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かわとこぶ お名前: けろけろ さん [2005/05/10] No.4601
ううむ。そうですか。キエフこぶ、ありましたか。

なぜか、コンタックスのは整備されていてもこぶはそのままというのが多いような気がしていますが。というか、こぶがないのをみつけるのが難しく、戦後のUa、Vaでもそうなのです。あれ何でかなぁ?かなりこぶが堅いのかな?

キエフとツアイスの違いはあとは皮です。外装のモロッコ革。前にも書いたように戦後のツアイスイコンはコンタレックスやコンタックス35あたりまでの高級、中級機種にモロッコ革を使い続けているのです。47キエフあたりにはモロッコ革のがないのでしょうか?

真鍮と黄銅は同じでしたね。ただ、ブラコンで当時の最先端だったアルミ合金を採用したのに、その後で一般的な黄銅を採用したとは考えにくかったものですから。

ビスのところが錆びるのは局部電池が形成されるからで、同じ材質ならこういっったことはおきないはず。不思議なのは、鋼鉄製のネジだったら、むしろネジの方がイオン化傾向が大きいからそっちが錆びるはずなのに。特殊なのはむしろネジの方なのかもしれません。

ちなみにシルミンでできているブラコンの巻き上げノブは使っていると金属のイヤな匂いが手に付いてしまいます。シルミン(シリコン+アルミ)といっても銅も含まれていたんですね。

基本的に機械式時計しか使いません。手巻が好きですが仕方なく自動巻の場合もありますが、パワーリザーブがわからないのがいやなのです。クオーツよりも正確なのをもっています。


コンタックスの緑青 お名前: Tarakowski さん [2005/05/10] No.4600
この間修理したコンタックスVにも結構吹き出ていました。こぶはないのですが。革ケースのビスにもたっぷりと。ライカにはこんなことないのですけど。

機械式3
そうです。目の見えない方々は毎朝、盲導犬に餌をやるように、いとおしく時計のぜんまいを巻くのだそうです。その行為は生きている事の無上の喜びだそうだと担当者が話していました。自分が死んで、時計だけが動いているのは耐えられないともおっしゃっていました。その気持ち、大変理解できます。

機械式4
小生の時計のなかで一番しっかり動いてくれるのは昭和45年ごろに両親に買ってもらったセイコーの5アクタスと、40年代の手巻きのオメガ(十年前にチューリヒで買いました)。耐久消費財の頃の製品は本当に良く出来ています。

君が御骨は珊瑚
すごい歌ですね。初めて読んだ時に鳥肌が立ちました。でも「骨まで愛して」というところで、愛した人の骨もその一部なのでしょう。愛した人を撮ったキエフのスプールも....

ツラン主義
戦前に今岡十一郎らがハンガリーと日本で起こした運動。黄禍論に真っ向から対抗したアジア主義。あのドイツにも理解者がいました。


こぶ お名前: telefunken さん [2005/05/10] No.4599
金井さま
あれ緑青ですか。気になっていました。
このBBS
ほかのBBSに比べてレベル高いですね。金井さまとMasyaさまのおかげでしょう。
常磐松女学校
ちかくに友達がいたのでよくあの前を通りました。
大坂さま
ドイツの戦前ものではLa Palomaという歌もありました。Hans Albersが歌ってました。


はい(手を上げたつもり) お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/10] No.4598
キエフこぶ:
 52年か53年のKiev-2で、大きな、こぶありを見たことが有ります。張り皮を剥がすと、こぶの正体は緑青でした。
 このキエフはこぶだけではなく、内部にも錆びが結構あったので、保存状態が悪かったのだと思いました。
 完動品を購入して、こぶが有ったことはありません。張り皮を剥がせしたときは、こぶは無くすだろうから、修理品・調整品に、こぶは無いでしょう。
 金属は真鍮(黄銅)が使われていて、それがこぶを発生させると思います。真鍮と黄銅って違うんでしたっけ? アルミ、鉄なども使われていると思います。
 FEDは真鍮のような天板が赤茶色に錆びますが、キエフではこのような錆びは見たことありません。



機械/電気式時計 お名前: Мася さん [2005/05/10] No.4597
Привет
つくづく、この掲示板ってカメラ以外の話題(歌)でもスゴイなぁと思います。

普段使用している時計はクォーツ式で色々と機能があります。先日針の時間とデジタルの表示が違う、もしかしたら電池の交換どきなのかなぁと撮影に出かけている間に家内に時計屋さんに持って行ってもらいました。
その間昔使っていた安物のキャラクターウォッチを使っていました。20年以上前に買った手巻き式です。安いからといくつか買ったのですが狂うことなく動いたのは1個だけでした。結局その日はピンク・パンサーが描かれたソイツを使っていました。

撮影には息子と出かける訳ですが、そんな時計達に混じってミッキーマウスのディズニーウォッチが。コレ、私が幼稚園の頃に買って貰ったものですから40年近く前のもの。今でも動きます。コレ、シチズン製で今使っている時計もシチズン、この時の影響かなって...
必要な機能を搭載した時計がこれしかなかっただけでした。

ユダヤ人:
かつてあるユダヤ人がアメリカで興した会社にいたことがあります。やはりソフト業界で製造部門は中東のシリコンバレーと呼ばれたイスラエルのハイファ。ソ連が崩壊してウクライナからユダヤ系の技術者が大勢イスラエルにやって来ました。
そういう技術者が一人来日したことがありました。ロシア語で話すのはイヤだったようでした。当時私、ハイファのオフィスよりエルサレムのオフィスとよく連絡していました。みんなどうしたか...ちょっと心配です(もう10年になるかぁ)。
この時以来、英語でもロシア語でもドイツ語でも話そうとする度胸がつきました。(向こうも英語は得意じゃなかったようでしたから)
っと、それ以来ユダヤ人の知り合いはいません。

Пока


ましろきふじのね お名前: telefunken さん [2005/05/10] No.4596
カードンの『夢の外』の気持ち悪さがアメージング・グレーセスと同じと書きましたが、これはイヤラシサとすべきでした。ぼくはアメージングを最初に聞いたとき、水槽の中に長い髪の毛の女の死体があって、というふうに感じたのです。つまりサダコを予感したわけデス。[蛇足ですが、サダコって、リングのサダコです。あのオバケオンナです)真白き富士の根も、水中で死体が腐っていくような、そこへ真珠が無数にへばりついて光っているようなイヤラシサを感じます。ぼくひとりの病的な感覚でしょうか。「いつひろのみなそこに、きみがみほねはさんご」という同傾向の詩がありました。


Handaufzug お名前: telefunken さん [2005/05/10] No.4595
Tarakowskiさま
機械式のレス、ありがとうございました。自分で動く、うーん、なるほどといえばなるほどなのですが、ネジを巻いて動かしているのですから、自分で動くのは自動巻きのほうかも。これもしかし運動させなければ自滅しますよね。手でエネルギーを与えることが、そのかたたちは気に入っておられるのでしょうか。つまり機械とのコミュニケーション・インターフェースがあるということです。アッちなみにある外国の手巻き時計の日本語カタログ見てたら、手引き上げ、という説明が。コレ、わかります? おそらく原文はドイツ語で、Handaufzugとなっていたのだと推理しました。だとすると手幕とか、手動エレベーターなどという誤訳もアリですよね。


真白き富士の根 お名前: 大坂 さん [2005/05/10] No.4594
夜中のとりあえず通り掛かりカキコです。

>真白き富士の嶺
>ガードンの「夢の外」明治23年の唱歌集に収録、

後に渋谷のトキワ松女学校を創設する三角さんて女教師が三十路過ぎの頃に、遭難事件の報道を聞いて作詞したそうです。この文語の作詞、どんな教えを受けて育ったのか興味深いといふか、この歌詞を三十路で作った事で三角さんを尊敬します。


つあいすこぶ お名前: けろけろ さん [2005/05/09] No.4593
ちぇぶは、DVDを是非買ってください。貸しビデオでも大抵おいてあると思います。

ちぇぶではなく今度はこぶのハナシです。ご存じのように初代ブラコンは、シルミンですが、コンタックス2、3は銅合金で、特に背面のビス部分にこぶが出きることが多いのです。これに対して、キエフではこのこぶを見たことがありません。

キエフこぶを見たことがある人は手を挙げてください。特に47〜の初期キエフについても見たことがないとすれば、材質がキエフとコンタックスとで違っていると言うことになるのでは?

ちなみにコンタックスの銅合金も特殊なものなのでしょうか?考えられるのは通常は真鍮か青銅か黄銅あたりですが、この錆かたはちょっと特殊です。


機械式2 お名前: Tarakowski さん [2005/05/09] No.4592
もうひとつ思い出しました。当時文字盤のばかでかい《弱視者用》腕時計を作っていたのはソ連(ラキェータ)だけで、これを声優協会に持ち込んだら口コミで好評で何ロットか売ったことがあります。この間、小金井の実家にいったら母親が家に残したのをまだ使っていました。老眼にちょうど良いとのことでした。


機械式 お名前: Tarakowski さん [2005/05/09] No.4591
今はどうなったのかわかりませんが、80年代ソ連製の盲人用触針式腕時計を高田馬場のヘレンケラー協会に沢山納入したことがあります。当時の声の出る日本製クオーツよりもはるかに精度の悪いソ連製の手巻きの腕時計がなぜ彼らが好むのか?自分の意志で動いているからだそうです。手巻きだからで、もし自動巻きだったら駄目だと。私も手巻きの腕時計を好みますが、その気持ちに近いものがあります。

私のクルマもマニュアル・トランスミッション。元々はペーパードライバーの家内を運転させないための生活の知恵が、いつのまにか惰性でMT車に乗っているだけのことですが。


予言 お名前: telefunken さん [2005/05/09] No.4590
Tarakowskiさま
お悔やみの言葉をお受けください。
ボクの知っていたイルメラという娘はユダヤ人でしたが、彼女の父親はどういうわけかヒトラーの写真を暖炉の上に飾っていました。ユダヤ人の中でも特別待遇を受けていた人がいると聞いたことがありますが、そういう人だったのでしょうか。ぼくは当時25歳だったので、このことをフシギに思ったけれど、深くは聞けませんでした。この人はAchtung! Asia marschiertという本を持っていて、アジア人はいずれヨーロッパの脅威になるだろう、と予言していました。たしかに彼の予言はあたりました。


電気式・機械式 お名前: telefunken さん [2005/05/09] No.4589
精度も価格もクオーツが優れているのに、なぜ機械式時計を選ぶ人がいるのでしょう。カメラでも電池を使うカメラを嫌いな人がいますが、なぜでしょう。電気で動くものは信用できないのでしょうか。だったらなぜ電車に乗る? 
電気は目にみえないから、それが運動に変化することが理解できない。機械式なら動きは根本から目に見える、だから信頼できる。そういう考えでしょうか。飛行機の脚を出す機構にももちろんたくさんの電気回路はあるでしょうけど、それが故障したとき、最後は手動で動かす非常用機構があれば安心だ、ということを言う人がいました。これってクオーツより機械式時計を信用するのと似ている?


あるユダヤ人女性の死 お名前: Tarakowski さん [2005/05/09] No.4588
家内のワルシャワ大学時代のユダヤ人の親友の母親が5月2日にオックスフォードで亡くなりました。彼女の母親は大戦中ウクライナにいて、ウクライナ人たちが正々堂々とウクライナ人ということにしてくれて収容所送りから逃れた奇跡のようなケースです。彼女の周囲にいたウクライナ人たち本当に尊敬します。その母娘はポーランドの70年代のユダヤ人追放で英国に出国して英国籍になりました。


洋楽 お名前: telefunken さん [2005/05/09] No.4587
嶺はたしかに映画のほうで、根ははやり歌です。ご正解です。Tarakowskiさま。
カードンのあの曲、ちょっとAmazing Gracesに似て、キモチわるいとこあります。前にも書きましたが、ぼくの知り合いの河井さんという人の伯父さんが劇作家の飯沢匡なのですが、飯沢匡は本姓伊澤で、文部省音楽取調所で日本の洋楽の父伊澤周二は、彼の伯父に当たるそうです。


「嶺」は映画の お名前: Tarakowski さん [2005/05/09] No.4586
題名で、「根」は流行り歌、でしたね、telefunkenさま。


makro mikro お名前: Tarakowski さん [2005/05/09] No.4585
黒白(コクビャク)というか、二元論になってしまうんですね。「お上が悪い」、「上が上が」とか「我が方は」とか。「あれかこれか」でなく「あれもこれも」。

ベルグソン「時間と自由」
本棚の奥にありました。白水社の平井啓之訳。珍しく鉛筆で方程式のところにつまらない書き込みをしていました。大学1年生の悪戦苦闘の証拠です。

チェブラーシュカ
全然知らないんです。79年から88年頃まではUSSRウォッチャーだったんですが。確かに児童文化は守備範囲外でした。

真白き富士の嶺
ガードンの「夢の外」明治23年の唱歌集に収録、ちょうど君が代をどうしようか右往左往していた頃の曲ですね。太宰治の「葉桜と魔笛」が更に広めたのでしょうか。とにかく小百合スト必見の映画ですね。

Nikon
F3Pは「仕事カメラ」です。いつか仕事中に電池が切れて真っ青になりましたが、マニュアルで動いてくれたのは助かりました。Fマウントのレンズも結構持っているし。

今時の若いもんは
メソポタミアの粘土板です。多分アファール猿人もそう感じたのでは。


私もエライ間違いです! お名前: Мася さん [2005/05/09] No.4584
アレ、やはり「真白き富士の根」ですね。
山=嶺と考えてしまったようです。

♪真白き富士の根 緑の江ノ島
 仰ぎ見るも 今は涙 (最後じゃなかった!)
 帰らぬ十二の 雄雄しき御霊に
 捧げ奉る 胸と心

6番まであります。


お名前: けろけろ さん [2005/05/09] No.4583
シャバクリャクでしたね。間違えました。


お名前: けろけろ さん [2005/05/09] No.4582
masya さま:ちぇぶなのですけど、あれって何で、もの悲しいのでしょうね。「毎日が誕生日」、DVD版の字幕でようやく意味がとれました。吹き替え版ではあれは誤訳に近いです。ロシアの人にとっては、あれは悲しくはないのですか?

ゲーナとの黒海への海水浴、いろいろと荷物があるのにカメラもってませんね。シャクパリクの使っている双眼鏡が陸軍用の測距儀にも見えます。


また忘れてた... お名前: Мася さん [2005/05/09] No.4581
チェブラーシュカ:
私の携帯のマスコットにチェブとシャパクリャクが付いています。定期入れもチェブです。シェレメチヴォ空港でマトリョーシュカも買いました。
着メロにも劇中歌、「空色の列車」のサビの部分が登録されています。これロシア人に聞かせるとウケます。(オヤジにもウケました)

この歌ですが、初めて聴いたのは2000年冬、みんなでズヴェニゴロドにあるモスクワ大学の寮に行った時、Киев2をくれたセルゲイのギター伴奏(彼はアーティストと異名を持つくらい歌と演奏が上手い)で彼女達が歌った時でした。
我々がアニソンで親しんできたように彼女らも親しんでいたんでしょうね。

替え歌:
どうなんでしょう。小学校低学年の頃に聞いた覚えがあるんですが...両親も知ってたくらいだから戦中の替え歌なのか。でも考えてみれば戦後20数年しか経っていないころだからなぁ。

替え歌というわけではありませんが...逗子開成のあの歌も日本で詞がつけられたんですよね。
♪真白き富士の嶺(ね)ぇ〜 あと忘れました 今はなぁみだ〜(いきなり最後かい!) ホント泣かす歌ですね。


長くなくとも出社はユーウツです お名前: Мася さん [2005/05/09] No.4580
Привет
カレンダー通り、先週2日6日と出社でした。

週末は天気が悪いと聞いていたので撮影には行かず、日本橋三越へ中島潔展へ。土曜日に早く行けたので図録にサインを頂くことができました。
最近は図録、画集、額絵のみで先着100名まで...昔だったら買ったものだったら絵葉書でも何でもサインして貰えたんですが...今となってはキリがないんでしょうね。
思い起こせば、息子が誕生した時に「お誕生おめでとう」の祝辞を頂いて以来でした。(勿論、その前の結婚でも色紙に頂いています)

こういう展覧会です。

http://www.mitsukoshi.co.jp/kiyoshi_nakashima/index.html

私20年くらい前からファンです。

帰りはそのまま神田まであるいて「きむら」の中古コーナーへ。階段上がって正面には新旧のニコンSシリーズが、その左手にКиевやЗоркийの委託品が並んでいました。
以前ここの修理部にそれらの修理を問い合わせたことがあるのですが断られたことがありました。委託でなく調整済とでもあればツッコめたんだがなぁ...
ペンタのズームが安かったのですが、212Kに付けてもなぁ...息子用にってタムロンのがあるし...それよりもボディ...ちょっと興味があったペンタP30が。壊れたニコンEMの後継にとF301をと考えているのですが見つからない...
EMより401の方が安い...あっ例のЗенит-Еですが日本に持って来てくれたようです。

Пока


出社がゆーうつ。 お名前: かぱまん さん [2005/05/09] No.4579
 なが〜いなが〜い連休が終わりました。さぞかし写真漬け三昧だったかというと、全くそんなことなく、このクソ長い休み中に撮影し切ったフィルムは、なんとなんとブローニー(120)1本だけでした(笑)。雑用関係を一気に片付けたわけです。
 キエフ60にARSAT30/3.5をつけ(重いので他の装備は一切持たず)、近所をひと巡りして来ました。スナップレンズとしての対角線魚眼って、「ど〜だろ」と思ってましたが、実際使ってみますとこれがなかなかに面白い(というか役立つ)のでした。結果と考察はまた後日掲げたいと思います(まだ現像してないんです)。
 
ニコン嫌い>
…といえば、この連休中にプランター菜園をちょこっと始めまして、あんまり嬉しいもんですから、植物の成長を写真に撮っておこうと思い立ち、F3/Tで撮り始めました。なぜにF3/Tかって? それしかデート機能がついたカメラを持ってないんです…。でもマイクロ55/3.5は、大好きなレンズのひとつです。


10連休あけです お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/09] No.4578
今日は戦勝60周年式典。どこかに、ライブ映像ありませんか?

素読:
 なるほど、語学では、始めに「わけもわからず暗記」が重要なんですね。少年の頃から、努力が嫌いだったので、わけもわからず暗記は、大嫌いでした。だから、現在、外国語は苦手です。
 数学や物理学は逆に、わけもわからず暗記は、その場で点数を取るのに役に立っても、将来が有りません。定義(言葉の意味)は暗記しないとダメだけど、公式暗記だと、数学は出来なくなります。

 一連の投稿で分らなかったのですが、六朝を「ろく」と読むといけなくて、「りく」と読むのが正しいのは、日本では皆さんそのように読んでいるから、でしょうか。若者みなが「ろく」と読むようになれば、じいさんの愚痴になるのかなー。現代中国語ではなんて読むのでしょう、職場の同僚に聞こうと思ったら、怖い顔して仕事しているので、声をかける雰囲気ではない。

ニコンのSP復刻:
 ブランドイメージを傷つけていません。靖国神社の展示館と同じで、ニコンの過去の栄光を誇っています。


ニコン嫌い お名前: telefunken さん [2005/05/09] No.4577
むかしは5歳ぐらいになると素読ということやって、四書五経のたぐいを詰め込みました。後年になってその意味に出会うというダンドリです。山高きがゆえに貴からず、とか、フシつけておぼえてたそうです。ラテン語でもむかしはヨーロッパではこういう方法をやっていたみたいで、HoratiusのBonus vir semper tiroとか、CiceroのUrbem, urbem mi Rufe, cole et in ista luce viveとか、わけもわからず暗記させられたそうです。コドモの時に形式を覚えて、オトナになって内容が伴うというのは、リクツに合っているのかも。

漢文を日本式に読み下すのは、ひとつの知恵みたいな気もするけど、そのまま白文でやってほうがいいかもしれません。これはひとつのペンあります、と言ってるようなものですから。

ジェームズ三木さんというペンネームは、おそらく小津安二郎さんのペンネームのゼームス槙から取ったのではないか、と思っています。

ニコンというと、ぼくは戦後最初にニコンのレンジファインダー機を見て、情け無い気がした記憶が強烈で抜けません。特に距離計窓がギアの手前にあるのが、コンタックスに比べてすごくアタマ悪そうな感じでダメでした。それ以来ニコンは嫌いです。いまもそれが続いている。、キャノンは戦前からライカの模倣を抜け出して、一派を立てていて立派でした。

今日は井上といっしょに、唐十郎の芝居に行ってきました。今回は傑作でした。鉛の兵隊という芝居です。


micro macro お名前: けろけろ さん [2005/05/08] No.4576
日本の場合、微視的なレベルではかなりのものなのに、全体としてトホホなケースというのが多いような気がします。

こだわってますけど、ニコンのSP復刻、微視的には職人さんの技能伝承なんだろうけど、巨視的に見て、ニコンのブランドイメージをわざわざ傷つけているわけです。

兵は頑張ったが将が・・・、というのは最近の大事故でも。戦術はあったが戦略がなかった、というのは、日本の外交政策に連綿と受け継がれています。

戦前教育で漢籍の知識は、江戸時代の藩校・官学での士大夫育成教育を新国家における指導層予備軍に浸透させ、新たな階級意識をうえつけるという役割をになったのであろうけど、では、巨視的にみて、漢籍の故郷である中国への対応がどうだったか、ということになるのです。漢籍の知識の浸透という点で、イギリスを初めとする欧米諸国とは日本は対応は違っていていいはずだったし、実際に個別レベルではそういうことも多かったと思いますが、最終的結末は、ご案内の通りです。これも漢籍の知識があったからまだこのぐらいだったのか、漢籍の知識の浸透が足りなかったのか?軍部の主力指導層に漢籍の知識が欠けていた、とは思われないのですが。

子供の記憶力はすごいです。小学生のとき、大学生の兄弟をもつ友達からドイツ語の冠詞変化を教えてもらって、将来からなず役に立つといわれましたが、まさにそうでした。でも何を詰め込むかは、やはり戦略の問題です。漢籍がいいのか、外国語がいいのか、個人的には、英語以外の外国語を第1外国語として選択させる余地を認めることですが、いろいろと無理があるでしょうね(イタリア語を始めて学んだとき、こんな自分にぴったりした外国語はないって思って、こんなことならイタリア語から始めれば良かったのではと思っているもので)。

ギリシアの古代から、昔の方がよかった、という嘆きは続いています。でも結果的にはどうなのでしょうね。漢籍の知識は欠けても、インターネットで英語その他で知識を得るITリテラシーの方が、実際には重要でそれは今の大人たちよりも優れているのかもしれません。外国のひととのやりとりも、「最近の若い者」の自然なつきあい方には学ぶものがおおいのも事実で、むしろそういったことが苦手な古い世代が目に付きます。

問題は古典の素養を身につけるのに適した、つまり暗記力が高い子供の頃は古典のおもしろさが分からない一方、古典のおもしろさに気づいた時には、それに必要な暗記力が衰えている、ということかと。漢文はとても優れた文化であるとわたくしも思います。漢詩をそらんじていても、そこに描かれているゆったりとした大陸的な情緒を現実の生活に生かさなければ意味がないのではないでしょうか?


ら・くからちゃ お名前: telefunken さん [2005/05/08] No.4575
春潮や七里ヶ浜に悲歌古りて、シュンチョウヤシチリガハマニヒカフリテ、は詩人石塚友二さんの作です。ぼくの想像ではこれは小学唱歌の『七里ヶ浜の磯づたい、稲村ケ崎名将の、剣投ぜし古戦場」というなにやら物悲しい節の歌のように思います。
ハワイ
のコーヒー好きは米本土、特に西海岸のコーヒー好きが伝染していると思います。もとの勤め先がMaxwell, Yubanなどというコーヒーを造っていたので、興味をもってちょっと考えたことがあるのですが、アメリカ人がコーヒーと呼んでいるものは、麦茶程度の濃さのもので、われわれの考えるコーヒーとは別物だと思います。チョコレート・コーヒーはスイス・モカという飲み物で、これもアメリカ製だと思います。スイスではお目にかかったことがない。ちなみに亜米利加人がいちばん好きな中華料理はスブタです。わかるでしょ。でもすきなのはあれがエキゾチックな味の代表だからだ、と友人の弁。
戦前ドイツの歌や映画はアメリカのビデオショップでほとんど手にはいります。ただし英語スーパーですが。


まあ、コーヒーでも一杯 お名前: Tarakowski さん [2005/05/08] No.4574
と、キエフの謎解きしばし休憩して、telefunkenさま、どうしてハワイの人はあんなにコナ・コーヒーが好きなのか教えて下さい。前の勤務先にハワイ生まれの(アイルランド系とポーランド系混血)アメリカ人の英語教師がいて、いつも帰省のお土産にコナ・コーヒーをくれました。今はオレゴンに移住してしまったのですが、いまだにクリスマスにはコナの代わりに、信じ難いほど不思議な甘い味のするチョコレートコーヒーを送ってくれます。ステーキの上にパイナップルを乗っける人たちですから何となく彼らの味覚の方向が分かりますが、ラ・クカラチャが繁殖する食文化的背景が非常に気になります。


暗誦が暗礁に乗り上げた。 お名前: Tarakowski さん [2005/05/08] No.4573
ワープロはこれだから面白い。私の駄洒落よりも天才です。


誤音・チンプンカンプン音 お名前: Tarakowski さん [2005/05/08] No.4572
呉音から漢音へのニッポン語の変化は非常に興味深いです。まさにContaxからKievへと違ったものに変化する過程。とにかく「シヒャクハッシンジ」と読めない子供が可哀相。
telefunkenさまのご意見もっともで、漢文なんて簡単なルールと平易な文や詩を2〜30暗誦させれば、子供はすらすら読めます。漢文を読めない教師が教えたがらないのでますます漢文離れが起きているのですね。ユダヤ人の子供たちはずっと沢山の量を暗礁させられますが、とてもそれが大切な事だと思います。今年の高校1年生はまさに「ゆとり教育」の受難者世代で、世界史の教科書のニホン語が読めません。ニッポン語の会話はとてもお上手ですが、完全に「文法」と「修辞」の能力がとにかく貧弱です。

春潮の句
はtelefunkenさま作ですか?私もその「古歌」気になります。
そうそう、逗子開成といえば数年前仕事で見学に行きましたが、たまたまそのその日に逗子開成の理事をしていた徳間康快が亡くなりました。学生時代に徳間書店で編集のバイトをしていたことがあって、新橋の徳間ビルの下にあった鴨料理屋でご馳走になったこともありました。主義思想はまったくちがいましたが「豪傑・怪人」敬服しました。石原と一緒に都の写真美術館改革始めた矢先の死でしたね。あれからどうなったんでしょう。最近ポーランド大使館のある恵比寿にも全然行っていません。


読み方やら音楽やら お名前: 大坂 さん [2005/05/07] No.4571
ご機嫌よう

怒涛のカキコにポツリポツリと、

漢字の読み方は入った時代によって違うと、お経の現代語訳の本で読みました。呉音の次が漢音、次が宋の音(禅宗が入った鎌倉時代、行灯とか)だったでしょうか。中公文庫『理趣経』を開きますと、「大楽金剛不空真実三摩耶経」を呉音で読むと「たいらく こんごう ふくう しんじつ さんまや きょう」だそうですが、このお経が入った時代は漢音が主流の唐なので「たいら きんこう ふこう しんじ さんまや けい」だそうです。以上、本の受売り(,_,)

「夜のタンゴ」、NHKのドイツ語会話?番組で、歌で親しむドイツ語てコラムでこの歌と映画が出てきた、と知人より伺いました。戦前ドイツの歌や映画て今じゃ全然見られませんねえ、と残念がってました。

エンドスコープ、ライカコレクターズガイドだかにそれ用のビゾフレックスアダプタがライカのアクセサリーで出てました。医療とツァイスですと、眼科の手術用顕微鏡はツァイスのが最高で、他のメーカーのとは見えが違う!立体的に見える、と医療関係従事の方から聞きました。一式二千万円だとか。

七里ガ浜の古歌とは『真白き富士の根』でしょうか。数年前にあの遭難事故100周年とか逗子開成高校のサイトで見ました。


大祖国防衛戦争勝利記念日 お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/07] No.4570
大祖国防衛戦争勝利60周年記念式典:
 モスクワでは、9日に大祖国防衛戦争勝利60周年記念式典が開かれ、ドイツ首相も堂々と参加するそうです。
 韓国では8月に光復60周年式典が開かれ、明仁さんも堂々と参加するとよいと思います。
 瀋陽では8月に解放60周年式典が開かれ、明仁さんも堂々と参加するとよいと思います。

歴史教科諸問題:
 に関連して、町村外相は「(ドイツでは、ナチスが)ドイツ人とは別の種類の人たちだったといわんばかりに、全部ナチスのせいにすることができた。そういう分類は日本ではなかなかできない」と発言したそうです。私もそう思います。鳩山・岸という戦犯(容疑者)の孫が第1党、第2党の幹部なのだから、彼らの利益を考えたら、日本政府は、歴史を正しく教えることなど、できないでしょう。

なんとろくしゅう: 
 と覚えています。仏教で「リク」と読むことはあったかなー。六道輪廻、六波羅蜜、六識、六師外道、六地蔵、思いつくのは「ろく」です。それに対して、六義園は儒教系?





お名前: けろけろ さん [2005/05/07] No.4569
唐音とあるのは漢音の間違いです。


「しひゃくはっしんじ」はまちがいですか? お名前: けろけろ さん [2005/05/07] No.4568
六朝(りくちょう)時代と憶えましたが、日本の南都六宗(ろくしゅう)なのか(りくしゅう)なのか?東京りく大学野球が正しいという説があったような気が・・・。でも今ではろく大学でしょうね。
そもそも、六朝には、呉が含まれるのだから、現地語優先主義なら、呉音の「ろく」朝の方が正しく、漢音の「りく」はむしろ適切ではないのでは?

どうも仏教系は呉音、儒教系は唐音で、政治史は唐音になったということかも。ないしは、日常用語の「ろく」より衒学的な響きがあったかも。もんぶしゃうはどのように指導しているのでせう?

ししゃくはっしんじは、平仄との関係からそのように無理に解釈したのであって、平仄が関係ない日本語で下して読む分にはやはり関係がない。今なら、白文でよめるより、中国語(できれば古典中国語の発音)で読める方が教養があるとそんけーされるように思いますがどうでしょうね。

いつも思うのは、日本語はカタカナ表記があるから現地語をある程度つたえられるけど、ドイツ人とかはどうしてるかということです。前に書いたことですが、ゴールドシュミットという名前は、口伝でないと伝わりませんよね。英語でかいてあるデンマーク語の会話本があるのですが、発音の表記が面倒です。


司馬遼太郎は嫌いです お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/07] No.4567
竹島問題:
 竹島領有と日露戦争の関係はどのように説明されるのでしょうか。連休中、関連本を読んでみたかったのですが、図書館が休みで、下條氏の本しか読めませんでした。下條氏本は、あまり読むに値しなかった。

司馬遼太郎が嫌いです:
 坂の上の雲では、竹島領有と日露戦争の関係に触れられているでしょうか。自分で読めばよいのですが、司馬遼太郎は嫌いなので、ぜんぜん読み進みません。どなた様か教えてください。

漢文:
 が日本文化の骨格であるといわれれば、反対する理由はないのですが。。。でも、なぜ、書き下し文なのでしょう。坊さんの読経みたいに、そのまま読めばよいのに。
 


六朝 お名前: telefunken さん [2005/05/07] No.4566
ロクチョウ、あれ困りますね。あとシヒャクハッソンジもたまにしか正しい読み方を聞きません。漢文はラテン語と同じように、進学過程に向かう子供にはちゃんと教育すべきです。なんといって日本文化の骨格ですから。この地むなしく残す黄鶴楼でしたっけ。あれ、ぼくも大好きです。ボクの祖父ぐらいの世代は日誌は漢文でつけてたようです。そのほうが短くて済む、ということで。
ジーメンス
うちの近くの病院のMRIはジーメンス製デ、なんだか気にいってます。
ツァイスはたぶん作っていたと思います。
ICUのゴルフコース
知ってます。いいトコですよね。


難聴四百八十痔 お名前: Tarakowski さん [2005/05/07] No.4565
なんて遊んでいました。杜牧ですね。今は漢文もちゃんと教えないので、若い国語教師は六朝を「ロクチョウ」と教えるのでフォローが大変です。孟浩然を送る黄鶴楼の歌、好きです。酔っ払い万歳!


エンドスコープ お名前: Tarakowski さん [2005/05/06] No.4564
貿易屋やってた頃、これで食わせてもらいました。ポーランドへの輸出です。オリンパスのコンペティターはジーメンスでしたが、オリンパスのは世界一でした。ツァイスは作っていたのかな?


チェブラーシュカ お名前: Tarakowski さん [2005/05/06] No.4563
ポーランドではさほど。どちらかといえばディズニーですね。とにかく文化に関してはポーランドは完全に「西を向いて」いましたから。ルーマニアとかブルガリアはかなりソ連よりの大衆文化でしたが。最近、ポーランドのジャズをずっと聴き直しているのですが、決して傍系でなく時代の中心を走っていたと思います。

野川公園
の端っこ、ICUのゴルフコースに接していたのが我が母校(小金井東中)です。二枚橋のプールでよく遊びました。今は変わりすぎて、帰省する度に驚きます。蓮華畑や国木田独歩の雑木林は今何処。


呑むカメラ お名前: telefunken さん [2005/05/06] No.4562
実はスメナ、ボクももってます。最近つかっていない。ぼくはこのごろカメラは呑むのが専門なもんで、オリンパスが多いのですが、ツァイスでないといやだ、と医者に冗談いったら、ツァイスの内視鏡を持ってる病院を探してやるといってくれました。

千里ウグイス鳴いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺
多少の楼台煙雨の中


武蔵野婦人 お名前: telefunken さん [2005/05/06] No.4561
東小金井。ぼくの友達も、あそこから近い野川公園に面した高台に住んでいます。武蔵野のハケといわれる、湧水の里ですね。ワサビが植わったホタルの里とかいうとこも、むかしバイクで行ったような。あそこの国分寺崖線をたどると、実篤公園とかもあって、ウチから国道20号線をゆくと、その段差みたいなのがはっきり判ります。、むかし映画スターの長谷川一夫[林長二郎というほどの年ではありません)さんの得意のジョークに、宮本武蔵に子供があるかどうか、というのがあって、その答えが、武蔵小金井。
むかしは何かの葉っぱに梅酢漬けを巻いて、吸うお菓子があったらしいです。酢うめーなというのを見て、思い出しました。どこかの田舎の、なつかしいような
習慣ですね。

春潮や七里ガ浜に悲歌古りて

これせったいシュンチョウと読んでください。



お名前: けろけろ さん [2005/05/06] No.4560
Tarakowskiさま:

奥様などにお聞きいただきたいのですが、チェブラーシュカはポーランドでも人気だったのでしょうか?この前旅行先でロシア人一家に会ったのですが、いつも持っているチェブラーシュカのキーホルダーを見せたところ、お父さんひとりはしゃいで、お嬢さん(10代後半)や奥さん(40才前後)には全く興味を示さなかったのでした。東欧諸国ではチェブラーシュカも押しつけだったのでしょうか?ミッキーマウスと同様そこに帝国主義的動機を敏感に感じ取ったのでしょうか?

チェブラーシュカやスメナ8Mに、いじらしい庶民の良心を感じてしまうのです。チェブラーシュカについて日本でのプロモーションが全くの素人の個人に委ねられたことは残念ですが、それもよかったのかもしれない、とも考え出しています。


酢うめ〜な お名前: Tarakowski さん [2005/05/06] No.4559
愛くるしいカメラですね。ポーランドにも沢山入ってきたのでどこの町でもよく見かけます。スメ8は大衆機というよりは若奥さんとか女子学生のカメラというイメージです。お兄さんお父さんは金属カメラかな。

Masyaさま
軍艦マーチ有難うございます。前線に食料がみんな送られてしまい、芋ばかりの生活のストレスをマーチで表現しようとしたまさに迷作ですね。

大坂さま
我が家は南口の農工大の隣でした。小学校5年生の時に、アマチュア無線に興味を持って、とにかくアンテナを見つけると近所のどこの家でも見学させてもらいにあがり込んでいました。法政工学部のお兄さんたちも親切に見せてくれました。昭和40年代前半の東小金井です。

つつじ
綺麗でしたので記念撮影。これは哲っつぁんです。
画 像 : img20050506221850.jpg -(128 KB)


訂正 お名前: telefunken さん [2005/05/06] No.4558
正しくはaus der Ferneです。


夜のタンゴ お名前: telefunken さん [2005/05/06] No.4557
大坂さま
It's a long way to Tipperary, it's a long way to go.
でしたね。第一次大戦の歌ですから、はやり歌中では古いはうでせう。
ドイツのはやり歌なら
Ich habe auf Dich gedacht, als der Tango notturno,
Zwischen Abend und Morgen, auf Ferne erklangt
という夜のタンゴ。代表的ですね。主演はポーラ・ネグリ、大女優でした。幸せな新婚生活を送っていたマドが、ふとしたことで夫の疑いを受け、夜の女に零落する。たすけに来た夫とともに家に帰るが、ミゾが埋まらず、さいごは自殺する、という暗いくらいお話です。あのころのドイツ映画の一傾向を代表してます。あとヘルマン・ズーデルマンの「故郷』の映画化とか、あれもくらーいお話でした。それにこれはフランス映画ですけど、セルマ・ラーゲルレーフ女史の「幻の馬車」、こわかったですねー。それからヘンリック・イプセンの『幽霊」これも舞台と映画と両方でみましたね。フランケンシュタイン映画も、このころは全部ドイツからユニバーサルに来たスタッフが、ボリス・カーロフを主演にして作ってるので、表現主義映画みたいなカメラワークで、凄くいいできでした。ユニバーサル映画を設立したのはドイツで仕立て屋やってた男で、最初はドイツ系移民相手の映画ばっかり作っていたのですね。むかしのネロ・フィルムとか、一時のハマープロみたいに、怪奇映画専門でした。


ふぅ... お名前: Мася さん [2005/05/06] No.4556
連休は天気が良かったんですが週末は良くないようですね。
まぁ、天気が悪ければうめ吉(中島潔)先生の新作展に行こうと思ってましたしバラはまだまだですからね。

最近よくお邪魔するロシア人の掲示板にバラについて書いたら、もう咲いているのかって...そりゃぁウチのブラスバンドやプリンセス・アイコは咲いてますが...
状況を見て書き込んであげることにしました。

あっ書き忘れていましたが連休中に使っていたのはМирです。昨日は黒のИндустар50を使っていました。

では、よい週末を!


何んが故にゾンナールなるべきか 色々 お名前: 大坂 さん [2005/05/06] No.4555
ご機嫌よう

題名は、戦前のシュミット商店の冊子から本歌取りしました。

標準レンズ同志で比べると、テッサーとゾナーでは後者が鏡筒の長さが短く扱い易いのと、絞り2.8だと前者は開放絞りで後ボケがグルグルする不安な感じ、後者は渦巻きも感じない自然なボケなのです。歪曲は多分テッサーの方が小さくて端正な写りでせう。大昔コンタックス、キエフで使えるレンズではどうか?という狭い世界の話です。

ティペラリーの歌ですが、20余年前の映画『Das Boot』でUボートの艦長が好きな歌で蓄音機で掛けさせ、下士官兵と歌っておりました。曲名が解らなかったのですが、つい最近知りました。

東小金井駅懐かしいです、農工で無い方の大学に通ってました。ビルも無く住宅地と畑だけで広い空、駅から五日市街道までの真っ直ぐな道。平成初期の懐かしい思い出の風景です。


東京の坂 お名前: telefunken さん [2005/05/06] No.4554
時間
とくればベルグソン。ぼくらの時代だけの話かも。
時計の原稿
シェエラザードは1001夜、毎晩違うお話をしたのですから、106編ぐらい、どうというほどのものではーーー。

暗闇坂をあがって少し行ったとこに、麻布笄町というのがあって、戦前そこにしばらく住んでいました。例のもと小松宮関係の大叔母の嫁ぎ先の家です。霞町からの市電の線路側からの道は、雨の日はクルマがすべって上がれませんでした。したがってすべてのクルマは暗闇坂側から回っていたようです。


お名前: Мася さん [2005/05/06] No.4553
Привет
連休中(私の連休はお終い)にちょっと触れましたが、3日は原宿竹下通りのTBSショップに行ったついでにハナエ・モリビルの裏手にあるネッコ坂、目黒区と渋谷区との境近くの相ノ坂、246を挟んで大坂、更に道玄坂と撮影に付き合ってました。
これらは「タモリのTOKYO坂道美学入門」で紹介された坂で、勾配、湾曲、江戸情緒(相ノ坂には無いと思う)や由緒といった条件に適った坂道のみ掲載されています。これを見ながら歩いていました。
総統、いつもお気遣いありがとうございます。

っで4日はネガの整理で5日は、テレビを見ていて六本木ヒルズの毛利庭園のつつじが綺麗そうということで...麻布十番付近の暗闇坂、狸坂、狐坂、あともう二箇所通ったと思います。狐坂へ行こうとしたら警官に止められ...中国大使館の裏手だったんですねぇ。
息子もサングラスかけてて、私は無精髭にサングラス、ロシアカメラを下げて...どこから見ても怪しい...警察の車が写らなければということでお許しがでました。

ここのつつじですが、一面咲いているように見えました。これを早速彼女に送ってみたら湖のようだって...我々なら海のようって言うだろうなぁ...大きさの感覚の違いなのか、海見たことあるのかなぁ...
テレビ朝日の前なので建物の中に青木さやかの「どこ見てんのよ!」の垂れ幕が...一応つつじと一緒に撮りましたが流石に送れない...

久々の原宿で面白そうな店の写真を撮ってよく看板を見たら、ブティックTAKENOKO、おおっあの竹の子族発祥のお店かぁ!その他原宿の面白さを再認識しました。

替え歌:
断片的にしか思い出せず、両親に聞いても最初だけなんですが...あっジャンが1個抜けていました。
♪ジャンジャンジャガイモサツマイモ、芋食って 豆食って 屁を溜めて〜
ここから先なんですが、♪電気が切れたらぶっ放せぇ とか 最後が♪こぉれがホントの---としか思い出せません。すみません、下品な歌です...

スメ8:
ワレリーからシャッターが外れているのを貰いました。直してみたのですが、どーも具合が宜しくない...まっЗоркий等他にあるからこれ以上はいいかっとそのままにしてあります。
いつも贈物等を運んでくれるロシア人の友人が普通の家庭ではスメ8を使っていて、凝った人がЗенитを使うと言ってました。そろそろEを持って来てくれる頃だなぁ...

ロシアのゴルフ:
最近、モスクワ周辺にゴルフ場ができつつあるようです。金持ち層が楽しみ始めたようです。

化粧:
目の周りと唇を強調するのがロシア女性の化粧の特徴だと思います。彼女は全く化粧をしていません。

Пока


Kiev,Zorki,Zenit,Smena お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/06] No.4552
 今日も会社、休んでいます。10連休。

 Smenaは使いやすく、故障も少なく、写真もしっかり撮れるすばらしいカメラです。ロングセラーでソ連の多くの人が持っていたのも当然です。私の持っている元祖スメナはこんなに良く撮れません。なぜだろう。スメナ2は良く撮れます。
 Zenitはプロ・アマ両方が使ったものでしょう。フォトスナイパーはプロ使用が多かったと思いますが。左写真はZenit-TTLのマニュアルにある写真です。Svema,Kodak,Agfa,それ以外は何でしょう。
 Kiev,FED,Zorkiはプロ使用が多かったようですが、普通の人も持っていたのでしょうか。プロにもいろいろあるけれど、プロ使用がほとんどだったと推定するには、製造数が多すぎのように思います。

 戦前コンタックスのフィルムマガジンは、黒でしょうか真鍮色でしょうか。黒塗装の戦後西側コンタックスのマガジンと、真鍮色のキエフのマガジンが手元にあります。

>時計の原稿106篇
 驚異的です。信じられない。。。


 
画 像 : img20050506082444.jpg -(40 KB)


ベルグソン お名前: Tarakowski さん [2005/05/05] No.4551
ですか。まずはフッサールかな、と思いましたが。「時間と自由」読んだような読まなかったような(中公の《世界の名著》か岩波文庫)、読み直します。

東小金井
わがフルサト、工事中でした。元祖スメナで撮りました。T-22(4cm,f4.5)このレンズ良いです。
画 像 : img20050505222423.jpg -(77 KB)


純粋持続 お名前: telefunken さん [2005/05/05] No.4550
時計の原稿106篇、書いちゃいました。あとは1200字のエッセー書いたら終わりです。こうなるとなんとなく名残惜しいような。入稿締め切りは5月9日ですから、いまからがボクの連休。
大坂さま
ティペラリの歌とは懐かしい。コレ、ジャン・ルノワールが「大いなる幻影」という映画で使っています。ドイツ軍の捕虜収容所でイギリス兵の捕虜たちが女装して踊る設定デス。収容所長がエリック・フォン・シュトロハイムで、名演でした。ジャン・ギャバンの主演です。
クロノス
4529へのレスです。Tarakowaskiさま
時間についてのマジメな論述は近代ではアンリ・ベルグソンだと思います。彼の純粋持続duree pureの観念は、大いに示唆的です。
コンタックスのマガジン
むかし家にありましたが、戦争で焼けてしまいました。それからあとは見たことがありません。むかしZeiss Ikonのフィルムがあって、それには最初にリードペーパーがついていたような記憶があります。製造はゲルツ工場だったのでしょう。
Zenit TTL
すごい広告の写真ですね。きれいなお姉さんですね。チョッとケバイけど、きれいです。それにゴルフ場のようなトコですね。ロシヤでもゴルフがさかんなのでしょうか。




支那人と鮮人を排斥せよ。 お名前: 国民愛国同盟 さん [2005/05/05] No.4549
国民愛国同盟

支那人と鮮人を排斥せよ。

日本人に対する暴動は、やつらの本質そのものである。やつらは根っからの犯罪民族なのだ。日本国内にも連中は日本人に紛れ込み犯罪の機会をうががっているのである。連中を日本から排斥し、支那・南北朝鮮製品の不買を全国に展開しよう。日本人に成りすましている支那人・鮮人を、公衆の面前に引きずり出せ。


いろいろ お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/05] No.4548
昨日は、秋が瀬公園までサイクリングで、炎天下、5時間ほどいました。そのため、今日は日焼けで痛い。

Smema,Zenit:
 Smena8Mは良いカメラでしょう。軽い、使いやすい、描写も十分実用的、と文句の付けようのないカメラです。日本では、多くの人はコンパクトカメラを使っていますが、ソ連でも、多くの人はスメナを使っていたと思います。
 一部の人はZenit-TTLを使っていました。図はZenit-TTLの使用説明書の1頁です。このカメラは、厚化粧のお姉さんが旅行に使うカメラだった?
 
5月4日:
 昨日は月4日だったのに、中国では目だった反日デモは無かったようです。私は、中国人に言いたい。
 中国人は靖国神社を歴史を捏造していると誤解している。甘ーーい。靖国は嘘をついていない。自らの役割に今もって忠実です。日本軍により靖国により、どれだけの中国人が殺されたか。中国人は歴史に目をそむけてはいけない。
 こんなところに書いたって、中国人はだれも読まないな。

労働奴隷:
 今日の朝日新聞1面トップ記事は『朝鮮人徴用100社調査』です。朝鮮から日本に送られた朝鮮人労働奴隷は70万人とも言われているのに、日本は戦後60年間、知らん顔を決め込んでいました。
 4万人中国人労働奴隷については、その悲惨な非人道的実態が、1993年のNHKスペシャルで放送されています。
画 像 : img20050505113652.jpg -(67 KB)


ワルシャワのスメ8M お名前: Tarakowski さん [2005/05/04] No.4547
ワルシャワの友人宅にもスメナ8Mがあります。玄関の電話台の小さな棚にしまったままもう何十年も使われていません。まさに「牝牛に鞍」のように押し付けられた社会主義の平等思想、良い子のカメラでした。その友人はその棄てられないほど想い出が詰まったカメラを「そんなにカメラが好きなら持っていって」とさかんに勧めるのですが「いいよこのカメラはここに置いてあるのが一番幸せなんだよ」毎回この会話を泊まる度にしています。
「軍艦」:
Masyaさま、最後まで教えて下さい〜!ところで当時、山科啓介か山上たつひこか、彼らの評価で私の周囲は真っ二つに割れていました。私は後者。


日の丸行進曲 お名前: telefunken さん [2005/05/04] No.4546
ソッソウデシタ。Masyaさま。ありがとうございました。たしかに。うーむ、歌詞の全体まで、思い出しましたとも。、これ名曲でした。
江戸の坂、東京の坂という本があります。持っていたのに出てきません。でも何かの文庫でも出ていた記憶があります。
そのうちにイギリスなみに、映画館でも国歌やるかもしれません。
キントト荘の総統は狂気の天才科学者タローに予算を使われすぎて、世界征服の夢やぶれ、土木工事のバイトをしてホッピーを飲んでいました。山科啓介さんの名作です。


お名前: けろけろ さん [2005/05/04] No.4545
やっぱり、ソ連のカメラで一番好きなのは、スメナ8Mです。これを通してソ連という体制下で庶民は幸せだったのだろうか、他にありえたかもしれない体制との比較というものを想像します。子供と呼ぶにはマニュアルカメラ自分で操作するだけの知識があり、しかし大人と呼ぶには、高価な家宝のキエフを触らせてはもらえない、写真好きのアマチュア写真家予備軍たちにとって、大切な道具であったはずのスメナ8Mが見つめていたであろう風景と、ソ連アニメの世界を重ね合わせてみています。こどもの日を前に。
画 像 : img20050504215307.jpg -(125 KB)


屋根より高い軍艦旗〜(マカロニほうれん荘より) お名前: Мася さん [2005/05/04] No.4544
Привет

昨日は息子の坂道撮影に付き合い、本日は親子共々ネガの整理でした。昨年撮った分は台紙をかなり追加しても収まりきれませんでした。
今まで撮った分もほったらかしだったのでネガアルバムがあと台紙を追加して5、6冊必要かもしれません。

軍艦マーチの替え歌:
♪ジャンジャガイモサツマイモ、芋食って豆食って〜でしょうか?

え〜っと...
総統、それ日の丸行進曲じゃありません?
♪母の背中にちさい手で 振ったあの日の日の丸の
 遠いほのかな想い出が 胸に燃え立つ愛国の
 血潮のなかにまだ残る

有本憲次 作詞、細川武夫 作曲、昭和13年、大毎・東日の懸賞当選歌で4月にビクターから発売...
野ばら社の「思い出の愛唱歌-唱歌・軍歌・流行歌-」に載っていました。

では、よい子供の日を!

Пока


楽天vs悲観 お名前: Tarakowski さん [2005/05/04] No.4543
半年振りに千葉マリンスタジアムにロッテvs楽天を観に。ロッテ首位で連勝中で球場は満員(いつも閑古鳥だったのに!)。ひとつ驚いたのは試合開始前に「国歌斉唱ご起立下さい」。あれいつから国際試合か天覧試合になったのかしら。最近のプロ野球はすべてそうしているんですか?(そういえば、この数年いつもナイターで試合開始後の入場だったな)試合はロッテの貫録勝ち。お供のカメラは風が強かったので大文字CONTAXのT3(一応ゾンナール35mm付)。これはこれで良いカメラ。
軍歌:
軍歌の替歌サイト発見。健全(?)なパロディー精神に敬服。しかし例の「軍艦マーチ」の腹ペコ替歌はありませんでした。


サイクリング お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/04] No.4542
 今日は天気が良いので、サイクリング。カメラはいつものZorki-4。レンズはゾナーコピーといわれているJupiter-3(50mmF1.5)。戦前ゾナーの1/10程度の価格で買えます。明るい日だったので、F8程度で撮っていました。

北方領土返還論(5月1日のNo.4510の補足)
 四島返還論は嫌いです。いろいろな返還論の中でも、一番嫌いです。アイヌから見たら、ウルップと択捉の間に境界を引く理由はないでしょう。北海道を含めて、アイヌの人口は19世紀以降急激に減少します。とくに、千島アイヌはほぼ絶滅しました。アイヌの悲劇には、日本・ロシア共に責任があります。いまさら、責任追及は不可能だけれど、過去の弾圧を栄光と言いくるめているようで、四島返還論は嫌いです。



Brass-Off! お名前: Tarakowski さん [2005/05/04] No.4541
という題名の英国映画。もう6〜7年前でしたか、サッチャー政権の炭鉱労働者切捨て政策に反対する労働党のプロパガンダ映画でしたが、英国のアマチュア・ブラスバンド文化を知る良い機会でした。どこの町にも優秀なアマチュアバンドがあって日曜に練習してるんですね。3年前オーストラリアのブリスベンの街頭で床屋の「ガクタイ」がイラク派兵反対のチャリティー演奏をしていました。オーストラリアには”And the Band Played Waltzing Matilda”というガリポリで片足を失った兵士が帰還し、パレードでブラバンが自宅の家の前を(だったかな?)例の「マチルダ」を演奏しているのを回顧する。その老兵の呟きを歌にした名曲があります。日本にはクミアイ運動もうたごえ運動も運動会もバンド文化も根付かないようです。組合やってるセンセイいますが、似た者同士の仲良しグループの親睦会。ニッポン人はbrassをblasと間違えますが、blasphemy(罰当りな)という単語があるので面白い。ちなみにbrass-offは「クビ!」

1.5の陽子さん
まだビット入れようか躊躇しています。ヘリオスくんやユピテルさんもキエフについてるし。まだコンタックス真理教に帰依できないなあ。


ゾンナルか? お名前: けろけろ さん [2005/05/04] No.4540
あさひ光三郎さま:はじめまして。モスクワ2とゾルキとの比較(SLRはゼニットCですか?)での「造作」の違い、は確かにありますが、これは、ツアイス社とライツ社の造作の違いをそのまま反映している面があるかと。お手本が違うのです。ライカの仕上げ精度の悪さ、雑なメッキなどと、コンタックスの虹目仕上げを比較すれば、歴然としています。

ゾナー:本当にいいレンズなら、現代に残ったでしょう。それがテッサーとの決定的な違いです。貼り合わせのバルサムが劣化しているのが殆どで初期性能維持しているのは皆無と思います。状態のいいものや、再生したものについては、ゾナー「も」いい、としても、プラナー(新世代の)や、ダブルガウスを越えるとは思いません。ゾナーはコンタックスと同様、その名だけが残ったのです。ノスタルジックな意味を求める、なら話は別です。

ブラコンtype6の1・5付きを持っていました。手がすりむけるので本体は処分しました。ゾナー1・5は、当時としては画期的だったと。でも現代で太刀打ちできるとは思いません。他にも何本かもっていますが、当たりはずれという域ではないと思います。


ゾナール お名前: 大坂 さん [2005/05/03] No.4539

と、ゾルゲ事件の供述書にゾナーが書かれていたそうです。

標準ゾナーですがf/2は開放でも背景のボケが渦を巻かず、四隅の減光も目立たず色のメリハリもあり、これは素晴らしい!と思いました(ライツズマールと比較してのお話です)。f/1.5は行きつけお店のミニライブ撮影で使えば、スッキリ描写でフレアーも感じずこれは凄い!と感じます。いずれも逆光だと絞りのままに丸いゴーストが出ますから順光撮影が無難です。

但しそれらの印画はデジタルプリントであり、従来DP機械よりメリハリある性質と3月発行のクラカメ専科で読みました。

先の替え歌カキコで、先生=日教組としましたが、今ではそうは思っておりませぬ(,_,)どんな職業の人でもオフタイムがあり家族があり…しかれども効かん児童生徒を相手の中、責められる事もある先生は大変ですm_ _m


替え歌 など お名前: 大坂 さん [2005/05/03] No.4538
行進曲な皆様

軍艦マーチの替え歌ですが、どこかの高校の応援歌があの曲を使っていると昭和の昔、NHKの『クイズほんとにホント』で見たことあります。戦後になって、その曲を使うのは止めようて動きあるも、存続運動あって歌い継がれてる、てのが当時の話でした。

中学のブラスバンド部、よく海兵隊マーチを練習してるのが聞こえました。敗戦前の日本の歌はダメでアメリカの軍隊ならいいのかよ?と先生方の身勝手さを思いました(先生=日教組〜共産党〜アカ〜弾圧を受けた戦前物は一切否定、という当時の私自身の偏見によるものです)。

最近知った、英国圏の『ティペラリーソング』もようございます♪


Contax中毒2 お名前: telefunken さん [2005/05/03] No.4537
それは直るのに時間かかります。ぼくはもう4回ほどやられてますが、どういうわけかI型にはあまり行きません。II,IIIで収まります。戦前のゾナー1.5は天下の名玉で、価格も非常に高く、ライカIII型エルマー3.5つきが310マルクだった時代に300マルク[もちろんレンズだけ)しました。一種の特殊レンズだったのです。Contaxの闇は奥深い。ライカの比ではありません。フレクトメーターとかに手を出し始めると、キリがありません。ビオターとかも危険です。


まーち お名前: telefunken さん [2005/05/03] No.4536
みよ東海の空あけて、旭日たかく輝けば、という愛国行進曲、あと、母の背中に小さい手で、振ったあの日の日の丸の、というナントカ行進曲(いかん、名前わすれとる)それからとったタズナに血が通うという愛馬行進曲、そのほかたくさんありました。ドイツはむかしも今も、フリードリヒ大王作曲と伝えられるHohenfriedberger Marschがいいような気が。あとはごぞんじフーチクのFlorentin Marschが好きデス。運動会の行進がないのですか。それはいけません。軍艦マーチの替え歌って、知りませんでした。戦時中はいろいろ軍歌の替え歌あったけど、軍艦マーチのは知りませんでした。


コンタックス中毒 お名前: Tarakowski さん [2005/05/03] No.4535
茅ヶ崎の名医さんから色々とContaxについて、とりわけ戦前のゾナーf1.5の開放描写の素晴らしさを教えていただき、さっきから世界中のゾナーを物色しています。アメリカ西海岸に綺麗な$170を発見。どうする〜!ボディーももう1台。あかんあかん。完全に「コン中」。

国民的行進曲
ウィーンの「ラデツキー」、ベルリンのリンケ「ベルリンの風」、米国のスーザの作品。我がNipponは「軍艦マーチ」か「君が代行進曲」?最近の学校は運動会の行進もしない(ナチス式敬礼はちょっと)ので、必要ないのかな??でも今日、吉祥寺の新星堂に寄ったら「仕事がはかどるマーチ」なんてCD売っていました(しっかりフチークも入っていました)。教育勅語のパロディーは筒井康隆が繰り返し書きましたが、「軍艦マーチ」のパロディー歌詞、どなたか最後まで覚えている方いませんか?「じゃんじゃんジャガイモ・サツマイモ!トマトにキュウリに、ナス・かぼちゃ」この次が思い出せません。無かったのかな?


5月3日 お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/03] No.4534
 今日は5月3日。満州を解放したソ連軍は、1946年3月12日撤退を開始し、1946年5月3日に満洲からの撤退が完了しました。
 日本国憲法施行は翌年の5月3日。最近は、憲法改正論議が盛んです。在日米軍をなくすための改正ならば賛成なのだけれど。在日米軍を強化し、自衛隊を米国の指揮下に入らせるための改正には反対です。職場の隣の米軍基地をなくして欲しいなー。

 あさひ光三郎さま。始めまして、管理人の金井です。投稿ありがとうございます。

Zorkiのフィルム送り:
 Zorikiの故障は少ないと思うのですが。Zorkiのフィルム送りの故障はどのような症状でしょう。フィルムを完全に巻き上げたのに指を離すと少し逆転する、あるいは極端に巻上げが重い、このような症状ならば、巻き上げ軸の取り付け不良です。使っているうちに、どこか緩んでずれたのかもしれません。分解して組みなおすと直ります。アンダーパーフォレーションならば、普通のことで、まあこんなもんだと思うより仕方ありません。フィルムがきちんと巻かれないで1枚も撮れていないのならば、それはおそらくカメラの不良ではなく、フィルム装填ミスです。


初めまして。 お名前: あさひ光三郎 さん [2005/05/03] No.4533
以前から拝見させていただいてましたが、初めて書き込みさせていただきます。
ソビエト製カメラは新宿の某専門店で買ったゾルキーが最初でした。
フィルム送りがうまく行かなかったので今は使ってません。SLRの「C」も
外観は良かったのですが、同じようにフィルムの送りが良くありません。
最近、モスクワ2をe-bayで購入して使ってみましたが、これはなかなか良い
造りで写りも良く嬉しくなりました。基本的にはスーパーイコンタのコピー
タイプになるのだと思いますが、ドレーカイル式の連動距離計を製造するのは
なかなか難しいのではと思います。当初はキエフと同様な形で作られたのかと
思いましたが、作られた所が違うのですね。当時カメラの世界では最も進んだ
ドイツ製を真似て作った物としては、前記のゾルキーとはかなり機械の造りが
違うように思えてなりません。単に大きさが違うので作りやすかったという事
でもないと思うのです。この辺がよく解らない所です。
またお邪魔します。


Gerlitz お名前: Tarakowski さん [2005/05/02] No.4532
はいはい、シュレジェン(シロンスク)のズゴジェーレツですね。あそこら辺は完全にドイツだったのにバカな国境線を引いたためにこんな事になってしまったのですね。本当に気の毒です。といってもポーランド人を追い出すのももう無理でしょう。


Kammersangerin お名前: Tarakowski さん [2005/05/02] No.4531
宮廷歌手、男性はKammersangerデス。東ドイツだけでなくミュンヘン、ウィーンでも使っていました。

数年前、ウィーンに行った時に土産物屋で「オーストリアにはカンガルーはいません」という英語のTシャツ売っていました。

SPQR
イタリア人がとてもここでは書けない下品な意味を教えてくれました。


aus Jena お名前: けろけろ さん [2005/05/02] No.4530
オペラに造詣のないけろけろです(冠詞が抜けていて分からなかったというのは負け惜しみです)。

aus Jena という銘を、「東ツアイス」の意味だと解釈するまじめな記述があって、笑いました(いくらなんでも。だいたいイエナに東も西もない)。

でも笑った後、案外教養に裏打ちされた誤解かもと。Österreich の古形 Austrasiend で、東の領域。でもAustralia ← australis (羅)南の土地、らしい。ゲルマン語とラテン語が違う意味でニアミスなのか?

いずれにせよ、aus Jena は、宇佐製(made in USA)と同じ類。

宮廷歌手は Hofkantor でしょうか(全然調べなくてごめんなさい)?Hof に宮廷の意味が残っているといえばいえるし、でも裁判所(Gerichtshof)、駅 (Bahnhof)の-hof と同様にお役所公認のという意味に近いかも。
そもそも東ドイツ「DDR」のRはReich だし、旧東ドイツの国鉄は、RB(Reichsbahn)の名前を維持したので、これも帝国とは限らないでしょうね(そういってもらわないと困る・・・)。領域というのが近い意味。ただし、帝国との連続性がない、というわけでもないでしょうか。

ローマ帝国の正式称号は、SPQR、今もローマの下水のマンホールやゴミ箱に彫ってあります。薄利多売、じゃなくて「 元老院およびローマ市民」。ここには領域性が欠けています。つまり属人的な概念だったのですね。

IT化による貨幣経済の重要性の相対化とその対偶である情報財の無償共有化によって、国家概念は領域性をローマ時代のように相対化させていくかもしれません。

マイヤーオプティックのゲルリッツ、はそもそもドイツ人の土地だったのですか、ポーランド人の土地だったのですか?最後の踏みとどまり場所、だったのでしょうか?フーゴー・メイヤーと書かずに、メイヤー・ゲルリッツとこだわっているようも思ってしまいます。


ロシアは復活祭 お名前: Tarakowski さん [2005/05/02] No.4529
1日は正教の復活祭だったそうですね。鷲津繁男さんという詩人で正教文化の紹介者、皆様ご存知でしょうか?学生時代に大変影響を受けました。歴史の勉強さぼってグノーシス主義にのめり込んだのも彼の影響です。一度お会いしたかったのですが先立たれてしまいました。詩人の加藤郁乎も最近名前を聞きませんね。
指導者マトリョーシュカ
我が家のはゴルバチョフで終わっています。今はプーチンなのでしょうか。

ContaxV
絞りを調節するためにカメラの正面をいちいち見なければいけない(レンズの状態を確認する)、シャッターダイアルを調節するのにわざわざ軍艦部を斜めから見なければならないなど、一見不便なようでとても大切な動作を忘れていました。ライカの「速写性」は撮影という儀式の優雅な心を現代人から奪ったのではないかと真剣に感じました。コンタックス=キエフ教入信。

階級社会
宮廷歌手から労働奴隷まで古代帝国とどこが違うんだろうと改めて感じました。
「インターナショナル」は古代人は歌わなかったか。

オーストリアとオーストラリア
授業の参考にとすでに絶版の「オーストラリア人のまっかなホント」を昨日ネットで購入。届いたのは「オーストリア人のまっかなホント」。医療ミスもこの次元のミスなんじゃないかと思いました。「オーストラリア人」は無料でいいとのことで、2冊とも読むことに。大した本ではないですが、面白い指摘もあります。Xenophobiaにはなりたくないです。いよいよ五・四ですね。

クロノスの翼
時間を真剣に考えたのはギリシア人だけみたいですね。インド哲学はかなり衒学的で中国人は白髪三千丈の国民でインチキだらけ。telefunkenさま、時計の仕事が一段落しましたら良書をご教示下さい。


やっと お名前: telefunken さん [2005/05/02] No.4528
おおっ、いまいましい時計が、ついにあと24本に、一日6本書くとして、4日か。うーむ、連休を食われてしまった。(ホントは毎日連休なのに)さいきんはコツがわかってきて、一日4本が6本になりました。
ネタにつまると、その時計を付けた自分を想像して、ニースの海岸に行ってる状態を書いたりするんです。北極に行ってゴマちゃんに見せてるとこはまだ書いてません。


さぁ、後半戦 お名前: Мася さん [2005/05/02] No.4527
ロシアはメイデイで1日、2日が休みです。1日が日曜なので明日は振替になるのかなぁ...カレンダーは2日だけが休日として記されています。
以前のカレンダーには祝祭日って記されてなかったんですが今年の記されているので便利です。

像:
胸像なんですが、指導者マトリョーシカがあるんでいいです。
ん、先日MTVでの古いプロモーションビデオを観ていたんですが、チェルネンコとリーガン(私はレーガンとは言わないんです)がプロレスで戦うというビデオを突然思い出しました。

赤旗:
私の高校の近所ってメーデーの名所だったんですが、何かその様子を見た覚えがない...この時期休みだったのかなぁ...
あっ日本共産党本部の近くでもあったんだぁ...

さぁ藤も撮ってしまったし、花組はちょっとお休みして息子に付き合って坂道の撮影です。

では、よい連休後半戦を!


八十八夜でございます お名前: みらんぢ さん [2005/05/02] No.4526
メーデー用だったのでしょうか?新品同様にきれいな色でした。
この赤は何という名称なのでしょう?旗屋さんに注文するとき、色の指定はなんていうのか?
などと気になりながら通り過ぎました。
画 像 : img20050502170932.jpg -(27 KB)


習性 お名前: telefunken さん [2005/05/02] No.4525
金井さま
に褒められると、なんだか嬉しい。話題を変えるのにはあまり苦労はないのですが、1本づつデータをチェックするのがなんともめんどくさい。がんばります。あと25本ぐらいのはず。
祝日
世間が休んでいると、なんだかホッとします。そうでないときは、罪悪感があります。サラリーマンだったころの習性がいまだに抜けない。


5月2日 お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/02] No.4524
今日は、5月2日。ベルリン解放の日です。5月7日とも言うけど。

スプール:
 Kievで使うスプールはいろいろと代用できるので、たいていの場合は代用品を使っていると思います。でも、Kievの表示があるアルミニウムのスプールが入っていることもあります。代用品のほうが使いやすいかもしれない。

労働奴隷:
 Tarakowskiさま、ご配慮ありがとうございます。フルシチョフ秘密報告は、スターリン批判でしょうか。強制移住は要するに移住だし、矯正労働は懲役なので、ちょっと興味の対象から外れます。せっかくなのにすみません。

プーチン:
 プーチンさんの銅像では魔よけ効果が薄のでは。スターリンさんかジェルジンスキーさんのほうがよろしいかと。

telefunkenさんは、すごいバイタリティーですね。いくら物書きが本職だからといって、よく、数十本も話題がいろいろ有りますね。

そうか、今日は祝日ではないのか、自分が休みだから、祝日のような気がしていました。


時計疲れ お名前: telefunken さん [2005/05/02] No.4523
Masyaさま
プーチンの銅像、やすいといえばやすいですね。
カルミーナ・ブラーナ。
ベルリンのジルヴェスター。ぼくも聞きました。ラトルは好きじゃないけど、この曲には向いていたかも。


ひゃぁ〜、スゴイなぁ! お名前: Мася さん [2005/05/02] No.4522
Привет
話題がスゴイです!

金曜は自宅のPCのメンテナンス後、近くの家の藤を撮りにいき、土曜は息子と一緒に自転車で越谷市の久伊豆(ひさいず)神社の藤を撮りに行きました。
カメラは撮りきっていなかったЗенит212K+Юпитер9、Москва2。藤の名所の割にはそれ程込んでなくて良かったです。3時間くらい自転車に乗っていたら腕が陽に焼けて...
WEBで調べていたら、亀戸も良さそうということで日曜は亀戸天神の藤まつりへ。こっちは有名なだけあってエライ人出。観光バスのツァーもあったようです。相変わらず狭い所で三脚を広げるジジィや記念撮影...
カメラは当初、久しぶりにКиев4AM+Юпитер12にしようかなぁと考えていましたが、大丈夫だとは思うのですがシャッターのことが気になってМир+Юпитер12にしました。これも久しぶり。あっそれとМосква2です。

誕生日/名前の日:
2000年12月、モスクワに出張していた時、いつも彼女の誕生日のパーティに出られない(ロシアでは職場などでもパーティを開くんです)と嘆いていたら、丁度12月に名前の日があるからと私のためにパーティの用意をしてくれました...
前日の日曜日、ちょっと買物に出たところ雪に足を取られて転倒、夜救急車で病院に運び込まれてギプスで固定...パーティ当日はホテルで安静...夜彼女達が用意したご馳走を持って部屋に来てくれたことがありました。
ロシア人も誕生日や名前の日を大事にします。

チェルノブィリ:
オレグのお姉ちゃんから聞いた話ですが、ベラルーシにいた頃の友達が事故発生から数年後、原発の後片付けにかりだされ被曝したそうです。そして結婚して生まれてきた子が...ということがあって彼女も大丈夫かなぁと思っていましたが昨年無事元気な男の子を産みました。
いつもカメラを買うワレリーの弟のサーシャの次男坊がウクライナで被曝したおそれがあると言われたことがありました。それから何度も会っていますが元気そうなので間違いであったと思っています。
私にとっては身近な問題なんです。

北方四島:
先日、NHKのニュースで伝えられていましたが、日本に近い2島と遠い2島では生活が違う。ちょっと島名は覚えていないのですが、遠い方は漁業でとても豊かなそうで近い方は日本に返還するつもりか中央から見捨てられたようにさびれているとか。

アプチヒー:
あ〜...後でちょっと調べてみます...

プーチン:
ここ数ヶ月、ロシアからの宣伝メールが多いのですが、モスクワの寿司屋の広告メールに笑いましたが、プーチンの銅像の宣伝メールには笑いました。
全高57cm、10kgで$230、39cm、6.5kgので$130。いかが?

Пока


カルミナ・ブラーナ お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4521
TVでやっていたので、久々耳にしてもう一度聴こうとCDを探しているのですが、こういう時に限って出てきません。丸いブリキ缶に入っているへんてこな商品なので、カミサンが不燃ゴミに出したのかな?ペンデレツキがクラクフのフィルハーモニーを振った演奏で、そのCDの独唱者が知人のフライベルガーさんというチェコ人でライプツィヒのDDR宮廷歌手でした。一緒に仕事をし、ベルリンの壁が崩れた時の記念演奏会(第九)のソリストでTVに出ていましたが、その後ずっと音信不通です。(ここから本題)DDR宮廷歌手なんて称号も滑稽でしたね。紫綬褒章というのもかなり相似点がある。でも帝国図書館の「書庫整理係」なら一日中本の中で暮らせそうなので採用試験受けます。ラテン語やっぱり勉強しなければ。


労働奴隷 お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4520
金山さま
「ロシア史研究」第75号(2004年)に半谷史朗『フルシチョフ秘密報告と民族強制移住--クリミア・タタール人、ドイツ人、朝鮮人の問題積み残し』という論文があります。コピーを送りましょうか?手がかりになるかもしれません。


足はいかん お名前: telefunken さん [2005/05/01] No.4519
前にも書きましたが、谷譲次さんの随筆で、日本からの客がアメリカ列車のコンパートメントで、あろうことか靴下まで脱いで、指を伸ばしたとか。むかいに座った婦人が悲鳴を上げて、車掌が飛んできて、猥褻行為のかどで次ぎの駅で下車を強制され警察に連行です。第1次大戦前、ピュリタニズム華やかなころのアメリカでした。legというコトバはわいせつなので使用禁止、footは良かったそうです。


おおっ お名前: telefunken さん [2005/05/01] No.4518
Tarakowskiさま、あなたは天才デス。第2次神聖ローマ帝国が誕生したら、帝国図書館長に推薦します。この職務は宮廷伯を兼任するならわしです。まさにその本です。よくぞ教えてくださいました。この題名さえわかれば、あとはボクの友達のムラデク博士に頼んじゃいますので、あとはお気遣いなく。Nochmals vielen Dank!!!


足の裏の話 お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4517
大坂さま
25年前(昔話ばかりですみません)大学のロシア語の会話クラスに台湾の政治大学(エリート!)からの女子留学生がいました。授業でカルチャーショックの話題になった時に、彼女が日本に来て、タクシーの運転手が路肩に停車して休憩・休眠する際に靴下を脱いでハンドルに足を乗っけて裸足の裏を見せて寝ているのを見て「なんて下品な国民!」と大変がっかりしたそうです。裸足を他人に見せるのは恥の文化なんですね。
私もポーランドの家族や親戚の家に泊まる時、なかなか靴が脱げず辛い思いをします。逆にポーランドからやホームステイで外国からの客人が我が家に泊まる際は穴の開いた靴下を結構履いていて、気を遣うこともしばしばです。

私のキエフ用スプールはNZのオークランドで見つけたものですがフィルムを凸状に切らないと駄目なタイプです。巻き込みもしっかりしていて事故はないのですが。


フィルムスプール お名前: 大坂 さん [2005/05/01] No.4516
スプールな皆様

クラカメブーム恩恵でライカ用スプールに部品を追加したコンタックス用が確かに4,5千円で売られてますが、悪くは無いのですが、ツバが小さくキエフ、コンタックスのフィルム押えバネに引っかからず、カラカラと落ちてしまいます。

135フィルムを現像する55分プリントなどの街中ミニラボで廃物のスプールを頂き、軸にフィルムを通す切れ込みを糸鋸の類で入れて、厚紙またはYシャツを買った時に付いてくる襟の型崩れ防止の透明プラ板からツバを切り抜き貼り付けます。また軸の頭は多少削る必要あるかも。

同時にパトローネ側には同じ板で下駄履かせのドーナツを作って、スプールと対で使います。パトローネのままだと画面に著しく送り孔が被ります。

費用0円、手数少々で写真生活が楽しめますので試行してみて下さい。


父子鷹 お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4515
telefunken さま
お探しの書は 《Die Korngolds in Wien: Der Musikkritiker und das Wunderkind》 Julius Korngold, Schwieizer Vlgsks, 2002 Zurichですか?ウィーンの知人にも聞いてみましょうか?


メーデー お名前: telefunken さん [2005/05/01] No.4514
戦後すぐのメーデー、『立て労働者奮い立て』とかいう歌を歌って、ゾロゾロ歩いてたのを見た記憶があります。戦前のメーデーはかなり過激だったとか。西尾末廣という活動家が逮捕されたとか、いろいろあったようです。
ヘリアーネ。
終盤息切れは御目が高い。さすがですね。
Korngoldの父親は有名な音楽評論家だったそうですが、Wienの友達にその論文を探してもらってます。


1985年の中央メーデー お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4513
入社2年目で代々木公園に動員で連れて行かれ(一応本人の意思?)、行進に加わりました。代々木八幡までのルート。赤旗でした。「オイ、お若いの!シュプレヒコールやれ!!」と古参の先輩に指名れてアドリブで「祇園精舎の鐘の声〜!」「諸行無常の響きあり〜!」(一同真っ青・中略)「驕れるXX内閣久しからず〜!!」(拍手大喝采)メーデーに参加したのは前にも後にもこの1回だけです。家に帰ると姉から「おじさんになったよ」(姪が誕生)忘れられない蒸し暑い1日でした。その姪も今日で二十歳です。要するにメーデー(目〜出〜度い日)。スターリン世代のカミサンは「特に感慨ナシ」犬と散歩ばかりしています。今日は家中のフィルムが入っているカメラで犬と一緒に写真ばかり撮っていました。4台空になりました。まだ2台いつ入れたか分からないフィルムが入っているカメラが。明日は雨。
ヘリアーネ:
素晴らしい作品ですね。ずっと毎晩聴いています。今Dritter Akt聴いていますが、第一印象はやや終盤に音楽的に息切れかな、という感じです。でも第1幕の完成度は素晴らしいです。(ヘリアーネの出番が少ないけど)ハリウッド映画もそうですが、もう少し完成に時間をかければ「ルル」なんかよりはずっと有名になっていたのに。まだ聴いたうちに入らないので、勉強しながら繰り返し聴いてみます。


今日はメーデー お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/01] No.4512
 今日はメーデー。要するに、何の日でしたっけ。

 1952年に血のメーデー事件が起こっています。1956年に日ソ国交回復したとき、ソ連大使館指導で革命運動が起こるのではないかと真剣に心配した人や、真剣に期待した人たちもいたようです。

 今日はスーパーで買い物。手芸屋さんで、赤紐を買いました。カメラストラップにしようかと思って。


ヘリアーネ お名前: telefunken さん [2005/05/01] No.4511
Tarakowskiさま
レス遅れました。ヘリアーネ、良かったですか。Die Tote Stadtは、もっと退廃的らしい[ボクも全曲聴いてなくて、アリアだけつまんで)。少年ドナウは笑いました。
けろけろさま
Die Tote Stadtはコルンゴルトのオペラで、原作はローデンバッハの死都ブルージュです。
黙示録と異端審問。面白いですね。考えてみます。(あーまたしても時計の影が)


北方領土返還論 お名前: 管理人(金井) さん [2005/05/01] No.4510
 Tamaさま、ご指摘の通り、私の書き方だと、二島返還論を主張しているように見えますね。日本政府は1955年までは二島返還論、それ以降四島返還論です。特に、1955年以降は一貫して四島返還論です。このため、政府の四島返還論を批判するためには、かつて政府が主張していた二島返還論を持ち出すのが楽なので、なんとなく、二島返還論のようになってしまっています。
 政府が二島返還論だった時代、この考えは、北海道選出議員を中心に批判を受けていました。千島歯舞居住者連盟の人たちには受け入れられないでしょう。二島返還論だと、連盟分裂になってしまいます。政治はお互いの利害対立を調整するようなものだから、それぞれの立場で、いろいろな意見が出るでしょう。
 私は、北方領土に何の利害もありません。はっきり言って、無関係者。そういう人間が無責任な処方箋を出しても意味がないと思います。

 北方領土には、返還不要論から、バイカル湖以東日本領論まで多々あります。バイカル湖以東は極端として、どのようにまとまったとしても、あるいは、まとまらない状態が永続したとしても、どれでも良いと思います。そんなことよりも重要なことは、どのような状況であっても、諸国民・諸民族の友好関係でしょう。人間同士の。民族反感をあおって、そこから不当利益を得ようとする死の商人の術中にはまってはいけません。

 もし、四島が日本に返還されたら、現居住者はどうなるのでしょう。また、四島に居住したい日本人がどれだけいるのでしょう。日本に返還された後も、現居住者はそのままにしようとの意見があります。もっともな意見のようにも感じますが、では、その後の住民自治権はどうするのか、その後、住民の圧倒的多数がロシア帰属・独立を希望したら、自衛隊を出動させて弾圧・虐殺するのでしょうか。この問題は、二島返還論でも同じ問題が生じます。現居住者を強制移住させるならば、このような問題は生じませんが、不必要な不幸を新たに発生させているだけなので、賛成しかねます。
 もちろん、日本人の中に、北方四島に永住を希望する日本人が多数存在し、住民の圧倒的多数が日本人になるならば、こういった問題は生じません。ちょっと、現実には考えられない。千島歯舞居住者連盟青年部の人たちの中に、北方四島に永住を希望している人はどれだけいるのか、聞いてみたいと思っています。失礼にならないような文章が書けないので、まだ聞いていません。
 北方四島に永住を希望する日本人が多数存在するわけでもないのに、返還運動とは、いったい、何を目的にしているのでしょうか。政治家のメンツ・人気取り と、いかがわしい取り巻きの利権ではないかと思えてなりません。政治って、利権だから。
 
 民族・国家は19世紀・20世紀の遺物のようにも思えます。20世紀の国家概念は2度の大戦と冷戦をもたらしました。今後は、20世紀的思考と異なった、国家概念が生まれてくるのではないかと期待しています。


貴以府 お名前: けろけろ さん [2005/05/01] No.4509
Tarakowski さま

きへふよかつたですね。スプールですが、フィルムマガジンのはいかがでせう。ジャンクで安くでています。スプールより安いのって不思議ですね。

てっさん好きです(陽子さんに対してなら四郎君?)。ヴェラ、ローライ35、コンテッサ35を先月たてつづけに買ったというのはすでに書きました。YCのパンケーキは旅行用に不可欠です。ペンタックスが始めてだしたコンパクトカメラが35AFでしたが、このテッサー(タイプ)のレンズはすごいです。ビラ・アドリアーナを撮った大伸しの写真がカメラに復帰したきっかけでした。誰もが一眼レフで撮ったと信じて疑いません。それに引き替え陽子さんにはいい思いがない。はずればかりという説もあるけど、そういう描写なのかと。

ドイツ語で実際にどういうかは分かりませんが、Todesstadt死者の街 Totenstadt 滅亡した市、のような。でも辞書とかには、Totenreich 冥府とあるから、よく分からない。

telefunkenさま:ポール・クローデルですか?アマーロのがぶ飲み(一度やりました)は、気をつけないといけませんね。黙示録と異端審問との関係は?(お忙しいのにじゃましてごめんなさい)


アン・デア・少年・ブラウエン お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4508
「美しく青き」でしたね。


消え府(Tote Stadt) お名前: Tarakowski さん [2005/05/01] No.4507
昨日、土曜講座で高校生にオーストラリア国歌を聴かせた時に気付いたのですが、前奏の「タタタ、ター」はベートーヴェン運命の完璧なアナロジーなんですね。今まで何度も聴いてきたのに気が付きませんでした。ショスタコーヴィチのスコアにも結構そういう小細工が多いのですが、マーラーの交響曲第4番の第1楽章の冒頭の主題、Jシュトラウスの「美しき青きドナウ」の痛烈なパロディーのアナロジーです。私にはドイツカメラ文化の宝石のようなContaxが社会主義ソ連で冷戦時代に延々と作られていた「奇跡」にこのマーラーのメロディーが強く重なります。

大坂さま
フィルターの情報有難うございます。つけようかつけまいか迷っています。でもそれよりスプール、今持っているのはフィルムの先端を少し鋏で切らなければならないタイプで、それは別に苦にならないのですが、しっかり巻き込めないのでやはり純正スプールを入手しようかどうか迷っています。4〜5k円。高いですねえ。

テッサー
茅ヶ崎の名医にクリーニングしていただいて、冴えた描写をするようになりました。私も陽子ちゃん(ゾナー)にあこがれてローライ35もゾナー付を愛用しておりましたが、哲っちゃん(テッサー)を見直しました。ここ数年使わなかったテッサー付のフレックスも使わなければ。カメラを選んでているうちに連休が終わってしまいそうです。

5月の陽射し
強いですね。露出計が振り切れてしまいます。今朝の「天声人語」の「アチュー症候群」(まぶしいとクシャミが出る)私もそうです。ロシア語で「アプチヒー」だと書いてありますが、Masyaさま本当ですか?ポーランド語ではpsikプシ〜ク(クチョン)かa psikアプシーク(ハックション)です。


お名前: Tama さん [2005/05/01] No.4506
先日、北方領土の記事を掲示板にPostいたしましたTamaです。管理人さんがご丁寧に、記事への見方を答えていただいたことに、感謝申し上げます。
小生の方で察しますと、管理人さんの最終的なこの領土問題の解決方法は、やはり2島返還がBestと思いますが、そうでしょうか?1956年の共同宣言や昨年11月のプーチン大統領がSuggestしているように。。。



フィルター追伸 お名前: 大坂 さん [2005/04/30] No.4505
投稿前に一度落ちつくべきでした^^;

ケンコーフィルターは本来の用途以外に利点があるのでした。
前面にネジが切ってありこれが、40.5ミリ系フィルターと同寸。ここにネジコミのレンズフッドが付きます。

純正品は半ば文化遺産と化してますから、お気楽現行品が嬉しいです。


ContaxIIIなど お名前: 大坂 さん [2005/04/30] No.4504
ぽつりぽつりとですが、、/._.

Tarakowskiさん、ConaxIII=ユニバーサルコンタックス復活おめでとうございます。

テッサー5cmのレンズ保護フィルターを検討されるなら、ケンコーの特注品で被せ42ミリ系のスカイラトか素通しガラスが買えます。注文番号をしらべて量販店で入手可能。2500円位。
http://ec1.kenko-web.jp/ec.nsf/listfilterTokCategory?openagent

戦前のA型ライカのレンズ(エルマー等)は紫外線ライトを当てると蛍光を発するという中川一夫さん著作を読んで以来、古いレンズにはUVに順ずるフィルターを付けてます。


ソ連産苺ジャムは、懐かしい食べ物の記憶の一つです。他にはガチガチに皮の堅いサンジェルマンのフランスパン、メチャクチャ塩っぱい桃屋の烏賊の塩辛、北海道は古平産のこれまた苦い位しょっぱい切り込み(鰊の塩辛)。


ヨハネ お名前: telefunken さん [2005/04/30] No.4503
チョッと時計から逃れて。
アブサントが作るミドリの列柱、と歌ったのはランボーですが、ヴェルレーヌはアブサント中毒でした。つまりペルノーの飲みすぎです。ヴェルレーヌの子孫のトム・ヴァーレーンというのがパティ・スミスの歌の作詞やってます。
ヨハネの時代もニガヨモギの成分をアルコールで抽出していたのかも知れません。彼が預言者として機能するためにはそういうものを飲んでハイになっていたのかも。
謡曲の中で、業平の霊が、旅の僧の前に現れて、わが名を何と夕映えの、と謡うところがありますが、この夕映えの、のところを、Euphaenos, Iohannesと変換していった詩人がいました。


労働奴隷 お名前: 管理人(金井) さん [2005/04/30] No.4502
今日は、ヒットラーさんの命日ということで。

アルバイターラゲーリ:
 手元に、労働奴隷葉書があります。ドイツ切手コレクターには有名なものらしいのですが、私は良く知りません。
http://cccpcamera.myhome.cx/Hi-Ho/Stamp/GermanOCUP/LaborSlave.htm
 Tarakowskiさま、こういったものをお持ちですか。

 ぜんぜん分かってないので、教えてください。いくつか類似のものを見たことがあるのですが、ウクライナ宛が圧倒的に多いように思います。なぜでしょう。たまたま、私が見たのがそうなのか、実際に労働奴隷にはウクライナ人が多かったのか、どちらでしょう。ヒットラーの考えでは、ナチス占領地の中で、ウクライナ人は奴隷身分だったのでしょうか。

 それから、労働奴隷だった皆様には、戦後補償は支払われているのでしょうか。また、労働者弾圧企業の責任はドイツではどのような扱いになっているのでしょう。

 日本でも韓国や中国から事実上の労働奴隷を徴用したことが知られています。しかし、このような専用の葉書は作られていません。補償もほとんど支払われておらず、企業責任もほとんど追及されていません。企業が存続している場合の不払い賃金の請求さえも大変なようです。


お名前: けろけろ さん [2005/04/30] No.4501
absinthium(羅)absinthe(仏)assnzio(伊)Wermut(独)Chernobyl(露)。
アブサン、アマーロ、ベルモット、はこれらからきているのですね。麻薬作用があり、仏ではすでに禁止になったとは知りませんでした。一説には黙示録著者ヨハネはニガヨモギを飲みながらあの内容を書いたとか(自分で毒と分かっていながら??)。黙示録は二元論そのものでは?東方教会が10世紀になってからあえて正典に加えた理由は??10世紀というのがひっかかります。11世紀なら何となく分かるような気がするけど。


ヨハネの黙示録 お名前: Tarakowski さん [2005/04/30] No.4500
「ニガヨモギ」は新約第8章11−12節です。久々聖書を開けました。


お名前: 管理人(金井) さん [2005/04/30] No.4499
チェルノブイリとスリーマイル:
 スリーマイル事故のとき、日本の原子力関係者は、必死に情報収集をしていました。日本の原発の安全性に係わるので。チェルノブイリのときは、原発のタイプが違うとの理由で、対岸の火事のようなのんびりした雰囲気だったようです。

イチゴジャム瓶詰:
 うーん、臭いがあまり気に入りませんでした。何て言うのでしょう、フルーティーの反対。
 池袋サンシャインのワールドインポートマートや、神田古書センターの新世界レコードに売っているかなー。

訂正:
No.4490で「歯舞千島居住者連盟」と書きました。「千島歯舞居住者連盟」の誤りです。

訂正:
No.4494で「会社の入口に半期が掲揚されていました」と書きました。「会社の入口に半旗が掲揚されていました」の誤りです。


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