Return
ヌルハチキエフ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/19] No.4403
例のウィーンの481616番キエフ、今日もまだ720ユーロで出ていますよ〜。お買い得ですよ〜(煽動) 黒塗りイエナ・コンタックスのフェイクは2万円ちょっとで終了していました。 ポーランドだったら5K位でしょうか。私のライカDUは片目が失明しかけていましたが、ボディーが5K、白内障のエルマーは2Kで買いました。まだ壁があった頃のお伽噺です。
花
お名前: telefunken さん
[2005/04/19] No.4402
自生している花でないと、認めませんでした。子供のときです。いまでも自生のものが好きです。近くの多摩川上水の岸には、ミヤコワスレをはじめ、さまざまな花が咲いています。
いろいろ
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/19] No.4401
サクラソウ 今日は家を早めに出て、サクラソウ公園に。自生のサクラソウは見頃でした。当分見頃かも知れない。カメラはZenit-TTL、レンズはインダスターの50mmマクロ。これが失敗でした。柵があって、近づけない。望遠を持って行くんだった。そういうわけで、会社は遅刻。 藤: 長瀞あたりの荒川断崖に野生の藤が奇麗です。自生している花が好きなもので。 金型加工: 今は、NCカッターを使うので、CADデータができれば、金型加工の工数はそれほどかかりません。大物でも1.5ヶ月もあれば良いので、小さいものなら、テストを含めて1週間もかからないでしょう。昔は、熟練工が旋盤などを使って、作っていたから、熟練工のあきと腕次第だったのでは。でも、それほど、かかるものではないでしょう。 47年KievにはCONTAXの文字を削ったものが知られています。単にCONTAXの部品が余っていたので、捨てるのももったいないから、使っただけのことだったりして。 金型は当然磨耗します。樹脂金型でも寿命が有ります。耐用期限が切れたものだと加工精度が悪くなります。角のアールは、今では図面から正しく作られている場合があるのですが、昔は(今でも一部)職人の感で作りますので、1番型と2番型で微妙に違うことが有ります。樹脂型の場合は、わざと図面と違うように、職人の経験と感で作って、成型したときの、そりを小さくするようなことも行われます。もちろん、これは国内の話で、中国に発注したときはそういうことはありません。 Kievの故障: シャッター周りの故障は多いと思います。それと、セルフターマー。歯車が複雑なので、ごみやモルとの切れ端を巻き込むと、不調になります。それから、シャッターを巻き上げた状態で、シャッター速度を変更するとき、シャッターが開くのを防止するための引っかかりが悪くなることが有ります。
あ〜あ〜、はてしないぃゆめをおいつづけぇてぇ〜
お名前: Мася さん
[2005/04/19] No.4400
って何かシャレにならんような... Привет そっかー、私Киевのリボン切ったことがあるんです。今おかしくなっている4なんです。 切れる前から何か感触が変だったのでいじっている内に...そういえば大学二年の時に写真部の悪友(ボンボン)のCOANTAX(何だったかなぁ...)が体育祭での撮影中にリボンが切れたことを思い出しました。 当時はEMを買った時に貰った「ニコンの世界」で朝鮮戦争時のダンカンの話を読んでいても何のことかわかりませんでした。 辞典: もうちょっと単語数の多いのが欲しいし、もっと持ち運びに便利なのも欲しいです。 彼女と一緒に仕事していたころ、コピーするとかテストするとか辞書にない単語が出てきたりしました。最近ではロシア人掲示板で花見するというような動詞が出てきたようでした。 花組: スキャナーがないのでアップできないんですぅ。デジカメのイメージはその掲示板のфотоальбомにアップしたりします。 サクラソウ...一度浦和の田島が原の自生地に行きました。ちょっと不便でしたが今や自転車があるからいいかな?でも荒川のほぼ対岸にあたる浮間公園にサクラソウ園があるんです。ここは近いです。 大分前にフィルムについての特集で買った「カメラマン」誌(丁度ロシアカメラの特集もあった)に北海道のシバザクラの写真があり、撮ってみたいなぁと思っていたら秩父で見られる...一度行って懲りました。先日行った足立区の都市農業公園にほんの少しシバザクラが咲いていました。 最初は彼女に日本の桜を見せたいと思っていましたが、日本的な花なども見せたいです。バラなどは日本で発表された新種を(ロシアで一番早く)見せたいと思っています。昨日、その彼女からダーチャ(別荘)の庭に咲いた花やチューリップの様子(まだ咲いていない)が送られてきました。 今月はチューリップ、ツツジを、その後は藤にバラ、梅雨には菖蒲...息子は最近ツツジが根津神社、菖蒲が堀切ばかりだから飽きたって...じゃぁ塩船観音寺(青梅)か?藤がねぇ...亀戸天神は改修工事後、藤の育ちが悪いです。 連休は、息子と一緒に都内の坂道を撮ることになりそうです。タモリの本の影響です。 Пока
Shall we dance?
お名前: けろけろ さん
[2005/04/19] No.4399
ギアについて伺います。戦前のコンタックスUが手元にありません。いろいろと写真などをみても1条のように見えるのですが・・。キエフ4は1条ですよね。 金型って摩滅するのですか?コンタックスの外装部品をつかったキエフ49は、角がまるまっているが、新たなラインによる外装品のエッジは立っている、ということはありませんか(今回画像で拝見した3例をみるとエッジが微妙に違っているようにも見えます)? 金型の摩滅ではないとしても、金型の設計でそういった角のアールは微妙に違ってくるようです。今回のニコンのSP復刻でもそういう指摘をみました。 47年コンタックスでは、わざわざコンタックスのロゴをつぶしています。ということはこの段階ではまだ外装部品の金型はできていなかった(できていたら新しいのをプレスした方が手っ取り早い)とみるのが正当です。プレス用の金型は、作るのにかなり時間がかかりますか?納入したラインにこの金型は含まれていたのでしょうか? 一番わかりやすいのは、ボディの貼り革です。コンタックスは上質のモロッコ革です。キエフは普通のしぼ皮革です。まぼろしのキエフコンタックスを含めモロッコ革の貼り革のは存在したのでしょうか? セルフタイマーレバーは、どうみてもよく分からないのですが、どこが違うのでしょう? 花組に対抗して、舞踏派というのはどうでしょう(情報に踊らされているのです)。
あ〜あ〜、河の流れのよ〜に〜、っと。
お名前: かぱまん さん
[2005/04/19] No.4398
みらんぢ様 ご教示ありがとうございます。「プリズムが折れた」というのは、落下か何かさせた結果なのでしょうね(想像するだけで恐ろしい)。とすると、プリズムの折損だけではすま無さそうな気がします(こわいこわい)。 リボンが切れた時に味わう「もの凄い脱力感」を経験してゆく事で、キエフ少年はだんだん大人になっていくのでしょうか? もはや中年ですから、こーいう話に人生を感じたりします(笑)。
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/19] No.4397
かぱまん さん わたしの個人的なせまーい話ですが、コンタックス系の故障は余り聞きません、リボンが切れたとか距離計の不動くらいです(プリズムが折れた)。 巻き上げはライカ系のように指の腹で巻き上げノブが回るような滑らかさはないとおもます。 わたしの個人的に知っているせまーい範囲での話です。 でも、わたしはまだ未経験で、以前Kiev-noteさんから聞いたのですが リボンが切れると、もの凄い脱力感に襲われるそうですね、そうなると恐ろし。
ひぇ〜っ!
お名前: かぱまん さん
[2005/04/19] No.4396
けろけろ様 >一気に、マニアな(大坂さま風)キエフ49どうでしょ? もし仮にソイツがちゃんとしたヤツだとして、僕なんかが所有してしまうと、まさに「猫に小判」状態になっちゃいますよ〜。僕が欲しいのは、ちゃんと使えるごくごくフツーのキエフでして…。 キエフを触ると、どうも機械として危なげな感じを持ってしまいます。これは整備不良だからなのでしょうが、新品当時の感触はやはりもっとまともなものだったんでしょうか。 フィルム巻上げが柔らかい(滑らか)から調子が良いともいえない、という意味のアドバイスがあったように思いますが、逆にけっこう渋い作動感でも一概に調子が悪い、とはいえないのでしょうか。因みに、京都でただ一台(と思われる)のキエフ4は、フィルム巻上げ、シャッター速度セットともにけっこう渋い目の感触でした(でもメーターはちゃんと動いているしファインダーもかなりきれいだったんですよねー)。 キエフ初心者としては、とりあえず一台精進して、使ってみて、壊してみないとわからない事が多いのかなぁ、と考える次第です。
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/18] No.4395
管理人(金井) さん 売り買いの話は掲示板でしてもよいのでしょうか?問題がありましたら適宜にご処置下さい。 質問のレスポンスも良いしカメラも好きそうなヒトですね。 しかしケースは沈銅タイプではないのです。 1949はかろうじて手に入れられる、いわば遅れてきたコレクターに残された最期の初期キエフですね。 数量的には日本製の同時代のコピーライカ機と大して変わらないですから 数千台もある数量からすると希少価値があるのかどうか判りませんが 国産のバルナック型と較べて値段的にも納得がいきます。 なんといっても*世界一いいカメラですからね〜(*注 この啓示坂内限定) 大阪さん
>パソコン通信、インターネットで顔も名も知らぬ多くの人から色々と教わり、今の道楽があるのもそうした人のおかげであります。 ほんにそうですね。番号の本、参考になります、ありがとうございました。
お名前: けろけろ さん
[2005/04/18] No.4394
みらんじさま、大坂さま、行き違いました。失礼しました。 みらんじさま:本当にきれいにまとまりましたね。ちょっと計算ではできないほどに。ただ謎は深まります。 大坂さま:本当にありがとうございます。わたくしも同じ思いをしています。ただ、違うのはわたくしの場合は教わるばかりだという点です。お恥ずかしい限り。 かぱまんさま:一気に、マニアな(大坂さま風)キエフ49どうでしょ?ただ動くかどうかは確かめてから。
誤記
お名前: けろけろ さん
[2005/04/18] No.4393
ゴキでしたね。ゴキ。今日一日、ずっと楽しんで考えていたのにぃ〜。ちょっと残念。6けたなのに使っている数字が3つしかないとか、いろいろ推理していたのですが・・。 でもだからといって真正かどうかは別です。また完動かどうかについても言及なし。ということは動かないとみていいのでせうか? ギアの部分は途中からの修理とかありえますので何ともいえませんね。 花組、いいですね。写真のUP楽しみにしてます。こちらは何だろう?星組?そんなきれいな感じではない。数組ですか?
C.Z.J.レンズ本など
お名前: 大坂 さん
[2005/04/18] No.4392
けろけろさん、telefunkenさん: telefunkenさんからもお墨付きのコメントがありますが、戦前イエナと戦後イエナ(すなわち東独)のレンズの情報の本であります。なので西ドイツのツァイスの番号とは別系列です。仮に560万台とするとイエナは50年代末のレンズ、ビオター58/2とかですが、西ドイツだヤシコンが出た70年代半ばと思われます。 謎が残るのは、1本単位で試作レンズが載ってるのに、スモール本やクッツ本にあるゾナー5.8cmや6cm、ライカゾナー、その他のレンズが出ていないのです。 伝聞では、西ドイツのツァイスレンズの番号のリスト本は未刊行です。telefunkenさん、西ドイツツァイスのレンズリスト刊行を是非是非、欧米の権威な方々にプッシュして下さいましm_ _m あちこちに出現の意図ですが、パソコン通信、インターネットで顔も名も知らぬ多くの人から色々と教わり、今の道楽があるのもそうした人のおかげであります。故にネット上で分らなくて困ってる人のカキコを見つけたら答える様、心がけてます。 『クカラチャ』ですが、キャパの撮影した崩れ落ちる兵士が、撃たれる直前にその歌を歌いながら突撃した、と『ちょっとピンボケ』の後書きに書かれておりました。
残念、がっかり
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/18] No.4391
ラ・クカラチャ、タラカンからの見事なゴキつながりでしたね、こんなに一体感のある掲示板は他にはありません、素晴らしいです^^。 管理人(金井) さん
>フォーカシングギアが二条か一条か ミッシングリングは1949辺りにあると一番スッキリしそうですが、興味深い部分です。 それにしてもお小遣いがあったら欲しいところです。わたしのよりキレイに見えます。ヒトのキエフはキレイに見えるのかも知れませんけどねー
4929XX
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/18] No.4390
4929XX: キエフの89XX は、説明の誤記でしたね。みらんぢさんの質問で画像をアップしたのでしょうか。画像では、492984でした。 みらんぢさま、フォーカシングギアが二条か一条かの違いは、いつごろから現れるのでしょう。不思議です。 じゃがいも: telefunkenさま、お手数をおかけしてすみません。 今日、本屋で、機械時計の2000円の本を見ました。ちょっと立ち読みできる量ではないですね。 花組: 桜、お好きですね。サクラソウが咲いているそうですが、こちらは、いかがでしょう。 ところで、加須市ではノウルシが咲いているそうです。見沼田圃にもあるとか。
ゴキ(2)
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/18] No.4389
1974年から刊行されたソ連科学アカデミー版「スラヴ語源辞典」、ソ連崩壊後も連綿と出版され続けていますが、まだO(オー)で30巻、ゴキブリの「T」まで何年かかることやら。同じアカデミーの「ロシア語語源辞典」は絶対に私の生前に完結しないと分かり、予約を止めてしまいました。Kまでなら持ってますので調べられますが、あまり役に立ったことがありません。
ゴキ
お名前: telefunken さん
[2005/04/18] No.4388
クカラチャ、アメリカ人のジョークで、ハワイにゴキブリが多いことを皮肉って、あの歌がハワイ国歌だ、と言ったのです。この男は、ぼくに向かって、お前は不死鳥だ、といいました。灰の中から、立ち上がる、というのです。ぼくはヘビースモーカーでだらしなくて、灰をヒザとか、そのあたりにこぼすんですね。
キエフの89XX
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/18] No.4387
けろけろさん タイムリー?に9000番に達しようかという1949年が現れてしまいましたね。 1949も最終の方とするとパーツが異なっているのは納得させられてしまうのですが、微妙ですね。 レンズの番号帯は、これまた微妙な番号に思えますねー。 この価格帯はこの年代のキエフの「相場」になってきたのかも知れませんね 沈銅のレンズは雰囲気がいいですが、ケースはどういうカタチでしょう? 聞いてみましょう^^
スッゲー!
お名前: Мася さん
[2005/04/18] No.4386
Привет 土日って自宅でネットというのは、モスクワに写真を送るくらいしか使わないんです。 多少はサイトを見たりしますが、この盛り上がりには驚きました。 スプール: あっそんな...私の方は大丈夫ですから。 Киев4: 受け付けてくれそうなら、修理に出そうかと思います。出来上がった写真、総統とお出かけした時は良かったのですが、調子がヘンかな?と思い始めた頃の写真がちゃんと撮れていませんでした。 таракан(ゴキブリ): 起源...聞いたことないですぅ。この言葉を初めて聞いたのはニコライのY先生で「тараканと住んでいる。あいつらがいないと寂しい」と言ったので覚えました。 遊就館: 先日、息子と一緒に千鳥が淵、靖国神社の桜を撮りに行った時に新しくなった遊就館を見ました。 屋外に展示してあったSL、C56が屋内となり外からゼロ戦が見えます。 花組活動報告: 土曜はちょっと遠くへシダレザクラやサトザクラ、ヤマザクラを撮りに行きたいと思いましたが家内がPTAで息子の学校へ行くので、近くの飛鳥山公園で桜吹雪が撮れるかなぁと撮りきっていなかったЗоркий1にЮпитер12を持っていきました。 散ってはいましたがはらはらと...これはこれでいいんだけど...昨日デジカメの画像をモスクワに送ったから彼女がどう言うか... ソメイはそういう状態なので、八重系の桜をと、運動を兼ねて息子と一緒に自転車で足立区の都市農業公園へ。ここはサトザクラなどが満開で荒川沿いにはチューリップ畑もあり、こちらも満開でした(数は少ないけど)。 五色の桜と言われるように黄緑色の桜(ギョイコウ)や黄色(ウコン)なども満開でした。こちらはЗенит312m+Гелиос44/Юпитер11A、Москва2でした。 東京での桜はこの辺で...来週からはチューリップ、ツツジをと考えています。昨年チューリップをAGFAウルトラで撮ったら私好みに仕上がったので昨日からウルトラを312mに入れています。 Пока
numerotation
お名前: けろけろ さん
[2005/04/17] No.4385
いま、イーベイに1949キエフの89XXがでてます。これはいくら何でもおかしい、ということでしょうか?フォーカシングギアも二条ではないし。アクセサリーシューのナンバーリングを改竄するだけなら簡単にできるということなんでしょうかねぇ。ZKレンズも調達して??それにしては、あまり儲けにはならないような。改竄するなら、わざわざ、素人でも気がつくような大きい番号にするでしょうか? 戦前はともかく戦後の大量生産のR4についてもわざわざそんな気遣いをしたとすればライツ社はとても大変な会社ですね。保険などの関係でボディナンバーが変わると面倒だったという事情があるにせよ、機種が変わればやはり変更しなければならないだろうに。でも番号への思い入れを尊重してくれるなら、買うときにも指定できた、としなければおかしいですよね。
ハワイのゴキブリ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/17] No.4384
すみません。たまたまハワイにゴキブリが多いだけなのですね? ロシア語で「タラカン」Masyaさま、語源をご存知でしょうか?
パンチョ・ヴィリャ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/17] No.4383
telefunkenさま R5の番号の件、ご教示有難うございました。ところで以前に国歌の話で、「ラ・クカラチャ」がハワイ人に好まれているということでしたが、この歌(日本では「車に揺られて」なんて牧歌的に紹介されていますが)、メキシコの義賊の歌で、これも現在謎解き中なのですが、何かハワイとの繋がりがあるのでしょうか?メキシコにはポーランド人が沢山亡命するのですが、二つの「ラテン文化」は随分ギャップがあるようで、逃げ出す人が多いようです。
じゃがいも
お名前: telefunken さん
[2005/04/17] No.4382
金井さま Widderの手記を最初に掲載したZeiss Historicaの会長からメールがあって、例のジャガイモの件、誤記かどうかの判定がまだできないそうです。というのはいま転居の荷造り中で、原稿が出てこないからだそうです。ほかの方法を考えてみますので、しばらくお待ちください。 企業の進出 金井さまのご指摘どおり、日本企業の中国への進出は、いろいろな意味で考え直す必要があると思います。
Leica
お名前: telefunken さん
[2005/04/17] No.4381
Tarakowskiさま ライカ・スタイルブックをお読みいただいて、ありがとうございます。 お持ちのライカの製造番号の件ですが、ご推理の通りだと思います。このような例は戦前からあるようです。ライカユーザーの場合、自分のカメラの番号を大事にするので、換装品とか代替品の場合、もとの番号を引き継ぐことが多いそうです。ただしこういう場合、その代替品や換装品そのものの製造・加工年度はわかりません。 ライカについては、書き尽くされた感じがありますが、まだまだわからないことがあります。それらはライツ社、ライカ社に問い合わせても不明の場合が多く、研究家のさまざまな考証のたねになっているようです。
Moukden
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/17] No.4380
キエフのパーツ; さすがですね、名医ともなると、パーツを見ただけで、コンタックスかキエフか分かるんですね。 純正フィルムマガジン: 戦前コンタックスのフィルムマガジンって、見かけないですよね。フェド、キエフ、ライカ、コンタックスIIa、ニコン、キヤノンのものは持っているのですが、コンタックスのを持っていません。イエナコンタックスのフィルムマガジンというのもあるのだろーなー。 靖国神社: 以前は、銅葺き屋根の簡素な社殿でしたが、今は、黒と金色の豪華な社殿が建っています。昔のもののほうが趣があったのに。今のは、儲かっている新興宗教のいかがわしい施設の風情になってしまいました。 現在、遊就館と呼ばれる立派な宝物館が立っています。大きくて立派でなのですが、ちょっと広すぎで、一日で見ると疲れます。最初から見ると、日露戦争あたりで疲れて、見る気がしなくなってきます。特に、最後のほうの展示が、靖国の重要なポイントなのに。 宝物館は、以前は、もっとこじんまりした建屋で、展示品も厳選されていたように思います。そのころは、社殿前にさび付いた戦車や、人間魚雷が雨ざらしになっていたのですが、これらも、宝物館の中に移されています。昔は、無料で見られたものが、今では有料というのも、ちょっと癪です。以前なら、錆付いた戦車と、桜と、簡素な社殿が構図の中に入ったのに。残念です。 南京: 南京は歴史館ですか。生徒達に、どこを見るように勧めるのかと思いました。正確には、『侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館』。http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NM.html ここで、中国では、どのような教育ができるのでしょう。凶悪日本、中国人被害、反日闘争。この3つのバランス。どれをとっても、反日教育にしかならない。南京の事実からは、「反日」以外の結論は出せないような気がします。 南京以外に、中国各地には、日本軍侵略犯罪や、抗日戦争の記念碑的存在が多数あるのでしょう。戦争は15年も続いたのだから。 反日デモ: 今日は旧満州の奉天で、反日デモがあったそうです。柳条溝事件の地だから、如何に日本は卑劣であるかということを、思い知らされる記念碑には、事欠かないと思います。 日本の企業は最近まで、こぞって中国進出を図っていましたが、見直す必要がありますね。
開腹手術開始!
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/17] No.4379
皆様 例のContaxV、本日より修理が始まり、茅ヶ崎のDr.から先程修理の方針、細かな状態の説明の電話がありました(大変良心的です!)。興味深かったのは、社会主義ポーランドに半世紀近く滞在したため、過去の修理の際に一部キエフのパーツが使われているとのことでした。セルフタイマーのレバーもそうだそうです(気付きませんでした)。退院は月末(給料日後でほっとしました)。5月の連休はこのコンタックスと一緒に過ごします。修理代48K(カペイカではありません)無料で頂戴したカメラですので、感謝感謝。 とたんに純正フィルムマガジンが欲しくなりましたが、我慢我慢。
製造番号
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/17] No.4378
telefunkenさま 「ライカスタイルブック」の読者として質問させて下さい。 小生のR5はどこでもあるR5(赤バッチLeitzで左側)でその番号は16089xx。これはどの文献を見ても1983年製造のR4黒の番号です。 これは例えば、前のR4オーナーがライツ社に修理を出したものの修理不能になり(私のR4もそうでした)代替機として同じ番号のR5をもらった、という推理は成立するでしょうか?
戦争
お名前: telefunken さん
[2005/04/17] No.4377
ぼくを含めて同世代やその上は戦争を日常的に体験していたのですが、少なくとも僕の場合は被害者意識も加害者意識もかえって非常に希薄です。というより皆無です。戦争だからなんでもあり、という感じからヌケ切れません。非常に多くの死体を見てもなんとも思いませんでしたし、これから大地震とかでおなじ光景を見てもおそらくそうでしょう。そういうものに対する感受性が鈍磨しているのです。広島もアウシュヴィッツも見ましたが、何の感慨もありませんでした。これはたぶんいけないことなのでしょうが、自分ではなんともできません。 キエフのリボン なるほど、キエフの場合は割高ですね。おそらくご自分での修理が最適なのでしょうが、僕の場合は自分ではできないので、どうしても修理家にたのんでしまいます。
「何でも見て野郎」ではないですが
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/17] No.4376
数年前、中学3年生の修学旅行の引率で長崎に行った時、それを痛感しました。生徒たちには10年後、20年後また勉強して来なさいと話しましたが、中3の生徒たちに念入りに事前学習させても、いざ資料館を見ると「戦争被害者」意識がとても重くなり、加害者としての意識のバランスを取るのが難しくなります。南京の歴史館に行けば皆反日になるのも仕方ないと思います。 私にとってもオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)は二重の意味での十字架でもあります。 「オウム真理教見て来い」的な発想では困りますよね。
靖国は難しい
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/17] No.4375
>広島、アウシュヴィッツ(教え子2人行きました!)南京、カンボジア(教え子1人最近行きました)靖国神社、板門店 アウシュビッツは世界遺産になっているし、どこを見ればよいのか明白です。南京はどこを見るのでしょう。単に、普通のショッピングだったりして。カンボジアはツールスレン刑務所を見るのと、アンコールワットを見るのとでは大違い。単なる、リゾートだったりして。この前、靖国神社に行ったとき、(私を含めて)多くの人は、桜の花見。ただし、ござを敷いての飲食は禁止です。 何をどう見るかによって、まったく違って見えると思います。広島、アウシュビッツ、南京、カンボジアは、過去の遺産です。板門店は現在進行中。 靖国は過去のものとしてみるか、現在進行中のものとしてみるか、負の遺産なのか、正の遺産なのか。見る人によって、かなり見方が違ってくるでしょう。一番難しい。桜の見物は易しいけれど。 リボンは消耗品: コンタックス・キエフのリボンは消耗品と考えたほうが良いとのご説に、私もある意味同感ですが、キエフはここが悩みどころです。修理の費用がコンタックスとキエフとで違いがないので、キエフの場合、カメラ本体価格に比べて、相対的に修理費用が高額になってしまいます。それならば、新規に購入したほうが良いとの考えるのか、やはり修理屋さんに依頼するのか、自分で修理するのか。悩みどころです。 暗視スコープ: ケンコーのページに暗視スコープがあります。http://www.kenko-tokina.co.jp/optical/4961607742013.html この暗視スコープはロシア製との話を聞いたことがあります。どこで作っているのでしょう。
メトロポリス
お名前: telefunken さん
[2005/04/17] No.4374
Zeiss Ikon のカギ これはGoerzが吸収したHahnが保安設備も作っていたことの名残です。戦後まで西側では残りました。 靖国 しょっちゅう行ってます。 遊就館はいいです。 メトロポリス 世界大衆文学全集、秦豊吉訳のものは、有栖川公園の東京都図書館にあります。
***
お名前: *** さん
[2005/04/17] No.4373
***この投稿は削除しました*** 投稿者様:投稿の復活を希望される場合は管理人宛Mailください(もし、日本語が不自由ならばMailは標準中国語でも結構です。知り合いに翻訳してもらい、代理投稿します。)
靖国
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/16] No.4372
今年受け持つ学年の前の主任が都内見学で靖国神社連れて行きました。とにかく私も広島、アウシュヴィッツ(教え子2人行きました!)南京、カンボジア(教え子1人最近行きました)靖国神社、板門店行って来いとしつこく言っています。で、宝物館、すみません、入ったことはないので来週23日、夕方有楽町で教え子のクラス会があるようで上京するので午後、キエフ49年を持って見に行ってきます。 コンタックスのマガジン HAMAのマガジンを普段使っています。
中国反日デモ関連報道
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/16] No.4371
中国の反日デモ関連で、あきれた報道がなされています。反日世論の原因を、中国の偏向教育にあるとの論調です。『日本の現状を知らない、誤った教育がなされている』、『日本を悪役に仕立て上げている』、そんなことが、まことしやかに、いわれています。 日本のかつての侵略は史実でないかのような論調です。 中には、中国人には、「日本の姿を、北海道から沖縄まで良く見てほしい」などと、のんきな日本人インタビューが伝えられています。 私も、中国人にも、日本人にも、韓国人にも、靖国神社宝物館を良く見てほしい、そう、声を大にして言いたい。靖国神社を小泉が参拝する理由を考えてほしい。 と、いうことで、先日、靖国桜見物の写真をアップしました。プラクチナIIaで撮ってます。 http://cccpcamera.myhome.cx/MyPhotoGal/Praktina/Yasukuni1.htm http://cccpcamera.myhome.cx/MyPhotoGal/Praktina/Yasukuni2.htm http://cccpcamera.myhome.cx/MyPhotoGal/Praktina/Yasukuni3.htm 靖国神社の宝物館ではビデオライブラリーの鑑賞が可能です。こんなタイトルがあります。「靖国のこころ英霊いま生きてあり」「日露戦争と乃木将軍」「防空日本」「支那事変全線総攻撃」「英霊賛歌」「東亜の鎮め」「空の神兵」等等。私はどれも見ていませんが、機会が有ったら見たいと思っています。どなたさまか、ご覧になられた方は、いらっしゃいませんか? 北方領土問題の解決は、歴史認識問題が解決した後にしたほうが良いように思います。 昨日、新橋の大庭カメラを覘いたら、コンタックスとZorki-3Mが並んでいました。 ところで、Tarakowskiさま、コンタックスのフィルムマガジン(缶入りのフィルムを巻くためのカセット)をお持ちですか。 Kievの状態: かぱまんさま。状態の悪いKievは敬遠して正解です。見た感じが悪いKievは、メカニズムも不調なものが多いと思います。FEDやZorkiはそれほどでもないのに。気に入ったKievを見つけてください。 KievやSmenaの場合、スプールがない場合は、手巻き用のフィルムマガジンが売られているので、そこから取れば使えます。FEDやZorkiにスプールがないと苦労します。
スム・エス・エスト、えっと〜
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/16] No.4370
大学1年の時、履修したのですが(単位はとってません)、木村彰一大先生の教会スラヴ語の教室に行ってしまい(これも最後まで出なかった)残ったのは辞書と数冊の参考書です。今日もラテン語(荘厳ミサ)聴いてきましたが、Credo Credo Credo Credo (しつこい歌です)何度聞いても覚えられない言語です。 ポーランドの学校では古典ラテン語でした。スラヴ語の中で一番ラテン文化の影響を受けた言語です。(というとクロアチア人が怒る)
latino
お名前: けろけろ さん
[2005/04/16] No.4369
恒例の1人時間差ぼけつっこみです(単に考えが足りないだけ)。 Hが欠けるのが中世ラテン語アルファベットを理由にするなら、VとUの区別もないので、Uもとばされそうなものですが、Uはあるのですね?だとすると「ぶー」ですね。 Lは、小文字にすると1と区別がつきにくい、あたりではどうでしょうか?ただし、転記のことなどを考慮してですが。謎ですね〜。 ポーランド人がラテン語に熱心だったのは、教会のミサがラテン語だったからででは? それから大学入試科目でもあったのでは? 第2回バチカン公会議で、ミサの現地語化が許容されるまで、ポーランドでも日本でも典礼はラテン語を使っていました。 ポーランド人が勉強していたのは中世ラテン語が中心ですか、それとも古典ラテン語が中心ですか? スコラ哲学の伝統で教会ラテン語は中世ラテン語、しかし、おそらく文法学校では古典ラテン語から始めると思うのですけど。日本では中世ラテン語を学ぶのが難しいのです。 カールツアイス財団の登記上の所在地については、telefunken さまご指摘の通り。あとで勝手に西に設立します。西は、アッベの精神が踏みにじられた以上、財団の存在基盤が東では失われたというレトリックを用います。 46年直後は、キュッペンベンダーを初めとするツアイスの首脳部は、西のシュトゥッツガルトにいたわけで、東西の連絡は禁じられてはいませんでした。東は当然彼らに相談し、指示を仰いだということです。だんだん疎遠にはなっていきますけど・・。 現在の「カールツアイス株式会社(AG)」の取締役3名のうち1名は東ドイツ時代のイエナ大学の出身。ただし東のツアイスの勤務経験はないようです。 西のツアイスは、戦後に革新の意欲を失って、メガネレンズ、医学機器などを中心とする中堅メーカーに成り下がります。鍵でも有名。ヨーロッパのホテルの鍵などに刻印があります。いずれにせよ細かい商売ですね。東のツアイスは、東側世界のハイテクカンパニーでDRAMの生産まで手がけた巨大コンツェルンを形成していました。それは、西ツアイスは、東を「接収する」段階まで、これほどまでに巨大だとはわからなかったといいます。ただ、貨幣価値の圧倒的な落差から、切り刻まれ、方々に身売りされます。イエナの本社ビルは今どうなっているのでしょう? ペンタコン公社は東消滅前は、シグマ光機と縁が深かったのに、シグマは手に負えなかったのでしょうか? こう考えると、今度の西ツアイスによるRFは、やはりコンタックスを冠するにふさわしくないですね。本命は携帯電話カメラレンズの供給を狙っているらしい。志が低い。やはりキエフのほうが、ある段階までアッベの精神を引き継いでいた、と思います。
メトロポリス
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/16] No.4368
千葉の田舎からメトロポリス渋谷に出かけて今戻りました。 かばまんさま、大坂さま、みらんぢさま、お見舞い有難うございます。 今朝、丁寧にパッキングして発泡スチロールの白い棺で送り出しました。 名医の手によって再び永遠の命を吹き込まれるのでしょう(コンタックス教!)。授業の準備でゾロアスター教の復習をしています。それの影響です。 けろけろさま 製造年代の件有難うございました。そうでしたか。このコンタックスは知り合いのポーランド人が非常に苦労して戦前に入手したと言っていたのでしたが、本当に「戦前」だったのですね。 telefunkenさま コンタックス修理の件、ご紹介頂き重ねてお礼申し上げます。 渋谷のタワーレコード、半年振りに覘きました。コルンゴルト沢山置いてありました。「ヘリアーネ」デッカ盤買ってみました。今晩聴いてみます。 今日CD小包第1弾届きました。レーニャのCD入っていました!Telefunken盤もありました!!まだ来るかもしれませんが、とりあえず後程メールを入れます。 私の名前もIで始まるのですが、初対面のポーランド人は良くJで書き始めます。戦前のポーランド人は皆ラテン語を勉強していたのですが(社会主義時代はロシア語)。 金井さま ミサ・ソレムニス、清々しい演奏でしたが模範運転で、帰り道のタワーレコードでワルター盤買っちゃいました(クレジットカードで)。フルトヴェングラーはこの曲全く録音していないんですね。 渋谷の駅頭でいつもの右翼のお兄さんが、若者たちにむなしいアジ演説していました。上海の若者が投石している同じ時間にでした。 メトロポリス 僕が初めて見たのもちょうどGオーウェルの「1984年」を読んだのと同じ頃です。高校生の頃かな。「1984年」は1980年に早大語研の故中島とみ子先生の研究室の書架に見つけ、借りてコピーしました。途中まで読みましたが、最後まで読んだ記憶はありません。あの本は今思い出しましたが、ロシア語聖書と同じで、ある政治勢力の援助金で出版され、旅行者の手によって運ばれ、ソ連市民の地下文学として流通していた本でした。私もソ連に旅行する時に、新約聖書何冊か渡され、どこでも良いから置いてきてほしいと頼まれました。
ウファが傾いた
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/16] No.4367
みなくても良いんでしょうけど^^ジョルジオ・モロダー版は恥ずかしながら未見です。 淀川長治編のセルビデオでしたがこっちの音楽は!なんというか最低としか言いようがありません、一昨日栓を抜いたコーラを常温で飲まされているような、ヤスっぽい軽音楽だったのです。 マブゼも一緒に借りましたが2/3ほど熟睡してしまいました。 一番見たかった死滅の谷とジークフリートとニーベルングは新宿区にはないと言うので おそらくビデオは都内の何処かの図書館をさまよっているようです。 メトロポリスは25年ぶりに見ましたが、多分バージョン(編集の)が違っていてちょっと新鮮でした、案外覚えているんですね。
東西
お名前: telefunken さん
[2005/04/16] No.4366
4350のレス けろけろさま、興味ある件ですが、西側で財団のコピーが誕生するのは1949年の5月以降で、それまでは(そしてその後も)財団の本拠はイエナです。この見解はソビエトや東欧諸国はもちろんですが、西側ではイギリスとスイスの法廷が支持しています。この考えに立つと、ツァイス財団、カール・ツァイス社、ツァイス・イコン社はすべて東側のがホンモノで、西側のはアメリカが拉致した人間によって作り上げられたニセモノということができます。 Tarakowskiさま 入院おめでとうございます。[これって何か変?]内田先生に電話してよろしくとお願いしておきました。 ハルモニア・ムンディ、ビクター、エラートなど、やはりフランスですか。ぼくのはとても300万もかかっていませんが、それでも違いいは聞こえるような気が。 ボディ番号と製造年度の関係はいろいろ言われていますが、厳密な考証はまだ存在していません。ドレスデンのマスター記録が消滅しているからです。すくなくとも1940年以前ということは言えると思います。ドイツとアメリカの研究家に照会してみます。 ボディ番号の記号にはHもLもありません。理由はまだわかりません。 IとJはけろけろ三のお説の通りです。 いまの話題でいうと法王の棺にはIOHANNESとIを使っています。ラテン語ではJが無いからです。 みらんぢさま メトロポリス、見ていただいてありがとうございました。古典版のほうで、モローダーが音楽つけたほう[これひどい)じゃないですよね。 エイゼンシュテインが映画に行ったのは、フリッツ・ラングに刺激されたからだそうです。あとメイエルホリドの劇団でビオメハニカという体操をやらされて、股関節を痛めて演劇を断念した、ということもあったそうです。 大坂さま Iの代わりに語頭でJを使うのは昔はわりあい平気でやってました。ヒゲ文字(フラクトゥーア、英語だとゴソニック文字)で書いていたときには区別しなかったので、ローマ字で書くようになっても年寄りの間ではそのクセが残ったのです。 レンズの本、お持ちですか。たしか友達のThieleが書いた本で、力作デス。内容は彼のものなら信頼できます。 レンズ 西側ツァイスではレンズ作りが遅れたので、コンタックス用レンズはイエナの本社から買っていました。また望遠系は最後までイエナ製デス。コンタレックスが出るようになって、はじめて本格的に望遠系も西側で作るようになりました。 コンタックス・キエフ あの設計からは、リボンは消耗品と考えたほうが良いかと思います。 複数の修理家の意見では、コンタックスは故障しない、ということでした。きちんとメンテすればいつまでも使えるそうです。
北方領土問題に関して
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/16] No.4365
No.4343,No4344,No4345のReです。 Tamaさま、お教えいただいた北方領土問題の解説記事を読みました。十分に理解したわけではありませんが、北方領土問題に関して、このような詳しい解説が存在することをうれしく思います。日本政府のプロパガンダ・謀略宣伝以外に、正しい事実が知られることは重要なことです。まだ、お読みでないかたは、一度お読みになることをお勧めします。http://www.japantimes.co.jp/cgi-bin/geted.pl5?eo20050324gc.htm http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK30Dh01.html 私の意見ですが、全体的にみて、GREGORY CLARK、Yu Shiyuの解説、共に基本的に賛成です。特に、北方領土問題に関して、このような視点を持つことは、必要なことです。さらに、日本以外の国の人から見たら、両氏の解説のようになって当然だと思います。 GREGORY CLARKの解説について、もう少し細かいこと: 北方領土問題をどのように捉えるか。普通に考えれば、条約・国際取り決め、そういったものの問題でしょう。その立場では、サンフランシスコ条約と日ソ共同宣言の問題になるので、GREGORY CLARKの解説のうち、『Washington's role in all this is even more "curious."』よりも前の文章までは、妥当な見解であり、その点まったく同感です。 ただし、本当にそれだけで治まるのだろうかという思いもあります。条約でこのように決まったから、それでおしまいというものでもないでしょう。日ソ・日ロ両国間には、18世紀後半からの長い歴史があります。さらに、北方領土の地は、それ以前からアイヌや北方諸民族の悠久の歴史があります。こういったことに触れないで、問題を取り上げることは、問題を正しく理解する方法であることは確かなのですが、現実の政治は利害関係・裏取引がものをいうので、そう簡単には行かない思います。誤解無きように付け加えますが、GREGORY CLARKの解説は北方領土問題を理解するうえで、最も重要な視点を提示しています。それ自体、優れた解説です。 『Washington's role in all this is even more "curious."』および、それ以下の段落は、必ずしも定説ではないので、事実関係がCLARKの説明通りなのか良く分かりません。特に、一番最後の段落については、どういうことなのか、私には判断できません。 Yu Shiyuの解説について、もう少し細かいこと: Yu Shiyuの解説では、日露の千島進出の歴史的事実を説明することにより、日本政府の固有の領土論を否定しています。さらに、サンクトペテルブルク条約(千島樺太交換条約)の日本語訳が誤訳であることを指摘し、和田春樹論文以前に北方領土返還論の中心的理論だった、北方領土は千島列島にあらず論を否定しています。この考え自体は、まったくもって正当です。 しかし、日本政府の論拠を否定するためには、少し弱いように思います。歴史は、歴史上のどの出来事に着目するのかで、違って見えてくるので、日本政府の結論と、Yu Shiyuの解説で、異なっているとの反論の余地が大いにあります。さらに、Yu Shiyuの解説もアイヌ等の先住民族に触れられていません。 お昼のニュースによると、上海で、反日デモが行われているようです。過去の歴史認識に対する反発が原因です。中国・韓国との間で、基本的な歴史認識に対して、重大な反発を受けている状況で、同じ歴史認識をロシア・南千島に振りかざして、世界を説得できるとは、とても思えません。北方領土問題以前に、日韓・日中関係で真の友好関係を確立し、周辺諸国から信頼される普通の国になることが必要ではないかと思えてなりません。
あっか
お名前: けろけろ さん
[2005/04/16] No.4364
大坂さま: いろいろなところで活躍されているのは拝見しております。すごいコレクションであるのも。しかし、こういった本もお持ちなのはすごいですね。これに東のも載っておりますでしょうか?のっていたとして相互の関係はどうでしょうか?お教えいただければと思います。 ご存じのようにJとIは子音か母音の違いだけで、本来は同じ文字です。ドイツひげ文字活字では区別ありません。また母音字でもJを使うこともあります。ラテン語では区別がそもそもありません。 Hが抜けてるのは中世ラテン語にH(古典ラテン語ではHがあるのに現代イタリア語で(外来語を除いて)Hがなくなるのですけどいつから?)がないから、というのがまともっぽい答え、ヒトラーが嫌いだったから、というのもアリ???
カメラの番号は…
お名前: 大坂 さん
[2005/04/16] No.4363
追伸です。 けろけろさんの問いは、カメラの番号列の方でしたね^^; telefunkenさんの考証をお待ちして居りますm_ _m IとJの話題ですが、ContaxIに付くフィルムスプールにあるZeiss Ikonの表記は Zeiss Jkonになってます。 何度見てもJにしか見えません。
re: Nr bis
お名前: 大坂 さん
[2005/04/16] No.4362
けろけろさん、初めまして レンズの製造番号ですが、'03年秋に次のような番号簿が発行されて参照可能です。'27年から'91年までのイエナ製の番号がライカの製造番号リストなみに延々と番号とレンズ名が出ています。 ただし、ゾナー6cmとか同5.8cmとかは見出せません、しかしながらコンタックス用のハイパーゴンとか試作と思われるレンズでも、1本単位で記録されてます。 Fabrikationsbuch Photooptik - Carl Zeiss Jena 購入先はアメリカのカメラ書籍のwebでした。http://www.camerabooks.com/acb/showprod.cfm?&DID=15&CATID=10&ObjectGroup_ID=19
Nr bis
お名前: けろけろ さん
[2005/04/16] No.4361
それからツアイスのレンズは、すべてのレンズの通し番号で、ヤシカ・京セラのコンタックスのレンズまでそれが続いています。ただしTとかコンパクトのレンズには番号はありませんね。捨て番があるから、番号の一番大きいのが、製造本数を示すとは限りませんが。 ある段階までは、戦後も、東のツアイスと西のツアイスで番号の割り振りが行われたのではないかと思います。UaVaにイエナレンズをつけて売っていたのはその傍証です。いつから東は独自に番号をつけたのでしょう?多分割り当てられた番号をひきついだと思うのだけど・・・(つまりある時期、ツアイスのレンズには東西で同じ番号が存在することになる)。
Nummer
お名前: けろけろ さん
[2005/04/16] No.4360
ツアイスのカメラの製造番号はすべての機種に共通で、99999台ごとにアルファベットをつけて区別したようです。その結果、Jは、1938年ないし39年製造となります。ただこのアルファベット、Iが抜けているのは分かる(JとIは本来同じ文字だから。もう一つは数字の1と紛らわしい)のですが、Hも抜いているのはなぜなのでしょう?Hitler の頭文字だから? 通りがかり常習(?)の大坂さま、ご存じではないですか?
折衷案として
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/16] No.4359
先ほど図書館で借りてきたメトロポリス(フリッツラングの)を見ていましたら 車が燃えるシーンで、オペル?のトロンプルイユ(でしたか?)、水滴型のモデルが燃えていました、かなりの希少車じゃないでしょうか? 未来の車ということで出演していたのですね。 かぱまん さん 欲しいときが使いたいとき^^(煽) Мася さん
>シャッターが切れなくなる日...それがためにКиевを買う そうそう、まったくその通りなのです、業が深いというかなんというか。 Tarakowski さん 入院おめでとうございます?早く直りますように、安く上がりますように。 管理人(金井) さん わたしも(ゆっくり)待っております。 写真は、今日はКиевも使いたいがЗоркийも捨てがたいということで以前渋谷で買ったものを持って出ましたが、一枚も撮りませんでした。 最初は面白かったのですが、すぐに飽きてしまいますね、こういうの。
画 像 :
img20050416004507.jpg
-(17 KB)
re:茅ヶ崎の病院へ
お名前: 大坂 さん
[2005/04/16] No.4358
Tarakowskiさん、初めまして 通り掛かり常習の大坂です。 いやぁ、よいコンタックスですねー。 いつどこでどんなコンタックスを見かけても同じ事を言いそうですが^^; 中古屋で見かける場合は、ゾナーと組合せの金満セットが多いのですが、 テッサー付きというのが当時買った人が散々悩んだ様子を空想します。 (失礼ギリギリですみませんm_ _m)
おーっと京都でもついに発見だーっ!
お名前: かぱまん さん
[2005/04/15] No.4357
僕もネットオークションはほとんど利用した事ありません(特に買う方)。何回か通販で買ってもみましたが、やっぱりお店で、現物を手に取って、直接現品を確かめて、納得づくで買い物するのが一番性に合ってます。そこで問題になるのが、先程も申しましたように、機種によっては地方では、ほとんどお目にかかる事が難しい、という点です。 今日も会社を退けてから、ダメもとで通勤経路沿いにあるお店へ行ってみたんです(こんなに皆様ご親切に煽って下さるんですから、行かねば義理が立たないっちゅうもんです)。すると何と、ズバリKiev4が置いてあるではありませんか! 多分京都ではこれ一台っきりだと、見せてもらう手が震えました。でもでも、う〜ん、ちょっと程度がなー(うんたらかんたら)…、というわけであえなくパスしてしまいました(ちゃんとスプールも付いてたんですが)。 ここは焦らず、納得のいく出物を待つとします(っていつになることやら)。 今までは露出計の付いていないモデルにばかり興味が行ってましたが、メーターのついたモデルも、なかなかにメカメカしくって、かっこ良いもんだなぁと、再認識できました。それもVAまでの大きなメーターより、今回見た4型以降のやや小ぶりなメーターの方が、バランスが取れてるようで、好きです。 ややっ、Tarakowski 様、目の保養的画像をありがとうございます。無事の退院を祈ってます。
スプール(3)
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/15] No.4356
金井様でなくMasya様の誤り、週末で集中力が切れてきました。すみません。 一時期、スプールにもGOST番号とか値段が刻印されていましたね。写真の左から3番目にはツェー20kと書いてあります。 いつかポーランドで見たキエフは錆だらけ、緑青がいたるところ噴いているボディーでした。港町と関係があるのでしょうか?
スプール(2)
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/15] No.4355
画像のスプールは、全部ひっかかりのない「竹輪タイプ」のFED/Zorki用でした。そういえば78年のキエフもスプールがなくてモスクワで25カペイカかそこらで買ったように覚えています。 というわけで、金井さま、お分けできるスプールではありませんでした。申し訳けありません。
茅ヶ崎の病院へ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/15] No.4354
telefunkenさま ようやく、新学期が始まり我が家のドイツ人(ContaxV)も明日から、茅ヶ崎の内田Dr.のところでOHです。費用はかなりかかりそう(オンボロKievが10台以上買える)ですが、これも私の「歴史的義務」だと思っております。さあ、直って戻ってきたら49年と78年の三角関係に悩まされそうです! ところでこのボディー、J.73297と刻印されていますが、これから製造年代が分かるのでしょうか? ハルモニア・ムンディ 結局、ビクターの方も、「好みでしょう」。エラートにしてもフランス盤は印象派のような暖かい音が良く浮き出て、ドイツ人の音採りはとにかくクリアであまりごちゃごちゃ手を加えないという特徴があります。300万円くらい装置にお金をかければその差が分かると思います。 金井さま トスカニーニの荘厳ミサは戦後の53年(だったかな)のものが殆どです。戦前戦中のものは数点あるのですが録音悪く、あまり市中に出回っていませんね。
画 像 :
img20050415202705.jpg
-(68 KB)
スプール
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/15] No.4353
Masyaさま Kiev-Contaxのアキレス腱がリボンですね。ところで今引き出しを探したら、余っているソ連製スプール(ポーランドからやってきたもの)が6本もありました。ということは6台のスプールのないカメラがあること? もしよろしければ1本差し上げます。どれがキエフでどれがFEDだかあまりよく分かりませんが、画像をご覧下さい。
画 像 :
img20050415191042.jpg
-(55 KB)
うっ....
お名前: Мася さん
[2005/04/15] No.4352
シャッターが切れなくなる日...それがためにКиевを買うんですが...この4が直るか修理に出すべきか... 最近Зоркийиばかりで出番が少ないし、4はもう1台あるし...だからのんびり診ようと思うわけですが... スプール: 別の4にスプールがありませんでした。一応買う時に無いことを言ったんですが、どうしても無いようなので...まぁフィルムから作れるからいいかっと(サーシャを困らすのも何だし...)。 友人から貰った2のスプールは溝がないタイプたのでもう1個作りました。 ЗоркийCだったかなぁ...買う時に無かったので無いよって言ったら他のから取ってくれました。Зоркий系は全部スプールがあります。 Киевの価格: 82年も87年も3万円くらいだったと思いました。80年代いつ頃だったか日本でメイボーオプテル社が4AMが34800円、4Mが39800円の時代だと思いました。 この価格はレニングラードの外貨ショップの価格ですので市中ではどのくらいだったのかは分りません。 この外貨ショップではЛюбительやСМЕНАといったご当地ЛОМО製品はあってもЗЕНИТは無かったような気がします。 さぁ、今日のタモリ倶楽部はホルガを使ってのテーマです。 サトザクラやヤマザクラも咲いています。っという所でよい週末を!
お名前: けろけろ さん
[2005/04/15] No.4351
付記します。 ウクライナの業者は、例のオレンジ革命前後の混乱も継続して営業はしていますが、特に最近はHPの改訂の間隔が長くなっています。ですから、以前の状況と今の状況とでは違っている可能性があります。 4AMについて「シャッターボタン」ではなく、「シャッターダイヤル」の間違いです。また巻き上げはクランク式になり、ノブ式よりもはるかにやりやすいのは確かですが、デザイン的にミスマッチだとする批判があることも事実です。 お求めの時には巻き上げスプールが附属していることを確認されること。スプールはコンタックスのものを代用できますが、スプール1つの方がキエフより高いです。スプールは自作もできますが、引っかかりがないので結構不便ですから。それを了解の上で安く求められるというのも1つの方法です。 他には金井さま、まあしゃさまはじめ多くの方が遙かによくご存じですから、ご説明をお任せいたします。
お名前: けろけろ さん
[2005/04/15] No.4350
いろいろとご批判をいただいてます。あとから自分で考えても無理があるなぁって。いずれにせよ海軍云々は不必要なファンタジーでしたね。アルセナールのHPは、ウクライナ語バージョンとロシア語バージョンで説明が違っているのでしょうか?また最近になって歴史的記述が改められた、とか? でも、ニコン(株)の現在の膨大なHPから海軍兵器廠の香りを読みとれるでしょうか? でもやはり1946年の動機、どうやったら説明ができるのでしょう? 普通は、「最初は数千台しか生産できなかったが、50年代以降本格生産が始まる」と考えます。しかし、これは現在の視点から結果をさかのぼってみているだけ、の可能性があります。むしろ、最初は数千台しか生産するつもりはなかったが、大量生産に切り替えた、のではということです。というのは、最初から大量生産なら、そんなに時間がかかるのが理解できないからです。むしろ当初はこの程度の生産だった、しかし、途中から目的が変わったのだ、と考えれば素直に理解できます。 たとえば、当初は、軍関係、産業関係者の表彰の副賞、軍上層部の特権あたりに与えるのが主目的だった、ただ、それと同時に、最高の民生機の技術伝承という大義名分もあったでしょうが。この目的なら、3年の累計5000台は、むしろ納得できます。それが、50年代以降、外貨獲得という新たな目的がくわわって大増産に入る、とか。 こう考えると、50年代の変化は説明できるとして、46年の動機はますますわからないことになる。つまり経済的合理性について、ですが。賞品にしても、あまりに高くつきますよね。 戦前のコンタックスの生産台数が分からないです。いろいろ検索したのですが。これがわかれば、数千台という生産台数が、過少なのか、購入した生産ラインとして「そこそこ」だったのかの傍証になります。 46年の動機の解明の手掛かりになりうるものとして、例の商標係争があります。つまり、46年当時、CZJが受注したとして、その時点ではまだ、西のツアイス財団の承認をとったはずなのです。壁が成立後もしばらくは東西は連絡を取り合っていたのです。46年ならなおさらです。そうだとすると、そこではコンタックスカメラの意匠そのほかについての譲渡の許諾の内容が含まれていたはずなのです。一連のコンタックス訴訟で、この46年の生産ライン譲渡が引用されることはなかったのでしょうか? キエフを「戦前のドイツで超高級機だったコンタックスを大衆化した」と評価する考え方があります。しかしそれには疑問があります。70年代他のカメラあたりから推測しておそらくキエフ4は100ルーブル前後かと思います。これは通常の市民がカメラに費やす価格として低廉でしょうか? また70年代においてすでに、時代遅れになっていたので、仮に安かったとしても、それを欲しがったのでしょうか? 50年代で誰もが買えるのだったら意味はあった、でしょうね。でも現実に大衆化されたのは、今の100円ショップのように、圧倒的な通貨の購買力格差を利用した、西側における、きわめて限定的な「大衆化」にすぎなかったのだと。キエフはソ連の人にとっては、常に手の届かない高級機だったと想像します。 かぱまんさまへ: キエフ4AMのプラ部品をどう評価するか?使いやすくなったといえば、○です。シャッターボタンは特にそうです。それとシンクロ。コンタックスの香りが薄れたと思えば、×です。まるでグレーのペンキを塗ったみたいなメッキの品質が気になる人は×××です(最近のニコンFM3Aのペンタ部分は「塗り」です。あきれてしました)。外側には気にしない、内部の整備上が大事と考えれば、一般的に使い込んでない4AMのほうが○になります。 キエフのシャッターは、かつては壊れたら治せない、といわれました。しかし今ではネットで情報が溢れています。手術用の止血糸がいいそうです。わたくしはシャッターまでなおしたことはないですが、さほど難しくはなさそうです。それに、あまり変な動作をしない限りは壊れないと思います。かつてのカメラアサヒのキエフの特集で、金属幕を絹のリボンで上下するからすぐに壊れる、的な記述がありましたが、素人が心配する程度のことはツアイスの技術者は考えていたはずです。ライカの褌だって壊れるときは壊れます。 それから巻き上げが軽い、のがいいとは限りません。素人細工でなおしたものは、たとえばCRCなんかを吹き付けてしまったものがあります。これは腐食の点でとても危険なのです(いまだにHPにはこういった修理がまかりとおっています)。専門的にはよくわかりませんが、軽すぎるものはスローに問題があるのが多いように思います。高速シャッターはテレビの走査線を眼視すれば比較的正確に測定できます。 わたくしは、原則としてネットやオークションでは買わないのですが、金井さまがHPで紹介されておられるウクライナの業者(キエフ大学の学生だといっていました)から何度か買いましたが、信頼できます。ただ、一度どこかで実際にいろいろと比較されてからの方がよろしいと思います。
いつかきっと
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/15] No.4349
かぱまん さん ebayなら、支払ってから(すぐ発送してくれれば)約一週間で届きますね、今。先々月、1949の良さそうなものが250ドルでしたよ。 迷っていたらモスクワのカメラ屋さんが買ってしまいましたが。 このあいだ見ましたら新宿の中古街には結構な台数が置いてありました、Киев-5もまだ売れていませんでしたねー、さすがは不人気です。 わたしのКиевはまだ壊れたことがありませんが、シャッターが切れなくなる日が来るのでしょうね。 戦時中(か戦前か)キエフのアーセナルでは農機具を作っていたと思っていましたが、ロシア語版ではどうですか? 又聞きですが、あそこは90年代に一度アーカイブが開いたそうですね。貴重なモデルも売りに出されてしまったとなると今さら開示があっても内容は乏しそうです。
恥ずかしながら...
お名前: Мася さん
[2005/04/15] No.4348
キエフの不調: 先日話題になったような...シャッタースピードの目盛りをきちんと合わさずにシャッターが押されてしまうと起きたのかなぁ... シャッターが開きっ放しになっちゃったんです。4AMの時はそれが原因だったと思います。今回もいじくっているうちに同じコトをやっちゃったような... シャッターボタン部の下にセルフタイマー用に円盤があるのです(セルフタイマーのレバーはこの円盤を押し下げてシャッターボタンを押す仕組みのようです)が、その円盤が何かに引っ掛かっていたのが原因だったんです。 訳わからずシャッターユニットを取り出したお陰で4AMのシンクロ部をおかしくしちゃったんです。 それが原因だと思うのですが、4AMのことがあったのと露出計があるので簡単に上蓋が開けられないんです。 自分、不器用ですから...
京都に専門店がほしい(絶対ムリ)っ!
お名前: かぱまん さん
[2005/04/15] No.4347
「キエフ欲しい指数」がかなり上昇してきたので、だめかと思いつつ京都市内のカメラ屋さんを数軒見回ってきました。が、結果はやはり収穫ゼロでした。キエフのキの字も見当たりません。京都は旧ソ連製カメラについて、かなり冷たいです(と常々そう思う)。 西陣や室町の旦那衆は、ライカ、ハッセル、そして国産高級一眼レフ方面にのみ興味を奪われていたのでしょうか。あ〜あ。 けろけろ様のCONTAX偽装説、面白いですね(けっこうリアル)。小説のような展開ですね。わくわく。 >何かシャッターの調子が変 ってどーなんでしょう、御自身でメンテされてるんですか? どうしてメンテナンス方法を確保しようか、地方ではけっこう切実な問題なもので。シャッターのリボン切れが有名過ぎて、他にも起こり得るトラブルについては、あまり情報が流れていないようですが、これから求道の身になるにあたり、興味ある話題です。よろしければ顛末など、お教え頂けるとありがたいです。 人生煽られてナンボですから(笑)。
うわっ!
お名前: Мася さん
[2005/04/15] No.4346
Привет 永島さん...校長にして司教様(?)じゃないですか!会ったことありません。 1996年ですかぁ、ロシア語と全く縁がなかった頃でした。その2年数ヵ月後モスクワに出張して以来、ロシア語を使わない日がないくらいになりました。 Арсенал史: 確かにロシア語版の方が色々と書いてありそうですね。時間があればちょっと読んでみます。 国際電話: 専ら携帯からです。 レンズ: КМЗのページを読んでいると、ツァイスのレンズ製造ラインはクラスノゴルスクに運ばれたようで当初、ここで製造されたЮпитер8はЗК(Зоннар Красногорский)とされたようで、後のКМЗマーク付きと本質的には変わらないように書かれていたと思いました。 ちなみにКМЗで最初に作られたLマウントレンズはЮпитер8とИндустар22でいつだったかなぁ... Киев: 昨日、会社の近所の枝垂桜を撮っていたら何かシャッターの調子が変。撮りきって家でいじくってたら、かつて4AMで出たのと同じようにシャッターが閉まらなくなっちゃいました。 同じような原因だと思うのですが急がず診てみます。 Пока
ごめんなさい
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/15] No.4345
Tama さま、はじめまして管理人の金井です。 私の意見を聞かれているので、早急に答えたいところですが、外国語が苦手なので、しばらくお待ちください。ごめんなさい。
ごめんなさい
お名前: Tama さん
[2005/04/15] No.4344
2番目に貼り付けた英文記事のURL,間違っていました。 正しいのは Japan's false claim to the Kurils By Yu Shiyu http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK30Dh01.html でした。
北方領土英文記事について
お名前: Tama さん
[2005/04/15] No.4343
管理人さんは以下の二つの英文記事について、どう思いますか?「その通り」と思います?北方領土通の貴殿の見方をぜひ教えてください。 Northern Territories dispute highlights flawed diplomacy By GREGORY CLARKhttp://www.japantimes.co.jp/cgi-bin/geted.pl5?eo20050324gc.htm Japan's false claim to the Kurils By Yu Shiyu http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK25Dh01.html 宜しくお願いいたします!!
タワーリシチ・スターリン
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/14] No.4342
アーセナルのHPで、英語のHistoryを見ると、あまりすごい軍事工場だったような気がしません。ロシア語ページはもう少し詳しく書いてあるようですが、いかがでしょう。http://www.zavodarsenal.kiev.ua/ アーセナルに最も重要な軍需品を運んだとはちょっと思えないです。コンタックスのボディー製造は、はじめからアーセナルだけれど、ゾナーなどのレンズ製造はKMZで行われています(ZK,BKのことです)。キエフは大戦中、占領下にあったことからも、安全とはいえない。キエフは必ずしも親ソではない。アーセナルよりもモスクワ近郊、ザゴルスク、カザン、スベルドロフスクあたりのほうが良いのではないでしょうか。スターリングラードも良いなー。 スターリンが実質的にものすごく大切な施設を、戦勝直後にキエフに置くだろうか。 新聞によりますと、ボルゴグラードにスターリンの銅像を立てる計画があるそうです。 トスカニーニ: のCDは、何度も復刻されているので、どれだか良く分かりません。私が聞いているのは、たいてい、NBC交響楽団のです。 スカイプ: 最近、仕事では、パソコン電話を使っています。電話代がかからないのと、電話をする前に、相手の状態がわかるので、場合によっては便利です。海外との電話では、スカイプのようなパソコン電話をお使いですか? 韓国の人は、パソコンでテレビ電話を使っているといっていたなー。
ニコライ学院
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/14] No.4341
やっと新聞の切り抜き出てきました。廃校は1996年秋でした。 古代ロシア語教えてくれと永島さんにお願いしたら、神学校に入れと言われました。入っていたら今頃鐘をついていたかも。 ドーリア旋法 それなら俺が第4の君が代書くと決意してフリギア旋法で作曲する人いないのですかね。 制服 先生という単語自体が、「先に生まれた」=「先に死ね」ですから喪服で結構です。しかし女子高生のミニスカート、あれでは葬式にも出られませんね。「20世紀の日本の教育に対する追悼」かもしれません。 フルトヴェングラー 書き出したら止まりませんので自粛します! 平凡社といえば ゴンブローヴィッチ「フェルディドゥルケ」平凡社ライブラリーから最近改版出版しました。私の恩師で家内の前の主人の訳です。ロシア通?島田雅彦氏にも巻末に書いてもらいました。20世紀ポーランド文学の最高傑作です。でも売れません!
国歌
お名前: telefunken さん
[2005/04/14] No.4340
朝日カメラ、やっと入稿して一段落。あとは時計で、これも来週木曜日と容赦ない。そのあとまた時計。そのあとが制服。これは死装束という解釈で、制服は死への接近である。と立ち上がりでカマス戦略。日常から踏み出して、出動するときの服。でも授業を受けるのは死への接近か? ヴァレリー、新訳が出てるのですか。知りませんでした。 徳永、壊れかけのRadioとか、好きです。 Contaxは偽装。うーむ。けろけろさま、恐れ入りました。ちなみに例のスマクラ教授のコーティング装置は空輸でソビエトへ運んだそうですが、たしか着陸のときに壊れたとか。 トスカニーニは好きでした。あるクイズ番組でトスカニーニの名前がでたとき回答者の女子高生がニーニがかわいいとコメントしてました。 ぼくの好きなのはフルトヴェングラー(古い!)メンゲルベルク、ムラヴィンスキー、サー・トマス・ビーチャム、ショルティ、セル、カレル・アンタル、ドラティ、ベーム、ザヴァリッシュ、など。 ドーリア旋法だから名曲、なるほど。前にも書きましたがイスラエル国歌は陰気な感じで気がめいる。 ラ・クカラチャという陽気な曲があって、ゴキブリという意味なのですが、口の悪いアメリカ人が、あれはハワイの国歌だといってました。ハワイにはものすごくゴキブリが多いのです。
ふぅ...
お名前: Мася さん
[2005/04/14] No.4339
Привет 歌: 昨日からロシア人の掲示板で日本の歌が話題になり、ちょっと書き込んでいました。宇多田ヒカル(ヒッキーと言ってもヒカルじゃないからと氷川きよし?「やだねったら、やだね」?っと尋ねちゃいました。) 小柳ゆき、徳永英明だとか(私知らないんです)、しまいには「川の流れのように」が好きだとか。 ソヴィエト光学史: КМЗの会社案内には戦車や戦闘機やヘリコプターに製品が搭載されていることは記載されていますが、艦船はどうだったかなぁ...КМЗはかつて書いたようにリガに設立されたツァイスのオフィス(工場)がルーツで大戦中は航空機用スリットカメラ(АЩАФА)を作っていました。 日露戦争時に使われていたのはサンクト・ペテルルブルク(ЛОМОの起源)製のようでした。ハリコフのФЭДでも大戦後期には戦闘機を作っていた。 ロシア航空ショーの出展社リストを見るとКМЗもФЭДもАРСЕНАЛもありました。 川: キエフを流れるドニエプル川、広さは覚えていないけど蛇行してたりして軍用艦が通るにはキツそう...それならばオデッサ(ガンダムじゃなくて)とか便利なところがあります。 でもハバロフスクはアムール川を通れるということで海軍があったと聞きました。っの割には自由に凍った川を渡れたなぁ。 今日は何の日: フリーペーパーのR25によると4月14日はバレンタインデーやホワイトデーに縁の無かった男のためのブラックデーという日らしいです。 これを進めているのは2000何年だったかなぁ、ヨーヨー世界大会シングルハンド部門チャンピオンのイシグロ!アイツのことだから分らないこともないけど... 黒いものを身につけるとそういう風に見られるそうですから注意しましょう。(んなコトいったら学生服なんかどうなるんじゃい) Пока
お名前: けろけろ さん
[2005/04/14] No.4338
いろいろと貴重なお教えをいただいております。 疑問をぶつけるだけで、自分で何もしない、というのは良くないことだとは分かっておりますが、自分には資料や知識が欠けております。どうかお許しを。コンタックス・ヒストリカのサンプルページは丁度戦後のことが載っていましたが、疑問に答えるものではありませんでした。 それでも、ずっと考えていました。 ツアイスの技術をアメリカ軍もソ連軍も欲しかったのは、コーティングと航空写真用レンズなどだったとおもわれます。このことはここでも以前議論したことがあります。 なぜ、コンタックスのラインを、ソ連の商工セクションではなくて軍部が、高額の対価を払ってまでCZJから調達したのか?将校の中に熱心なコンタックス信者がいたこともあったかもしれませんが、やはり軍事目的が主ではなかったかと考えるのが自然です。それが当時としては機密事項で、表向きはあくまでもカメラのラインとされた、というのはどうでしょう。この意味で、民生機生産工場にすぎないハリコフは、はなから考慮の外にあったのでは、と。 コーティングが最も必要とされたのは、海軍でした。潜望鏡におけるコーティングの重要性については、これもここで明らかにされました。 ひょっとして、キエフは、海軍系の工場だったのではないのですか?艦艇はむりとしても潜水艦ぐらいなら、黒海からドナウを遡上してキエフに達することは不可能ではなかった、とか(もちろん浮上してですが)。ソ連最初の空母がキエフだというのは、アーセナル=海軍系ということを示唆していないでしょうか?これに対してモスクワでは陸軍・空軍系の技術、つまり広角レンズなどについての技術移転があった、と。 1950年に前後して、東西ドイツの分断、朝鮮戦争とつづく冷戦構造の完成を前にして、アーセナルのラインはコッタックス以外の生産でむしろフル稼働していたのではないでしょうか?それが軍需が一段落した後に民生カメラに生産を移していく、とか。 この仮説だと、1946年の決断も1950年の変化も説明できるような気がするのですが。なにとぞご教授下さい。 PS:ヴァレリーは丁度平凡社文庫で新訳がでたことろでした。早速買って読んでいます。
Arsenal
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/13] No.4337
3月27日No.4170でした。 金井さま トスカニーニの荘厳ミサ、RCA盤は第九とカップリングされていたのですね。小生のRCA盤は初期の千円盤で第九の1枚だけでした。なんだか急に聴きたくなってPLATZ盤買っちゃいました。もう今月小遣いがありません。
アルセナル
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/13] No.4336
3月27日No.4270に戻ります。ポーランド語のArsenal(Lに斜線)はロシア語のArsenalと同じくイタリア語(語源はアラビア語)の一般名詞「兵器廠」です。ポーランド大百科でもクラクフ1533年、ワルシャワの兵器廠は1794年創設と書いてあります。ウクライナの兵器廠がポーランド起源かどうかは軍事史の専門家に聞いてみないとわかりません。この分野はやたら専門が細分化されています。ともかくアルセナルが企業化したのは革命後のことでしょうね。
ドーリア旋法
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/13] No.4335
「君が代」はドーリア旋法で書かれているので名曲だ、というのが肯定派の解説です。姉夫婦は音大卒なのですが私はあまり楽典詳しくなく、コメントに困ります。 土曜日の高校自由講座(何をやっても構わない授業、出席も自由)で、1学期は国歌やります。CDやらネットから百ケ国以上集まりました。フィナーレはやはり忌野清志郎の発禁版でいきます。 トスカニーニの第九は3種類持っています。スピード違反の冒涜物ですが、金井さまの荘厳ミサも「爆演」ですか?開演前の室内楽がトマジ「田園コンセール」なので聴きに行きます。久し振りのNHKホールです。
歌
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/13] No.4334
Kievとは関係ありません。 君が代の声量、広島県教委が報告求める: asahi.comに記事があります。県教委は式のとき、君が代を子供達に大きな声で歌わせようとの趣旨でしょうが、思想的背景が無くても、難しいのではないかなー。君が代はもともと歌いやすくないし、特に、声変わりの男子中学生には、歌いにくいでしょう。国歌をそんなに歌わせたいのなら、もっと歌いやすいのにして欲しいなー。 ソ連国歌(ロシア国歌)、ウクライナ国歌などは、自然と大きな声になるような曲です。 以上、歌が下手な者の意見でした。 ウルグアイ国歌: 聞いてみました。確かに、オペラみたいです。しかし、これを覚えて歌うのは、かなり難しいように思います。国歌は、歌いやすくないと、困ると思うけど。 今日は、ミサソレムニス(トスカニーニ)を聞きながら仕事しています。
午前4時(4AM)?
お名前: Мася さん
[2005/04/13] No.4333
Привет 初めて買ったКиевが4AMでした。翌日4Aタイプ2を同じ店で買いましたが。この4Aが調子がいいものです。 プラスチックパーツのお陰で見劣りしていましたが、ホットシューは搭載されているし巻上げはクランク、シャッタースピード目盛りも見易くスプールも外れない、とても使い易いモデルだと思います。 その4AM、バルブが使えないようで、自分でいじくったおかげでシンクロも使えなくなっちゃいました。ということでもう1台4AMが欲しいなぁと思っていたら4Mが...これホットシューがついてなかった...たしかコレ83年だったと思います。露出計は大丈夫です。 モスクワでのКиев4シリーズは大体500ルーブル(約2000円)くらいが相場のようです。Юпитер12付きが1000ルーブルでした。勿論Юпитер8も付いていました。 あっ4AMと4Mってアイレットの位置がほんの少し4Mの方が高いようですね。それと53mm/f2のЮпитер8を装着できるのも4AMだけなんです(私のだけでしょうか?)。 また煽ってる? 鑑定団: 私、あの番組嫌いなんでロクに見ていないのですが、そのライカって名古屋のライカ愛好家の方が運営するサイトの掲示板で話題になったような気がします。 知り合いが車の鑑定人として出ていましたがまだ鑑定しているのかなぁ... 労働英雄: 母親英雄と共に知り合いにいないなぁ... カスタマイズКиев、カッコ良さそう...観光名所であるモスクワ大学前の雀か丘(例のウェブカメラで見られる場所)の露店でカスタマイズされたライカもどきもЗоркийを見かけます。売っているアンちゃんは改造している業者を教知っているのかなぁ... ん、私は82年と87年に訪ソ。Tarakowski先輩より丁度2年づつズレています。共に観光でしたから社会の違いは分りませんでした。当時ソヴィエトでの観光はガイドと運転手をつけなければならなかったのですがどちらもレニングラードも訪ねたのですが、共にガイドは日本語ペラペラの女性でした。 いつだったかインツーリストのページを見たらまだ働いているようでした。二回目の時、お土産(袖の下かも?)として持っていた子供用のデジタル腕時計(お嬢ちゃんに)や余りそうなコダックのフィルムを渡したら周囲に見られないようにこっそりと隠したことをふと思い出しました。場所は住宅街にある小さなカフェでした。 Пока
イエナコンタックス
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/13] No.4332
eBayオークションにイエナコンタックスが出品されています。http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&category=30028&item=7507659431&rd=1&ssPageName=WDVW セラーはEastern Ukraineってなっているけれど、どのあたりでしょう。イエナコンタックスのかなりの台数(と言っても2000台程度)は製造ラインと一緒にキエフに運ばれたのでしょうか?
>キエフを手元に置きたくなってきたから キエフ抜きにロシアカメラは語れないと思います。レンジファインダーのキエフは良くも悪くもソ連のカメラに決定的な影響を与えていると思います。20世紀最高のカメラだから、大切に作り続け、大きな設計変更はしてはならない。20世紀最高の思想はレーニン主義です。大切に書棚に飾っておかなくてはならない。思想に改変を加えてはならない。。。ちょっと違いますね。 Kiwv-4amは、ある意味、すばらしいカメラだと思います。Contax-Iから始まったシリーズの最終形態です。古き良き時代に大量生産大量消費時代が入り込んでます。
>私の見た85年のソ連社会は80年に比べて比べ物にならない位腐敗 80年と85年の比較をカメラの良し悪しで比較するのは、難しいですね。これまで何台か見たKiev-4amは、80年ごろの物だったのか85年ごろの物だったのか、両方だったのか、記憶にありません。ただし、どれもあまり違いが無かったようの思います。
ベストスタイリングなКиевは
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/13] No.4331
すわすちかとワシの彫刻の入ったエナメル黒と金メッキのコンビのКиевネームが欲しいんですが、こんなむちゃくちゃな取り合わせでは元労働英雄にオーダーしても作ってくれ無そうではあります。 これに黒塗りの沈銅Зоркий f1.5を付けて、真夜中に風呂敷姿の般若を連写したい。 これが目下のユメです、もしこんな仕様で出たらタバコ代含むお小遣い一ヶ月分、280ドル(送料込み)まで出します。
ベストバイなKIEVは?
お名前: かぱまん さん
[2005/04/12] No.4330
皆様の深遠なるキエフ談義を、ただひたすら読み進めてまいりました。 元来エーキョーされやすい軽いヤツなもので、またぞろキエフを手元に置きたくなってきたから、こりゃあいけません。 ネット上の種々の記事を参考に色々検討しましたが、これまでと考え方が変わってきまして、実用的なベストバイはひょっとして4amではなかろうか?と思い始めています(今までは、2型のキリル文字仕様がカッコ良いなー、欲しいなーとミーハーしてました)。 これまでは4amなんて、なんかカッコ悪いなー、なんて敬遠してたのに、あのシャッターダイヤルも見方を変えれば、目が悪くなってきた僕にとっては大変視認性に優れているのでは、と思えてきます(アバタもエクボ?)。と、ここまで書いてると偶然telefunken様のご投稿が…。おぉ、「気持ワルイほど作動が滑らか」な4amもあるんですねぇ! 本気になった労働英雄謹製の(笑)4amを、いっちょ探索してみましょうか。うまいこと縁があればいいんですが。
黒Contax
お名前: telefunken さん
[2005/04/12] No.4329
Tarakowskiさま ぼくも黒塗りのContaxIIのほとんど新品のをもっています。再塗装品ということでウクライナから100ドルほどで買いました。非常にきれいで性能もよく満足しています。 Masyaさま そうデス。83年の4amです。あれはわりあいきれいなほうですが、100ドルぐらいでウクライナから買いました。 キエフのナゾ ぼくの持っているうちの1台の4amは、気持ワルイほど作動が滑らかで、記憶に残っている戦前の新品Contaxとおなじくらいです。個体差が激しいといってもここまではーーー。労働英雄が本気になって作るとここまで行くのでしょうか。
ジャガイモ
お名前: telefunken さん
[2005/04/12] No.4328
金井さま たしかにこの50キロというのはいくらなんでもおかしいので、原文にあたってみようとしましたが、かんじんのZeiss Historica2003年春期号が見つかりません。ちょっと探してみますので、すこしお待ちください。 Tarakowskiさま Korngoldの情報、ありがとうございます。ドナウのことも、重ね重ね、ありがとうございます。楽しみに待っております。
稲盛Contax
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/12] No.4327
先程京セラRTCニュース最終号(電子メール)が送られてきました。 9月をもって業務提携終了しますとの通知文です。私は京セラContax一眼レフは使いませんが、T3とTvsデジタルを割合多く使いますのでやはりがっかりです。これからはコシナZeissですね!
Re:Contax
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/12] No.4326
telefunkenさま。ご回答ありがとうございます。 でも、良く分らないので、ごめんなさい、もう少し教えて下さい。 「コンタックスU型にゾナー…付きで、なんと3万5000マルク、またはジャガイモ、メリケン粉、豆などの食品50sという、・・・」と訳文はなっております。 これって、3万5000マルク=食品50sという事でしょうか。けろけろさんご指摘のように、現在にくらべ食料の相対的価値は極めて高かったであろうことは想像できますが、食品50sは1か月分の月給程度ではないでしょうか。
生産性
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/12] No.4325
酔っ払いの労働英雄は言い過ぎでしたが、私の見た85年のソ連社会は80年に比べて比べ物にならない位腐敗が進行していました。もちろん全部とは言いません。Sovincentre(外国貿易ビル)の税関の若い女性係官(ブルック・シールズ似)は不正腐敗と戦う、それはもうそのまま映画の主人公になれる素適な人で、そんな人たちと仕事をしたのは私の誇りでもあります。 telefunken さま ドナウのコピーはレーニャのCDと一緒に送ります。 けろけろ さま No.4314 のアドレスにコピーの郵送先をお知らせ下さい。 その「窓」という小冊子の発行年、失念してしまいました。チェコスロヴァキアがまだくっついて書いていた頃ですので89年頃だと思います。本体は群馬北軽井沢の山荘にありますので、8月には確かめられると思います。 Masya さま ドイツの旅の番組、見ていました。先週は12chの鑑定団に密封KE-7が出ていましたね。その名古屋の方が騙された500万のライカって何のことなんでしょうかね? ところで黒塗りのフェイクContax(Kiev4M)ヤフ億にまた出ていますね。
最近並べてないなぁ...
お名前: Мася さん
[2005/04/12] No.4324
Привет Киевレンジファインダー機は2から4AMまで6台、50年代から80年代まで各年代あります。 並べてみると2(53年)と4M(83年)とでは光沢やグッタペルカ(?)の違いからか新しい方が安っぽく見えちゃいます。 シャッターリボン以外のトラブルを起こしたのは80年の4AM、最も動作が滑らかなのは79年の4A。よく使うのが先日総統とお出かけした時に使った62年の4(あっこれ一度シャッターリボン切れました)。 同じ4でも59年の4の方が動きが滑らか。どれも好きです。作りについてはどうなんだろう...年を経てコストダウンや合理化という影響がでてるのかな?4Mや4AMなどはプラスティック部品が使われるようになりましたし。素材が変わったということでそう見えちゃうのかなぁ... 総統のは83年の4AMでしたっけ?とても綺麗でした。 あっケースに関してだったら2のケースには敵いません。 私は全て手にして状態を見て買ってますがこの2は友人から貰いました。(エエもんくれたなぁ) その62年の4の次は79年の4Aまで間がないんですが、このあたりってどうなんだろう...あと3がなかったかぁ.. 近年はЗоркийを買う時はスローシャッターが搭載されているのを選んでいますがКиевは露出計搭載モデルばかり選んでます。 あっ忘れてた...日曜帰宅して「笑点」までフジテレビ(だったと思う)でドイツに関する番組を見ていました。ライカ本社の様子が紹介されていましたがボディ(M7)ばかりのコト言っててレンズには全く触れない... 私としては、「そりゃそうだろう」。 Пока
Kievは年代とともにつくりが悪くなるとの説について
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/12] No.4323
Kievは年代とともにつくりが悪くなるとの説があります。Tarakowskiさん、ご指摘のように、戦前コンタックスと、60年代以降Kievを比べた時、60年代以降製造のKievの作りが悪いのは確かだと思います。 では、50年代後半Kiev、60年代Kiev、70年代Kiev、80年代Kievと比べたら、年代とともに作りが悪くなると、言えるでしょうか。特に、60年代後半以降のKievに対して、年代とともに作りが悪くなると、言えるでしょうか。私には、とてもそのようには思えません。60年代後半以降のKievの作りは、変りが無いのではないかと思っています(個体の差が激しい)。 50年代前半、50年代後半、60年代前半、60年代後半以降あるいは70年代以降の4種類の保存状態の良好なKievを比べたら、年代とともにつくりが悪くなる説はある程度成り立つかもしれません。ただし、この場合も個体差が激しいので、実際には何ともいえないと思います。 さらにKiev-4,4aとKiev-4m,4amを比べると、Kiev-4m,4amの方が、動作がスムースなものが多いと思います。新しいほうが保存状態が良いのか、設計が異なるためなのか、理由はわかりません。貼り皮の粗雑さは変わりありません(繰り返しますが、個体差が大きい)。 Kiev-4,4a,4m,4amはどれも安価で販売されています。これらのカメラに、年代とともに作りが如何であるかを比較する事は無意味と思います。もし購入される場合は、できるならば現物を実際に比較する事をお勧めします。 それから、シャッターの鎧戸が角張っている若干古いKievには、巻上げが、かなり硬いものが有ります。設計製造上の原因か、単に古くなって、錆び付いているだけなのか、分りません。 手許に、コシナのKマウントMF20mmレンズがあります。レンズ内部で、一部、糊がはみ出しているのが見えます。コシナの従業員は一般に酒を飲みながら仕事をしているのでしょうか。コシナの生産設備は老朽化しているのでしょうか。コシナの従業員は労働意欲が極端に低いのでしょうか。違うと思います。単に安いレンズであるため、生産工程・検査工程・従業員の錬度などに原因が有るのだと思います。 戦前コンタックスと60年代あるいは70年代以降のKievを比べた時、生産性が大きく変化していると思います。
ツァイス信仰
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/12] No.4322
ポーランド人にもツァイス信仰のようなものがあり、どの時代の文学にもツァイスの眼鏡やらカメラが出てきます。今度内田さまに修理してもらう予定のContaxVも、もらう時に「これは本当に高かったんだからねえ〜」と言われました。まるで家宝のような物頂戴してきました。レンズはT型のものがついています。つくりはくだんのKiev4と比べ物にならない程上品です。革ケースもよくできています。まさにLegacyなカメラだと思います。
Korngold3枚
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/11] No.4321
ヴァイルとクシェネクとコルンゴルトのVn協奏曲集というCD(デッカ盤)持っています。聴き比べるとコルンゴルトの器用さずば抜けています。 ハリウッド時代の代表作はプレヴィンがDGGに録音し、これは国内盤が出ています。この2枚はHMVか山野楽器でも入手できると思います。 シャイーのヤナーチェク「グラゴル・ミサ」の余白にコルンゴルトの「詩篇」が何故か入っていました。気がつかなかったのですが、偶然発見!
世界最高のカメラ
お名前: telefunken さん
[2005/04/11] No.4320
がコンタックスIIIであったという認識は1930年代にはあったようです。アメリカでも日本でもカメラ小売店の広告にはかならずといっていいほどコンタックスIIIのカットが出ていました。当時いちばん高値で、いちばん先端スペックのカメラであったことは事実デス。1250分の1秒のシャッター、露光計つきのIIIはゾナー1.5/50付きで1936年で695マルクですから、中級乗用車の2000マルクの3分の1、平均月収の4.7倍です。だいたい3分の1を即金、あとの3分の2を12回払いにして買っていたそうです。(Kuc, Auf den Spuren der Contax) ちなみに同じころのライカの最高級機種IIIaはズマール2/50付で387マルクでした。同じF2/50ぞなーつきのContaxIIIは560マルクですから、ContaxIIIがいかにライカと比べて高価だったかがわかります。ツァイス・イコンのフラグシップ機というイメージもその高値を支えているのでしょう。
Contax
お名前: telefunken さん
[2005/04/11] No.4319
金井さま 資料でてきました. 2万5千マルクの原価とあるのは印刷ミスなどではなく正しいことがわかりました。ただしこれは何人もの人間が長時間掛けてごく少量の試作品を作ったときのコストで、全部手つくりの機械式腕時計などのコストと似ていると思います。したがって実際にラインを動かして大量に作ったときの原価とは全く[たとえば2桁ぐらい)違うと思います。それを闇市で3万5千マルクで売ったということですが、これは40年代初めなら小さい家が2軒買えるほどのお金です。そういう時期には闇成金がいるし、新品のコンタックスということもあって、それでも売れたのでしょう。今で言えばフランク・ミュラーの8千4百万円の腕時計のような感覚だと思います。
Kiev4
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/11] No.4318
85年のモスクワ駐在が終わり、別れの挨拶にその部長から頂いたのが70年代末のKiev4型です。サンプル棚から1台出してきたそのカメラは酔っぱらった労働英雄が作ったのか貼り革は最初からめくれて、ケースにしてもどうしてこんな糸で縫うのかという作りで、露出計の扉は子供の工作レベルです。けろけろ様に全く同感です。 荘厳ミサ、何故かカラヤンと朝比奈しか聴いたことないのです。クレンペラーあたりなら多分感動するのでしょうが。
Korngold
お名前: telefunken さん
[2005/04/11] No.4317
Tarakowskiさま それは残念でした。Die Tote Stadtはダニエル・シュミットの名作La Palomaにもアリアの部分が長々と引用されていて、退廃的な感じが濃厚でした。ただ「ヘリアーネの奇跡」のほうがぼくは少し好きで、第三帝国時代に退廃音楽として禁止された理由がよく判ります。コルンゴルトの父親のユリウスは有名な音楽批評家ですが、いまでは書いたものが散逸していてナカナカまとめて読めません。コルンゴルトはハリウッドへ渡ったあと映画音楽をすこし書いているようですが、マイナーな作品が多いようです。 ある編集者から「植民地」、「制服」のテーマをもらいました。けだるい、天井で扇風機が回っているような南方で、北方の理性や秩序が崩壊してゆくのを書いてほしいらしい。ぼくはそれが北方文明の自殺だという観点です。甘い熱帯の死の中へ溶解してゆきたいのでしょう。そこへ配属された総督の気持を書いてほしいとか。 制服は死に接近するための礼服という意味らしい。実はどちらも死に濃密に関連しているのですね。 ローデンバッハの死都ブリュージュ、もう一度読んでみたいです。
20世紀最高のカメラ
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/11] No.4316
20世紀最高のカメラ: コンタックスが20世紀最高のカメラであるという考えに同感です。1980年代に世界最高のカメラであったとは思えないけれど、少なくとも、20世紀を代表する工業製品の1つであると思います。1980年代半ばであっても、最高カメラだった片鱗が残っていたのでは。それに比べ、Kiev-5はちょっといただけません。使いやすいカメラなのですが、古きよき時代の雰囲気が有りません。 1980年代のKievは仕上げが悪くて故障が多いですか。私にはそうは思えないのですが。それよりも、1960年代のほうが、長い間使われた分、故障や痛みの目立つ個体が多いと思います。1960年代頃からでしょうか、鎧戸のカドが少し丸っこくなっているもののほうが、むしろシャッターの動きが良いように思います。また、Kiev-4m,4amのほうが、Kiev-4,4aよりも巻き上げがスムースである場合が多いような気がします。きちんと調整された1950年代前半のシンクロ接点なし、キリル文字のKievの方が良いと思いますが。。。これには、多分にデザインの好みが入っています。 1950年: 1946年よりもむしろ1950年に興味があります。1950年代になるとKievの製造台数は急に増えます。そして、キエフ独自の特徴になります。さらに、1952年ごろになるとKiev3が出現します(1949年にもKiev3が存在するかも知れませんが例外的です)。1950年から1952年ごろにかけて、Kiev製造ラインに大きな変更が有った事は間違いありません。労働赤旗勲章受賞者が多数出現したかな?? ミサ・ソレムニスはお嫌いですか。
Die tote Stadt
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/11] No.4315
telefunken さま お留守中に昨年のザルツブルク音楽祭のプログラムがネットオークションで出品されていました。千円でBid入れて、翌朝起きたら3千円でどなたかが落札していました。残念!好きな方がおられるのですね。実は3〜4年前、新日フィルがコンサート形式で上演しました(井上道義)。忙しくて行けなかったのを覚えています。 今週末のN響定期Cチクルスはミサ・ソレムニス、あまり聴く気が進みません。ヨハネ=パウロ2世追悼(?)でしょうか。
1946年
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/11] No.4314
大変情緒的な表現が多く、歯がゆさをお感じかもしれませんが、けろけろ様の仰るとおり謎解きの真実は1946年の決定のプロセスです。是非アーカイヴで検証する必要があると思います。壁以前でしたら不可能だったでしょうが。 「ドナウ河をめぐる南・東欧史」田中一生・南塚信吾(ナウカ社「窓」)やっと出てきました。簡単ですが、ドナウの語源についての記述があります。これはその後公刊された南塚編「ドナウ・ヨーロッパ史」(山川出版社)の下書きになったと思われます。コピーご希望の方は上記宛てメール下さい。
Kiev
お名前: telefunken さん
[2005/04/11] No.4313
金井さま レスが遅れて申し訳ありません。実はただいま書庫の整理中で、資料が出てきません。したがって記憶だけを頼りに申し上げます。後日まちがいは訂正させていただきます。 Carl Zeissで製造したContax製造ラインの1本300万マルク、3本で900万マルクは正確です。ただ原価1台25000マルクというのは、どう考えても250.00 マルクのマチガイと思われます。1936年当時ContaxIIIの1.5/50つきが650マルクで、労働者の平均月収が148マルク、中間管理職で200マルク、大病院の部長で500マルクですから,それから10年後の1946年当時でもその間はほとんどインフレがなかったので、IIの原価250マルクは妥当な線でしょう。 Jena Contaxはあくまで試作品、ラインテストですから、能力の限界を稼動させたものではないと思われるので、2000台という少ない台数も理解できるのですが48,49年のキエフ生産量の5000台というのは、ちょっと不可解です。SMAD(ソビエト軍司令部)が発注したときに、生産能力のこともあったように記憶しますが、ちょっと資料が出てこないとわかりません。
花を視る
お名前: けろけろ さん
[2005/04/11] No.4312
経済的合理性だけからでは歴史的行動を説明できないというのがポストモダニズムだとして、しかし、アナール派のように「個々人の気持ち」の集積をどう評価するかは、また悩ましい問題です。 全国の学校に配られた政府(関連団体)のCDは、現場教員の「気持ち」を反映していたのでしょうか? そのことと、輸出協会のパンフに「誇らしげに掲げられ」、かつ責任者が胸をはって発言したことが、現場ないし担当以外の政府部局の気持ちを反映していたか、とは、全く異なるレベルの問題と片づけることはできないように思います。 常識的に判断して、80年代ではソ連でもキエフが、最高のカメラ「である」と現在形をもって語られることが困難だったことは明らかで、おそらく生産現場の人間は、キエフをくれるといわれても、むしろ日本の気の利いたカメラが欲しいと切実に思っていたでしょう。その80年代の現場の志気は、仕上げの悪さや故障の多さにあらわれており、これは、現物を観察すれば、直ちに誰でも納得するところです。 もっとも、80年代以降なお、キエフの生産を続けていたのは、老朽化した設備と、志気の低下した工員を動員しながらも、キエフの残照にノスタルジアを感じるアメリカなどの諸国のファンに輸出することによって、外貨を稼ぐという、きわめて唯物論的な国家ないし企業動機が、そこにあったのであり、担当者の発言も、そういった動機の目的達成のために、営業的な意味からなされたものと解釈すれば、容易に納得できます。 何度も申し上げるように、問題は、「1946年はどうだったか」なのです。 ポスト・ポストモダニズム、ないし反ポスト・モダニズム、という訳ではなく、経済外的な動機の存在を一律に否定するものではありませんが、一般的にはより客観的に測定が可能であるか容易である、経済的合理性からまず説明をはじめなければ、自体は混乱するばかりだとおもうのです。 食料難の状況下でのジャガイモ50キロは、今日における消費生活におけるそれとのウエイトは比較にならないほどだと思われます。つまり、困窮下においては、食料の相対的価値は極めて高く、平均的一家の生活維持に必要な食料は、今日の平均給与所得と同価値と考えてもよいかもしれません。ジャガイモのカロリー単価を考慮し、それと平均家族の一日あたり必要摂取カロリーを大体8000キロカロリー(大人2人子供2人)と想定すると、ジャガイモ50キロは、ほぼ一家ひと月分のカロリー必要量で、平時の給料ひと月分に相当するでしょう。それにしてもかなり安い、気がします。 一方で、物価変動を考えると、ほぼ戦後の困窮状況が終息した50年代ぐらいから今日の物価は、大体20倍程度だといえます。そうすると原価から計算した600マルクは、今の貨幣価値で軽く100万円を越えることになります。しかも、これは1946年から50年までのインフレ分を捨象しているのです。この製品価格と、生産コストの差をどう説明するのか? プライドとかあこがれではこのギャップを埋めきれないと思うのですがいかがでしょう?
こちらこそ有難うございました。
お名前: Мася さん
[2005/04/11] No.4311
Привет Киевについて議論が白熱している中、申し訳ありませんが日曜はtelefunken総統と共に烏山寺町から玉川上水を経て井の頭公園と桜を楽しんできました。 折角作った春限定のケースを使っていなかったので4で桜を撮っていました。総統もケースのことがあったので4AM。(あまり出来の良くないケースで申し訳ありませんでした。) 親子共々ご馳走になり、また息子の相手もしてくださり、本当にありがとうございました。総統の博識とお笑いのセンスに感服して将来は総統のようになりたいと申しておりました。 日頃京都に行きたいと申しておりましたので、寺町は気に入った場所になったようです。 井の頭はものすごい人出で、こりゃぁモメ事が起きるのも当然だぁ。 Киев論議が白熱している中、我々はКиевで桜撮影...何か因縁めいたものが...単なる偶然ですって。 う〜ん、総統がオフ会(般若党党大会?)について仰ってらしたのですが、こうなったらКиевをテーマに集まった方が良いのかと思っちゃいました。 Пока
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/11] No.4310
>消費物資部(プロムタヴァールィ)長が真顔で「キエフは20世紀最高のカメラです」と言っていた いいお話ですね、キエフの生産者からぜひ聞きたかった言葉です。 世界最高峰のカメラを生産しているという労働者の自負はキエフの魅力のひとつと思うのです。 ライカなんか何処でも作れるんですから。 ヤシカリンクス(のコピー)を製造していたシナも「これはヤシカリンクスそのものです!」と鼻の穴を広げて胸を張っていたそうなので、たとえ時代と隔絶していても、よい製品を作るという行為が人間的な喜びが得られるという証なのでしょうね。
偉大なるカメラ、Kiev
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/10] No.4309
話が元に戻りますが、80年代半ばにソ連対外貿易公団の消費物資部(プロムタヴァールィ)長が真顔で「キエフは20世紀最高のカメラです」と言っていたことは、なぜ製造ラインを移送しドイツから技術者までを移動させたかを説明できると思います。ライカは「憎きヒトラーと戦後西ドイツのカメラ」、コンタックスこそ「正統ドイツ光学の精緻」これこそ第三のローマで製造しなければならなかったというように解釈しています。 マルクス主義と同じくすでに時代遅れのカメラだと誰しも分かっていたのに国家の威信をかけて製造し続けた時代の子だと私は思っていますが。
Kiev 大きな謎
お名前: 管理人(金井) さん
[2005/04/10] No.4308
けろけろ さま。不思議ですよね。1950年以前のキエフが少なすぎますよね。おまけに、ドレスデンで接収されたコンタックス製造ラインは、一部使用することができたので、3つのラインとは別に、キエフ(あるいはパーツ)の製造が行われた、とも言われているそうです。 さらに不思議なことは、ドイツ技術者が帰ってしまった後の50年代になると、急に製造台数が増大します。労働英雄は何をしていた。 ふりだしに戻る: telefunkenさま、最高の一日だったのに、蒸し返しの質問ですみません。 キエフの考察が振り出しに戻ってしまい申し訳ありませんが、もう一度確認させてください。 製造ラインは1ライン300万マルクだった。コンタックス1台レンズつき製造原価は2万5千マルク。売価はジャガイモなど食品50kgともあります。という事は、製造ラインの価格は、レンズつきコンタックス100台強程度という事になり、製造ラインとしては、かなり安いような感じもします。あまりたいしたことない製造設備だったのでしょうか? さらに、1946年6月〜1947年10月に作られたイエナコンタックスは2000台程度と書かれています。だったら、1948、1949年のキエフ製造台数が5000台というのは、まったく正当な台数にも思えます。 いかがでしょう?
花見
お名前: telefunken さん
[2005/04/10] No.4307
今日はMasyaさまとジュニアと一緒に寺町から吉祥寺。ハンニャのケースもいただきましたが、すごくかっこいいです。花は満開。気温高く、道連れはよく、最高の一日でした。Masyaさま、ありがとうございました。 バーゼルでアレクサンドル・ショーロホフというモスクワの時計メーカーが小間を出していて、トルストイというのとチャイコフスキーというのとを売っていました。ところどころにファベルジェの模造品もおいてありました。
Paul Valery
お名前: telefunken さん
[2005/04/10] No.4306
ヴァレリーのおすすめはla crise de l'esprit(精神の危機)とゲーテ=人オルフェウスという如くゲーテという(Goethe-on dit Goethe comme on dit Orpheeでしょう。日本語で読まれるのでしたら前者は桑原武夫教授、後者は佐藤正顕氏の訳をおすすめします。 ポール・ヴァレリーはボクは中学のとき翻訳で読んで衝撃を受けてから、60年後の今日まで、肌身離さず愛読してきました。ボクが最も影響を受けた詩人・批評家、というか、homme de lettreです。
キッチン
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/10] No.4305
吉本ばななの「キッチン」のポーランド語訳が最近出て、家内が読んでいたのですが、表紙に漢字で《台所》と大書きされていたのには苦笑。デザインならともかくキッチンと台所、厨房の語感を本当に訳し分けられたのか疑問です。 「共同幻想」も死語になりましたね〜。
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/10] No.4304
早速のレスありがとうございました。 ウェブサイトの免責事項によって掲示板上での情報は公開とする、を適用して、某掲示板で書かれたものを。49は「4958**」と言う記録があるようです。リミット6000以下、となりますから労働英雄は生産計画を着実に達成に向けて邁進していた(はず)、ということでしょうね。 パーツの入れ替わり時期というのは1949年から1950年にパーツはコンタックスからキエフになっていくのだろうか?という興味なのです。 481919というと日活ロマンの番号ですね。
→ふりだしに戻る
お名前: けろけろ さん
[2005/04/10] No.4303
みらんじさま・Tarakowskiさま:ありがとうございます。眼福です。 49年までに大体累計5000台を上回らない数が生産されたということ、でしょうか?そうすると、やはりキエフを生産したのが何故だったのか、やはり判らないのです。telefunken さまによれば、生産ラインの取得に900万マルクかかっています。これが10年償却で46〜48の3年間に定額で償却するとして300万マルク、これを生産台数で割ると、1台あたり、600マルク(!)です。物価上昇分が正確にわかりませんが、人件費・材料費がこれに別途かかるのです。これはSPの復刻分にまさるとも劣らないのでは? なぜ生産したかは、現代の日本の営利企業が行ったSPの復刻ですら判らないのですから仕方ない、のかもしれませんが。技術の継承、が目的だったとしても、後代のキエフがお粗末なのは、周知の通りです。 年間3000台=1日約5台、ラインはフルに稼働してなかった、のでしょうか?しかし、ラインを高価な対価を払って購入したのであれば、3年も寝かせるということは考えにくいのですが。 PS:バカボンのパパ、梅宮あんなのパパ、と同様に最近では、ばななの父、です。イタリアではなぜか娘の方が読まれてます。あと10年もすれば2人とも忘れ去られるのでは?ヴァレリー、恥ずかしながら読んだことないのです。何がおすすめでしょうか?
ギヤ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/10] No.4302
4414号はご覧のとおりです。 481919と491974の間に境界線があるのですね。ウィーンのライカショップに481616が出品されています。ヌルハチの番号ですね。
画 像 :
img20050410123552.jpg
-(68 KB)
ちょっと戻りマスが
お名前: みらんぢ さん
[2005/04/10] No.4301
Киевについて Tarakowski さん、差し支えなければディティールも教えていただけますか? 距離計のギアですが、センターに溝のあるタイプでしょうか? 個人的な興味なのですが、パーツの入れ替わり時期になっていると思うのです。どうかよろしくお願いいたします。 製造台数に関してはメーカーからの情報開示がないので正確な数字は望めません、しかし、こういうメーカーはむしろ普通で、この手の数字がはっきり判るメーカーの方が少数ですよね。 ebayでシリアルナンバーをリファレンスしていくのは一般的かどうか判りませんが世界中のコレクター同士が共通して認識していくことが出来るところが素晴らしいと思っています。 わたしは最近活発にやっていないのですが、メイリングで送られてくるデータや記事はコレクターの人たちが地道に集めたもので、許可がないと掲示板などでも書くのがはばかられるのですが Киевのシリアルナンバーは年号の二桁以下は積算のようです。 活字になっているナンバー情報は残念ながらどんどん古びてしまうので混乱してしまうのですね。こういう情報に関してはリアルタイムで新しい情報に更新できるインターネットなどが最適と思います。 ネット情報の信用度が発信者の信用度に比例するとするとマスター、ドクタークラスの人が発信者であれば… Киевの贋物は困った問題ですね。 ただ今のところ出会っていないのと、出来のいいフェイクにも出会っていないので1949 Киевは、まだ清浄な分野なのではないかと思います。 シリアルだけの違いですから簡単かも知れませんがレンズが「いいもの(zkや1948など…)」ではないと値段もつきにくいでしょう。 よって贋物を作ってもさほどメリットがないからかも知れませんね。
画 像 :
img20050410112550.jpg
-(26 KB)
独立党・事大党
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/10] No.4300
高校の世界史:東アジアの民族独立運動のところで扱います。中国の洋務運動、日本の明治維新と重ねて。本当は続けて日露戦争と行きたいところですが、なぜか教科書は帝国主義の説明があって、水を差す感じになります。 中学の歴史は4年前一度だけやりましたが、もちろん教えました。
ロストフツェフ
お名前: Tarakowski さん
[2005/04/10] No.4299
先程の「ギリシア史の教授」は「ローマ史」の間違いでした。大学1年の講義で『20世紀最大の歴史学者はロシアの巨人ロストフツェフだ』と言ったので、ロシア語に希望の光が射したのを覚えています。で、ギボンはとにかく(翻訳で)読んだのですが、ロシア語でロストフツェフまで辿り着きませんでした。彼もウクライナ生まれですね。 ウクライナといえば 80年、ソ連交流団旅行中、インツーリストが「これからロストフ」に行きますと言ったので「やった!ウクライナだ」と思ったら、バスで黄金の環の《ロストフ・ヴェリーキー》に連れていかれ、由緒ある修道院を改造したディスコで踊らされました。あの罰当たりな連中、絶対に天国へ行けないと思います。 もうひとつ想い出を そのロストフ行きのチャーターバスにポーランド人が数名乗ってきたので、席を空けようとしたら、「これはあなた方日本人のバスだからポーランド人に席を作る必要は無い」とインツーリストの役人は言いました。だからロシアはポーランドに嫌われるんですよ。
Return