このように思っています。

 犯罪行為があった場合、そのように指摘したり、あるいは具体的な行為に対して、「犯罪である」と論評することは、なんら問題ないのですが、単なる憶測で、「あいつは犯罪である」と言うような記述がされた場合は、基本的に反論します。(自分の掲示板なので、削除しない限り、反論は義務だと思っています。)

 さて、「ぱくり」を広辞苑で調べると、「店先の品物などをすばやく盗みとること。かっぱらい。まんびき。」とあり、明らかに犯罪ニュアンスです。だから、次のような表現には、反論、あるいは根拠の確認をします。”FEDはライカの「ぱくり」である。” もっとも、カメラ用語として、「ぱくりライカ」なる用語が通常使われているならば、気にしません。
 「FEDはライカを模倣している」って、何で普通の日本語で言わないのだろう。FED=ぱくリ、CANON=コピー などと憶測で言ったら、多くの人を欺く事になります。


 KGBの議論だと、「KGB=諜報」のニュアンスの記述には反論せざるを得ません。「KGB活動に諜報が含まれる」ならば、事実ですので反論の必要はないと思っております。KGBの一部で諜報活動を行っていた事は確かですが、KGBによる通常の情報収集活動を「きっと犯罪もやっているに違いない」と書かれた場合は「この場合は違います」と訂正させていただきます。

もうやめます。 2003年 03月 13日
ゾルキ内田 さん (h2o@ta2.so-net.ne.jp)
URL:http://zorki.soviet.biz/

http://www.fan.hi-ho.ne.jp/kanai007/MINI/KGB/ACTION.htm

を確認してみましたが、ジャストミートではないにしろ、私の記述に明かな誤りがある
とは思えません。残念ながら推論の範囲を越えない議論のなかで、一般論と各論の境界
も明解でないまま議論を続けていても議論がすれ違うばかりです。

KBGに関する議論には今後参加しません。

ラッパロ条約について 2003年 03月 12日
ともさん@2CV さん

>1922/4/16 ラロッパ友好条約、ソ独国交回復

 ラッパロ条約ですね。この条約には独ソ軍事協力を謳った秘密条約が付帯しています。ドイツの軍事技術をソ連に供給する代わりに、ドイツで研究と保有が禁止されていた、航空機(リペック)、戦車(カザン)などの研究や演習をソ連領内で行うという内容です。第二次大戦初期のドイツ電撃戦を実現したのは、カザン戦車技術研究所で研究を積んだドイツ将校たちでした。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/topix/rappalo%20treaty.html

 ソ連はドイツにも革命を起こしたかったはずなのに、なぜドイツ政府と手を結んだのでしょう。ソ連側からすると、隣国ポーランドとの紛争がドイツとの友好条約を後押ししたようです。敵(この場合独立を回復したポーランド)の敵(ドイツ)は味方だからです。
 1939年の独ソ両国によるポーランドの分割は、ソ連・ポーランド戦争まで遡らないと理解できないと思います。簡単に言うと、ポーランドはカーゾン線(英外相が決めたポーランド国境線)に不満を持ちウクライナに攻め込みます。反撃したソ連軍は一時ワルシャワ近くまでポーランド軍を押し返しますが、そこで大敗。カーゾン線よりやや東よりのラインで戦争を終結しました。ソ連側からすると、国境線を西に押し戻したいという要求がずっと続いていたということでしょう。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/sib/russopolish%20war.html

インダスターはテッサーの完全コピーか 2003年 03月 12日
管理人(金井) さん

ゾルキ内田さまの投稿を繰り返し読んでいたら、大きな疑問がわいてきました。
どなた様か、教えて下さい。

03月 10日 の投稿で、ゾルキ内田さまは書きました。
>FED Industar-10のような民生用レンズは、カール・ツァイスのテッサーありきというレンズで、最初は文字通り材料からなにからコピーしたのだと思います。

03月 11日 の投稿で、ゾルキ内田さまは書きました。
>エルマーがテッサーの派生型であることは明らかですから、であれば原型のテッサーを参考にするのは当然の流れだと思います。


 FED Industar-10はテッサーを、文字通り材料からなにからコピーしたレンズなのでしょうか。一見すると形はずいぶん違います。中のガラスは径も厚みも、ガラスを分けているリングも同じサイズなのでしょうか。
 以前、Industarがエルマーのコピーだと言っている人がいましたので、私もそうなのかと思っていた時期があります。外観だけではなく、中のガラスの径も厚みも、ガラスを分けているリングのサイズもエルマーそっくりなのかと思っていました。でも、絞り位置が違うとなると、ガラスを分けているリングのサイズが同じというわけには行きません。

 もし、Industar製造のときに、何らかの設計検討を行ったのなら、テッサーを模倣する事になったとしても、何の不思議もありません。しかし、文字通り材料からなにからコピーしたのならば、何故に、鏡筒の外側をエルマーから、内側をテッサーからコピーをするという、芸当をやってのけたのでしょう。

 テッサーを参考にしたのは、なんら不思議ではありません。しかし、「FED Industar-10のような民生用レンズは、カール・ツァイスのテッサーありきというレンズ」 と言う指摘は、もし、「文字通り材料からなにからコピーした」のならば、きわめて不自然です。

 実は、私、テッサーもエルマーも持っていないのです。手元にある参考書を調べても、ガラスの径、厚み曲率、あるいは押さえ金具の説明はどこにも出ていません。

 そういうことで、本当にFED Industar-10はテッサーの完全コピーなのでしょうか。どなた様か、教えて下さい。

3月11日のゾルキ内田さま投稿への反論 2003年 03月 12日
管理人(金井) さん

くだらない議論です。しかし、自分の掲示板なので仕方なく書きます。

ゾルキ内田様は書きました。
>ソビエト連邦のような社会主義国の場合、工業技術に関しては喉から手がでるほど情報が欲しかったでしょうし、だからこそKGBという機関もあったのだと思います。

 このような表現をすると、明白な誤りです。KGBは工業技術情報が欲しかったから、あったのではありません。チェーカーの設立理由は「反革命分子」「反革命的サボタージュ」の取り締まりでした。その後、KGBは肥大化するのですが、KGBの職務の概要は以下のページに記載しています、のでご参照ください。

http://www.fan.hi-ho.ne.jp/kanai007/MINI/KGB/KGB.htm

 KGB職務の主要目的が、工業技術の収集だった時代はありません。まして、KGB職務の主要目的が、非合法活動による工業技術の収集だった、ことはありません。
 ところで、KGBが工業技術に関しての情報収集を活発化するのは、1970年代以降、特に1980年代以降です。LSI関連技術を入手したがっていた、と言う事がまことしやかに言われた時代もあります。(真相は不明。1980年代中ごろ、日立製作所の関連会社の部長さんがソ連のスパイ容疑で逮捕された事がありました。)LSIは現物を入手しても、設計図がないと同じ物を作ることができません。現物から設計図を起こせないのです。その点、カメラ・白物家電とは本質的に異なります。1970年以前にKGBが積極的に工業情報収集を行っていたような錯覚を起こしてはいけません。
 DNAの解析結果・製造法のわからない化学物質・農産物種苗なども、違法活動が必要な感じですね。コンピュータソフトも実行形式からソースコードを起こす(逆アセンブリ)ことは、不可能に近いので違法活動が必要な感じがしますね。

 KGBが工業情報を収集していたということ、その中には違法収集があったと言う事は、これは疑いの無い事実です。しかし、だからと言って、KGBの全体像を取り違えてはなりません。

ゾルキ内田様は書きました。
>知りたい情報があった時、優先されるのはスピードであって、合法か非合法かということは二の次というのが残念ながら世界の標準だと思います。

 知りたい度合いとコストの関係ですので、「知りたければなんでも入手」と言うわけではないでしょう。ソ連のカメラに、スピードが要求される最先端技術が満載されていたとは、とても思えません。ソ連時代の民生技術にスピードが優先されたと言う事もありません。民生技術でスピードが要求されるのは、特許権の取得・販売戦略で優位を確保するため等、商業主義での話です。(軍事と政治は別です。)
 合法的に入手できる情報は合法的に入手するのが当然です。情報収集というのは、合法活動部分が違法活動よりもはるかに多いのが現実です。研究成果、研究動向などの情報は公開情報を集めて分析する事が重要です。そういった仕事は、現在の日本でも頻繁に行われており、「**総合研究所」を名乗る会社の中には、そういったことをメインに行っている事もあります。このような業務と、産業スパイを混同してはなりません。

 ところで、今になって考えると、KGBが、大々的にLSI関連技術を違法に入手していたと言う事は嘘でした。それが証拠に、ソ連ではLSI産業は育たなかった。KGBが入手したLSI関連技術情報というのは、小規模だったか、役に立たなかった。こういった技術は、情報収集の専門の人ではなくて、産業の現場の人が収集なり盗むなりしないと、実際には役に立たないのでしょう。



Zenit12XPのその後 2003年 03月 12日
Harry さん

Мася 様 管理人様今日は

>(ハリーさん、よかったですね)
どうも有り難う御座いました。 御陰でちゃんと使用出来る状態になりました。

>多少なりともロシア語が読める私でもあのマニュアルを読む気にはなりません。
ここに登場の皆様は凄いですね。 ロシア語を読んだり、ロシアの歴史など詳しくて!!
正直私にはとてもついて行けない内容です。

>テストに桜ですか。いいですね。先日、新宿御苑で撮った寒桜の写真が出来上がりました。
私も、先日プラクチカカメラとゾナー135mmで梅を撮りました。 少し露出オーバーですけど私はオーバー気味のが好きみたいです。(負け惜しみですけど)

>私以上にモスクワにいるガールフレンド達が楽しみにしています。
彼女様ですか、良いですね。 私は長男がじき結婚したら孫が出来るのでは?と思ってます。

> 音楽の話でなくすいません。
)Ничего !(気にしないで!)
音楽はクラシックのみ聞きます。 でもほとんどシンホニーですが
では、又宜しく御願いします。

管理人様

有難う御座いました。 今はスタンバイで桜を楽しみに待っています。

>シャッターボタンのVとTについて、既にお調べとのことですが、自分の復習のために書くと、次のようになります。 
>T:Bで撮影するときに、シャッターボタンをTに回すとロックされる。V:半押し状態でVに>回すとそこでロックされる。セルフタイマー撮影のときに使用する。

私もその後調べ、上の事分かりました。 Tは兎も角Vを私が使用する事は無いのでは?
と思います。 ただ注として、TもVも電気が入った状態になるのでこのままにするなとの
事でした。

それではデワデワ


ソ独関連 2003年 03月 12日
管理人(金井) さん

Мася さんは書きました。
>独ソ不可侵条約はポーランドの占領下にあったウクライナとベラルーシ(いつから統治されてたんだろう?)を取り戻すために締結されたようです。戦争そのものをを避けることが目的ではなかったようです。

このあたりの評価は、なかなか難しいと思いますが、私もそのように認識しております。
また、リガ条約により、ウクライナ・ベラルーシの西部が、ポーランドの占領下になってしまったレーニンの責任、独ソ不可侵条約により、失地を回復したスターリンの功績を考えないわけには行かないと思います。なお、リガ条約関連の(私の偏見の?)解説を以下に書いています。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/kanai007/Stamp/OtherRep/Bel/Bel.htm

また、この辺の歴史は詳しくないのですが、ソ独史を年表風にまとめると、次のようになります。

1922/4/16 ラロッパ友好条約、ソ独国交回復
1925/9/12 ソ独通商条約
1926/4/26 ソ独友好中立条約
1931/6/4 同、更新
1936/5/8 ソ独通商協定
1939/8/23 ソ独不可侵条約
1939/9/1 ドイツ、ポーランド侵攻
1940/2/11 ソ独通商協定
1941/1/10 ソ独経済協定・国境確定協定
1941/6/22 独ソ戦 

表向きの条約等と、実際の政治の思惑はずれているし、うーん、難しい。


>っとなると、ФЭДの誕生は両国間の合意に基づいたものだった?それだったらLeicaと刻まれたでしょうが、単なるコピーとは思えなくなってきました。

合意でも何でも、FEDって刻みたかったのではないかなー。KIEVも最初のころのものは、CONTAXの文字を削ったようです。

Ошибка(間違い)! 2003年 03月 12日
Мася さん

Привет
ちょっと調べていたら間違いを見つけました。
独ソ不可侵条約はポーランドの占領下にあったウクライナとベラルーシ(いつから統治されてたんだろう?)を取り戻すために締結されたようです。戦争そのものをを避けることが目的ではなかったようです。

それと1922年、イタリアのラッパロで締結された条約、ラッパロ条約というのを見つけました。
色々なことがドイツとの間に取り決められ、その中に相互の経済協力が記されていました。この条約によりソヴィエト国内にドイツの軍事工場が作られました。
私の見た本ではモスクワのフィリ(友人が住んでいる地区なんです。)のユンカースの工場の写真が載っていました。この本によると1925年に独ソ海軍協定が締結され、ドイツから4隻の潜水艦を提供されたそうです。

ラッパロ条約がいつまで有効で両国の関係が継続されたかわかりませんが、少なくとも1939年8月の独ソ不可侵条約の締結まで(独ソ戦まで?)続いたと考えられます。続かなくとも工場は残ったでしょう。
カメラについての記載がないのでわかりませんが、もしかしたらソヴィエト国内にカメラ、レンズの工場建設を計画?製品供出(ФЭДはレニングラードでも作られたことがある)?
っとなると、ФЭДの誕生は両国間の合意に基づいたものだった?それだったらLeicaと刻まれたでしょうが、単なるコピーとは思えなくなってきました。

Пока

2003年 03月 11日
Mir さん

hiro さん
>現在までも生き残ることが出来ているのはライカだけです。これはとても象徴的に思えます。
なるほど、本当にそうですね。
傍系でも直系でも関係なく、子孫を沢山残す方が栄えるということなんですね。
「お家安泰のため・・・」と、側室を沢山持った殿様を思い浮かべてしまいました。
エアバックのお話は初めて知りましたが、時代に合わなかったとは言え
人命を守る役目の特許が死蔵されていたとは、なんともはや。

フェドから少し離れてしまいました。
管理人(金井) さん
Mirは「平和」と言う意味なんですね、もともとレンズやカメラに引っかけたハンドルですが
「平和」と言うことにしたいと思います

日本の報道業界では現像システムと密着の大きさ、フィルムの性能など様々な要因で
1950年代までスピグラなどの大判が主力だったようですが
北朝鮮など旧共産圏では35mmが主流で、西側の記者の大きなカメラを珍しがったという
朝鮮戦争当時の紹介記事を読みました。
ところ変われば何とやらで、カメラの使い方や捉え方も違ったのですね

Re:Zenit-12XP 2003年 03月 11日
管理人(金井) さん

 管理人の金井です。皆様ご投稿ありがとうございます。特に、FEDやソ連の文化に対する、活発な御議論に感謝しております。

 この投稿は、それとはあまり関係ないのですが、3月10日のHarryさん の投稿と、11日のМасяさん の投稿Хорошо! に対する返信です。

 シャッターボタンのVとTについて、よく考えてみたら、私のページのZenit-122の説明に書いていました。ずいぶん以前に書いたので忘れていました。すみません。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/SLR/Zenit122Manual/Zenit122Manual.html
既にお調べとのことですが、自分の復習のために書くと、次のようになります。

T:Bで撮影するときに、シャッターボタンをTに回すとロックされる。
V:半押し状態でVに回すとそこでロックされる。セルフタイマー撮影のときに使用する。

 Tはともかく、Vは何でこんな面倒な事をするのか、なかなか理解に苦しむところですが、M42が半自動絞りなので仕方が無いのだろうと思います。と、思ってZenit-212Kを見ると、同じようにV,Tがあるではありませんか。なぜKマウントにVが必要なのか不思議です。ここまで来ると、技術が高いとか低いとか、そういう次元ではないですね。

初めまして。 2003年 03月 11日
hiro さん

若輩のカメラ好きです。面白く拝見させて頂いています。少しですが自分の知る分野のお話でしたので書きこませて下さい。

昔のカメラ関係の特許の話は全部ドイツのものです。また、ツアイスの商標もそうです。これらは、ドイツが当時光学において抜きん出ていたということよりドイツの権利意識の強さにも起因していると思えます。昨今、やっと日本でも叫ばれるようになった発明者の権利は、ドイツでは既に現行の事細かな厳しい発明者の権利に関する法律の基礎がヒットラーによって整備されていたとされています。

今日でもそうですが、一応その国には特許制度があったとしても取ってもしょうがない国は沢山あります。特許をとっても行使できなければ意味がないからです。この点、ソ連はこれらの権利意識が高かったという話は聞いたことがありません。過去には特許と同じような特殊な発明者証制度を持っていましたが、実際どの程度、機能していたかは知る由もありません。また、過去にソ連の発明者証制度を利用したという話も聞いたことがありません。つまり、ドイツはその当時から権利意識が高く、ソ連等は意識が低かったのだと思います。このような国、ソ連において西側各社がソ連の発明者証を得ようと出願を行っていたのかは疑問です。例え、西側で特許であってもソ連での権利が無ければ、ソ連国内でその技術を真似することは違法ではありません。特許は各国独立だからです。唯一、輸出する時だけ本当は困るはずですが・・・でも実際輸出されていますが?

私は、先に書かれているお話の中では、管理人さんの
>レンズ設計がコピーかオリジナルかは、ソ連ではどうでも良い事だったと思います。
>計算好きの私としては、独自に計算した方がはるかに容易だと思いますが。
という部分がとてもしっくりと来ると感じます。

オリンパスはPENFシリーズの特異な機構に関する完璧な特許によって自分の首を却って絞めてしまった話はとても有名です。これが教訓になっているのか、新しいデジタルカメラマウント規格ではオリンパスは率先しています。また、日産が30年以上前にエアバックに関する特許を取得していたにも関わらず、特許が切れるやいなやベンツ(ドイツの会社ですよね)により日の目を見ることに成ったのも有名な話です。このようなことが起こったのは過去にはクロスライセンス制度をほとんど使えなかったからです。一方、ローライやツアイスに比べて、ライカはパテントを開放させられたことにより最も自社の技術を真似された会社のように思います。しかし、現在までも生き残ることが出来ているのはライカだけです。これはとても象徴的に思えます。特許化することや、隠すことが必ずしもよい方向へ向くとは限らないのだと思います。

戦前ソ連はビジュアルグラフィックの先進国でした 2003年 03月 11日
ともさん@2CV さん

 先日川崎市立美術館のソビエトポスター展に行ってきました。今回はポスターもさることながら、ロトチェンコのプリントを見ることができたのは収穫でした。約60点ほどの展示でしたが、日本のライカ使いで有名な木村伊兵衛さんよりも5年か10年早いのに、はるかに現代的な写真だったのに驚きました。

 さて戦前FEDカメラが何に使われたかという疑問ですが、私はМася さんのおっしゃる通り、ほとんどは報道用の用途に使われたと思います。ソビエト政府は大衆に対する宣伝活動を重視しており、中でもビジュアルな宣伝媒体の活用に長けていました。今回の展示品の中にも、「建設されるソ連邦(USSR in Construction)」誌が多数含まれていました。

 「建設されるソ連邦」誌は、ソビエト政府発行のグラフ誌です。ロシア・アバンギャルド運動の写真家・デザイナーが制作に参加して作られました。英語、仏語、独語版などの外国語版も同時に作られ、宣伝活動に使われました。内容はプロバガンダ的なものですが、今見てもその大胆なレイアウトとデザインに驚かされます。今回展示されたものの中には、スポーツパラシュート特集号として、見開き右側に折り畳みのパラシュートが折り込まれ「飛び出す絵本」のよう作られたものもありました。日本で名取洋之助がつくった、「NIPPON」(日本工房)と「FRONT」(東方社)は、建設されるソ連邦」に大きな影響を受けていると言われます。「NIPPON」には土門拳、「FRONT」には木村伊兵衛が参加しています。

 脱線しましたが、こうした報道にライカのような小型カメラは必須だったでしょう。乾板カメラのFotokorでは不可能だったと思います。輸入品のライカを何としても国産化したいという動機は十分にあったろうと思います。戦前FEDの生産量は大衆向けと言うにはあまりに少ないのではないでしょうか。戦前の労働者大衆向けのカメラは、Juny Fotokor、Pioneerのようなボックスカメラや、135フィルムを使うものとしてはLiliput、Maliutkaのような簡易カメラだったと思います。

☆こんな私でもなんとかなりそう!! 2003年 03月 11日
オルカ さん (dokuritsu@orcajapan.com)
URL:http://orcajapan.com/dokuritsu/index.html

こんにちは!サーチエンジンでこのHPをしりました!
自営業の失敗・リストラにあって、いろいろ仕事を探しました。
実はからだ使う仕事も頭を使う仕事も意外と好きなんです!
遊びも旅行もスポーツもギャンブルも温泉もいっぱい好きなこと有ります。
でも、人間関係の問題や借金返済の問題で、お先真っ暗・・・
そんな私がちょっとしたことで先月25万円の収入!!も〜ビックリ!!
そして私もHP作りました!!
http://orcajapan.com/dokuritsu/index.html
とにかく一生懸命にやったら先も見えてくるものだと思いました。それでは!

Хорошо! 2003年 03月 11日
Мася さん

Привет Гарри-сан
Это хорошо!
(ハリーさん、よかったですね)

多少なりともロシア語が読める私でもあのマニュアルを読む気にはなりません。
今のところマニュアルが必要なカメラもありませんが。

テストに桜ですか。いいですね。先日、新宿御苑で撮った寒桜の写真が出来上がりました。
Зенит312М+Юпитер-9、フィルムはAgfa Ultra100で思った以上に綺麗に撮れました。
このフィルムは気に入ったのですがやや赤みがかかった感じでした。染井吉野を撮ったら緋桜になってしまうかも...
私も染井が咲くのが楽しみです私以上にモスクワにいるガールフレンド達が楽しみにしています。。昨年東京では桜の時期に天候に恵まれなかったと記憶しています。
今、渋谷で買ったLマウントЮпитер-9と昨年末モスクワで買ったЗоркий1typeCのテストを兼ねて会社の近くの寒桜を撮っています。
こちらのフィルムはAgfa Vistaです。

> 音楽の話でなくすいません。

Ничего !(気にしないで!)

Пока

なぜツァイス? 2003年 03月 11日
ゾルキ内田 さん (h2o@ta2.so-net.ne.jp)
URL:http://zorki.soviet.biz/

> 「ライカ・エルマー&ツァイス・テッサーありき」では無いのでしょう。

もともとエルンスト・ライツ社にとってライカという小型カメラは起死回生の一発で
光学機器全般としてはライツは負け組であったということだと思います。

同じテッサー・タイプのレンズであっても、エルマーの絞りの位置が異なるのは当時
のテッサーの特許への抵触を避けるためだったと聞いたことがあります。もちろんラ
イツにはベレーク博士などの優秀な技術者もいましたが、レンズ開発については遅れ
をとっていたのは事実であって、実際、ツァイスのホロゴンがライカ用レンズとして
ラインナップされたこともあります。

エルマーがテッサーの派生型であることは明らかですから、であれば原型のテッサー
を参考にするのは当然の流れだと思います。

> 諜報活動という言葉を使うと、秘密活動の事で、通常は非合法かそれに近いもに感
> じます。

これは金井さんとの見解の相違だと思いますが、知りたい情報があった時、優先され
るのはスピードであって、合法か非合法かということは二の次というのが残念ながら
世界の標準だと思います。重要な学会発表が行われるという場合、何が発表されるの
かを事前に知っていなければ情報収集を担当する機関としては落第でしょう。

一般の民生技術の場合、最上級のものは、特許申請も行わないのが普通です。特許を
取るということは特許技術が公開されてしまうということですから、コピーを作られ
て特許権侵害で法廷で争うなんてことよりも、そもそも発明の内容を一切公開しない
ことの方が望ましいこともあるのです。

で、ソビエト連邦のような社会主義国の場合、工業技術に関しては喉から手がでるほ
ど情報が欲しかったでしょうし、だからこそKGBという機関もあったのだと思いま
す。もちろんスピードを要しない情報であれば後追いで公開情報を検討してもよかっ
たでしょうが、必要なものは合法/非合法を問わず持ってきちゃった可能性が高いと
思うのです。

イギリスに大英博物館というのがありますが、あそこに行って思うことは、ヨーロッ
パ人というのは「気に入ったものは何でも持ってきちゃう」ということです。特にエ
ジプト関係の所蔵品なんてものは、現地の文化財をそのままもってきているところが
スゴイ。日本は幸い極東地域にあったので助かりましたが、でも、なにか間違いがあ
ったら、法隆寺がイギリスに移設されていたかもしれません。ヨーロッパの強国とい
うのはそれだけ何にたいしても貪欲なのです。

ジェームス・ボンドはMI6の諜報員、バンコラン(笑い)はMI5の諜報員だったと思い
ますが、私のイメージでは世界中、各国の諜報員がうようよというのが現実だと思っ
ています。

とは、いっても、このボードのポリシーは尊重いたしますので、今後、このBBSで諜報
活動という言葉は使わないようにします。

Я думаю... 2003年 03月 11日
Мася さん

Привет
たまには自分の考えを言おうかなぁ...

私はソヴィエトでは戦前のカメラって軍事、民生というより共産党の広報用と考えています。
広い国土で意識を統一させるために新聞を利用したでしょう。ソヴィエト時代の新聞、「プラウダ」の一面は常に国内の農業、工業についてでした。戦前はどうだか知りませんが。
第一次世界大戦、革命、レーニンの死後でスターリンの政策を浸透させるために写真(機)が必要だったのではないかと思います。以前肋骨レコードの話をしましたが、これらはスターリンの演説をソノシートに録音するための機材が利用されました。同様に各地区でカメラが必要だったと思います。
第一次大戦後でもドイツは脅威だったでしょうが、1939年のポーランド侵攻の前に独ソ不可侵条約の締結しました。以前から画策していたでしょうから戦争というより国内の安定(スターリン主義の徹底)を優先していたのではないかと思います。
佐貫亦男氏の「ドイツカメラの本」によると戦前のドイツではライカは軍事用となり外貨でも入手不可能だったと記されています。だからソヴィエトが購入することができないので自国内で生産する必要があったのではないか?
氏は仕方なくコンタックスを買ったようですが、コンタックスは知っての通り過酷な条件での使用には向きません。シンプルな構造のライカが最適だったでしょうから規範とされたと思います。

労働者のための国家を建設しようとしている時代、カメラなんて高級品は市場に出なかったと思います。
かつてモスクワで友人から彼のおじいちゃんが戦前ベルリンで買ったというWeltiniを貰ったことがありましたが...階級が上だったのでしょう...

Пока

Zeiss接収 2003年 03月 11日
管理人(金井) さん

mirさま。投稿ありがとうございます。

Zeissの接収と言うのは、終戦直後のZeiss接収の事ですよね。

 ヤルタ会談の時は、既にソ連とアメリカとの冷戦に突入していました。ドイツに徹底的に破壊されたソ連は戦争賠償金の代わりとして生産財の接収を主張しましたが、アメリカは無賠償を主張しました。もし、賠償を認めると、西側陣営の財産を東側に移管する事になるので、米国としては、当然認められない事です。そこで折衷案として、ソ連は、ソ連支配地域から生産財の接収することになったのです。
 ドレスデンはソ連支配地域で、実際ソ連が支配したので、ソ連が接収しました。ところが、イエナはヤルタ会談ではソ連支配と決められたにもかかわらず、ソ連の支配が遅れたため、米国が最初に支配する事となりました。しかし結局、米国は、約束通りソ連に支配権を引き渡す事になります。約束ではソ連が当然に接収する財産ですが、米国はソ連に引き渡したくなかったため、急遽西側に移送を試みます。しかし、実際に移送できたのは、おもな経営者、研究者、技術者、営業マンだけで、ほとんどはソ連の支配する事になります。しかし、このためツアイスは「西側移送部隊(オーバーコッヘン)」「イエナ居残り部隊」「ソ連移送部隊」と3分割されてしまいました。

 ということで、接収は原則ソ連支配地域だけです。ツアイスイエナの西側移送は例外的です。
 ドイツ工業の中心はむしろ西側にあったことと、ソ連は徹底的に破壊されたと言う2つの事で、戦後の冷戦構造では、工業力の西側優位は、初めから決まっていました。

 ところで、千島列島はソ連支配と決められたのですが、北方4島まで帰属が決まっていたわけではなかったようです。ソ連が支配したときに、米国がなんら抗議をしなかったので、そのままソ連支配が定着しています。なぜ、抗議をしなかったのかは謎です。日本政府は抗議するように働きかけなかったのか、不思議です。

 ライカは、もともと西側にあったのでしょう。ライカが接収されず、パテントを解放させたのは、これが米国にとってもっとも利益にかなったからに違いありません。


  mirさま。お名前が気になるのですが、文字通り「平和」と言う意味でしょうか。それとも、ゾルキの普及版という洒落でしょうか。
 

Zeiss一辺倒に見えるのです 2003年 03月 11日
mir さん

>「ライカ・エルマー&ツァイス・テッサーありき」では無いのでしょう。
金井さんのご指摘の部分ですが
わたしのもっとも興味深い部分でもあります。
もともとZeissの接収は米軍に因ったとされる文献を見ました。
ライカの歴史には詳しくありませんが、Zeissのように大規模な接収はあったのでしょうか?
もしなかったのであれば
なぜライツは興味を持たれなかったのだろう?と疑問はつきません。
もっとも、ライツはパテントを世界中にばらまかれた形になり
Zeissとは形が違うとは言え、その被害は甚大だったと想像できますが。

カメラとしては、単なるライカコピーよりは
涙ぐましいオリジナリティーを発揮した、いくつかのソ連製カメラに深い愛着があります。
こういう、涙ぐましいオリジナリティーを発揮したカメラは
・・・キエフの一眼レフやコンタックスタイプの変遷もそうですし、西側製品と十分競争力を持ったかも知れないのに突然ディスコンになったzenitやロモの一眼レフなど・・・
ソ連の、頭脳と工業力と生産(流通も)のアンバランスさが体現されているようで面白く感じられるのです。

ご指摘のとおりですが。 2003年 03月 10日
管理人(金井) さん

ゾルキ内田様。書き込みありがとうございます。金井です。

 ご指摘の通り、ソ連の科学技術(特に数学や物理)は高度だった、と言う事はこれらの分野が専攻だった者にとっては疑いは無いと思います。物理専攻の人だと、ランダウ・リフシッツの理論物理学教程で学習した人は多いと思います。(私は挫折した。今は、この本絶版なんですよね。)


ゾルキ内田様は書きました。
>要するに製品化につなげるか、という政策が西側から見ると極めて突飛なんですよね。

 そうなんですよ。実は私がロシアカメラをいじっている理由は、「どう突飛なのか」「何故突飛なのか」という疑問があるからなのです。ロシアカメラの対極にある(かもしれない)EOSと比べて思想の違いはどこにあるのか、そういった疑問をずっと持っています。ご指摘のJupiter-9ですが、M42のものは今でもプリセット絞りで、使いにくものです。自動絞りを作る技術が無かったのだろうかとも思えますが、簡単なメカニズムですので、技術上の問題とは考えにくいと思います。「必要が無かった」こちらの方が真相ではないでしょうか。
 民生品に高い技術を使わなかったのは「必要が無かった」か「その気が無かった」だと思います。
 西側では商品は厳しい競争にさらされますので、EOSのように、大きなお世話の最先端技術をふんだんに導入します。確かに便利なのですが、無くてもそれほど困らない。だけど、必要な機能しかないソ連製品では、西側と同じ土俵で販売を強いられたら勝ち目はありません。ゴルバチョフはそこの所で大きな勘違いを犯したのかもしれない。

 Industar-10を作ったときに、テッサーをコピーするか、独自の設計をするかは、どちらが、やり易いか、あるいは、そのときの技術者がどちらが好きか、だけの問題で、どうでも良かったのではないでしょうか。レンズ設計がコピーかオリジナルかは、ソ連ではどうでも良い事だったと思います。計算好きの私としては、独自に計算した方がはるかに容易だと思いますが。(ライカのレンズをいくつも犠牲にする方法は絶対に取らなかったと思う。)
 カメラの意匠や使い方は、なるべくライカと同じである事が好まれたでしょう。

ゾルキ内田様は書きました。 
>FED Industar-10のような民生用レンズは、カール・ツァイスのテッサーありきというレンズ 
 重要な点だと思います。なぜ、「ライカ・エルマー&ツァイス・テッサーありき」では無いのでしょう。


ゾルキ内田様は書きました。 
>まぁ、結局、高度な科学技術を持っていても、それを民生品には決して利用しない。代わりに諜報活動か、必要最小限の技術・投資によって西側のコピー製品を作る。

 こういったところに、いちいち反論するのもオトナゲないのですが、私のホームページの目的に関連するので、一応反論します。
 諜報活動という言葉を使うと、秘密活動の事で、通常は非合法かそれに近いもに感じます。民生技術でもそういった、諜報活動はありますが、その割合は小さいものです。一般の民生技術の場合は研究成果を学会や論文誌で発表する事が多いので、通常は情報収集の範囲で行います。学会発表に盗聴器を仕掛けるよりも、参加費を払って堂々と聴講したほうが良いでしょう。論文誌を不法コピーするよりも、代金を払って購入した方が良いでしょう。戦後日本では白物家電を作るにあたって、家電メーカーは、輸入家電を徹底的に分解して調べて、同じようなものを作ったと言う話は有名ですが、この場合も、諜報活動はしていません。設計図を盗むよりも、物を買って分解した方が楽ですので。
 ソ連のカメラ製造では諜報活動は必要なかったと思います。通常の情報収集で充分です。諜報活動はリスキーで大変な仕事なので、軍事的・政治的に重要なもの以外には、あまり向かないのです。民生品でも、政治・経済に重要な役割を持つものだと、スパイ合戦が行われるかもしれない。
 旧ソ連時代のKGB要員の活動の多くは、公然・合法活動でした。これは、当たり前なのです。

 
 ところで、戦前のカメラは民生品だと考えてよいのでしょうか。軍事と民生の両方にまたがっていると思います。第二次大戦では35mmカメラに軍事物資の位置付けが合ったと思います。

-----------

 さて、ソ連のカメラは意匠までそっくりに作っています。格好をちょっと変えたり、マウントをはずすときの回転方向を逆にしてみたり、そういうところまで、涙ぐましいオリジナリティーを発揮しないと、お嫌いですか。皆様、いかがでしょう。

パクリ? 2003年 03月 10日
ゾルキ内田 さん (h2o@ta2.so-net.ne.jp)
URL:http://zorki.soviet.biz/

ちょっと見ない間に議論がすごく高尚になってますね。^^;

旧ソビエトは、

・ソビエトの科学技術と生産技術のポテンシャルは西側に負けないものを持っていた。

というのは厳然たる事実だと思います。しかしながら、そのポテンシャルをどう運動
エネルギーに変えていくか(まぁ、要するに製品化につなげるか)、という政策が西
側から見ると極めて突飛なんですよね。

カメラを初め、よく知られたところではソビエトが開発した航空機(運送機)に関し
ては西側に原型と思われるものが存在するケースが多々あります。ソビエトの力をも
ってすればオリジナル設計が可能なポテンシャルはあるはずなのですが、ことこうい
う民生品になるとオリジナルを作ろうとせずさっさとコピーで済ませてしまう。「民
生品はコピーで十分」がソビエトの政策だったのでしょう。

もちろん、コピーと言えどもマトモな航空機を作ろうとすれば一定の知見は必要です。
しかし、そこのところは必要最小限で抑えてしまう。ところが、軍事技術となるとほ
ぼ予算的にもunlimitedで投資が行われ、西側以上の技術を蓄える。しかし、残念な
がらその軍事技術は民生品には反映されない。

クラシックカメラ専科にも書いたことですが、今から10年ほど前、ソビエト製チタ
ン・サイファイヤレーザーが西側でも買えるようになりました。当時の西側の装置と
比べると軽量コンパクトで、航空機(あるいは人工衛星?)搭載を目指して開発され
た軍用品だったとしか思えません(レーザー・レーダー用の光源として)。また、レ
ーザー用高性能ミラーも西側に輸出され、その性能も大したものでした。

これらの「元」軍用品の製作技術は民生用製品の開発に容易に転用可能です。例えば、
レーザー用高性能ミラーを作る技術があれば、誘電体多層膜の製膜技術があるという
ことですから、それこそM3のファインダーが裸足で逃げ出すような見えの良いファ
インダーとか、ライツが言うところのエアーレンズ(無反射コーティングによって多
数の空気層を採用したレンズ)なんかも簡単にできます。

しかしながら、旧ソビエト時代にこの技術は決して民生用写真レンズには使われるこ
とはなかったのです。例えば、Jupiter-9というレンズがマルチコート化されたのは
1990年代でソビエト崩壊後です。

その意味で、軍事技術がソビエトいおいて民生品開発に移転されたことは基本的にな
かったのではないかというのが私の実感です。

この視点が正しいとすると、FED Industar-10のような民生用レンズは、カール・ツ
ァイスのテッサーありきというレンズで、最初は文字通り材料からなにからコピーし
たのだと思います。もちろん材料に微量元素がどれくらい含まれているかなどという
情報はガラスを砕いてクロマトグラフ(?)にかけるようなことはなくて、組成に関
する情報をオリジナルの製造元から諜報活動によって得たか、「コピーに必要な最低
限の知見」を投入して、各レンズ材料の屈折率分散を実験によって調べ、それに合う
ようなガラスをトライアル・アンド・エラーで作りだしたとしても不思議ではないと
思います。チタン・サファイヤレーザーを見て分かることですが、資本主義社会では
コストの問題からトライアル・アンド・エラーでモノを作ることが嫌われますが、社
会主義各国ではトライアル・アンド・エラーに労働力を投入することはさして問題で
はありません。(そして、その結果、オリジナル以上のものができちゃうこともある
かもしれません。)

まぁ、結局、高度な科学技術を持っていても、それを民生品には決して利用しない。
代わりに諜報活動か、必要最小限の技術・投資によって西側のコピー製品を作る。こ
のご都合主義の政策を西側の国からパクリ政策と呼ばれても仕方ないんじゃないかな。

#って、その国自体がもう無くなっちゃったわけですけど。

Zenit‐12XP 2003年 03月 10日
Harry さん

管理人様とМася様

>12XP>も122も似ているようなので以下のURLで122のマニュアルを見てみてください。
>http://www.zenit.istra.ru/mans/zenit-122/zenit-122-eng.html
>ロシア語なら12XPのマニュアルもあります。
>http://www.zenit.istra.ru/mans/zenit-12xp/zenit-12xp.html

>TとVですが、シャッターの付根(?)の部分が回転しませんか?フィルムを巻き戻す時、どちらかに回すのだと思いますが。ゾルキーなんかそうで312Mや212Kはレバーを押すのですが。

色々情報有難う御座いました。
電池は御指摘のLR-43 2個でOKでした。
TとVはシャッターそのものが回転しました。
Vはタイマー使用の時、Tは良く分かりません。
シャータを覆うもう1重の管がありそれを押すとフイルムが巻戻せました。

この土日マニアル(英文)を調べ何とか分かったつもりです。
(当然ですけどロシア語は全くチンプンカンプンです)
今月末には桜が咲くのでその写真の結果を又御連絡させて頂きます。

どうも有り難う御座いました。


以上音楽の話でなくすいません。

Песенка(歌). 2003年 03月 10日
Мася さん

Привет

先日、市内の某スーパーにあるCDショップに行ったらt.A.T.u.のCDが並んでいて、土曜日の夜のニュース番組でほんの少しだけ取り上げられました。
ロシアの女子高生デュオって...確か2000年の11月モスクワでMTVで彼女らのプロモーションビデオ(何の曲か覚えていませんが)を見ていたのですが、日本で放送されたのと同じビデオクリップでした。
2年数ヶ月たっても女子高生って...
おじさんの私としては、やっぱりプガチョーワが好きです。あまり馴染みがありませんが、曲としては「百万本の薔薇」が日本でも知られいますね。
ロシア人って歌が好きなのですが、モスクワの友人達にしろ日本にいる弟なども伝統的なロシア歌謡っぽいのが好きです。新しいのはあんまり聞かないようです。
一昨年、弟にオリガ(前年度のテレビロシア語講座のオープニングを歌っていた)のCDを聞かせたら、こんなのはロシアの歌じゃないと...オリガって日本でしか歌ってなかったようですが。

ところで来日中のローリングストーンズの「悪魔を憐れむ詩」の主人公はロシア革命に参加して皇帝の処刑にも関わっていたとか。

花粉症で週末どこにも行けなかったのですが、今頃ロシアではマースレニッツァ(масленица:謝肉祭)なのでブリン(блин:パンケーキ)を焼いていました。

Пока

Re. 音楽 2003年 03月 08日
o-key さん
URL:http://uma.2ch.net/296/camera.html

私はおじさんですが、t.A.T.u.(もちろんロシア語バージョン)にはまっています。
(最近まではまっていたのは椎名林檎でした。)
通勤時に車のなかで大音響で聞いています。アイドル風のウリですが歌はうまいし、ビートの利いた曲の間にロシア民謡風のフレーズがふと入ることがあります。
それなりに楽しめますよ。

最近Kiev60を買いました。早速撮ってみたけど思いっきりコマが重なっていました。
写りは良いんだけどな・・・
ちょっとブルーです。

音楽 2003年 03月 07日
金井(管理人) さん

カメラ以外の話題は全然人気がないようなのですが、音楽の話題です。

 最近、街やFMでロシアンポップスt.A.T.u.がはやっています。CD店でもAll The Things She Said(Ya soshla s uma)が頻繁にかかっています。おじさんの私には、どこが良いのか、今ひとつわからないのですが。
 ロシアの音楽と言うと、民謡やクラシック(チャイコフスキーなど)は日本でも有名ですが、ポップスとなると今まで無かったのではないか。ロシアの古いものが良いと言う人は多いのですが、現在のロシアが日本で流行すると言う点が、どこか嬉しくなります。

 話は違うのですが、最近テミルカーノフ指揮サンクトペテルスブルク・フィルハーモニーのショスタコービッチ「森の歌」のCDを購入しました。1997年の演奏です。もともとの歌詞はスターリンを賛美していたので、その後歌詞が変えられた経緯があります。このCDは珍しく古い歌詞です。最後の部分はこうなっています。

Derevya vstayut velichavo
vozle russkikh torzhestennykh rek.
Leninskoj partii slava !
Slava norodu navek !
Stalinu murdromu slava !
Slava !

ロシアを流れる荘重な川のほとりに
木々は力強く立ち繁る
レーニンの党に栄光あれ!
人民に永遠の栄光を!
叡智あふるるスターリンに栄光あれ!
栄光あれ!

 ソビエト崩壊後の1997年になって、Stalinu murdromu slava !と絶唱するところが、気に入っています。

春休み、川崎にソビエト・アート炸裂 2003年 03月 07日
ともさん@2CV さん

(よそにも貼りましたがお知らせです。)
川崎市民ミュージアムで4月6日まで下記の展覧会を開催中です。

1)「ポスターのユートピア」-ロシア構成主義のグラフィックデザイン-
 フォトモンタージュとタイポグラフィーを駆使して作られた、構成主義時代のグラ
フィックデザインを紹介。サンクトペテルブルグのロシア国立図書館の所蔵展です。

2)「革命期のロシア・ポスター展」
 所蔵品のうち60点を展示。文字の読めないひとも多かった民衆に革命のメッセージ
を伝える。

3)「ロシア:1905年×1907年写真展」
 日露戦争のパノラマ写真80点と構成主義の作家ロトチェンコの写真30点を展示。
 ロトチェンコの写真は大部分ライカA型を使ったものです。

川崎市民ミュージアム
http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/main.htm

展覧会について
http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/exh/utopia.htm
http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/now.htm

Zenit-12XP 2003年 03月 07日
Harry さん

管理人様
早速の回答有難う御座いました。
又問い合わせもして頂いたようで恐縮です。
私も調べたら、Zenit-122はあったのですが、Zenit-12XPは出ていなかったです。
それで同じで良いかな? と思いましたが不安で質問させて頂きました。
今日早速入れて調べてみます。 どうも有り難う御座いました。

私はNikon党でFAを長年使用ですが12年程前、
Zeissレンズが使用したくなりプラクチカBマウントのBX20を購入。
然し余り良さを感じません。
それで少し前からM42のレンズを購入しプラクチカLTL3の使用ですが、
これはとても気に入っています。
そのうちソ連レンズがZeissと変わらないと聞き、
最近ロシアのレンズにも興味を持ち出しました。

今ZeissのM42は
Nikonの補正レンズつきアダプター使用
ミノルタ3700Iにアダプターを付けて
プラクチカLTL3で使用
の3通りで楽しんでいますが、
ロシアのレンズを使用する時は、皆様の評判は悪いのですが、
矢張りロシアのカメラに取付けて一度テストして見たく、
今回ZENIT-12XPを入手しました。

ロシアのカメラはレンジファインダーカメラのスタイルが好きですけど、
私には敷居が高く矢張り35SLRのみです。

長々と書き申し訳有りませんでしたが、
今後とも御指導宜しく御願いします。

その他、他の方々からの情報有難う御座いました。
今後とも御指導宜しく御願いします。

フェドコミューン 2003年 03月 07日
金井(管理人) さん

 フェドコミューンあるいは初期FEDレンズに対していろいろと御議論、情報ありがとうございます。ともさん@2CVさま、お忙しい中、よくお調べなのに感心しています。ゾルキ内田さま、mirさま、くろもとさま、たくさんの知見をありがとうございます。Масяさま、いつも貴重な情報をありがとうございます。

 このページの一番下の投稿で、Масяさまは書きました。
>それに"オリジナル"と"パクリ"だなんて、よく(хорошо)言っているのではなく、悪く(плохо)言っているようにしか思えません。

 たいていの人は、そのように言います。最初のころのFEDカメラは、まさしくライカコピーだと言う点で異論のある人はいないと思います。しかし、「本当にそうなのだろうか」と言う疑問が前えからありました。ごく一部の金持ち以外使えなかったライカではなくて、一般の労働者が使えるライカが欲しかったのではないか、そういう観点で製造したら、必然的にFEDになったのではないか、こういう疑問です。意匠がコピーか否かと言う点は資本主義社会ではきわめて重要な事ですが、体制が異なった社会ではどうでも良いことです。FEDを見ると、意匠は限りなくライカに近づけようとしています。にもかかわらず、レンズタイプはエルマーではなくてテッサーなのは何故だろうか、当時ソ連が持っていた光学ガラスの資源範囲で、独自に設計を練り直したところ、テッサーに軍配が上がったのではないか、そんな想像をしていました。しかし、FEDコミューンにそれだけの技術を求めるのは無理ではないだろうか、では一体どこがレンズを作ったのだろう、そんな疑問を持っていました。私として、この疑問の解決に一定の方向性が得られたようで、皆様に大変感謝しています。

 ところで、色収差を考えない標準レンズを3枚構成で作ると、必ず凸凹凸のトリプレットになるということが数値的に証明できるそうです。(最近の遺伝的アルゴリズムの研究成果です。歪度一定の条件下で先鋭度が一番高いレンズ構成は必ずトリプレットという意味です。)だから、色消しを考慮した標準レンズがテッサーかその類似タイプになることは必然だと思います。
 
 さて、ソ連製品を評価するとき、ソ連の民生技術は低いと言う前提に立っているように感じます。カメラで言うと、私はEOS5を使っているのですが、確かに高度な技術が集約されています。しかし、役に立たない大きなお世話の技術を詰め込んで、販売時に有利にしているだけではないのか、EOS5を使っていると、そういう虚しさを感じます。キヤノンとKMZを比べたとき、キヤノンは技術が高い、KMZは技術が低い、こんな単純な見方だけで本当に良いのだろうか、そんな思いがあります。
 
 繰り返しになりますが、いろいろと知見をいただきまして、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

Смотрй! 2003年 03月 07日
Мася さん

Привет Гарри-сан

私は12XPも122も持っていませんが、オンラインマニュアルをざっと眺めたところ、12XPも122も似ているようなので以下のURLで122のマニュアルを見てみてください。

http://www.zenit.istra.ru/mans/zenit-122/zenit-122-eng.html

ロシア語なら12XPのマニュアルもあります。

http://www.zenit.istra.ru/mans/zenit-12xp/zenit-12xp.html

TとVですが、シャッターの付根(?)の部分が回転しませんか?フィルムを巻き戻す時、どちらかに回すのだと思いますが。ゾルキーなんかそうで312Mや212Kはレバーを押すのですが。

412MSって1/1000搭載...低速はどうなんだろう...312Mのシルバーボディ、212Kだったらいなぁ...

http://www.zenit.istra.ru/archive/zenit-12/index.html

Завтра Международный женский день !

Пока

Re:Zenit12XP 2003年 03月 07日
管理人 さん

Harryさま。始めまして、管理人の金井です。ご質問なので取り急ぎお答えします。

 Zenit-12XPは持っていないのですが、使用バッテリーはZenit-122と同じようです。
 以下は、Zenit-122の説明です。Zenit-122のマニュアルには次のように書いてあります。
  from 2 batteries of Mallory D 386,Seiko SB-B8, **,**types;
  one battery BLIK-1 (**はキリル文字です)
 どれも、見かけない電池ですが、(株)セイコーサービスセンターに聞いたところ、SB-B8はSR43Wと同じものだそうです。
 前置きが長くなりましたが、要するに、Zenit-122では、SR43,LR43を2個です。実際にはSR44,LR44を2個でも使えます。ただし、露出計動作のためだけに使っているので、露出計を使わない場合は電池は必要ありません。というわけで、私は電池はいつも抜いています。

 つぎに、シャッターボタンのTとVですが、ボタンを押したときにT側に回すと押したままロックされます。Vに回すと元に戻ります。でも、私はレリーズでロックするので使った事がありません。

今後ともよろしくお願いします。

Zenit12XP 2003年 03月 07日
Harry さん

初めての投稿です。

今回わけ合ってZENIT12XPを入手しました。
1.このカメラに使用する電池は何でしょうか
(電池Boxが空で何を入れたらよいか不明なのです)
2.シャッターの所に矢印があり左がT右がVとなっているのですが、
これは何でしょうか?
特に回す部分も見当たらないのですが

全くの初心的質問で申し訳有りません。
以上宜しく御願いします

ちょっと書かせて下さい 2003年 03月 06日
くろもと さん

ゾルキ内田さん>>だから、これらの軍事技術の一部を民生用に転換すれば FED Industar-10 くらいのレンズ
は簡単にできてしまったのではないかと思います。もちろん、ソビエトのことですから、民
生用レンズの製作技術なんて、ドイツなどの光学先進国からパクッてくるなんて朝飯前で、
ソビエト独自の光学技術は大して使われなかった可能性も十分あると思います<< と仰ってますがこのインダスター10を現代の俎上にのせて当時の一方の雄であるライツ・エルマーと比較撮影すると明らかに前者が際立った描写性を示します。これは識者の間では常識です。(むろんここでは”個体差”や”思い入れ”などの要素はありませんが..)”製作技術をパクッても”製造に係る現場での技術レベルが伴わなければ何の意味ももちません。また軍用製品を絶対視するのはとくにアマチュアに多いのですが、これらはそれぞれの出自や用途が異なるので民生品と軍用品とはまるで別のものです。軍事用技術が民生に転用されることは決して格が下がるわけでも手を抜くことでもありますまい。”憬れ”がない交ぜになった解釈は判断を誤らせます。当時の(民生用と仰る)インダスターレンズの研磨はやはり国家の総合的な科学技術の産物であって、内田氏のようにいろいろな知識を自分流に膾炙できなければ、ほうぼうの資料の羅列に終ってしまいます。ここ2〜3日のFED談義大変面白く拝読いたしました。ロム専でおわるつもりでしたが、つい書き込んでしまいました。

個人的な連絡 2003年 03月 05日
管理人(金井) さん

金井です。個人的な連絡ですみません。この場所をお借りします。

2月末日を持って、長年勤務した兜x士総合研究所を退職いたしました。在職中お世話になった多くの方々に深く御礼申し上げます。また、今後とも変らぬご厚誼の程よろしくお願いいたします。
以下のメールアドレスは削除されていますので、お使いにならぬようお願いします。
kanai@star.fuji-ric.co.jp

なお、近況を申しますと、今月は自宅で「樹脂流動解析ソフトウエア」「電磁光学系解析ソフトウエア」の整備を行っています。来月は仕事を変えます。


在職中はこんな仕事をしていました。今は、以下のページとは全く関係ありません。
http://www.fuji-ric.co.jp/fs/resin/hiviscos/index.html

なるほど!(日本科学技術大学某教授風) 2003年 03月 05日
Мася さん

Привет

ФЭД登場以前のカメラにはどこのレンズが使われていたかという所で調べてみたら、どうも現在のЛОМОらしい...ということで金井さんのリンクから辿ってみました。

http://www.lomo.ru/site/book.html
(ここから更に進むのですが...)

第一章を眺めてみると、20世紀初めにサンクト・ペテルブルグに科学技術センターというものが設立され、これが現在のЛОМОのようです。
ФЭД登場以前に何らかのレンズが製作されていたようですね。但しФЭДに供出したという記述はありません。
ロシア皇室のみでなくヨーロッパからの資本もあったようです。技術の導入もあったでしょうね。今辞書がないので詳しく読めませんが。
赤い十月社も元々はドイツのチョコレート会社が19世紀末にモスクワに設立しました。

数学:
私の友人がロシアの会社を紹介するプレゼンテーションでも「伝統的に数学が強い国」と言ってました。
私の彼女もモスクワ国立大学のコンピュータ応用数学科の卒業です。

Пока

fedの疑問など 2003年 03月 05日
mir さん

戦前まで確たる光学理論を持たなかった日本を例に取れば
徹底したドイツレンズのコピーによって独自の発展を遂げたように思います。

fed黎明時のソ連の光学技術は如何ほどであったかは類推の域を出ないでしょうが
ソ連にはピョートル大帝時代、ヨーロッパの技術、文化をどん欲に取り入れてきた風土がありますから
先進的な撮影術でもあった35mmカメラに、新興のソ連も興味を持ったことは想像に難くありません。
当時のプロパガンダの技術に取り入れていた詩作や芸術運動など見ると
そのような先取の気風がひしひしと感じられます。

金井さんの言われる
>光学ガラスに微量元素をどれだけ混ぜるかというところは、製品を調べても分からないと思うのですが。
Bだと、ここをどのようにクリアーしたのかが謎です。
とのことですが

ドイツに留学して先端技術を持ち帰った学生も多かったでしょうし
カメラの製造とともにオリジナルのレンズへのニーズは高まっていったのでないでしょうか。
産業スパイなどの活躍もあったかも知れませんし、などというと
ソ連=スパイ=KGBなどと短絡的に思い至る方もおられるかも知れませんが
スパイ活動は様々な文献に見られるように世界的に非常に有用な手段であったはずです。

とはいえ、フェドと同時代のスポルトなどは大変なオリジナリティーの産物ですし
工業力(そして想像力)のポテンシャルの高さを感じるのです。
戦前フェドのレンズは50mm、マクロ、100mm、28mm、くらいしか知りませんが
どれも(といってもマクロを実写したことはありませんが)良く写るのは実感された方も多いでしょう。
わたしはロマンとして独自技術が反映されたものと信じたいのですが
おそらくはドイツの技術に寄与するところ大だったのではないでしょうか。

>日本の技術はロシア・インド・中国に完敗するのではないか
これは、これらの優れた科学者を擁した国々で、世界的な工業製品と言えるものが発達してこなかったことが全て物語っているのではないでしょうか。
頭脳と生産のバランスのとれない工業形態がこれらの国の発展を阻んでいるのでしょう。
これらが克服されたなら日本はこれらの国を脅威に感じるかも知れませんね。

もし、ソ連時代、日本程度のクオリティーで
電化製品やカメラなどの製品が、ゼニットの生産数に見られるように膨大な数が生産されていたら
日本は競争に勝てなかったでしょうから、ずいぶん違った世の中になっていたように思います。

つい思いついたことを書き連ねてしまいましたが
近代の歴史や工業史を専門に学んだわけではありません、それが大変残念に思う今日この頃です。
戯言の長文お許し下さい。

訂正 2003年 03月 04日
ともさん@2CV さん

誤)ガラスのコーティング技術は開戦時にはドイツだけが
正)ガラスのコーティング技術は開戦時にはドイツとアメリカだけが
アメリカの潜望鏡は開戦直後からコーティングされていたといいます。

FEDのレンズの件など 2003年 03月 04日
ともさん@2CV さん

こんばんは。ともさん@2CVです。

ある本に、FED一号機が作られたとき、ジェルジンスキーコムーナでは「10人の大人の技師が働いていた」とありました。この人数ではレンズ設計までは無理だったでしょう。工場について触れた部分にもレンズ工場があったという記載はありません。レンズ作業(研磨や組み付け)は行っていたらしく、「卒業生のある女子がレンズ工作技術士6級を取って云々」という記載があります。

さて、これを読むとFED一号機のレンズはレニングラード製のようですね。
The 50 mm f3.5 anastigmat lenses of these first cameras were made in Leningrad
at the Experimental Factory of the All-Union Optical Industry Association
(VOOMP) in co-operation with the State Optical Institute (GOI), also in
Leningrad.

Oscar Fricke
The Dzerzhinsky Commune: Birth of the Soviet 35mm Camera Industry
HISTORY OF PHOTOGRAPHY, VOLUME 3, NUMBER 2, APRIL 1979


余談ですが、キヤノンカメラ(カンノンカメラ)の最初のモデルは、万世橋ちかくの職人が勘で磨いた「カシャパ・レンズ」が付いていたそうです。日本でも外国カメラの模倣が盛んだったころには、コピー元のレンズを計測して似た曲率のものを磨き上げ、数種類の硝材で作ったコピーレンズを比較して、いちばんオリジナルに近い写りのものを選ぶというやり方でコピーをしていたといいます。数学不要です。
余談その2、潜望鏡の件、戦前ソ連の潜水艦はドイツからの輸入技術で成立していました。ドイツ製の潜望鏡を装備していたものが多かったそうです。潜望鏡につかうガラスのコーティング技術は開戦時にはドイツだけが保有しており、おそらくソ連でも研究はしていたが終戦まで実現できずに終わった可能性が高い。日本では昭和18年から潜望鏡ガラスのコーティングが可能になりました。

Re:FEDの謎 2003年 03月 04日
管理人(金井) さん

ゾルキ内田様お久しぶりです。まだ仙台ですか。

FEDレンズはどうやって作ったのでしょう。
@FED以外で作った。
AFED外部の技術者がFEDで作った。
BFEDの人が作った。
 @Aだと、内田様ご指摘の通り、軍事技術を転用すれば製造可能で、KGBとの関係から軍事技術の転用も可能だったと推測できます。でも、そうすると、FEDコミューンで作ったとは言えなくなります。
 ゾルキ内田様は次のように書かれています。「パクッてくるなんて朝飯前で、ソビエト独自の光学技術は大して使われなかった可能性も十分あると思います。」しかし、光学ガラスに微量元素をどれだけ混ぜるかというところは、製品を調べても分からないと思うのですが。Bだと、ここをどのようにクリアーしたのかが謎です。
 ともさん@2CV さま お書きのように、採用試験で集めた数学のできる生徒を訓練すれば、レンズ設計は可能かも知れません。うる覚えだと、3次の収差公式は、多項式係数の2階常微分方程式なので、やはり、高校卒程度の知識は最低必要です。

 いろいろ想像していると、頭がますます混乱してくる。

 ところで、ゾルキ内田様ご指摘の通り、ロシア人とインド人は数学が得意な人が多いんですよね。コンピュータソフトウエアもインド人やロシア人の手になるものが結構あるらしい。そういえば、会津大の数学科教授をしている友人が、同僚にロシア人が多いと言ってました。日本の技術はロシア・インド・中国に完敗するのではないかと危惧しています。

Почему(なんでだろう)? 2003年 03月 04日
Мася さん

Привет
ФЭДに限らず、径が39mmでありながらフランジバックがライカと違うというのは他の国でもありますね。
ロシア贔屓の私としてはロシアの優秀なレンズをライカ党に使わせないと考えてしまいます。

ところで、先日ロシアを紹介するテレビのことが話題になりましたが、今月のNHKロシア語講座ではアンコールとして「おろしあ、まるかじり」のコーナーで夏に放送されたモスクワのレポートが始まっています。
今日は第二回目で、ロシアを代表するチョコレート、「Красный Октябрь(赤い十月)」の工場が紹介されました。再放送は金曜日です。あと二回くらいモスクワが紹介されると思います。
このチョコレートはものすごく甘くて、昨年帰った時に友人から大量に、弟のお姉ちゃんからも貰ってまだ食べきれていません。在日のロシア人の友人を介してバレンタインにお姉ちゃんから板チョコを貰い、日本での流行に従って3月14日のホワイトデーに下着を贈ると冗談で書いたら叱られました。
昨年のホワイトデーに関してはロシアのテレビで放送されたらしく、別のガールフレンドから色々と聞かれました。

Пока

Re: FEDの謎 2003年 03月 04日
ゾルキ内田 さん (h2o@ta2.so-net.ne.jp)
URL:http://zorki.soviet.biz/

 全くの推論でしかないのですが、ソビエト連邦は西側に負けないくらいレンズ用材料ガラス
に関する研究、幾何光学に関する研究、コーティングに関する研究を進めていたのではないか
と思います。ただし、民生用技術ではなく、軍事技術としてです。
 第2次大戦当時、最も高度な技術を必要としたものとして潜水艦の潜望鏡があります。潜望
鏡はリレーレンズが多用され、レンズの総枚数が50枚程度にも及んだと聞きます。このくら
いになってくると、レンズ表面の反射率が1%でもほとんど真っ暗で使い物にならず、また、
収差はどんどん増幅される方向にいくでしょうから、材料の吟味から相当精密な設計を行わな
ければならなかったはずです。
 ソビエトで数学が盛んであったことはよく知られています。後年の話になるのですが、西側
でコンピュータが導入され、数値計算がほぼ自動化されても、ソビエトの科学者は手計算によ
る近似計算でかなり正確な値を得ることができていたと聞いています。
 また、ソビエトの鉱物資源は豊富であって、ランタンガラスなどもかなり良質なものが得ら
れていたとの報告があります。
 以上をまとめますと、
(1)ソビエトは軍事的に精密光学機器の開発を急いでいた。
(2)ソビエトには高度な数学(そして物理学)のポテンシャルがあった。
(3)ソビエトは鉱物資源に恵まれており、良質なガラス材料を得ることが可能であった。
ので、軍事技術として光学技術は西側に負けないものがあったのではないかと想像できます。

だから、これらの軍事技術の一部を民生用に転換すれば FED Industar-10 くらいのレンズ
は簡単にできてしまったのではないかと思います。もちろん、ソビエトのことですから、民
生用レンズの製作技術なんて、ドイツなどの光学先進国からパクッてくるなんて朝飯前で、
ソビエト独自の光学技術は大して使われなかった可能性も十分あると思います。

FEDの謎 2003年 03月 03日
管理人 さん

 FEDコミューンはさておき、FEDはどうやってカメラレンズを製造したのだろう。私には、こちらの方が謎です。
 カメラボディーは、寸法を測って、同じ部品を作れば、コピーできるかもしれません。しかしレンズは、同じ曲率に研磨しても、屈折率を合わせないことには使い物になりません。おまけに、初期のFEDについているレンズは、色消しになっていますから、もし、コピーなら、屈折率のほかに分散も合わせる必要があります。
 元になったレンズを割って、プリズムに研磨して、それで屈折率と分散を計測したのだろうか。もしそうだとしても、屈折率と分散が合った光学ガラスをどうやって作ったのでしょう。それとも、レンズ設計計算から行ったのでしょうか。戦前のFEDレンズは、ライカとフランジバックが少し違うので、ひょっとすると、レンズ設計計算をやったかもしれない。かなり、計算が得意な人間を多数集めないと、とてもできるものではありません。

 1936年にキヤノンが最初のカメラを販売したときは、レンズは日本光学製でした。

難しい 2003年 03月 03日
管理人(金井) さん

 マカレンコとルイセンコには、できれば手を出したくない金井です。社会主義思想と、当時の社会情勢と、それぞれの専門分野に対する知識がないと、誤解の恐れが濃厚なので、出来る事なら触れたくないのです。さらには、科学と政治の問題があって、どろどろした政治学に首を突っ込む事になるので、なおさら大変です。

 私もFED工場の経緯については「FEDコミューンから出発した」で充分です。

 ところで、中村さんもお書きになっているように、彼の本の記述は「面白く書」いているわけです。ソ連=秘密主義で最悪の国家 KGB=秘密警察=スパイ ジェルジンスキー=人殺し ロシア人=侵略好きの劣った民族 という図式で書くと、一般受けすると言う実情があるのですね。困ったもんだ。(中村さんがそういったニュアンスで書いていると言う事ではありません。)
 KGBをなんで秘密警察と言うんだろう。誰でも知っている、秘密でもなんでもないのに。

 今日は雛祭り。

ジェルジンスキーコムーナの構成員について 2003年 03月 03日
ともさん@2CV さん

こんにちは。ごぶさたしております。ともさん@2CVです。
FEDコミューンの構成員について書かれた一文です。FCGではこれ以上読みたいひとがいないでしょうからこちらに書かせていただきます。参考にしてください。

 ジェルジンスキー名称コムーナは1927年12月29日ハリコフ近郊に開設された。はじめコムーナには13−16歳の160名(内50名は女子)の被育者がいた。そのうち60名は、組織の中核をつくるために、ゴリキー名称コローニヤからつれてこられたものたちであった。コムーナの組織者はマカレンコの教育方法を認め、それを支持したチェーカーであった。
  <<「愛と規律の家庭教育」マカレンコ著 1950 三一書房 巻末解説 署名はロシア社会主義共和国連邦教育アカデミー

 コムーナははじめ100名の入所者を予定していたが、しっかりしたコレクチーブをつくるために、その組織者の要望を入れて、ゴリキー名称コローニヤは60名のコロニストを、コムーナ員として送り込み、その他のものは、街頭から集められた。
 ジェルジンスキーコムーナにおける生産の発展は、1931年に短期間に被教育者の数を150人から350人に増大させることを可能にした。上級クラスの補充は、ウクライナ共和国教育人民委員部の子どもの家から、採用試験によって行われた。年少クラスは、普通のやりかた、すなわち、孤児、浮浪児、家庭のある子ども、未成年法律違反者たちによって補充された。このやり方は、その後も、多数の補充をするときに用いられた。
  <<「集団主義教育の方法論」マカレンコ著・池田貞夫訳 1963 明治書院 の注

Трудно(難しい)! 2003年 03月 03日
Мася さん

ロシアの検索エンジンでФЭД、Харьков、Макаренкоなどを検索してみると沢山でてきます。片っ端から読めば何かわかるのでしょうが、辞書片手に読んでいたらいつに終わることやら...
一つ、孤児だった少女がМакаренкоのФ.Э.ジェルジンスキー名称少年勤労コミューンに入り、競争試験(何じゃ、コリャ?)に合格するも忙しさ故(1940年)、シベリアで昼は工場勤務で夜はインスティトゥートで学んでいたという記事を見つけました。
どうして孤児になったか、それまで何をしていたかは書いてありませんが、Макаренкоの教育は労・文両道を目指したものだったのかな?
私も教育学、社会学(でいいかな?)が専門ではないのとФЭД誕生の経緯にも興味がないのでこの辺で。

昨日は、Зенит312МとЗоркий1 TYPE-C、2Сを持って新宿御苑に寒桜を撮りに行ってました。
寒桜は6〜7分咲きという感じでした。カメラマンの数もそれ程多くはありませんでした。1を自家製ケースに入れて首から下げて歩いていたらすれ違うカメラマンはみんな見ていきました。
土曜日は自宅近くのホールで花の展示会をデジカメで撮っていました。3月8日のロシアでの「国際婦人デー」のお祝いにフラワーアレンジメントの写真が丁度いいんです。
また2Cでストロボのテストも兼ねて少し撮ってみました。

Пока

フェドコミューン補足(2) 2003年 03月 02日
管理人(金井) さん

 マカレンコについては、難しいので、あまり書きたくないのですが、誤解を与えるといけないので補足です。

 「積極的に非行少年をフェドコミューンに受け入れて」と書きましたが、フェドコミューンに集められた子供達は、ほとんどが非行少年では、なかったのではないかと思っています。当時、ウクライナは飢餓状態で、そうした中で、戦災等で孤児になった子供が、乞食をしたり、食べ物を盗んだとしても、私には非行だとは決して思えません。むしろ、本来は優れた素質のある子供を集めて、教育をしたのではないかと思っています。

 教育関係者の中には、不登校児童を、あたかも、非行少年のように言う人もいます。こういう、心無い態度は嫌いです。

管理人(金井) 2003年 03月 01日
フェドコミューン補足 さん
URL:http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/Kaisetsu/FACTORY/FED.html

 マカレンコの名前をいっぱい書いてしまったので、FEDの説明のところに、マカレンコ生誕100周年記念切手を載せました。

  http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/Kaisetsu/FACTORY/FED.html

フェドコミューン 2003年 03月 01日
管理人(金井) さん

管理人の金井です。中村さんの掲示板に以下の投稿をしました。

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中村様。ハラショーの出版おめでとうございます。金井です。「ロシア&ソビエトカメラの産
地」のなかで、私のページを参考にしたとのコメントを書いていただきありがとうございます。
しかし、FED工場の記述については納得しかねます。始めの部分で3点あります。
@「ラゲーリ送りになったり粛清されてしまった両親を持つ孤児を集めて、…」
A「孤児を集めて、職工として訓練して工業製品を生産した」
B「ソ連時代のことは謎が多い」

 教育学者マカレンコは赴任すると、積極的に非行少年をフェドコミューンに受け入れて、更生
を図ったという事は、教育学関連の辞典にも載っている有名な話です。1980年代ごろまでは、
日本でもマカレンコ研究をしていた人も多かったと思います。不登校、軽微な非行、性犯罪被害
(売春少女)等の問題少年の教育にマカレンコの手法を取り入れようとしていのだと思います。
私のホームページに触れていないのは、マカレンコ自身の著書も多い上、マカレンコの研究論文
は膨大な量に及び、それ自体深い内容なのに対して、私には教育学の知識が全く無いので、とて
も歯が立たないためです。
 さて、中村さんの記述のBについてですが、フェドコミューンはよく知られていて、謎ではな
いと思います。ただし、マカレンコは、かなり政治的な動きをした人なので、さらに、彼の成果
を、ソ連は社会主義の優位性の宣伝に使用したので、眉唾っぽいところもあると思います。しか
し、FEDのカメラの産地よりも、ソニーのデジタルカメラのツアイスレンズの産地の方が、私に
はずっと謎で、カメラ産地に関しては「ソ連時代のことは謎が多い」という事は無いともいま
す。
 ただ、残念な事に、マカレンコ全集は、今では絶版になっているんですよね。もっとも、販売
していても、とても読む気は起きないけれど。どなたさまか、お読みになった方はいらっしゃい
ませんか。特に、「塔の上の旗」だけでも。お恥ずかしいことに、私は何も読んだことはありま
せん。

 次にAです。この記述自体は問題ないのですが、「生産に必要なために孤児を集めた」と、誤
解されるような記述だと思います。もっとも、マカレンコの教育をそのように解釈している研究
があるのかもしれません。そういう流れの中で、書かれているならば、教育学や近代教育史に何
の知識もない私にはコメントする資格はありません。ただ、マカレンコの教育方針は、集団指導
により少年の育成を図ったものと認識していますので、Aの記述に違和感を感じます。ところ
で、教育の中に労働を取り入れたのは、マルクス主義としてはごく自然の事で、この考えは、エ
ンゲルスの論文「猿が人間化するにあたっての労働の役割」(自然の弁証法)に源を発している
と思うのですが、違いますかねー。

 最後に@に付いてです。「ラゲーリ送りになったり粛清されてしまった両親を持つ孤児」。何
で、このように特定できるのですか。私は、マカレンコについて何も勉強した事が無いので間違
えているかもしれませんが、「ブルジョア思想に染まった少年は更正不可能」との記述が、どこ
かにあるという話を聞いた覚えがあります。もし、そうだとすると、反革命の子供は、どちらか
というと初めから省いていたのではないかと思えるのですが。

 繰り返しになりますが、私は教育学や近代教育史に何の知識もないので、今ここに書いている
こと自体誤りかもしれません。中村様、もしよろしければ、コメントお願いします。また、教育
学や近代教育史、特にマカレンコについてご専門の知識のある方にコメントいただけると幸いで
す。

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以上

Плохая книга 2003年 02月 28日
Мася さん

Привет

私は立ち読みした程度で全てを読んだ訳ではありませんが(もう読む気もありません)。

ロシアカメラ及びレンズに関する良い本ってないんですよねぇ...
レンズの構成がどうだとか、写りがどうのとしか言えないのに、どうして聞きかじった程度の知識でロシアの歴史や文化、生活を語るんだか...
それに"オリジナル"と"パクリ"だなんて、よく(хорошо)言っているのではなく、悪く(плохо)言っているようにしか思えません。

Пока

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