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かばまんさん>>背景をあれこれ考える方が面白かったりして(撮っている情景とか)魚眼でポートレイトだとkissせんばかりに近づくことになるので、かなり怪しい光景になりますねー。ウチのリングライトは52mm以下の径にしか装着できないので試したことはありませんが、180度の画角だからもろにストロボが入るかも、下げて装着するとケラレてしまうかもしれませんね。ちょっとリングとは意図が違いますがバウンスでも思ったより良く光が廻りますよ。
画 像 : 猪木になりがち -(27 KB)
1770年代の日本といえば、杉田玄白とか平賀源内ですよね。北方領土で言えば、国後島の首長ツキノエは交易に訪れた飛騨屋を拒絶し、ロシアと交易をしていた頃です。日本は鎖国真っ最中。 ドレーカイルは楔形プリズム2個を正確に反対方向に回転する必要があります。同じプリズムをつくること、精密歯車を作ること。何で、こんな時代にドレーカイルを思いついたのでしょう。大砲とセットで戦場で使う距離計が必要だったのでしょうか。距離計の比較: バルナックライカ:ミラーの回転角 二眼レフ:レンズと焦点板 コンタックス:複雑な形をしたプリズムを並進 ドレーカイル:楔形プリズムの回転角 一眼レフ:ペンタプリズム(コンタックスSなど)ツアイス系はプリズムが好きみたいです。レポーター: Princelle本にGOMZ Reporterが載っています。この距離計の説明を読むと、いったい何か違うのだろうか?? ちょっと現物を見たい!! フォトアーセナルに売っている。それほど高いわけでもない。うーーん、やっぱりやめ。
みらんぢ様どうもありがとうございました。なるほど>ペレンは上下がケラレますし、本来35mmカメラ用ではないように思いましたが 面白いレンズですね。チャイカなんかに無理矢理くっつけたら良いカメラできますね(すでに誰かやってそうですが)。大口アングリの写真も面白いんですけど、実はその写真を「なぜに撮ったの?」という背景をあれこれ考える方が面白かったりして(撮っている情景とか)。
ムラデクの情報ですとドレーカイルは1770年(!)にBoscovichという人が発明したものだそうです。例の1950年プロトタイプの基線長は窓の間隔を測ってみると68ミリあるそうです。ボスコヴィッチってポーランド系かロシヤ系の人でしょうが、どこに住んでいた人なのかわかりません。
かばまんさん>たとえばこの写真の場合なら、被写体までの距離は何cmくらい10cmくらいです。被写界深度はf8で0.2mくらいからパンフォーカスです。0.2mに合わせるとレンズにくっついてもピントが合っているくらいですねー。最近SIGMAの同等の8mmをを使ってみましたらペレンよりも性能がよくて、^-^ちょっとがっかりしまた。ペレンは上下がケラレますし、本来35mmカメラ用ではないように思いましたが、どうなんでしょうね?ハーフサイズだと対角魚眼として使えます。山にも野にも面白いです、いかがですか?(belomoのセールスマンみたいですねー)孫引きになってしまうよりも確かですので最短距離などはこちらに詳しいのでご参照下さい。売ってるサイトみたいですから正確だと思います。http://www.geocities.com/belshop/index.html
画 像 : あとで見てちょっと恐かった -(54 KB)
もプランセルには出ていますが、このプロトタイプはまた別のものです。Masyaさま。手ぶれぼくは18mmディスタゴンで250分の1秒で手ぶれを起こす才能の持主ですから、Masyaさまとは比較になりません。いよいよ13日からドイツへ、17日に帰ってくる必要があるのでツァイスに寄っている暇がありません。めんどくさいけど仕方がない。ハンガリーカメラについて書くことになりました。
Привет今朝も新宿で買物(ワレリーからの頼まれ物)をした後に、目黒の国立科学博物館の自然教育園で紅葉を撮っていました。庭園美術館の周りが良さそうだったのですが、特別展に入場しなければ入れそうになかったので隣の園に行きました。今日はЗоркий2C+Индустар50(後期の黒)です。Москва2もありますが出番なし。日曜の殿ヶ谷戸庭園での写真が出来ていました。AgfaウルトラでPLフィルターで撮っていましたが、それ程ドギツイ色にならなくて良かったです。この時、シャッタースピードが1/30〜1/60秒で、絞りが開放から2.8くらい。いくらPLで2段階くらい落ちるとしても開けすぎじゃないかと心配でした。この日は快晴で露出は312m内臓のものを信用していました。(考えてみればL398持ってたんだから確認すれば良かった...)スローシャッター:ミラーが無い分衝撃が少ないのでスローを使う時はレンジファインダーがいいということで夜桜や紅葉とかエレクトリカル大名行列を手持ちで撮ってます。移動する距離が短い筈なんですが、Киевで1/5秒ってぶれちゃうんです。私って縦の衝撃に弱いようです。(そういうもんかぁ?)息子にも「一撮入魂」と教えているので打率3割では...風さえ吹いていなければ...ってそんなにいい腕じゃないって!でもこういう時は全て上手く撮れるとは思わなくなりました。ファインダー:最初のКиев4AMを手に入れて夜桜を撮りに行った時、ものすごぉくピントが合わせ難く、それ以来これは夜に向かないなぁと思いました。Юпитер12付きで4を入手してアベノンの外付けファインダーを装着したら、目測式で夜桜も何ともなくなりました。ってL系でもЮпитер12やスコパー25mmにして目測で撮っていました。前回出銭ランドでもЗоркий4にスコパー25mmだったので4Kがこれだけ見易かったとは知りませんでした。Prototype1950:私もPrincelleの本を持っていないのでどういうものか分かりませんが、お話しを伺っているとКМЗのプロトタイプ(?)のРодина(ロージナ:祖国の意)に似ている気がします。オレグが今月21日からロシアに帰るというから、ダメもとで何か頼んでみようっと。その前にワレリーを通してКМЗに312や212用の電池蓋を頼んでみようかと思います。無くしてはいませんが念の為に。Пока
>六義園 Мася様、なかなか幻想的な水面ですね。しかしながら>全て1/4秒手持ちで撮っていました。とは恐れ入ります。打率が3割超えてるし、すごいですね。 みらんぢ様の写真、このような魚眼レンズって、たとえばこの写真の場合なら、被写体までの距離は何cmくらいまで寄れるんですか? 面白いですね。>キエフTTL >Prototype 1950 前者はどこかで見た事がありますが、後者のプロトタイプは知りません。だいたい>Princelle著のロシアカメラ解説本の新版を見た事がないのは、問題ですね、ハハハ。>最近は35mmF1.9のレンズの安いコンパクトカメラがあるそうで これってフジフィルムの新製品の事ですか?http://fujifilm.jp/personal/filmcamera/35mm/naturas/index.html35mmじゃなくて24mmですが、面白そうなカメラですね。最近フジフィルム製のコンパクトに何かと縁があるので、無気味な暗合を感じます(笑)。
PrincelleはPrototype1950をKievの項に入れています。そしてKievの箇所に入れるのは議論があるかもしれないが、どういう系統のカメラだか判らないし、バヨネットとピントあわせの円盤がコンタックス風にキエフの感じなのでこの項にいれた、としています。ドレーカイルですが、Princelleはドレーカイル機構を説明して、ボスコヴィッチ(Boscovich)方式といっています。そうするとDrehkeilはボスコヴィッチという人が開発したのでしょうか?Kiev TTLはロシヤから売りに来たのですが、値段は9000ドルつまり100万円だったそうです。この手のプロトタイプの相場としては安いほうですね。
Princelle著のロシアカメラ解説本の新版が発売されています。 この本の210ページに、レンジファインダーKievの珍しいタイプが掲載されています。カメラは2種(Prototype 1950とKiev TTL)、写真は3台。このうちの2台はムラデク氏の写真提供。(どちらも、旧版には載っていません。) Prototype 1950は1950年製のカメラで、ファインダーがドレイカイルとのことです。基線長は少し短い程度です。ただし、コンタックス風ではなく、むしろライカに似ています。シャッター速度は二軸式。 Kiev TTLは普通のKiev-4aより少し高さがあるカメラで、TTL露出計内蔵だそうです。Kiev-4のような明白な出っ張りはなく、Kiev-5に似ています。しかし、基線長はKiev-2〜4と同じ長さです。
そうです。ドレーカイルのことです。面白いですね。たしかムラデクのCDで見た気がするので探して見ます。もしあればこのCDをお貸しします。逆ガリレイ型で0.9倍と言ってますね。実物は見た子とありません。Mladekは見せませんでした。忘れたのでしょう。たしかにライカっぽいですね。TSVVSの進化版というのは正しいかも。
telefunkenさま。プランセル新版の210ページに載ってるキエフTTLの上に掲載のカメラが気になります。現物をご覧になったことありますか。このカメラの説明を見ると、要するにドレイカイルのことでしょうか。 それに、1950年ですよ。コンタックスよりライカっぽく感じます。TSVVSの進化版でしょうか。
いまムラデクに電話で聞いたらKievTTL持ってるそうです。ぼくにくれたコレクションのCDに出てるという。すぐに見たら出てました。うーむ、これはゼッタイ欲しい。なんとか取り上げる手段を考えなければ。国家間の戦争もこういう理由で始まることが多いのかなーー。
プランセル新版の210ページに載ってるキエフTTL,カッコイイですね。TTLでセレン使ってるとこがなんともアナクロでかわいい。ムラデクが写真提供してるみたいだけど、彼のトコではみなかったなあ。これゼッタイ欲しい。なんとか取り上げることはーーーー。みらんぢさまハッハッハッ、面白い突っ込みで大いに気に入りました。今後もヨロシク。大黒屋光太夫ってたしか白子の出身じゃなかったですか。あそこは勤め先の工場のひとつがあったのでよく行きました。せき金井さま、おだいじに。
>相撲ページを拝見してみました。こんなページがあるんですね!!表紙の真ん中辺りにある数字の羅列はもしかして、現地時間でのNKHの中継時間とかでしょうかね??実は人気があるのかなぁ?>放送技術よりも相撲に興味があったようですオレグさん複雑…。>コダックUC100お気に入りなのですね。私はずっと前に買ったのがそのまま冷蔵庫に…。つかわなきゃ。貧乏性なのでついまとめ買いしたコニカの100円フィルムとか、サービス券で貰ったタダのフィルムとかを先に使っちゃいます。>スキャナオレグさんからもつっこまれていたんですね!私が言わなくても良いですけど、とっても便利ですよぉぉそりゃ! 私の場合はブローニーや白黒のネガが殆どなのでもの凄く活躍してくれています。イチイチ凄く面倒ですけど…。>アドバイスのお陰そんなアホな…とんでもないです。こっちが教えを請わせて頂きたいです。でも、先日もお書きになっておられましたがZorki-4ファインダーの見え易さいいですね。私のでいうとZorki-3にあたると思うのですが、夜景撮影はKIEVよりもずっと合わせ易いと思うんです。KIEVは結構ファインダーの色が濃いので夜だと全体が暗くなるんですが、Zorki-3だと行けるんです。関係無いけど、RFで夜桜とかモミジを撮ろうとすると目が痛くなりませんか?RF像が満開の桜の下とかに入ると、合っているのかなんなのか全然分からなくなります…。>1600のフィルム昨日、カメラ日より?とかいう何かの雑誌の増刊を買ったんですが、1600フィルムが初心者用に紹介されていました。最近は35mmF1.9のレンズの安いコンパクトカメラがあるそうで、これに1600を詰めると、夜でも色々撮影できるというようなものだったんですが、私もこれを見て使ってみようと思いました。なんかオシャレでした。で、この雑誌にロモグラフィー社のCMが1ページ載っていました。これもおしゃれな広告でした。ソ連軍(ロシア軍ではないように思う)の兵隊さんがロモを構えているシーンとかが写っていました。でも、記事はカメラに余り詳しくない人が書かれたようで、変なことが書いてありました。ネガフィルムについて「左右反転して写る」と…。え??>第2波では奇襲攻撃の続きを…なんて。そうでしょ!そうでしょ!例のお店の半額ですよ! あのビオメターは古いタイプで本当はTLの標準ではないと思います。プラクチカ用なのかもしれませんね。私が持っている中間リングもこの銀色タイプです。でも、このタイプ格好良いですよね。ただMCじゃないかも。KIEV6にくっついているボルナは凄く欲しいレンズです。ビオメターより耳にする噂は良いことを聞きます。ペンタコンでもキエフでもどっちでもGO!です。ボディさえあれば後は安心してレンズ購入できますものね。
>2.5万でおつりが来るペンタコン6でーす。 hirob_p 様、やっばいですよぅ。もうすぐ臨時収入のかけらが我がポケットにも入ることですし、その使い道を心静かに考える間もない先制攻撃ですよぅ。このペンタコン6についてるレンズって初めて見るビオメターです。 ほぼ同じところに見えるキエフ60にもクラクラきてます。さぁどうしよー。
シフト故に宵の口です。相撲はどうなんだろう...本場所の最中にモスクワにいたことがあったと思いましたが、黒海や露鵬も入幕していませんでした。こんなページもあります。http://www.japan-sumo.ru/いつだったかオレグとNHKの見学コースに行った時、九州場所の千秋楽がハイビジョンで中継され、ずぅっと見入ってました。放送技術よりも相撲に興味があったようです。大黒屋:大黒堂だとあの薬屋さん...上野の駅前にデッカク...「おろしや国酔夢譚」じゃないですか?私も小説は滅多に読みませんが。年表みてみました。NTTがこういうサービスしてるんですねぇ。Москва2:これとコダックUC100の組み合わせが好きなんです。たまには5も使ってみようかなぁ。UC100って5本パックのみで1パック使いきってしまいました。フジやコニカのストックがあるんですが、やっぱりUCがいいです。スキャナ:必要ないと思っていましたが最近あるといいなぁと思うようになりました。フィルムスキャナかなと思いましたが、汎用ということで透過式がいいですね。以前オレグからも、そんなに高いモンじゃないのに何で買わないんだ?と突っ込まれたことがありました。写真:いや、これもhirob_pさんのアドバイスのお陰です。以来、Зоркий系でのスローシャッター撮影に自信が持てるようになりました。あっ1/30秒に入り難かった4Kですが、入るようになりました。今夏1600のフィルムで出銭ランドのエレクトリカルパレードを撮った時、結構きれいだったから1600を使えば苦労することなかったかな?この紅葉の写真を撮るにあたってはVCメータで計りました。
>Москва2最近、Масяさんいつもモスクワをご持参されていますね。いいなぁ。やっぱ、69スプリングって凄いものですよね。69スプリング大好きです。モスクワ5が欲しいー。>写真デジカメを通っているからか雰囲気だけしか分かりませんが…。ポワッと綺麗な感じですね。以前、透過スキャナがなかった時はプリント写真をスキャンしていましたが、その後、透過スキャナを買って、フィルムから読み込むようにしたら劇的に綺麗になりました。お年玉で息子さんにスキャナを買って頂いては、時々使うというのは如何でしょうか…?なんて…。>黒海負け越してしまったのですね。イギリスとかモンゴルではやっているそうですが、ロシアでもTVでやっているのでしょうか?どうやってロシア方面の人は相撲を知るのかな?日本からスカウトが行くから?>大黒屋光太夫時々遊びに行く辺りの出身の人だそうで、近くに資料館があるとか聞いています。一度行ってみたいなぁと思っていますが…。このHPは年表が詳しいです。井上靖とかが本を書いているそうですけど、活字嫌いで読んだことがありません。http://www.ntt-west.co.jp/mie/wnn-c/ijin/daikokuya.html>かぱまんさん2.5万でおつりが来るペンタコン6でーす。http://www3.yomogi.or.jp/gadsaito/pentacon6-2.html
よくこういうポスターをダウンロードして小さなシールとして手作りカメラケースに貼っています。Пусть живёт и крепнетнерушимая дружба и сотрудничествосоветского и китайского народов!「生存、増大させよ、ソヴィエト・中国人民の揺るぎなき友好と協力!」ってトコかなぁ...ロシアは毛皮を採取するためにシベリアに入植していましたが、都から食料等の補給をするより日本から物資を補給することを考え通商を求めてきたようです。日本で毛皮(テンだったかな?)を売って食料を得るというように。でもそんな毛皮は必要ないので交渉決裂。(っでいつのことだっけ?18世紀末?) 時の女帝、エカチェリーナU世に謁見したのは漂流民であった大黒屋光太夫で、それ以前だったか、ヤジロウ、マンジロウという漂流民がいたと記録されていると思いました。国交はなくとも高田屋嘉兵衛は取引していたのかなぁ...NHKのドラマでは取引していたような...そのドラマのロシア人提督役とは会ったことはありませんが、何度かメールのやりとりをしています。茨城県在住のロシア人です。ウクライナ:先週、ウクライナ出身で現在はブルガリア在住のロシア人から私宛にメールがきました。自分が買った日本製健康ネックレスの件ですが、私がウクライナに関係する知人は彼の他、彼女の親戚がКиевの南にいます。流石に聞けない...
日露戦争以降というのは日清戦争以降のの間違いでした、が、さらにさかのぼるのですね。1700年代、江戸時代にあった交流(交易、狼藉?)は北海道にいた時分、先生からよく聞いていました。住んでいた町はニチロという、当時はすでに小さくなっていましたが巨大水産加工会社の町でした。江戸時代は国交と呼べるほどの関係があったのでしょうか?鎖国でしたが、幕府とロシア皇帝(女帝かな?)との間に使節があったはずですね。漂流民や高田屋嘉平(字はゴメン下さい。正しいでしょうか?)の話くらいしか知りませんが、国交とは言え無いのでは。telefunken さんすみません・・・つい。
画 像 : 尊皇の父 ・・・名前を忘れました。誰だっけ。 -(79 KB)
Приветシフト勤務なので午前中、等々力渓谷(東京23区中唯一の渓谷)と九品仏(浄真寺)へ紅葉、銀杏の撮影に寄ってきました。九品仏は今夏にサギソウを撮りに来ましたが、等々力周辺は高校2年生以来です。先週、六義園でのライトアップされた紅葉の写真をアップします。元々はЗоркий4К+Юпитер8で撮ったものですが、スキャナが無いのでデジカメでコピーしました。フィルムはコダックMAX400で全て1/4秒手持ちで撮っていました。多少風が吹いていましたが27枚中9枚が見られる写真が撮れました。土曜は神宮外苑の銀杏、小石川後楽園で紅葉、安田庭園と回って来ました。神宮と後楽園は沢山の人出でした。ホコ天でもないのに道路に出ての撮影...ヒドイもんです。日曜は国分寺の殿ヶ谷戸庭園(前回書いた時は"戸"を忘れていました)へ紅葉を。新宿から特別快速で20分足らずでこんなにいい所があるなんて!いい所だから沢山人が来る...当然三脚持った年寄りが...振って歩くは、通路を塞いで拡げるは...土曜はウクライナの安定を願ってКиев2+Юпитер8にМосква2、複数持って行く時は同じメーカ同士がいいなぁとЮпитер8はКМЗ製にしました。(ロシア寄りで安定することを願っている?)日曜はМосква2にЗенит312m+Гелиос44/Мир1B/Юпитер9を持って行きましたがPLフィルターを付けたГелиосのみで撮ってました。ステップアップリングを持っていたのですが、何故かこればかりでした。今日は撮りきっていなかったКиев2にМосква2でした。出社したばかりなので、皆さんの書き込みがまだ読めていません....Пока
画 像 : img20041129132040.jpg -(45 KB)
こんなニュースもありました。これどういうことでしょう??http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041128-02177172-jijp-int.view-001
ウクライナの情勢が混沌化してますね。で、今日はウクライナ国歌を聞いています。http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/ukraina_anthem.html 複雑な歴史を持った地域だから、そう簡単には治まらないだろうけれど。ロシア人が多い工業地帯の東部(中心都市ハリコフ)、ウクライナ人主体で農民の多かった西部(中心都市キエフ)、そして戦後ウクライナになった最西部のカルパトウクライナ(中心都市リヴィウ)。 ウクライナ国歌の最後はコサックの末裔であることを誇らしく歌い上げます。日露関係: 1700年代の中ごろには、イワン・チョールヌイがウルップ島・エトロフ島に達し、アイヌに対して暴虐的ふるまいをしています。日露関係は1700年代後半にはすでに始まっていました。日本が外国との関係において領土を意識するようになったのは、日露関係だったのです。ちょっとした小競り合いはあっても、日露が対立することはありませんでした。対立するようになったのは、日清戦争後です。 ところで、乱暴者チョールヌイはコサックなのです。日本とウクライナの関係はこんなにさかのぼるのでした。セキ: ご心配ありがとうございます。そんなにたいしたこと無いです。胸にホカロンを貼っていると具合がよろしい。
>セキ今年の風邪なのかよく分かりませんが、私も一ヶ月ほども咳が残りました。夜寝ていても咳き込みました。子供がビックリして起きてしまうので別の部屋で寝ていました。お大事にしてくださいね。>休日出勤の内実う…痛いところを。もの凄くイヤイヤ出るので最初はかどらないです確かに。でもやり始めたらせっぱ詰まっているので無理に仕上げます…(正しくは、諦めるというのかな?)。昨日は4時間だけ出勤してやりました。でも、telefunkenさんじゃないのですけど、ついここを見ちゃいます。>ムカゴ皮が付いたまま調理します。新じゃがの皮って剥かずに食べられます?私はちょっと渋みがあって寧ろ付いている方が好きです。ムカゴも子供イモ?なので皮は殆ど気になりません。柔らかいのかな?それに土の中に居たわけではないので砂付きもありません。そして殆ど味はしません。イクラの皮のように少し「プツッ」とした感じが残るかもしれません。そんな感じです。>無限遠の甘さや低コントラスト時での根性のなさ(?)DDRツアイスのレンズが遠景に強いのか? 実は風景を撮らないので分かりません…すみません。でも、ペンタコンのレンズはまがりなりにもMCが施してあるので大丈夫なのかなぁ?? ただ、お使いのマミヤでもMCの時代のものですよね? 古いレンズって遠景のカラーが綺麗に写らないものが結構ありますね。私もハッセルなんか買えないのでDDRツアイスは本当に有り難い存在です。でも、もし可能だったらソリュートSを布幕化して、ハッセル1000F用のレンズを取り付ける…ってやってみたいです。これも高いかなぁ?ソリュートSは時々セットで4万位で見ます。布幕化が2.5万?で、1000F用のレンズだとエクターとかが使えます。…色々想像は膨らみます。因みに、いい加減な感覚かもしれませんが、よく中判レンズって解像重視じゃなくて、階調重視の設計だとか聞きますよね。他を使ったことが無いので分かりませんが、ペンタコン用のDDRツアイスレンズってこれの意味がよく分かるレンズと思います。写真を見ると凄く綺麗でハッとするのですが、スキャナで部分拡大してプリントに出すと「ありゃ?ガクッ」って感じで、35mm版と変わらず同じような拡大率で荒れが目立つんです。ビオメター80mmでも、ローライコードのクセナーの方が分解能は高いのではないかなぁ?と思える写真になります。>ズマリット…それほど悪くありませんそうですよね。ライカのレンズなのだから間違いはないと思うのですが…。実は最近、自分のがおかしいのだと思ってクリーニング兼ピント調節に出しました。でも、聞くとクリーニングはしたがピントは合っているとのこと。ボディ側も同時に出してです…。ということはタダ単に巧く使えないのだと思います…。良いか悪いかは私にはとても分かりませんが、Jp-3の方が初心者に使いやすいんだと思います。>ライカは古いものの中ではズミクロンを買えればなぁと思いますがまだまだ。ズミルックスはボディを持ってないので使えません…。それ以前に買えないよなぁ。そう言えば、新型の非球面ズミルックスのレポートがアサカメに載っていましたが絶賛でしたね。現行の標準では最高性能だとか…。ズミターは時々安いのをみるのですがどれも傷だらけ?のようで躊躇します。朝から(もう昼だけど)、長文をクダクダとすみません。
以前風邪ひいてからせきがすごくひどくなって、もうアカンと医者に行ったら、気管支炎との見立てでした。これは風邪とは全く違う病気で、なんでこんなになる(ひどくなる)までほっといたんだ、とおこられました。市販の咳止め薬もあんまり効かないようでしたら、早めの受診をおすすめします。お大事に。
会社のPCでスパイを完全に消したと思ったのだけど、ダメでした。しぶとい。風邪: 今度はセキになってきた、夕べはセキで睡眠不足。疲れた、風邪もしぶとい。むかご: hirob_pさま、皮はむくのですか、それとも皮ごと? 見た感じ、皮がまずそうに思えて、しかし、皮をむくのがたいへんそうなので、食べたこと無いのです。歴史の知識: つくる会の教科書問題のときから、中学生の歴史教科書を数冊、近代史のところだけ読みました。日本史の近代史の部分なら、公立中学生の平均点ぐらいなら、自信あるぞ。 本当は、旧ソ連圏諸国の小学生レベルの歴史知識も、もちたいのですが、なかなか大変です。参考書が極端に少なくて、、、と自分に言い訳。
telefunken様、No.3258 での御教示ありがとうございました。いくらおバカな僕でも、何度か読み直すうちに理解を深められていくことでしょう。勉強になります。 hirob_p 様、休日出勤だったんですか? だーれも人がいなくて仕事がはかどるように思えて、実は、テンションが全く上がらなかったりして、他の雑事ばっかりしたりして、結局思った程仕事がこなせられなかった、、、なんて事ないですか? 最近の僕の休日出勤の内実は、ここだけのハナシ、こーいうパターンが多いので困ってます。>ムカゴ 田舎モンのくせに僕もムカゴを知りませんでした。どうにかして一度、ムカゴを喰ってみたいと思います。>ペンタコン6とゾナー300mm いいですねー。今回の撮影で、無限遠の甘さや低コントラスト時での根性のなさ(?)に問題を感じてしまい、ツァイスのレンズへ興味が傾きつつあります。かといってハッセルなんかへ行く程おこづかいないですし。
みらんぢさまそうかア。いや、前に書いたことを忘れるほどわすれっぽいってことです。なにしろぼくのいちばん好きな4文字熟語、それは支離滅裂ですから。
telefunken さん以前、「ぼくは右翼だから・・・」って書いてましたよ^^。なんて、混ぜ返すようですみません。みなさまの博識で見識の高い書き込みを興味深く読ませていただいていました。日ソ(ニチロと言う方がただしいでしょうか)関係は実際的には日露戦争以降から始まったと思うのですが、以外に歴史が浅いんですね。
のことに触れたので、ちょっと補っておきます。彼は藩閥政治に反抗するいわゆる平民主義者だったんですが、シナから奪った遼東半島をロシヤ、ドイツ、フランスの三国干渉で返還することが決まって、がぜん帝国主義者になるんです。ちょうどそのとき彼は旅順にいたんですが、悔しくて仕方がなくて、三国のいうことを聞いた伊藤博文が憎たらしいというんですね。それで旅順のジャリと小石をハンカチに包んで帰る。日本領土だったときの記念として、っていうんですね。このとき33歳ですが、まるで高校生みたいな幼稚な心情ですね。だから力で外国を攻め取ることに執念深くなった。73歳で書いた自伝で、遼東還付の屈辱はーー百年ののちにせよ必ずそそがねばならぬと決心した、と言ってます。ぼくと同い年のジジイがこういう怨恨をもち続けていたのは恐ろしい。理解できない。こういう点からいうと、もし蘇峰がウヨクの典型なら、わかいころの感傷的で一方的な怨恨を持ち続けて、思想や行動に反映させ続けた人がウヨクに(とはいわずサヨクにでも)なりうるんでしょうね。要するに執念深いってこった. そういうしつこいのはモテナイよ。ぼくなんかニワトリみたいに三歩あるいたら忘れちゃうからウヨクもサヨクもムリ。でも蘇峰は日本には日露戦争継続の余力がないことを知っていたので、ポーツマス条約を支持して、社主をやってた国民新聞社は焼き討ちを受けました。何も知らない民衆には三国干渉以上の屈辱に思えたんでしょうね。
管理人(金井)様好まざるところですが、止むを得ないのでお答えします:第一問ポツダム宣言だけで解釈しても、降伏した日本軍に攻撃を継続したのでは、第9条に謳う「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」を実行できません。降伏した敵軍の扱いはジュネーブ条約をご覧下さい。歴史的には、ローマがカルタゴを滅ぼした時代は別として、日本とロシアの関係に限っても、日露戦争当時でも、両軍共降伏した敵軍に攻撃を継続しておりません。日本軍が降伏した後でも、攻撃を継続した例は、降伏後、何日間かは局地的にあったようです。日本軍の場合は連絡の不備、徹底抗戦分子、玉音放送は直接の命令ではないから、軍の命令系統によって降伏するまでは降伏しなかったなどの例があるようです。いずれにしても、攻撃を継続した場合は反撃が当然で、国際法上でも問題になりません。当たり前の話で、黙って撃たれる訳にはいきません。8月16日かに米軍の爆撃機が日本の見物のつもりかで飛来したことがあり、日本側はこれを敵対行為と見なして戦闘機が迎撃しました。米軍は勿論、抗議しておりません。問題点は、ソ連軍が、日本軍の降伏後も攻撃と占領を継続したということです。最終段階での分かりやすい例を挙げれば、9月2日:ミズーリ号上で降伏調印。9月3日:ソ連軍、歯舞群島を占領。9月4日:スターリン、北方3島と歯舞群島の領有を宣言。といったところでしょうか。これは、金井様が最初に指摘されたC56潜水艦の中に掲示されています。ソ連軍が満州との国境を越え、僅か2週間で朝鮮半島の38°線まで制圧したこともお調べ下さい。第二問貴サイト『ソ連ミニ知識』−『北方領土問題関連資料』―『スターリン・トルーマン秘密書簡』から引用します。−引用−(イ)J.V・スターリン首相発、H・トルーマン大統領宛親展密書「一般指令第一号」が入った貴信受領しました。指令の趣旨に反対することはありません。遼東半島が満州の不可分な一部であるものと了解します。しかしながら、以下のように「一般指令第一号」を修正することを提案します。 一、日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島全土を含めること。これは、ヤルタにおける三ケ国の決定によりソ連邦の所有に移管されるべきものです。 二、日本軍がソ連軍に明け渡す区域に樺太・北海道間に位置する宗谷海峡に北で接する北海道の北半分を含めること。北海道の北半分と南半分との境界線は、島の東岸の釧路市から西岸の留萌までを通る線とする。尚、この両市は、島の北半分に含む。 この最後の点は、ソ連の世論にとって特別重要なものであります。周知の如く、一九一九年、二一年に日本は、ソ連極東のすべてを占領しました。もしも、ソ連軍が日本固有の領土に少しも占領地を持たなければ、ソ連の世論はひどく腹を立てるでありましょう。上に述べた穏当な提案が反対されないことを切望しています。(一九四五年八月十六日)ー引用閉じるーこれでよろしいでしょうか?赤堀 篤良
ムカゴが何であるか、よくわかりました。hirob_pさま、ありがとうございました。ズマリットはTaylor,Taylor & Hobsonのライセンスのシュナイダーのクセノンにコーティングしたものでゾナー1.5に対応するためライツが出したものです。ぼくも使っていますがそれほど悪くありません。でもゾナーの血をひくザゴルスクのユピーチェル3がズマリットよりよいのは当然かも知れません。ライカは古いものではズミターが、新しいものではズミクロン、ズミルックスがよいと思います。ライカはR用のレンズがみなすばらしい。あるものはツァイスを超えているかも知れません。ロシヤ嫌い戦争直前や戦時中はいまよりもっと多かったと思います。社会主義が悪だというプロパガンダのせいでしょう。ソビエトやロシヤと日本の関係第2次大戦中の日ソ関係には何の興味もありません。戦時中はなんでも有りだと思っているので。それにリアルタイムで経験したことは別に研究する気持にもなりません。でも若い人には熱心な人がいますねえ。歴史の一部だと思ってるんでしょうね。ぼく自身もこの年だと立派に歴史の一部だ。こないだも書いたみたいに、イラク戦争のとき、女性編集者に、先生、日露戦争のときはどうでしたか、と真顔で聞かれたんだから。彼女の頭のなかでは対数方眼紙みたいに、第二次大戦前はぎゅーと時間の網目が詰まってるんでしょうね。ぼくの知り合いの院生などは、ほっといたら一晩中でもルーズベルトが、スターリンが、ロメル元帥が、パットン将軍が、どうのこうのと言っています。京都の別荘へゆくたびに呼ぶんですが、ぼくはほっといて寝ることにしてる。こいつはコスプレの趣味もあるんです。ぼくはこないだからこのBBSを読んでいて、サヨクから転向してウヨクになった林房雄の『大東亜戦争肯定論』を思い出しました、これは林らしくテンションが高いだけの粗雑な論旨だけど、その中の『日露戦争の推進者ーー日本の右翼の源流』は徳富蘇峰を論じている点でちょっと面白い。林房雄は小林秀雄が肩をもってるけど、ぼくは小林を含めて鎌倉の隣組がキライで、大仏次郎とかも入れて、ロクなもんじゃない。特に小林は若い人には読むのを薦めない。
赤堀さま。投稿ありがとうございます。 すみませんが、No.3268はまだ良く読んでいません。 これ以上の議論は有意義とも思えないとのこと、私も同感です。しかし、掲示板管理人なので、以下は、掲示板のために書きます。(議論のためではありません。) No.3236で疑問だったけれど、No.3254で疑問が解消されなかった点。『8月14日以降をポツダム宣言にも違反する』の根拠は何か。 @No.3254の説明『連合軍、日本軍双方共、相手の戦闘行為が継続された場合は反撃しております』は、ソ連軍のみ違反との認識か。A日本軍が白幡を掲げて降伏し、武装解除に応じた場合、ポツダム宣言違反ありとの認識か。Bそれとも、別のことを言っているのか。No.3254の疑問>「領土的野心なし」とした同宣言に背き、最後まで北海道の半分を占領したい意向を持ちつづけた そのように推定する人が存在する事は良くわかります。 しかし、『同宣言に背き』と断定的に批判するだけの根拠はあるのか。No.3268は個人的な考えとの前提でお書きです。ですから、批判、反論の対象ではありません。『8月14日以降をポツダム宣言にも違反する』『同宣言に背き』との説明が、その根拠がなかったり、単なる想像ならば、誹謗中傷になってしまいます。掲示板管理人として、なるべくならば、単なる誹謗中傷は避けたいのです。
管理人(金井)様三たび日露(日ソ)関係についてどうも話が噛みあっていない感じです。歴史には各人各様の理解と解釈がありますから、議論を続けるのは有意義とも思えません。小生がスターリンだったら、・・・という事で書いてみましょう。実証は出来ませんから、ご批判いただく訳には参りませんが、こうした考えを持っている人間もいるという事でお読みいただければ幸いです。それを以って小生の方は筆を擱きます。@ソ連あるいはロシアの今に続く大きな願望に不凍港及びそれからの海路の確保があります。平和である限り、今のロシアに問題はないでしょうが、ひとたび緊張状態が生じると大変です。バルト海へ出るカリーニングラードはエストニア、ラトビア、リトアニアのソ連邦からの独立により、飛び地となってしまいました。帝政ロシアの一時期に確保していた黒海のクリミア半島も今やウクライナの国土です。多額の資金を投じて鉄道を繋いだ遼東半島は昔のように、中国に鉄道営業権を確保することも出来ません。シベリア鉄道を通して繋がっているウラジヴォストークが緊張時には最も頼りになる港なのではないでしょうか。シベリア鉄道は、100両近い貨車を連ねた列車を20分置き位の頻度で運行しています。ウラジヴォストークからの最良の出口は宗谷海峡です。樺太に加え、北海道の北半分を占領すれば、この願いは叶えられます。スターリンが北海道の北半分を欲したのは、この面だけ考えても当然です。通常の領土拡大願望とは異なります。A第二次世界大戦後の荒廃した国土の復興に加え、シベリア方面の開発を強力に進める為には、優良かつ安価な労働力が必要です。小生がスターリンなら、ドイツ人と日本人の捕虜に加え、場合によっては満州人とシナ人もその供給元としてソロバンをはじいたことでしょう。Bこうした計画を実現するには、日ソ不可侵条約は取り敢えず遵守し、ロシアにとって不倶戴天の敵ドイツを倒します。その後、米軍との戦争で疲弊する日本と交渉し、満州や北支、遼東半島といったところを抑え、場合によっては日米停戦の仲裁役となって、北海道は何らかの形でバッファーゾーンとして宗谷海峡の安全通行を確保します。C日本が外交交渉に応じないならば、日本からの中国や朝鮮の解放を錦の御旗として一戦交え、不凍港及び海路の確保に加え、領土と労働力確保の全てを一挙に解決します。D米ソの関係は「敵の敵は味方」にすぎませんでしたから、当面の敵であるドイツと日本が消えれば、「敵は敵」にしかなり得ません。その後の歴史に明らかな通りです。従って、難しいのはタイミングです。ですから、カイロ宣言やポツダム宣言には同調したものの、「領土的野心はない」とか「日本軍の将兵は家族の元に返す」としたポツダム宣言にはなかなか署名しませんでした。Eスターリンは、日本は本土決戦までアメリカと対決すると予想し、出来るだけ日本が弱体化した時点で計画を実行するつもりでした。1946年4月25日まで有効な日ソ不可侵条約を破棄するまでもなく、丁度その頃に合わせて外交交渉を行い、その選択が無理であれば、対日開戦すれば良いという腹積もりでした。F広島・長崎で驚いたのは日本だけではありません。アメリカの世界制覇を心配する欧州諸国に加え、ソ連もあわてて対日開戦通告を8月8日に滞ソ日本大使である佐藤氏に手交し、翌9日から攻撃を開始しました。しかし、こんな事はどうでも良いことです。過去は一切水に流すというのであれが、余計な詮索は止め、樺太から沿海州一帯、いわゆる極東ロシアと日本の交流を活発にし、中国、北朝鮮とも経済・商業第一で協力することが、今の日本には焦眉の急務でしょう。赤堀篤良
戦争は何でもありだけど、敗戦だけはいけません。敗戦はいけないというのは大賛成。戦争は勝たなければダメ。ゾーヤのカメラはライカですか。やっぱり。ぼくの知ってる高校教師は大のロシヤ嫌いですが、その理由を聞いてみると日教組が嫌いだから、というものでした。日教組とロシヤにどういう関係があるのか聞いて見たら、サヨクだからということでした。こんなものが教師をやってることが恐ろしい。、
大相撲九州所成績 西前頭2枚目 黒海(グルジア) 7勝8敗西前頭9枚目 露鵬(北オセチア) 10勝5敗 十両西12枚目 白露山(北オセチア) 8勝7敗三段目東20 風斧山(カザフスタン)2勝4敗1休三段目西33 把瑠都(エストニア) 5勝1敗三段目東34 大露羅(ロシア) 3勝4敗三段目東39 阿夢露(ロシア) 4勝3敗
>信州その3万年雪なのか今年の雪なのか私には分かりませんが綺麗ですねー。でも、手前の山はまだ紅葉していないのかなぁ…。こんな風景は見た事が無いのですが、5月頃に見る黒部の立山連峰を思い出しました。>ムカゴ殆ど先客(なにかの虫?)に食われていて今年は不漁でした…。ムカゴは山芋の子供?なのかなぁ? 山芋の蔓に小さな丸いジャガイモみたいのが出来てこれがポロリと地面に落ちて、山芋になるんだそうです。その山芋の子供を蔓から(指で触れるだけでポロリと落ちる感じ)集めます。食べ方は、うちではおさくらご飯を作る時に一緒に炊き込みます。豆ご飯(これはおさくらご飯じゃないですが)の豆をムカゴでやるような感じです。初秋は栗ご飯で晩秋はムカゴご飯がごちそうです。その他の食べ方は知らないのですが、多分、蒸して(茹でるのかな?)そのまま食べるだけでも美味しいと思います。>135mmムカゴが取れなかったので、その足でホームグラウンド(?)へ。年賀状撮影です。他にもそれらしき家族が…。カメラはペンタコン6とゾナー300mm(最短4m…! 35換算135mm程度かな)、FED2とJp-3とI-61、PentaxSPとMir24M、重かった。装備の重さだけはライバルに勝っていた! Mir24Mは凄くよく写るレンズだと思うのですが、野外の強い日光下で撮影すると鋭すぎる感じになってしまいました。濃淡が激しく、かっちりぴっちり。35mmって凄くシャープに写るレンズが多いですね。これに決まりという決定打は有りませんでしたが、「まあぁ…これかな」という少し妥協的な写真は取り敢えず撮れました。それにしても、私があれこれ撮ってみても、どうも妻が「ちょっと貸してみ!」と言って適当に撮った写真の方が自然で良い感じに写ります。ギスギスとやってもヘタッピはダメだぁ。先日、なにかの雑誌かインターネットを読んでいて、Jp-3とズマリットとの違いが書かれていました。そこでも、やはりズマリットは同じ絞りで撮影しても、被写界深度が浅く感じるし、F4以下ではシャープさに欠けると書かれていました。他の50mmF1.5を知らないのですが、何度も使っている内にやはりJp-3は素晴らしいレンズだと思うようになりました。どっちが標準的なレンズのか分かりませんが、Jp-3は私のような拙い者にも凄く使い易いレンズだと感じます。でも、ズマリットの方は手持ち唯一のライツのレンズなのでそんな訳は無かろうと色々ずっと試しています。未だによく使い方が分かりません…。変なレンズ…。このズマリットと少しだけ似たような感覚を受けるのがHelios44(私のは44-2)です。このレンズも開放で撮影すると本当にピントの来たところしか写らない(と表現するのかなぁ?)感じがします。一眼で使っているのに巧くピントを合わせられないように思うことがあります…下手なだけ? ソ連のRF標準の一番は勝手にJp-3と思いますが、ソ連の一眼標準の一番はなんでしょう?あれ…135mmと全然関係ない話になった。すみません。>車そのホームグラウンドへ行った帰りブレーキを踏むと「ゴゴゴ」と音が…。前から換えなければと思っていたブレーキパッドが無くなってしまったんです。。。う〜最悪。出来るだけブレーキを踏まないようにエンジンブレーキを使って運転し、ブレーキは本当に恐る恐るしか踏みませんでした。そして車屋へ直行。なんとか間に合ってローター交換だけは回避できました。ローター交換するとカメラ数台分のお金が無くなっちゃいます。ポンコツ代車に乗り換えて帰りました。店長はずっと売り物のモデルガンの分解掃除していました…。Масяさんがお好きだったかなぁ?とか思いながら眺めていましたが、分解しているところを初めて見ました。総金属製で凄いリアルなものなんですね。>ポスター毛沢東が側面から描かれているのって初めてしました。中国の内陸で庶民の行く食事屋は毛沢東ポスターがよく貼ってありました。でも全部、つやつやてかてかしか感じの正面像でした。流れに合わない話ばっかですみません。歴史のお話は難しくてギブアップ。
映画、モスクワ大攻防戦の中で、ゾーヤ・コスモデミャンスカヤが処刑されるシーンがあります。処刑直前にドイツ兵が撮影するのですが、そのときのカメラはライカっぽく見えました。
No.3254のReです。赤堀様。ご回答ありがとうございます。詳細で難しい。十分に咀嚼できていないのですが。。。ポツダム宣言後の進軍: 事の当・不当はその人の主観判断だから、人それぞれですが、9月3日以前の戦闘行為を不当とする考えは私にはどうも受け入れがたいのです。>玉音放送を聞いたソ連を除く連合国各国は自国軍隊に停戦を命じ、日本軍も殆どの戦線で戦闘を停止しました @ソ連を除く連合国各国は自国軍隊に停戦を命じたのは、作戦上の都合だったのか、停戦義務の履行だったのか。 A停戦しなかった日本軍は軍規違反の反乱か。 もし、@で、停戦が連合国の義務であるとするならば、玉音放送を聞いた日本軍人にも当然に停戦義務が生じています。(違います?日本天皇がポツダム宣言を受け入れ表明し、日本軍が軍事行動を停止していない状態のときは、連合国軍は無抵抗で日本軍に殺されないと国際法違反になるとの主張ですか?) ポツダム宣言後のソ連軍の攻撃に対する反撃は『正当防衛』か、軍人の職務による『正当行為』か。もし、玉音放送を聞いた日本軍人に停戦義務ありとするならば、『正当行為』は成り立たず、『正当防衛』になってしまいます。しかし、実態は拠点の死守等、とうてい正当防衛の範囲をはるかに超えた、英雄的戦闘だったわけです。だからと言って、日本軍人を過剰防衛の犯罪者として処罰すべしとの意見はありませんし、私もそのように思っていません。(もし、そのような考えがあったとしても、あえて反対しませんが。) ソ連の進軍・戦闘をポツダム宣言違反と指摘するならば、日本軍人の反撃も過剰防衛の犯罪者と指摘する必要が生じます。そうで無かったならば、一方的なご都合解釈です。 玉音放送は、大元帥指令としての兵員に対する停戦命令を明白に含んでいるとは言いがたい内容です。これを聞いた日本軍人に直ちに停戦義務・降伏義務が生じるとの考えには反対です。同様に、連合国各国軍隊に停戦義務があるとの意見には反対です。作戦の都合上、停戦したのならば、戦局の違いにより違いが生じて当然です。 ところで、進軍自体は何の問題も無いですよね。米軍など、いまだに日本進軍中です。職場の隣は米軍基地。毎日4回(通勤&昼食)、鉄条網の横を通ります。ポツダム宣言の9条: 捕虜帰還問題が生じるのは後のことで、少なくとも9月3日以降です。8月14日から9月2日は関係有りません。この問題が生じるのは1956年以降ではないかと思います(これは、飛躍しすぎ?)イエナの支配: 米国占領からソ連占領へと支配が変わった地域です。つまり、先に支配した国がその領域を支配するというわけではなかったことが分かります。日本関連地域をどちらが支配するかは、やはりヤルタ合意にしたがっていると考えるべきでしょう。領土的野心:>最後まで北海道の半分を占領したい意向 だったのか、それとも、千島領有を確実にするための駆け引きだったのか、人によって解釈が違います。ヤルタ合意以上の成果を簡単に獲得できるとは思っていなかったでしょうけれど。 細かいことなのですが、トルーマンとスターリンのやり取りから、北海道東部に対する「領土的野心」ありとの結論は早計です。スターリンの北海道東部占領の根拠は、シベリア出兵時の日本軍による一時的占領の報復としての占領です。割譲では有りませんので、北海道東半分の要求は、千島・南樺太とは違っていたと思います。 ちなみに、南樺太は返還、千島は引き渡し、北海道東部は占領。ややこしい。。。ソ連対日参戦の目的: ご指摘のとおり、形式的には連合国の要請です。実際、対日参戦のきっかけがそうであったことは疑いないでしょう。 でも、そこは、スターリンさん。額面どうりという事はないでしょう。それに、戦争の目的を「中国の共産化」「アジアでの影響力拡大」と公言することは無いでしょう。また、この段階では八路軍(毛沢東軍)との連携もできていませんでした。スターリンさんの対日参戦の真の意図は推定でしかありません。ただし、ソ連にとって、日本はあまり重要でなかったことは確かです。グロムイコさんなんて、まるで日本は眼中に無く、アメリカの添えみたいな扱いでした。 写真は、なんだか分からないポスターです。毛沢東さんだと思うのですが。。。なんか違う感じもしますが。。。話は変わって、>なぜソビエト軍も占領軍ではいってこなかったんだろう。 やっぱり、ヤルタ合意にしたがっていたのでは。 >基地だってアメリカ以外に…、日本中が基地だらけ 米軍基地だけで十分に多すぎると思います。明日も、基地の横を通って通勤。
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日露戦争は悪質なだまし討ちか: 日露戦争は宣戦布告前の奇襲攻撃で始まりました。当時、ロシア・フランスは国際慣行を無視した暴挙と非難しました。イギリスは問題ナシとの態度でした。ポーツマス会談の時は議題にもならない。 時代は下がって、太平洋戦争で、日本はパールハーバーを奇襲攻撃します。当然、米英はこれを批判する。ところが、これら批判の中で、「日本は日露戦争の時もそうだった、今回も国際慣行を無視した暴挙をやった」と、日露戦争当時問題ナシとしたことを蒸し返して批判する論調がありました。こんな事にいちいちかかわっているのはバカらしい事ですが、日本は敗戦国になったので、「日本は国際慣行を破る悪者」説は覆される事なく定着したかもしれません。戦争は何をしても良いかもしれないけれど、敗戦だけは絶対にいけない事です。 ちなみに、ソ連の教科書では、日露戦争は国際慣行を無視した暴挙と非難されているので、ロシア人の多くは、「日本軍は悪いやつだ」との感情があるのではないでしょうか。第2次大戦中の各国兵隊をかたどったロシア製の小さい人形セットを見た事があります。米英独はふつうの兵隊なのですが、日本だけは口がひん曲がって刀を振りかざした極悪人風に作られていました。 日本の中には、日本人のロシアに対する感情が悪いのは、ロシアの責任であるかのような一方的なことを言う人がいます。結構多い。そんなに歴史は単純ではない。だまし討ち: 日露戦争・満州事変・パールハーバー、これらは皆、日本のだまし討ちに始まっています。戦争というものは、本来、敵を欺くものなので、それ自体の道徳性を議論しても仕方の無いことです。 日本はだまし討ちを得意としていたはずです。ところが、ソ連の対日参戦もだまし討ち。得意なだまし討ちの術中にまんまと引っかかったのはなぜでしょう。外務省は藁をもつかむ思いだったのでしょう。藁をつかんだ人は必ず溺れ死ぬということが分かっていなかったのでしょうか。関東軍はソ連の動向に気が付いていなかったのでしょうか。ソ連の軍事動向を偵察する努力を怠っていたのでしょうか。
はみなが喜んでました。あのころはラジオだけですが、大本営発表を聞いたときのスッとした感じはいまでも覚えています。ABCD包囲でいじめられてる認識が浸透してたからでしょう。家を出て市電や省線に乗るとみなが興奮してこの話ばっかりしてました。その12月8日の午後従兄弟の大学生と三省堂に行ったあとYMCAでボウリングしたのを覚えてます。そのころは9ピンでした。あと銀座へ出て資生堂でサンドイッチとメロンソーダ。高島屋にあった梅園でシルコ。家にかえるとオトナが酒を飲んで敵の軍艦をやっつけたのを喜んでいました。提灯行列が出るんじゃないかという憶測。南京陥落のときに花電車と提灯行列が出たからです。雲わきあがるこのあした、旭日のもと燦然と、という歌がラジオから。
って何ですか。ムカデを連想するのでキモイ。食べるんですか?そういえばなんという学者が戦時中南方の島ででっかいクモがうじゃうじゃいるのを見て、これを養殖して内地の蛋白不足を解消できないか、と考えたそうです。この企画、日の目をみなくてよかった。これが実現する前に敗戦になったのです。クモを食わされるところだった。あぶない、あぶない。ルーズベルトロウゼヴェルトがいちばんオランダ系のこの人の名前の発音に近い。登戸の怪力電波で呪殺したというのは前に書いたとおり。日本占領なぜソビエト軍も占領軍ではいってこなかったんだろう。東京をベルリンみたいに4カ国共同管理にしていたら、その後の発展が面白かったのに。でも基地だってアメリカ以外にソビエト、イギリス、シナ、フランスの基地とかできてたら、日本中が基地だらけ。どこの基地へ反対デモに行くかで組合内部でもめたりして。
3255で書いたライカIIIcKの測距限界を超えている、というのはマチガイです。眠くて資料をあたらずに書いてしまいました。実際は分解能を2分として安全率をとっても、135mmで5.6まで絞ればぎりぎり、8まで絞ればお釣りがきます。
ちょーとくとの対談は2回ほどやりました。また対談の企画があればやりますがいまのとこありません。『XXXとツァイス・イコンの肖像』とかいうムックでやってのが最初でした。XXXは失念。自分の出てる本や雑誌はとっとかないので。135mmとRF基線長被写体までの距離Rは被写体を真正面に見る点を基線の一端として、そこから基線Lを延ばし、基線の他の端から被写体を見たとき視差をTとすると、R=LcotTとなります。だから肉眼の分解能を1分としたとき、ライカIIIcKの有効基線長57mmでは測距限度が190mになります。でも1分は理論値なので1.5分とすると130mです。つまり130mまでピントを合わせることができるのですから、そこから無限遠まで全部ピントがあっていればセーフなのですが、そこから無限遠までピントがあっているつまり被写界深度にはいっているポイント、すなわち被写界深度の手前の端の点を別箇にもとめて、それが130mより小さければいいわけですね。この点までの距離の2倍を過焦点距離Dといいますが、Dは焦点距離の二乗を絞りの明るさと許容ボケ直径の積で割ったもので、許容ボケ直径は普通のライカ判のネガなら30分の1mmです。これで計算すると130mでイケルのは135mmの場合絞りF4.5になるので、4.5に絞れば大丈夫、というよりそのコロの135mmはエルマーにしろヘクトールにしろ初めから4.5なんですね。そのまま使ってOKということです。これがコンタックスだと測距限度が146mmまでイケルので4から3.5のあいだまで開けられる。テレテッサー180mmでも絞れば大丈夫ってことです。もちろん無限遠に固定してもかなりの手前まで写せます。ゾーストの著書はドイツ陸軍参謀本部が出版したものでぼくも実物は見たことがありません。いまでは非常なキコウ本だと思います。邦訳はされていません。なぜ99%がライカか。PKが持っていたのは製造が間に合わなかったポーランド戦線のときを除いて官給品ですから、入札で勝つのがほとんどいつもライツ社だったのでしょう。ライカとコンタックスの価格差から言ってそれは当然です。
>ちょーとくがいった戦争カメラマンはこのPK隊員のことではなくて、キャパなどの話でしょう。 チョートク氏いうところの「戦争写真家」とは、その通りキャパ氏を筆頭とする民間の報道陣を指していたと思われます。telefunken様、彼と対談されるのですか? ある意味楽しみですね。その記事読みたいです。 さて、ひょっとしたら戦場での135mmとは、「ピント合わせをしないレンズ」だったのではないか、と密かに想像しています。基本的には無限遠で撮影していたのではないか。もちろんちゃんとピント合わせを行なう事もあったでしょうけど、そういう使い方は主に90mmの仕事で、これら2本のレンズが住み分けてたんじゃないか、と考えてます。金井様もおっしゃるとおり、レンジファインダー機での 135mm 測距はかなり難しい、というよりもほとんど名人芸だと僕も思います。ですから無限遠(か、もしくは適当な目測距離)に合わせておいて、で絞りを極力絞り込んで(けっこう近距離までピント来ますから)、という使い方が自然じゃないか、と思ったわけです。>SS〔Schutzstaffel親衛隊の隊長のWalter Sohstヴァルター・ゾーストが書いた出版向け望遠写真の教則本があります。 ですから是非とも読んで確認してみたいですが、和訳されてるんでしょうか?>写真班の隊員の標準装備は99パーセントがライカで、…でもPKでコンタックスを使っていた人はほんのわずかでした。 これは一体なぜなのでしょう。やはり巷間いわれているように、整備性の良さ、故障率の高低差、価格差などなどがその理由になるんでしょうか。 >135mmをKievでお使いの予定ですか。 はい、できればキエフなどのRFカメラで使ってみたいと思ってます。それでもって上記したような無限遠固定の使い方を予定してます。でも一眼レフ用のタイールってすごくよさそうですねぇ。やっぱり望遠レンズは一眼レフ、でしょうかね。
の数週間前、キャバレーでのコンサートでロッテ・レーニャが歌ったという話がありますが、彼女がその当時までベルリンにいたのかどうか疑問です。場所は伝わっていませんが、おそらくマックス・ラインハルトの『無意味』でしょう。中央劇場の地下にある場所で、無意味という熟語のSchall & Rauch『響きと煙』という名前が市街戦寸前のベルリンにはふさわしいから。ぼくの想像では青いローソクをつけてシャンパン抜いて軍服と半裸の女が乱痴気騒ぎだったと思う。Ich weiss nicht, zu wem ich gehoereあたい、ダレのものになっていいか、わかんない、というホレンダーの名曲が演奏されていて、狂乱の大ベルリンの明日の運命を暗示していた。カフェ・ケンピンスキでは給仕に英語とフランス語とロシヤ語の特訓を始めていた、と思います。1950年代にぼくが行ったときにはまだこのキャバレー残ってました。戦時中にパリに残っていた連中が見物に来てたような気がする。ウンター・デン・リンデンのパッサージュで森鴎外がボタンを買った店をさがしあてるのがぼくのそのときの目的だったんですが、これは場所がわからずダメ。でも安い東マルク(西のマルクの5倍)のおかげでお大尽気分でした。クーダムをぶらついてるとその手のお姐さんが寄ってくるが、こっちは二十五歳童顔なのでコドモにしか見えないからどっかへ行っちゃう。鴎外は戦闘でボタンを無くして、兵士の命も惜しいけど、ボタンも惜しいと詩にうたってるんです。ぱっさあじゅの灯火の下でえぽれっと輝きし友、それと一緒に買ったらしい。ちなみにぱっさあじゅというのはショッピングモールで、エポレットというのは肩章のことです。来月か一月フランクフルトに行ったら帰りは現地解散にしてもらって、二つ見てきたいものがある。ひとつは1988年に行ったきりのツァイスのその後の様子。ひとつはベルリン・バーベルスベルクの旧ウーファのあとに立てたメトロポリスの映画のままの支配塔。ここが本社事務所でウーファは不死鳥のようによみがえってるんです。名前はメディエンシュタット・バーベルスベルク。ホントはこのあいだ死んだレニ・リーフェンシュタールがここの名誉総裁になるはずだった。オスカー・シュレンドルフが明言してたんですがねえ。しょうがない。おれが90歳になったら、彼女のかわりに名誉総裁になってやる。そして大ウーファの過去の栄光をよみがえらせて、世界中のメディアを支配してやる。覚悟していてください。真っ先に朝日新聞をーーー。
金井さま、そうです。ゾナーです。名前かくの忘れちゃいました。ドイツ軍のPK(Propaganda Kompanieプロパガンダ・コンパニー、宣伝中隊)は5000人の編成ですが、そのうち800人の写真班の隊員の標準装備は99パーセントがライカで、レンズは35,50,90,135mmで、小隊〈100名)ごとにテリート200mmがあり、また小隊ごとに特殊装甲車に搭載したテリート400mmがありました。アストロ800mm塔載の特殊装甲車もあって、これはゲベルス大臣用の画像を撮影していました。標準装備は最初はブタ皮のケースに入ってたんですが、戦局がきびしくなると人造皮革製にかわりました。SS〔Schutzstaffel親衛隊の隊長のWalter Sohstヴァルター・ゾーストが書いた出版向け望遠写真の教則本があります。135mmを当時のライカIIIcKの基線長(38mmx1.5=57mm)で使うのはチョイ厳しい、というより測距限界をすこし超えているのですが、そこは大和魂というかナチ魂でやったんだと思います。ちなみにコンタックスなら肉眼の分解能を1分半とした安全率でお釣りがくる。(90mmX0.7= 63mm)でもPKでコンタックスを使っていた人はほんのわずかでした。ちょーとくがいった戦争カメラマンはこのPK隊員のことではなくて、キャパなどの話でしょう。違いますか、長さん。そういえば対談依頼ごぶさたですね。
管理人(金井)様小難しい件に丁寧にご回答頂いた事、感謝致します。下記の通り、追加説明をします:○『ポツダム宣言に署名した国は日本の受諾と同時に戦闘を停止する義務がある。』先ず、ポツダム宣言は最後通牒の形を取った戦争状態終結のオファーとなっており、その受諾(アクセプタンス)を以って効力を発揮し、両者を束縛すると理解されます。その13条で「吾等は、日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、・・・」を要求しており、いわゆる玉音放送は日本国政府より高い立場の天皇の宣言ですから、要求以上の対応をしております。この解釈に従って、玉音放送に先立つポツダム宣言受諾の日本政府通告に加え、玉音放送を聞いたソ連を除く連合国各国は自国軍隊に停戦を命じ、日本軍も殆どの戦線で戦闘を停止しました。その後、日本軍が正式に降伏し、武装解除にするなどについては、軍隊内の命令系統に従って各部隊に発令されました。日本軍の中には命令が届かなかった部隊や、徹底抗戦を主張した部隊もありますが、これらは例外と言えるでしょう。勿論、連合軍、日本軍双方共、相手の戦闘行為が継続された場合は反撃しております。ポツダム宣言の9条では、「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」としており、ソ連を除く連合国はこれを遵守しました。ソ連だけが戦闘行為を継続したのみならず、60万かの捕虜をシベリアなどで強制労働に使った事実はご説明の必要ないでしょう。こうした条文は一部だけを抜粋して履行したり、しなかったりすることは出来ません。ポツダム宣言そのものが、5条で「吾等は、右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず」と明言しております。○『ソ連軍の目的は占領だったのです。だから、降伏・武装解除に従わなかった部隊には抵抗排除が必要でした。』意見の相違は有りませんが、実際にあった、ビルマなどで降伏・武装解除に従わない日本軍部隊には、占領目的のない英国軍も攻撃を続けました。○『対ドイツ戦線でのロシアの進撃は速かったのか。』ツアイスの件は知りませんでした。いろいろ歴史的背景があるものですね。ともかく、ソ連の西進は早かったようです。西からの連合軍は大河を越えるハンデがあったので、ソ連がベルリンの西まで先に占領するのではないかと心配したようです。○『関東軍を倒すことが目的だったのは間違いないですが、それによるソ連の消耗まで考えていたかというと、ちょっと疑問です。』公開されていない資料があるのですが、ポツダム宣言の前後、日本降伏の前、スイスで米国から日本にコンタクトがあり、「すぐに停戦して日米共同してソ連に対抗しよう」というオファーがあったそうです。出元を明かすには、資料をお持ちの方の了解が要ります。米国は取り敢えずソ連の対日参戦を求めていたのですが、1917年のロシア革命以降の共産主義あるいは社会主義に対する不信感が消えていた訳ではありません。これは、戦後の米ソの冷戦で証明されている通りです。○『スターリンはもっと苦戦を予想したのだろうか。それとも、ジューコフの綿密な計算により、日本軍の状況を的確に予想していたのでしょうか。』小生、この辺りは到底真実を知りえません。ただ、小生の申し上げているのは、ローズヴェルトがどう判断していたかという事です。ソ連が「関東軍弱し」と正確に判断していたのであれば、ローズヴェルトの提案はソ連にとって「渡りに舟」だったわけです。○『ローズヴェルトもソ連参戦が日本の早期敗戦に繋がると予想していた可能性は排除できないと思います。』排除できないどころか、全くその通り期待していたと思います。広島・長崎がなければ、日本は本土決戦まで進んだでしょう。そうした想定の下、中国・満州・朝鮮の占領については、米国他の連合国にとって「手に余る」と感じたでしょう。○『日ソ不可侵条約など、日本もソ連も、元々守る気持ちなど無かったと思います。たまたま、お互いが別の戦線に勢力を注ぐ必要があったので、条約が結果として保たれていたに過ぎないと思います。』この頃(あるいは今でも)の常識としては、@条約を守る事が自国に有利であれば、それを遵守する。A将来の自国の全世界からの不信を買うと予測される場合は条約破棄には再考を与える。B条約破棄が自国の利益に繋がり、他の大部分の第三国からも支持されるとあれば、躊躇なく破棄する。・・・という事だったでしょう。ソ連の対日開戦通告で、「連合国の要請により・・・」などと、いい訳めいた事を述べているのは、あの時点でも、ロシアの人達が条約破棄に多少の後ろめたさを感じていたのでしょうか? 日本の同盟国ドイツの例にならえば、黙って攻撃を開始してもおかしくなかったでしょう。ただ、それにしてはソ連はポツダム宣言は守っておらず、「領土的野心なし」とした同宣言に背き、最後まで北海道の半分を占領したい意向を持ちつづけたことは、貴サイトに引用されたトルーマンとスターリンのやり取りに見られる通りです。○『ソ連対日参戦の目的: ルーズベルトに依頼されたと言うのが直接のきっかけですが、実際は、戦後、アジアでの影響力の拡大、中国に親ソ政権を樹立する事だったと思います。 ソ連はナチスドイツを倒す事により、ヨーロッパの解放者になりました。同じように、アジアの解放者になるために、対日参戦したのだと思います。日本に侵略弾圧されたアジア人から見たら、日ソ不可侵条約の存在は、ソ連も日本の仲間と写ってしまいます。日ソ不可侵条約を反故にし、日本軍を倒す事により、侵略者に対する解放者との立場を得る必要があったでしょう。 日ソ不可侵条約を反故にし、侵略者を倒すことこそが正義であるとの立場が有ります。この立場で考えないと、ソ連の対日参戦の意図は見誤るのではないでしょうか。』ソ連対日開戦通告の全文を引用しましょう。「ヒトラーのドイツ敗北及び降伏後においては日本のみが戦争を継続する唯一の大国たるに至れり。3国すなわち米合衆国、英国及び中国の日本軍隊の無条件降伏に関する7月26日の要求は日本により拒否されたり。よって極東戦争に関する日本政府のソ連邦に対する調停方の提案は全くその基礎を失いたり。日本の降伏拒否に鑑み、連合国はソ連邦政府に対し、同政府が日本の侵略に対する戦争に参加し、もって戦争の終了を促進し犠牲者の数を減少し、かつ急速に一般的平和の回復に資するよう提案せり。ソ連邦政府はその連合国に対する義務に従い連合国の提案を受諾し、本年7月26日の連合国宣言に参加せり。ソ連邦政府はかかる同政府の政策が平和を促進し、各国民をこれ以上の犠牲と苦難より救い、日本人をしてドイツがその無条件降伏拒否後なめたる危険と破壊を回避せしめ得る唯一の手段なりと思考す。以上の見地より、ソ連邦政府は明日すなわち8月9日より同政府は日本と交戦状態にあるべき旨を宣言す。」この文からは、金井様の仰る事は汲み取れません。しかし、この通告は、金井様の言われるような内容にした方が良かったようにも思いますが、何世紀も前から満州、朝鮮半島、北支の支配を狙った実績のあるロシアとしては、ちょっと厚かましいと思ったのでしょうか。最後に、北方領土問題については、小生は、樺太と千島列島は日露相互乗り入れが良いのではないかと思います。樺太については、昔、そういう時期がありました。無論、自然破壊になり兼ねない開発は両国政府で規制した上でのことですが・・・。ユージノサハリンスクには、日本も利用していたスキー・ジャンプ場がありますが、今は残骸が残るだけです。今、サハリン・ガス開発で日本の企業も現地に進出しており、以前から日本の銀行なども進出しております。小生はこうした民間による盛んな両国の交流を期待しており、その為には、小生が前信で申し上げたような歴史解釈がロシア国民に対する北方領土返還に関する Justification として使えるならそうして欲しいと思っております。しかし、基本的にはどんな歴史解釈でも構いません。それが、両国の親善に役立つのであれば、無益な議論は避けたいところです。小生は、現役時代、ロシアの建設業者と業務協定を成功裡に結んだ経験があり、その時、相互理解と互恵、互敬の精神を生かしました。国家間の問題でも、同様な解決は十分に可能と信じております。赤堀 篤良
135mm: コンタックス用の135mmって、ゾナーのことですよね。ソ連に行くと、ZK(ゾナークラスノゴルスク)、Jupiter-11と名前を変えてゆきます。 かぱまん さんは、135mmをKievでお使いの予定ですか。RFで135mmは、目が疲れやすい私には、あまり使えないレンズです。一眼レフ用ならば、Jupiter-11のほかにJupiter-37A、Tair-11などが有ります。どれも良いレンズです。135mmは良いレンズを作りやすいのでしょうか。>戦争写真家も 135mm は多用していた レンジファインダーの普通に使える限界なのでしょうか。私には、限界を超えているような気がします。アルプスの写真: 良いですねー、雄大ですねー、行きたいよー。この時期、アルプスのパノラマが白く輝いていて、神の住む世界を見ているような気がします。スパイ: Javaを有効に設定しているときに、特定のページで広告が立ち上がるのは、そのページが広告を立ち上げるように設定しているためで、この場合はスパイではありません。 PCのスパイはブラウザの設定を勝手に変えたり、どのページを見ているかに関係なく、勝手に広告を立ち上げたりします。シイの実: どこだったか、旅行に行ったときに売店に売っていたことがあります。ちょっと炒ってありました。さっぱりしていておいしく、食べ飽きない味でした。子供が食べ過ぎておなかを壊すというのは良く分かります。ムカゴ: どうやって食べるのですか。皮をむいて食べるの?皮ごと? 少年のころ家に生えていた山芋のつるにたくさんムカゴが着いていましたが食べたことありませんでした。
3251でロシヤ軍といっているのはソビエト軍のことです。
イエナにアメリカ軍がはいったのは1945年4月13日でロシヤ軍よりうんと早い時点です。このあとヤルタ協定にもとづいてイエナにはソビエト軍がはいってくるのですが、それは1945年7月1日のことで、おなじ日にアメリカ、イギリス、フランスの軍隊は西ベルリンを占領しています。したがってドイツの占領でソビエトと英米仏の4カ国のうちどれがどのように早いかというのは、ひとつづつの地域について検証しなれば簡単には言い切れません。
戦前のコンタックス用の135mmmも名レンズで安いです。戦後のコンタレックス用もこれを上回る名レンズで、いかも安いですから、機会があればぜひおすすめです。コンタレックス用はこれに限らず名レンズ揃いですから、ぜひご体験をおすすめします。それまでのレンズ観がかわるでしょう。
どういうわけかこれまでの写真人生で 135mm の画角にはほとんど縁がなく、実質的に今回の旅行で初めてこの画角を使いました。昔から中望遠レンズの定番とされてきた理由が少しわかったような気がしました。戦争写真家も 135mm は多用していたと、これはチョートク氏の言でしたか(コンタックスの RF機において、という文意だったと思います)。 以前よりジュピターの 135mm が欲しかったんですが、これでますます勢いがつきます。いいのに巡り会わないかなー。 と、今日も休日出勤でつまりません。
No.3244 の写真を撮り終えて反対側へ振り返ると、南アルプスの高峰たちが逆光に輝いていました。赤石岳周辺です。前のと同じく 6x6 判の250mm(35mm判換算で135mm くらいですね)です。
画 像 : img20041127113633.jpg -(124 KB)
No.3236のReです。赤堀様。 なるほど、ソ連参戦についてそのようにお考えですか。歴史の事実については、もちろん異存はないのですが、歴史の解釈の部分には、疑問点・賛成しかねる点があります。>8月14日以降はポツダム宣言にも違反する事となった>ポツダム宣言に署名した国は日本の受諾と同時に戦闘を停止する義務がある ポツダム宣言のどの条文のことをおっしゃっているのですか。 16日の、ソ連側の説明では、玉音放送は一般的な宣言に過ぎず、軍隊に対する停戦命令は出ておらず、実際日本軍の軍事行動は続行中であり、降伏に至っていない。天皇が関東軍に降伏勅令を出し、実際に抵抗がなくなるまではソ連軍は攻撃を停止しない、とのことでした。 実際に、関東軍が、全軍に停戦命令を出すのは16日(14日ではない)、ワシレフスキー・秦会談は19日なので、日本軍の降伏・武装解除合意は19日です。このため、19日以前に進軍を止める事はありえないでしょう。 しかも19日以降も、降伏を受け入れなかった部隊や、連絡が届かなかった部隊の抵抗は一部で続いていたので、降伏・武装解除命令、抵抗排除が行われました。>戦争に参加し協力するという事は…敵地を占領する事だった。 そう思います。ソ連軍の目的は占領だったのです。だから、降伏・武装解除に従わなかった部隊には抵抗排除が必要でした。ローズヴェルトの本心1.対ドイツ戦線でのロシアの進撃は速かったのでしょうか。それにしては、イエナ占領で先を越されてしまい、これが原因で現在のツアイスにつながります。(今回の話題の中ではどうでも良い事ですが、この掲示板はソ連カメラの掲示板なので、、、)2.3 関東軍を倒すことが目的だったのは間違いないですが、それによるソ連の消耗まで考えていたかというと、ちょっと疑問です。>「無敵ロシア兵」対「さっさと逃げるは関東軍」の構図はさすがに予期しなかったでしょう スターリンはもっと苦戦を予想したのだろうか。それとも、ジューコフの綿密な計算により、日本軍の状況を的確に予想していたのでしょうか。ジューコフ元帥にはノモンハンの経験があるので、かなり的確に予想していた可能性があります。ローズヴェルトもソ連参戦が日本の早期敗戦に繋がると予想していた可能性は排除できないと思います。 なお、ジューコフはノモンハンの功績でレーニン勲章を受賞しています。さらに、このときの経験が、独ソ戦勝利に繋がっているので、ジューコフにとって(ソ連にとって)、対日戦争は始めの戦争であり、終わりの戦争だったわけです。>裏切るつもりも無かった日本との条約を反故に この考えには反対です。日ソ不可侵条約など、日本もソ連も、元々守る気持ちなど無かったと思います。たまたま、お互いが別の戦線に勢力を注ぐ必要があったので、条約が結果として保たれていたに過ぎないと思います。ソ連対日参戦の目的: ルーズベルトに依頼されたと言うのが直接のきっかけですが、実際は、戦後、アジアでの影響力の拡大、中国に親ソ政権を樹立する事だったと思います。 ソ連はナチスドイツを倒す事により、ヨーロッパの解放者になりました。同じように、アジアの解放者になるために、対日参戦したのだと思います。日本に侵略弾圧されたアジア人から見たら、日ソ不可侵条約の存在は、ソ連も日本の仲間と写ってしまいます。日ソ不可侵条約を反故にし、日本軍を倒す事により、侵略者に対する解放者との立場を得る必要があったでしょう。 日ソ不可侵条約を反故にし、侵略者を倒すことこそが正義であるとの立場が有ります。この立場で考えないと、ソ連の対日参戦の意図は見誤るのではないでしょうか。ソ連の目的は達成されたか: 戦後のアジアでの共産化をみれば、表面的にはソ連の目的は達成されたと言えると思います。しかし、赤軍の質の悪さや、日本の満州での資産接収などが原因で、中国人からはマイナスの評価を受ける事になりますので、ソ連の目的が真に達成されたとは言えませんね。
ここ暫くカメラを触っていませんので、明日撮れればと思っていましたが、なんだかこっちは曇っています…東京は晴れなのですか?こっちも晴れてくれないかな!明日は再度年賀状写真にチャレンジ。>宣伝よく分かりませんが、JAVAとかアクティブXとかを闇雲に全部OFFにしていれば勝手に立ち上がらないのではないでしょうか?関係ないのですか?>信州その2絶景ですねー。66で250mmレンズってどの位でしたっけ?135mmかなぁ?寒くてそんなに撮れなかったとお書きでしたが、もう山の上はそんなに寒いですね。カイロの出番です。ハクキンを妻の分まで追加注文したら、注文が殺到しているそうで生産が追いつかないと表示されていました…。実は大人気??>シイの実小さい頃、これ大好きでした。でも、シイの実は食べ過ぎるとお腹を壊しました。毎回お腹を壊して辛い思いをするのですが止められませんで、その繰り返しでした。秋はアケビもごちそうでした。他にクリ、クルミ、ムカゴ等々もありましたが、直ぐに食べられないので、子供の時はあまり興味がありませんでした。アケビは結構、決死の思いで取りました。急斜面の大きな木に絡んだ蔓になるので木に登れない子は食べれませんでした。柿は人家の庭先からかっぱらう物は美味しいのですが、自然に生えているようなものは渋くて食べれませんでした。大抵、みんな渋くない柿の木で塀から覗いているのが何処にあるかチェックしてあり、遊びに行くとどこの道を通ろうか等と相談しました。秋は蚊がいないし、美味しいし楽しい季節ですねー。明日は写真のついでにムカゴを拾おう!>175「いなご」が何回も「いちご」に見えました。
いやーここではノビノビ書いてますから、ああいう商売モン〈雑誌社の方、ゴメンなさい)とは鮮度が違います。金井さま、それが正解ですぅ。ハチコは食べたことありませんし、食べたいと思わないです。宣伝一時うるさく立ち上がってましたが、最近はなくなりました。相手にせずに無視してたら消滅したみたい。天気すくなくともここ一週間はかさマークはないみたいです。ドイツ12月か1月、また雇われ通訳で行きます。こんどは展示会じゃなくてフランクフルトの会社へ行くのでラク。
中央アルプスの連峰です。空木岳、念丈岳らへんだと思います。原版は6x6判250mm、フィルムはISO64です。
画 像 : img20041126163147.jpg -(108 KB)
私のも時々宣伝が起動するようになり、なんか重いなぁと思ったのでAD-Awareをインストールしてみました。こういうソフトがあるとは知りませんでした。ありがとうございました。結構な数のファイルを削除しました。結果スゴク軽くなりましたが...あれまた広告が...昨日に引き続いてまだ撮り切っていなかったМирで夕陽に映える(だろう)桜の紅葉を撮ってきました。ビルの脇を流れる川の両脇に桜があるんです。縄文:どういうわけだか考古学者系のつきあいが多いのですが、縄文食を試そうという集まりがありません。(ってあまり付き合いたくありませんが)知り合いの多くは飲むことを楽しみにしているので、おつまみにならないものは食べないようです。asahi.comを見ると週末は天気が良さそうですが、今朝のテレビでの天気予報ではどーなるんだろう。まっ大体の予定も考えたし、来週は午前中に撮れる。っということで、よい週末を!
スパイ除去成功と思ったのだけど、やっぱり子分が残って居るようで、インターネットエクスプローラの動作が、まれに、怪しい。気のせいかも知れないのですが。。。
2週間ほどPCに居候していたスパイをやっとのことで除去しました。名称 naupoint 。Ad-Aware(フリーソフト)の最新定義ファイルが除去してくれました。これまでも、怪しいexe,dll,レジストリーを手で消したのですが、結局dll一個、レジストリ3個が残っていました。これらを削除して、問題解決。 インターネットエクスプローラを使用中に、覚えのない変なページが頻繁に立ち上がる場合、一応スパイを疑ってみる必要があります。
はちこもさることながら、シイの実が非常に美味です。どういうわけかアクがほとんどなく(他のドングリ類はアク抜きしないと食べられない)、僕らはナマで食べてました。でみ一般的には煎るとか何らかの形で火を入れるんでしょうね。 縄文時代、とある地域の主食ともなっていたらしいドングリ類は、たいへんアクが強く、細かく砕いて流水に数日間さらしてから食用に供していたようです。トチの実だんごの製法がそれに近いかな。何千年もの工夫の積み重ねですね。御先祖様に脱帽。
いなごは昔より美味しくなっていると思います。現代のいなごの佃煮はその形がちょっと崩れるくらいに良く煮てあり、かつ味付けもかなり研究されていると思われる(あんまり苦味を感じなくなっているのでは?)のに対して、昔のは、けっこうそのままの姿で食卓まで出てきていたような気がします。どうでしょう? はちのこ。これはバッツグンにおいしい(かったような)。僕、田舎もんですから、子供のころたまに食べてたような気がします。醤油で煮るより、空煎りしてお塩を少しふってハフハフいいながら食べた方がいいです。
Привет昨夜は六義園へライトアップされた紅葉を撮りに行って来ました。Зоркий4К+Юпитер8にフィルムはコダックのMAX400です。東京とは思えないと述べた川の方も公開され(昨年は立入り禁止でした)、川面に映った紅葉も狙ってみたんですが...絞り解放で1/4秒、風が吹いていて...デジカメの方はブレブレ...実はストロボを持っていかなかったんです。後でチェックしたらこの4Kは1/30秒に入り難かった。な〜んか私の4K、2台とも完全じゃないなぁ...ということで4をもう1台捜して貰おうかな。まっいいか、特性を把握しておいて使い分ければいいんだから。っで気がついたことは、ピントがスッゲー合わせ易かったです。こんなに見易かったかなぁ。50mmを選んで心配だったのはピント合わせで、広角系なら目測で外付けファインダーで見る。別に50mmでも出来ないことはないんですが私の勘などアテになりませんので。蜂の幼虫:これを食べると知ったのは、アニメ「巨人の星」でした(最近、お父ちゃん達がJRのPRやってますね。東日本だけかな?)。伴宙太の家で出されたメニューの中にありました。但し生という設定でしたが。いつもは文句があるシフト勤務ですが来週もそうなりました。っが近くの庭園等に立ち寄って紅葉がまだ撮れそうです。天気が良ければいいんだけどなぁ。Пока
イナゴ: 少年のとき、大嫌いでした。気持ち悪い、口の中でゴソゴソする。 最近食べた感じでは、普通の食べ物でした。この感覚の違いはなぜだろう。今度、飯田に行ったらハチコを買ってこよう。ハチコって分りますか。蜂の幼虫(蛆虫)の佃煮です。見た目の気持ち悪さは、イナゴとは違う。ロ日関係: 赤堀様。投稿ありがとうございます。長分なのでまだ内容を理解していません。もうちょっと落ち着いて読みます。 それから、書き忘れました。対日戦線に参加した軍人軍属には、記章が授与され、栄誉がたたえられました。 http://cccpcamera.myhome.cx/Hi-Ho/Medal/CLASS5/3_40.html鉄条網: 職場の隣は米軍基地です。昨年、鉄条網が新しくなったときは、キラキラして目立っていましたが、最近は渋い色になって気にならなくなりました。慣れとは恐ろしい。 職場の隣に外国軍基地があるのは絶対に不正義です。容認できないよー。安保条約は即刻無効宣言して、直ちに米軍を追い出して欲しい。 ま、それは感情論として、米軍基地は鉄条網で囲われていて一本の樹木もないのですが、その隣はフェンスで囲われ樹木が鬱蒼と茂っています。こちらは使われていない米軍基地なんだそうです。使っていないならば、還したって良いのに。(危ないものが埋まっているのかなー。)日本カメラ: ちょっと立ち読みしました。ここで読むtelefunkenさんの文章のほうが面白いなーと思いました。ごめんなさい。北方領土返還に反対です: 自分の故郷の自然の荒廃、山河の荒れ様を見て、色丹島もこうなるの?、と問われたら、北方領土返還には反対です。歯舞色丹が日本に引き渡されなかった理由は別として、結果として戦後一貫してソ連・ロシア領だったことは、自然保護・生態系維持の観点からは、ラッキーだったと思います。こういう、後ろ向きの理由をあげるのは悲しい。
管理人(金井) 様 小生のホームページをご覧いただき、また、ソ連時代の対日戦関係教育についてご教授いただいたこと、御礼申し上げます。このテーマに関連する重大事項を時系列で見ると次のようになるかと存じます:・テヘラン会談(1943.11.28‐12.1):ローズヴェルト・チャーチル・スターリンにより、ドイツ降伏後すみやかに露が対日戦に参加することを決定。・ヤルタ会談(1945.2.4‐11):再びローズヴェルト・チャーチル・スターリンにより、露の対日戦参加を決定。・ローズヴェルト死去(1945.4.12)・ポツダム会談(1945.7.17‐8.2):トルーマン・チャーチル・スターリンにより、主として独・日の戦後処理を決定。南樺太と千島列島は露の領土とした(日本固有の領土である北方3島1諸島も入ることになる)。・ポツダム宣言(1945.7.26):米・英・支が署名。・ポツダム宣言に露参加、露対日戦開始(1945.8.8)ここで目に付く点が幾つかあります。 それらは:・3会談に出席したスターリンはポツダム宣言に署名せず。・しかるに、露は対日戦参加と同時にポツダム宣言に参加。 蒋介石は別として、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンといった錚ゝたる策士が結んだ協定でもあり、額面通りの解釈ではその後の歴史が説明できません。問題は各首脳が胸に秘めていた密約でしょう。当事者の利害関係から推測して小生が考える三者が共有した密約は下記の通りです:1.ロシアに約束した領土はロシアが占領した場合に限りその権利を有する:当時の考えでは戦争に参加し協力するという事は、爆撃機で敵地を爆撃するだけではなく、地上軍を進め敵地を占領する事だった。実際にロシアは占領地拡大に懸命であった。それまで結論の出ていなかった朝鮮統治問題につき、ポツダム会談ではトルーマンの無関心さにも拘わらず、スターリンは急遽4カ国統治に賛同した。スターリンのこの地に対する狙いが見える。2.ロシアはポツダム宣言には署名せず、終戦協定には署名する: ポツダム宣言に署名した国は日本の受諾と同時に戦闘を停止する義務がある。ロシアは終戦協定に署名するまでその義務はない。実際に日本のポツダム宣言受諾後も進攻を止めなかったロシアにアメリカがストップを掛けたのは9月2日の終戦協定にロシアも調印した後であった。8月18日にトルーマンがスターリンに打電した内容も北海道進攻を断念させるものであり、北方領土に対するものではなかった。今に問題を残す歯舞群島の北方領土は終戦協定以降にロシアが占領した。このロシア停戦に猶予期間を与えたのはロシアが関東軍に相当てこずると予測したからであろう。スターリンはローズヴェルトとの密約を守ってポツダム宣言署名時は姿を消していたが、密約を知らないトルーマンとチャーチルに説得され、対日戦開始と同時に同宣言に参加したのであろう。この時点でロシアの対日戦は先ず日ソ中立条約に違反し、8月14日以降はポツダム宣言にも違反する事となった。3.朝鮮半島は38度線で分断し、北は露・支、南は米・英の統治とする。実際の歴史では満州の関東軍主要部隊は前線の部隊と居留民を置き去りにして後退してしまった。その為ロシアは終戦協定前の8月中に首尾良く朝鮮半島の38度線までを押さえ、朝鮮半島は完全に分断された。ただ、ローズヴェルトがロシアの為を思って密約などする訳がありません。スターリンを領土の餌で釣って騙したのでしょう。ローズヴェルトが決して明かさなかった本心は:1.ロシアのドイツに対する反攻は急ピッチで進み、1月にはベルリンから僅か600kmのワルシャワを陥落させた。一方の連合軍は前年12月にようやくアルデーヌの戦いに勝ち、ベルリンから800km、ライン川の西にいた。ロシアがドイツの大半を占領し、戦後のドイツ統治に対する発言権が強すぎてはまずい。ロシアに対日戦争準備をさせ、西に向かう速度を鈍らせる。対日戦はドイツ降伏後3ヶ月以内としてあるから、ロシアはそのずっと前からシベリア鉄道を通って数千`かなたの極東に戦車などを送らなければならない。2.満州や朝鮮半島では無敵関東軍が頑張るだろうから、ロシアが占領しなかった地域は蒋介石の中国に統治させれば良い。3.無敵関東軍と戦わせ、いずれ米国の敵となるロシアの戦力を消耗させる。 といったところではなかったでしょうか。これだと米国の利益にピッタリ合います。トルーマンに認識はなかったようですが、ローズヴェルトは朝鮮半島の重要性をもしっかりと見通していたようです。大変な策士だったローズヴェルトなら、小生が後知恵で考える事などは前もって考えたでしょう。ただ、「無敵ロシア兵」対「さっさと逃げるは関東軍」の構図はさすがに予期しなかったでしょう。 ロシアについては敗戦直前の駆け込み参戦で漁夫の利を得た史実が日本人の頭にこびりついていますが、ロシアが対独戦に見通しを立てた1943年頃、こうした取り決めを破ったらどうなったかも考えてしかるべきではないでしょうか。ウラジオストックに集結したロシア潜水艦だけで100隻以上あったのです。戦争末期に日本海に入り込んだ米潜水艦3隻かだけで日本海の海路は相当な被害を受けました。ロシアの潜水艦が活動を始めたら、日本本土と朝鮮、満州、支那との海路は遮断されたではないですか。あるいは沿海州の基地を米国に使わせたらどうだったのでしょう。日本本土はいきなり沿海州と中国から直接攻撃を受けたかも知れません。 結局、小生の思うには、スターリンはローズヴェルトに体よく乗せられて日本の北方領土を餌に対日戦に加わらせられ、裏切るつもりも無かった日本との条約を反故にしたのでしょう。そうしなかったならば、米英連合軍に先んじてドイツの大半を占領したロシアの戦後のドイツに対する発言権は大幅に強く、他の連合国、なかんずく米国の発言権は弱かったでしょう。冷戦になってから「物を言った」核開発や大陸間弾道弾の開発など、ドイツからより多くの科学者を拉致したであろうロシアが相当有利に立ったこと、想像に難くありません。 こうした歴史の解釈をプーチン大統領に伝え、そろそろローズヴェルトの呪縛から抜け出し、北方3島1群島くらいは即刻日本に返還して日露の更なる強い国交を目指してはいかがかと進言したい気持ちです。赤堀 篤良
あまりにも煩くて、しかも話している内容もくだらないので、夕日の紅葉を隣のお寺に撮りに行って来ました。そう大した効果はなさそうでした。ウチのビルが邪魔しているみたいです。そんな環境で、「メンタル・ヘルス チェック・テストのご案内」が配られてきました。な〜んにも分かっていない...侍ネタ:息子が六義園で見つけたネタ。途中ですが...年寄りが三脚立てて写真を撮るっていうじゃない....でもあんた達に必要なのは三脚じゃなくて杖なんですよぉ〜、残念!"斬り"がまだないんです。あっ先日の鎌倉で一脚を杖代わりにしている集団がいました。そう言えば、虫の類って食べたことないです。車:手放して不自由ないって、元から趣味の車だったので、ある方が不自由だったかもしれないのですが、趣味と実用を兼ねたモーリス・マイナーがやっぱりいいなぁ。ってどこが実用やねん!ジムニーっというと私は360cc時代ですね。免許とって買った車がフロンテ・クーペでした。速かったぁ。そ、そんな実物のセミスクラッチが出来たら...何をどう作ろうかなぁ...でも最近マーチを改造したのって多いですよね。こういうのの元祖って、ホンダNV(私が持ってた車)用の改造キット、マネ・クーパーだったと思います。
>ムラサキ色のシャコタンまだこちらでは現役で走っていることがあります…。四駆を切るのは私がいつも行くお店でやってくれます。とても質の悪そうな若者や外人がやっています…。スプレーで手塗りで黒くした背の低いランクルとかです…。うー品が悪い。お店の方はとても良い方なんですが、ハシゴが無いと乗れないような背の高いランクルに乗っています…。うー品が悪い。>イマ欲しい車、うーん、まだやっぱりメバッチムラサキ色のシャコタンのメバッチですね!こりゃ品が良いですね。なだ万へ連れて行って頂く時に、どうぞ乗せて下さい。上半身窓から出してツアイスって旗を掲げさせて頂きます。ツアイスのつなぎも用意しますね。おお怖ーい。>175イナゴ…。小さい頃は地場物で、母が弁当に入れる事があって凄く恥ずかしかったです。今だと逆ですね。地場のわさびも美味しそうですね。なにより香りがするのかなぁ?鹿の刺身ってどんな味なんでしょうか?ちょっと興味津々。
かぱまんさま、ギター侍ですか。うわー、イナゴ。むかしどこかでお通しで出たときに食べました。恐る恐る。金井さま、ノド、早く直ってください。仕事も捨てないで。れなうると5たーぼ、うーん、かっこいい、しぶい、うらやましい。
かぱまんさま、奥さまにヨロシクお伝えください。ハンニャのジジイはインロウは持っていませんが、その分がんばっていろいろ面白いことを考えておりますと。ラーダニーバ、おおっついに出ました。ぼくが昔ともだちから借りた4輪はすべてムラサキ色のシャコタンでした。どういうやつらと付き合ってたわかるでしょ。でも四駆をシャコタンに切ったらどうなるだろうか、イマ欲しい車、うーん、まだやっぱりメバッチ。
イナゴです。左はワサビ漬け、右はナメタケの梅肉あえです。
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>なだ万でオフやりましょうひぇ〜…有り難うございます。本当にそのうち東京へ行っちゃいます!>愛知万博ローカルなものだと思ったらtelefunkenさんもМасяさんもご存じなのですね。ちょっとびっくり。そう。ソ連ロシア関連としては、マンモスがありましすね!もしこちらへ来られる機会があれば顔を出させて頂きま〜す。お邪魔じゃなければ勿論ご案内も!>あっまだhirob_pさんのホームグラウンド見てない...東京との違いが実感できるだけです…。>って何をしとるか。この言い回しはМасяさんみたいですね。>ネタに困ってあの話題二つにしたのですが、>ちょうどピタリで嬉しいです。恐れ多いです。こちらこそ有り難うございました。>ジムニー(国内最強?う〜ん、ちょっと疑問…最小ではある?)私のを実物大の偽ラーダ・ニーヴァ用ベース車としてМасяさんに提供させて頂きまーす、宜しくお願いしまーす。なんーて。私のはエンジンが大きい方ですが、確かにちょっと車高を上げるだけで本当にどこでも走れます。ただ、軽自動車のエンジンを乗せ換えただけの物なので狭過ぎます。今は妻の車も合わせて潰して1台大きいのを買いたいと思っていてドナドナ待ちです。第1の候補はディスカバリーだったんですが4km/Lに閉口しました…こりゃ薄給には無理…。岐阜とか北陸とかの山間部へ行くとパトカーも消防車もジムニーなんですよね。日本の風土にあった車なのかなぁ。そう思うとどこでもトコトコ走れるあの愛嬌がちょっと勿体ない気も…。あと30年位持っていたら良い感じのクラシックカーになるかなぁ??>ルノー5ターボあの車渋すぎです。以前サーキットへ行っていた時にすんごい早い青と赤の旧マーチが2台いました。後から聞くと5ターボでした…。グリップ走行やたら早かったです。更に、当時中古で一台500万と聞いてぶったまげました。
のど痛い: ご心配ありがとうございます。まだ完全に風邪は治りきりません。たいして悪くないので、休まないから、なかなかなおりません。ウクライナ: 選挙結果でもめてますね。選挙運動のなかで、政治方針で争えばよいのに、情けない。 ところで、カルパチアの方はEU寄り、ハリコフはロシアよりなんですね。昔と変わらない。革命直後にFEDコミューンが作られたのも、ウクライナにおけるロシア拠点のハリコフで政治宣伝に使うことが目的だったのではないだろうか、ライカ型カメラを作ったのも、政治宣伝が目的だったのではないだろうか、そんなふうに思います。車: 車の話は全然分らない。手元に、塗装前のホイールカバーがあります。じゃまだ。捨てたい、仕事も捨てたいー。>北方四島の国境線がこの地図通り正しい、いやここが正しい そりゃ、日本のが間違っているでしょう。RUSSIAって書かないと手紙はとどきません。行くにはロシアのビザが必要です。北朝鮮がない韓国の地図、モンゴルがない台湾の地図。いろいろあるようです。 教科書地図における国境線の変遷を調べてみたいのですが、まだ何もしていません。
赤堀様、投稿ありがとうございます管理の金井です。ご紹介のホームページ拝見しました。このなかで、『写真3 ポツダム宣言にも日ソ中立条約にも違反して火事場泥棒のように日本北方の領土に侵入したロシア軍の進攻軌跡が描かれている。彼らは、どういう教育を受けているのだろうか。』とお書きです。私が知っている範囲でお答えします。ソ連時代の歴史教科書(翻訳)には次の記述があります。『帝国主義日本に対するソ連邦の戦争は、大祖国戦争の不可分の一部であり、その継続であり、完了であった。』また、問題と課題に次の設問があります。『日本の侵略者からアジアの諸民族が解放されるのに対して、ソ連邦が果たした役割を述べなさい。』 ソ連の対日参戦は、ファシズム同盟国でありアジアの侵略者たる日本から、アジアを解放する戦争であり、実際に、中国・朝鮮等の解放に果たした役割を誇りを持ってかたられています。 なお、中国でも、ソ連対日参戦は侵略者からの解放と習ったそうです。韓国はどうなのか、韓国人の友人がソウルに帰国してしまったので、聞いていません。 ソ連対日参戦はルーズベルト・チャーチルの要請にこたえる形で行われたので、米・英の教科書でも否定的記述ではないと思います。(今度調べてみます。) 日本の教科書では、単にソ連が参戦した事実を記載しているものが多いようです。それ以前の日ソ条約などは細かいことなので、煩雑になるのであまり触れていないと思います。 以下は私の考えです。 ソ連の対日参戦の主要部分は中国東北部で行われたものです。両極端を書くと次の考えが有ると思います。「満州偽国家を樹立して中国から領土を強奪した侵略者からの解放」「劣等民族支那人・満州人を正当に教化・支配していた関東軍に対する侵略」。どちらと考えるかは、中国のことだから、中国人が決めることで、私は多くの中国人に従って、前者に近い考えです。 なお、ポツダム宣言受諾後、特に、9月3日以降は、ポツダム宣言第7項「聯合國ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」が適用されるので、占領の適否は連合軍最高司令官の判断に従う必要が有ります。SCAPIN-677では、千島・樺太の日本の行政権が停止されたので、ソ連の支配は正当なものです。 サンフランシスコ条約後のソ連支配はどこまでが正当で・どこからが不当なのか、議論の分かれるところですが、私は次のように思っています。日ソ共同宣言までは、歯舞・色丹以外は正当な支配、歯舞は不明、色丹は??。日ソ共同宣言以降は、歯舞を含めてすべて正当な支配。ただし、日ソ共同宣言はその後、効力を失ったとの立場もあるので、その立場にたてば、また違った考えになります。
パリ・ダカう〜ん、ラーダが出場したことは知りませんでしたが、ヴェスパが出場したのは25,6年前の記事で見たことがあります。座席の下に巨大なエアクリーナーを付けていたのを思い出しました。ラリーで思い出したのですが、ヨーロッパではイタリアのタイヤメーカ、ピレリがスポンサードして名称を冠したラリー(確かクラシックカー・ラリー)があったのですが、スポンサーが日本のPIONEERに代わったことがありました。その時、旧ソヴィエトではピオネール(子供向けの共産党組織)がラリーのスポンサーになったという噂が流れたそうです。(これも噂でしょう)その昔、スロットレーシングでラリー仕様で遊ぼうということでライト点灯可能(店内の照明を落とします)、タイヤはキットのゴムタイヤ(滑る、滑る)というレギュレーションで遊んだことがありました。コーナーで如何にテールを振るかというポイントで競いました。当初はスピード重視だったのですが走らせているうちにコーナーが面白くなっちゃったんです。私のマシンは勿論、ルノー5ターボ(タミヤ)です。(順位は聞かないでぇ...)改造:いや、そのぉ...バンタイプのジムニー(フジミ?)にパテで盛ったりして整形します。どこにしまったかなぁ...未完成です。フル・スクラッチができないので似たようなボディから改造するセミ・スクラッチで作ります。ラーダのセダンってマツダのファミリア(323の頃)によく似ています。
ずっと前のパリダカにラダニーバのワークスチームが出た事があったような。ジャッキーイクス氏もハンドル握ったことがあったような。いづれもあやふやな記憶ですみません。ついでにベスパも出た事ありました。もちろん全滅しましたが、スクーターで出てしまうその根性に敬服してました。 Мася様、改造マニアなんですねー。ジムニーをどうやったらニーバに変身させるのか、是非是非画像貼り付けたも。京都では1台だけ、水色のが前いましたが、最近目撃できません。残念っ。
かばまんさん、舌好調!ニーヴァなんか出されたら、くろがね四起などとアホなことを...1/24スズキ・ジムニーを改造してラーダニーヴァを、あとベースは何だったかなぁ...を改造してハッチバックタイプのラーダ乗用車(彼女の愛車)を作っていましたが放ったらかしです。ニーヴァって正式に輸入されていて、ソ連時代、晴海の東京国際見本市でパンフレットを貰いました。それを見ながら改造していました。実物は箱崎のIBM近く(っというより話題のソフトバンクの裏)で見たことがあります。モスクワでは飽きるほど見ていますが乗ったことはないです。
ここではやっぱりラダニーバと来なけりゃいけないですね、失礼しました。
telefunken 様、>なんだか心配で、近所の開業医できょう見てもらいました。無事パスで、これで安心して大学で検査が受けられるというところを読んだヨメ様いわく、「面白いことしはるおじぃちゃんやねぇ」と感心してました。 さて、>友達はローバーからベンツのゲレンデワーゲンに乗り換えました。でも本格のランドクルーザーじゃないと林道はムリ。 うーん、残念ながらここに出てくる3車では、日本の林道では大き過ぎて使えません。これらが走れる所(整備された基幹林道クラス)では、出来のいいFF車で充分です。こいつらがその性能をフルに発揮できるのは、大陸の奥地まで行かないとダメでしょうね(って行った事ないけど)。国内最強の林道用四輪は、スズキさんちのジムニーです。道幅さえあれば、走破性においてはバイク(普通のトレイルタイプ)を超えるかも知れません。あと、オープンボディのジープくらいですか。結局四輪よりも二輪の方が、林道シーンでは遥かに自由度が高いので、そっちの方が快適(ストレスフリーという意味で)です。
Приветプラモデル:(今や)ひこう老人の父から子供の頃から飛行機の影響を受けていました。やはりレシプロ機ですね。っで小学何年生の頃だったかなぁ...レベルの1/32、Ju-87を買って貰って暫くこのサイズにはまりました。最後に作ったのは...大学の頃のMe163が最後だったかな。109はMeだったかBfだったかバンダイの1/24がありましたね(P51だけだったかな)。YAK幾つだったかなぁ、ハセガワから1/72で出ていてI16は昔レベルの1/72を作りました。ホント、旧ソヴィエト機に限らず、連合国側の飛行機でもマイナーなシリーズも沢山ありますね。P-51BとかP-47Dとか。でも日本軍機のバリエーションが少ないかな?水滴風防型の飛燕とか水冷発動機搭載の96艦戦とか...マイナーすぎるかな?間違い:え〜っと、新江戸川橋公園ではなくて新江戸川公園(最寄の駅が江戸川橋なんです。)潜水艦が掲載されたのは「ソヴィエト赤軍興亡史U」でした。それにウラジオストクにあると書かれていました。(よく読めって?スンマセン)愛知万博:シベリアで発見された氷付けのマンモスの頭が来るんですよねぇ。紅葉:東京はこれからだなぁと思われる所が多いです。京都はピークを過ぎてしまいましたかぁ。実は京都に行けないから烏山寺町って紅葉はどうなのかなぁと思ったりもしました。小石川方面、安田庭園、神宮外苑、殿ヶ谷庭園周辺に本土寺とこの2週間で回りたいと思っています。明日は天気が良くないようなので、今夜六義園の紅葉のライトアップを撮りに行こうかとЗоркий4Kをも持ってきました(昼用にはМир!)。レンズが明るいからЮпитер8にしたのがどうでるか...あっまだhirob_pさんのホームグラウンド見てない...Пока
もう寝なければと思いながら、ついついこのBBSを見てしまうぼく。これがいちばんの楽しみですね。かぱまんさま、立ち読みで十分です。雑誌社のかた、ここ見ないでください。そして次も仕事くださいね。月末に行きつけの大学病院で肝エコーがあるのですが、なんだか心配で、近所の開業医できょう見てもらいました。無事パスで、これで安心して大学で検査が受けられる、って何をしとるか。
かぱまんさま。林道おすきですか。ぼくも4輪買おうとおもいながら、ついつい二輪のほうに手が出て、結局持ってません。友達はローバーからベンツのゲレンデワーゲンに乗り換えました。でも本格のランドクルーザーじゃないと林道はムリ。京都の紅葉、いいですね。今年は秋に行きそこないました。
NG続きのヤツ、やっとOKが出ました。モウ1本のほうは編集者が自分で書くそうです。勝手にシロ、と言って置きました〈ウソです。そんな強い立場じゃない!)hirob_pさま、ポンカメありがとうございました。ネタに困ってあの話題二つにしたのですが、ちょうどピタリで嬉しいです。タバコは屋外で。いえいえ、Masyaさま、ぼくはいま自宅での仕事ですからタバコは吸い放題。奥さんはなにしろぼくに喫煙を薦めている人ですから、ラクなもんです。そのかわりしょっちゅう口の粘膜とノドと肺の検査をしてます。金曜の夜まで一人です。奥さんは友達と温泉でマージャン旅行。世間の家庭とは逆のような。でも留守のあいだのおかずはゼンマイの煮たのとがんもどきの煮たのが作ってあります。ぼくの好物なんです。ごはんはチンすれば食べられる用になっています。洗濯は運動のユニフォームだけなので自分でやります。スペアがあるから特にやる必要はないんだけど、洗濯機に入れてスイッチいれるだけですヵら。それに干すのはキライじゃない。愛知万博、よーく知ってます。見に行きたい。hirob_pさま、東京に来られたら、なだ万でオフやりましょう。金井さまとMasyaさまもおよびして。寒い冬場にバイクでよく辻堂の友達〈男です)んとこ行ってました。それも会社から帰宅してからです。さすがに帰りの第三京浜は寒かったなあ。小石川さいきんは行ってませんが、昔はよく行きました。Masyaさま、来年も寺町いかがですか。テレビで見たら、室町時代は花見とおなじくらい紅葉見物やって盛り上がってたのですね。江戸時代になって廃れたとか。
>近年、東欧から色々と輸入されているので大戦中のソヴィエト機も容易に入手できるようになりました。 プラモデル、いいですよねー。でも東欧モノを僕は見た事がありません。好きですが、マニアじゃないのです。YAK3 とかポリカルポフI16 とか、いろいろチャレンジしてみたいですね。ワクワク。第二次大戦期のレシプロ戦闘機が子供の頃からずっと好きです。 未だ果たせていない夢のひとつに、Bf109Gを大縮尺で作りこむ、というのがあります。メッサーシュミットは断然グスタフのでっかいスピンナーにクラクラきます。プラモじゃなくて図面を起こすところからのソリッドモデルでもいいかな。> 陣馬形山と言うところへ行く林道というのがちょっと興味深い…。車で通れる林道なんですね。 以前からある林道を今回も利用しましたが、妙に人の気配がないので(林道探訪ではこの「人の通行する気配」を読む、というのがけっこう重要なんです。ヘンに迷わない技術です)、道中「おっかしいなぁ…」と内心ソワソワしながら(家族に動揺を悟られないように:笑)頑張って登り切りますと、謎が解けました。新造のアスファルトな道が別に出来てたんですな。一体あのハラハラドキドキは何だったんだ!、というオチでした。画像の方は、もし衆視に耐え得るものができましたならアップさせて頂きます。>ポンカメ 僕も読ませて頂きましょう。買うかどうかは、わかりませんが(出版社の人ゴメンナサイ)。
ページ拝見しました。有り難うございました。なんとなく各々の雰囲気が分かりますね。小石川はどっちも綺麗でした。そして、小石川後楽園には秋咲きの桜が3種類もあるんですね!!こちらではもう終わりかけですが、東京ではどうかなぁ…。この紅葉の赤をバックに撮る桜はなかなか巧く撮れません…春もだけど。この秋咲きの桜もとても好きです。先日、今年の紅葉は綺麗か?というお話がありましたが、まだ殆ど見ていませんが、去年より期待出来ると思っているのですが如何ですか。今年はとにかく熱かったので大丈夫でしょう!!でも、今夏は暑さが酷すぎて、既に杉花粉が飛び始めているそうで、来年の春は猛花粉だそうですね(もしかして、金井さん花粉症ってことないですよね…お大事に)例のスギヒラタケも暑さが原因かとか言われていますね。今年は例年になく植物には特徴的な年だったのかもしれません。早く見に行きたいなぁ。以前、陶芸をしに土岐市まで通っていた事がありますが、ここの陶芸を教えてくれる爺さんが、「年々松の紅葉が増える」と言っていました。丁度、何かの大きな道路の工事が進んでいて、この工事の進行に合わせて松が紅葉していくんだそうです。ようは枯れているんですね…。どうでも良い事ですが、私がよく行く緑地はここです。http://www.pref.aichi.jp/shinrin/uekiryokka/ryokkacenter/index.htmlこのようにやたら広いうえに人が居ない(広いから合わない?)んですが、見せて頂いたHPの東京の庭園のような感じはありません。一応日本庭園を書かれている場所もありますが、規模も素材もかなり貧弱です…。http://www.pref.aichi.jp/shinrin/uekiryokka/ryokkacenter/shisetsu/shisetuannai/index.htmlhttp://www.pref.aichi.jp/shinrin/uekiryokka/ryokkacenter/shisetsu/syowashisetuannai/index.html愛知万博ってのが来年あるってご存じですか?多分ご存じないですよね。そんなローカルなもの。これがこの公園の近くであります。これもどうでも良い事か…。
掃除が入って煩くてヤんなります。そりゃぁ綺麗にしてくれないと困るけれどねぇ...っとこんなページがありました。http://junko55.web.infoseek.co.jp/04-hanatoteien.htm小石川植物園って専用のサイトがあったのですが見られなくなっています。こちらで後楽園、植物園、六義園の様子が見られます。違いますよぉ...片や御三家の屋敷(後楽園)で、片や吉宗が作った病院と薬草園(養生所)ですから。あと、私は年間を通して見頃の花などここのサイトをチェックしています。http://www.tokyo-park.or.jp/桜の情報など便利です。東京に来られる時は参考になると思います。(えっ案内しないのかよって?しますよぉ。)冬の喫煙者:いいんです。火を持ってるんですから。っとtelefunken様、スミマセン。
>通称、小石川植物園これとは違う物なんですね。ここは何となく興味があって一度見てみたいなぁと思う所です。>喫煙者は基本的に外で私のいるビルはつい最近そうなりました。全部灰皿が撤去されました。私は別にどっちでもいいんですが、でも吸われる方は冬はちょっと過酷で可哀想だなぁと思っています。何もそこまでしなくても、屋内に一ヶ所設ければ良いのになぁと思います。最近、暗くなるの早いですね。もう殆ど真っ暗…。
大岡越前で:伊織がいるのは小石川養生所です。現在の東京大学理学部付属植物園の一部です。通称、小石川植物園。前にもちょこっとお話しましたが養生所時代の井戸が残っています。っで、ここの紅葉を調べていませんでした!いやぁ、いいコトを思い出させて下さいまして、ありがとうございました。あっもう暗くなっちゃった...いや、ほんのすぐ隣のお寺なんです。喫煙者は基本的に外でタバコを吸わなければならないのですが、彼らと同じような感覚で撮りに行けます。
>ポンカメtelefunkenさんからよく伺う井上さんという方もちょびっと載っていましたね。地毛なんでしょうか…?ってのは関係なくて、今年ソ連製のパノラマカメラを購入されたと書かれていましたね。>三笠も横浜にああ…あれは日露戦争の時のもの??確か凄く小さい時に父に連れられて見た気がします。何だかちょっと拍子抜けした記憶があります。船が小さかったのか装飾が少なかったからか…??記憶がかなり薄れています。>スクリューの1片こんなデッカイも鋳造で作れるんですね。強度維持とか大変そうだな…。>都内とは思えない光景本当にそう思いました。東京にはちゃんと管理された綺麗な庭が沢山あるんですね。この小石川後楽園というのは、加藤剛のお友達がよくいた場所でしょうか?(何を言っているのかお分かりでしょうか?←名前を忘れましたがドラマの大岡越前に出てくる医者の話です。何とか伊織でしたっけ?)最近、こっちのラーメン屋のCMで、この加藤剛の奥さん役の娘が階段を上るシーンが写ります。更に訳分かりませんね…。多岐川裕美の娘ってことです。>自転車で1時間くらいうわぁ!結構ありますね。Масяさん毎週そんなに運動されているんですね…。先日スーツを作ったら1.5年でウエスト周りが2cmも広がっていました。運動しなくちゃ。>Юпитер9そういうご意図だったんですね。確かに爺さん婆さん達、外野を写さずに行けますね。田舎ではJp-12でも行けますが、Jp-12はとにかく強い光に弱い気がするので紅葉はなかなか巧く行きません。Jp-3は個人的には寒色系に感じます。今年はバタバタしていて紅葉はまだ撮れません…。去年のアップした写真はキャノンデジカメでした…。御覧の通り人なんて写りっこありません…。img-box/img20031126004245.jpg>撮りに行こうかな自由な会社で良いですねぇ〜。行ってらっしゃいませー!
私もポンカメ、立ち読みしたんですぅ...オーロラ:アエロフロートの機内誌もオーロラと言います。この時の日本側の戦艦、三笠も横浜にあるんじゃないですか。この三笠のスクリューが私たちの川口市製らしく、ある鋳物会社の前にスクリューの1片(?)が残されています。日本庭園:あっ六義園ご覧になられましたかぁ。ここはあの柳沢吉保の屋敷跡なんです。意外と大きくて裏手の方へ行くと川があって都内とは思えない光景です。江戸ということから大名の(上?下?)屋敷が庭園として残っているんです。週末は小石川後楽園へも行こうかと思います。ご存知水戸徳川家の屋敷跡です。あっ黄門様はずーっとここに居て参勤交代をしたことがないと聞きました。他にも細川家の屋敷跡が先日も話題になった水神社の近くの新江戸川橋(だったかな?)公園です。六義園は自宅から自転車で1時間くらいの距離でいい運動になります。春は大きな枝垂れ桜で有名になりますが、秋の紅葉がいいんです。ココ。28日までライトアップされているから明日くらい寄ってみようかな。Юпитер9:実は発色は気にしていませんで...紅葉を強調したかったので中望遠。しかも見た目に近い感じでっということで85mmにしてみたんです。でも結構いい感じだと思います。ジジババも写りませんし。そっかー、このレンズは赤っぽくなる。只今午後4時10分前...隣のお寺のもみじを撮りに行こうかな。МирにИндустар22(カザン製)を付けて持ってます。戦車:何故か最近、戦車や飛行機のプラモデルを作りたいと思っています。勿論旧ソヴィエトのT34や飛行機は最新鋭のミグ29あたりです。近年、東欧から色々と輸入されているので大戦中のソヴィエト機も容易に入手できるようになりました。
今日はとても良い天気でした。昼飯を食っている時の日差しがもの凄く熱かったです。>わーい休みだお疲れ様でした。丁度昨日はポンカメのを拝読しました。先月のアサカメでちょっと知りたいなぁと思っていた事がずばりあってビックリしました。どっちが話を持ちかけたかと、最初の大きな相違ていうのは何だろうという2点でした。うそみたいでしょ。とても面白く拝読しました。有り難うございました。>無事帰ってまいりましたかぱまんさんもお疲れ様でした。いやホント羨ましいです。私が一番やってみたい旅行で、こんなの出来たら良いなぁ…と思う。そのままです。写真出来上がったらアップして下さーい。陣馬形山と言うところへ行く林道というのがちょっと興味深い…。車で通れる林道なんですね。本当に楽しそう。お子さんが羨ましい。鹿の刺身っていうのも食べてみたいなぁ…。風呂に、景色に、道々、食べ物、素晴らしすぎるよぉ…。>手洗いとうがい私は手洗い癖があります。毎日起きている間は1時間以内に1回は手を石鹸で洗っています。でも、よく風邪をひきます。もしかしたら、うがいの方が効くのかもしれません…。>ロシア戦艦オーロラ号日露戦争当時の戦艦が今でも残っていることに驚きました。それと、歴史バカなのでしらないのですが、昔の日本海軍というのは、そんなに強かったんですね。残った船が有名なくらいということは、殆ど壊滅させたという事なのか…?>紅葉昨日のニュースか何かでМасяさんがよく書かれている六義園(でしたっけ?)の映像が出ていました。綺麗で大きな公園ですね。こっちの方にある公園というのは、ああいう日本庭園ではないので羨ましいです。近場に本格的な大きな日本庭園てないように思う…。それから、先日来、紅葉撮影にJp-9をお持ちになっていますが何かご意図がお有りなんですか? 私はJp-9って赤が強烈に写るなぁという印象があるんですが、Масяさんはそう思われますか?大雑把なんですが、緑の葉っぱも赤に写るくらいに感じます…(これはいい意味なのかな??)。午後3〜4時位の時間に撮ると日の光も関係あるかもしれませんが、もうもう真っ赤っかです。と午前中から書きためて投稿しようとしたら…>また書き直しましたあと少しなのですね。頑張って下さいね…。
オーロラある会社の人がぼくとぼくの友達に会って、そのあとぼくの印象を友達に話して、『オーロラが出てましたね』といったそうです。これってオーラのこと?。よろこぶんでいいのかどうか、ちょっと微妙。戦車ぼくの友達の大学院生は戦争マニアで、なんとかいう湖水の底に沈めた日本軍の戦車を引き上げようという運動をやってます。あっそれから彼はマンガオタクで、芦屋に家がありながらコミケのときは必ず東京に来てます。泊まるのがいつも一ツ橋の学士会館で、あの古めかしい感じが好きらしい。たぶんコスプレとかも好きなようなーーー。ぼくは京都の家に行くといつも彼を呼んで泊まらせています。友達が大阪とかに行って一人になる晩にはコワイからそうするのです。いつも東京のアパートの狭いとこに暮らしてると、広い家に一人でいつのがコワイ。ヤツは気づいているだろうか?原稿4回目のNGが出て、また書き直しました。今日が締め切りなので時間切れになりそうな。
Привет昨日はウエブ上で鎌倉方面の紅葉情報を確認して出かけたのですが、どこも見頃のはずが...まだまだという所ばかりでした。円覚寺や海蔵寺はもうちょっとで見頃でしたが、化粧坂(けわいざか)の切通しや妙本寺などはじぇ〜んじぇん。カメラは久しぶりにМирにЮпитер9にМосква2でした。当然ともに撮りきれていません。昨夜、テレビで京都の紅葉について触れられていて、名立たる庭園やお寺では、夕日に紅葉が映えるようにモミジなど紅葉系落葉樹が配されていると言ってました。こっちで撮る時って大抵午前中なんだなぁ...だから遠景で綺麗に撮れないのか...渓谷など自然系は...やっぱり撮り方の本を読むべきだったかな(自然系でなくとも)。アルプス:もう少しすると空気が澄んで秩父の山々が通勤電車から見えます。近くまで行って撮ってみたいと思います。山々が屏風のように見える...うぅっ見たことないです。しかも冠雪ゥ!撮りたいです。最近、こういった観光地で思うことなんですが、ハイキングコースに犬を連れてくるという光景を目にします。渓流沿いの滑り易いコースや吊橋の上で暴れたらどうなるんだろうっと想像したら恐くなりました。昨日も建長寺の境内で犬を3頭引き連れて歩いていました。七色いんこというか手塚作品:近年の鉄腕アトム(アストロ・ボーイ)では爆弾魔として登場しました。そう言えば、この「日本の国土」という台詞はこの作品(七色いんこ)以外見たことない気がします。息子が世界史でゲシュタポについて学んだようで日本でもそういうのがあったのかと聞かれたので、「アドルフに告ぐ」を読めばハム・エッグが特高で登場すると教えてやりました。オーロラ号:赤堀さま、はじめまして。ホームページの方拝見しました。学習研究社の「ソヴィエト赤軍興亡史V」に掲載された潜水艦はウラジオにあったんですねぇ。オーロラ号は20年前の訪ソで見学しました。この艦は日本海海戦で生き残ったというより、出撃に出遅れてペテルブルグ(その頃はペテログラードかな?)に残ったとも言われています。砲撃で門を破った話も革命の映画での話とも言われているようですね。現在、川崎にモスクワで知り合った友達の弟がいるのですが、彼の部屋には日本版の日本地図が貼ってあり、北方四島の国境線がこの地図通り正しい、いやここが正しいと言い合ったことがありました。あっそのモスクワの友人達のオフィスには、ビックカメラで配った日本地図のカレンダーが貼ってあります。彼らは国境線をどう見てるんだろう...書き直してはいなかったと思いました。Пока
ウラジヴォストークなどの写真を含むホームページをご紹介します。他にも、日本近代史関連の著書なども紹介しております。URLは http://akabori.web.infoseek.co.jp/ です。ここには、その内の一枚、日露戦争の日本海海戦で生き残ったロシア戦艦オーロラ号を添付します。赤堀 篤良
画 像 : 戦艦オーロラ号 -(101 KB)
金井さま、カゼはいかがですか。早くなおってください。ファンより。今日は朝食のあとまた2時間寝ました。いま起きたとこという怠惰なスタートです。12時15分に迎えのクルマがくるので、紀尾井町にいって友達とヒマな会食。休日の楽しみの一つですね。編集者も何も行ってこないので、4回目のNGはなくてあれで通ったらしい。完ぺき主義者の編集者に4回書き直しさせられました。でも敵もあっぱれ、よく見てる。褒めてとらす。
無事帰ってまいりました。あー、疲れたぴー。>中部山岳地帯: 南アルプス赤石岳の西方に大鹿村という山村があります。そこに一軒家の温泉宿(露天風呂がすばらしい!)があり、そこへバァ様たちを連れて行って来ました。一泊後、今日の朝早くに出立、急ぎ向かったのがその宿からクルマで一時間ほど林道をエッチラオッチラ登りつめたところにある、陣馬形山(じんばがたやま)というピーク。ここからは、目の前(西側)遥か下方に、伊那谷の底で天竜川がのた打ち回って蛇行する様や、その向こうには空木岳念丈岳を正面に、中央アルプスの連峰が屏風のように立ちはだかる様子が、また後ろ(東側)を振り返ると、北岳間ノ岳農鳥岳が、その少し南方に荒川岳赤石岳などの南アルプスの峰々が、それぞれに冠雪を白く輝かせて眺望できる最高の場所なんです。光線の加減で朝早くに行った方が、山々がきれいに見えるのです。 天気予報は見事にはずれて、雲ひとつない快晴でした。寒かったんですが、撮りまくりました、といっても十数カットですけど(それ以上は寒さをガマンできませんでした)。結果が楽しみです。 また山容が本当に神々しく、連れて行った人全て、大満足してくれたようで、よかった。イナゴもソバも、鹿の刺身も、食べ物みーんな美味しかったです!。 >風邪ひいて、家でウデウデしています。 大変ですね、大丈夫ですか。僕は風邪を引いたらとりあえず、喰って喰って喰いまくります。そして寝る。酒は呑みません。ひたすら喰って、そしてひたすら寝る、という感じです。あと、症状に応じて市販の売薬をテキトーに飲みます。でもインフルエンザ系のやつは、すぐさま病院行きです。シロートではどうしようもありません。ま、お大事にしてください。因みに手洗いとうがいは、実に有効らしいですよ。イソジン系統のうがい薬は、よく原液のまま消毒薬として外傷に使っています。便利です。人にはおすすめしませんが。
ウヨクはMasyaさまのインコじゃなくて七色インコのほうですか。ぼくはMasyaさまが飼っておられるのだと早合点してしまいました。原稿書きが一段落でほっとしています。あしたは友達と三人で紀尾井町で会食。水曜は原稿仕上げで送稿。金曜日はプレゼンテーション。土曜日はかなちゃんと会う予定。レナちゃんの展覧会に行くのを忘れてました。ヤバ。日本カメラはイラスト予定通りの上がりでまあまあ。よい勤労感謝の日を、みなさま。
Masyaさまのいんこはウヨクなのですね。日本の国土。という言葉をしゃべるのはめずらしい。焼鳥やの隣で『小鳥はみんなお友達』と言わせて裁判になったのがありましたが、このペットショップはもと焼鳥やで、隣の焼鳥やにつぶされてその復讐にペットやになってそういう言葉を言わせたのです。さいばんの行方がどうなったかは知りません。紅葉はきれいです。黄色いのがまじってるのもキレイ。花札の鹿が描いてあるのも好きです。
順調に仕事が片付いて、明日も天気は良さそう。WEBで鎌倉の紅葉ガイドを見ると見頃。体調も万全。(昨日は足が痛かったけど今は大丈夫)紅葉も光の加減でくすんだ赤に見えたりしますが裏側から透かして見るようにすると綺麗です。養分の問題なのか今の所見るのは濃いィ赤ばかりですね。(ん、曇りの時が結構綺麗に撮れると聞いたことがありますが、濃すぎるんじゃないかなぁ)息子が期末試験が近いので一緒に撮りに行けないのが残念ですが、一人気ままに撮ることができます。いんこ:驚いた時などに、「日本の国土」と言ったりします。訳わからんです。では、よい勤労感謝の日を!
紅葉: 今年は遅いですよね。こういう年はあまり奇麗に紅葉しないことが多いのだけれど、どんなモンでしょう。手塚治虫: 「七色インコ」と北方領土と、どういう関係が有るのかは知らないのですが、北方領土の日が制定されたのは1981年でした。「七色インコ」はこの頃の政治情勢を意識しているのかも知れません。>1970年代までは「北方領土」のほかに「南千島」も使われていた 1980年ごろから、もっぱら「北方領土」の用語が使われているように感じています。記念日: 2月7日:北方領土の日 2月8日:日露戦争勃発 2月9日:手塚治虫死去 2月10日:日露戦争開戦 2月11日:紀元節
ばっかりで、ヒマがありません。あいまに何かしようと思っても、洗濯物取り込んだり〈奥さんはマージャンに行ってる〉セールスの電話に出たりで、何もできない。天気はいいというのに。何かのバチがあたっているのだろうか。、
Привет土曜日は息子に付き合って松戸でガンダム映画、松戸で待ち合わせることができれば午前中に本土寺の紅葉の様子を確認したかったです。ウェブで確認してももう少しという所です。っで、日曜は課題等で忙しいというから自転車で六義園へ。ライトアップが始まったからといってもまだまだ緑のモミジが沢山です。あと2週間くらいかなぁ...カメラはЗенит312m+Юпитер9/Индустар50-2にМосква2でした。天気が良かったから歩こう会などの行列にぶつかったりで走り難かったです。旧古河邸にも近いので両方見ようとする人も多くて...初めて六義園の入場で並びました。っで、相変わらず狭い通路で三脚を...通行を妨げての記念写真...カンベンしてよ...先週の奥多摩で撮った写真が出来上がったいたのですが、高い所から渓谷を見下ろして撮ると影が写ってしまって、画面下がよく分からない。この時Мир20を使ったのですが広い範囲を写そうと欲張ったのが失敗。同じ位置からМосква2で撮った方が綺麗でした。吾妻渓谷で撮った時もいい出来だと思いました。(家内は古臭い絵葉書のようだと言ってましたが) やっぱりМоскваはいいなぁ。第一世代AF:確かに重いし、大きくて煩いですね。今の同等の性能(っというか絶対にそれ以上)を持った一眼の方が大きくても軽くて静かですね。その奥多摩ではМир20をニコンFM+MD-12に付けていました。2kg以上になるんじゃないかな。Зенит312mはそれほど大きくなく(ペンタMXやMEスーパーより大きいかな)、軽い(ボディのみ)のですがシャッター音(ミラーの音か)が大きいですね。(比較しちゃダメだって)マルコ:おおっ名作劇場、母をたずねて三千てちてち、ってそれは「とっとこハム太郎」!領土というか国土:手塚治虫の「七色いんこ」という漫画のなかでやたらと"日本の国土"って出てきます。連載当時(恐らく1970年代後半)読んでいて、その頃何かあったような気がするのですが思い出せません。Пока