Return




風雨つよいです お名前: telefunkenさん [2004/10/09] No.2800
落書き
落書きするやつは、顔に消えないペンキで落書きして外をあるかせたい。
ネコ
ちょっと安心しました。スズメやハトは高速道路の下とかありますよね。台風でも大丈夫だろうか。
シャラポワ
大好きです。カッコイイ。


雨が激しく降っています お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/09] No.2799
落書き:
 近所の落書きはスプレーペイントの黒が多いようです。汚らしい。落書きは地元の不良少年たちではないかと思います。
 昨日、近所の中学生が、パトカーに乗せられていました。「ひったくり」でもしたのかなー。子供とは面識は無いのですが、校章入り体操服を着ていたので、近所の中学生に間違いないと思います。パトカーに乗せられる前にワイシャツに着替えさせられていました。パトカーの乗り心地やいかに。

雨の日の猫:
 猫は俊敏だから、都会では寝る場所には事欠かないでしょう。マンションだと、非常階段の下の隙間とか、猫の場所があります。ロシアのストリートチルドレンはたいへんだろうけれど、日本の猫が都会で生きていくのは、たやすいいよです。
 スズメやハトはどこにいるのでしょう。スズメやハトには、お友達がいないのでわかりません。

シャラポワ:
 台風情報で、テレビ中継がなくなってしまった。圧勝で優勝ですね。


訂正 お名前: telefunkenさん [2004/10/09] No.2798
簿偉人はミスタッチ。美人が正しいです。


判らん お名前: telefunkenさん [2004/10/09] No.2797
露光計カバー、おそらく金井様お書きのすべてが当てはまると思います。コンタックスIIIは35ミリカメラに最初に露光計を組み込んだコンタフレックス(1935)の翌年に発表され、まだセレン露光計についての使用経験が不足している時期のものです。コンタフレックスの露光計も蓋がついています。
そのころはこうしたほうが良いと思っていたのでしょう。
その後使い続けているとだんだんワカッテ着て、無くても良いということになってのではないでしょうか。おなじZeiss Ikonのカメラでもその後はふたをつけていません。
道があるのに過疎化が進む
うーむ。判らん。おそれいりました。
ヒトダマ
実はぼくはヒトダマが好きで、見たいと思っているものです。
美人
シャラポワさんは簿偉人だと思いますが、カバエワさんは微妙
東山仁王門
おなじ場所で安心しました。そうですか。裏通りには商店街が。知っていればそこへ行けたのに。暑い暑い夏の日(命日というのはどういうわけか夏が多い)を電車道をうろうろしました。
ぼくは落書きは怨恨アートと位置づけています。都会に拒絶されているウラミにまじって、きれいな場所を自分のいる場所と同程度まで汚してやろうという動機もまじっている。住宅の塀は特にそうだと思います。もともと汚いガード下の落書きはわりとアートっぽくて、そういう動機は薄く、純粋な表現欲の発露だと思う。落書き常習者の住環境はおそらく最低のところでしょう。部屋のなかもメチャクチャ。万年床にゴミのやま。さいきんぼくの部屋も本の山で、大きなことは言えない。


休日出勤ヤル気ナシ。 お名前: かぱまんさん [2004/10/09] No.2796
露光計カバー:
 光からの保護、という意味合いじゃなくて、高感度域、低感度域の使い分けで、小さな穴や細いスリットのあいたふたがありましたね。あと、半透過性の白っぽいふたをつけると、入射光式のメーターに変身するものとか。
シャラポワさん・カバエワさん:
 美人ですよね、全く。新体操のテレビを見ていると、うちのヨメ様は「これはズルい。フェアじゃない!」と怒ります。日本人の体型骨格はこのような競技に甚だ不向きですね。いくら頑張っても、所詮ジャッジも人の子、きれいな方にたなびきましょう。
台風、そちらの方が直撃ですが、くれぐれもお気をつけ下さい。


雨やんでいます、ほとんど無風 お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/09] No.2795
露光計カバー:
 光を当て続けていると、セレンの寿命が短くなるのか、メーターに電流が流れっぱなしなのが良くないのか、針が振れたままだとバネの寿命が短くなるのか。受光窓のプラスチックが光に当たると変色するのか。
 不思議なのは、その後のセレンメーターには蓋が無い事です。
 私の場合、カメラは箱にしまいっぱなしなので、蓋があっても無くても関係ないのですが。

ヒトダマ:
 ヒトダマが出なくなったのは土葬が無くなったからでしょうか。夜も街灯で明るいからという理由ではつまらない。
 
>道路を作れば人が住むようになるのだ
 私の故郷には中仙道、旧国道18号、国道18号(バイパス)、上信越自動車道と主要道が通っています。高速道のインターもあります。なのに、過疎化がどんどん進む。江戸時代、中仙道は百姓に賦役を与え、ヤクザと女郎を運んできました。戦後は、トラック輸送のディーゼル排ガスをもたらしました。バイパスができてからは、一瞬で通り抜けるようになりました。だれが考えても、必要で重要な道路ですが、人が住まなくなっています。
 以上、過疎地出身者の意見でした。

美人:
 テニスのAIGオープンでは、シャラポワさんが格の違いを見せ付けて決勝進出を果たしました。シャラポワさんは、どこと無くアジアっぽい顔してますね。美人と思うか、あまり美人で無いと思うか、判断が別れるのですね。
 新体操カバエワさんは今季限りで引退だそうです。カバエワさんは、中央アジア人の顔をしていますね。カバエワさんは美人かどうか、これも判断が分かれますよね、きっと。
 シャラポワさん・カバエワさん、美人だと思いますか? 私はどちらも美人だと思います。


たしかにお店はないですね。 お名前: かぱまんさん [2004/10/09] No.2794
 telefunken 様、いいえ同じ場所を申しておりますよ。その市電が通る(当然今はもう廃止されてますが)だだっ広い通りが東山通りで、東山仁王門の停留所から少し下がったところの小さな交差点が、仁王門通りの入口です。そこから西向きに、通りが続いていきます。商店街というようなものでもなく、寺町のはずれ、といったさびれた雰囲気です。
 確かに京都は落書きが少ないかも。でも全くないわけではありません。近隣の大阪や奈良などに較べると、やや少ないか、といったところですし、新京極など繁華街に行けば、やはり、です。彼らは恨みから書いているのでしょうか。自分ではアートしてると思い込んでいるんだと考えていましたが。


東山 お名前: telefunkenさん [2004/10/09] No.2793
仁王門でぼくが覚えているのは、岡崎の観世会館からでてきただだっ広い市電の通っている道で、東山仁王門の停留所があり、その近くのお寺で、お供え物を買おうとしても近所にお店がまったくなく、困った記憶があります。かぱまんさまのお話では商店街とありますから、ぼくの記憶違いか、違う場所なのか、ナゾです。蓮華谷というのは、また気がつけばお教えください。
こないだ祇園祭の山鉾を見たとき、いつものように京都ホテルの二階からだったのですが、そのときホテルオークラの名前に変わっているのに気がつきました今年は嵯峨の家からタクシーが現場近くまで行けませんでしたので、堀川とおりを少し歩きました。ウチの近くにイタリア料理店ができてました。午前二時までの若者向けの店です。
そういえば京都の街でグラフィティというか、落書きを見たことがありません。若者が行儀委員でしょうね。東京と違って、地方から出てきて屈折してる少年とかがあまりいないので、おとなしいのでしょう。落書きの犯人はほとんどが地方出身者だという話を聞きました。自分たちに冷たい東京にウラミがあるんですね。


へんに平和な朝。 お名前: かぱまんさん [2004/10/09] No.2792
 蓮華谷。う〜ん、どこかで聞くか見るかした事があるような、ないような。ちょっと思い出せません、調べておきましょう。でも京都というところは、東と西と北のはずれなら、極端な話、どこを掘っても人骨が出るはずですんで、たぶんそれら周縁部なのでしょうね。レンゲというからには、何やら東の方っぽいですが。
 東山仁王門といえば、鴨川の東岸、東山二条のちょっと下がった(南にズレる事を「下がる」といいます)ところにある東西方向の小さな通りですよね。小さな商店が軒を列ね、お寺も多いです。カメラ散歩のお気に入りコースのひとつです。その中に、妙雲院でしたか、正確なところは忘れてますが、墓地があって、そこの無縁仏さんがズラリと並んで壮観です。天保か亨保か何かの、かなり古い年号の墓碑を見つけてビックリしたの、憶えてます。またそこにある卒塔婆越しに、悪評高かった京都ホテルが見通せて、それが何やらでっかい墓碑に見えて、実にフォトジェニックです。
 お墓といえば、ヨメ様の実家のお墓が、五条の大谷祖廟にあります。小さな谷地形一面に卒塔婆、墓碑が犇めき合って立ち並び、またその光景を俯瞰できる場所もちゃんと用意されていて、実によく出来た宗教施設です。ここからずっと北の方に歩いていって、黒谷さんとか行かれるのがカメラ散歩にはよろしいかと思います。
 


植物 お名前: telefunkenさん [2004/10/08] No.2791
東京ビッグサイトである東京国際フラワーExpoに14日から16日まで通訳にやとわれて出演(?)します。この手の仕事はバーゼルの時計市に続いて二回目。
雨が降るとき、ノラ猫はどうしているのだろう。それにスズメやハトは。どこかに隠れているのだろうか。
21日は信州に行きます。カメラマンの女の子(形容矛盾)を連れて取材の旅。
かぱまんさまは京都の蓮華谷という場所をご存知ですか。火葬場があったところらしいのですが、だいたいどの辺りなのでしょう。
ぼくは京都にゆくと先祖の墓の代表的なところ二箇所ぐらいゆくのですが、ほかは数が多いのでとても回りきれない。そういえば東山仁王門の寺もさいきんまったく行ってない。
ヒトダマを見たという話をむかしはよく聞きました。さいきんはまったく。もし見たら次の歌を唱えるのだそうです。
『ひとだまやわれはそれとはしらねどもみだれそめたるしたまえのつま』これはしらないうちに下前の褄が乱れていたというだけの内容ですから、ヒトダマヤという上の句に合わない。したがって意味もわからない。
お寺関係でもうひとつ。
『ひそみきて誰がうつ鐘ぞ小夜ふけて仏も夢に入りたまふ頃』誰がはタガ、小夜はサヨと読みます。
あとおめでたいとこでは初夢を見る1月2日の夜に枕の下に敷いて寝る歌。
『なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな』
『長き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな』
ぼくはこの歌、おめでたいというよりはなんだかソラ恐ろしい。あの世で目がさめた、みたいな感じがする。



クロネコ お名前: telefunkenさん [2004/10/08] No.2790
きょう大学病院の生協で黒猫キャラメルというのを見かけたので、さっそく買いました。でも買ってからよくみたら、黒糖キャラメルでした。
世田谷は雨です。風雨強かるべし、というのが中野重治にありました。
かぱまんさんはマックですか。ぼくは使ったことがないです。
さいきん目が疲れているらしく、こないだスポーツクラブ付属の温泉のマッサージ室で足の裏をマッサージしてもらった人に言われました。足の裏でわかるとが恐ろしい。
昨日は膀胱を知らないやつともう一人と道路のことで論争。ぼくは道路は文明の基本だからムダな道路などないと主張。やつらは人のあまりいないところに道路を作ってもムダ。道路を作れば人が住むようになるのだ、というのがぼくの主張。河のそばに文明が発生するのと同じだ。膀胱も知らないヤツが何をいうか。



あれ? お名前: かぱまんさん [2004/10/08] No.2789
 マックで打ったら文字化けしてますね。前文上から3段落目の中、
「京都大賞典(GU、当日11レース目)」が正解です。失礼しました。
 


だんだんこっちにきよる。 お名前: かぱまんさん [2004/10/08] No.2788
 ひまわり、といえばソフィア・ローレンの映画を思い出しました。彼女も光景も、きれいやったー。
 セレンの受光部は、保管時はやっぱり光が入らないように、フタをしておいた方が良いのでしょうか。前から一度お聞きしたかった事のひとつでありました。
 それはそうと、あんまり関係ないのですが、十月十日に京都競馬場で行われる「京都大賞典(G・、当日11レース目)」というレースに、レニングラードという名前の馬が出走します。騎手は福永祐一。興味ある方は馬券お買い上げを。
 
 


では… お名前: hirob_pさん [2004/10/08] No.2787
良い週末を!
でも今週は休みが無さそう…。


ひまわり お名前: telefunkenさん [2004/10/08] No.2786
といえばファン・ホッホじゃなくてやっぱ中原淳一でしょう。Masyaさま大正解。
クルマはいっぺんに出しすぎてあとがーーー。
ではよい週末を!!!


また台風が... お名前: Масяさん [2004/10/08] No.2785
Привет
セミナーが終わってやっと書き込めますが今日は何とも...

露出計:
Киевの露出計は全て稼動オます。撮る時は大抵カバーを開きっ放しですね。持ち歩いているときもうっかり。

ひまわり:
中原淳一?っと思うのはちょっと異常かな?

クルマ:
う〜ん、アメ車で来たかぁ...英国車もあるけど...ボルクバルトはどうだったか...どうやって調べようかなぁ...
アメ車はナッシュ・メトロポリタンが好きです。

バラ園も30%くらいで、ばらフェスティバルも開催されつつあり、コスモスも徐々に...それなのに台風が...撮れない...
でも、よい週末を!
Пока


お名前:みらんぢさん [2004/10/07] No.2784
あ、またやってしまいました。すいません。
広告はどうぞ削除してください。(広告主はわたしじゃないですよ)


ひまわり  のタネ のスナック菓子を お名前: みらんぢさん [2004/10/07] No.2783
セレンの寿命というのは良く聞きますが
どうなんでしょうね?
むき出しのものも多い、ほとんどむき出しですね。
コンタックスのように蓋があるものがむしろ珍しいのでは?

このキエフはよく判らないですねえ。ずーっと謎です。
OLD SOVIET・・・氏とも「なんの意味があるのか?」頭を傾げてしまいました。
整理中にふと出てきたので写真を撮り直してみましたが
ミロスさんにメイルで送ってみようかと思っています。

で、
ひまわりの種スナックを輸入していたのは
アントニオ猪木でした。


ぽえー お名前: telefunkenさん [2004/10/07] No.2782
かなちゃんは自己反省のために、毎年年末になるとバカ鳥のミニチュアを出し、それを見つめて反省します。このバカ鳥はポエーと鳴くので、ぼくはこれにポエニクスという名をつけました。ポエニクス騎士団というのもあるかも。
英語のknightとドイツ語のknechtはおなじ言葉のは図ですか、騎士としもべですからかなり違いますね。でも騎士も貴婦人に対するしもべみたいなもんだからドイツ語のほうが本質を着いている。ドイツ語の騎士はRitterで、der fahrende Ritterは遍歴の騎士です。StuttgartにSchwaben Ritterというウデのいい仕立て屋があって、よく服を作らせました。ちなみにイギリスでは仕立て屋はポンドじゃなくてギニーで払うんです。1ポンドは20シリングですが1ギニーは21シリング、つまり5%アップなんです。あと弁護士の支払がギニーですね。5%のチップ込みという意味でしょうか。1シリング銀貨はボブといって、ボブつまり巡査へのチップはこれでした。
ぼくのいたころのドイツの給仕はチップだけでの生活です。店からメニューの値段で仕切って客に売るのです。つまりメニューには彼の仕入れ値がかいてあるのです。ですから少ないとハッキリ文句を言います。ちょっとしたカフェには旧字女もいますが、これは昔のバスの車掌のようなかばんを前に下げています。あとキャバレー(ドイツが本場だって)の葉巻・シガレット売りのかわいい女の子。ライザ・ミネリみたいな深い青い目で見つめられるとつい買ってしまう。ぼくはそのころホン王子というあだ名なので、友達が面白がってプリンツ・ホンと呼ぶ。女の子は東洋のプリンスだと思ってかがんで会釈をする。それを苦しゅうないぞ、おもてをあげい。うーむ、美しきそちの名は、とか芝居がかりのセリフでうっとりさせるんです.ホンというのはレハールのオペレッタの『微笑みの国』の主役のスー・ホン王子なんです。いやはや。


露光計カバー お名前: telefunkenさん [2004/10/07] No.2781
そしていま思いついたのですが、ContaxIIIの場合、窓があいているといつも針が振れている状態になります。つまりメーターに電流がながれっぱなしになるわけで、休止状態があったほうがメーターにも良いのではないでしょうか。

ツンデルビルド、チュリスレル、スツデバケル、うーん、うーん、思いつかない。あっ、スンベアム。


Contax III お名前: telefunkenさん [2004/10/07] No.2780
露光計の蓋(西洋棺桶みたいな縁取りがついている)は、ぼくの推測ではおそらくセレン光電池の寿命を延ばすためと考えられます。竹の塚(Masyaさま、歌劇団ではありません)の某カメラ店では、蓋のないやつはアルミ箔で覆ってありました。理由を聞いたら、上のような答えでした。でも確かめたわけではありません。
みらんぢさまの写真、凄く気になります。創作モノでしょうか。
ドイツの女性作家から手紙が来たのですが、上部ロシヤ(直訳)のことを書いているそうです。ペテルスブルク、ノヴゴロド、ドニエプル、ウクライナ、クリムなど、いわゆるプロストル(意味不明、ロシヤ語?)のことを書いたもので、歴史や起源などに触れているそうです。
ヴァウクスハル、チェヴロレット、ドドゲ、プリモウトーーーあと考えときます。ミットスビシ、リンコルン・ゼピル(明治読み?)
ところでBorgwald HansaというのはAuto Unionにはいったんでしたっけ。
今日は膀胱を知らないやつと会食。さんざんイジメておきました。


*** お名前: *** [2004/10/07] No.2779
(この投稿は削除しました)


気になる お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/07] No.2778
露出計のカバー:
 みらんぢ さま、気になります。これは、Kiev-10なのでしょうか。Kiev-11の露出計窓はサイドにあって、カバーは無かったようだったし。Kiev-15はTTL等なので、 雰囲気違うし。。。

 ところで、Contax-3(Kiev-3)などに付いている、露出計のカバーは何のためにあるのでしょう。光があたると何か困ることでも有って、通常は遮光するのでしょうか。

一部投稿を削除しました:
 広告の投稿を削除しました。すみません、みらんぢ さんのOEM以下の文章が意味不明になってしまいました。No.2773は、OEMサイトの宣伝だったのです。


仏車を語りたいが... お名前: Масяさん [2004/10/07] No.2777
Привет
仏車名を英語読みでいこうとするとダメだ...残っているのはシトロエン(面白くない)、プジョー(前に出た)とか、誰も知らないようなマイナーなものになる...でも面白い読み方にはならない。
昔、知り合いがマトラ・ムレーナを持っていました。パーツの供給に問題があり手放したようでした。

パナール:
パナール・システムは以前話題になりましたが、PL17...よくイベントで見かける茶色いパナールって17じゃなかったかなぁ...

軍装品:
昔から好きで、よくアメ横に行きました。今でも行きますが。最近ではロシアものも多少入るようですが、旧東独モノは在庫が尽きかけているんじゃないかなぁ?私時々海軍用のブレザー着て出勤します。これが何と1500円。
アカスの代わりに着るコートがスェーデン海軍のものです。昔に比べると鍵十字モンがなくなったなぁ...ここで売っている近衛師団のTシャツが欲しかったんだぁ。
最近、モスクワのワレリーのお母ちゃんの家の近所にミリタリーショップを見つけたのですがとても面白いお店です。よくカメラを撮るときバックに使う国旗はここで買いました。またカメラバッグに付けているロシアの紋章もココで買いましたって誰もコレは知らないんだ。
渋谷のお店もなくなっちゃったようで...あそこ大戦中のホンモノがあったようでした。

Киев:
昨夜久しぶりに4Mを触っていました...えっ!! 10の露出計にカバーって!?

ファッション:
クルマ関係だったら...馬が跳ねているのに弱いです。っがカメラ関係だとどーかなぁ...ニコンのウェア類を想像してしまいます。今КМЗのアイロンプリントを考えていたところです。

地震:
23:40だとは思わず、もっと遅いかと思ってました。最近気配を察するのか、地震が発生する直前に目が覚めます。

また、ちょっと社内でセミナーが始まりますので。

Пока


一部投稿を削除しました お名前: 管理人さん [2004/10/07] No.2776
本掲示板の目的とあまりにもかけ離れた宣伝広告が続いたので、いくつかの投稿を削除しました。削除に関する、苦情、質問等は管理人あてMailでお願いします。


ぱんはーど お名前: みらんぢさん [2004/10/07] No.2775
東京ではわりと強い揺れでしたね。
はじめに音がしたのはビックリしました、地鳴りとは違いそうですが
こりゃかなわん、と改めて自然に敬意と脅威。

友だちがパナールのPL17を持っています。持っていますと言うのはもう乗っていないからですが
車検はいつでも取れそうなので、気が向いたらまた乗れるかも知れません。

ところで
OEMとはタイムリーなお誘いですね。
ZeissのOEMでファッションやコスメ関連に進出したらどうだろう?
そうですねえ、例えばZeissのコロンなどふりかけて見たいですかなあ。
画 像 : 透明化してしまってちょっと失敗-(12 KB)


れなうると お名前: telefunkenさん [2004/10/06] No.2774
が好きな友達がいて、ルノークラブというのを作っていたのですが、最近飽きて車を売ってしまいました。早く言えばぼくが買ったのに。でもマイバッハを夢想しながられなうるとに乗るのはあまりにミジメか。うちのアパートの次の棟にはヒルマンミンクスのマニアがいて、完全レストアで乗っていましたが最近引越し。クルマ欲しいなア。サンビーム・アルピーヌでザンクト・ゴットハルトを超えた時の思い出がいちばん強烈,ずずずと滑るアイスバーン。結氷して動かなくなるワイパー。ニクロム線はいってるし熱風送ってるのにダメでしたねえ。ああーーまたドイツへ行きたい、いや、Masyaさまふうに言えば帰りたい。Tuebingenから支線にのって、Hechingen, Sigmaringenを通り、Donaueschingenに行きたい。ここはドナウの源流なんです。ドナウのささやきが聞こえるんです。弦のトレモロにトライアングルがチーン、チーンと入る感じ。モルダウの感じとは違う、モルダウは短調ですがドナウは長調です。
Julius FucikのDonausagenドナウ物語のCD,ついにドイツの通販で見つけて買いましたが、期待通りの名曲。Fucikはオーストリア・ハンガリー二重帝国のころのブダペスト連隊(第37連隊)の軍学長でなかなか才能あったと思います。たしかドナウ河の漣を作曲したイヴァノヴィッチと友達だったとか。
ぼくの夢はこのころのハンガリーに生まれて士官学校へ行って軍人になることでした。あのへんの軍服ってちょーカッコイイんです。ドイツの龍騎兵は短いケープを片方の肩にはおってドクロのマークの軍帽ですし、ハンガリーは角帽のひさし付きですね。軍服のデザインはヨーロッパ各国では一流のデザイナーにやらせたので、男がいちばんかっこよく見えるはずなんです。有名で古いのはミケランジェロが作った法王庁の衛兵の制服。あれはスイス人に限っているんですが。
あと立派なのはイタリアの憲兵で、190c以上容姿端麗をそろえています。
ロンドンのキングズロードではロッカー御用達のミリタリー衣装なんでもそろってて、ナチスのホンモノの突撃隊の軍服とかあります。ぼくはここでナチの党員バッジ(ほんもの)を買いました。パーティーのときなどはだいたい佩用してゆきます。あとモノーケル(片メガネ ルパンみたいなヤツ)も持ってますから、これでスーツだと高級党員に変貌できます。帝都物語の加藤保徳はドイツ語が堪能らしいから、そのキャラでコスプレしたい。コスプレの党大会とか無いのかな、日本には。


*** お名前: ***さん [2004/10/06] No.2773
この投稿は削除しました


朝日新聞 お名前: telefunkenさん [2004/10/06] No.2772
金井さま、お久しぶりです。引用された社説をぼくも読んでいましたが、テロリストを擁護して、ロシヤとかアメリカとかの大国を叩くという基本姿勢は変わっていません。コレで強きをくじき弱きをたすけたつもりなんです。南進政策というのは、世界の火薬庫といわれた戦前のバルカン半島で、『ソビエトの南進政策』とドイツの東進政策が衝突して、『死の十字』(トーテス・クロイツ)を描くとした、朝日などを代表とするチープ・ジャーナリズム(当時は改造などという朝日と似たような論調の月刊誌もありました)の常套句で、いまだにおなじ文句を使っているだけです。
居住可能地区のーー
ナルホド、お説の通り。


お久しぶりです お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/06] No.2771
お久しぶりです。
ちょっと外出がちでした。昨日は、名古屋。名古屋駅に「なごやん」売っていました。買わなかった。

>日本列島居住不可能地区開発による内需拡大…を主張したら 
 あまり、自然破壊は賛成しかねるのですが。そんな事より、私の故郷は、居住可能地区のはずなのに、人口減少に歯止めがかからない。老人クラブの協力がないと、小学校運動会の間が持たないそうです。日本列島居住可能地区開発が急務?

>天下のZeissともあろうものが、ダラクしおって。ばかめ。
 以前も書きましたが、ソニーの広報に「ソニーのカメラについているCarl Zeissとはどういう意味ですか」と問い合わせたところ、「Carl Zeiss認定工場で製造されたレンズをソニーが購入している」とのことでした。Zeiss Ikonのカメラも、Zeiss Ikon基準に合格・認定した工場で作られ、Zeiss Ikonに名義料を支払ったカメラ、というだけの意味しかないのでしょう。カメラには堕落も馬鹿もない。Zeiss Ikonカメラ使用者の問題。以上、つまらない平凡な意見でした。

ウラジカフカスの語源:
 がどうであれ、チェチェンゲリラを支持する論拠にならない事は言うまでも有りません。ウラジオストックの語源がどうであっても、日本の軍備を増強する論拠にならないのも同じことです。こういう主張が嫌いです。

朝日新聞の社説はこのように書いてありました。
『首都のウラジカフカスが「カフカスを征服せよ」を意味するように、この一帯はロシア帝国以来の南進政策における要衝である。プーチン大統領は、チェチェンで軍や治安部隊を大量動員して独立派勢力を掃討する強硬策を取り続けてきた。それが憎悪と報復を生む悪循環となり、現在の事態につながったのは明らかだ。 』
 ウラジカフカスの語源と反プ-チンが直接に結びついているわけでは有りません。
 『ロシア帝国以来の南進政策』の『以来』も疑問です。ロシア帝国末期に比べ、南部の領土が拡大した事はありませんでした。ロシアの領土は随分小さくなってしまった。独立アルメニアは、アララト山をいまだに回復できていない。

>不思議と24あるいは27枚ばかり、何で36枚撮りをくれないんだろう...
 最近、24あるいは27枚ばかり使っています。1枚当たりフィルム単価が36枚撮りより安いのです。なぜだろう。


英語 お名前: telefunkenさん [2004/10/06] No.2770
Zeiss Ikonの件はナメられてるのですか。かぱまんさま。ナルホド。そういえばそんな気が。
Masyaさま。知り合いに小田島雄志さんがいますが、ぼくはシェークスピア読んでも判りません。英語ほど難しいハンパな言葉は無い。英語はbastardized Frenchにすぎないとイギリス人に言ったらムッとしてました。でもその通りなのです。ノルマン人にやられてから、本来の英語(ドイツ語のいとこ)の上にフランス語がかぶさってあとはメチャクチャ。植民地を持ちすぎたバツだ。


えーご お名前: Масяさん [2004/10/06] No.2769
Привет
英国からのエンジニアの来日で今週は英語に苦しめられています。
ホント、えーごって合理的にできているようだから逆に難しいんです。
そんなんだから文学に向かない言語だと思っています。シェークスピアなんてどうなんだろう。
日本語訳でさえも読んだことがありませんが、私の卒論を引き受けて下さった教授はシェークスピア翻訳の第一人者の息子でした。
ブライアン・フェリィがシェークスピアには二重の意味がある。共通して言えることは英語の素晴らしさだっと言ってましたが、何となく言いたいことは分かるきがします。

今エンジニアが来ていると書きましたが、最初に接した年寄り連中の態度を見ると、向こうからナメられるのも無理ないなぁという気になります。

Пока


*** お名前: ***さん [2004/10/06] No.2768
この投稿は削除しました


お名前:かぱまんさん [2004/10/06] No.2767
>Zeiss Ikonのカメラ、限定版で特殊な刻印入りの予約募集中。けしからん。そんなことはライカのような中小企業がやることじゃ。天下のZeissともあろうものが、ダラクしおって。ばかめ。
 御意。でもそれはツァイス(とコシナ自身の経験もフィードバックしてるのかな)なりのマーケティング調査による「最適な商売方法」、と結論づけてのその結果なのでしょうから、結局我々客筋がナメられてるという事でしょうか。


カント お名前: telefunkenさん [2004/10/05] No.2766
はお説のようにボケ老人みたいにアレソレが多くてなんべん読んでも判りません。日本語で読むともっとわかりませんが、英訳はイケルとききました。あと英語のマンガもあったみたい。このマンガ本はスグレモンでフロイトとかマルクスとかいろいろありますが、難解をもって鳴るラカンがこれでみるとスラスラわかります。いまちょっと出てこないので版元とかわかりませんがお勧め。ぼくが判りにくいのはジャン・ボードリヤール、ジャック・ラカン、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコーなどで、サルトルがあんなにわかりやすいのにお前らは何だ、吉本隆明以上の悪文だぞといいたくなる。ポール・ヴァレリーの明晰さの伝統があるのに、あいつらはフランスの恥だ。
英語でジェンダーが擦り切れてるのは驚異で、あんなもんでよくわかるな、と思います。意味が擦り切れて文法的な機能だけになる(たとえばwillが'llになる)過程をなんとか言うらしいですが、英語はいまに全部すりきれちゃってあああとかうううとかだけになる(まさか)
シェリングとはシブイ。尊敬します!
今日はバーゼルで仕事した仲間と紀尾井町で会食。帰り新宿で凄い渋滞。明日も外出、あさってがまた紀尾井町で会食。うーむ、なんとかこういうとこから脱出せねば。ダビドフの売店で金属製のシガレットケースを購入。戦前はみなこれでした。そういえばかなちゃんのキューバ土産は葉巻のはず。最高級品を買うように頼んである(その分お餞別をはずんだ)から、いまから楽しみ。シガーカッターを買うかどうか、思案ちゅう。ダビドフのはいいけど高い。こんな値段なら立派なライカ用レンズが買える。でも欲しい。キザな手つきで切って見たい。祖父のがどっかにあるはずだが、出てきても19世紀の遺物だからもう古い。あたらしき葉巻は新しきカッターにて切れ。マタイ伝。
Davidoffといえば、紙巻発売のときものすごく期待したけど、あんまりいいものは出なかった。
Zeiss Ikonのカメラ、限定版で特殊な刻印入りの予約募集中。けしからん。そんなことはライカのような中小企業がやることじゃ。天下のZeissともあろうものが、ダラクしおって。ばかめ。


Cogito ergo sum お名前: Масяさん [2004/10/05] No.2765
う〜ん私、好きな写真家っていないなぁ。作品としては土門拳の「江東の子どもたち」なんていいなぁと思います。

ドイツ哲学:
高校の倫社で実存主義についての発表をさせられ、その頃はハイデガーよりはヤスパースに興味を持ちましたが、大学ではニーチェの「ツァラトゥシュトラはかく語りき」を原書で読んでました。
同じ原書を読むにしてもカントは全くわかりませんでした。「プロレゴメナ」なんですがやたらと指示代名詞が何をさしているのか混乱しました。同じ指示代名詞でも英語なら"it"で済まされてしまいますが、性のある言語はまだ親切ですね。
(アレ?前にもお話ししたかな) ついでにカントよりかはシェリングに興味があるんですが著作が少ないと思いました。ヘーゲルなんか日本語訳でも理解できませんでした。

Sein und Zeitで思い出したのですが、大学時代写真部で「時」をテーマに作品を作るということがありました。時計を撮ったりとかみんな工夫していました。中には上野駅に行って特急「とき」を撮ってきたのもいました。当時は在来線を走る181系電車でした。


お名前:telefunkenさん [2004/10/05] No.2764
アベドン、なくなりましたねえ。大好きでした。カルチエブレッソンはきらいでしたが、水溜りを見ると思い出します。クロネコの写真だ例外的に好きでした。アベドンふうの写真をDOMONとかでよく使ってましたね。流行通信とか、いまでも呼んでますが、アベドンに最初に触れたのはこの雑誌かな。
ぼくもアタマがハゲてきたので、毛の広告には弱い。
マン・レイはぼくにとって最大の写真家です。東ヨーロッパの人ですよね。本名はわすれましたが、なんとかヴィッチだったような。
彼岸花、彼岸はJenseitsで、ニーチェに善悪の彼岸というのがあります。彼岸の中日のことはTagundnachtgleicheつまり昼と夜が等しいと、即物的な言葉があります。ドイツで哲学や物理学が発達したのはこういうドイツ語の即物性、わかりやすさが原因だと思います。ハイデッガーが実存主義の本質は、と聞かれて、allein in der Welt zu sein, 世界の中に一人でいること、と答えたように、もーのすごく直接的ですもんね。
今日Zeissからプレスシートが来ました。写真が全部CDでついてます。


広告 お名前: Масяさん [2004/10/05] No.2763
Привет
ここの所広告っぽい書き込みが何度かありますね。(育毛、白髪には反応し易いです)
広告でちょっと思い出したんですが、ファッション写真で有名なリチャード・アベドンが亡くなりましたね。
どの写真が?っと言われると答えられません...その昔やはりファッション系のキャチコピーで「アベドンに撮ってもらいたい...」というのを覚えています。

それから、書こうと思いながらもつい忘れてしまって...埼玉県立近代美術館で「マン・レイ展」が開かれています。期間は...

ムカデ:
う〜ん、やっぱり同じ人間ですから考えることは一緒なんでしょうね。

昨日、体育祭での写真が出来上がりました。全部で9本(私は1本)でした。いつも部から渡されるのは800なんですが不思議と24あるいは27枚ばかり、何で36枚撮りをくれないんだろう...
私が1本(といっても大部分はヒガンバナ)と数コマですが、部員獲得のためにそういう写真を含めても早いトコ校内に貼りだして活動をアピールさせなくては。先日のゆり園の優秀賞じゃアピールできないだろうなぁ。(あっ遅ればせながらtelefunken様、ありがとうございます)
何しろ、マトモに活動しているのは1年生二人だけなんです。

毎日、コスモスやバラの様子をチェックしていますが、もうちょっとという所ですね。昨夜彼女からコスモス、バラや菊の写真が送られてきました。WEBカメラで見るとモスクワは黄金の秋と呼ばれる季節のようです。

Пока


・・・ お名前: ***さん [2004/10/05] No.2762
この投稿は削除しました


訂正 お名前: telefunkenさん [2004/10/04] No.2761
指が滑りました。Tausendfussです。


ムカデ お名前: telefunkenさん [2004/10/04] No.2760
Masyaさま。Kavkazのこと、面白く拝見しました。主格でもあるので、うまくやれ、になるというのは興味深い。
ムカデ、
ドイツ語ではTausendgussすなわち千足です。英語は、centipedeすなわち百足ですから、ドイツ語は大げさ?


あうぅ.... お名前: Масяさん [2004/10/04] No.2759
Привет
毎週日曜の夕方にモスクワの彼女達に週末の出来事などを書いているのですが、その時掲示板を見たらウラジカフカスの話題が...

Владикавказ:
telefunken様の仰るようにвладетьという支配する、占有するといった意味の単語の命令形にКавказという地名が組み合わされた地名のようです。
18世紀の帝政時代にカフカスを越える軍用道路の起点として造られた町で、金井さんの仰るようにソ連時代はグルジアの革命家にちなんでオルジョニキーゼで、ソ連邦崩壊後ウラジカフカスに戻りました。
っでこのвладеть動詞ですが目的語には造格という形が要求されます。っとなるとКавказомになるんですが、まぁ細かいことは置いといて...
この動詞ですが、堪能である、上手であるという意味もあります。Владикавказの場合、Кавказは"〜を"を意味する対格で使用されているのでしょう。しかし主語を表す主格でもあるんです。
"カフカスよ、上手くやれ!"と取れないこともないかな?(コレ、こじつけてますから)

ロシア語:
っで今週は土曜日にあった息子の学校の体育祭から日本独自(と思われる)の競技の様子の写真を送りました。その中で「むかで競争」について説明したのですが、むかでってロシア語でмногоножкаで"たくさんのあんよ"っと"白いおめめ"のメジロのように見た目で名付けているようです。
ドイツや米国では分かりませんが日本とロシアって感覚が似ていると思います。

体育祭:
私立の割には比較的自由な学校なので競技よりも楽しむことが目的みたいでした。私は結局MEスーパーにЮпитер9にИндустар50(Lマウント用から改造)にしました。目立つような望遠をつけると怪しく見られますので...
息子のSFXのオートフォーカスの動作が何か頼りなかったせいでMEスーパーも使っていました。212Kにしなくて正解でした。広角ようにはフィルムが入ったままなのでЗоркий2CにЮпитер12で撮っていました。

え〜っと、ちょっと忙しくなりそうなので
Пока!


vladet' お名前: telefunkenさん [2004/10/03] No.2758
という動詞が領有する、支配するという意味ですから、ウラジがここから出てるなら、ヴラジヴォストークは東の領地、となるのかなあ。vladikaで君主、支配者とありますから、ウラジーミルはフリードリヒとおなじ平和の君、とこぢつけたい。


裏地 お名前: telefunkenさん [2004/10/03] No.2757
ではありません。ウラジ。征服というより支配のニュアンスのほうが濃いかどうか、ロシヤ人の友達にも聞いて見ますが、東の守りがウラジウオストーク
であるほうがなじむ気がする。前の書き込みも見ました。インド・ヨーロッパ語のbhergh(ドイツ語のberg山の原型で高いという意味)から出たラテン語のfortem強いが、砦とか城砦の意味のfort(ドイツ語形ではfurt)になるという過程があるのですが、高いが強いになり、そこから敵に対する守り、砦の意味を帯びてくる意味馴致があるのですね。だからヴラジも征服・支配から出て、強いを通過して、敵に対しては守り、とりで、の意味に転化していないだろうか。このへんを古代スラブ語にくわしいロシヤの学者に聞いてみたい。もしヴラジヴォストークが東の支配、すなわち敵に対しては守りであったら、こんなうれしいことはないのですが。


リベラル お名前: telefunkenさん [2004/10/03] No.2756
ぼくは金井さまのようにリベラルになれないので(年取ってガンコになってる)アルカイダなどのテロを支持する論説は共犯だと思うし、国民の利益つまり国益に反するから国賊だ、と決め付けておきたい。でも決め付けたあとは別に天誅!とさけぶワケでもないし、何もするわけではないから、ただのキマグレウヨクで、商業サヨクの朝日新聞とかと五十歩百歩かもしれません。
さっき30年代のドイツのシュラーガーつまり流行歌のCDを聴いていたのですが、大衆の俗悪さはドコの国でも変わりませんけど、根底に流れる音楽性のレベルの高さは争いがたいので、つくづく日本の演歌とかが情けない。ロックやポップスで若い人ががんばっても、こいつらも50過ぎると演歌に回帰するんだな、と思うとヤンナル。
それにしても20年代から30年代のドイツ大衆音楽の退廃性は目をおおうばかりで、entartete Musik(退廃音楽)の烙印を押して多数の曲を演奏禁止にしたのはもっともだ。あれでは品性を下落させ、向上心を削ぎ、国力を衰弱させる。(なんだか自分がむかしの内務省の役人になったきがしてきた。アブナイアブナイ。こういうぼくの性格だと、もう少し早く生まれていたら、きっと情報局とか内務省特別高等警察とかに勤めていたでしょう)
こないだ友達と議論してて、日米安保廃棄、憲法九条改正、日本列島居住不可能地区開発による内需拡大、増税による軍備増強、徴兵制復活、幼児移民受け入れによる高齢化解消、を主張したら、罰ゲームで軍歌を歌わされたので、こういうこともあろうかと持っていったテープで、ナチの党歌と ホーエンフリードベルガーマルシュ(マーチ)を歌いました。このマーチはフリードリヒ大王の作といわれている曲で、ナチ時代もいまも使っています。


ウラジ お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/03] No.2755
 以前、「ウラジの意味は何か」という話をしたことがあるのです。このときは、ウラジオストックでした。
list14.shtml

 telefunkenさま、いろいろ説明ありがとうございます。ミールは平和が先なのですか。プーチンさんの名前も、本当の意味が、だいぶすっきり理解できました。

 ところで、ウラジ=征服せよ、ミール=世界。プーチンさんの名前は、「世界を征服するぞ、第二のヒットラーになるぞ、反対するやつは皆殺しだぞー」とそういう意味です、と社説に書いたとしても、間違いであるとは言えないと思います。名前なんて、いろいろに解釈できるので、曲解して言いがかりをつけることは可能です。
 
 ウラジカフカスはちょっと違う気がします。帝政ロシア時代に付けられた名前だけれど、ソ連時代はオルジニキョゼと呼ばれていました。忘れ去られた名前が復活したのは、1990年代です。ウラジカフカスの名称を考え出したのはロシア人かもしれません。現在、地名につけたのはオセチア人などでしょう。

 アルカイダを支持する論説も、チェチェンの人殺しを支持する論説も、それはそれで、有っても構わないと思います。別に国賊でもなんでもないです。
 でも、言いがかりは、まじめな論説ではないです。


ウラジーミル お名前: telefunkenさん [2004/10/03] No.2754
Vladimirをヨーロッパ人名語源事典で引くと、古代スラブ語volod(支配)とmeri(偉大な、名高い)からなる名前である、とあり、mirは平和王とよばれたポーランドのCasimir一世のmirと同じで、中世以来『平和』とか『世界』の意味に解釈されてきた、とあります。なお北欧系のValdemarヴァルデマルも古代北欧語のvalda(支配)とmari(偉大な、名高い)から出ており、ウラジーミルと同系、とあります。これで見ると古代北欧語と古代スラブ語はほとんど同形ですね。
ウラジカフカスのウラジについてはいずれMasyaさまからご説明があるでしょうが、このvolod(支配、すなわち君)に関係あるのかも知れません。


ウラジ お名前: telefunkenさん [2004/10/03] No.2753
って、ウラジ・ヴォストークのヴラジですよね。Masyaさま。砦とか守りとかと君とかの意味なのでしょうか。だとするとウラジーミルはフリードリヒとおなじ平和の君ということなのでしょうか。
朝日新聞ならその程度の対応でしょう。
弁慶がな、ぎなたを持って、というのがあります。


ウラジカフカス お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/03] No.2752
朝日新聞の社説:
 北オセチア事件があった翌日の朝日新聞の社説に次のように書いて有りました。

−−−−首都のウラジカフカスが「カフカスを征服せよ」を意味するように…−−−−

 それで、翌日、朝日新聞社広報に、本当ですかと問い合わせのMailを入れました。広報からは、担当に回すとの返事をいただきましたが、それきりです。聞き方が悪かったのかもしれません。ウラジカフカスの意味は、本当はどうなのでしょう。
 Масяさま、「ウラジ」をどのように解釈すればよいのか、気になってます。
 前場所、大相撲ではウラジカ・フカスって聞こえる事がありました。変なとこで切るなー。


*** お名前: **さん [2004/10/03] No.2751
この投稿は削除しました


膀胱 お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2750
ぼくの同級生で、京都大学の大学院からソルボンヌの大学院へ行って、ぼくのダイキライな有名新聞の局長やってたやつがいるんですが、こいつに膀胱腫瘍を切ったという話をしたら、膀胱って何だ、と聞かれました。どうも話の様子では尿は睾丸にたまると思っていたらしい。いやはや、情けない。60年も付き合ってるのに、こんなバカとは知らなかった。絶交に値する.といいながら今週メシ食う約束ですが。ちょっとイジメてやらなくちゃ。こいつは反米でアルカイダヒイキの国賊だから、イジメルタネには困らない。そういえばぼくは昔からイジメっ子だったんでした。思い出しました。反省してます。


ガラスIII お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2749
2735のベネディクトボイレンの会社はライヒエンバッハ・ウッツシュナイダー・リープヘア、という会社で、スイスの時計工で1774年に脈理のない溶融法を発明したピエール・ルイ・ギナンを1805年に呼んで、古い僧院のあとでガラス製造を始めます。フラウンホーファーがこの会社に入ったのは1807年、彼が20歳のときです。始めはレンズ磨きでしたが才能を買われて2年後には役員になっています。これはルドルフ・キングズレークの写真レンズの話という本に出ています。この本は写真レンズの『歴史』と訳されていますが、私史、または話と訳したほうがいいと思います。Historyなら歴史だと思い込むのはよくない。KingslakeはConrady教授の女婿です。


目がいい お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2748
金井さまの視力はすばらしい。ファインダー窓のまわりなんか、ぼくは気にも留めませんでした。
お金がふじゆうなのはぼくも同じです。毎月の支払に苦労している。こないだ友達に返してもらったのがもう無い。もっと稼がなくちゃ。
内田先生のお話では、鍍金だけでなくあらゆる点でドレスデンが最高、それからイエナ、それからキエフの順番だそうです。ぼくはそんなトコまで判らない。
むかし衣服のボタンに関係していたことがあって、コンプレッション・モールディングとかインジェクション・モールディングとかの言葉を聞きました。もう40年以上も前のことです。そのころでインジェクション金型は一千万円ちかいと教えられました。ホーニングとかいう作業もたいへんなのだ、と聞きました。


お名前:管理人(金井)さん [2004/10/02] No.2747
樹脂レンズ:
 金型に、溶けた樹脂を流し込んで固めて取り出したらそれで完成です。研磨などしません。
 金型はNCカッターで問題なく簡単に加工できます。でも、金型には表と裏があって、それがぴったりと合わないといけないのです。特殊な技術が必要だと思います。いくらぐらいするのだろう。今度聞いてみよう。

むきだし:
 そりゃハラハラしますねー。カメラは自由であるべきとの説に反対するわけではないのですが、現実問題として、お金が自由でないから、なかなか自由と言うわけにも。。。

Hahnさんのカメラ:
 白のCarl Zeiss Jenaの文字が目立ちます。どうだイエナだぞー、って自慢されてるみたいな気がします。自慢に値しますね。
 ファインダー窓の周りが緑なのは緑青でしょうか。保管が悪かったのか、メッキがあまりよくなかったのか。ドレスデン、イエナ、キエフを比べると、メッキの質はどんなものでしょう。


イエナ系とロシヤ系 お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2746
すみません。翻訳したのに不勉強でーーー。佐々木さんに聞いておきます。
2743でMasyaさまのお名前間違ってました。すみません。
IndustrieromanのコンセプトはプロジェクトXと同じだと思いますが、文学作品としてレベルの高いデキになっています。
特に『ガラスの驚異』などは、経営者団体の反発を受けながら1900年に8時間労働制(当時の産業界は11時間)健康保険などの制度をつくり、ツァイス親方の死亡したあと自分の所有権をすべて寄付して財団を創設し、自分はひとりの労働者として働き続けた高潔なアッベの思想と行動を描いて、独自のものがあります。アッベの思想に染め上げられたことが、ナチ政権のもとでは『マルクス主義に汚染されたツァイス』とされて、事実上国有化されたことの原因にもなっています。また第一次戦後になって労働組合がワイマール共和国政府にツァイス国有化の請願を出したところ、政府は『偉大なる忘れがたき先覚者アッベの決断によって、ツァイスのすべての資産はすでに政府の指示を受けて行動する財団の所有するところとなっている』として国有化請願を却下した事実があります。
アッベの社会思想家としての偉大さを描いた『ガラスの驚異』はナチ政権時代のものですが、国家社会主義体制のもとであるからこそアッベの思想が称揚されたという面もあるかもしれません。
たとえば『ガラスの驚異』の最後はこんな具合です。
『それから彼(アッベのデスマスクをとりに来た彫刻家)は窓ぎわに歩いて外を眺めた。灰色の、憂鬱な天気だった。工場ではランプがともっていた。作業の騒音がこの室内にも響いてきた。
『これはたいした男だったんだろうな』彼はそう考えた。
彼は芸術家としてプロの目でいろいろな人間の顔を見てきた。しかしこれほど彼の心を捉えた顔はいままでになかった。
何時間かあと、自分のアトリエで、デスマスクを型から外したとき、彼はその顔の印象の強烈な力で、目をそらすことができなくなり、口のなかでつぶやいた。
『聖者だーーー』



そのコンタックスはこんな感じ お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2745
これもZeiss Historicaに出るはずです。ボディ正面のロゴが面白い
画 像 : img20041002152307.jpg-(63 KB)


Hahnさんとコンタックス お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2744
いずれZeiss Historicaの記事になりますが、とりあえず。
画 像 : img20041002152056.jpg-(47 KB)


くーもりいガラスの向こうはーー お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2743
風の街でしたっけ。おにぎり状態でガラスやから届くというのは聞いたことがあります。ショットからツァイスに届くときはどんな状態か、聞いておきます。
ぼくはカメラはむきだしでストラップなしです。それで井の頭公園の雑踏のなかを持ち歩いたのでMsayaさまがハラハラされたとか。でもカメラは常に自由であるべきだ。


おはようございます。 お名前: かぱまんさん [2004/10/02] No.2742
 ビスの頭のカタチの違いから工作機械の違いを検証していく、というわけですね。そうか、そういう細かいところを見ていかれるのか、と感心しきりです。
 以前から気になってましたが、樹脂レンズというのは、成形してからの研磨作業、というのはないんでしょうか。成形イッパツ完成品、ということなれば、そりゃその金型はおそろしく精密で高価にもなるわいな、とシロートにも容易に理解できます。
 J8とJ8Mの違い、なるほど、ありがとうございました。ゾルキ3のJ8は絞りリングのクリックストップはないです。
 


Kievの謎など お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/02] No.2741
Kievの謎:
 イエナ系=ロシア系でした? ロシア系はイエナともドレスデンとも異なった特徴があったのでは?
 佐々木氏の本のP98に載っているイエナ風のビスの写真を見ると、イエナ≠ロシアです。(写真参照、この写真は、あやしい52年製のKiev3です。) このネジの形が違うと言う事は、フィルムガイドになっているシャッターカバーのネジ穴の形が違うと言う事になるので、イエナコンタックスと52年以降のKievはある程度違うのではないだろうかと思います。(52年以降のKievにイエナコンタックスのこの部分のビスは取り付け不能ではないでしょうか。)

沈胴:
>金井さん無理ですか? 
 無理です。作っても売れません。だから作る人いません。必要かどうかをいう前に、沈胴レンズ使っている人自体、ほとんどいません。金型は高いですよ。
 沈胴レンズを使うボディーは茶色い革のケースに入っているので、止める必要はないのではないかと思います。FEDやZorkiだと、これが臭くて。と、連想してしまう。
 telefunkenさんは、カメラはむき出しですか。ケースに入れますか。

光学ガラス:
>ツアイスが使っていたものと同じ性質の複数の硝材を用意する必要があります
 クラウンとフリントじゃダメですか。屈折率や分散が違ったならば、光学設計をやり直さないといけないけれど。入手可能な光学ガラスを使って、レンズ設計をやり直したと推定しているのですが、どうでしょう。
 いまでも、レンズを設計するときは、既存の光学ガラスの中から最適なものを選択します。最適設計をするときは、レンズの曲率半径・レンズ位置は実数(連続量)で、ガラス種類は離散量です。連続量と離散量が混在している系での最適値問題になるので、計算アルゴリズムが難しいのです。

レンズの製造:
>ガラスつくりはレンズつくりの第一歩なのです。
 歴史的に見ても、実際もそうなのですが、現在、レンズ屋さんでガラス溶融をしているところはほとんどありません。ガラス製造とレンズ研磨は、たいてい別会社です。
 普通、一見するとレンズの完成品のような形状のものをHOYAとかOHARAなどから買って来ます。この段階では、ガラス表面は「ナシヂ」「くもりガラス」です。(見たことないんです。人によって表現が違うのです。)これを研磨して、レンズを作ります。
 プラスチックレンズの場合は、米粒から小豆粒くらいの大きさのペレットと呼ばれる樹脂素材を樹脂屋さんから、買って来て、レンズ屋さんか成型屋さんが、融かしてレンズに成型します。このとき金型は型屋さんがつくります。成型屋さんが成型した場合は、これをレンズ屋さんが買うことになります。

産業小説:
 今で言う、プロジェクトXみたいのでしょうか。

J8とJ8M:
 Kiev用のJ8では、Mが付くと「絞りリングにクリックが付いている」です。LマウントのJ8はクリックってなかったかなー。
画 像 : img20041002083523.jpg-(53 KB)


遅駈け お名前: かぱまんさん [2004/10/02] No.2740
 Kiev4Aが帰宅してたら届いていて、只今習熟空シャッター切り作業中です。こっちの方が新しいのに、Zorki3の方が新しく見えてしまうのは、設計が戦前だから?と考えられますね。全体的に華奢な感じがするのは、主に裏ブタの接合部分がヘコヘコだから、だと思います。これでは光線漏れも起きるでしょうね。何とかしなきゃ。とりあえず明朝から試写です。Zorki3についてたジュピター8とこの8Mとではどう違うのか、興味しんしんです。


あれ!? お名前: hirob_pさん [2004/10/02] No.2739
また入れ違い!!それもこんな時間に。
これから、お書きいただいた文章をよく拝読させていただきます。
それにしても産業小説って面白なものですね。
楽譜のショット!そういえばすですね。全部ショット…。
革ジャンのショットは馬革が有名なやつかなぁ?


間違えました。 お名前: hirob_pさん [2004/10/02] No.2738
すみません。こっち。

http://www.sil.si.edu/digitalcollections/trade-literature/scientific-instruments/files/52521/SIL14-52521-0004.jpg


あった… お名前: hirob_pさん [2004/10/02] No.2737
1906年のベルリンの工場の様子のようです。

http://www.sil.si.edu/digitalcollections/trade-literature/scientific-instruments/files/52521/thumbnails/tnSIL14-52521-0004.jpg


レンズその2 お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2736
いいえ、レンズを作るということはレンズの要求する特性を持ったガラス、たとえば高屈折低分散のガラスを作るということです。だからガラスつくりはレンズつくりの第一歩なのです。ライツ社でも戦後やっと小さいガラス製造設備を持ったおかげで、たとえベースはショットガラスでも味付け部分に自社製品を使えるようになって、性能が飛躍的に増大し、二流だった性能が一流になりました。
世界中の光学ガラスメーカーは、基本としてショット番号を使っています。譜面のショット、ガラスのショット、そして革ジャンのショット。これが三大権威ですね。
戦前(昭和17年)出版された本に『ガラスの驚異』Glaeserne Wunderというのがあって、藤田五郎教授の名訳、会田軍太夫先生の跋で出ています。これはアッベ、ツァイス、ショット三人の協力を描いた名作です。当時は産業小説Industrieromanというジャンルがドイツで起こって、重化学工業を描いた『アニリン』、金属産業の『金属』そのほか『レントゲン』などのワクワクするような面白い小説がありました。
また科学者の業績を描いた映画もいっぱいあって、秦博士と共同で梅毒の特効薬サルヴァルサンを発明したパウル・エールリッヒ博士の『偉人エールリッヒ博士』、パスツールを描いた『科学者の道』などもありました。
『ガラスの驚異』は神田の古書店に注文しとけば入手できます。ぼくはこの方法で二回かいました。


ガラス お名前: telefunkenさん [2004/10/02] No.2735
ドイツでもショットガラスが普及するまではフランスやイギリスから買ってました。でもミュンヘン近くのベネディクトボイレンでフラウンホーファーが丁稚奉公してた会社が19世紀の初めにスイスのギナンの指導を受けて光学ガラスを作っていました。ナントカウッツシュナイダーナントカ(失念!)という会社です。ここのガラスでフラウンホーファーが天体望遠鏡を作っています。この伝統は一時途絶えて、そのあとがショットとアッベとツァイスが共同で設立したショット社です。イエナガラスの創生を激賞して、ヘルムホルツがアカデミーで演説しているのですが、資料が出て来ません。
ちなみにヘルムホルツはアッベを新設の国立物理学研究所の所長に招聘しようとしてイエナに行ってますが、断られてます。もしこのときアッベが受けてれば、学界のトップに君臨できたのですが、ツァイスの共同経営者としての責任のほうを取ったのです。


パンかってこよ。 お名前: hirob_pさん [2004/10/01] No.2734
>ゼントリンガーとショット
ある時代以降はドイツレンズはショット製のガラス塊から作られたということなのですね。ということは、レンズを作るというのは研磨以降を意味しているのかなぁ?

>ロシア光学の創生期は英国やフランスで原料を輸入してペテルブルクや
>ハリコフ近郊のイジュームでレンズを作っていたようですが、
>ペテルブルクからリガにレンズが運ばれた?

そういう事なのかもしれませんね。ショットとかから?硝材の調合を教えてもらって、硝材製造の経験のあるソ連内の工場で作ってそれを供給してもらうという方法かなぁ? でもKMZでも、インダスター22は古くからあるテッサーレンズなのでソ連でもそれまでに作っていたとしても、Jp-8はゾナーの再生と聞くので違いますよね。レンズ構成も硝材もより複雑ですもんね。

今は硝材調合もどんどん特許出願しますが、分析技術がままならなかった時代にはノウハウにして、出願しませんでした。出願した方が損になるからです。目で見て分かってしまうレンズ構成と各レンズの性質だけを開示しています。だから、Jp-8を作ろうと思うと思うと、ツアイスが使っていたものと同じ性質の複数の硝材を用意する必要がありますが、それらの硝材をソ連が既に持っていたのかなぁ? それぞれの硝材の調合方法を正確にショットなどから(?)伝聞してソ連のどこかの工場でガラス製造をする必要が生じたのではないでしょうかね? ウソか本当かしりませんが、ショットではレンズのアニールに2年をかけたとかいう極端な話も聞いた事もありますし、材料調合だけでは分からない技術も一杯あったと思います。

>何か思惑がおありなのでしょうか
やはり固定出来ないんですね。でも、皆さん気にされていないのですね。私だけ…。
あれが止められないので、バックの中や首からぶら下げている時にカッタンカッタンと何だか心地悪くないですか? 文章で書くと訳が分からないので、添付の図のようなのが欲しいんです。ゴムだと成形できないかもしれないのでTPEかなぁ?金型さえあれば射出成形でピュッと…! いずれにしても、よくあるゴムフードのように沈胴時には裏返しに畳めるように柔軟な素材が良いです。金井さん無理ですか?なんて…。

いつも文章がクダクダ長くなってごめんなさい。
画 像 : img20041001175017.gif-(6 KB)


お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2733
こないだは中秋の名月。いいですねえ。十三夜から始まって、名月、十六夜(いざよい)、立待月、居待月、寝待月、これだけいろんなリクツつけて月を見る民族はほかにないでしょう。ドイツ人に月見のことを話したら、それで何に変わるんだ、と質問されました。オオカミ男じゃないんだ。

松にすめ月も三五夜中納言


ヒゲ お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2732
よく手入れされたヒゲはすてきです。ぼくも一時はやしてましたが、一週間に一度床屋にゆくのが面倒で、やめちゃいました。
カイゼルヒゲ、とか、いいですね。ああいうの復活させたい。
あれだとフロックコートにスタンドカラー。シルクハット。モノーケルですよね。
ルパンは普段ヒゲをはやしていたか。
むかしよくクラブとかに行ってたころ、名刺をねだられるのがうるさくてコマル。デンワしてくるからです。ですからArsene Lupinという名刺を作ってました。これを渡すとたいていの女はムッとする。でもいちど京都祇園のお茶屋系クラブでこれをやったら、相手の子がマリリン・モンローというのを出してきたので痛みワケ。


あっ お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2731
Masyaさま お祝いを言うのを忘れてました。おめでとうございます。
沈胴固定。IIIaにズミターを付けてましたが、うーむ、固定する必要を感じたことは、ここ60年ほどはありません。


海がわれる?そりゃ珍島物語 お名前: Масяさん [2004/10/01] No.2730
胴を沈めた状態で固定ですよね?う〜ん鞄にいれている時でも勝手に出てくることないし。
フードつけたままだからどっちにしろ飛び出している...でもなんか面白そうだなぁケースに仕掛け考えてみようかなぁ。

教育:
私、一応教育しました。初めて持たせたカメラがオリンパス35DCです。EEではありますが、ピント合わせは二重像式です。
勿論、将来ЗоркийやКиевを使わせるためです...夏休みにモノクロ作品作りに1を使わせたらスコパー25mmでパンフォーカスで撮りやがった...まだまだです。

では、よい週末を!


珍胴? お名前: かぱまんさん [2004/10/01] No.2729
 沈胴レンズは確かにロックできないですよね、だいたい。しかしながら特にロックの必要性を今一つ感じないのですけど、hirob_p様、何か思惑がおありなのでしょうか。沈胴の状態で固定させるひとつのアイデアとしては、例えばリストバンドなんかをストラップに通しておいて、必要な時にそのゴム性の帯をカメラにはめる、なんていうのはどうでっしゃろ。柄を選ぶとけっこうオシャレかも知れません。
 Мася様と同じく、僕もヒゲヒゲなんですが、冬のバイク乗る時なんぞ、首元がけっこう暖かくって、重宝してたんです。ダメですか?
 実は「お誕生年カメラ」って持つのが夢だったのです(ちっちゃい夢だこと)。だから素直に嬉しいです。でもカメラの方が絶対長生きですよね、その後も子供に使ってもらえるよう、今から教育、教育。
 


す、すみません... お名前: Масяさん [2004/10/01] No.2728
私、毎週月曜にしか髭を剃らなくて、しかも3mm残すようにしています。モスクワに帰る時、海外出張の際は髭を生やして行きます。
でも今やヘタに髭を生やすとイスラム系に間違われそうです。モスクワ大学の寮で一度コーランを差し出されたことがありました。

お誕生年カメラ:
これだけ持っていながらないんですぅ...唯一Киев用Юпитер12がお誕生年です。前後賞はЗоркий6にКиев4があります。

Зоркий1:
また怒られそう...3台あって1台は息子の(Eタイプで一番綺麗)...使う時は沈胴Индустар50つけたCタイプばかり使います。
息子用の1はムチャクチャ安かったのですが私のCタイプはちょっと高かったです。どちらかに50で、もう一台にカザン製Индустар22が付いていたんです。多分私のCタイプにその22がついていたんじゃなかったかな?故に高かったのだと思います。
高いと言っても...すみません...

工場:
当初は眼鏡のレンズと聞いていました。当時を語った人が入りたてのころはガラスを切っていたと書いてあった思いました。
ロシア光学の創生期は英国やフランスで原料を輸入してペテルブルクやハリコフ近郊のイジュームでレンズを作っていたようですが、ペテルブルクからリガにレンズが運ばれた?
混乱してきました。よく読めばいんでしょうね。

東京光学:
ウチから自転車で数十分の距離です。R用のオートトプコールの絞りがおかしくなってそのままだぁ...

入賞:
ありがとうございます。ユリといっても広角でゆり畑(?)を撮った感じです。色のついたヤマユリなんかも多いです。
これも指導の賜物でしょうっと顧問の先生も言うだろうなぁ...その場にいたんだろうから...

銀杏:
まだ黄色くなってませんよね?神宮外苑の銀杏並木はどうなんだろう...


Goerz お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2727
本社の工場はとてつもない巨大さで、hirob_pさんのおっしゃるとおりです。ガラスは子会社のSendlingerで作ってましたが、これはミュンヘン郊外ゼントリンゲンにあったもとの工場を閉鎖してベルリンに移転してます。ライツの旧エルマーはこのゼントリンガーのガラスです。ベルサイユ条約の結果(ドイツでは一社だけしか製造できない)ゼントリンガーは閉鎖され設備はショットに売られたので、ライツも途中でショットのガラスに変わりました。つまりドイツでは写真業界では何をやってもショットガラス(ツァイス系)やコンパー・プロンター(ツアイス系)から逃れられないわけです。


Kiev お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2726
Zeiss製で動かないなら仕方がないなー、とソビエトの人が思った、うーん。そういわれればそんな気もーーー。佐々木さんはドレスデン製の機械とイエナ製の機械の統合をやって、それに時間がかかったのではないか、という考えです。インチ系とミリ系ですから治具からしてみな違う。現物を見てると最初はドレスデン系の色が濃くてそれがだんだん薄れて最後は純粋のイエナ系つまりロシヤ系になるのだそうです。
ウチのアパートの横は銀杏並木。銀杏がくさいのなんの。
腰パン、無精ひげについて
黒人や白人がやってると腰パンはいいんですが、日本人がやってるとダサい。ドレスダウンは体型のよい人がやる逆説のおしゃれですが、体型の悪いのがやるとシャレにもならない。
無精ひげも同じで、ブサイクがやってると小汚いだけ。ケミストリーのブサイクなほうのがそれのよい例です。日本人で似合うのは真田広之さんと東山ぐらい。
ロエデリウス
ほんとはレーデリウスでしょうが、なかなかいいバンドです。
ハマコー
そうらしいです。自分でも最近までしりませんでした。でもぼくはハマコーやカクエイのファンですから、悪くないです。



またくだくだ…外は秋日和 お名前: hirob_pさん [2004/10/01] No.2725
>写真
有り難うございました。何だか微妙な写真ですね…。この写し方?(描き方?)ってビル全体が持ち物ではないようなイメージを受けてしますが…。今日帰ったらGoerzの他の工場(リガではないですが)の写真か画像を探してみます。確かどこかのネット図書館?かなにかの資料からダウンロードできる古いGoerzの広告の中に工場の全景があったんです。ベルリンの工場だったと思うのですが、べらぼうにデッカイ工場で、数ブロックに跨る大きさで、住所も「**通り〜**通り」のような記載でした。こういう工場を想像していたので、ちょっとイメージと違っていました。関係ないですけど、そのベルリンゲルツの全景写真は、東京志村の東京光学の工場の航空写真とそっくりに見えました。

>ここでЮпитер8とИндустар22が
おおそうなのか…。そう思うとZorki-1が欲しくなる。In-22は既に手元にない…。そう言えば、沈胴レンズって沈胴させた状態で固定ってできないのですよね?できるんですか?いつもあれが不便に感じるのですが、何か良い工夫はご存じですか?

>優秀賞を受賞
おめでとうございます。カラー写真?白黒? ユリって真っ白だから難しそうですね。日曜日は法事で人があつまります。どのカメラを持ってこうかなぁ…。

>1911年に25周年を迎えたゲルツ社は…
telefunkenさん、教えて頂き有り難うございます。一般的な書き方なんですね。ニューヨークではレンズも作っていたと何処かで読んだので、それが独立してアメリカン・オプチカルになったのでしょうか。ゲルツはドグマーとかダゴールの硝材はベルリンで作っていたのかな…?

ミニコードってあのミニコードですね。ゲルツなんですね。16mmでは、このミニコードと、ドイツのメック(ヘリゴン付き!)を一度で良いので触ってみたいです。

>明日夕刻に到着です…その製造年でした。
早い! お誕生年カメラですね。私もKIEV4aのお誕生年カメラ持っています。ギリギリ4aです!

>ニコンはどういうわけか
ということは、特に恩を仇でといった訳ではないのですね…。


NEW OPEN!! お名前: さきさん [2004/10/01] No.2724
NEW OPEN!!
「携帯電話専用サイトランキング」がOPENしたよ(≧∇≦)/
あなたの携帯で素敵な出会いをゲット!!
絶対満足すること間違いなし(@^∇^@)☆

http://blog.livedoor.jp/emuemuesu/


道端に落ちている銀杏が踏まれて臭い お名前: 管理人(金井)さん [2004/10/01] No.2723
>Zorkiは…FEDの単純なコピーではない
 たしかに。ZorkiとFEDは天板を見なくても、違いが分ります。サイズも微妙に違い、マウントの規格も違うかも知れません。

Kiev:
 Kievの製造ラインがどんな具合だったかは、まず置いといて。
 最近、トヨタ系の部品メーカーに聞いた話です。
 トヨタの注文どおりの部品が出来なかった場合、トヨタはどういう態度を取るか。信用の有る部品メーカーだと「おたくに出来ないなら仕方ないですねー」。信用が低い部品メーカーだと、トヨタの担当者がやってきて、問題個所を教えてくれる。信用が無いところだと、取引停止。
 系列の締め付けが最もきびしいと思われているトヨタの話です。
 Kievの製造ラインに問題があったとしても、「ツアイス・イエナでも出来ないなら、仕方ないですねー。遅くまですみませんねー。頑張ってください。」にならないかなー。Hahnさんは尊敬されていたのではないでしょうか。

カメラ界のハマコー:
 そうだったのですか。知らなかった。

北方領土:
 全然関係ない話題です。
 小学生の頃、郵便局に行ったら、窓口に料金表がありました。
「北方領土宛て郵便物は当分の間、外国郵便として扱う」このように書いてあったと記憶しています。愛国少年だった私は「ソ共・中共・朝共がぐるになって、日本の国益を盗み取っているのだ」そのように感じました。少年の頃、露西亜・シナという言い方が嫌いでした。共産主義の脅威から目をそらして、単に相手を馬鹿にしているだけのような気がしたのです。なぜ、ソ連・中共と正しく言わないのか、愛国少年だった私には、不真面目極まりないと感じていたのです。(一体どういう教育を受けていたのだろう。)
 中学生くらいになると図書館の本を読んだり(町に本屋がなかったのです)・・・だんだん考えも変わってきました。
 しかし、郵便局にあった「北方領土宛て郵便物は当分の間、外国郵便として扱う」の記述の記憶には誤りがなく、日本政府は一丸となって、北方領土返還を主張していると、つい昨日まで思っていました。ところが、郵政庁のページを見ると、「北方諸島」と書いてある。これでは、日本の固有の領土との主張が無いではないか。
http://www.post.japanpost.jp/service/intel_service/ko_johken/185/185h.htm
 少年の頃に見た料金表も「北方諸島」となっていたのだろうか?
 外国郵便の世界は、UPUが取り仕切っているので、日本政府の勝手には出来ません。北方領土宛て郵便物の値段を内国料金としたり、引き受けを拒絶したりすることは出来ないのです。しかし、北方領土と書くことも出来ないのかなー。不思議です。役人の考えることは微妙です。


すみれ、Septemberは昨日で終わり お名前: Масяさん [2004/10/01] No.2722
Привет
Киев:
うわっ速い!まさに電撃作戦!(違うって!)
私のタイプ2と言っていたのは4Aでした。Aが付かなかったら露出計付きですね。

っで、「Мастера Оптики」に掲載されていた、1914年のリガにあったツァイスの工場の写真です。(オフィスではありませんね。)
本には「Завод Цейса в Риге 1914 г」で工場(завод )と記されています。
以前、「大きなガラス張りの建物」と記したことがあったと思いましたが、これのことでしょう。

更に戦後の頃を読んでいてもツァイスのことが出てきませんね。ここでЮпитер8とИндустар22が最初に作られたレンズのようで、カメラ本体(Зоркий)は1947年から開発が進められ、ФЭДの単純なコピーではないと記されています。

昨夜、帰宅したら息子が箱根の合宿で撮った写真が箱根ゆり園のコンテストで優秀賞を受賞したとの知らせが届いていました。
前回の川口市のコンテストは結構いい加減でしたが今回は良さそうですです。みんな副賞狙いで応募用紙だけは持って帰ったようですがどうだったんだろう...
明日は体育祭です。

Пока
画 像 : img20041001095629.jpg-(17 KB)


一風堂 お名前: telefunkenさん [2004/10/01] No.2721
なつかしい。土屋の使っていたフェンダーのベースが京都の家にあります。彼が離婚後マスコミを避けてぼくの京都の別荘に半年ほどいたのです。彼を通じてデビッド・シルビアン、スチーブ・ジャンセン、リチャード・バルビエリ、ミック・カーンなどのジャパンの連中としたしくなりました。デビッドから教わったのは虎屋の夜の梅を1cm立方ぐらいに切って、それをバニラアイスクリームと混ぜるデザートです。彼が日本へ着てたとき使うリキパレスマンションの一室でパーティーやったときに教わったのです。これが凄い。甘いもの好きの人はぜひお試しアレ。


お名前:みらんぢさん [2004/10/01] No.2720
ロエデリウスはわかりません。音楽ですか?
telefunken さんの守備範囲の広さにはとてもとてもついて行けていませんが
ドウルッティ・コラムもよいレコードがありましたね。
とはいえ、さすがに最近聞かなくなりました。

土屋昌巳はかっこうよかったですねえ。
テレビで見て「凄い!」と思って20数年前、新宿のライブハウスに見に行きました。一風堂はバックバンドのライブでしたが。
土屋昌巳はイカテンと言う、素人さん発掘歌番組が始まったとき
最初の審査員だったと思いますが
「番組にレコード会社の操作がないなら、審査委員としてやらせてもらいます。」
と宣言したら、次の週から出なくなっちゃって
正直な人だ。と感心しつつも、危ういヒトだなあと心配していました。
他にも、インタビューで「天皇陛下が大好きで・・・」というのがあって
なぜ天皇が好きか、と言うことを簡潔に述べていて
天皇陛下は当時、否定されて当然という空気が強かった中
とてもフラットな発言だったので、これまたとても感心しました。
わたしが天皇陛下好きになったのも土屋昌巳の、あの一言があったからかもしれません。
天皇陛下については、今でも背中を押してもらったような気がしますねー。
金井さんの掲示板で書く事じゃありませんでしたね。すいません。


おっとお お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2719
そうでした。みらんぢさま、アンダルシアです。le chien andalouだったかな。ご訂正ありがとうございます。最近ボケがひどくなって、こないだも似たようなマチガイで恥をかいたトコです。あの目を切るシーンはほんものの子牛の目を(もちろん死んだやつでしょう)まつげを抜いて使ったらしい。
パティ・スミスのホーシズはぼくの友達の舞踊家がお弟子さんや孫弟子さんたちの発表会のときに使った曲で、そのときぼくは初めて聞いた、そしてハマッタというわけ。お礼にぼくはブリジット・フォンテーヌのcomme a la radioラジオのようにを教えてあげて、恩を返しました。ラジオって言えばマブダチの土屋昌巳がホルガー・シューカイとのコラボを断ったのなんか、今でも惜しいとおもう。後アンディ・ウオーホルの仕事も断っちまって、どういう気だったんだ、やつあ。
ドウルッティ・コラムとかおすきでしたか。ぼくの好きなのはクラフトワークとロエデリウス。信濃町ソニー、六本木ソニーはよく行きました。


お名前:みらんぢさん [2004/09/30] No.2718
telefunken さん、こっそり耳うち
(フランダース=アンダルシアです?^^、目を切っちゃうやつですね?)

パティスミスは女の子になぜか人気がありますね。
わたしはイマイチよく理解できなくて悔しいアーティストの一人です。
悔しいというのは、なんでも楽しめる方が世界が広がりますから。本当に残念。
ホーシズはいい曲ですね、元歌はメイヨトンプソンと言うテキサス人の歌だったような気がしますが怪しいです。
いつもながら守備範囲の広さに脱帽、そうですか、telefunken さんはハマコーだったのか...。


お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2717
かぱまんさまはお若いんですね。4aも58年から74年まで作っていますが、仮に58年としてもまだ46歳、74年だとまだ30歳ですもんね。
明治時代の寄席で歌われていた『松尽くし』、久しぶりに聞きました。いまではお座敷でもできる芸者がいない。『一本目には、伊勢の松、二本目には庭の松』
衛星でファントマをやってますが、ぼくとしてはジゴマのほうをやってほしい。あとチャップリンの原型になったマックス・ランデルとか、妖艶なイルマ・ヴェップを演じた大女優ミュジドラのやつ、あとはぜったいアヴァンギャルド映画。『フランダースの犬」なんかはちゃんとしたプリントで見たことがないので、衛星でやってほしい。
それで思い出すのはプロデューサーのピエール・ブロンベルジェで、なんとダリとブニュエルの「フランダースの犬』から寺山修司の『草迷宮』まで手がけているんですから、おそろしく活動期間の長いバケモノですね。カメラ界のハマコーといわれていい気になってるぼくも、ちょっと見習ってもっと長生きして世の中に害毒を流さなくちゃ。


Goerz お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2716
1911年に25周年を迎えたゲルツ社は力強い成長を続け、ロンドン、パリ、ウイーン、プレスブルク、リガ、サンクト・ペテルスブルクなどに支工場を展開し、ニューヨークにも製造所を設立した。というほどの意味です。あきらかに並列ですが、完全に同時か、少しずれているか、そこまでは表現していません。


一人だけ脳天気。 お名前: かぱまんさん [2004/09/30] No.2715
 月末やっちゅうのに、皆様真剣に世界カメラ史の議論を戦わせておられるっちゅうのに、僕は一人、脳天気にノンビリ休日です。
 だから仕事がうまくいかなかった訳でも(だって休んでるんやもん)部下がチョンボしてしまった訳でも(せやから会社に行ってへんねんっちゅうねん)ありません。しかーし、見事、僕は男になれました。Kiev 4A が King2 より明日夕刻に到着です。最大の敗因(?)は、その製造年でした。僕と同い年でしたので。
 今はただ、その到着を心待ちにしておりまする。とりあえずご報告まで。


…。 お名前: hirob_pさん [2004/09/30] No.2714
telefunkenさん、いつもすみません。何故かいつも同時になっちゃいます。


いろいろくだくだ お名前: hirob_pさん [2004/09/30] No.2713
>КМЗの会社案内の訳
すみません。ありがとうございました。単語としては「工場」じゃなくて「オフィス」なのですね。オフィスってどういう意味で使っているのかなぁ? ドイツ語は分からないのですが、ツイアスのページによると、「1911 konnte die "Optische Anstalt C. P. Goerz" ihr 25-jahriges Betriebsjubilaum feiern. Das Unternehmen war kraftig expandiert und verfugte uber Fabrikationsfilialen in London, Paris und Wien, Pressburg (Bratislava), Riga und St. Petersburg. Sogar in New York hatte man eine Fertigungsstatte errichtet.」と書かれていて、リガと並んでペテルスブルクの名前が書かれています。リガとは並列記載に思えますが…。何も分かりません…すみません。

よく分からないのですが、ガラス製造と機械製造とはかなり性質の違うものだと思います。ガラスはガラス専門の工場(又はライン)、機械工作は機械工作専門の工場(又はライン)という風に分担されていないのかな?と思います。機械工作のラインに、胴鏡製造のラインぐらいまでは入っているかもしれないけど、各種のガラス塊を製造する施設や研磨施設が一緒にあるというのは何となく変に感じます。機械工作で言えば、本体に使用する各種の金属塊(アルミ、粗鋼、ブラス等々)を製造する施設が一緒にある事のように思えます。つまり、ニコンの工場の中に新日鐵が入っているようなイメージを受けます。

…う〜ん。何が言いたいんだっけ?? 前回このお話が出た時も何となくしっくり来なかったんですが…。また、悪い頭を整理して出直します。

>オフィスの写真がありました。デジカメで撮って載せます?
私はとても見てみたいですが…。

そう言えば、先日、お話に上がったゾルキ3ですが、前は何も考えずに開けたのですが、先日カバーを開けたらハーフミラーらしきものがなくて、FED2とは違う構造のファインダーでした。FED2とKIEVとのアイノコのような感じ? これがゾルキ3のファインダーの見え方(明るいけど分離がちょっと見づらい)と何か関係あるのでしょうか? ゾルキ4でも同じ構造かな? また、いつか何か分かれば…中途半端な話ですみません。

>えっ今日は月末の〆なもんでこのへんで...
お忙しいところ失礼しました。明日10月1日からはまた存分に…なんて。


Kiev お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2712
うーん、故障つづき、なるほどねえ。でもそんな状態なら何かソビエト政府からクレームが来て、大金を投じて購入した機械がこんな具合じゃ。けしからん、すぐ修理いたせ、さもないとーーー、当時のソビエトと東独の力関係だとぜったいこうなって、その記録が残っていそうにおもうのですが、WiddersさんもHahnさんも、何も言ってないし、うーむ。でもなんで初期にはこんなに少ないのか、説明できませんね。
ゲルツのリガ支社
Zeiss IkonへのGoerzの吸収は1926年ですから、それ以前ならGoerzと書くだろうというのがひとつ。あとGoerzの海外の支社は独立で残った例が多いので、リガのもそうではないか、というのがひとつです。たとえばオーストリア・ゲルツ(ミニコードなどを発売)やアメリカのゲルツ(アメリカン・オプチカル)は独立で残っています。
RF
ナルホド、KMZやArsenalではうれませんね。ニッチもサッチもゆかない。変なオジサンとして反省します。日ごろマーケティングの専門家ヅラしてトークとかしてるのに、いやはや。
でもこのBBSのメンバーにだけは、大量に(?)売れる。

九成宮はそんな状態ですか。恐ろしい。石って案外やわらかいものなんですね。

ニコンはどういうわけか、Zeissにコンプレックスがあります。あそこの高級幹部などに共通してますね。なぜだろう。日ごろから憎いとおもってるらしい。創業当時に技術提携しようとしたら、猛烈な高額を吹っかけられて、断念してゲルツのリストラを雇った恨み(?)。でもこの高額というのは、単にこっちがビンボーだったからそう思えただけで、向こうにすればアタリマエの金額だったみたいです。それと戦時中に何かといえば海軍の技術将校に、ツァイスではできるのにお前んトコは何だ、とイヤミいわれて、恨みにおもって、それが語り継がれてるんでしょうね。海軍の測距儀はほとんどツァイス製かゲルツ製、まれにサン・ジョルジョ製(ツアイスのライセンス)でしたから、海軍はツァイスに対する絶対的な信頼を持ってました。戦時中に何人もの海軍将校から聞いたことがあります。


夜中、台風で起こされました。 お名前: Масяさん [2004/09/30] No.2711
うやむやなので私は支社と記しちゃいましたが、КМЗの会社案内の訳があります。
1905年にツァイスとゲルツが光学製造のオフィスをリガでスタートさせたとあり、1915年にオフィスがペテルブルグに移されてロシアの国営光学工場が設立されたっと。
この時点で工場になったということはそれまでは工場がなかった?1926年にクラスノゴルスクに移されて第69レーニン光学工場となる。ん?それまでツァイスとゲルツの下、ソ連の国営工場が運営されていたことになる?

例の「Мастера Оптики」に以前ちょっと記した当時のオフィスの写真がありました。デジカメで撮って載せます?

最新式RF:
考えてみればAFコンパクトって自動焦点式のRF?ズーム、AE等なんでも備えていますね。
よくRF機に35mmを付けて出かけるならばЗенит620にしようかとも考えるんですが。

えっ今日は月末の〆なもんでこのへんで...


台風凄かったですね お名前: hirob_pさん [2004/09/30] No.2710
>(Carl Zeissの半導体機器関係の大口得意先)
そういう事なのですか。訴訟当事者じゃないのに和解には出てきましたがハシコイ会社だなぁ。

>時代だなー。
後にツアイスに吸収されたゲルツの技術者から学んで始まったとtelefunkenさんにここで教わりました。その後、ミノルタ程ではなかったですが、ハネウェルの時はニコンも数十億支払っています。巧く逃れたのはキャノンとリコーだけでしたが、ニコンもこの時から知財に真剣になったのでしょうか。本当は、恩を仇で返さず、あのハネウェルから倍にして巻き上げて欲しいですけど…。なんて。

>実物を
うわ!凄い。多分telefunkenさんが目にされものの方が真筆に近いのだと思います。私が見たのは石碑レプリカです。皆が取拓するから本物は非公開なので、極本物に近いのは拓本でしか見れないと思います(公式の拓本ですよね?)。紙に書いた真筆ってのは写真でも見た記憶がありません。あるのかな? 九成宮醴泉銘は拓本でなくて本物の本物を見ましたが、人の目の高さの位置は摺れてツンツルテンになっていて元の字が分からないくらいでした。

>КМЗはZEISSのリガ支社から発展
お話の内容とは関係なのですが…。以前ゲルツのリガ支社と伺ったように思うのですが、なんでKMZは、統合後のツアイスの支社と書かず、ゲルツの支社と書くのでしょう? 以前挙げたツアイスのHPだと確か「工場」があったのはロンドンとかで「支店」があったのがリガとかだったような記憶です。とすればリガには工場施設は無かったのかな?とちょっと疑問です。工場施設のなかったオフィスを礎するとって一体…??と考えてしまいます。やっぱりリガは工場だったのでしょうか?  ってそんな事分からないですよね…。そのうち分かれば。

最近、肩が凄く痛いよぉ…。


Kievなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/09/30] No.2709
Kievの謎:
telefunkenさま、情報ありがとうございます。
 ロシア人工員が最初から投入されていて、イエナで訓練を受けたロシア人工員たちは1947年に帰国しているならば、1952年ごろからKiev製造台数が増大する理由は何でしょう。
 ドレスデンコンタックスの設備はそのままでは使い物にならなかったとして、イエナコンタックス設備も故障続きで使い物にならなかった。それで、Wolfgang Hahn氏らが、ロシア人工員と一緒になって、設備の改修工事を続けた。1952年ごろになると順調に稼動するようになったのでした。−−−と考えると、Kievとコンタックスに違いがあることも説明できます。
 ドイツ人技術者は原則5年間だったはずです。そんなに都合よく、改修に5年もかかって、5年でうまく改修が終わったとしたならば、話が出来すぎです。

最新式RF:
 あの−、失礼ですが、RFどころか、銀塩自体前世紀の遺物。最新型も、変なおじさんの単なる懐古趣味。技術や商品化が先にあるのではなくて、ニッチ市場のニーズに合わせて作るものでしょう。KMZやARSENALブランド品を作ったって、売れない。


世界の中心で、最新式レンジファインダーを叫ぶ? お名前: Масяさん [2004/09/30] No.2708
昼食に出た時、ウィンカーを出さずに曲がって来たフェラーリ360モデナとぶつかりそうになりました。

実は先日旅行博で貰ってきたアエロフロートの機内誌「オーロラ」に記されていたことなのですが、ソ連がイエナやドレスデンからキエフとクラスノゴルスクに設備を運んだという記述がありました。
記述の誤りはどうでもいいのですが、レンズの製造ラインはどうだったのか?ゾナー-クラスノゴルスクなんてのもあるし、私のКиев2のЮпитер8(Mに非ず)はクラスノゴルスク製...どうだったかなぁと思いました。
ご存知の通り、КМЗはZEISSのリガ支社から発展したから、戦前のツァイスレンズの一部は旧ソ連製?イエナのレンズ製造ラインだけは使える状態だった?
ん、КМЗのページには1948年のゾナー-クラスノゴルスク50mm/f2をつけたКиевの写真が、また1947年にドイツから工員が帰ってきた...ということはドイツ製のラインが持ち込まれた(買った)?
私も「Мастера Оптики」で捜してみます。

最新式レンジファインダー:
あ〜!これ、私も作ってもらいたいですが、私としては従来のレンズが使用できればいいのですが、AE化すればЮпитер12はまず使えないでしょう。ならば外付け露出計付きのがってКиевや従来のカメラにVCメーター付ければいいだけじゃん?
まだ、ドミトリーは読んでいるかな?読んでいたらКМЗもZEISS IKONのような最新式RF機作ってぇ〜
Арсеналへは掲示板に書き込むかぁ。その前にニコンマウント一眼のAE、モードラ化して欲しいです。


Kiev お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2707
GubasはJena製の3本ラインが着く以前にロシヤ人工員たちはDresden製ラインに投入されたとしています。またイエナで訓練を受けたロシヤ人工員たちもいて、これは1947年に帰ってきたのだそうです。


Kiev お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2706
Gubasはロシヤ人の工員は最初から投入されていたとしています。だとするとまたわからない。うーむ。


レンズ お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2705
ソ連が買ったラインの中にはレンズ製造ラインはなかったように記憶してますが、例の本も原本もちょっとどっかへ行ってしまって、確認することができません。探してつきとめておきます。でもさっきいったようにそれはCZJから運ばれた可能性が大きいです。


Carl Zeiss お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2704
Jena工場解体接収のときに、当然写真レンズのラインも含まれていたと考えられます。これの移設先はよくわかりません。なにしろ膨大な設備ですか数箇所に沸け足る必要があったでしょう。
ASML(Carl Zeissの半導体機器関係の大口得意先)とSMTがニコンに和解料を払うというのは面白いニューズですね。たしかに半世紀前、ニコンがIkonのパクリだといわれて、カメラまでNikkorに名前を変えていた時代とは隔世の感があります。
Zeiss Ikonも復活したことだから、このへんでKievも新しいRF機で復活したら堂でしょうか。Masya様、発破をかけておいてください。何をしとるか!おくれを取るな、と。
玄宗の筆跡の実物をごらんになったのですか。それはうらやましい。八分だとおもいます。シャープな筆致は拓本でもうかがえますが、実物はさぞかし。


Киев包囲網(バルバロッサ作戦展開中?) お名前: Масяさん [2004/09/30] No.2703
Привет
初めてКиевを知ったのって20年以上前で、実物を見たのはハタチの時でした(於レニングラード)。当時の価格、持参したお小遣いでは買えませんでした。
最終型の4M、4AMの時代でその後再度訪れた時に日本円にして約3万円くらいだったことを確認しました。メイボーオプテル社が輸入販売していた価格とあまり変わりませんでした。
外貨ショップでの価格でしたので市中ではどうだったんだろう...

っで実際数年前買ったのが4AMでした。ず〜っと欲しいと思っていたからホントに嬉しかったです。あまりにも嬉しかったので翌日にもう一台4タイプ2を買っちゃいました。その後モスクワに帰る度に増えちゃって...
確かに造り的には2(1953年)が尤もいいと思いますが、動作が一番滑らかと思えるのはこの4タイプ2(79年)です。ホットシューが付いた4AM系がもう一台欲しいと昨年末4Mを買ったのですがホットシューは使えず。でも露出計は大丈夫です。
あっ4AMに53mm/f2のЮпитер8Mが付いていたのですがレンズの固定ピンが他のものよりやや長いのでこの4AM以外に取り付けられない(こともないのですが硬い)...

私なら...3を持っていないので分かりませんが、露出計が稼動する4かなぁ...ケースもお忘れなく!(ケースがなくても牛乳パックでケースを作ったヤツもいるなぁ...)

telefunken様のお陰でКиев製造について分かったのですが、レンズの製造ラインはどうだったのか?ちょっと例の本が紛れてしまってどう書かれていたか分からないのですが、旧ソ連が購入したラインにはレンズ製造ラインも含まれていたのか、クラスノゴルスクにも運ばれた、クラスノゴルスクからキエフに移された?

ハッセルブラッド:
フジのTX-1もハッセルのOEM(どっちかな?)だったんですねぇ。これも数年前、ボストンの空港で何気なく買った写真雑誌に掲載されていて、ハッセルの35mmということで興味があったのですが暫くの間忘れていました。
例のツァイス・イコン、ローライ...もう何がなんだか分からない...

Пока


Carl Zeiss お名前: 管理人(金井)さん [2004/09/30] No.2702
ニコン、ASML 、Carl Zeiss SMT 間における、クロスライセンスと訴訟手続の和解に関する基本合意覚書締結について:
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/whatsnew/2004/0929_j.htm
 Carl Zeissの子会社はニコンに対して約64億円支払うことで和解したそうです。時代だなー。

内容のない投稿ですみません。


そうですかあ お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2701
みらんぢさま そうなんですか。何かでヴェルレーヌの子孫だと読んだものですから.マチガイの訂正ありがとうございました。
パティは大好きで、とくにホーシズがすきです。メイプルソープのジャケットもいい。


12角形はマストでしたね お名前: telefunkenさん [2004/09/30] No.2700
あんな軟弱なラインのカメラは、ツァイス・イコンの伝統に合いません、基線長だって100ミリぐらいにして、0.75倍にして実効75ミリにして欲しかっ1た、
15年前にツァイスの偉い人からハッセルブラードなんとかなりませんか、という打診を受けた。その頃からだな、くすぶってたのは、今回世界市場への販売委託もてこ入れの一環でしょう、



Return

Home 北方領土問題 やさしい北方領土問題 竹島問題 やさしい竹島問題 尖閣問題 やさしい尖閣問題 Blog