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重い機材で身体を鍛える! お名前: かぱまん さん [2005/07/12] No.5101
>F3Pにつけると1200g也
Tarakowski様、50/1.2の使い心地はいかがでしょう。F3ではオートでのシャッタースピード表示が、F1.4でもF1.2でも変わらないので、「あれ〜故障かなぁ?」なんて思いますが、それはF3の液晶表示が中間値を表示できないためですので(実際はそれなりの数値が出ているらしい)、気にするなとの事でした。
 僕はフィルム1本目から気に入ってしまって、常用レンズにしようか、と思いましたが、やはり重いので考え直しました。開けても何も劇的な変化がおきないので、それを面白くないととるか、安定しているととるか???
 現像できましたらまたお教え下さいね。

>ペンタ・オート110
 1回巻き上げがスーパーで、2回巻き上げが普通の110でしたっけ。
 憶えている限りにおいて、小さくて軽いのに、妙に手ぶれしにくいカメラでした。うす暗い照明で子供の寝顔のアップを撮ってましたから。

>コレだけでも重いのにМир20を装着…
 キエフ60TTLファインダー付きにARSAT30/3.5のセットを首からブラ下げてスナップすると、へたすりゃ身体こわします。でも上手に使えば背筋がモリモリついてくることでしょう。自称「ガラスの腰」なので、自戒せねば。

 何げにテレビ見てましたら、国際協力宇宙ステーションが写ってました。ロシア製作のモジュールって、「ZARYA」っていうんですね、知らなかった。思わず手許のザーリャ号をなでなでしました。



ストロング・スタイル お名前: Мася さん [2005/07/12] No.5100
Привет
ご挨拶が遅くなりました。開南丸 さま、はじめまして。

重量:
最近出番が少ないニコンFM+MD-12ですが、コレだけでも重いのにМир20を装着するのが好きです。
Юпитер9を買った時は重たいなぁと思いましたが、もう慣れてしまい、それどころかМир20にも慣れてしまったようです。
元から重い方が安定して好きなんです。ペンタ・オート110が使えたかどうか...

プロレス:
昨日、橋本真也選手が亡くなりましたが、私も80年位までで、ザ・ファンクスも出場した世界最強タッグ戦でブロディ・スヌーカ組にスタン・ハンセンが割り込んだあの頃ですね。
故ブルーザー・ブロディやミル・マスカラスなど全日ばかり見ていました。ボブ・バックランドはWWFで新日系でしたね。この頃アニマル浜口は国際から来たのでしたっけ?
その頃AWAのチャンピオンはニック・ボックウィンクル!バックランドはWWFのチャンプでNWAはハリー・レイスかジャイアント馬場!

手塚治虫:
息子と一緒になってヒョウタンツギやスパイダー(おむかえでごんす)のグッズ類を集めています。
東京オペラシティにあったお店がなくなってしまったのが残念です。サンシャインシティに期間限定で出展されています。当然先日も立ち寄りました。

アシュケナージ:
アンチ源氏派としては見たくない今の大河ドラマですが、テーマ曲を担当しているんですよね。

ЗК:
その旨が記されていたのはКМЗのページでした。「Мастера Оптики」では1948年頃、Юпитер8とИндустар22の製造が始まったようだと。ちなみに月産300本だったそうです。(両方合わせてかな?)
КМЗのページでもЮпитер8は1948年から製造と記されています。Зоннар Красногорскийと呼ばれていたことも含んでいるのかな?

ご参考までに

http://www.zenitcamera.com/archive/lenses/jupiter-8.html

Пока


お名前: 開南丸 さん [2005/07/11] No.5099
仕事が忙しくて、なかなか書き込めませんでした。

>けろけろさま
望遠レンズの件ですが、いろいろと有難うございます。そういえば、ベルリンにある通信博物館でベルリン五輪当時のテレビカメラ用のレンズがあった事を思い出しました(ライツ製、確か1500mmでした)。私はニコンFの世代では無いので(F3の世代です)、そう云った知識を殆ど持ち合わせておらず、本当にスミマセン。調べる事は大切ですね...

>Масяさま
初めまして、バーン・ガニアですか!
アメリカにはNWA、WWF、AWAとプロレス団体がありましたが、私はドリー・ファンク・ジュニアとボブ・バックランドが好きでした。でも、アスカニアからは連想出来なかったです...

そういえば、ペンタックスオート110が話題に出ていましたが、小学生の頃愛用していました。2回巻上げに違和感がありましたが、きれいに写るので愛用していました(ローライA110と比べると大違いでした)。
今から19年前、手塚治虫先生とお会いした時に使った事を思い出します。


裏地見る・味気無し お名前: Tarakowski さん [2005/07/11] No.5098
アシュケナージというN響「指揮者」のこと忘れていました。感動しない演奏をする人です。どこが悪いという訳でもないのですが。

Nikkor AiS 50mm f1.2
とてつもなく重たいレンズでした。F3Pにつけると1200g也。バーベルみたい。ライカR3+ズミクロン50ミリが軽く感じます。36枚撮りネガがまだ半分も撮れません。

河出書房の《ふくろうの本》シリーズの「図説日露戦争」(1999年)ようやく入手。靖国の展示にそっくりですね。


学校 お名前: Мася さん [2005/07/11] No.5097
Привет
息子の所も期末試験が終わりました。ホっとするのも束の間で再来年の受験に備えて色々な大学のオープンキャンパスに出掛けて学校/学部の説明を聞き、雰囲気などを調べに行きます。
その第一弾として昨日は立教大学へ。説明会はともかくとしてテレビなどでも蔦の絡まる校舎でお馴染みの大学ですから写真に撮らないテはないと、息子に貸しているプラクチカP90を持っていきました(こういう時本人は持って行こうとしないんです)。
帰る直前に2、3枚撮っていました。

本来なら一人で行かせるべきなのでしょうが、池袋ということでサンシャインシティの方にちょっと用事があったので付いていきました。サンシャインの噴水前で「ミス・マガジン2005発表会」だって。300〜400mmクラスの望遠かズームつけた連中が脚立に乗っかってスゴかったです。先週から始まったドラマ「電車男」にも似たようなシーンがあったような...

息子の期末が金曜に終わったので土曜は久々の休み。ということで浅草寺の「ほおづき市」へ一緒に撮りにいきました。私はКиев4+Юпитер12に息子はプラクチカ。
いつものようにカメラクラブのような年寄りが多く、まぁ人込みの中で三脚は使っていませんでした。

アメ横→上野へと流そうと地下鉄田原町へと向う途中、息子に呼び止められてみたら、哲学者の串田孫一先生の葬儀会場のお寺が!
実は私が大学に入学する大分前に、私の学科で教鞭をとられていらっしゃいました。朝ニュースで訃報を聞いていましたが...

ЗК:
総統がかつてКиевの製造ラインについて発表されましたが、レンズの製造ラインはどうもクラスノゴルスクに運ばれたようですね。
っで50mm/f2ですが、材料に関係なく当初ここで作られた、後にЮпитер8となるこのレンズの名称だったとКМЗのページだったか、「МАСТЕРА ОПТИКИ」に書かれていたと思いました。

Зоркий2:
セルフタイマーは必要ないけどアイレット付きというのがいいですね。セルフタイマー付きで更にシンクロがある2Сが結構気に入ってます。

Индустар22:
いっつぁんさん、いつもながら柔らかい描写だと思います。沈胴式というと50ばかり使っています。やはり22だと柔らかく撮れるのかなぁ...使ってみようと思いながらもつい50を...何でだろう...

Пока


ミノックス お名前: けろけろ さん [2005/07/10] No.5096
金井さま:どうもありがとうございました

ジュピ3とZKとの区別、例えば硝財の違いとかあるのでしょうか?どちらかが蛍光硝子だったりすると区別は容易なのですけど。

ところで、全然関係ないのですが、増田光紀のミノックスの世界というHPがかなり専門的で好きだったのですが、いつの間にかリンク切れです。どなたか消息をご存じないですか?


お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/10] No.5095
sovietcamera11112000:
 ZKは本物でしょうか?汚れたJupiter-3を用意して表面プレートを変更すれば、簡単にZKが作れます。
 FED-ZORKIは自信を持って評価できます。FEDやZorkiの見分け方の重要なポイントに、シャッターボタンの形があります。@レリーズ取り付けできないもの A袖が小さいもの B袖が大きいもの
 @は、戦前FED、戦後初期FED、FED-ZORKI、Zorki-1のTypeA
 AはZorki-1のType-B以降
 Bは戦後のFED(戦後初期をのぞく)

靖国神社:
 靖国神社には、いくつかの面があります。宗教施設なのだから、慰霊の面を見出す人もいるでしょうね。戦死を誇りとして晴れ晴れとした表情で迎える心情は、今の、多くの人には理解できないでしょう。
 靖国神社には、普通の神社の顔もあります。つまり、地域のお祭りの中心としての神社です。靖国周辺の小・中学生がお祭りの笹飾りの短冊に願い事を書くことがあります。『英検合格』とか。
 しかし、これらのことは、靖国の靖国たる所以とは関係ないことです。

>ぼくも一度行ってきます
 どのようにお感じになったか、教えてください。日露戦争汁粉はあまり美味くないです。

おまいり:
 お彼岸の墓参りのときなど、どこをお参りしますか。
 最初に、仏教世界のために本尊をお参りする。次に衆生のために無縁仏の墓をお参りする。最後に、自分と先祖のために先祖の墓をお参りする。これが、正しいおまいりの順番だと聞いていますし、そのように信じています。
 だから、靖国神社が、基本的に、自国の軍神のみを祀っているところに、宗教観の違い(インターナショナリズムとナショナリズム?)を感じてしまいます。


日沈む処の帝国の行方 お名前: Tarakowski さん [2005/07/10] No.5094
小さな中国、大きな中国
スターリンの民族政策が崩壊したように、言語・文化政策の失敗は「大中華」の瓦解につながります。資本主義と北京語がどこまで50の少数民族に浸透したのか興味あります。中国人がどこまでロシア史・ソ連史から共同体維持の理念を学んだか、興味津々。

Raindrops keep fall'n on my head でしたか。英語の方が段々あやしくなってきました。


ZK f1.5 お名前: Tarakowski さん [2005/07/10] No.5093
ヤフ億でも2件Lマウントが出ています。1950年といえばキエフがそろそろ軌道に乗り始めた頃、輸出による外貨獲得をもくろみ始めた時期ではないでしょうか。最近登場のこの出品者(sovietcamera11112000)他にも面白い物出していますね。FEDの28ミリとか、FEDの古いものとか。昨日ニッコール買わなかったら食指が伸びました。我慢我慢!

Raindrops fall'n my head
昨日NHKホールを出たら雨が。とっさに浮かんだ言葉がロシア語の「イジョート・ドーシチ」(雨降りか)。もう20年近く使わなかった簡単なフレーズ。いつもだったらポーランド語の「デーシチ・パーダ」Deszcz pada.なのですが。これもプロコフィエフのせい。


顕彰 お名前: telefunken さん [2005/07/10] No.5092
靖国に祭祀されることが名誉なら間違いなく顕彰施設ですね。遺族会の心情はちょっと違って慰霊成分も入っているだろうけど、宗教色を排する国家的立場では顕彰と考えるのだろう。

中国侵略はこないだの侵略の定義からいって悪いことだし、日本独自で繰り返すことはたぶんないでしょう。ただアメリカはいずれ中国の共産党政権を抹殺して、超大国としての中国を解体し、分割国家とするだろうから、そのとき日本はインド、韓国などを含めた軍事同盟に組み込まれて中国侵略を分担する可能性は大きいと思う。

靖国と侵略の問題は、いちばん熱い現代の問題だと思う。ぼくも一度行ってきます。


ZK F1.5 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/10] No.5091
 1948年にFED-ZORKが作られていますので、FED-ZORKI用に、F1.5のLマウントZKが作られています。初期のZKにはZORKIIと書かれてありません。1949年か1950年ごろになると、ZKも ZORKIIと書かれています。
 ZKはJupiter-3と異なって、絞りリングに耳が付いています。耳無しもあるかもしれない。偽物はいっぱいあります。

 ZKには1.5のほかに、Jupiter-8につながるF2があります。こちらも、FED-ZORKI用、KIEV用が作られています。こちらも、ZORKIIと表示がないものとあるものが存在します。さらに、沈胴するものと固定のもの、絞りリングの耳付き、耳無し。本物、偽物、とややこしくなっています。


ZK お名前: けろけろ さん [2005/07/09] No.5090
今K2に、KZのLマウントレンズというのがでています。#5000062
真正品のようですが、マウントは後からの改造なのでしょうか?それとも少数Lマウントが作られたのでしょうか?
お教え下さい。


期末決算 お名前: Tarakowski さん [2005/07/09] No.5089
やっと採点が終わりました。来週は8クラス分の成績処理です。

セルフ付き
珍しいですね。キエフのにそっくりです。

サマーバーゲンでライカM6白が98Kで出ていました。100K切ったのを初めて見ました。銀塩衰退のせいでしょうか。

テレマンの「天地創造」
telefunkenさま。渋谷のタワーレコードでも探したのですが、どのカタログにもありません。「受難曲」のことでは?ところで「創世記」を音楽にした作曲家は絵画に比べて非常に少ないということが分かりました。


Zorkiもう1台 お名前: いっつあん さん [2005/07/09] No.5088
Zorki-2、アイレット付きってのも良いですよね。
私も、もう1台買おうかなって、いつも考えています。
今持っているのも、あのグッタ君剥がして、皮貼りました。一気に高級機になりましたよ(笑)
写真は、姨捨山の棚田で「アザミ」・・・・かな?
Zorki-1 Industar-22 50mm
画 像 : img20050709213416.jpg -(60 KB)


Zorki-2 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/09] No.5087
 Tarakowskiさま、お久しぶりです。期末試験は終わりましたか。
 F1.2はすごい。でも、私には使えないなー。ピントが合わせられない。
 今日は久しぶりにカメラを買いました。Zorki-2。普通のZorkiにセルフタイマーが付いただけです。
 ロシアのOREL差出が6月30日16時10分、到着が7月9日16時ごろです。このくらいの日数だと、なんとなく納得します。

スヴェトラーノフ:
 そうか、故人なんですね。NHKホールで聞いた、ショスタコービッチの森の歌のパワフルな演奏を思い出します。
画 像 : img20050709211743.jpg -(61 KB)


f1.2 お名前: Tarakowski さん [2005/07/09] No.5086
雨の渋谷から帰ってきました。N響は故スヴェトラーノフ以来、久々のロシア人指揮者、新鋭のボレイコ。プロコ5番は妥当な選曲。正真正銘のソヴィエト音楽。ショスタコーヴィチが空海ならば、プロコフィエフは最澄?社会主義リアリズムという密教の奥義かな?

ゾナー1.5に手をつけて以来、高速レンズ中毒に。今日、更にエスカレートして(魔がさして)ニッコールAiS50ミリf1.2をサマーバーゲン30K円で買ってしまいました。隣にはノクトニッコール128Kがあったのですが、このプアマンズ・ノクトで我慢。明日は早速試写に出かけます。

葬式の音楽
暗いの嫌です。慰霊も顕彰も必要ありません。自分の時はコルンゴルトの「主題と変奏」作品42、これ位のをかけて欲しいです。

昔の喧嘩
以前ポーランドで1241年のレグニーツァ(ワールシュタット)の慰霊祭ミサをTV中継していました。ウィーンではトルコの包囲(16世紀)を救ったヤン3世ソビエスキ王への感謝のミサもやっていました。ご苦労様です。


戦死です、万歳! お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/09] No.5085
 靖国は慰霊か顕彰か、展示館を見ると顕彰施設のように見えるのですが、自信ありません。靖国は自分の宗旨とかけ離れているので、理解困難です。同じ話題を繰り返してすみません。靖国神社をどのように考えるべきか、自分の中で、よく理解できていないので、思考が堂々巡りしています。

 慰霊とは何でしょうか。
 いやな奴が死んでほっとしていても、化けて出てくると困るから、墓には重い石を置いて、それでも安心できないから、まじないでも唱える。こういう慰霊もありますね。
 死んでほしくなかった人が惜しまれて死んだ場合、残された人には悲しみが起こるので、そういった感情に配慮するために慰霊がある。。。
 これまで参列したことのある葬式は、すべて、悲しみを伴っていました。死亡が喜びである葬式には参列したことがありません。故人の生前の業績を称えるのも多いですが。
 しかし、靖国神社で「ビデオ英霊賛歌」を見ると、悲しみはなく、戦死を誇りとして描いていました。軍人だけでなく、女学生も晴れ晴れとした表情で参列しているのが印象的でした。嘆き悲しむ人はいませんでした。
 死が悲しみであるなら、慰める必要があるでしょう。死が栄誉でありむしろ喜びならば、何を慰めるのでしょう。戦死が、無理やり国家・天皇の悪事に付き合わされてしまった結果の悲劇であるならば、戦死は無念だろうから戦死者を慰めないといけません。戦死が名誉であり、むしろ男子の本懐を遂げたのであるなら、また、縁者の栄誉であるなら、いったい何を慰めるのでしょう。悲しみを慰めるのは分かります。栄誉を称えるのは分かります。栄誉を慰める?? 

 「感謝と尊敬の至誠を表示」って、慰霊ですか。私たちは、生きている人に対して、感謝と尊敬の至誠を表示するでしょう。だから、慰霊ではなく、顕彰だと思うのですが。

 ところで、各党の法案で、靖国の性格から慰霊が欠落しているのは、政教分離の問題があるので、宗教性を排除しようとしたからだと思います。また、靖国神社崇敬奉賛会の会則は現在のものなので、1950年代とは異なり、慰霊の性格があるのでしょう。戦死者は今から60年以上前のことです。靖国参拝者の多くの人にとって、自分の親や祖父の世代ですから、先祖供養の面が入り込みます。


>すると中国に関連していえば、他国の侵略に対するクレームをどこまで遡行するかという問題ですね。
 中国に関連していえば、中国侵略は「いいこと」なのか「わるいこと」なのか、あるいは、再びするのか、もうしないのか、の問題だと思います。過去のクレームとはちょっと違うのではないでしょうか。
 ブッシュが、米国の十字軍に参加を求める演説をしたとき、アラブ諸国は驚いたろなー。

 最近、何度も参拝している者にとって、靖国と侵略の問題は、過去の問題ではなくて、現在の問題のように思えます。


靖国と侵略 お名前: telefunken さん [2005/07/09] No.5084
法案は各党とも顕彰ですね。靖国神社案が「感謝と尊敬の至誠を表示」となっているので、慰霊系の表現。
奉賛会は奉慰顕彰となっていて、慰霊もあるが顕彰も言ってますね。
要するに政党では顕彰施設として見ていて、神社や奉賛会では慰霊系のニュアンスがあるということですね。
顕彰だといわゆるA級も中国侵略を含めていいことをしたヒト、イコール中国侵略もいいこと、となるから、軍事裁判のコンセプトとは相容れない。中国での反対もそれを根拠にしてるという気がする。

すると中国に関連していえば、他国の侵略に対するクレームをどこまで遡行するかという問題ですね。イギリスの仕掛けたアヘン戦争なんかその動機にいたっては破廉恥性のレベルで日本の侵略ドコじゃないけど、ここまでさかのぼってクレームつけるとイギリス、その主人のアメリカまで敵にまわすから中国の国益に反してよくないのでしょうね。

イスラム教の宗教会議みたいなトコ(?)から,ローマ法王に対して、十字軍の遠征(これって札付きの侵略)に対する謝罪を求めたというニュースを見ました。
対抗措置としてはオスマントルコによる西方侵略を持ち出さないといけない。

アッチラはイスラム以前だけど、これはアレクサンドロスとアイコか。チンギス・ハーンもあるから、通算するとヨーロッパとオリエントのあいだでどっちが侵略残高多いだろう。

おなじことはスラブ民族とドイツ民族のあいだ、いまのアラブとイスラエルのあいだにもいえる。後者はバビロンの俘囚つまりネブカドネザル時代までさかのぼって決着をつけなければ。

ドラキュラのモデルになったトランスシルヴァニア領主のヴラド・ツェペシュ候は、城の周りの丸太の杭に、トルコ兵を肛門から口まで串刺しにしてさらし者にして、おしよせるトルコ兵を震え上がらせたそうです。当時戦争裁判があれば、候はまちがいなくA級戦犯。

したがって国連あたりで通史的に各民族間の侵略の総決算をやって、バランスを出して金で決着をつける。その後はこういうのは言いっこなし、にすると国際間のマサツはかなり減るかも。

あとイエルサレムみたいに取り合いしてるトコは全土を二階建てにして、百年ごとに上下いれかわればよい。



う〜 お名前: Мася さん [2005/07/08] No.5083
Привет
今日締切の仕事があったので朝からかかりっきりでした。
まだ予定が決まっていませんが、よい週末を!


Пока


靖国神社崇敬奉賛会 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/08] No.5082
 靖国神社崇敬奉賛会は、「英霊を奉慰顕彰すると共に、御心を受け継ぎ国家道義を確立し、健全なる国民道徳の作興と国家社会の安泰に寄与することを目的と致します」だそうです(会則から)。

 「奉慰」「顕彰」ですね。また、「御心を受け継ぐ」のだそうです。

 小泉さんは、中国・韓国に対して、合祀されているA級戦犯の御心を受け継ぐのかなー。うーん、ドイツ大統領がゲーリングさんや、ヘスさんの遺志を受け継ぐと言ったら、どうしよう。


靖国 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/08] No.5081
 1956年ごろ、靖国神社国家護持の気運がおもに遺族会の間で高まります。そうした中、自民党、社会党、靖国神社は、独自の靖国神社法案を発表しました。

自民党案:
 靖国社は国事に殉じた人を奉斎し、その遺徳を顕彰し、もって国民道義の高揚を図るとともに恒久の平和の実現に寄与することを目的とする

社会党案:
 この法律は、殉国者の遺徳を顕彰し、これを永久に記念するため、靖国平和堂を設け、式典その他の行事を行い、もって殉国者に対する国民の感謝と尊敬の念をあらわすとともに恒久平和の実現に資することを目的とする

靖国神社案:
 国に殉じた人々に対する国及び国民の感謝と尊敬の至誠を表示する為、その由緒および伝統を保有する靖国神社の独特の地位および活動を、永久に保証し護持することを目的とする

 どの法案も、靖国神社の性格として、「殉国者の遺徳を顕彰」とされていて、慰霊・鎮魂とはなっていません。やはり、靖国神社は一貫して、殉国者の遺徳を顕彰することと、国民の戦意の高揚を図ることが、目的なのではないかと思います。(結局、展示館を見た感想に戻ってしまう。)

 靖国国家護持法案は何度か試みられたことがあるけれど、そのたびにおもに宗教界の強い反発で廃案になっています。


神社 お名前: telefunken さん [2005/07/07] No.5080

いや、たしかに靖国が顕彰施設だとすると、いわゆるA級戦犯といわれている人たちを顕彰していることになるから、極東軍事裁判についての私見は別として、中国での反対は理解できますね。勉強になりました。

神明として現れるということを言うのですが、意味はよく知りません。ただなんとなくバケて出た、という印象があります。

いろいろな本から得た知識では、神社の中には怨霊を鎮めるための慰霊施設が多いそうですが、すべてがそうかどうかはわかりません。

天満宮は、陰謀で左遷した菅原道真の怨霊が怒っていろいろ怪異を起こしたので、藤原氏が建てたというのを聞いた気がします。カミナリになって藤原一族のところへ落ちるみたいな絵があったような。天満というのは黒雲が天にみなぎる様子でしょうか。

霊魂(?)になってから宮という称号を貰ったのは、伊勢の大神宮は別格として、天満宮と東照宮だけだと思います。前者はタタリよけの慰霊で、後者は顕彰でしょう。




慰霊 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/07] No.5079
慰霊:
 そうか、神社はもともとタタリを鎮める目的で作られた慰霊の施設なのですか。神社ってよく知らないのです。親戚に寺は多いのですが、神社はないので。靖国神社も本殿を見ると、また違った印象を持つのかもしれませんが、展示館&ビデオを見ているものだから、戦死者を顕彰し、侵略・戦争を奨励する施設かと思っていました。展示館の最後に感想を自由に書くノートが置かれていましたが、戦争賛美の施設との印象を持った人が多いようでした。私とは、微妙に印象が違います。
 来週13日から「みたままつり」だけれど、混雑してそうなので、行きたくないような、どうしよう。

 先日のニュースに、靖国にかってに祀られてしまった台湾人が、家族や仲間の魂を取り戻す儀式を同神社周辺で行おうとしたが、右翼暴力団に阻まれたとの記事がありました。警察が右翼暴力団に事実上協力していたとも。警察と右翼暴力団は、かなり協力関係が深いんですよね。
 他人を勝手に祀るのは、良くないと思うけど。

大虐殺:
 ナチスの大虐殺の1つに、バビヤールがあります。数万から10数万、あるいは20万人以上が殺されたとのことです。明日は、ショスタコービッチの交響曲13番を聞こう。


戦争と侵略 お名前: telefunken さん [2005/07/07] No.5078
陰暦で決まった行事を、太陽暦で機械的になぞっているのはちょっと問題があると思います。何か換算するとかできないのだろうか。

南京は30万人ですよねー。なんだか数字がまちまちですけど、ゲリラも入れるといろいろでもやむをえないのはよくわかります。ベトナム戦争でもどこまでがベトコンだか判らなかった。
いずれにしろ、慰霊施設を日本のお金でどこかに作るべきだと思う。
靖国って顕彰だったんですか。慰霊だと思ってました。むかしは招魂社と言ってました。いつのまにか性格が変わったのかな。
神社というのはタタリを鎮める目的で作られたのが多いと聞きましたが、そういう場合は慰霊ですよね。だけど慰霊をしようとすると褒めることになるから顕彰の側面も出てきますよね。

対立みたいなものが先行して、暴力で解決するのが戦争。なにもないのに強盗みたいにやるのが侵略。なるほど。いま中国と戦闘したら戦争になるのかな。対立だらけだ。


七夕 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/07] No.5077
七夕:
 この時期、天気が良くないのは毎年のことですよね。職場の中国人に聞いたら、中国では陰暦なので、1月以上ずれているそうです。陰暦ならば天気も良さそうなのに。少年の頃、七夕って8月7日だと思っていました。
 七夕って、何か特別に食べるものって、ありますか。南京豆?


南京
 南京大虐殺は12月なので、七夕とは関係ないのですが。
 南京大虐殺の人数では基本的な定義の違いがあるようです。@どのような人がどのように死ぬと大虐殺にカウントされるのか。A南京の範囲はどこか。
 中国側のカウントは、期間中の不自然死亡中国人の数のようです。日本では兵士を除いてカウントしている場合が多いようですが、ゲリラ戦の場合は住民の多くが戦闘員になりうるので、戦闘員の範囲をかなり拡大できることになり、人によって数字に大きな違いが出ます。
 南京とはどこなのか。東京ってどこでしょうねー。東京都内? 島嶼部と奥多摩を除く? 23区内? 新宿で友人に出会って「これからどこ行くの」「東京」、こういう会話をした経験がある人は多いと思います。この場合の東京とは、丸の内とか八重洲あたり?  北京出身の人に、北京の範囲を聞いたら、北京区?北京県?と聞き返されてしまいました。
 中国定義による南京大虐殺の被害者数は、中国公表30万人強ですよね。これは、日本が南京占領に来なかったら死ななくても良かった人の数、でしょうか。ちなみに、中国では南京大屠殺といいます。

敵国兵士の慰霊:
 沖縄の平和の礎は、敵味方、戦闘員非戦闘員の区別無く、等しく慰霊していると思います。
 靖国は慰霊の施設ではなくて、顕彰の施設ではないでしょうか。靖国神社の展示館で、ビデオ「英霊賛歌」を見ると、靖国神社は英霊を顕彰するための施設であると思いました。(そんなの見ているやつは、私以外には、いませんでした。)

戦争と侵略とどう違うのか:
 満州事変、支那事変は戦争なんですか? 今では、分りやすく、日中戦争とか15年戦争と言うけれど。
 日露戦争や太平洋戦争は間違いなく戦争です。日露戦争では、日本はロシアを侵略していません(独立第13師団の南樺太を除く)。日本とロシアのどちらが満州朝鮮を侵略するのかを競ったのが日露戦争でしょう。
 朝鮮みたいに弱いところを侵略する場合は戦争状態は発生しないけれど、中国のような大国では侵略が頓挫して、戦争と変わりない状況になってしまいます。
 大坂冬夏の陣などで、家康はどこを侵略したか。どこも侵略してないと思います。
 侵略=大掛かりな強盗団(寇)、戦争=国際問題を解決する手段の1つ。


南京 お名前: telefunken さん [2005/07/07] No.5076
南京陥落のときには花電車が出て提灯行列がありました。
江沢民の三千五百万人というのは不可能ですが、白髪三千丈、憂いによりてかくは長し、の国ですから仕方がない。文学的誇張はともかく、実際に殺された人数はどれくらいなんでしょうね。
そういう人たちを慰霊する神社を作って、毎年総理がお参りするといい。
ついでに日本人が殺したアメリカやイギリスなどの兵士の霊も合祀するとよい。
自国の戦士の霊を祭る施設は世界の文明国ならだいたいあるけど、敵国のは例がないから、いいのではないだろうか。
死ねば敵も味方もなくなるのなら、靖国神社に合祀するという考えもある。

戦争と侵略とがどう違うのか、考えていると判らなくなってくる。侵略というのが敵の国民を殺して領土を占領することなら、侵略のない戦争ってあるのだろうか。


♪ささのは さぁらさらぁ〜 お名前: Мася さん [2005/07/07] No.5075
Привет
七夕ですねぇ。最近飾りが少なくなっているのと、梅雨が明けきらず星が見えないというせいか盛り上がらない気がします。

昨夜から入谷で朝顔市が始まったのでLC-Aに入っているフィルムを使い切ろうと寄ってみました。
2枚くらいしか残っていなくストロボを装着して絞りを開放にしていました。帰ってからフィルムを取り出して空撮りしてみると、な〜んか開放になってないような...
まぁ昼間オートで撮れればいいと思ってます。

ギクっ!
サービスサイズだったらブレは無いようにみえますが伸ばしてみるとどうなるか分らないです。
まぁ彼女達に贈るということでサービスサイズで数あればいいと...昨夜も1MBを越えるイメージが2枚ワレリーから送られてきました。相変わらずボケてブレてます。
ロシア人ってそういうこと気にしないのかな。そういうのに比べれば伸ばした私の写真でもマシかもしれません。

Пока


明日は七夕 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/06] No.5074
明日は七夕。蘆溝橋事件の日です。この事件をきっかけに、日本軍の本格的な中国全面侵略が開始されました。このおよそ半年後には有名な南京大虐殺が実施されています。


今日のasahi.comから

@タトゥー活動再開!10月アルバム発売
 すっかり忘れ去られていたと思っていたら、活動再開だそうです。ということで、今日はタトゥーを聞きながら仕事。頭痛くなってきた。

A中国残留孤児の国家賠償請求を棄却
 判決はそうなるだろうけれど、なんか嫌な感じがします。中国残留孤児の原因の1つに、「敗戦後は軍人の引き揚げを優先させるなどした」ことがあげられます。関東軍はソ連が対日参戦すると、軍幹部や家族が、真っ先に逃げ出し、一般住民を放置した場合が多数存在しました。


お名前: みらんぢ さん [2005/07/05] No.5073
1/2000で盛大にブレルワタシです、500mmレンズですが。
しかしまあ、Lサイズくらいなら大抵のテブレはほとんど目立ちませんし、気にしないのですが
問題は『これは!』という一枚を伸ばそうとして、テブレでボケているのを見つけたとき
アレは実に悲しいです。
この他、ネガやポジは10-15xのルーペで見ると悲しいほど発見できますが
レンズの方ボケや収差も発見してしまうと悲しいものです。

APKの話題が一昨年、こちらの掲示板であったのですね、すっかり忘れていました。
読み返して、大変参考になりました。


島津のdzu お名前: Tarakowski さん [2005/07/05] No.5072
商標と関係あるのでしょうが、ちょうどポーランド語を学び始めた頃に中央線の窓からネオンを見て、ポーランド語の正書法に似た表記だと思いました。「づ」と「ず」にこだわった面白いネーミングですね。Shimazduだったら野暮です。

手ぶれ
ニコンFフォトミックTnに35ミリf2.8で8分の1まで自信ありました。高校生の頃写真部の友人と手ぶれコンテストをやって1位になったことがあります。4分の1はかすかに金井様のおっしゃるとおり右上側にぶれます。しかし最近老化現象が目立つので無理はしたくないです。高速ゾナー1.5も買ったので。


あっそういう意味ですか... お名前: Мася さん [2005/07/05] No.5071
コンチキチン:
祇園祭りのことかぁ...息子と一緒に毎晩5分足らずの「都のかほり」という京都や奈良を紹介する番組を見ています。
隠れた名所ばかりが紹介されています。い〜なぁ〜(今、テレビで見ている分には)。

義理の父親が何を思ったか、通信教育会社が出した京都のビデオ全巻を買い、今二本借りています。

手振れ:
花火を含むディズニーランドの夜景ではスローシャッターでの手持ち撮影(50mm/f2解放、1/4秒)に自信があります。(えっ昨年はASA1600を使ったんだろうって?)
でもデジカメはダメですね。どうしてもブレちゃいます。

110:
私が唯一持っている110機ってキャノン110EDなんです。10数年前に一度使ったっきりです。デート機能以外使えます。
ベビーホルガなんていうのも110だったような。まぁ日本製品のコピーかなんかでしょうけど。
あっ先日叔父からヤシカアトロン貰ったんだぁ、ミノックスフィルムだから撮れるなぁ...ヤシカオートコードと合わせて、こちらも「大きなものから小さなものまで」ってしつこい!
110フィルムもフジしかないんじゃなかったかな。

確かオート110のCMってカルメン・マキが出てたんじゃなかな?♪むかしぃあのころぉわたしはぁいつつでぇって誰も知りませんよね?
そういえば、ニューサディスティックピンク(NSP)の天野滋氏が亡くなったんだ。♪さぁよぉなぁらぁ〜

島津:
私てっきりムチャクチャ濃い〜関係があるものと思ってました!

アスカニア:
私には全くわかりません。何故かバーン・ガニアを連想しました。AWAの帝王と呼ばれたプロレスラーです。


お名前: telefunken さん [2005/07/05] No.5070
手ぶれ

ぼくは21ミリレンズを使って250分の1でF8で手ぶれを起こす人間です。

祇園祭
そうですね。そろそろ、というより1日から始まっているのですね?

島津

なるほど。姻戚関係は無いということですね。
島津自身はshimadzuとdを入れて綴っていますね。ヘボン式でヅがdzuなのかな?

Askania,
どうでしょうね。


shimazu お名前: けろけろ さん [2005/07/05] No.5069
http://retsuden.gozaru.jp/sa/simazu.htm

という程度の薄いつながり、ということです。だてに丸に十を使っているわけではない、ということです。

アスカニアの方もそのぐらいの希薄なつながりはあったのでは、というのが勝手な想像・予測です。

旭光学はデザインに恵まれませんでしたね。110もコンセプトは良かったけどおしゃれではなかった。67はまるで冗談のように巨大すぎた。LXはシャッタースピードダイヤルが安っぽいです。ME、MXは、プラスチックのラインがやはり全体をダメにしています。MZシリーズもここまでプラスチッキィにしなくても、と思います。レンズはいいのに、残念です。


そろそろコンチキチン。 お名前: かぱまん さん [2005/07/05] No.5068
>小さなオート110は触ったことがありますが、67って全くないです。
110は面白かったです。ほんと指先だけで操作するような小ささだった。今のフィルム技術で110判が復活したら面白いだろうけど、そんな事ぜ〜ったいにムリですよねー。
そういえば旧ソ連圏製カメラには16mmのはありますが、110判のはありませんよね。
というか、110判ってアメリカと日本だけでウケてただけなんだろうか。でもディスクフィルムよりはましですね。
点検とモルト交換でバケペンさんは入院中です。帰って来るまでに何に使うか、考えておかねばー。

てぶれ>
僕の場合はロール方向にはあまりブレません。レンズが上下するような方向にブレることが多いように思います。
デジカメの、あのへんなポジションって、まるで「ブレさせてくれ〜!」っていわんばかりの格好だし、手ぶれ防止ジャイロもいいけど、まずはたとえば首に両ずりして、引っ張るように構える事ができる構造にするとか。ほんと何とかならんのかなぁ、デジカメ。


てぶれ お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/05] No.5067
 Lumixが売れているそうです。手ぶれ防止ジャイロが入っているデジタルカメラです。コマーシャルを見ると、平均てぶれは上下方向2.7mmと書いてあります。また、ポスターでは右手が上になるようにぶれています。
 シャッターを押すとき、右手の側が持ち上がる方向にぶれることと、右手側が下がる方向にぶれることと、どちらが多いのでしょう。
 私の場合は、シャッターを押すとき、右手が上がる方向にずれます。撮った写真を見ると、右手側が少し高くなったように傾いていて、水平や垂直線がある写真は見苦しく感じます。
 我ながらへたくそだ、三脚おじさんにならないとダメかなー。


島津 お名前: telefunken さん [2005/07/05] No.5066
創業者の島津源蔵と九州の島津家は、あまり関係ないような気がします。


お名前: けろけろ さん [2005/07/05] No.5065
開南丸さま:

ご存じと思いますが、Fの時代のニコンの望遠レンズは、テレフォトタイプの後群をフォーカシングユニットとして共用し、前玉を交換したのです。たしか、600oから1200oぐらいまであったはずですが、この前玉というのが口径が共通でした。口径は共通。たしか3群3枚のセミアポクロマート。とすると、あとは曲率だけの問題で、しかし不思議なことに定価は、長玉ほど高かった。焦点距離が長いと高い、という固定概念にとらわれていたのかもしれません。コストとしては、鏡筒の長さとかあるでしょうが、それをはるかに超えた価格差だったと思います。

いいたいのは、広角レンズでより広角は作るのが大変でも、望遠レンズでより焦点距離を伸ばすのはさほど大したことはない、ということなのです。

600oで4.5ということは、約150oの前玉です。たしかに、このぐらいだと、曲率が大きいから色消しとかは難しくなるけど、点光源を扱う天文用と違ってアロワンスが大きいから、さほどの技術は必要なかったはずだと申し上げました。たしか戦前にライツ社あたりでも同じぐらいの望遠レンズを作っていたはずだし、偵察用の巨大なレンズは、後進国日本の帝国光学、日本光学でも作っていました。だから珍しくはないし、驚くほどではない。ちなみに、レンジファインダー時代では望遠レンズは実用的ではなく、ビゾフレックスを使っても超望遠はピント合わせができなかったでしょう。

ひと頃流行した、サンニッパ、2.8/300oって何だったんだろうと今でも思っています。普及型の4.5/300oとの違いは、おそらく、アポクロマート化を蛍石ガラスなどで実現したことによるのでしょうが、逆に、4.5クラスのセミアポクロマート、アポクロマートなら戦前の技術で対応できたのだということもできるのではないでしょうか?

もっとも、驚くかどうかは、主観的な問題だから、「驚くな」、とまでは、申しませんので・・・。

逆に、島津家との関係、あんまり感心しないでください。あやふやな知識に過ぎませんので。もう少し調べてみますけど・・・。


お名前: 開南丸 さん [2005/07/04] No.5064
>terefunkenさま
レニがオリンピック撮るときにアスカニアを使ったのはきわめて当然の事です。

確かに、当時の映画界ではアスカニアの機器を使うのが多かった様ですね。昭和12年1月の”映画と技術”と云う雑誌でも「世界の代表的なキャメラの中でも主要な部分を占めて居る」と書かれており、納得しました。しかし、アスカニアの名前を知らなかった私は、レニがアスカニアの事を話していた時に「アスカニアって何?」と興味を持った次第です。

>けろけろさま
開南丸(白瀬中尉と何か関係が?)

ご存知だと思いますが、開南丸は白瀬中尉が南極探検で使用した探検船の名前です。東郷元帥が命名(揮毫)したとか...とても小さな船(秋田の金浦にある記念館に複製があります)です。私のHNはそこから頂いています。ちなみに、そこで上映されていた当時の記録映画”日本南極探検”にも感動しました。イギリスのワーウィックカメラとツァイス・テッサーで撮影されたそうです。

望遠レンズの事ですが、仮に望遠鏡の技術を転用したとしても、あの当時600mmのレンズは珍しかったのではないでしょうか?”オリンピア”の当時の記録映画を超えた映像に驚きました。ちなみにオリンピアにはズームショットは無かったと思います。高速度撮影や逆回転が印象に残っています。

そういえば、島津製作所ではスライドプロジェクターを出していたようですね。
昭和30年10月の科学朝日の広告で掲載されています。島津家と関係があったのですね〜(しみじみ)。




アスカニア家 お名前: Tarakowski さん [2005/07/04] No.5063
ようやく、お話についていけそうです。バルトのスラヴ人を征服した憎きAskanier家、Albrecht, Geaf von Ballenstedt, der Barブランデンブルク辺境伯最初の王家ですね。その後断絶してしまい(1134-1319年)ドイツ人にどれだけ郷愁を感じる名前かどうかは何とも。


♪おおきなものから、ちいさなものまで お名前: Мася さん [2005/07/04] No.5062
っとヤンマーディーゼルではなくペンタックス

Привет
小さなオート110は触ったことがありますが、67って全くないです。もしかしたら645もないかもしれません。
マミヤのRBや645を持っているのはいましたがペンタ67はいなかったせいか、な〜んかヨドバシなどでも畏れ多い気がして触れません。
そんなのを頂いてしまったなんてスゴイです。

67Uには数年前にお召し列車やイベント列車を牽引するEF5861をイメージしたあずき色のモデルが作られたんですよねぇ。鉄道好きにはタマらん...

昨日はLC-Aのテストを兼ねて夢の島の熱帯植物園に行ってみました。熱帯の極彩色の花々を撮りたかったのですが...期待ハズレ...折角Vista100入れたのに...
一眼はЗенит312m+Юпитер9でした。10枚も撮ってません...
植物園の近くに第五福竜丸の記念館があるのですが、大勢の若い人たちがメモを取ったりしていました。
ここ歩いていて思ったのですが、一眼を持った若い女性が多かったです。デジタルじゃなさそうでした。(ニコンFAを持っていた人は覚えています。) やっぱり写真が流行ってきたのかな?
こういう人たちって花を撮るにしてもオヤジやオバサンと違って三脚を使わないのでいいですね。

音楽:
ここの所、毎週土曜はレンタルCDで往年のグループのベスト盤を聞いています。だからCDを滅多に買わなくなってしまったのですが、先々週秋葉原で面白そうなCDを見つけました。持ち合わせがなかったので昨日寄道して買って帰りました。
山手線+αの各駅の発車メロディ集です。結構楽しめます。恵比寿の「第三の男」が収録されてないなぁ...ビールのCMのせいかコレなんです。勿論高田馬場や新座の「鉄腕アトム」4パターンや青梅駅の「ひみつのアッコちゃん」も収録されています。

Пока


お名前: けろけろ さん [2005/07/04] No.5061
いや、関係の希薄さも、似てるなと。全く関係がない、訳ではない、程度だったかと。

アスカニアのマークが王冠(伯冠?)というのも似てるわけです。おそらくドイツ人にはアスカニアという名前に歴史のロマンを感じるのでしょう。全くなんのつながりもなく、名前をつけたのだった、のかどうか?バンベルクなんて偉そうな名前といえるけど、まあ怪しいといえば怪しい訳で。

分光計とか島津製のがあります。光学ベンチぐらい作っていたかも。


丸に十の字 お名前: telefunken さん [2005/07/04] No.5060
金井さま
間違っていません。写真をアップロードされたもののほかに、日本でも有名なのは、むかしのアサヒカメラのニューフェース診断室に必ず登場していた、アスカニアのオプチカル・ベンチがあります。
精密もの全般の会社でしたが、天体望遠鏡や子午環などの天文機器も多かったようです。この事業郡はツァイスに吸収されました。

ちなみに三鷹天文台には、ツァイスの光電式子午環が入っています。納入はここ10年ほどの間だったと思います。

けろけろさま
たしかにMarkgraf Brandenburgの家名です。
ツァイスに勤めたあと創業したCarl Bambergに何かのゆかりがあったのか。

京都の島津関係の学校に勤めていたのですが、島津家と関係あるとは知りませんでした。家紋とマークは共通してますがーーー。

島津が関係していたのはレントゲン関係のカメラです。



お名前: けろけろ さん [2005/07/04] No.5059
全然別ですが、アスカニアってブランデンブルグ辺境伯の家名のようですね。

それでちょっと島津製作所を連想しました。島津家が「辺境」伯といったら鹿児島のヒトに怒られそうだけど。なんとなく似ている。

島津もたしかカメラ技術に関係していたことがあったような。勿論ノーベル賞受賞社員を抱えて盛業中であることは、アスカニアの比較になりませんが。


お名前: けろけろ さん [2005/07/04] No.5058
telefunken さま:いろいろとありがとうございました。だいたい理解しました。2つのツアイス型ではなくて、まさにコシナ=フォクトレンダー型なのですね。今の会社のHPから見たから誤解しました(というかそういう誤解を積極的に利用するつくりになっているというべきか)
時計をみましたが、キャリバーはスイス製の廉価版。値段だけが高すぎる気がします。感心しませんね。せめてノモス社のように、チューニングするぐらいじゃないと。航空機用のコックピット時計のノスタルジーということのようですね。

開南丸さま(白瀬中尉と何か関係が?):
4.5/60センチ:長望遠レンズは簡単です。色消し(アクロマート、アポクロマート)だけが問題で、それはその当時はすでに天体望遠鏡で確立していたから。特に明るいわけでもなく、驚くには値しません。ただし実用的なズームを作っていたらしい。リーフェンシュタールの映画にはズームを使った場面が出てくるのですか?

映画も完全デジタルに移行しようというとき、アスカニアというブランドに何が期待できるでしょうか?

映画館用のデジタル化は思ったほど進んでいないという報道に接しました。おそらくこの映画館のデジタル化が完了するとき、いよいよ写真用フィルムの終焉がくるのでしょうね。

スチルカメラがない、ということの証明は困難。ただ、見たことありません。レンズぐらいは作っていたかも。アンジェニューみたいに。


アスカニア お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/04] No.5057
アスカニアってシネカメラで有名なんですか。知りませんでした。
アスカニアは精密計測機器メーカーだと思っていました。この認識は間違っていないですよね。

http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?18=%BB%BA%B6%C8%B5%BB%BD%D1&key=103210361071&APage=8
ここを見ると、アスカニアの分光計が、戦後、日本のカメラ産業に多いに貢献したと、記されています。


オリンピック お名前: telefunken さん [2005/07/04] No.5056
ハリウッドではシネカメラのことをアスカニアと言っていたぐらいですから、現在のテレビ局でのソニー機器のような感じでしょうね。
したがってレニがオリンピック撮るときにアスカニア使ったのはきわめて当然のことです。


度々アスカニアです。 お名前: 開南丸 さん [2005/07/04] No.5055
先日からアスカニアの件で書き込んでいる開南丸です。

レニ・リーフェンシュタール女史がベルリンオリンピックの回想で、”アスカニアの長焦点レンズ(Askania-Spiegellinsenobjektiv 1:4,5, 60cm)”を使ったと云っていたので、少し驚きました。それまでドイツの光学機器と云えば、ツァイスやローライ、ライカしか思い浮かびませんでした。それにしても、600mmの望遠レンズ(割と明るい)が当時からあった事も驚きです。

戦後は(たぶん)スチルカメラも出していたらしいのですが、それについてご存知の方は居りますでしょうか?

そして、アスカニアの再興が本当に実現出来ればファンの一人として嬉しいです!!





狂科書 お名前: Tarakowski さん [2005/07/03] No.5054
教科書「で」教えるのか、教科書「を」教えるのかという立場で教科書の役目はかなり違ってきます。小生専門が西洋史ゆえ、世界史の授業は教科書を意識せずに生徒と歴史をドライブしています。しかし日本史は悪戦苦闘で、教科書がまるで指揮者のスコア(総譜)のように気になってしまいます。暗譜ができていない(?)まだ新米指揮者がオーケストラの団員を見ずにスコアばっかり見ながら指揮棒を振り回すかの如き(猛省)。

写真もカメラやレンズにこだわっているようでは駄目なのでしょうね。もっと自由に撮りたい、教科書なんかに振り回されずに歴史を教えたいと思う日々。でもカメラは可愛い。

照れ満
マタイ受難曲は箱の底から何年ぶりかに出てきました。東独盤。バラバ!


中学歴史教科書 お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/03] No.5053
Tarakowskiさま、中学歴史教科書使用関連資料(?)受け取りました。わざわざお送りいただき、どうもありがとうございます。
 いろいろな教科書を比較してあって面白いですね。たいへん参考になります。

 パンフレットの解説に、ざっと目を通して、なんだこれ、と思いました。扶桑社の教科書の宣伝であることは分かりますが、学習指導要領を強引に解釈しているだけ、生徒の観点での説明がない。
 扶桑社の教科書がどのように変わったのか知りませんが、お送りいただいたパンフレットを見る限り、生徒を無視して作っているとの感を強く持ちました。
 扶桑社の教科書が授業で使われたら、生徒は悲劇ですねー。


天地想像外 お名前: Tarakowski さん [2005/07/03] No.5052
telefunkenさま
恐れ入りました。さすがteleマン!です。(小生ヘンデルの愛好家なのでテレさまは食卓と水とトリオソナタと協奏曲少々です)来週東京に出るので早速買ってみます。

酔っ払い
今は亡き祖父が酔うと「嗚呼それなのに」と「ワカラン」あと数曲レパートリーがありました。


天地無用 お名前: telefunken さん [2005/07/03] No.5051
たらさま
テレマンのもあるんどすえ。
これよろしおす。
いろんな人が創造してはります。

ワカラン、あまり詳しくは覚えていませんが、聞いた記憶はあります。それほどのヒットではなかったような。


わかった!^o^ re:ワカラン? お名前: 大坂 さん [2005/07/03] No.5050
> 有名な曲ですね。

あ、片仮名書きなんですか!しかも西條八十さん作詞とは…

テレビ東京の年末の『年忘れ日本の歌』でも聞いたことが無かったですが、
有名なんですね。多分17年間位のナゾが分って嬉しいですT_T

Inetてすばらしー


西條八十 お名前: Tarakowski さん [2005/07/02] No.5049
小生もまだ生まれてませんでしたので、子供の頃親戚の新年会で酔っぱらった祖父が歌うのを聞いただけですが、印象に残っています。

Schopfung でした。訂正
ポーランド語はZimermanと綴ります。


ワカラン? お名前: Tarakowski さん [2005/07/02] No.5048
有名な曲ですね。「ワカラン・ソング」で検索するといっぱい出てきますよ。昭和21年西條八十などなど。

Shopfung
ハイドンはんでは?テレマンはんのは聴いたことありません。


Zimmermann お名前: telefunken さん [2005/07/02] No.5047
亀レスですみません。
ドイツでの普通の発音はツィマーマンです。

このブランドのピアノがありました。

ツィマーマン、英語だとカーペンター、仏語だとシャルパンチエですね。
というとテレマンを思い出します。
「天地創造」が1950年代にはオイロヴィジョン中継のタイトルバックに使われていました。


敗戦後の歌:わからんソング お名前: 大坂 さん [2005/07/02] No.5046
ご機嫌よう

どなた様かご存知なれば。

敗戦直後の歌、多分リンゴの唄と同時期と思われますが、

『わからんソング』

ご存知のかたおりますか?昭和の軍国主義鬼畜米英で懸命だったのが敗戦ですべてが一変して、「バカな戦争でわからんわからん」という歌詞です。
昭和末期にFM東京の平日午後に『日本の歌』とか言う近代以降の唱歌童謡歌謡曲を扱う番組あり、そこで一度きり聞いたのでした。

(前方忘却)ばあちゃんが、アメリカ兵にアイラブユー。ばっかな、せーんそうでー、わーからん わっからん!

とても印象的な歌でした。

当時、死ぬのは恐くなかったと言う、元軍国少年の父親も今では口を極めて皇室を罵倒します。昨日までの正義が今じゃ「真相はこうだ!」と悪になってしまえば、真剣に信じてた人は怒るでしょうねえ…


ボブルイスク お名前: Tarakowski さん [2005/07/02] No.5045
第二次分割(1793年)にロシア領になったポーランド人の町ですね。第一ポーランド兵団(旅団)がここに本部を置いたのも独立を目の前にして、ウクライナや白ロシア地域のポーランドの権益を守るためであったと思います。ドイツ・オーストリアも革命の牽制のため支援したのだと思います。
最高軍事委員会が設立されたのは17年の6月だそうです。(Kieniewicz)いくつかの軍団はそれ以前から集められていましたが部隊になるのは同じ時期でしょう。

朝比奈とツィメルマン
小生はFM放送で聴きました。水と油の音楽だったと思います。朝比奈はグールドとも協演したそうですが。


ポーランド お名前: 管理人(金井) さん [2005/07/02] No.5044
だいぶ話題に取り残されているのですが、

ピアニストのツィメルマン:
 1970年代終わりごろ、大フィル東京公演で、ピアノ共演がツィメルマンとなっていたので、ジンマーマンと同一人物かどうか不思議に思ったことがあります。チャイコフスキーだったかな。指揮は朝比奈隆でした。


Polish Corp:
 手元に、1枚の切手があります。切手カタログの説明によると、ポーランド人部隊により、1918年4月1日から6月29日までBabrujsk(Bobruisk)ポーランド軍占領地で、ワルシャワ宛軍事郵便に使ったもの(実際にはドイツ軍事郵便を使用)だそうです。なお、Babrujskはミンスクとスモレンスクの間にある主要都市です。

 ポーランド史が分かっていないので教えてください。
 ペトログラードの3月革命後に設置された、ピウスツキを名誉議長とする「ポーランド最高軍事委員会」指揮下でポーランド人部隊が作られたのでしょうか。また、ポーランド最高軍事委員会が設置されたのは何月でしょう。
 ポーランド人部隊がBabrujskに占領地を作るのは、どういういきさつがあるのでしょう。ソビエト軍・ドイツ軍との関係は、どういうものだったのでしょう。
 



ばけぺんさん お名前: かぱまん さん [2005/07/02] No.5043
Tarakowski 様>
 ありがとうございます。でも自分で買ったのではなく、頂いたっというのが何か違和感があるというか、心の中でいささか「坐りの悪い」状態となっています。早いところ「魂抜き」して、「自分のカメラ」にしないとダメですよね。
 何とかカメラ負けしないよう頑張るだけです。

みらんぢ 様>
 「バケペン」とはほんと良く言ったものだと思います(笑)。巻き上げレバーのカタチやそのフィーリングが、SPなんかと似ているのがとても面白いです。
 キエフ60と並べて机の上に置いてみると、まさしく似て非なるモノだと思います(家人には「おんなじようなでっかいカメラ」なんて云われてますが)。
 ファインダースクリーンは、圧倒的にキエフ号の方が明るく見易いのには驚きました。しかしよく考えると、製造年代が約20年以上開いているのですから、当たり前かもしれませんね。
 最初はどちらか一方に収斂させられ得るかなぁ、と思いましたが、どうやらムリなようです。家人には悪いけど、キエフ60はキエフ60、バケペンはバケペンで楽しみたい(使い分けたい)と思います。


Better-Tempered お名前: Tarakowski さん [2005/07/02] No.5042
音階はまさにカレンダー(暦)と同じで、どううまく割っても閏が生じるということです。永遠に完璧な時計もピアノもないということで、そろそろ終わりに。
EGC〜!


re:Well-Tempered お名前: 大坂 さん [2005/07/01] No.5041
平均律同志!

済みません、何てエラソウに聞こえるのでせう。

音譜から音曲を想起出来ない、文盲ならぬ樂盲ゆえ何ぞ話題は…思い出しました。友人の友人がピアノ調律師をしていて、聞いた調律師の悩み。

ここからここまで(手振りで)の音を割って行くとどうしても余る所がでる、結 局本当の音階て何なんだろうか?

てとか仰せでした、平成はヒトケタの頃に聴いた話です。


お名前: みらんぢ さん [2005/07/01] No.5040
6X7はバケペンとよく呼ばれていますね。
ペンタックスの中判サイズカメラは
スマートなTTL機645と質実剛健6X7、なんだか正反対のキャラクターですねえ。
わたしの周りでもペンタコン、エクサクタ、キエフ60とバケペン(おまけでノリタ)と使い分けているかたが多いです。

いただいた,というと
わたしも去年、ホースマンを一式頂きました。
友人の父上が眼科医で写真好き、よく玄関に風景写真が飾ってありましたが、いつもきれいな写真でした。
ところが最近目を悪くされて
『使ってもらえる人に…』ということで有り難くお預かりしてきました。
友人のところにはM4とレンズの一式。ちょっとヨダレが。
かぱまんさんと同じく『心して使わせていただきます』と心に決めて
ウチにもって帰ったものの
しかし、全く使う暇がありません!ごめんあさい!と,戸棚を開けるたびに思います。


ペンタくん お名前: Tarakowski さん [2005/07/01] No.5039
かばまんさま
ペンタ6×7ご入手おめでとうございます。叔父が昔持っていたので数回触らせてもらいましたが、瓦のような重さを感じましたが、巻き上げは意外に軽いですね。首から下げるカメラではありませんね。一式とはレンズは複数ということですね。羨ましいです。(保管が大変ですね!)


雑談。 お名前: かぱまん さん [2005/07/01] No.5038
 先日、社長と2人、仕事の打ち合わせを役員室で行なってたところ、合い間にやおら「君はカメラが好きか?」なんてことを聞かれたので、大好きですと答えましたところ、飾り戸棚を指差して、「そいつらをちょっと出してみてくれないか」と云われました。
 うちの社長はカメラ趣味じゃないのに、不思議なことにペンタックス6x7一式が出てきました。話を伺ってみると、何でも先代社長が愛用していたカメラだとの事。本業の傍ら生物学方面やその他もろもろに通じておられたようで、まさに「経済人とはかく在るべし!」といった人でしたので、このカメラも研究機材のひとつだったのでは、と思わせるものでした(接写リングもついてましたし)。
 けっこうきれいに保管されてますね〜、なんて云ってると、出来ればそれらをもらってくれないか、との事。いやはやビックリしました。
 自分では使わないので、カメラが好きな人に使ってもらおうと思ったとの由。もちろんお断りするわけもなく、頂戴致しました。
 帰宅してキエフ60と較べてみますと、大きいなぁと思ってたキエフ号が若干小さく感じてしまいます。それに作動音が劇的に大きいです(これではスナップは絶対無理です)。ただペンタ号の巻き上げレバーの感覚が、全く不安感のないものだったのには感動しました(笑)。
 いわば形見分けのかっこうで入手したペンタックス6x7、これは心して大事にマジメに使わないとバチが当たると思いました。モルト交換とオーバーホールをしてあげようと思います。


ツィマーマン お名前: Tarakowski さん [2005/07/01] No.5037
レコード会社は「クリスティアン・ツィマーマン」(ドイツ・グラモフォン)
昔勤めていた招聘元は「クリスチャン・ツィメルマン」と表記。(アグネス・チャンみたい)
彼はポーランド人なのだから「クリスティアン・ツィメルマン」が良いのですが。色々な名前で出ています。1980年代の彼を良く知っていますが、大巨匠になってしまいすっかり疎遠に。昔はコンサートの後でも在京ポーランド人の集まりに出てきてくれました。知人の狭いアパートで紙コップで乾杯したりしたので、紙皿に書かれた彼のサインを持っています。

ソ連製エレベータ
小生も何回か閉じめられました。慌てずに他愛も無いアネクドートを教えあうのが彼らのエチケットのようです。

千葉ロッテ
ようやく普通のチームに。あと2枚入場券が残っているので、Bクラスになったら応援に行こうと思っています。

期末考査
来週は5クラス170人のレポート採点、3クラス80人のノート点検・作問・採点の地獄の1週間。夏休みも補習に夏季講習。センセイの休みは10日間です。(部活やってればゼロですが)


ツィメルマン?ジンマーマン? お名前: Мася さん [2005/07/01] No.5036
Привет
6月あたりから、大したことをしている訳ではないのに忙しくなっています。(単に処理能力が衰えてきただけだろうって?)

こう言う名前を聞くとロバートと連想します。ボブ・ディランの本名です。それ程聴いているわけではありませんが。

ВДНХ:
地下鉄の駅名はこうなんですよね。写真をよく見たらホテル・コスモスが写ってました。ここは1980年のモスクワ・オリンピック向けに建てられて、私が泊ったのが1982年。それでエレベータの故障に遭う...

何かまた天気が良くなさそうですが、週末は熱帯植物園にでも行ってもう一度LC-Aのテストを行ってみようかと思います。

では、よい週末を!

Пока


中学歴史教科書 お名前: Tarakowski さん [2005/06/30] No.5035
いよいよ平成18年度の各自治体の教育委員会採択が近づいて、色々な動きが。今年はちょっとした動きがありそう。管理人さまに資料(?)をお送りします。

ヴェーデーエヌハー
もうそう呼ばないのですか。

調律師
ツィメルマンというポーランドのピアニスト、自分で整音をするのですが、調律師は元に戻すのが大変だと嘆いていました。その後自分のピアノを持ち運ぶことに。結局ピアニストはミケランジェリもグールドもそうなってしまうのです。


花組モスクワ支局(?)から お名前: Мася さん [2005/06/30] No.5034
Привет
花組モスクワ支局の彼女からВВЦ(全ロシア博覧会センター)で開かれた花の博覧会の様子を伝えるページが紹介されました。

http://www.vvcentre.ru/news/show/?300

ここはかつてВДНХ(国民経済達成博覧会場)と言われていました。ここの北隣にモスフィルムがあります。ソヴィエト映画のオープニングで写る労働者の像はそこにあります。
正面には私も滞在したことのあるホテル・コスモスがあります。ここのエレベータに30分くらい閉じ込められました。
これら写真の右側の列、上から18番目にある写真に写っている尖ったようなものが宇宙開発100周年を記念したチタン製の高さ100mのオベリスクです。その前にロケットの父と呼ばれるツィオルコフスキーの像があります。
その上の写真にはオスタンキノ・テレビ塔が写っています。数年前、火事になってニュースにもなりました。

Пока


連続投稿制限 お名前: 管理人 さん [2005/06/30] No.5033
 昨夜、掲示板荒し投稿がありました。(同一人物から、短時間に100件以上)
今朝、これらを頭から削除しました。

 このような投稿を防止するため、現在、連続投稿に対して制限をかけています。連続投稿は2分以内に2回までです。3回目の投稿をする場合は、2分以上時間を空けてください。(メッセージは5分と出ます。)

 なお、掲示板CGIを必ずしもよく理解していないので、掲示板動作がおかしい可能性もあります。この場合、管理人宛Mailください。


追加です。 お名前: 開南丸 さん [2005/06/30] No.5032
ドイツ技術博物館(Deutsches Technikmuseum Berlin)で撮影して来ました。
画 像 : Askania Schulterkamera -(54 KB)


コンバンワ、開南丸です。 お名前: 開南丸 さん [2005/06/30] No.5031
皆さまコンバンワ、Askaniaで盛り上がっていて嬉しいです。

RathenowのAskaniaには昨年の10月と先月の2回訪問しています。秘書が私好みの美人でした(関係無いですね)。顕微鏡の通信販売はユーロ圏がメインの様でして、日本への発送をお願いしてみたのですが、「関税が高く付くのでもう一度来て欲しい」と云う内容のメールが届き、再度訪問した次第です。

telefunkenさま(つい真空管を思い出してしまいます)、初めまして。
Askaniaの詳細を有難うございます。ドイツ技術博物館にはAskaniaの映画カメラが展示してありました。ベルリンの映画博物館には”olympia”のセット模型があって、これも感動しました。



時計のなぞ お名前: telefunken さん [2005/06/29] No.5030
けろけろさま
別におかしい点はないと思います。1995年に設立されたMicrospkop Technik Rathenow GmbHが顕微鏡を作っている。いっぽうAskania商標の類の時計の分を買った(90年代)Askania AGが時計を売る。この時計の一部がMicriskopでも販売される、AskaniaAGとMikroGmbHの資本関係はわかりませんが、何かの提携関係はあるのでしょうね。
すべて90年台のことですから東西分割には満開ないと思います。


お名前: けろけろ さん [2005/06/29] No.5029
telefunken さま:

http://www.askania.de/

のアスカニア、ラテナウのアスカニアでアスカニアブランドの時計も売っている、のです。通信販売もしているというのです。このあたりをどう解釈したらいいのでしょうか?
また別のアスカニアブランドの時計があるのですか?

ラテナウは東ですよね。商標権を西から東の会社が統合前に買った、のですか?

なんか「ぷちツアイス」みたいな話になってきたような気がします。

Tarakowski さま:
ナルホド。純正律ではない、という意味をいれるなら、そうかもですね。しかしお調べになられましたね〜。勉強になりました。




Askania お名前: telefunken さん [2005/06/29] No.5028
金井さま
もちろん知っています。お書きになった「何にも言えず靖国の」の歌詞、その通りです。全部覚えていました。友人にも特攻隊で死んだヤツがいて、この歌を歌うと不覚にも落涙します。
けろけろさま
少し混乱があるようです。
Askaniaはもともと西地方の会社で、72年にSiemensとCZOに事業譲渡しています。1945年にはBusch社を中心としたRathenowの光学会社がROWを作り、光学事業を始め、1965にはCZJの傘下にはいります。戦前の1929年の時点からBuschはCZJが51%の資本を握っている系列会社だったのです。1992年にできたAskania Werke Rathenow GmbH & Co.KGはここのspin outと見る人が多いです。これは95年に破産しますが、そのあとMikroskop Technik Rathenow GmbHができて、現在までAskania brandの顕微鏡を作っています。
この流れと別箇に時計を含む類の商標権が売られて、いまの時計会社のAskaniaができています。これは全く別箇の会社が商標権を買っただけで、ドイツの時計業界の人は誰も知らない、という会社です。ただぼくはこの生産現場たずねて、ベルリンの本社代表にもあってきました。ベルリンに本社ビルが建てば、アスカニアを新しい世紀に再興するそうです。


54t対31 お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5027
アマゾンの検索で平均律のCDを探したら85件、そのうちTheを付けたのが54点、定冠詞なしのWell-Temperedが31点。どっちも勿論文法的には正解ですが、冠詞を付けた方が「純正律でなくあの例の平均律で調律された」という意味が行間に感じるのですがどうでしょう。


お名前: けろけろ さん [2005/06/29] No.5026
ありがとうございます。

ファクシミリ版を、もし見ていただければと思うのですが、あの当時の本とか局のタイトルはたいてい長ったらしいのです。それを普通は大事なところだけをとって通称としています。

平均律クラフィーアも、本当のタイトルは、「〜の技法による、よく調律されたクラフィーアのための、曲集」というような長々しいものだったろうと推察します。
ということは、この場合のdasは、für の支配する4格です。そして、英語に訳すならば、theの定冠詞よりは、不定冠詞ないし無冠詞の方がふさわしいのです。逆に、ドイツ語で「よく調律されたクラフィーアのための」を、für ein 〜で書いてしまうと、かなりおかしいのです。Ich bin ein Student.は、特別な意味になります。

ということで、無冠詞なのは間違いではないと思います。もし、英語で、for the well-〜と書いたら、絶対に、先行詞、つまりwhich どのクラフィーアなんだ、ということが問題になるわけですけど。

英語の定冠詞・不定冠詞が特別なのかもしれません。しかし、英語教育からはじまる日本の外国語教育では、まるで英語の冠詞が他のヨーロッパ系言語に共通するかのように誤解されがちなのかもしれません。


バッハはん お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5025
バッハの時代の平均律はまだ完成されていない「中全音律」というのが音楽学者の説明です。完成された平均律という意味彼は書いています。でもバッハが平均律という目標に近づいていたことは確かでしょうね。
タイトルは勿論Das wohltemperierte Klavier, 1/2 teilです。姉にファクシミリ版をプレゼントしたので覚えています。グールドのバッハを聴くと頭がくらくらします。多分あの調律のせい。The Bad-tempered Yamaha Klavier


お名前: けろけろ さん [2005/06/29] No.5024
Tarakowski さま;

ご教示のHPを見ました。

彼の記述によると、バッハは、平均律を知らなかった、ということになるのですが、これは定説ですか?
当時最新の楽器だった、クラフィーアの音楽技術的な可能性を見いだそうとして平均律による調性を網羅したのが例の曲集だというのが普通の解釈だったと思うのですが。

バッハは自分のこのクラフィーア曲集を何て名付けていたのでしょう?単に第1集と第2集、それもなかった、のですか?

ドイツ語・イタリア語・フランス語の定冠詞と、英語の定冠詞は決定的に意味が違う、ように思います。


訂正 お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5023
そそっかしくて、すみません
http://www31.ocn.ne.jp/~kazuo23_piano/23.htm
これで飛ぶと思います。


Well-Tempered お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5022
No.5021 蚊が飛んできて、誤って送信してしまいました!以下、続きです。

リヒテルの平均律のジャケット、Theが抜けているだけですが、これでは「良く調律された」ピアノという意味になってしまいます。冠詞のない日本人やロシア人の英語に多い間違いだと思います。

調性については
http://www31.ocn.ne.jp/
に専門家の詳しい説明があるのでそちらをどうぞ。色々な調性を集めたCDが出ていましたが、買いそびれてしまいました。
ショパンの24の前奏曲を皆様、是非古典調律のピアノで聴いて下さい。

大坂さま
次は「平均律な皆様」かな?レス期待しています。


The Well-Tempered Clavier お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5021
リヒテルのバッハ平均律のジャケット、Well-Tempered Clavier


APKは無臭でした。 お名前: みらんぢ さん [2005/06/29] No.5020
けろけろさん

メカニカルシャッターは1/2000のコパルライセンス物には搭載されなかったみたいですね。

鼻がおかしくなっているかもしれませんが(ちょっと風邪っぽいので)
APK はマッッタクの無臭、機械の匂いも無いのです。
ゼニットらしくないですね。


ええっ? お名前: けろけろ  さん [2005/06/29] No.5019
>1972年にシネカメラナなどの一般部門はジーメンス、天文機器部分はツァイスに業務譲渡し、商標権の一部はラーテノーの顕微鏡会社に移ってAskania Werke Rathenow GmbH & Coが1992年に設立され、1995年には破産。

「ツアイス」は西ツアイス、なのですか?

ラテノウはブランデブルグ州。旧東ドイツ。アスカニアのHPにも1965年からカールツアイスイエナの傘下に入ったように書いてあるのですが?

ラテノウの顕微鏡会社というのが、ROW社ですよね。これが1945年つまり戦後から、1965年つまりCZJへの統合まで、となっています。

1995年に現在のアスカニア社ができた、それは、ブランドを買った、元別系列だった顕微鏡会社(戦前はブッシュ社)だと思うのだけど・・・。

telefunken さまは、以前も、ジーメンス社が買収と書いておられますが、統合前に東の企業を西のジーメンスが東のツアイスと同時期に救済した、のでしょうか?

通信販売もやっているようですが(開南丸さまご苦労様でした)、時計はあまり魅力はないです。

BX20:パンフレットの写真に使われていた、だけだったのですね。BX20のあのデザインが嫌いです。いいカメラなのですが。プラクチカールはマイヤー・ゲルリッツで作っていたらしいので、カメラもドレスデンないしイエナ以外で作っていたのか、と思ったのです。こまかい話ですが、「主としてドレスデン」となると、他にはどこで作ったいたのでしょうか?

金井さま:ミールの写真ありがとうございます。フィルターを覚えていてくださって感謝いたします。やはり、焦点移動は補正できても、非点収差などは補正できない、だからはずすのが正解、こう結論づけられると思います。これはかなり重要な情報で、かつては、度が入っているからつけなければならないというのが「通説」だったと思います。

Tarakowski さま:ずっとHは謎でした。夏休みによろしくお願いいたします。
調性ってピアノが本来問題で、弦楽器は、本来は絶対音階のはずなのに、無伴奏チェロ、無伴奏バイオリンで調性を問題にした、ところにバッハの偉大さ、がある、のですか?
むろんテルミンも絶対音階が可能なはずですよねって、あんまり調性までは奏き分けられないのでは。




チ短合金 お名前: Tarakowski さん [2005/06/29] No.5018
チにしなかった理由、謎解きですね。夏休みにゆっくり考えます。今は暑くて学期末で脳の回転が悪くて無理です〜。

テルミン
telefunken さまの影響でコルンゴルト病にかかって、たまたまハリウッド映画音楽のCDにミクロシュ・ロッジャのSpellboundが入っていて、それを聴いていたらテルミンが出てきて驚きました。そういえばヒッチコック映画にもテルミン出てきますね。Rozsaは先月、テラークからすばらしい映画音楽集CDが出ました(ベン・ハー/クゥオ・ヴァディス/キングオヴキングス)がコルンゴルトにはかないません。コルンゴルトはテルミンもオンド・マルトノも使いませんでした。

晩年のショスタコーヴィチ
交響曲14番と15番の違い。15番の「解脱」がいまだに理解できません。ヴィオラ・ソナタはシャフランのチェロも良いけどバシュメトですね。


話の流れとは関係ないのですが お名前: 管理人(金井) さん [2005/06/29] No.5017
今日はショスタコービッチ交響曲14番(死者の歌)を聞きながら仕事(明日は、ビオラソナタ)

青年よ、大空に散れ!
 写真は靖国神社展示館入り口ロビーの戦闘機です。
 Mir-47Kにフィルターをつけて撮影しました。絞りは開放。ボディーはZenit-km。
 フィルターをつけると、歪曲は良く分らないけれど(減ってはいない)、周辺部の描写が流れるようにぼやけています。フィルターは付けないほうがよろしいようです。

靖国の歌:
 日章旗を持った老人が直立した姿勢で、特攻隊員像の前で、歌を歌っていました。また、ビデオ英霊賛歌でも、歌が流れていました(音声が小さかったこと、周りがうるさかったことで聞き取れなかった)。「靖国の歌」かと思うのですが。
 telefunkenさま、靖国の歌をご存知ですか?
「なんにも言えず靖国の 宮のきざはし ひれふせば 熱い涙がこみあげる そうだ感謝の その気持 そろうそろう気持ちが 国護る 雁鳴きわたる 月の空」これかな?
画 像 : MIR-47K+フィルター -(82 KB)


いろいろ お名前: Мася さん [2005/06/29] No.5016
Привет
買物は商品を見て、相手を見てという買い方しかしないでの通販には抵抗があります。まして海外からは...
友人たるワレリーの弟がカメラ店を経営していて、私とワレリーの共通の友人が日本では隣の駅近くでオフィスを構え、モスクワではワレリーの所と同じビルで同じフロア...ちょっと頼みたくなりますよね。
お金の問題があるのでМосква5を手に入れた時は物々交換的に、Мир1ВやЗенит-Еはプレゼントということで彼に運んでもらいました。

匂い:
いつも眺めている「Мастера Оптики」ですがちょっと何か匂いがします。
ケース類で匂ったことはないです。以前にも書きましたが、貰ったЗоркий3Сですが、持ち主の白粉の匂いが染み付いています。(あのおばちゃん、それ以後会わないなぁ...)

昨日、テストで撮ったアジサイの写真ができていました。LOMOで撮ったのが何か変。もう一度試してみます。

Пока


アスカニア お名前: telefunken さん [2005/06/29] No.5015
1862年から1866年までカール・ツァイスで見習い工をやっていたカール・バンベルクが設立した企業です。その後1868年までツァイス社に勤務して1871年に独立しました。シネカメラが有名でハリウッドでアスカニアといえばカメラのことでした。
1972年にシネカメラナなどの一般部門はジーメンス、天文機器部分はツァイスに業務譲渡し、商標権の一部はラーテノーの顕微鏡会社に移ってAskania Werke Rathenow GmbH & Coが1992年に設立され、1995年には破産。そのあとおなじ1995年にできたのがMikroskop Technik Rathenow GmbHで、これがAskania商標を使う権利を買っている。したがって現在のAskania顕微鏡はむかしのAskaniaとは商標権の側面以外は無関係。時計のAskaniaには半年ほどまえに取材に行ったが、ここも商標権を買ったというだけ元のAskaniaとは無関係。〈Hartmut Thiele, Die Deutsche Photoindustrie Wer war Wer, 2001,Muenchen)

開南丸さま はじめまして。
ぼく以外にAskaniaに興味のある方がおられて嬉しいです。
Prakticaのカメラボディは主としてドレスデンで作っていました。


アスカニア お名前: 開南丸 さん [2005/06/29] No.5014
けろけろさんコンバンワ、開南丸です。

いわゆる旧アスカニア(ASKANIA-WERKE A.G.)は戦後、西独ツァイスとシーメンスに吸収されて消滅しましたが、アスカニアの商標権だけはMikroSkop Technik Rathenow GmbHが今も持っています。
製品に関してですが、残念な事に旧アスカニアの面影は全くありません...あるとすればロゴマークだけです。
けろけろさんがご指摘の様に高度な技術が必要な製品では無いのかも知れませんが、先ほども書いた通り丁寧な作りに好感を持ちました。

プラクチカの事ですが、顕微鏡のカタログで使われていたカメラがプラクチカBX-20でした。カメラ自体はDresdenで作られているはずです。

時計の件ですが、資本関係は分かりません。本当にゴメンナサイ(私の語学力不足です。向うで顕微鏡を購入するのが精一杯でした、涙)。時計は最近になってから作られたので、確かにブランド再生と云われても仕方の無い部分があると思うのですが、エル○ンの時計よりはよっぽどマシだと思います。







お名前: けろけろ さん [2005/06/29] No.5013
開南丸さま:初めまして。

おかげでアスカニアのHPを見ることができました。

精密機器メーカーのアスカニアとRathenowの顕微鏡メーカー(ブッシュ社)の流れがあって、後者は戦後東の大ツアイスに統合され、東ツアイス解体後、再びアスカニアとして独立した、ということなのでしょうか?

他所で開南丸さまがお書きになっておられることからの質問ですが、プラクチカBシリーズのボディをここで作っていた(作っている)と解釈していいのでしょうか?そうだとすればこれはとても興味深いです。

ただ、時計とかを見る限り、ブランド再生商法という感じがつきまとうのですが。パネライの小規模版という気が。

これ、閉鎖会社ですか?それともAGなのですか?資本関係とかわかりませんか?


ドイツの「名門」は、フォクトレンダーとかライツとか、今度のアグファとか、た技術とか営業の更新を怠ってきたつけが一気にでているような気がしています。

そういえば、ライツ社もイギリスのケンブリッジの顕微鏡会社に買収されてからおかしくなっていったというかおかしくなっていったから買収された、というべきか。

実体顕微鏡って、要するに大した技術が必要なモノではありませんね。オペラグラスと同じように。

戦前のアスカニアの面影を偲ぶことができるでしょうか?


コンバンワ、開南丸です。 お名前: 開南丸 さん [2005/06/28] No.5012
初めまして、開南丸と申します。

アスカニアを検索していてここにたどり着きました。

アスカニアのブランドは今でも生き続けており、Rathenowで顕微鏡を生産しています。先月訪問して実体顕微鏡とオペラグラスを購入して来ました(とても重かったです)。最近復活した腕時計も人気が出ている様です。

未だにドイツの光学機械は奥が深いですね。そして、丁寧な作りに好感が持てます。

レニ・リーフェンシュタールの”オリンピア”を観てアスカニアに興味を持ちました。あの映像は今観てもとても素晴らしいです。

そんな訳ですが、ロシアカメラとは関係無い話題でスミマセン。


チ短調ミサ? お名前: けろけろ さん [2005/06/28] No.5011
B-flat なのになぜイロハの「ロ」なのか、ということです。つまり、なぜ日本では、Hにチを当てなかったのでしょうか?

ロ短調ミサをあげるまでもなく、ロ短調はこの世の調性ではなく天上のそれという気がします。


楽典(ガクテン・らくてん) お名前: Tarakowski さん [2005/06/28] No.5010
声楽家が使うドレミファは階名ですからいわゆる「移動ド」の名称で、ロシア人もドレミで教育を受けていると思います。「固定ド」である音名は各国のいろは、エービーシー、ツェーデーゲーを使うのだと思います。ちょっとややこしいのですが、音名と階名は厳密には違います。イタリア語の場合は同じですが。子供の頃、ドイツ語も分からないのに「ツェーエフゲー」なんて訓練させられました。なぜドイツ人がロをHにしたかの件ですが、Hの下にBを入れたのは賢明な解決策だと小生は思います。B-flatというのは長くて不便です。

昔のソ連の本の臭い
それはそれは強烈な臭い。ニカワの臭いだそうです。最近は全く行きませんが、神保町のナウカや日ソ図書(交差点にありました)はその臭いで充満していました。


h-Moll H-Dur お名前: けろけろ さん [2005/06/28] No.5009
Tarakowskiさま:少し前の話題で恐縮ですが、ドレミとハニホヘトを併用しているのは(更にドイツ語系のCDEF系も)日本ぐらい、だったでしょうか?

判らないのはなぜロがHなのですか?日本もドイツ風にするなら、イロハをアーべーツェーに合わせなかったのは何故なのでしょう?

イタリアとかフランスは、ドレミしか使わない、ですよね。

みらんじさま:
新品でしたが臭いはありませんでしたよ。全く。

関係ないですけど、カメラ愛好者のHPなどで、いまだに、特定の雑文書きの表現をそのまま祖述しているのが散見されて、臭いについても全く同じように書いてある。でも実際には臭わなかったというのが多いのです。まあ、素人が文体を真似するのは仕方ないのかもしれませんが、実に見苦しく、出版社とか編集者の社会的責任というのを感じないわけにはいきません。この出版社というのが学生時代にちょっとあこがれだったとこだったりするんですよね。

ロンドンで買ったロシア製の双眼鏡の革ケースは確かに臭いがきつくて、酢につけこんでおいたり(!)いろいろしましたが・・・。

電池についてはHPに2週間ぐらいでなくなる、という記述も。フイルムを一回でも巻き上げてカバーを空けていればスイッチが入った状態になるので、電力はすぐに消費されるでしょう。フィルム10本分ぐらい持てば普通だと思うのだけど。そこまでいかなければやはりSRを使わなければいけないのかもしれませんね。本来は水銀電池の容量に匹敵するのは、おそらく酸化銀電池ぐらいでしょうから。

おもしろいのは、キエフのボディ色がカーキの方は、光漏れがある、つまりボディを通じてカブるという指摘があるのですが、これもちょっと信じられない。ミノックスのモデルでは白ボディがあってこれはちょっと危ないかもしれないと思ったりしますが。

いずれにせよ、バルダからのライセンス生産としては、造り込みとしてそれほど違いはなく、レンズが違う分だけキエフの方が格段にいい、とぼくは思っています。ミノックス35GTは絞りこむと全然使い物にならないレンズでした。

APKのメカニカルどうでした?メカニカルがあるなら注文してしまうかも。


五千番 お名前: Tarakowski さん [2005/06/28] No.5008
そんな縁起の良い数字だったのですね。語呂合わせが商売なので、カメラの数字も多少こだわっています。それにしても、宝くじ、最近まったく当たりません。過去に当たったのは数千円〜1万円程度ですが。

ショスタコop.144
月光ソナタの葬送行進曲ですね。う〜ん、かなり落ち込んでいる時しか聴かない曲です。

晩祷(ラフマニノフ)
スヴェシニコフの名盤、たまたま中古CDで手に入れました。ビクターの漢字で大きく書いたジャケット。学生時代生協でLPを買い、何度も聴きました。ロシア語の生きた教材でした。この解説を書かれている3名(北川剛、野村良雄、井上頼豊の各氏)と後に仕事で何らかのお世話か関係することになるとは、当時思ってもみませんでした。

今日は最悪の天気。冷房のない教室で「インド史」とは酷なシチュエーション。


お名前: みらんぢ さん [2005/06/28] No.5007
KIEV-35の電池は確かにすぐ無くなった記憶があります。
ひどい発熱をする物もあって、品質が一定ではないようでした。
あのカメラ、臭いと言うので変な評判になっていましたね。
わたしが買った頃、まだ臭くなかったのですが
今もまだ臭いのですか?


リスク管理 お名前: けろけろ さん [2005/06/28] No.5006
トラブル:おっしゃるとおりですね。実際、ぼくの経験も、最初からきちんとしたものを送ってこなかったじゃないか、といえばトラブルですものね。

ちなみに、当初は、ネットでカード支払いするのも抵抗があって(昨今のご時世だとなおさらですが)、ここのショップについてカード会社に相談したところ、そのカード会社の担当者が彼のHPをみて自分用にカメラを買ってしまったという、笑い話のような本当の話もありますが、いずれにせよリスクは各自の判断に委ねられるべきこと、いうまでもありません。

ただ、国内の業者が信用があるか、というと、ときたまに覗く専門ですけどヤフーとかみるかぎり、ちょっとひどいなぁというのが結構ありますね。時計なんかは、もうむちゃくちゃです。ネットで買うのはまだいい(お金を失うぐらい)ですけど、ゼッタイに売ったりはしたくないものだ、と心に誓っています。

みらんじさま:
APK無事に着いたのですね。
ruGift は定期的に見ています。良心的な感じがしていましたが、あまりロシアのSLRが好きではないので(重いから、です)。

APKあたりでも、製造番号はボディにはついていると思うのですが、レンズはどうでしょう?日本でもある時期からレンズの製造番号が消えますが、ロシアもほぼ同じ時期なのでしょうか?なぜ、Kマウントは、ヘリオス44M−4ぐらいで終わっているんでしょうか?Kマウントの−7も存在するのですか?

電池代用の場合、電流容量の関係から、どのぐらいで消耗するか、が問題かも。LRよりもSRの方がいいかもしれません。高いですけどね。コパルのライセンス生産ということでコパル製そのものではない、のですね。評判の悪いヤシカコンタックスの電子シャッターもコパル製だったのでしょうか?

今悩んでいるのは、キエフ35Aで、海外のネットでは電池消耗が激しいとありますが、一体どのぐらいでLR44×4がなくなるんでしょう?どなたかご存じありませんか?


5000突破 お名前: 管理人(金井) さん [2005/06/28] No.5005
今日はショスタコービッチの弦楽四重奏曲15番を聴きながら仕事してました。もう帰ろーっと。

5000突破:
 本当だ。すごいですね。たくさんの投稿をありがとうございます。

Vikentiy:
 彼の住所はルガンスクで、住んでいるのはキエフだと聞いたことがあります。意味分らなかったのですが、学生でキエフに住んでいるのですね。ホームページ販売の前はeBayで売っていました。そのころ、何度か購入したことが有ります。Kiev10、FED−S、FED−2いっぱい、などなど。
 ただし、やはり海外との取引なので、トラブルも起こりえます。実際、トラブルがあったとの話もあります。トラブルが絶対に嫌な人、特に英語でのやり取りが嫌な人は、国内の業者から購入したほうが良いでしょう。

rugift:
 ここは使ったことありません。新品カメラのようですね。

Zenit-APKの電池:
 本当は、VALTAのLR-9を4個使えばよいのでしょうか。昔使っていたヤシカエレクトロ35の電池も確かこのサイズでした。


天皇慰霊:
 サイパンで天皇が戦争中の犠牲者の慰霊をしたとのニュースが有ります。「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にも立ち寄って、拝礼したとのことです。これらは写真が無い。
 慰霊自体に、反対する理由は全く無いのですが、むしろ良いことだと思いますが、天皇を政治利用する勢力に使われるのなら反対。


お名前: みらんぢ さん [2005/06/28] No.5004
けろけろさん
わたしはhttp://www.rugift.com/を宣伝しましょう^^
時計など手広く¥最新のZenitから、稀少(らしい)APKも売っているモスクワのお店ですが
ここはもしかするとわたしが初めてロシアからカメラを買ったお店かも知れません。
RU.GIFTと言ったと思います。
レスポンスがすばらしく、返事確実、商売熱心。わたしの対ロシア感はここの管理者によって大きく変わりました。
今は似た名まえのネットショップがいくつかあって
最初に買ったところは移転したようで行方不明になっています。
そのお店はページを開くとMIDIでロシア民謡が流れてくる、そういうところでした。
その曲は今も不明ですが、もう一度聴きたい。

ところで、APKですが、電池は手持ちが無かったのでLR44を4個、テープで巻いて
無理矢理はめ込んで作動確認しました。AEも確かなようで
多分、ウチで3番目くらいに便利なカメラです。


5000突破、おめでとうございます。 お名前: けろけろ さん [2005/06/28] No.5003
金井さま:
暑いですね〜。日本にはいたのですが、珍しく(!)忙しかったのです。誰もお気にならなかったかも知れませんが、書き込みが5000番を超えたのですね。おめでとうございます。

ところでソビエト・カメラに関しては、宣伝もいい、ということ(掲示板の説明より)ので、すこし嬉しかったことを。

金井さまも本HPで紹介しておられるウクライナの業者、http://www.sovietcamera.com.ua/

ですが、何度か利用していたのですが、約1年前にまとめて買った分の中で、キエフ4Aとアガート18Kに不都合があったのです。でもアガート18Kが彼のところではなかなか見つからない、ということでその在庫が来るまでということで、待っていました。その間、例のオレンジ革命などもあったので、しばらく放っておいたのですが、この前、アガートが見つからないなら、もういいから、というと、その代品とともに、キエフ4Aの代品もすぐに送ってきました。

勿論クレームは最初の品物が届いたときにしていたのですが、いずれにせよ誠実な対応に好感を持った次第。

ぼくはオークションが嫌いなので、こういった業者にもっぱら頼ります。少々高くても、整備してあるし、安心なのです。

ウクライナの彼=Vikentiy は、大学の学生をしながら、この商売をしているようです。在庫の変動など見ると、最近の相場下落の中で苦戦しているのかな、とも思えますが、どうか応援してあげてください。


Dear Vikentiy,

The above is the description of recommendation for your shop from the point of view of my personal experiences.

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暑〜い お名前: 管理人(金井) さん [2005/06/28] No.5002
けろけろさま:
 ずいぶんお久しぶりな感じがします。海外にでも行かれてました?

郵便:
 ウクライナから何日ぐらいで届くのか、全く不明です。ものすごくかかることも有ります。 けろけろさんお書きのように、2〜3日は、私の経験には無いのですが、1週間以内につくことも、2〜3ヶ月かかることもあります。どれも航空便なのだから不思議です。賃金未払いで郵便局員がストでもしてるのかなー。

託便:
 本当は禁止されていたと思います。たまたま個人的に単発ならば問題ないでしょうけれど。
 郵政民営化でどうなるのだろう。

FEDシベリアもどき:
 FEDシベリアは工場純正品があるのか、それともすべて私的改造品なのか、工場改造品があるのか、どうも良く分りません。私的改造品があることは間違いないのですが。
 私的改造品の場合、だれが改造したのかによって、性能は千差万別でしょう。神田のアブコラボ製の性能はどうだったのでしょう。


紀元二千六百年祝典曲 お名前: Tarakowski さん [2005/06/27] No.5001
過去ログ、超高速で一度読ませていただいたのですが飛ばしたところがありました。RシュトラウスのJapanische Festmusik Op.84 新旧録音あります。小生は作曲家本人の指揮(バイエルンのシュターツカペレ、1941年)を持っています。読売日響がコンサートのプログラムに入れたこともありました。アツモンの指揮だったかな?大した曲でないです。以前、TVの「なんでも鑑定団」にスコアが出ていて安い値がついたことがあります。


SAL お名前: Tarakowski さん [2005/06/27] No.5000
最近SALばかり使っていますが、1/3位が航空便と一緒に配達されています。大きなものは航空便と一緒にいくことがありますが(ポーランドやウィーンまで5日くらい)割合小さいものはいわゆるSea&Airで10日程で運ばれているようです。

Trans-Siberian
80年代の日ソ関係の目玉はシベリアのガス油田とTrans-Siberiaの輸送プロジェクトでした。コンテナ船とBAM鉄道で日本とヨーロッパをつなぐJEOURO(ジューロ)という会社も設立されたのですが、しぼんでしまいました。某代議士は4島返還でシベリア新幹線だなんてぶちまけていたのですが、あの勢いはどこへ。

託便(takubin)
ソ連時代の郵便事情の悪さから、商社間で誰々がモスクワに行くという情報ネットワークがあって毎週のように書類や小さなサンプルなどをせっせとあちこちの事務所に運んでもらいました。あれはまさに郵便制度成立以前のシステムだったと思います。もう今は「○×様御幸便」なんて書いて他人に託すなどという事もなくなってしまったのでしょうね。今は昔。

FEDシベリアもどき
かなり前にネットで2万円位で買ったのですが、本当に使いづらいです。一度マザー牧場に持っていきましたが、これは飾っておくためのおもちゃだと実感しました。写りは平凡。


お名前: けろけろ さん [2005/06/27] No.4999
ここのところ、海外からいろいろと買ってしまったのですが。

支払いはともかく、送ってくるまでの時間が、問題。送料それ自体はそれぞれの国で大した違いはないです。

特に問題があるのがドイツで、SAL便のはずが、違う業者からのがことごとく6週間以上かかる。経路を調べると単なる船便で送られてきたことが判明。これなら最初から船便料金の方がいいと思えます。

ドイツ郵政公社は、DHLを傘下に入れて物流の世界的ネットワークを作ったとか。ラベルも確かにDHLだけど、いわゆるビジネス便のDHLとは大違い。こんなことで大丈夫か、ドイツ?

一番早いのがウクライナのキエフからの便。もっとも物価格差があるから、航空便で送ってくるのがおおきいけど。2、3日でついてしまっています。オデッサからだと急に1週間ぐらい。ウクライナ国内の方が時間がかかっている。

イギリスは先進国としては安定していて1週間ぐらい。まさにSALで送られてきます。ソ連も同じぐらい。アメリカは試したことありませんが、どうなんでしょう。

ドイツは旧東ドイツものが豊富で安いから、ドイツ語のブラッシュアップをかねてやってみたけど、もうこりごり、という感じです。何かいい方法はないのでしょうか?


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