Return
たくさんの投稿ありがとうございます。飛行機・車はまったく分かりません。暗算: ちょっと古い投稿になってしまいましたが、12月8日の投稿で、暗算の例題を書きました。hirob_pさまの回答は優等生の模範解答。telefunkenさまの回答は、出題意図までご理解されてますね。まいりました。海外出張: telefunkenさまは、明日から海外出張なんですか。風邪は大丈夫ですか? お気をつけて。大東亜戦争末期のソ連対日参戦: 大東亜戦争末期のソ連対日参戦について、諸外国の子供たちはどのように習っているのか、簡単に調べてみました。 ソ連・中国・台湾・香港・モンゴルでは中学校・高等学校で習います。米・英・仏・独・西・伊などの教科書には記載されていないようです。原爆投下はたいていの国の教科書に載っています。北朝鮮は分かりませんでした。韓国の教科書はソ連どころか金日成も記載されていません。韓国は一応当事国なのだから、ちょっとぐらい記載されていても良いのに。 ソ連対日参戦を記載している国の教科書は、ソ連を解放軍とするもの(ソ・中・モンゴル)、戦争最後期になってやっと参戦したとするもの(台湾・香港)と、ソ連参戦の評価に若干のニュアンスの違いはあるけれど、批判的な記述は有りません。そして、韓国も含めてどの教科書にも共通する記述は、最悪な侵略国家日本の最大限の批判です。名古屋: 先日、名古屋に行ったとき、エスカレーターの乗り方が分かりませんでした。エスカレータを歩くときは右ですか左ですか。東京は右を歩く、大阪は左を歩く、名古屋は? 帰りに、なごやん買いました。
ございます。かぱまんさま。いまロード・オブ・ザ・リングを見ましたが、なんだか散漫な気がしました。もっと圧縮されてたほうがいいみたいな気がする。
telefunken様、いい忘れておりました。気をつけて行ってらっしゃいませ。
わたしや飛行機 風まかせ舵のとりよで宙返りオヤクルリトセ ションガイナ曲はどんなものだったか、わかりません。でも大江戸出世小唄でピッタリはまります。『土手の柳は風任せ』ってアレ、オダギリジョーのおじいさんの高田浩吉が歌ってたヤツです。ヒコーキ熱は一般人にも浸透しましたが、やはり軍人のサークルでは濃厚で、当時の九段の花街(招魂社つまり靖国神社のむかいの一帯。近所には偕行社つまり九段会館もあった)ではこういう端唄がうたわれてました。いまでも表通りには牛鍋屋の大周楼が残っています。
立川小唄受けてるみたいなので続きを東京ばかりか淺川青梅五日市から一走り汽車だ電車だ川崎からも空の都よ立川よ渡れ日野橋御茶屋が見える浮いて静かな屋形船眺め懐かし秩父や御嶽空の都よ立川よかぱまんさま。アラカンのヒコーキ好き、ご存知でしたか。撮影所には何台ものクルマのうちパッカードでよく通ってたそうです。そうか、離着陸で機首を下げるんですねえ。Xウイングファイターなるほど。各務ヶ原で作ったのはサルムソン2A2で陸軍乙一(一乙?)式でした。ぼくはニュポールが大好きでです。第一次はイスパノとロールズの戦争といわれましたが。その時代に生まれたかった。ドイツとマッド・サイエンティストそうですね。カリガリ博士、マブゼ博士、フランケンシュタイン博士、メトロポリスのロートワング、これらの奇人怪人がオットー・フンテの未来派的装置の前で大暴れする映画を何本見ただろう。ウーファ、 トビス、ネロ・フィルム、白黒のコントラストのどぎついメークに表現派風のゆがんだ窓。ああ、偉大なドイツの怪人たちの伝統。クローネンバーグがその遺伝子を持ってますね。Masya様、ありがとうございます。気をつけていってまいります、ではよい週末を
>まず立川小唄でも。 粋ですねぇ。こんな唄あったんですね、知りませんでした。でも嵐寛寿郎のヒコーキ好きは、さすがに少しは伝え聞いています。>コンコルドって機首が上下に動きませんでしたか? 離着陸の時に、前方視界の確保のために、くちばしを下げてました(通常飛行時は、コクピットからは前がほとんど見えないようになってたようですよ)。>離着陸には二枚翼で飛行中は一枚 スターウォーズのX-ウイング-ファイターをイメージしてました。>ソ連には世界で唯一引込脚式の複葉戦闘機がありました ミグ27もそうですが、ロシアンファイターって脚がすごくぶっ太くて、ほんとどこにでも着陸できそうな感じで、極めて実戦的で、好きなポイントのひとつです。オオタカとかの猛禽類の足に見えます。 リノエアレースのバイプレーン-クラス(複葉機のクラス)でも確か、レギュレーション的に引込脚は禁止されてたようですから、もしも実機が現存していて、レーサーとしてデビューしてきたら、それこそ唯一無二で、実に面白ろそう(でも勝負にゃなんないか)。>合体したまま飛んで空中で切り離すという構想はソ連軍にはありました。 長大な航続距離を、単発の戦闘機に強いるのはやはり無理とみたか、ICBMが登場する直前だったと思いますが、アメリカさんちの戦略空軍でも大型爆撃機にポッドをぶら下げて、小さなジェット戦闘機を格納する、なんてアイデアが実用化されかかったようです。>ハインケル教授の設計 彼のだけじゃなく、ドイツの飛行機はへんなのも多かったと思います。よくいえばマニアック?>確か生け花を習っていて これはいい話ですね、確かに役立つことでしょう。生け花を習って、油絵もついでに習ったら、いっぱしの風景写真家になれそう?
最近、立川を"たてかわ"と読んでしまいます。この立川の飛行場が米軍の立川基地となり、今の昭和記念公園になったんですよねぇ。例の漫画にも調布から飛び立った飛行機の機内食について描かれていました。気圧の変化のためか騒音のためか耳栓が配られたとか。時計:疎い方ですがジンの時計って聞いたことがあるような気がします。コンコルド:初めてボストンに行った帰り、ニューヨークで乗り換えたのですが丁度パリ行きの機体がとまっている所を見たことがあります。思ったほど大きくなかったような気がします。ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港って分かり難く、迷った挙句英国航空のコンコルドの窓口に行っちゃったことがありました。日本へは1972年頃に羽田と関空がオープンした二日目、サミットでフランス大統領が来た時にきましたね。初来日の時は兄が見に行って、関空はその翌日に商売でJALのオフィスを訪れた時に聞きました。見たかったなぁ。乗ったことがあるとはチョー羨ましいです。ドイツの飛行機:そのハインケル知ってます。その他にも前後にプロペラが付いたドルニエとか。そういうのは「世界の駄っ作機」とかいうタイトルで本になっていますね。宮崎駿氏に言わせるとドイツはマッド・サイエンティストの宝庫だそうです。私もそう思いますが。年末にオレグが帰省するついでにモスクワで贈物が託せるかもしれないので週末はその準備かな?紅葉は...では、よい週末を!telefunken様、よきご旅行を!
飛行機なみなさままず立川小唄でも。鳩かとんぼかあのサルムソン飛ぶよアブロ機ドルニエ機シャンがすましてフォッカーに乗った空のみやこよ立川よ戦前に飛行機がファッション化したころ、文士仲間でも飛行クラブができて、SF作家の北村小松が会長になって、立川や調布から飛んでいました。また鞍馬天狗の嵐寛寿郎もクルマだけでなくてヒコーキ好きで、よく京都から東京まで来て会合に出ていました。1931年元旦、阿部静枝女史は第一国道を、大晦日の籤引きであてた車をかわいい男の子に運転させて、本牧まで遊びに行かれるのですが、運転席の彼に『アタシ飛行機はロールズロイス、自動車はサルムソンが好き』と仰せられています。当時はレーシングカーとしてはサルムソンが非常に有名でした。ハワード・ヒューズが作って結局は飛ばなかった巨大飛行艇、なんて名前でしたっけ。たしかハインケル教授の設計で、非対称飛行機(?)というのがあって、翼の中央でなく偏った側に機体、もう一方の側にフュスレージみたいなものがくっついたのがありました。要するに二本胴で、片方が長く片方が短いのです。どういうメリットがあったのか、読んだ内容の記憶がありません。ヴァシュロン24時間で5秒ぐらいの誤差です。立派。余勢をかって、オードマー・ピゲのトゥルビヨンを買いました。トゥルビヨンとは姿勢による重力の影響の差を補正する機構です。これにはムーンフエイズもついていて9500円です。月曜日にフランクフルトに向けて出発し、金曜日に帰ってきます。行く先は時計メーカーのジンという会社です。ミリタリーウオッチの専門メーカーですが、マニアの間では有名です。ありとあらゆる機構がゴテゴテ着いた大型の腕時計で50万円くらいのヤツですが、日本でも人気があるらしい。首が曲がるコンコルドって機首が上下に動きませんでしたか? でも飛行中じゃないですよね。一度乗ったことがあります。たしか足が短いという理由で極東には来ませんでした。離着陸に二枚翼というのは上下に2枚ということ?サルムソン(たしか2A)は川崎が各務ヶ原でライセンス生産して陸軍乙式という名前でした。
私も輸送機の機首が開くのは荷物の積み下ろしの時でロボット(最近の私ならモビルスーツだな)のように口が開いて合体!っというようなことなんだなぁと後で気がつきました。前後を開けてとんだら鯉のぼりが飛ぶようなものかな。合体したまま飛んで空中で切り離すという構想はソ連軍にはありました。そのために小さな機体が必要だったのかな?ドイツは切り離した飛行機を爆弾代わりに突っ込ませました。ミステルといって無人です。母機は単発の戦闘機で爆弾代わりになるのは双発の戦闘機や爆撃機でした。二枚翼機:複葉機というべきでしたかな。上下に二枚翼のある機体です。このどちらかが飛行中に折り畳まれる仕組みなんです。写真が見つからないんです、まだ。ソ連には世界で唯一引込脚式の複葉戦闘機がありました。紅葉の写真:私もあまりの綺麗さに驚きました。確か生け花を習っていて使用機材はニコンのクールピクスだったと思いました。正直、負けたと思いました...
>離着陸には二枚翼で飛行中は一枚????片翼だけで飛ぶって事…そんな事が可能なのですね。 >輸送機なんかだと機首が後ろにまがるあっ…確かに。でも飛行中に合体する為ではないですよね。飛行中に飛行機で可動な部分てどこがあるのだろうと思ったのでつい変なことを書いてしまいました。 >ロシア人が見た日本ご紹介有り難うございました。どれも凄く綺麗ですね!!私は3つが気に入りました。それにしても露臭がしないなぁ…。http://olga.cool.ne.jp/osen/4.jpghttp://olga.cool.ne.jp/osen/7.jpghttp://olga.cool.ne.jp/osen/10.jpgこの写真はフレアが凄いですね。自然にこんなハートの形になったんでしょうかね?面白いですねー。http://olga.cool.ne.jp/osen/16.jpg >某国立博物館だと入館料払ったことない…いいなぁ。国立博物館欲しい…。
大型機:大戦中、エンジンが4基搭載されて成功した機体って少ないんじゃないかなぁ。我々に最も馴染みがあって最も憎いボーイング、南方で戦ったコンソリデーデット。欧州では英国のアブロ・ランカスター他二種類(忘れました)。日本では爆撃機として製作しても実用にならず輸送機になったりしました。二式大艇くらいしか成功しなかったんじゃないかなぁ。ドイツもそう多くない気がしましたが、捜していたユンカースJu-38の写真が見つかりました。http://www.luftarchiv.com/flugzeuge/junkers/ju38.htm1929年製で日本も三菱がライセンス生産して6機の内1機が終戦まで残ったそうです。日本は国土が狭いけれど領海が広かったから大型船舶の必要があったのかも?確かにロシアは大型機が好きだったような気がします。でもポリカルポフといった初期の戦闘機は小型ですね。可変翼:今や超音速爆撃機にまで採用されていますが、旧ソ連にちょっと面白い可変翼機があったそうです。離着陸には二枚翼で飛行中は一枚になるという飛行機。4号試作機まで作られたそうですが実用化されなかったそうです。輸送機なんかだと機首が後ろにまがるようなカッコじゃないですか。スホーイ:ご紹介した写真で後続の機体はスホーイ27です。なんか尻尾みたいのがカッコ悪い...ロシア人が見た日本:ロシア人が見た日本の秋です。http://olga.cool.ne.jp/osen1.htm写真下の数字をクリックすれば、どんどん見ていけます。ブローニー:大抵35mm機も持っていきますから、ここ一番という時にしか使わないんです。入館料:高いですよぉ...私設だから仕方ないかぁ...某国立博物館だと入館料払ったことないです。しかもミュージアムシップの商品も社員(?)割引で買わせたことがあります。
>入館料高くありませんでした?そうでしょうかね?確か800〜1000円位だったと思います。高かった記憶は無いです。これは高いのかな?水族館とかだと4000円するところもあるので、それと比べれば安い?当たり前か…。 >前進翼失礼しました。動いてこうなったんではないのですね…。普段からこんな格好なのはちょっと格好悪いなぁ。後退翼(かぱまんさん有り難うございます)の方が「かっこよろしいなぁ」。 >可変式の前進翼昔のTVの超合金ロボとかのように首が後ろ向きに折れ曲がるなんてとんでもないのでしょうね。 >Москва2いいなぁ。私はモスクワはいま暫く我慢でーす。手持ちの69蛇腹で頑張りまーす。それにしても、これだけの場所をフィルム一本に納めるのって凄いですね…。私はお寺1ヶ所につき、少なくとも一本という感じです…。でも、自分なりに丁寧に撮れるのは巻き上げがレバーじゃないからって感じもします。66ローライコードでも、645イコンタでも、どれでも巻き上げがノブ式だと大事に撮れます。でも、ペンタコン6のようにレバー式だとあっという間になくなります。135フィルムでも、ソ連のノブ巻き上げのものに比べると、レバー式の一眼はあっという間にフィルムが消費されます…。パチンコ屋さんのレバー式から自動式になったのと同じ感じだろうか??カメラの巻き上げを初めてレバー式にした人って凄いですね。 >「写真愛好者クラブ」以前、アサカメか何かで在日の外交官だけが応募する日本をテーマにした写真が紹介されていました。とても面白いと思いました。ロシアの方が撮る日本も面白そうですね。
>前進翼って前向きのデザインなんです。 かつて主翼といえば、スピード出さなければいけないジェット機だと、後退翼と相場は決まっていましたけど、今回の前進翼や、片側が前進翼でもう半分が後退翼のスタイル(しかもその角度が可変する!)などなど、シロート衆にはすでに理解の範疇を超えている航空機デザインがどんどん出てきてるようですよ。NASAのサイトに詳細がなかったっけ(完全に当てずっぽ云ってます)。でも可変式の前進翼って実例知りませんねぇ。>革命前のロシアで作られた巨人機、イリヤ・ムーロメッツ ロシアって巨人機が好きなのかな?という個人的感想はかねてより持ってます。国土の広さがモノの大きさに対する感性を決めるのでしょうか?ヘリコプタでも、ものすごーく巨大なの、ありましたよね。>っというかフィルムが勿体ないから丁寧に撮っているだけだろうがって? いえいえ、これってとても大事なことでしょ、やっぱり。失敗したくないから考えるし、フィルムのサイズが大きくなればなる程、一回ごとのレリーズがやたら丁寧になりますよね。デジカメでは写真がなかなかうまくならないような気がします。というか、銀塩のAE、AFカメラ以上に「カメラに撮らされている感覚」が高いので、上手になりようがない、とまでいえば言い過ぎでしょうか。何かへんくつジジィみたいですね、やめときます。とある人のお導きで、この年末には中判キエフを我が手許へお呼びすることを決心しました(大袈裟やっちゅうの)。60か88か、それが問題だ、、、。
いえ、そんな。МиГのページで歴史を見てもグレヴィッチの名が無かったのが気になったんです。トヨタ博物館:あそこって入館料高くありませんでした?一度行ったことがあるんですが入館料払わないで入ったもので...WEB Camera:最近、オフィスから見れなくて自宅から見ています。今年は雪が少ないようです。今年はあのツリーの近くには行けないんだなぁ...今日、友人がモスクワに向うと聞いていたのですが、昨夜ワレリーからばーちゃんに贈る健康ネックレスをもう一つ買ってくれって...前にも私の出発直前に何か買って来てくれと頼まれたことがありました。ったく懲りない奴っちゃなぁ。でもこの健康ネックレス、私達家族も気に入ってるんで彼女の両親に贈ってあげたいと思っています。あっその友人にお金を渡せなかったので特製Зенитはお預けです。
Приветちょっと本を読んでいて思い出したことが...最近すぐにでてこない...10年位前のJALの機内誌に宮崎駿氏が描いた漫画なのですが機内食の歴史。革命前のロシアで作られた巨人機、イリヤ・ムーロメッツ(ロシアの民話での英雄、ウクライナかな?)が長距離を試験飛行で飛んだ際、お茶とかパンを食べたのが最初だったとか。この機の製作者は革命後アメリカに亡命し、ヘリコプターで有名になったシコルスキーです。この漫画の最後に日本的に機内にお座敷を設けるとか...これがダメなら立ち食いソバのスタンドを、なんてありました。確かに太平洋上空で出される「赤いきつね」は泣かせるものがあります。スホーイ37:名前ちょっと見つからないんですが、大きい写真がありました。これ前進翼って前向きのデザインなんです。日本の隼とかの翼を見ても前向きになっています。http://www.airshow.ru/2001/images/1/277.jpgコンクール:彼女の会社内のコンクール(誰の発案だろう?彼女っぽい...)でテーマは「新年」と返事がきました。昨日、Москва2で撮った殿ヶ谷戸庭園、等々力渓谷、九品仏、本土寺、浜離宮の写真が出来てました(1本に納めました)。どれも満足のいく仕上がりです。Москваで撮る時って失敗がないですね。(っというかフィルムが勿体ないから丁寧に撮っているだけだろうがって?)写真クラブ:日本在住のロシア人女性が運営するHPの掲示板に「写真愛好者クラブ」というのがあって、挨拶代わりに私の第一回として例のリュドミラのページを教えました。やっぱりロシア人って写真が好きなんだなぁ。Пока
やっぱりMasyaさま、たちどころですね。資料ありがとうございます。ドラージュおおっD8がトヨタ博物館にあるんですか。見に行きます。レトログラード中央の針がこれになったのはないみたいですが。4隅に4個のレトログラードの腕時計はあって、500万円ぐらい磨るそうです。ドコのメーカーのかは聞けませんでした。グレヴィッチってばっくれた生徒のあだ名としていいかも。銀座にグレというクラブがありました。よく行きました。翼に輝く日の丸とぉーーーー。
>飛行機の写真羽が逆(前?)に動くんですね!概形も★に見えます。そしてマークは今でも「赤い★」なのですね。あれ格好良いです。 >どんなコンクルールでどういうのが欲しいのか...確かにそれが肝心。今の時期だったらクリスマス関係かなぁ? と思って久々にwebカメラでモスクワを見てみましたが、今年はまだ競技場前にツリーがありません。もうそろそろ設置が始まってズームアップ??http://webcam.mnc.ru/cam.htm >ロシア人コミュニティの写真関係の掲示板写真好きが集まるほどコミュニティは大きいのですね。皆どこのカメラをお使いなのですか?ソ連製を使っている方っておられますか? >(ゴダイゴの)生まれて初めて見に行った映画が999でオープニングのゴダイゴの曲が今でも印象深いです。 >「スーホと白い馬」ありゃ。スーホでしたっけ。ごめんなさい。スーホイだと思っていました。私も小学校1、2年の国語で習いました!未だに同じなんですね。そして、Масяさんも!?そんなに良い話かなぁ…? >パイロットが俄然勇敢になった好例これ面白いですね。 >そうだ!トヨタ博物館にあったんだぁ。近くなので今度行ってみまーす(と前もいったようなぁ)。例のホームグランドへ行く時は必ず通るのです。万博が始まったら混みそうなのでその前じゃないとダメですね。写真撮れたら撮ってきますね。ただいつになる事か…。
М.И. Гуревич:ミハイル・イオシフォヴィッチ・グレヴィッチ、業績について書かれていますがとりあえず、こういう人です。http://base13.glasnet.ru/text/shavrov2/2-15.htmレトログラード:telefunken様が詳しく書かれていたんですねぇ。見落としていました。
っと、あれは「ビュティフル・ネーム」のつもりで書きました。ソロだったかゴダイゴとしてだったか記憶があやふやでした。名前に関して考えていたら、「お母さんといっしょ」で歌われた名前の歌とこの歌が思い浮かんだんです。攻撃機:戦場の違いなんでしょうね。ドイツやソ連には戦車を攻撃する機体があったんですが陸軍攻撃機ってちょっと思い出せない...海軍は魚雷を搭載した艦上攻撃機や山本長官撃墜で有名な一式陸上攻撃機(この名前で海軍機)がありました。米軍にも当時陸上攻撃機って無かった気がします。艦載機なら大和を沈めたのもありますからねぇ。英軍の艦上攻撃機も有名だし...真珠湾攻撃で活躍した九九式艦上爆撃機はドイツから輸入したユンカースJu-87を研究して出来た機体でした。片や戦車用で片や戦艦用...というふうに主戦場の違いかなぁ。海軍って艦上戦闘機は零戦一筋みたいなもんでした(局地戦闘機というのであれば数種類あります)が、攻撃機には力いれてたなぁ...靖国神社の遊就館に水冷エンジンの彗星が展示されています。Ил-2:初めてイラストを見た時って操縦席が剥き出しだったので何か頼りなさそうに思えたのですが、実際はタフだったと何かの本で読みました。でも資材不足のせいかヤコブレフなんか一部布張りだったようですが。どうなってたんだろう...またかなりの機が生産されたそうです。イリューシンとかツポレフって旅客機や爆撃機で有名なように大型機が得意なんですねぇ。写真の航空ショーが開かれる町はロシア航空史の父とも言うべきジュコーフキーに因んだ町です。ツポレフはジュコーフスキーの弟子だったと思いました。イリューシンИл-2も単発機の割には大きいんじゃなかったかな。Ju-87も大きいですが。Миг:ええ、グレビッチです。Миг社のHPでの歴史を読んでもグレヴィッチについての記載がないんです。ちょっと時間のある時に調べてみます。スーホの白い馬:やっぱりぃ、私も30年以上前に習った覚えがあります。息子が習っていた時にNHKの「みんなのうた」でこの話をテーマにした歌が流行ってたと思いました。ドライエ/ドラージュドライエは135Mが2台、大宮にあって見たことがあるんですが、ドラージュって見たことは...そうだ!トヨタ博物館にあったんだぁ。1939年のD8です。レトログラード:文字盤が扇型で12時になると針が戻るタイプですよね。腕時計で復刻されたのってありませんでしたっけ。
ミコヤンって例のミコヤンですか。グレヴィッチてどんな人でしょう。いや、自分で検索エンジンを引くべきだ。いや、Masyaさまはロシヤのを引かれるからそっちのほうが詳しいかもーーーなどと迷ってつい書いてしまいました。バカラのシャンデリアは二億円だそうです。もう毎年の慣例になって島しました。写真を撮ってムラデクに送らなくちゃ。ドライエ、ボクも見たい。それにドラージュがどこかにあればそれも見たい。いまドイツに聞いたら朝方が0度、日中は10度だそうですから、真冬の東京と同じで普通の服装でゆきます。瞬間のミグ、面白かったです。時計の針がジャンプバックと書きましたが、端までゆくとピョンと戻る式の運針をレトログラードというそうです。岩波から時計の本を出した井上君に教えてもらいました。フランス語の辞書で見るとretrogradeで後退するという意味の形容詞でした。なんだかレニングラードみたいだと思っていたのですが。
昨年のМАКС(航空ショー)で彼女が撮った37の何だったかなぁ...識別マークは今も赤い★です。民生用のスホーイ26って米国で曲芸飛行用とかで人気があると思いました。昨夜、彼女から写真のコンクールの為に写真を送ってとメールが来ました。どんなコンクルールでどういうのが欲しいのか...最近、日本のロシア人コミュニティの写真関係の掲示板にもお邪魔してます。
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>♪名前ェそれはぁいィのぉちィ〜(でしたっけ?) ってビューティフルネームじゃないですよね?(ゴダイゴの) これを読んだらあのメロディが頭の中でリフレインを始めてしまいました。本当は何の歌でしょう?>スーホイってモンゴルの馬のお話でしたっけ? 「スーホと白い馬」という馬頭琴のおはなしですね。こっち地域の小学校の1年生か2年生の国語の教科書に載ってました(あれ、3〜4年生だったっけ?)よ。子供に読ませてもらった。>防弾設備のない軽い機体 第二次大戦時のソ連軍用機で、イリューシンIL-2だったかなー?、地上攻撃機なんですが、こいつが乗務員を守る装甲板のゴツいのを装備していたらしいです。ドイツ戦車部隊の上空をグルグルと旋回し続け、攻撃を加え続けたそうです。装甲のおかげでパイロットが俄然勇敢になった好例ですね。 ゼロ戦の場合はとにかく軽量化を第一に考えて、結果、比類のない旋回能力と航続距離の長さを実現させたとのこと。パイロットの技量があるうちは無敵だったのもうなずけます(だって後ろに付かれないんだから)が、パイロットの消耗が進んで、練度の低い者が操縦し始めると、とたんに「よく落ちる飛行機」の代名詞になっちゃったんでしょうね。最初の圧倒的な強さが神話化してしまいその後の対応(変化)を誤った好例だと思います。
>ブタのように食べる小さい頃に言われた三角食べはフランスではいけない事なのかな…。 >降りたら体重が減ってるというフライトなるほど。これ良い商品ですねー。みんなで脈拍110程度に保つよう漕がないと暖房がカットされるようにセットされた、全席ダイエットバイシクルの西回り便とかがいいかなぁ。 >ドラージュ知らない車なので検索。有りました…だけど、素人にはみんな同じに見える…すみません。 >恐るべし、中国お話のフェーク品凄いですね。値段がタマラン…。昨日もIBMのPC部門を買い取ったのは中国の企業でしたけど、東芝は採算が合わないので要らないと断ったそうですが、こんな時計を1万円で作れる中国だったらへっちゃらですね。でも、ロシアの時計の自動巻なのにかなり安いものが一杯ありますよね。ロシアも人件費安いのかなぁ? >バカラのシャンデリア凄そうなものですね。そろそろ、彼方此方クリスマスの電気が点灯するころですね。今朝ラジオでも名古屋の駅前のイルミネーションの話をしていました。 >М(икоян)+и+Г(уревич)ミコヤンとグレヴィッチというのが人の名前なのですね。フランケとハイデッケみたいな感じかなぁ。有り難うございました。 >Сухой:水気のない飛行機…ではなくて人の名前。字面はこっちの方が格好良いですね。朝から、ずっとスホーイのページをコチコチと見てしまいました。やっぱり格好良いですね。前半分がヒョイッと上に上がっている感じが好きです。これ↓色も格好いい…。欲しいですね。http://www.sukhoi.org/img/gallery/military/su30mk/25.jpgあれこれ画像保存しました。スクリーンセーバーにでも使わせて頂こうかなぁ。飛行機についている赤い★はソ連時代のものなのですか?今のロシア軍でもついているのですか?
Привет昨夜、エビス・ガーデンプレイスのイルミネーションというよりバカラのシャンデリアを観てきました。良さそうなら撮ろうかと思いましたがデジカメのみ。丁度オレグのお姉ちゃんの誕生日であったのでバースデーカードに使いました。Миг:バフチンを訳した先生が授業中に、飛行機のミグは「瞬間」を意味するって、アァタ、そりゃмигでしょうよ。ミコヤン(Микоян) と(и) グレヴィッチ( Гуревич)の頭文字から来てるんです。ちなみに瞬間にはシャッター名にもあるмоментという単語もあります。Сухой:スーホイってモンゴルの馬のお話でしたっけ?っでロシアの航空機メーカって大抵人の名前なんですが、確かスホーイもそうだと思いました。形容詞だと「乾いた、水気のない、枯れた」って...スホーイにもサイトがあります。英語を選択してもロシア語になちゃうなぁ...http://www.sukhoi.org/planes/Военная авиацияで軍用機が見られます。Музей で古い機体が見られます。以前はカタログなんかなかったんですが、Мигの影響かな?名前で思い出したことが...Зоркий は「洞察力のある」という意味とかがありますが、カメラの名前は1930年代の工場の住所、Зоркое око(するどい眼という意味ですが)からきたようです。例のМастера Оптикаに書かれているんですが、ではЗенитの由来は何だろうと調べています。ドライエ:先日、東武鉄道の沿線ガイドを見ていたら埼玉工大の博物館に30年代のドライエがあるそうです。見たいなぁ...コンタフレックス:只今、回覧中のCDが昨日届きました。金井さん、ありがとうございました。っで、このCDの面にはコンタフレックスのセットがプリントされている。こういうセットの仕方カッコいいなぁ...私も安いケースでやってますが...Пока
いま猛烈に欲しいのがドラージュ。それもドライエに吸収される前のやつが欲しい。ファラスキのコーチワークのやつがいい。愛人に贈るならドラージュといわれたらしいが、贈る愛人はいないし、贈られる愛人になりたい。あと50年若ければがんばってーーー。ヴァシュロン・コンスタンタンのフェークがいまシャンハイからとどきました。これも驚異的によくできてます。秒針が1−30秒、30−60秒と二つの扇面になってジャンプバックするのです。1755年創業のこのブランドは世界最古ですが、それをそっくりホンモノのままの構造(でないとこういう秒針の動きはできない)でマネて1万円以下で売っているシナ、いや、中華人民共和国は凄い。盤面のギヨシャージュ(こまかい線彫模様)も申し分のない芸術的な仕上がりで、ホンモノと見分けがつかない。恐るべし、中国。あーヤバイ。当分このフェーク時計にハマリそう。なぜならほかにも高級ブランド時計のコピー品が20ぐらいあるのだ。
一品ずつフランスではいろいろを一緒に食べることを悪く言ってブタのように食べると表現してます。でもこういうとイヤミな感じ。クラスビジネスもそうですが、ファーストはメシ出すのがもっとクソ丁寧でまだるっこしい。そんなことどうでもいいからもっと早く飛べ。何も食わせないで水だけだして、運動器具とかおいて、降りたら体重が減ってるというフライトを作ったらデブに売れないだろうか。ちなみに今度のドイツ行きもエコノミーの難行苦行。サーチエンジンでしらべればいいのに人に聞くぼくなどコレばっかりです。Masyaさま、お世話になってます。アメリカの匂いぼくのいた会社の親会社が出していたJelloというインスタント・ゼリーはフレーバーがモモとかイチゴだと化粧品くさかった。あれってアメリカ人はへいきなんですね。むかしの寺子屋では意味もわからず素読ということをやらされて、論語とかヤタラ暗記するのですが、成長してから意味がわかってくるという方式でした。あれって結構プラグマチックだと思う。
>重装備で死んだらみっともないそういう思考があったのですか。「バカ」一言ではちょっと酷な気も。思考が素直なだけ? >МигHPあるんですね(前に拝見しましたっけ…すみません)。本当に通販購入出来そうな雰囲気に思えますね。民生のも作ってるんですね。それからスホーイは無いのでしょうか。個人的にはスホーイが格好良いなぁ…と思いますけど。廃盤?ミグとかスホーイってロシア語の意味は何でしょう?メグ(魔女の名前)とかスーホイ(馬の名前)とかだと分かるんですが…なんて。 >最も文章の上手い作家すなわち借金が最も上手い?上手い下手では無いのですが、よくネットニュースの気になった記事なんかを取っておくんですが、新聞記事をコピーしてエディターに貼り付けて読みながら出来るだけ短文化して保存します。この時にどんどん削って文節を移動できる文章と、殆どいじれないで既に最短化されている文章とがある気がします。これをやっていると文章中の意図が感じられてちょっと面白いです。新聞の記事は短い方が良いのか、ある程度の長さが事情があって必要なのかは分かりませんけど。だけど自分で書くとダラダラ長く、不必要な文章が多いです。 >一品一品そうなんですか。フランス料理のイメージを持っていました。寒いロシアにおいては妥当な方法なのですね。 ただ個人的には次々出てくる方法はあまり好きじゃありません。20分してブドウ糖が脳内に到達して満腹中枢へ働きかけ始めると(これが正しいのかさえも分かりませんが…)味覚が変化し始めるような気がしてなりません。最初に食べる物も、最後の方で食べる物もほぼ同じ条件で口に入れてあげないと可哀想。最後の方で腹がパンパンになっていたら…とか。そして、普通の日本人に国外でコース料理を頂く事は不可能に思えます。
武具:ちょっと前に話題にしましたが、新撰組の油小路事件で...現場に臨もうとした時に切られた時に重装備で死んだらみっともないから軽装で行こうと篠原泰之進が言ったそうです。負けると分かっていたからでしょうが、防具を身につけていれば勝ったかもしれないような戦いぶりだったそうです。黒鉄ヒロシの本に書かれているのですが、ついでに一言「篠原のバカ」とも。あっ飛行機の場合設備ではなく装備ですね。でもこれが搭載されたのって四式戦だけじゃなかったかな?Миг:ミグ25のベレンコ中尉ですね。この時、日本の航空ショーで展示されることが決まっていたのに直前にアメリカが持って行ってしまったんですよねぇ。ドロボーと同じ。25ってF-15イーグルに似てるんですがどっちが先だったんだろう?でもミグは旋回性能とかよくなかったからなぁ。私はやっぱり今の29が好き!古い21とか27もいいんだけどなぁ...前にもご紹介しましたがこれミグのサイトです。Productionで現行商品(?)が見られます。通販は無いようです。(当り前じゃ!)http://www.migavia.ru/eng/25も販売中止になってないようです。Photoのページに25の写真が...ないなぁ...清兵衛と瓢箪:志賀直哉ですね。家内に言わせると最も文章の上手い作家だそうです。当然私読んだことがありません。中学の国語であったかなぁ。ビジネスクラス:一度だけユナイテッドで乗ったことがありますがこの時はどうだったかなぁ...ボストンまで行くのに途中のシカゴまでがビジネス、シカゴからボストンまではエコノミー。学校じゃないんだからクラス替えすんなよなー。一品一品:冷めないように料理を出すというロシアの出し方から始まったそうです。
>検索サイト本当にネット検索って便利ですね。昔、瓢箪を作ったのですが、飾り物の瓢箪にする方法が分からず、毎週、親に方々の図書館へ連れて行ってもらって瓢箪の本を探したことがあります。でも、それが見つからず。その後、学校の授業かなにかで清平と瓢箪という小説を耳にし、これを学校の図書館で借りて読むと作り方が書いてありました。今だと多分ネット検索で直ぐに分かりますし、場合によっては図書館の蔵書されも探せますね。 >防弾設備のない軽い機体だった侍ですね…。中世欧では重い鎖帷子や鎧兜を付けてもの重たい刀をぶん回して戦っているイメージがあります。対して、侍は軽くて小さい刀で防具を付けていないイメージがあります。勿論合戦の時は違うでしょうけど…。 >戦闘機ソ連というと私は函館だったかに昔ミグが飛んできたのを思い出します。誰にも気付かれずに来れる位に凄い、攻撃しようと思えばいつでも出来るんだと…小さかったと思うのですがもの凄く格好よく思えました。 >ビジネスクラスだと一品一品でてくる乗った事がないので初めてしりました。私は幕の内弁当みたいのか食ったことがありません…。 >入試問題は難しくなる...以前どこかの幼稚園の入試問題を見てびっくりしました。全然分かりませんでした。いまはもう幼稚園にさえも入れないかも…。 >因数分解…微分積分…因数分解まではまだ解けましたが微分積分は理解不能でした。微分積分が分からず物理も大苦手なので、大学は化学系へ逃げました。そうしたら最初の授業が量子化学で教科書は微分積分のオンパレードでした。更に、教養授業では数学から逃れられず行列とかテンソルとか意味不明なものを習いました。これが分からなかったのでその後は化学工学系も理解不能でした。玉砕に次ぐ玉砕…南無阿弥陀仏。 >弾力性経済学苦手な単語の羅列…。 >インドのコドモは二桁の九九を暗誦させられる日本でもこれくらいやっても良いような気がします。私だけかもしれませんけど、小さい頃はまだ暗記という記憶を使う事ができましたが、段々暗記が苦手になるような気がします。暗記するのはとにかく小さい内が良いと思います。違うかなぁ?
質問:いやネットが使えるんだったら、検索サイトを使えば調べられるにも関わらず他人に聞く。嫌いなのは、「ロシアについて調べています。何でもいいから教えてください」とかいうの。ここはちょっと普通じゃない情報が飛び交っていますから、調べようにも調べられないっというか何というか...アメリカの匂い:なるほど!確かに空港に降り立った時というよりショッピングモールで嗅いだような匂いでした。飛行機:会社の近くにNOKIAがあるのでフィンランド人をよく見かけます。確かに大きいほうかも知れません。っで当時のフィンランドの飛行機ってオランダのフォッカー、英国のハリケーン、アメリカのバッファローなどで、私の感覚だとオランダ人は大きいです。あと、捕獲したソ連機なども使っていたようです。皇軍機って軽いので運動性能が良かったんです。後に高速の米軍機に追いつかれた上に防弾設備のない軽い機体だったのでボロボロ...飛行機に対する考え方って海軍より陸軍の方が上だったと思います。陸軍は次々に新型機を投入したのに海軍の主力は零戦のみを改良して使い続けた...ま、今日は12月8日ということで海軍機を悪く言うのは...では、よく言おう...ソ連機はポリカルポフやヤコブレフ、ラヴォーチキンなどあるのですが、英国からハリケーンや米国からP39やP63を貸与されました。撃墜王(エースパイロット)がP39でドイツ軍相手に記録を樹立。これらハリケーンやP39って機体は太平洋戦役では零戦のエジキだったようでした。っということで零戦って独軍機よりも上ということになるかな?(でもソ連機は爆撃機や攻撃機を狙って撃墜してたようですが)もう乗る機会がありませんが、イリューシン62Mの座席はムチャクチャ狭かったです。今東京−モスクワはエアバスなので快適です。時々団体さんのお陰でビジネスクラスにはじき出されますがエコノミーの方が好きなんです。混み具合によっては2席、最高4席占有できますし、食事も一度に済ますことができるので早く眠ることができます。ビジネスクラスだと一品一品でてくるので時間がかかるんです。教育:学校で教えることは簡単になっていくのに入試問題は難しくなる...
>コンタフレックスを…違い棚に飾ってわっ!良く拝見すると「フレックス」!!ひぇ〜!!
>それ以前に調べもしないで、すぐ人に聞いてしまうのが多いですねすみません…私もです。 >アメリカで嗅いだ匂いこれ私はなんとなく分かる気がします。合成香料とかの臭いだと私は思います。段ボール紙にもアメリカの臭いを感じることがあるんです。 >ソ・フィン空中戦フィンランド人て大柄なイメージです。飛行機にのったらそれだけで大変?よく知りませんが、零戦って小さな日本人だから運転できるって事はないのかな? >「問題を解くときは、自分が得意な仕方で解くことを考えなさい」ゆとり教育になってから台形面積の公式を教えなくなったので、三角形と四角形とを組み合わせて計算させると言っていました。やはり、一度はこのような方法を考えてもよいとは思いますが台形の公式を知っていれば瞬時に解決します。折角の先人の知恵を教えないといのは変だと思うし、一から全部自分でやり直して思考していたら無駄も多いと思うんですが…。そういうのはいかんのかなぁ。。。 >@25×39−75×12{(25×3)×13}−(75×12)=75 >A101×99100×99+1×99=9999 >かつて、国内が米国軍基地だらけの国の首相が、 >フィンランドのことを「ソ連の属国」と発言…なるほど。関係無いけどこういう文章好きでーす。 >神戸の人は…大阪だと…京都では…奈良では…です。これ確かにそうそうと頷いてしまいました。オセロの言い方で良いと思うのは「〜してはる」という言葉があるからかもしれませんね。京都の言葉って自己中心的な表現じゃなくて、相手に気遣った言葉が多いですよね。 >どーいうわけか、女の子だとばっかり思い込んでたんです。 同じでーす! >コンタフレックスを…違い棚に飾ってやわい違い棚だと崩れそう…。 >わけえくせにもっとオシャレに貪欲になれはぁ…。カメラに関する言葉は無し…
Привет新品を使い込んだようにしてから着る。フレッド・アステアも新品のスーツを壁に叩きつけてから着たと聞きました。このことは先週からNHKで始まったドラマ、「オーダーメイド」の原作(漫画)で知ったのですが、この漫画を読むと洋服のデザイン、着こなしがよくわかります。生憎と活かすことがありませんが。業務上、スーツなど必要ないはずなのに金曜以外は着用って...抵抗してベストの上にコートを羽織り、靴は黒いスニーカーで出勤しているくらいですから。この漫画の第1話の影響からかダブルのスーツ。ボタンは外さないものなのに外しているオヤジ達がミットモネェナァと思うようになりました。どこで買ったの?:ネットで色んな掲示板見てても多いですよねぇ。自分で工夫することをしないんですよねぇ。それ以前に調べもしないで、すぐ人に聞いてしまうのが多いですね。不器用な息子でさえもガンダムのプラモデルを作っていてパーツが手に入らないとパテで盛って自分で作っています。もっとも欲しいパーツが絶版(しかも高い)になったからというのもありますが。国の匂い:日本では気がつかないのかもしれませんがロシアにはあるんです。ヨーロッパへモスクワ経由で行かれた方はご存知と思いますが独特の匂いがあります。匂いの原因は何だったかなぁ...セントラルヒーティング用に燃やした煙だったかなぁ。改善されたのか慣れてしまったのか最近は匂いません。都内の某ロシア民芸品店で匂ったけど今はどうなんだろう。昨夜、帰宅途中に駅ビルのCDショップに寄ったら、アメリカで嗅いだ匂いがしました。最近リニューアルした某駅の化粧品店というか雑貨屋さんの前を通った時も同じような米国の匂いがしました。アメリカは東海岸は何度かいきましたが西は1度だけなんで東西の違いってあったかなぁ...フィンランド:昨夜、ソ・フィン空中戦について読んでました。ソ連機がやたらと撃墜されているんですよねぇ。飛行機の性能も決していいモンじゃなさそうなのですが。暗算:え〜っと、え〜っと...シオニスト:焦りました。ガンダムのジオン公国支持派のこと(ジオニスト)かと思いました。ジーク、ジオン!.Пока
一から千までのあいだの素数の数を書きなさい、という問題で指で数えていたやつがいました。これが彼の得意な方法だったんですねえ。暗算25を40倍した1000から25をひくと975,12を100倍した1200の4分の3だから900、それらの差は75。 101の百倍で10100,そこから101ひいて9999.こう考えました。金井さま。これでもかまいませんか。因数分解がダイキライでした。微分と積分を習ったとき、その面白さに夢中になって、そこから微分方程式を使う物理のいろいろなジャンルが好きになりました。あとで弾力性経済学という佐和宣平教授の本を読んで、経済学でも微分方程式が活用されていることを知って嬉しくなりました。インドのコドモは二桁の九九を暗誦させられるそうです。フィンランドが属国なら、日本なんか保護領でしょう。和臭かぱまんさま ホントです。ぼくはサカナ系の匂いがニガテなんですが、成田に帰ってくると、ムッとする魚臭。あとタマゴも魚くさい、牛肉、鶏肉、ミルクまで魚臭い。飼料に魚粉を使うんでしょうね。いちばんこれを強く感じるのはヨーロッパ大陸の中でもスイス、ドイツなどから帰ってきたとき。魚系のものをほとんど使わない国だからですね。肥の道ザイデンシュトラーセじゃなくてドレックシュトラーセですね。田舎は肥を持ち去り、ナマリを持ち来る。十二荘(字が違ってるな、でもどんな字だっけ)の温泉はまだあると思います。新宿の岡場所で肥車のアニイたちが遊んだあと、ここへ繰り込んだみたいです。いまは廃線になった大久保のほうへ曲がる市電の道の両側には、かつて曖昧やが立ち並んでいました。戦後はそこが赤線になっていましたが、いまはありません(表向きは)。
教育: 暗記が教育に必要で、個性を無視することが必要な場合もあることは確かです。それだけだとバカになる。 算数・数学教育では、公式を暗記させることは最悪の教育。バカになる。「問題を解くときは、自分が得意な仕方で解くことを考えなさい」かつて、塾の講師をしていたとき、こんなことを言っていました。ここで、簡単な計算問題: 次の計算を暗算でしなさい。@25×39−75×12 A101×99 普通の小中学校の教科書を見ると、学力低下は当然のように思います。機械的な計算練習で、計算の工夫までなかなか行かない。日本では、掛け算九九の暗記・百升計算など、機械的な訓練が多いように思います。諸外国ではどうなのでしょう。以前、ソ連では計算の工夫に重点を置いていると聞いたことがあります。これは、特殊な例だったのか、一般的なのか、分りません。フィンランド: なぜか、フィンランドっぽい話題がありましたので、私も、フィンランドに対して日ごろ思っていることを一言。 日本では、フィンランドの歴史を大きく誤解している人がいます。 「@フィンランドは、長い間ロシアの圧政に苦しんでいた。A独立後は、ソ連の情けを受けて存在する事実上のソ連植民地である。Bこのため、フィンランド人は反露感情が強く、日露戦争勝利の日本を尊敬している。」 @フィンランドがロシア領だった時代、広範な自治が認められていました。締め付けがきびしくなるのは、帝政末期です。 Aフィンランドは第2次大戦中占領されなかった数少ない国で、戦後もNATO、ワルシャワ条約に加わらず、中立政策を貫きました。 B親日感情は人により違うので一概に言えないけれど、日露戦争には関心が無い人が多いと思う。 かつて、国内が米国軍基地だらけの国の首相が、フィンランドのことを「ソ連の属国」と発言したことがありました。フィンランドの反論は「フィンランドには外国軍基地は無い」でした。無教養をさらけ出した、この首相は、自国をアメリカのための浮沈空母にするといっていたなー。シオン: シオニスト。 四恩:願わくは、四恩すべて報じ、三有ひとしく助け…、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。こんな言葉が浮かびました。 地名は当て字が多いので、文字の意味を考えようとすると、たいてい誤解します。人名も、音から当て字をしている場合が多いのでは。
>というより原作での言い方にあるそうです。微妙〜! こりゃ失礼いたしました。神戸の人は「〜してる」というのを「〜しとぉ」といいますね。大阪だと「〜してやる」京都では「〜してはる」。因みに奈良では「〜しとる」です。>むかし十二荘あたりから多摩方面へえんえんと続く肥車をひいて市内へはいってくる… 大きな都会ではどこでも、かつては郊外の農村との「肥えの道」が機能していたようです。と、これは兄の受け売り。京都とその近郊との間における肥のルートをいろいろ調べていたようです。人が動くと文化も移動しますよね、当然ことばも相互に影響を与えていったのでしょうね。 大阪の船場ことばも、京ことばも、もうほとんど滅んじゃいました。地域の文化がすたれていくのは、さみしいです。>エールフランスの機内アナウンスが抑揚のない英語 実は僕、海外に出たことなくって、わからないんですけど、海外から日本に帰ってくると、ミソやショーユのにおいがするって本当なんですか? ひょっとしてそれも「和臭」かな、と思って(ってそのまんまやん)。国の歌、国の花、国の鳥なんかがあるんだったら、国のにおいってのもあると面白そうですね。>名前 二人目の生まれる前、名前を考えなくては、と有力候補だったのが、「茜(あかね)」ちゃん。でも出てきたのは男でした(笑)。急遽、男の名前を考えました。どーいうわけか、女の子だとばっかり思い込んでたんです。
徂徠は豆を噛んで世人を罵る趣味があったそうです。いまだとピーナツ食いながらギョーカイのワルクチ。和臭和薫、いいですね。教養があふれてます。ぼくは和香までしか考えが及びませんでした。恐れ入りました。フランス語戦前のフランスの大スター、モーリス・シュバリエがハリウッド映画に出たときには、フランス風英語になるんでえす。アイ・ローヴ・ユーというそれがまたイキで、マネしたくなるような感じでした。六代目がフランスに行ったときはケスクセ(Qu'est ce que c'est?)をケツクセエ、ジュ・スュイ・コントン(Je suis content)を入水魂胆と覚えたらしい。六代目は大震災のときに関西に行ってたのですが、タカラヅカがえらく気に入って、しょっちゅう見てるうちに楽屋にも出入りするようになって天津乙女などに鏡獅子とか教えたらしい。また彼はコンタフレックスを二千円で買って、どうでえ、てえしたもんだろう、と違い棚に飾って、くるひとごとに自慢してたらしい。新品の着物はそのままゼッタイ着ない。上布であろうが大島であろうが、いまだと一千万円は超える着物を、すこーし弟子に着させて、解いて洗い張りして軽石でこすって、少しくたびれたのを自分の寸法に仕立て直させてきる。新品の衣服のダサい感じを嫌ったんですね。それは野暮、田舎モノ、そういう感覚でしょう。この六代目菊五郎の感覚はジーンズについてのユーザー感覚に似ている。ストーンウオッシュなんかまさにその感覚と同じですね。ぼくもB反のブラック買ってきて、洗濯機に漂白剤落としてさんざん洗うと茶色くなっていい色になる。これをボマージャケットの皮の色と会わせると、ゼツミョウのコンビで、電車の中でコンシアスな女の子が彼氏に見てごらん、といってるケースが何度もあるくらい、いいコオーディネートなんです。男の子には、いちどどこで買ったか聞かれました。バカヤロウ。洋服やのいいなりになりやがって。自分で作るんだよ、自分で、A反もったいないからB反のビッグハートとか買ってきて、あとは漂白剤だ。色を見ながらスイッチ入れたりきったり、それがファッションだ。わけえくせにもっとオシャレに貪欲になれ。自分の容姿を飾るのに工夫発明のないやつはダメ。怠惰な精神を文筆と読書で鍛え、怠惰な肉体を運動で鍛え、しこうして辺幅をかざる、これを士大夫という。ここで降参して帰って行きました。このジジイ、何を言ってんだか、よくわかんない、と彼の後姿が言ってました。
>せびる、じゃなくて、せがむこの言葉の違いが分からなかった…。 >ハイマチック一杯でてきますね。その中でもアンスコがOEM販売していたのは面白いですね。宇宙カメラのハイマチックにはアンスコ仕様があるのですね。 >紫苑でしょうかイエ確か「音」という字が付きました。ところで、シオンって私は外国風に聞こえたので書いたのですが、「紫苑」て古来日本の言葉なのですね。失礼しました…。そうМасяさんと同じで男の子なんですが、普通なんですね…。 >荻生徂徠の言葉です薄々人の名前だとは知っていましたが、読みを知ったのはつい数年前に盛岡致道館ででした。そこでもフリガナが無くて「なんて読むんだ??」と妻と会話していると、聞こえよがしのおばさんの会話から知ることができました。 >和臭と和風辞書では(載っているのですね!)「本場の作品のようになりきれない」のが和臭で、「日本風」なのが和風だそうです。和臭は悪いイメージの言葉かもしれませんけど、微妙に和風というイメージを出せる面白い言葉ですね。北魏楷書を和風にすることは多分できないので、北魏楷書に和臭を付ける事ができればいいのかも…と思いました。和臭は汚いイメージなので和薫とか?? >おんなじような名前ばっかりと言われるとうちの子供の名前も3音からなる単純な流行名かも…。一応、字義から付けたつもりなのですが。 >カミナリ娘なるほど!これ面白いですね!帰ったら教えよ。
名前:実は息子は6月生まれだったので季節に因んで紫苑と名付けようと思ったんです。やめて正解でした。女の子の名前ですが、最後に「〜か」、「〜み」、「〜な」、「〜り」となることからカミナリ娘が流行りましたね。十二荘:十二荘?十二壮?西新宿あたりで都庁の北東周辺ですね。ここの温泉まだあるのかなぁ...フランス語と東北弁:共に抑揚がないので似ていると思います。エールフランスの機内アナウンスが抑揚のない英語...分かり難かったです。テッちゃん:アニメというより原作での言い方にあるそうです。微妙〜!
リネールがそんな人とは(悪い意味〉知りませんでした。ギヨーム・アポリネール、大詩人ですよね。でもそれも悪くない気も。関西弁大阪の船場・島之内には戦前にちょっといたことがありますが、非常におっとりした関西弁でした。いまのは河内の田舎のことばがはいってますね。コレは東京でも同じで、なんとかでヨオ、というのは昔は言いませんでした。多摩の百姓の言葉ですね。むかし十二荘あたりから多摩方面へえんえんと続く肥車をひいて市内へはいってくる農家の若いものの言葉だと思います。悪貨は良貨を駆逐する、言葉でもそうです。テッちゃんが神戸系かどうか、ぼくにはわからないので、芦屋の森君に聞いてみます。軍事オタクでコミケにも出るという院生です。シオン紫苑でしょうか。江戸ではイロハかるたのイは、犬も歩けば棒にあたる、ですが、関西のは、一寸先は闇、です。このペシミズム!鴎田この人のばあいはカモメダと読んでいました。下の名前は忘れました。北魏楷書とはご趣味な。奥様のお人柄がしのばれます。和臭はぼくの言葉ではなく、荻生徂徠の言葉です。北魏楷書を和風にする、でいいかも。
>名前を字義よりもソノリテ(音韻の良さ)重視でつける風潮は、日本語衰退の表れ 確かにおっしゃるとおりですね。以前、保育園の何かの行事に顔を出した時、呼ばれる名前がおんなじような名前ばっかりで、びっくりしたことがありました。女の子の名前でいえば、○○香(○○か)、○○菜(○○な)、○○音(○○ね)が非常に多い。なかでも「ゆうか」「ゆうな」「あやか」がベスト3かな。柔らかい音質が好まれてるようですね。これも時代の風潮なのでしょう。何でもかんでもゆるい方がいいんですかね。>じゃりン子チエのテッちゃんの関西弁は神戸系 粗ーなんですか、知らなかった。ということは、のりおさんはあっちの方の人なんですねぇ。オセロは中島さんのほうが、京都人です。も一人は確か北摂(大阪府の北の方)でしたっけ。 なまりで聞いていて面白いと思うのは、広島弁です。広島でも海沿いと山間部ではことばが違うらしいんですが、面白く感じたのは海沿いのことばでした。また、東北弁がフランス語に聞こえる時があります。不思議な響きです。
間違い:せびる、じゃなくて、せがむ ですね。「ちょーだい、チョーダイ」と子供みたくせびったんじゃありませんからね。ハイマチック:1962年、NASAのマーキュリー計画のフレンドシップだそうです。持ち込んだのは近年77歳にしてスペース・シャトルに乗り込んだグレン氏(フレンドシップ時代は中佐)です。まっ後は色々とありますが結構検索できると思います。関西弁:微妙な違いがあるんですよねぇ。かーち弁は特徴あるからすぐ分かるのでしょうが。じゃりン子チエのテッちゃんの関西弁は神戸系と言われているんですよねぇ。環状線の外側が未知の世界という人間のはずなのに...紅葉:ガイドを見て、もう一箇所行きたいトコがあるんです。今も結構風が強かったのですが、隣のお寺の紅葉は大丈夫なようでした。
今日は出勤前に名古屋へ行ったので生まれて初めて宝くじを買いました。今日は大安だそうで駅前の有名な売店には万札を手にした爺婆が多量に並んでおられました。どうせ当たらないので私はバラを10枚だけ買いました。 >暗誦のお話をするにも次元の違うお話になってお恥ずかしいです…。お話はとても面白く拝読しました。 >和臭を脱する妻は書をやっていて北魏楷書を今のことろ主に書いています。つね日頃、北魏楷書に和臭(telefunkenさん語?)を入れて、床間に飾れるようにできないかと思案しているようです。「和臭を脱する」に対してなんと表現すればいいのかなぁ…。 >個性を無視して型にはめるのが教育の原点なるほど確かに…。 >和菓子屋の扁額って色々な有名人の物が多いですね。でも何故か良く見る字があって鉄舟と実篤のような気がします。本物なのかなぁ?? >字義よりもソノリテ重視今日のニュースでOECD調査で日本人の読解力の低下が激しいと書かれていました。私もそうですが国語に対する興味が薄れてきているからかなぁ?知り合いの息子は「シオン」(漢字は忘れました)て名前です。 >樋口一葉だそうですどうりで最近よく見ると思った。なんて。けど新札の一葉と英世とは何だか立体感の無い変な感じの絵ですね。 >週末は天気が悪くなければまだ撮れそうです。まだ続きがあるんですね。凄まじい…。 >宇宙カメラそうなんですかー。それにしても何故…??って感じですけど、ちょっと検索してみよう。数年前ロシアの宇宙船でアメリカ人の実業家のお爺さんが宇宙へ行きましたけど、ペンタックスのコンパクトカメラを持っていたと思います。 >奈良の人でんねんきつい関西弁だなぁと思いますが、芸で身につけたというより地元の言葉なんですね。印象としてはちょっと和歌山の関西弁チックに聞こえます(違うかな?)。オセロの関西弁はいいですね。確か京都方面ですよね? >ハーフ判、持ち出してみようかな?結構不便なところもありますね。縦位置と横位置をつい間違えちゃいます。それから、マスクが無いとかでプリントしてくれない所がありましたし、インデックスも出来ないと言われました。あんまり不便じゃないか。
>鴎田さん ってどう読むんでしょうか。そのままでいいんでしょうか。>まんねん、でんねん。 一般的には広く関西弁として親しまれている(?)ようですが、ほんとはそうじゃありません。大阪南部(泉州)あたりから奈良県(紀伊半島北縁とした方がいいのかな?)に到る地域で良く使われています。さんま氏は奈良の人でんねん。そういえば僕の母が仕事してた頃、さんま氏のご実家と何か関わりもってたとか何とか云ってたような。あの辺りは郊外で、空が広くてのんびりしたところです。>チャイカ2 ネジ一本で最短撮影距離が半分にまで縮まるとは、久しぶりにいい話きかせてもらいました。断然使い勝手よさそうですもんね。よかったですね。僕もこの冬、ひっさしぶりぶりにハーフ判、持ち出してみようかな? 因みに僕のカメラ人生は、オリンパスペン(のたぶんD2かD3型)から始まりました。まだカラー写真が珍しかったころやったー。なっつかしいなー。
Привет龍之介について確認したら、借金というより原稿料の前借だったようです。これが上手かったようです。(一度全集か何かで読んだことがあります。)それ以上に借金が上手かったのが樋口一葉だそうです。通りがかった見ず知らずの人からも借りたりしたそうです。(今だったら、アタシ、アタシとやってたかな?)太宰の手紙はそうです。賞をせびったものです。龍之介のイメージ:う〜ん...三中、一高を主席で帝大を二番で卒業して...私、未定稿集を纏めた甥っ子の息子と間違えられたことがあります。(ヒデェなぁ)一度、龍之介のメモ帳を見たことがありますが、ドイツ語やラテン語が入り混じっていました。大正14年末に買ったものらしく、15年の予定表が載っていました。アポリネール:そのテの作家か詩人かと言われたようですね。そのテの作品は「若きドン・ジュアンの冒険」と「1万1千本の鞭」ですね。「1万1千本の鞭」は笑いました。最後は日本兵によって主人公が殺されるんじゃなかったかな?解説に何か書かれているでしょうから見てみます。ド・ミュッセは「ガミアニ」しか知らないんですが他にあるのかなぁ。あっ「赤い帽子の女」は龍之介の作と言われているようですが最近の研究では違うとされているようですね。やっぱ、このテの話となると燃えるなぁ。サンド:サンドが押しかけたのは誰んトコでしたっけ?パーデンネン:「ひょうきん族」でのキャラクターでしたが、スタジオであの格好でいたら、来日中の当時人気のヴォーカルグループ「マンハッタン・tランスファー」に"Oh, crazy!"と言われたとか。当時だと牛込かぁ。紅葉:今朝ニュースを見ていたら、東京北の丸公園で色づいてきたと伝えられました。隣のお寺の紅葉もまだイケそうだし、王子飛鳥山公園もイケそう。週末は天気が悪くなければまだ撮れそうです。ミノルタ・ハイマチック:調べようと思ったのですがちょっと時間がなくてできなかったのですが、アメリカの宇宙飛行士のお気に入りでアポロだったかスカイ・ラブだっかに搭乗するときに持っていかれた宇宙カメラなんですよね。でも、どの形式だったか...Пока
ちゃいかMasyaさま、ありがとうございます。やっぱりそうでしたか。日本でも鴎田さんという苗字をみたことがあります。アレ系アポリネールもあるんですか。ド・ミュッセのは見たことがあります。ジョルジュ・サンドに丘惚れ〈死語の世界ぃ)してたときに書いたんでしょうか。何かの本でド・ミュッセがファニー・ヒルを変名で書いたと言ってるのがありました。暗誦外国語を書くときにいちばん役に立つのは、ひとつの文型に暗誦している語法を代入するときです。それでネイティブ並みの、しかも品格のある文章がかけます。それはアタリマエで、レッシングやゲーテやニーチェを寄せ集めているわけですから、堂々たる大文章になるわけですね。ネイティブ的じゃないものは『和臭』があるわけです。日本人が書いたな、とわかるわけですね。むかしの人もこの辺は敏感で、漢文で書くわけですが、和臭を脱しているかどうか、を厳しく判定して、和臭のないものを上作としていました。思考する教育というのは実は個性尊重と似た、あまりよく判らない方針で、個性を無視して型にはめるのがシツケや教育の原点ですし、思考しない知的過程などありませんから、空虚な感じがする。博士号を漱石に渡しにいって断られたのはおそらく当時文部省にいたもと帝国大学教授の上田万年博士らしいですが、この万年博士が書いたコマーシャルが荻窪の和菓子やに最近まで扁額に表装して掛けてありました。『亀は万年鶴屋のお菓子、ナントカーーー』で、なかなかの名筆でした。借金の手紙最近テレビ番組で大詩人萩原朔太郎の借金の手紙が公開されていましたが、フツーのドメスチックな文体でした。詩人は日常にはフツーになる?別の番組ですが、彼はまたカフェの女給に惚れて、手を出してもよいか、という手紙をママさんに出しているんですね。朔太郎ってリチギな人だなあ。いまだとメールで聞いたりして。名前を字義よりもソノリテ(音韻の良さ)重視でつける風潮は、日本語衰退の表れでしょう。300年ぐらいたつとほとんど外国語(おもにアメリカ系の英語)でところどころに日本語が入る感じになるでしょう。ファッションとかコンピューター関係なんか、もうそうなってますからね。でも医者なんかの場合もむかしは『ヘルツシュピッツェにおけるゲロイシュはクラッペンフェーラーを思わせる』(心尖部の雑音は弁不全を思わせる)なんてやってましたから、こういう傾向はそれぞれのギョーカイで昔からあるんですねえ。ギャラ、ゲー千(出演料5千円)とかは戦前からです。
>ムカツクネン・パーデンネン・ソーダンネン等々フィンランド人が怒ってしまうネン…。 >イクラモフ好みの順ですとカニスキー、ウニスキー、イクラモフという感じです。 >レミンカイネン私はこのなかでは「白鳥」しか聞いた事がありません。でも、全然印象に残ってない…。確かフィンランディアとよくカップリングされているんです。 >暗誦…これが英作文にはたいへんな力になるtelefunkenさんの時代程では無いと思いますが、小中学校時代は割合むやみになんでも暗記させられました。今は、もっと思考する教育に変化しているとか聞きます。でも、最近よく暗誦とか暗記って実はとても便利だなぁと感じてきました。暗誦とかの記憶は、記憶場所が違うのか無意識に引っ張り出せるし、記憶をたどるのに思考がいりません。でも、芋蔓式の思考式記憶だとどこかで引っかかると途切れて引っ張り出せなくなります。 >かもめまた勝手にかもめ話。ミノルタハイマチックFを持っているのですが、チャイカ2はこれと同じ大きさです。同じ大きさなのにハイマチックFは135mmフルサイズの上に距離連動で露出オートと格段に先進的です。多分、製造年も殆ど同時期です。でも如何せんレンズは、私はチャイカ2の方が格段に好きでした(まだ室内だけですけど…強日光下だと随分と印象が変わるのでこれも試してみたいと思いまーす)。 >借金を頼む手紙が名文だったつい貸したくなってしまうような文章ってことかなぁ…。 >芥川賞が欲しいと書いた手紙賞をせがんだ手紙なのですか??これも名文でついあげてしまったとか…?関係無いけど、知り合いに子供の名前に「龍之介」と付けた人がいます。理由を聞くと「本は読んだ事が無いけどイメージ的に…」との事。最近、自分の周辺ではこんな風に字の意味でなくて、音とかイメージで名付ける人が多い感じがします。
かもめ:かもめはчаикаでチャイコフスキーはЧайковскийですからかもめから転じた名字かもしれませんね。ワレリーの名字はМедведев(メドヴェデフ)でмедведы(熊)から来ていると言ってました。ワレリーから頼まれたものを持って行ってくれる友人はイクラモフで魚の卵から来ているのかな?そのテの話:戦前の日本の物は少し集めました(勿論、再編集した全集っぽいもの)が、洋はフランス系が多いのかなぁ。ド・ミュッセ、アポリネール...当然、マルキ・ド・...近年、トゥルーラブという映画が公開されましたが、タイトルを聞いた時は「エッ!」と思いましたが全くの別モン。これはアメリカでの発禁本だったかな?これでは活字嫌いなんて言えませんね。ジョンソン伝:おしかけ弟子のボズウェルがジョンソンが言ったことをこと細かく記録した本だと聞いているのですが見たことがないんです。大学の資料室に置いてあるので何かの機会にみてみたいです。手紙:家内が龍之介を研究していて、借金を頼む手紙が名文だったと言ってました。太宰治が川端康成宛てに芥川賞が欲しいと書いた手紙も残ってるんですねぇ。
以前さんまさんの番組があって、その中で全員で木魚をたたきながらムカツクネンという場面があったような。シベリウスといえば、レミンカイネンというのがありますよね。トヴォネラの白鳥だったか。レミンカイネンはジークフリートみたいなヒーローだったと思います。日本に帰化してどこかの議員やってる人でツルネンという人がいたような。ミハイル・バフチン、グロテスク・リアリズム、懐かしいです。Masyaさま。チャイコフスキーの名前には、カモメという意味が含まれていますか?ギボンみたいな堅いものやってると、やわらかいのが訳したくなるものです。むかしも一流翻訳家が内職でワイ本の翻訳をやったと聞きました。特にフランス語関係は金になるそうです。ぼくのトコも依頼がくればやりたいですが、一流じゃないからか、依頼が来ません。むかしド・モーパサンとおなじ題名の女の一生という有名な、しかしフランス語ではなく英語のワイ本があったとか。これはもとはフランス語だといわれていますが、出回っているのは英語だけだったそうです。当時の書生はコピー機がないので、みな筆写したそうです。戦前は外国語の勉強にはワイ本がいちばんと言われていました。あっわたしも読みたいジョンソン伝。チェスターフィールド卿への援助の断りの手紙、英語の時間に習いました。ジョンソンが無名のころ援助を頼んだら断ったのに、有名になってから援助しようと言ってきたのでこちらから断ったのだそうです。これがモウたいへんな名文で、いまでも一部は暗誦しています。英語の散文でここまでのレベルのものは数少ないでしょう。むかしの中学では英語のテキストをよく暗誦させました。これが英作文にはたいへんな力になることを、うんとあとになって知りました。英作文は英借文。これが先輩たちの実感ギャグです。
こっちも土日は凄い大風でしたけど、東京のように高温にはなりませんでした。 >活字嫌いというか...小説が嫌い(Масяさん) >私は文学自体が嫌い(金井さん) >ぼくも小説はきらいで(telefunkenさん)…ホッ。よかった。と言っても余りに差が有るのでしょうけど…。私はドラマ、小説(文学?)、漫画、は殆ど見たり読んだりしません。歴史小説みたいのは少ーしだけ読みます。 >〜ネンそう言えば、ラリーでもF1でもそうですね。逆に「ネン」の付かないフィンランド人ってシベリウス(フィンランドの人??)しか知らないのかも? >エンコ言わないですね…。エンストは今でも言います。自分でも時々やってしまいます。小さい頃に父が初めて買った車で彼方此方連れて行ってくれましたが、よく信号なんかでエンストをしていたのを思い出します。でも、25年以上も前の車でもエンコって記憶はないです。 >Industar-50…一眼レフで1mより近づけるとそうですか。無理に一眼用に使っているのかなぁ? 先日、書いていましたチャイカ2はグリスアップとピント調節を終えて、試写確認してみました。ネジ一本外すだけで最短は40cm程に縮まりました。約半分になりますね。最短40cmでも十分シャープに私には思えました。お手軽広角マクロが手に入りました。チャイカ2は、完全マニュアルカメラの割にシャッタースピードと絞りの組合せが少ないし、レンズは被写界深度が深いような感じの写り方をするので、私のもノーファインダーで適当に撮れました。AFコンパクトよりも速写性があって凄く楽しいカメラですね。 >申告するとホンモノだと認識してることになる確かに…。
でした!何か会った時にバカチンって言ってたような気がしました。東北出身でなまっていたからかな?でも、そうは聞こえないって?ちょっと調べてみたら、ミハイル・バフチン全著作、全5巻でした。数人で訳した内の一人でした。ギボン:っのようでしたね。ちょっと調べてみたら英国人であったと。訳:あの本が訳された時、協力会社の人に教えてもらいました。「ローマ帝国衰亡史を訳すような人があんな本訳すなんて信じられない。」と言ってましたが、私は「さもありなん...」先生が訳したものでもローマ帝国衰亡史よりもボズウェルが記したサミュエル・ジョンソン伝を読みたいです。仙台市相手に起こした裁判の顛末に記された本をくれると言われて10数年...あっ年齢的にはtelefunken様と同じくらいです。
エドワード・ギボン、18世紀のイギリスの歴史家だそうです。ローマ帝国衰亡史は英語で、題名はThe Fall and Decline of the Roman Empireで、1776年から88年まで、12年かかって書いています。パルジファルはパーシヴァルのことです。聖杯探索に出かけた説話は有名ですが、彼についてフシギな説話が多く,ナゾの人物です。だいたい聖杯というのがキリスト教本来の考えからは異端的ですから、キリスト教の密教みたいなものかも知れません。ぼくも小説はきらいで、特定のものを除いてあまり読んだことがありません。評論は好きで、ポール・ヴァレリーのものは全集をよみました。バカチンって全集があるのですか? それともバフチン?フランクフルトでは時計メーカーに行くので、パテーク・フィリップのフェークを持っていって見せたいのですが、帰国するときのことを考えると、どーしょーか。出国時に申告しておけばOKなのですが、申告するとホンモノだと認識してることになるしーーー。ファニー・ヒルを訳された方なのですか! エライ!
Привет昨日は変な気候でしたね。週末に天気が悪くなるからと平日に名所である本土寺に行っといて良かったです。金曜の朝、芝離宮で十月桜を撮っていたら、同じく撮っていたおじさんから、「後楽園、満開ですよ」っと。先週行っちゃったし、週末は天気が悪かったので...くぅ〜残念!これで大体の紅葉は撮り終えたようなもので、年末にかけてはイルミネーションですね。(新宿のサザン・ライツは毎年変わらないからパス)本:私も活字嫌いというか...小説が嫌いなんです。息子が学校の図書館で「セカチュー」を借りてきた時は一気に読んじゃいましたが、今借りている「冬ソナ」は読む気になりません。一気に読むのはハリポタシリーズです。指輪物語は全巻読むのに何ヶ月かかったかなぁ...騎士:そうは言っても騎士物語系は好きですね。パルジファルはパーシヴァルのことですよね。先週NHKでローマ帝国についての番組があり、最終話がイングランドでの話。以前、少し触れましたが私の先生の父親がシェークスピア翻訳の第一人者であったとお話しましたが、同時にギボンの「ローマ帝国衰亡史」も訳していました。先代亡き後は先生も訳しているのですが全く読んだことがありません。この先生の訳で読んだのは「ファニー・ヒル」だけです。(エライ!よくぞ訳してくれました。)ギボンってどこの人か知らないのですが、英語で書かれているんだろうなぁ...あの先生ラテン語できるとは聞いたことないんです。名前:バカチン、16〜7年前に大学でロシア語を学んでいた時の先生の一人が全集の訳を終えたということを聞いたことがあります。フィンランド人は〜ネンがホントに多いと「タモリ倶楽部」(先週の小湊鉄道編は面白かったというより最近殆どが面白い)のフィンランド式野球の時にも話がありましたね。もっとも、ラリー・ドライバーのカンクネンやバタネン、F1のハッキネンなど有名ですが。あっこの回の時に「上を向いて歩こう」が「京都から来た女の子」というタイトルでフィンランド語で歌われていると知りました。Пока
援助交際って、どのへんが境界線なのだろう。おなじような年齢の場合には、男が女に何か買ってあげても援助交際とは言わないだろうし、女がヒモの男に貢いでも、援助交際とはいうまい。年齢差のある異性間(同性も含む?)での金銭・物品の授受を含む性的関係のことか?占いたしかに効用のある場合がありますね。迷っている人が何かの暗示を得る場合とか。古代シナの甲骨文字で書かれた最古の占いを解読すると、雨降るか、降らざるか、と読めるそうですから、これは農業関係者でしょうけど、降らないと出たら竜神をお祭りで接待して、雨乞いしたのでしょうね。
天皇いまの天皇も皇太子も雅子も、公務員であることの自覚がないし、容姿や言動が皇族としての品位に欠ける。特に皇太子は次期天皇としての適性がないから、廃嫡して秋篠宮を東宮にするべきである。そうせぬと皇祖皇宗の霊に申し訳がない。こっそりワルクチ言うことをイタリア語ではsotto voce(ソット・ヴォーチェ低い声)で言うといいますが、大きい声で、オマエはキライだということを、この三人にはいいたい。(誹謗です。金井さま、ごめんなさい)雑炊とオジヤ、水分コンテンツが違うのでしょうか? ぼくにはあまり区別が明瞭でない。もしかするとオジヤは女房言葉?田舎汁粉という言い方は差別? ふつうの汁粉のことを御前汁粉と言っている店があるけど、そうするとツブ餡より漉し餡のほうが高級なのか?
こんにちは。少し前にMIR24Nの絞りリングについて書き込ませていただいた田中です。みなさんありがとうございました。皆さんの書き込みを拝見してからオークションのニコンレンズの出品物の画像を色々と見比べてみました。確かに開放F値によって違うようですね。同じ開放がF2のニコンレンズとMIR24とでは同じ場所から出っ張りが始まってました。これで安心して使えそうです。あとは外れレンズでない事を祈って・・・ありがとうございました。
マクロ: 写真はFED用のエクステンションリングです。これをレンズとボディーの間に入れると、マクロ撮影ができます。でも、距離計は使えない。そのかわり、このリングを入れるとピントがどうなるとの表が付いています。こんなの私には使えないよ。 Industar-50にはRF用と一眼レフ用があります。RF用は最短撮影距離1mなのに、一眼レフ用は0.65m。同じレンズなので、一眼レフで1mより近づけると、シャープでなくなるように思います。著者がキライなんです: 本当にキライなものをキライいった場合、真正の事実なので、普通には誹謗ではないでしょう。でも、天皇とかものすごく有力な人がキライと言ったら、影響が大きいので、誹謗になるかもしれません。 司馬遼太郎の街道を行くの中にあるオホーツク街道、途中で投げてます。私は文学自体が嫌いです。エンコ: エンストもエンコも、そういう現象自体がなくなってしまったので、言葉も使われなくなったのだと思います。今は援交??。占い師、細木数子: 占い師に何を求めるかの違いで、それぞれのタイプの好き嫌いが生じるのだと思います。細木数子氏は個人的には好きではないけれど、占い師としては好ましいタイプだと思います。 悩み多い若い人(特に女性)に助言と勇気を与える人は、医師?弁護士?教師?坊主?。そんな人の場合もあるけれど、占い師が必要な人も多いでしょう。占いの目的は、嘘を信じ込ませる事ではない。差と境界と区別: 粥と飯の境界あたりのものが、大嫌いです。粥なら粥らしくセイ。飯なら飯らしくセイ。境界あたりは食べ物の範疇外。 雑炊とオジヤの区別。雑炊はうまい。オジヤは嫌い。オジヤって粥と飯の境界あたりようで嫌いです。と、雑炊とオジヤの違いは自分の中では明確です。本当はどうなのでしょう。
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東京あたりで田舎汁粉と言っているものと、大阪などでいうぜんざいの区別。大阪でいう亀山とは何か。飯とカユとの境界はどのあたり?雑炊とオジヤの区別。ツブ餡と小倉餡の区別オニギリはうちでは小型のタワラ型だったので、はじめて三角オニギリを見たときカルチャーショックを受けたが、オニギリの形態に地域性はあるのか。
ぼくの勤めていた会社はOB会というのがあって、現役の部長以上は全員出席して歓迎してくれます。普段は行かないのですが、天王洲から東京オペラシティのビルに移転したので、12月1日にはその見物を兼ねていってきました。いや、なかなかキレイでいい。面白いのは広くて立派な喫煙室が40階の角の最高の眺めの場所にあることで、さすがフィリップモリスが親会社のひとつだけある。ちなみにフィリップモリスの本社に行きますと、机の上にThank You for Smokingと書いた札が立ててあって、全館吸い放題。カゼと食いすぎカゼ引きで運動にも行ってないのですが、食欲がヤタラ出てくるので、普段は食わないオヤツとかも食い放題。夜も普段は野菜中心の煮物、たとえば小松菜と油揚げの煮たの、ゼンマイとコンニャク細切りとニンジン細切りを煮たの、などの一品とおしんこなどで済ませるところを、スキヤキとか食いたくなって食べてしまう。あとの始末が恐ろしい。アー明日はハンバーグとエビフライとお赤飯のガストの出前が食いたい。餓鬼道に落ちたようで、われながら卑しい。
かぱまんさま、変換ミス、失礼しました。
エコーの件、科派万さま、ありがとうございました。エンコってエンジン故障? ナルホド、ウカツにもいま初めて気がつきました、かぱまんさま、この件もありがとうございました。空海の風景はゼッタイおすすめで、たしか中公文庫とかでも出てたと思います。真言宗、関係おおありじゃないっすか。ドナウ帝国ハプスブルク帝国の別名ですが、たしかにあのへんはちょーきれい。とくにブダペストは今年始めてゆきましたが、街全体が世界遺産だし、世界最初の地下鉄(1896年)だし、壮麗の大都会です。NHKのやつぼくも見てます。何べん見てもきれい。昔の戦争ってなんだか面白いですよね。名前もいいし。ロマンチックな感じがある。細木あーゆーのはダメ。ただのデブのおばさんが何かお告げやっても説得力ありませんね。やっぱ香の煙がたちこめる薄暗い部屋で美人の怪しげな女が言うとホンマカイナと思いながらつい信じてしまう。辞めてみる会社勤めのありがたさがよくわかります。ボーナスはもらえるし交際費は請求できるし、いいことずくめーーでもないか。
>何回やってもサスペンスがある。 自分の健康に関することって確かにこわいですよね、でも何事もなくて、よかったですね。 >エンコ これは「エンジン故障」の略語だったんでしょうか。もう誰も云わなくなってしまいましたが、昭和40年代前半までは、関西地方の田舎で僕ら使ってました。>『空海の風景』 これ読んでみたいですねー。僕の読んだ彼の作品は有名どころばっかりなもので。空海はちょっと勉強してみたいです。ウチ、真言宗なもんで(あんまり関係ないですが)。>十字軍とかクリミヤ戦争とか…百年戦争、薔薇戦争も。 西洋史はほんとに全く、全然わかりません(笑)。今NHKで中欧の番組やってますけど、今はただ「わぁきれいやなぁ」みたいな見方しかできてませんが(でもそれなりに釘付け状態です)、ヨーロッパの歴史に対して理解が深まってくると、また違う面白さがでてくるんでしょうね。行ってみたいです。>占い師の怪しげな女 細木数子の致命的にきらいなところは、怪しげじゃないというところです。何なんだあのオバハンは! 回りのマスコミの姿勢も最低ですね。 今日は会社の備品としてのデジカメを買いにお出かけです。ヒトのお金で買い物するのってけっこう気持ちいいかも(笑)。では僕も>よい週末を 。。。
坂の上の雲、ぼくも読む気がありません。著者がキライなんです(金井さま、これ誹謗ですか)。彼のものでよかったのは『空海の風景』だけ。これは空海のことを書いたなかでは一番読める。あとはダメ。戦争が好き(軍事教練受けてるので)だし、戦争のことを読むのは好きなほうですが、戦争によります。十字軍とかクリミヤ戦争とかのことは興味あるから読みたい。あっそれから百年戦争、薔薇戦争も。このへんはMasyaさまの領域か?Masyaさまにはパルジファルをおすすめします。城の中で目撃する奇怪な行事、フシギな傷を受けて病にかかっている老王、聖杯、聖金曜日、このへんの濃厚なキリスト教の密教みたいなトコがしびれる。ぼくのキライな大江健三郎もこれについてだけはいいこと言ってて、たしか邪宗のにおいがするとか、そんな気の利いた言葉じゃないけど、そういう意味のことをヘタクソな悪文で言ってた。大江にしろ吉本隆明にしろ、悪文がもてるというフシギな事実。でも邪宗門だと白秋とか木下杢太郎とかのほうが先輩ですよね。むかし前世占いというのがはやったとき、ぼくも冗談で前世見てもらったら、十字軍の騎士だったそうです。占い師の怪しげな女にアナタ外国語いくつかできるでしょ、とか最初に言われて、それは十字軍の前にヨーロッパ各国を放浪してたからヨ、だそうです。今考えるとアラブぎらいはその前世の記憶がよみがえっているのかも知れない。十字軍(に限らずあのころの騎士団みたいなやつら)は表向きは宗教団体みたいんだけど内実はドロボーでしたから、日本の僧兵みたいなものかな。バイク好きなのも前世でウマばっかり乗ってたから?実はブルノからプラハに戻る途中のアステルリッツ近辺で、夕日と麦畑の古戦場を見た後で森のほうへ行くと、強烈なデジャヴュ感覚が起こってきて、気持ち悪かった、もちろん三帝会戦のころよりうんと遠い時代に、あのへんをほっつき歩いていたのかもしれない。なーんて、コワクなってきたな。
飲んだ後に言っちゃうのではなく...午前中、浜離宮、芝離宮と歩いてきて出社したらサーバーダウン...書きたいこと一杯あったのにぃ...週末、天気が悪いからと一昨日に本土寺に行ったのですが、今日で紅葉撮影も終わりかなぁと思います。次の週末までに平林寺の紅葉が無事ならば行きたいと思います。では、よい週末を
ぼくもよい週末を、と最初にだまして、いや、言っておいて、あとくだくだと。今日は肝エコーの本番の結果を聞きに言って、異常なしでほっとしました。何回やってもサスペンスがある。スラブ系の名前バフチンと言う人が文学者でいます。グロテスク・リアリズムの創始者(?)で、いちど唐十郎に詳しく聞かれてえらそーに解説したことがあります。バカチンは一時かなり有名じゃなかったですか。こういう日本語での意味の問題で、戦前ソコニー(スタンダード石油。エッソ)がエンコという名前にしようとして、日本支社からとんでもないといわれてやめたという話があります。いまはエンコって死語ですか? 戦前はエンコといえばクルマが動かなくなることと、浅草公園のことでした。エンコの辰なんて、新門辰五郎親分のことを呼んでいたような。それも浅草オペラと一緒に遠い昔のことになりました。
金井さん、かぱまんさん、有り難うございました。ニコンのサイトとても面白いですねー。読みふけってしまいます…やばい。やはり、一因は描写性能でしょうか。でも、これは一眼の性能重視型のレンズですよね。蛇腹なんて普通に撮影しても非点収差が凄いでます。小さいレンズだと使用に耐えないような画像になるのかなぁ…って試してみりゃいいのか。 >数年前、コンパクトデジタルカメラを購入したとき調べた私も買ってから気付いたのですが、デジカメのマクロって一眼でいうマクロとは違いますね。買う時は何も考えずに最短が短いカメラを意識したのですが、単純に短いだけだと広角の超近接撮影になるだけで、自分の影は入るし、フラッシュは焚けないし、凄まじく湾曲するし。で、私はデジカメを使う時の超マクロはポジ拡大用の虫眼鏡(?)を通して撮影したりしています。チャイカはレンズを分解していて最短を短くできるようにしてやれば、ロモチックな絵を撮れるんじゃないのかな?と思って考えていました。高いLC-Aが買えないので…。口径が小さくて、広角で、割合明るめで、最短を縮めれば、周辺光量も落ちて、湾曲も大きくなりますよね?(違う?)一般には悪い画像になりますけど、ノーファインダースナップでは楽しいだろうなぁと思います。普段使っている携帯画像がそんな感じです。最短を縮められるか考えてみます…。ネジを一本外すだけでできそうに思えるので。自分で指標を入れるだけです。 >バカチン本当にいるんですね。今日はМасяさんのお決まりのご挨拶がまだありませんね。お忙しいのかなぁ…。かわりに…「よい週末を!」
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/nikkor/n12j.htmというサイトがあります。ここと、http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/nikkor/n14j.htmを精読すると、要は近接撮影の時、単純にレンズを伸ばしゃあいいっていうものじゃない、そんなことしちゃあ肝腎の画質が落ちちゃうんだよねー、という事が書かれているのだと思います。撮影距離によってレンズ内の各エレメントの位置関係が変わって行くフローティング機構が実用化されるまでは、なかなか最短撮影距離が短くできなかったらしいですね。 ですからそのあたりを承知のスケであれば、御愛用のチャイカ号の最短撮影距離をどんどんちぢめていっちゃっても、オッケーなのでは?と思います。
近接: マクロが好きです。hirob_pさん同様、疑問に思っています。数年前、コンパクトデジタルカメラを購入したとき調べたのですが、デジタルでも、近接撮影をあまり考えていないのが多かったので、ちょっと意外な感じをもちました。 近接撮影の需要はそれほど多くないのでしょうか。 近接撮影になるとピントがきびしくなるので、それだけボケ失敗写真も多くなり、変な噂が立つと嫌だから、あえて近接を入れないのかなーと想像しています。近接になると、パララックスの問題も起こるし、何かとめんどうなのかな。ロシア人の名前: 昔、内相をやっていた人に、ワジム・ビクトロビッチ・バカチン(Вадим Викторович Бакатин)(Vadim V. Bakatin)がいました。(バカーチンとも言います。)坂の上の雲: 読んでないなー、読みたくもないけど、みんな読んでいるなら、一応目を通さないといけないかなー。読む気しない。
だれかお分かりでしたら教えて下さい。蛇腹カメラや昨日いじっていたチャイカ2などでゴソゴソやっていると最短ピントの事で疑問が湧きます。蛇腹やコンパクトは1m程が最短に設定されているものが多いですよね。RFでもそうかなぁ。でも、ピントの調整を実際にやるともっと短距離まで合焦可能と思います。単にピントが合うから…そう思うだけですけど。前玉回転式の蛇腹なんかではレンズ径が小さい為、前玉1回転分が最大のピント合焦範囲に結果的になってしまうから、最短が限られてしまうのは分かります。でも、チャイカは80cm〜無限遠までをレンズの約半回転で合焦させています。距離連動機構も無くて目測ですし、3/4回転まで使えばもっと近接も可能なのに、なんで最短を80cmにしてしまっているのだろう?と疑問に思いました。レンズ性能云々とかの要求が少ない古いカメラや、コンパクトカメラの最短ってどういう基準で1m前後が最短に決定されるのかご存じでしょうか??それから、標準以下のRFレンズって1mとか0.7mとかが最短ですが、あれはボディ側の事情なのですよね?だから、こっちは自分なりに理解出来るのですが…。コンパクトカメラで近接できるのってとても便利だと思うのですが。そんな事ないのかな?京セラのT3とかも確か30cmまで近接可能です。昔は近接撮影をしようという要求が無かったのかなぁ?
>ブルータス拝見してきました!少し下を向いていらっしゃいますけど良い感じでした。これが試着無しでぴったりだった服なんだなぁとか、色々伺っていたのでちょっと嬉しくなりました。宇多田ヒカルとガチンコですね!妻にもこの方だよと教えました。 >13日出発で17日帰ってきますお風邪を治されて、お気を付けて。版権上手く行くと良いですね。telefunkenさん訳が出れば必ず買って、活字嫌いでも頑張って読みまーす。先日話に出ていた本ですよね。 >足の小指の爪ぐらいの存在…この表現でとてもよく分かりました。KIEV製造ラインが運ばれたとか、残っていたとか言うのさえ偶然に思える程ですね。カメラなんて作るか分からないけど何かの役に立つかも?と取り敢えず持ってきたという感じだったのかな? >開放F値から6段絞り込んだ位置にその起点を持たせてあるニコンのカメラを持っていない私でも想像して分かりましたよ。このレンズかぱまんさんもお使いなのですね。寸評を伺ったことがないですが…。いまいち?? >文春文庫、1〜8巻ひぇー。私の場合は、実家にハードカバーが有ったと思うので正月に…という感じです。 >プーチン、エリチン、バカチンバカチン?武田鉄也? フィンランド名ではアホネンとか見ますね。昨日はチャイカ2のレンズのグリスアップをしました。カクカクスカスカだったので…。それからこういうカメラトップカバーを開けるは初めてでしたが以外と複雑(違う?)でビックリしました。コンパー様シャッターをバラして搭載した感じで、速度ダイヤルの裏がカムになってスピード変化させていたり、フィルム巻き上げダイヤルを引っ張るとカウンターが復帰したりと、簡単なのにとても面白いカメラですね。スカスカで連動を探すのも楽で楽しかったです。もう一台買って、何とかフィルム室内に面したシャッター羽を押さえている板に反射防止塗装をしたいなぁ…と考えました。今日は帰ってピント調節して明日には使えるようにしまーす。はよ帰ろ。
>トーゴービール、、、1970年代、東西冷戦の深化により、乱暴な反ソ宣伝がなされた時代がありました。 そうなんでしたかー。そういう政治的な存在だったんですか。でも、やっぱりフィンランドで、白夜の下でビール呑みたい(笑)。それと素っ裸でサウナから駆け出して、凍りついた川(海?)に飛び込みたいです。テレビの見過ぎ?>この切れ込みは何に使うのでしょう。開放F値をボディー側に知らせるため?それは、カニ爪? カニ爪はAi以前の連動方式で必要なものでした。露出計のメカが全て内蔵されてるファインダーからニョキッと腕が出ていて(おっと、ニコマート系はボディから直接腕が伸びてるんだった)、レンズを装着すると、そこにレンズ側のカニ爪が引っ掛かる、それから絞りリングをがちゃがちゃ、と最小絞り値から最大絞り値まで回してやると、露出計にレンズの開放F値が入力される、、、という手順でボディに開放F値を教え込んでました。 Ai方式は、そんな「がちゃがちゃ」をやめようじゃないか、と考え出された方式です(といっても基本特許はどこか他の会社が持ってるんですよね?)。今回問題となっている引っ掛かり部分に対応したレバーが、ボディ側マウント最外周縁辺についていて、それに自動的に引っ掛かって作動するんです。カニ爪はもう必要なくなったんですけど、ずーっとつけ続けてます。 因みにAi対応ボディにAi以前のレンズをつけると、この小さなレバーが折れたり曲がったりしますので、装着できないことになってますが、例外的にF3、F4、FMとFEだったかな?、レバーが可倒式になっていて(F5は確かオプション改造可能として対応)、絞り込み測光で使えます。逆にAiレンズをAi以前のボディに取り付ける際は、カニ爪さえあれば露出計に完全連動します。 ご参考まで。
トーゴービール: 確かな知識ではないのですが、トーゴービールは伝説で、本当はそんなの無かったそうです。あるビールのラベルに、いろいろな将軍を使ったものがあって、そのうちの一人にトーゴーやラジェストベンスキがありました。このビールは1970年ごろに現われたものです。私がトーゴービール伝説を聞いたのは1980年代だったと思います。 しかし、そのような風説が日本では広まったので、トーゴービールなるものを特注でフィンランドビール会社に作らせて輸入している日本の会社があるかもしれません。ま、違うラベルを貼るだけですから。 1970年代、東西冷戦の深化により、乱暴な反ソ宣伝がなされた時代がありました。1982年危機説なんてのもあったなー。こうした中で生まれたものの一つだろうと想像しています。 ウラジオストックの解釈で、ウラジ=侵攻せよ、ボストーク=もっと東=日本と、おかしなこじつけがなされたのもこの頃です。N(H)マウント: 田中さま。はじめまして、管理人の金井です。投稿ありがとうございます。 周りの枠の切れ込みのことですよね。気にしたことありませんでした。 かぱまん さん の解説にしたがって、いくつかのNマウントKievレンズを見ると、確かにすべて、開放に比べて6段目のあたりに段差があります。 この切れ込みは何に使うのでしょう。開放F値をボディー側に知らせるため?それは、カニ爪? 昔のニッコールカタログには何か書いてあったような気がするのですが、、、忘れました。ロシア人の名前: 指揮者のゲンナジ・ロジェストベンスキー、エフゲニ・スベトラーノフなど、「スキー」と「フ」は重々しいけれど、プーチン、エリチン、バカチンのように、「チン」は偉そうな感じがしないなー。
13日出発で17日帰ってきます。仕事の合間にドイツ国立図書館の版権調査部の人と会って、『ガラスの驚異』の版権がどうなってるのか、10年越しの調査にケリを入れ、おっと、ケリをつけなければ。朝日新聞の子会社の出版社から話があって、いまだに引っかかっているのです。これは前に書いたように戦前に第一書房から訳本が出たやつで、藤田五郎先生の名訳ですが、いまの読者にはちょっと難しいのでぼくが訳しなおせといわれてるんです。そのときは跋を会田軍太夫先生という大物に書いてもらっているんですが、いまはダレに頼もう。知り合いの小田島雄志先生は東大名誉教授だからカンバンに不足はないがシェークスピアでちょっと畑違いだし、矢野俊正先生もおなじ東大名誉教授だけど発酵学でチョイ違うし、同級生にも名誉教授はいるけどあんなやつらにはなんだか有り難味がないし、うーむ。誰か光学系のエライ人、知り合いにいませんか。そういえば永田魔人がいるな。でもlちょっと若いからな。こういうのは勲章でももらって死に掛けの人がいいんだよ。この話を元朝日の局長の同級生のやつにしてたら、おまえ国賊系の会社で本出していいのか、というから、政経分離の方針を出しておきました。政冷経熱ともいうらしい。
かぱまんさま、ゲルツミニコード、間違ってません。初期のアルパみたいに上から斜めにファインダーを覗く面白いカメラで、写りはバツグンでした。hirob_pさまツァイスにとってカメラは関連会社の一社(ツァイス・イコン)の製品で、カメラ用レンズ事業は足の小指の爪ぐらいの存在であるように、ゲルツにとってもカメラは製品のほんの一部分に過ぎません。戦前戦中の日本光学(カメラを作り始めたのは戦後)のように、大軍需産業会社でした。Masyaさまさすがですね。スラブ系の名前ですきなのはバレーのニジンスキやジアギレフ、絵画のカンジンスキやカコシュカ、音楽のストラヴィンスキ、彫刻のアウキペンコ、建築のメーリニコフやムラギルディン、文学でメレジュコフスキやタルストイやガルシンやダスタイエフスキー(ちなみに芥川龍之介はたしかちゃんとこう書いてました)。戦前のアメリカで有名だった指揮者のレオポルド・ストコフスキ(ディズニーのファンタジアの指揮者)はイタリア人でイタリア名前があるのですが、スラブ風の名前がカッコイイと思ったのか、これで通したみたいです。ちなみに前にも書きましたが、ニューヨークのカーネギーホールの杮落としのときには、わざわざロシヤからチャイコフスキーを呼んで振らせたそうです。当時生存中の大作曲家の中から選んだのでしょう。アッ、指揮者でエフゲニー・ムラヴィンスキとキリル・コンドラシンを忘れていた。富士山ウチのアパート(5階)のベランダから見えます。今日も見えました。カゼ金井さまのがこのBBSを媒介してウツッタのか、ちょっとカゼぎみです。金太郎足柄山の金太郎を知ってますかというインタビューアーに女の子が答えて、『ヒシガタの服を着た人』と言ってました。地獄の黙示録といえばドアーズとヴァルキューレ。アレッって音楽映画?
>MIR-24Nについて 田中様はじめまして。お問合せの件、確かに不思議、とばかり手持ちのレンズを調べてみました。 その引っかかりは、ご存知のとおり、開放F値をボディ側へ伝える役目をもっていますが、実際どうなってんだろ、と調べてみると、F3.5のレンズなら16と22の間の16寄りのところ、F2.8のレンズなら16の真下、F2のレンズでは11の数字より8に少し寄ったところ、F1.4レンズでは8の真下、そしてF1.2レンズだったら5.6と8の間よりそれぞれ引っかかりが始まっていました(ややこしい書き方ですみません、デジカメ持ってなくて…)。 即ちそれぞれの開放F値より、大体6段絞り込んだところ(開放値が中間絞り値ならその都度適度にズレて)にその起点を持たせてあるようですね。 だからMIR-24Nだと開放F値が2ですから2-2.8-4-5.6-8-11と6コマ進んだところ、11のところに引っかかりの起点がある、というわけですね。お手持ちの他のレンズは開放F値が2.8じゃないですか? 最初のうちは、その仕組みがわからなくって、しばらくの間レンズたちをコネクリ回してました(笑)。>坂の上の雲 僕は文庫本で読みました(文春文庫、1〜8巻)。ハードカバーはまず買えない(笑)。あ、でも8冊も文庫本買うとけっこうな金額になりますねぇ。長編になればなるほど文庫で読む方が気が楽です。軽いから、いつでもどこでも、という感じです。
>最近ハーフの出番が減りましたチャイカは妻用です。前面レリーズなんでローアングルノーファインダーで適当に撮ってくれると思います。目測、露出計無し、ノーファインダー…って私には絶対無理。妻はO型なので大丈夫。 >LC-A8000円だったら半額以下。3000円が凄く安く思えますが、なんで高いのかなぁ??光量落ちが激しく高彩度のピンぼけカメラってイメージですが。皆わざとそうしているのかなぁ?不思議なカメラですね。 >ゲルツ・ボイコフはゲルツのオーストリアでの子会社一時期ツアイスを抜いていたって凄いですね。ゲルツにとってカメラは片手間? >ヤヌアはカメラの名前で…すみません。検索してみます。 >ロシヤがどういう測距儀を使っていたのかよく考えずにツアイス製を買ってしまったら巧く使えなかった…なんて。 >ダレだ…うーん。 >皆さんはどうされていますか?初めまして田中さん。私はM42用なので分かりません。ごめんなさい。でも、このHPの金井さんの24Nの写真でも仰せのように見えますね。 >坂の上の雲かぱまんさん読まれたんですね!かなり分厚い上中下巻ですよね…。普段本を読まないので無理だぁ。 >パルナス大阪に出てきて初めて食ったのがパルナスの壺シチュー。 >富士山…馴染み薄いです。新幹線の窓から見たくらいかなぁ。でも探している位置よりずっと上えてビビリました。あんな所、登れるのが信じられないです。
ドアーズのThe Endを聞いています。映画「地獄の黙示録」で有名になりましたね。Мир24Н:ロシア製ニコンマウントレンズはАрсат50とМир20を持っていますが、ニコンAiの爪について注意したことがありませんでした。持っているニコンレンズでさえも気にしていませんでした!(20年以上も!)金井さんのページを見ても確かに11辺りで始まっている...ニコンのページで現行Aiレンズの写真見ても小さいから分からないです。富士山:何度か富士山周辺に行ったことがありますが、晴れていても雲に隠れてとかで綺麗に見えたことがありません。羨ましいです。これから寒くなって空気が澄んで見え易くなります。実は今朝都庁に登って富士山を撮りに行こうかとも思いました。まっこれからいつでも見られそうだし、紅葉は今週までくらいだと思いますので。スラブ系の名前:メドヴェデフ、チェキン、ヴィスクーベンコ、パルノフスキー、クリモフ、スタセヴィッチ、トルモゾフ、パチノク、チューリン、スハレフ、マルコヴィン...ってモスクワの友人達の名字です。(オレグも混じってます)こう考えると〜スキーというのは友人に少ない気がします。彼女が該当しますが女性形なので〜スカヤになります。それとロシア人の名前ってロシア聖教に因むことが多いので名前の数が少ないのですが名字はやたらと多いです。あっ面白い名字が一人いた。Жонсон(ジョンソン)でロシア人です。
>双眼鏡 このターレット式のもの、欲しいです。接眼部が回るんですよね。顕微鏡の対物レンズや、8ミリカメラのレンズみたいでかっこいいです。重そうですが。>坂の上の雲 彼の作品の中では、ちょっと駄作かな?(その心は前半部分の展開がフラついてる気がするので)、とも思いますが、まぁ面白いです。年末年始のお休み中に、いかがでしょう。>東郷平八郎 フィンランドでしたか、彼の名を冠したトーゴービールってのがあるらしいですが、一度呑んでみたいです。もちろん白夜の下で。>あ〜夕焼けで富士山がくっきり見えている! あー、富士山!。見たいなー。きれいでしょうねぇ、紅富士。。実は僕、さくやこのはなひめに気に入られているみたいで、泊りがけで富士山周辺に旅すると、必ず快晴なんです。山容をいただきから裾野まで、彼女はぜーんぶ見せてくれます。また行きたいですー。因みに河口湖から見るのが、一番気に入ってます。>スラブ系の名前のを見ると高級・高性能な感じがします。 パルナスのケーキを思い出します、というのは冗談ですが、僕は、そのスラブ系の名前を持った製品が、一体高級なのかどうなのか、高性能なのかどうなのか、全く想像を絶してしまいます。英語の響きに毒されてるんですね、たぶん。>ミニコードという面白い二眼レフ(?) たしか16mmフィルム使用の茶色くてかっこいいやつだったような。斜め上からのぞくような仕掛けでした(っけ?)。あー、またいい加減な発言をしてしまった。
ゲルツ・ボイコフはゲルツのオーストリアでの子会社でツァイス・イコンの合同のときもそのままで残っていたと思います。その点でアメリカン・オプチカルとおなじですね。ちなみに戦後はオーストリア・ゲルツはミニコードという面白い二眼レフ(?)を出していました。ゲルツはツァイスに次ぐ巨大コンツエルンでまだまだ調査が及んでいない秘密がいっぱいある会社です。ドイツ軍に対する供給量では一時はツァイスを抜いていたこともあるぐらいで、ゲルツ氏と軍の上層部との癒着がウワサされています。ツァイスの研究書で東独で出されたサヨク系の膨大な本で見ました。スラブ系の名前ってカッコいいし、いろいろな製品や会社でスラブ系の名前のを見ると高級・高性能な感じがします。このゲルツ・ボイコフ爆撃照準機、レビコフ色温度計、シコルスキーヘリコプター、アメリカRCAの社長サーノフ、タバコのダビドフ、ベルリンの大ホテル、ケンピンスキ。ちなみにドイツ式では語尾のB(ヴェー)の音価はWであらわします。
はカメラの名前で、一時サン・ジョルジョで作っていたもので、たしかISOのHenso Reporterとほとんどおなじものです。 ロシヤがどういう測距儀を使っていたのかわかりませんが、当時の情勢から言っておそらく日本とおなじB&Sのものではないでしょうか。だとすると基線長の短いもので精度が悪かったか、または使い手の目が悪くてレンジファインダーが苦手だったかーーーしかしそんな人間を測距手にするはずありませんよね。軍艦や大砲は両国ともイギリスの、たぶんアームストロング製だと思うし、何が違うんでしょうね。仕事をしていてもつい覗いてしまうこのBBS,ダレだ、こんな罪なものを作ったのは。
こんにちは。はじめまして。いつも大変参考にさせていただいております。最近、ニコンマウントのMIR-24Nを購入しました。レンズを見ていて気づいたのですが、絞りリングのボディーとの連動部分の出っ張りが他のニコンマウントレンズではf16のところから始まるのに対し、MIR-24Nでは11のところから始まっています。これではボディー側で認識するf数値が1段ずれてしまうと思うのですが、皆さんはどうされていますか?露出補正して使えばいいのでしょうか?宜しくお願いします。
早いトコ書き上げて撮って来よっと。CD:丁度米国から製品のCDが届いた所でした。9月くらいにモスクワに持って行ってもらったCD、リュドミラはまだ受け取っていない...では金井さん、お手数ですが宜しくお願いします。イタリア:こりゃ、私の範疇ですね。 >Италия. >Родился 18 мая 1711 г., 生年月日の前で恐らく国籍を言っていると思います。ちなみに1711年5月18日生まれです。ハーフ:オリンパス・ペンEE-3とキャノン・デミがあります。壊れていますがキャノン・ダイヤル・ラピードも持っています。最近ハーフの出番が減りました。ってロシアカメラばっかりですから。ハーフカメラに36枚撮り入れて最後まで撮りきれたことないです...LC-A:昨冬、サーシャの店で2000ルーブル(約8000円)を超えて、レニングラードよりも高いのもありました。私のは800ルーブル(約3200円)で単体の中古としては昨冬まで最も高価でした。(今の記録はЗоркий3です。それでも2000ルーブルまではいきませんが)そう言えばЗенит620を全然使ってないや。やっぱりコンパクトもКМЗでなきゃ!ナンテネ。コンパクトはЗоркий1だろうって?Индустар:今週になってから何か50mmばかり使っています。なんでだろう...自分でもわからない...東郷平八郎:曾孫がウチの大学で助手やってたそうですが色々と...つい手が...:私もですから...
>東郷元帥兵器の大メーカーだそうですが全然知らず…無知ですみません。でも、そんなメーカーの応接室に東郷元帥の額がかかっているのって凄いですね!!ヤヌアっていうのがこの双眼鏡の名前でしょうか。ターレットというのが凄いですね。 >No.3317これを拝読してちょっと先日書いて頂いた事と繋がりました。それからツアイスは使い難かったというのが面白いですね。最近やっと、どんな優れた大砲があっても測量できなければ当たらないので無用の長物と分かりました…。兵器自体もそうですが、それを活かす為の光学技術が盛んで当たり前ですね。なんでカメラ会社(と思っていた)を米ソが争って持っていたのかがちょっと分かりました。別にカメラが欲しかったんではないのですね…。カメラ馬鹿には分かりませんでした。日露戦争当時、日本はこのバー&ストラウド社の測距器で成果を上げることができたのに対して、ロシアはどこのものを使っていたのかはネット検索だけでは分かりませんでし。活字嫌いですが正月にでも坂の上の雲を読もうかなぁ…でも、かなり厚いですよねぇ。 >(このネタ一度書いた記憶が)すみません…。だってtelefunkenさんからの情報量って凄まじいんです…。 >CD恐れ多いです。有り難うございます。でも、もしお借りできるのでしたらМасяさんの後にほんのちょっとだけ。 >今日は…Индустар50(沈胴)です。好きなレンズ! >科博に資料があるならば、もういいですね。資料と言ってもあのページを見ても何も分からないのです…。 >最初にイタリアと書いてあるのはキリル文字読めない…みらんぢさんも先日書かれていたし、みなさん凄い。そう言えば、チャイカ2を買いました。これ楽しいですね!本当はLC-Aのハーフ判が欲しかったけど4万もする。それは無理ー。…高過ぎ。ロモジャパンからLC-A買うと2万もするけどロシアではそんな高いわけないのですよね?クラカメが好きだけど、家もクラシックを買いました。つまり中古…でもまぁいいよ住めれば…。ついつい色々書いてしまう。見ないでおこうと思うのですが…つい手が…。
金井さま、ではお次はMasyaさま、そして興味があればhirob_pさまもどうぞ。3317は3313のツァイスのHPを見ていないと何のことかわからないと思います。
これは帝国海軍では武式といって、広く使われていました。イギリス製です。その後はツァイス製やゲルツ製、まれにサンジョルジョ製(さっき書いた会社の前身〉があったそうです。前にも書いた気がしますが、『ツァイスの3米測距儀は、光学的にも機械的にも、武式より込み入っていたが、設計製造の技術が進んでいたために無理がなく、特徴を発揮していた。一面技巧に走り過ぎていると感じた点が無いでもなかった。対物鏡の調整法の如きはそれである』と帝国海軍の技術部門が批評しています。帝国陸軍でもツァイスのものは優秀だが込み入っていて使いにくいという評価があったみたいです。特に昭和18年に潜水艦で輸入したツァイス・イコン製の電気計算式爆撃照準機などは猛烈に高性能で猛烈に複雑で使いにくかったそうです。ちなみに爆撃照準機はオーストリアのゲルツ・ボイコフ式が主力で、昭和の初めごろはほとんどこれでした。
Приветドゥヴロニクを私の持っている地図で捜してみたのですが、見当たらない...ヨーロッパロシアではないと思っていましたがクロアチアでしかた。あっ今朝も林試の森公園、目黒不動尊と歩いていきましたが、そうたいしたことはありませんでした。今日はЗоркий1+Индустар50(沈胴)です。1本撮り終わるとカメラを代えています。でも大体決まっていますね。1か2Cが多いです。シャッターの調子がイマイチの2Cですが好きなんです。ラグーザお玉:明治時代の女流洋画家で、東京芸大の教師だったイタリア人彫刻家と結婚してこういう名前になったと思いました。私もラグーザと聞いてすぐにお玉を連想しました。БОСКОВИЧ:科博に資料があるならば、もういいですね。CD:あっ見たいですぅ...昨夜、ワレリーに頼まれたものの写真を送って、これでいいかっと確認したら、それで良く、カメラに関するもので必要なものはないかと尋ねられました。何にしようかなぁ〜。Пока
hirob_pさま元帥の双眼鏡のHP拝見しました。イタリアのジェノワにある兵器の大メーカー、ヌオヴァ・サン・ジョルジョに行ったとき、応接室にこの額がかけてあったので聞いたら、ツァイスのライセンシーだということでした。この会社がヤヌアを作っていたことをあとで知りました。でも当時(もう40年ほど前)はカメラにそれほどの興味がなかったので。(このネタ一度書いた記憶が)
hirob_pさまの書き込みで思い出しましたMasyaさまのBoskovichのサイトで、最初にイタリアと書いてあるのは、イタリア人という意味ですか?
ちょっと真面目に仕事をしないと間に合わない日々です…。 >通勤途中の小学校のサクラが満開いいなぁ!小学校に秋咲きの桜なんて珍しいですね。 >ブルータスまだ拝見しません。今日の昼間に見れたらみたい! >うっかり書き忘れてました。どうぞ気にされないでください。気の向いた時に気が向いた話題だけ拝聴できるのが掲示板の楽しいところと…勝手に思っています。 >基本的なレンズ設計無限の描写って難しいのですか…。実は全然意識したことがありませんでした。Jp-8で撮ると後ろの遠景の色が変になるのが気になっていました。 >今回の僕の写真はネット上で見る限りは遠景の山がとても綺麗にクッキリ見えますが…。私のレベルでは不満ありません。青みがかっているのを見ると田舎暮らしだった頃を思い出します。本当に山は青く見えますものね。 >プリズムとボスコヴィッチ実は昨日書き込もうと昼休みにこれを検索していました…。大学の教養の化学史?かなにかの授業でボスコビッチという名前を聞いた事があるような気がしました。アボガドロとかの辺りの話でしたが忘れました。当時の科学者は、天文、化学、科学なんでも屋なので関係があるのかないのかよく分かりません。どうもイタリアの人と書かれています?本当かな?ボスコビッチで検索すると国立博物館に資料があるような記載が見つかります。これです。これは望遠鏡の事らしいのでドレイカイルに近い分野かな?http://www.kahaku.go.jp/special/past/italia/ipix/b3f/7/b.html >大砲とセットで戦場で使う距離計がずっとNHKの番組を見てから気になって調べていました。日露戦争当時にどうしてそんなに正確な測距が日本人にできたのかなぁ?とどうも彼方此方で、バー&ストラウト社という所の機器を使っていたという記載が多いです。また、4社を競合させて元は製造が始まったというような記載もありました。またそのうち検索してみます。時代はさかのぼりますが、ナポレオンも確か最初は砲兵だったですよね?ナポレオンは学問的にはアホだったと聞きますが、大砲を打つのは当時としては高度な数学が必要だったのでしょうね。それからツアイスのHPに面白い記載がありました。これです。http://www.zeiss.co.jp/__4125681c00486015.nsf/0/44cb1d285b1b921749256975001c946d?OpenDocument&Click=ああ…仕事の溜まる季節。
シュヴェンクカイルSchwenkkeilはコンタックスIIなどで採用した形式で、凹型の四角いプリズムの凹面を凸型の四角いプリズムが褶動する方式です。なぜコンタックスI後期のドレーカイルからこれに移行したのか、ぼくの想像ではファインダー内部の距離計窓の虚像を四角にしたかったからだと思います。これまでやるならいっそのことレンズをもう少し使ってライカM3のような実像にしてほしかった。簡単なことのはずなのに。
Stueper教授によると、Bをカイル1枚の光路偏角、Pをカイル系全体の光路偏角、Aをカイルの回転角としたとき、P=2BsinAとなり、実際のカメラではA=20Pとなるそうです。したがってこれはミラー反射式(A=0.5P)に比べて40倍、シュベンクカイル(A=2P)に比べて10倍、伝動についての感受性が鈍いそうです。つまり振動などの応力に対する抵抗性が高いということですね。StueperはFlugkapitaen Prof.Dr.Stueperという肩書きで、空軍大尉でもあったらしい。
ってクロアチアなんですか。金井さま、ありがとうございました。CD当分見ませんのでいつでも結構です。気の済むまで見てください。あとMasyaさまに回していただいてもOKです。任天堂憂国般若党総裁として認可していただいて光栄です。悪党党総裁のハマコーの向こうを張ってるぼくとしては、ちょっと迫力不足は認めますが、代理店、スタイリスト、編集者、そのた大勢の見守る中で、カメラマンとアシスタントがあの角度と目線を指定したので、やむなく。
ボスコヴィッチ : ドブロブニクって、世界遺産に指定されているクロアチアの町の事でしょうか。ブルータス: 任天堂のコマーシャル見ました。 たしかに、下向いちゃっているのが残念です。そのためか、憂国般若党総裁としてのオーラが感じられなくてちょっと残念です。(って何を期待してたんだ!) 個人的なお礼: telefunkenさま、CDありがとうございます。こんなに珍しいカメラがいっぱい有ると、何を見てよいのか戸惑います。CDは近々お返しします。
No.3278、hirob_p様の分へのReです。うっかり書き忘れてました。>お使いのマミヤでもMCの時代のものですよね? 古いレンズって遠景のカラーが綺麗に写らないものが結構ありますね。 マミヤCシステムのレンズは、おそらくそのほとんどがモノコーティングなのではないかと思われます。最末期の(たぶん再生産?)製品、コーティングの色がパープルのレンズ群のみが、現代風のMCだと思います。僕の使っているレンズはもちろんパープルしてません(うすい茶褐色)。「逆光に弱い」なんていう評価が確立してるようですが、それはこういうわけだからでしょう。 古いレンズの遠景がきっちり描写できないのは、コーティングの影響もさることながら、やはり基本的なレンズ設計の、技術的な問題があったのではないかと思います。無限遠のピントってなかなか出ない(出すのがむつかしい)という話もききますし。 ただ、今回の僕の写真での問題は、それ以前にピントが合ってなかったんじゃないの?(インフで止まってくれません)という可能性も(笑)。
金井さま書くのを忘れました。ぜったいゲーペーウーがよいです。そのほうが強そう。カーゲーベーは修正主義的で軟弱な気がする。CIA,にだまされそう。GPUは天下無敵。ザルカウイだってビンラディンだって、もしゲーペーウーが復活したら二週間ぐらいで御用に。
Masyaさま生まれたのがラグーザ(現在のドブロブニク)とありますが、ラグーザお玉という女性(明治時代の人)と何か関係あるんでしょうか。ドブロブニクってどのあたりでしょう。
金井さま。たしかにツァイスはプリズムが好きですね。なぜでしょう。こんどツァイスの研究家に聞いてみます。Masyaさまボスコヴィッチありがとうございました。自然哲学者(昔ふうの言い方ですね〉数学者、天文学者らしいから、何か他にも発明があるかも知れませんね。生没年から考えてドレーカイルの発明の人に間違いないですね。ミラノは当時はロンバルディアの首都ですから(いまちょうどNHKTVでハプスブルク帝国の番組やってる〉当時ロシヤから出てきて国際的に活躍した人なのでしょう。
ソビエト進攻がポツダム宣言違反っていうじゃなーい、でもそれを言う人がロシヤ嫌いかどうかで決まるみたいな気がするので残念。ぼくはロシヤ好きですから違反してない派です。本音はそんなことどっちでもいい。なぜならかりに違反してたとしても、だからどうするということが何もないから。カメラソビエト時代は特許とか意匠登録とかいう資本主義的なコンセプトが存在しないと思ってました。だから違反ということがなしまない。
皆様、全く関心がないであろう内容をグダグダ書きます。ごめんなさい。 先週、第2次大戦末期のソビエト侵攻がポツダム宣言違反との考えがあり、それに対して、その根拠を知りたかったのですが、先週の議論ではサッパリ分りませんでした。 千島への侵攻・占領は8月下旬からですので、ポツダム宣言受諾後のことになります。特に、歯舞群島の武装解除・占領は停戦後です。ここをもって、ポツダム宣言違反で不当だとの主張があるのかなーと推察していますが、残念ながら、国家としてのどの行為がどの条文に違反しているのか、その論拠は何か、これらを聞いたことが無いのです。 実は、北方領土問題で言われる事のうち、一番理解できないのが「固有の領土論」です。2番目が、「侵攻・占領がポツダム宣言受諾後」の問題です。(後者は何が問題なのかが分らない。) 先週の議論では残念ながら分らなかったので、仕方ない、国会議事録に少しあたってみました。 ポツダム宣言違反を問題にした討論は結構多いのですが、日本再軍備やレッドパージなどが問題として取り上げられていることが多く、ソ連を取り上げているものは、比較的少ないという印象です。では、どんなことが議論されているか、こんな感じです。(見つけ方が良くないので、探せばもっといろいろ有ると思います。)@ソ連侵攻自体をポツダム宣言違反としているもの ありませんでした。A占領をポツダム宣言違反としているもの ありませんでした。B占領が継続していることをポツダム宣言違反としているもの 1件、見つかりました。 26年2月5日参議院外務委員会で斎藤秀雄参考人は、千島占領をポツダム宣言違反と供述しています。ポツダム宣言では北海道は日本の領土になっています。ポツダム宣言英文ではこの場合の北海道とは、単一の島のことであることが明白なのですが、日本語訳は行政区域と誤読の可能性があります。参考人はこの部分を誤読し、誤解により主張していることが明らかです。C捕虜帰還問題でポツダム宣言違反ありとしているもの 24年11月19日衆議院外務委員会で中曽根代議士が主張しているのを始め、いくつもの議論があります。 このうち、昭和31年3月27日衆議院外務委員会では、かなり突っ込んだ議論がされています。ポツダム宣言「違反あり」と「違反無し」の両説が論議されているようですが、まだ読んでいません。D北方四島の領有問題 31年以降、日本政府は北方四島を日本の領土であると主張しています。その立場に立てば、いまだに返還されていないのは、ポツダム宣言違反との主張も成り立ちます。しかし、ソ連以外とはサンフランシスコ条約が、ソ連とは共同宣言があるのだから、中間宣言でしかないポツダム宣言を持ち出すことも無いという気がします。 北方四島の領有問題でポツダム宣言違反との主張は、51年10月12日衆議院内閣委員会でなど、最近のものが幾つかあります。 結局、「ソビエト侵攻・占領をポツダム宣言違反」とする主張の根拠はわかりませんでした。そのような主張自体見つかりませんでした。 また、捕虜帰還問題では、単純にポツダム宣言違反なり国際法違反なりと主張する人が居ます(多い)が、国会議事録を見ていると、それほど単純・自明なことではないようです。この問題は、法律の問題なので、国際法廷における判例がないと判断が出来ません。残念ながら、日本は敗戦国で戦勝国を国際法廷で裁判する権利が無かったので、そのものズバリの判例はありません。類似案件を探すのは、法律の素人の手におえませんので、私には手が出ません。 ところで、北方領土問題で理解できないことの3番目は、「ウルップ以北とは異なり、四島は日本の固有の領土であることを、ソ連も認識していた」との政府の主張の根拠です。 ウルップまでを占領した部隊はそれより南下せずに、四島の占領は樺太占領部隊によって行われています。この事実を根拠としているようです。しかし、分っていることは、ウルップまでを占領した部隊には、ウルップ以南を占領する命令が与えられていなかったために、南下しなかったということです。なんで、「日本の固有の領土であることを認識していた」となるのだろう。根拠を聞いたことがありません。 日本政府説を聞く前は次のように思っていました。(根拠はありません。)ウルップ以北には民間人がほとんど居ないので赤軍と少数のKGB将校で足りるけれど、樺太やエトロフ以南は民間人が多いので、KGBの管轄になり、KGB将校が多い部隊が必要だったのだろう。 (GPUって言ったほうが良いですか。)***** 以前、ソ連のカメラ意匠が西側カメラに類似しているものが多いことをもって、犯罪であるかのような主張がありました。犯罪か否かは、法律の問題なので、判例を示すか、判例が無いのならば、判決文程度の精密な論証が欲しいと思いました。ま、そこまでは無理としても、せめて判決要旨ぐらいの内容は欲しいと思いました。 そうでなければ、法律違反の主張は、単なる感情になってしまいます。
Привет怪進撃が続いております。本日も松戸の本土寺の紅葉を撮ってきました。東京近郊ではここが一番の名所ではないかと思っています。昨日に続いてЗоркий2С+Индустар50、Москва2です。写して、写して、写しまくる。写して止まむの精神ですがって鳥肌実か?(知りませんよね?右翼漫談でいいのかな)昨日までの撮り残しを使い切ることができませんでした。っの割にはデジカメで63枚撮ってました。どれかいる?:БОСКОВИЧの名前が出た時、ロシアのサーチエンジンで検索したら随分古い時代の人が出てきたので迷っていました。取敢えず、こんな人です。http://hp.iitp.ru/win/03/0330.htmミラノで亡くなっているようですが、活躍の場もそっちだったのかな?ブレ:Киев2で撮った写真が出来上がってました。1/25秒で撮ったものがブレてばかり...修行が足らんです。一生、遊ぼう:出社前に本屋さんで見てきました。下向いちゃっているのが残念ですね。Пока
かばまんさん >>背景をあれこれ考える方が面白かったりして(撮っている情景とか)魚眼でポートレイトだとkissせんばかりに近づくことになるので、かなり怪しい光景になりますねー。ウチのリングライトは52mm以下の径にしか装着できないので試したことはありませんが、180度の画角だからもろにストロボが入るかも、下げて装着するとケラレてしまうかもしれませんね。ちょっとリングとは意図が違いますがバウンスでも思ったより良く光が廻りますよ。
画 像 : 猪木になりがち -(27 KB)
1770年代の日本といえば、杉田玄白とか平賀源内ですよね。北方領土で言えば、国後島の首長ツキノエは交易に訪れた飛騨屋を拒絶し、ロシアと交易をしていた頃です。日本は鎖国真っ最中。 ドレーカイルは楔形プリズム2個を正確に反対方向に回転する必要があります。同じプリズムをつくること、精密歯車を作ること。何で、こんな時代にドレーカイルを思いついたのでしょう。大砲とセットで戦場で使う距離計が必要だったのでしょうか。距離計の比較: バルナックライカ:ミラーの回転角 二眼レフ:レンズと焦点板 コンタックス:複雑な形をしたプリズムを並進 ドレーカイル:楔形プリズムの回転角 一眼レフ:ペンタプリズム(コンタックスSなど)ツアイス系はプリズムが好きみたいです。レポーター: Princelle本にGOMZ Reporterが載っています。この距離計の説明を読むと、いったい何か違うのだろうか?? ちょっと現物を見たい!! フォトアーセナルに売っている。それほど高いわけでもない。うーーん、やっぱりやめ。
みらんぢ様どうもありがとうございました。なるほど>ペレンは上下がケラレますし、本来35mmカメラ用ではないように思いましたが 面白いレンズですね。チャイカなんかに無理矢理くっつけたら良いカメラできますね(すでに誰かやってそうですが)。大口アングリの写真も面白いんですけど、実はその写真を「なぜに撮ったの?」という背景をあれこれ考える方が面白かったりして(撮っている情景とか)。