Return


Skryabin お名前: telefunkenさん [2004/08/20] No.2301
Masyaさま、くわしいご調査、ほんとうにありがとうございます。教えていただいたサイトは非常に興味深い内容です。hirob_pさまもご教示ありがとうございました。


Kiev, Skryabin お名前: telefunkenさん [2004/08/20] No.2300
キエフのラインは、まずその納入価格から言って、フルラインの本格的なものだと思います。さもなくばソビエト政府から重大な抗議を受けるでしょう。またいろいろな資料の記述も、このことを立証していると思います。
使いものにならない、ということなら、厳重なクレームが来て、当時のソビエトとドイツの関係からいうと、ただごとで済んでいないと思いますが、そういう事実を示唆する資料はいままで見たことがありません。
大谷という人が、ライカ、コンタックスとも戦前戦後を通じてインチベースで設計、工作されているという興味ある研究をしておられますが、これはドイツのいくつもの会社で見られる事実らしいです。ただしカール・ツァイス社は、戦前から、すべての製品をメートル法で作っていたそうです。ドレスデンのコンタックスラインはインチベースでしょうが、イエナのはどうでしょうか。図面がなくて現物から図面を起こしたと報国されていますが、カールツァイス系統の技術者が図面を起こしたとするとあるいはメートル法ベース?


うわ〜ん! お名前: Масяさん [2004/08/20] No.2299
もうこんな時間だぁ〜!
真面目に仕事してたら、真面目に調査する時間がなくなっちゃいました。
明日は先週のようにご案内がなさそうなので、サギソウ撮影のリターンマッチ、日曜は天気悪そうだから息子の友達をカメラ屋さんに誘ってみようかな?

スクリャビン:
日本語でこういうページがありました。

http://www.coollab.jp/Framethesis.html

では、よい週末を!(えっ自分で言ったコト、忘れてんじゃネェカって?)


Kievの謎 その@ お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/20] No.2298
telefunkenさま。
 佐々木氏や内田名人の話、ありがとうございます。佐々木氏の本の解説も、Widder氏の解説も、きわめて具体的で、それぞれ別個には大変よくわかるのですが、私の頭の中で、今ひとつ繋がらないのです。

佐々木氏の本には、次の事が書かれています。
 @JenaContaxはドレスデンとは違った特徴をもち、この特徴はすべてのJenaContaxに共通で、安定している。
 AKievは個体による差が激しい。47年はドレスデンの色彩が濃いが、だんだんJenaContax色が強くなり、49年以降はますますJenaContax色が強くなりさらにKiev独自色が現れ、50年代以降は独自の発展ををする。

また、Widderの解説では次のようになっています。
 BKiev製造ラインは3ライン有った。キエフに移送後はJenaContaxは作られていない。

 47年にドレスデンの部品を使っているのは、部品が有ったので、新たに作る必要が無かったのでしょうか。それにしては、47,48年のKiev製造台数が少なすぎると思います。部品が既に有るのなら、更に生産を拡大しようとしなかった理由があるのでしょうか。ドレスデンのラインも多少使えたのならば、なお更です。
 JenaContaxふうの部品が増えてくるのは、「ドレスデンから接収した部品が払底しつつあったので、Widderらの作ったラインを使って部品を作った」と考えられます。48年製Kievは総計2000台程度ではないのだろうかと思っていますが、これを3ラインで作ったとしたならば、1ラインで1日2〜3台の製造となります。少なすぎると思います。
 49年以降、Kiev独自の特徴があらわれるのは、製造ラインに大幅改修が施されたか、ラインが更新されたかいずれかだと思います。47年に導入後2年あまりしか経っていません。早すぎると思います。

 以上のことから、イエナの製造設備は「使い物にならなかった」「もともと生産効率が著しく低かった」。私の頭の中で、佐々木氏の本の記述とWidderの解説を繋げようとすると、この程度の事しか思い浮かばないのです。

 それとも、Widder等の作った製造ラインというのは、「ヤスリ・ドライバー・プライヤー等の日曜大工セット」に毛が生えたような、単純なものだったのでしょうか。そんな事無いですよね。Widderの解説を読んだ範囲では、完全に本格的なものだったと思います。
 telefunkenさま、本格的なものですよね。


テルミンと… お名前: hirob_pさん [2004/08/20] No.2297
>1872年生まれの1915年没
この人です! ちょっと前に話に出たことがあるテルミン(人)がテルミン(楽器)を作ったのは1920年頃(?)だそうですが、スクリャービンと接点があったのかなぁ? テルミンだったらスクリャービンのピアノを作れたかもしれないですね。


どひぇ〜!! お名前: Масяさん [2004/08/20] No.2296
Скрябин Александр,Николаевич (こうでした。スクリャビン アレクサンドル、ニコラエヴィッチ) орган (オルガン)で検索したら1893件...
1872年生まれの1915年没ですよねぇ...ページを開いてорган で検索してもひっかからない...効率を考えなくては...
ピアノにすると全く別の結果になりました。

テレビでそういうのって聞いたことがあるようにも気がします。
光を追いかけて「聖者の行進」を弾く...「ぼくにも弾けた!」はジャイアント馬場のCM。


昨晩書き込めなかった部分を… お名前: hirob_pさん [2004/08/20] No.2295
>スクリャービン

私には聞きづらく感じる曲が多い人です…。後ろの方のピアノソナタは何だか日本の民謡が埋もれているようにも感じられました。

あのプロメテウスで指定されている色オルガン?色ピアノ?ですが、以前、そのことを知り合いに聞いた時、その人(とあるメーカーでピアノを作っている)は作曲した時に勝手にスクリャービンが指定しただけで、希望的な記述だったんではないかとも言われていると言っていました(また聞きのまた聞きですみません)。つまり、スクリャービンが「考案した」とか言われるのは、音毎に光の色を対応させて、ピアノを弾けばその色がでるという楽器を頭の中で考案したのであって、技術的には彼は作っていないと言う事でしょうか…。

確かにあの曲はとても大きな編成ですし、盛り上がる曲なので、光を放つとすると強い光を放たないと観衆に訴えられないと思えます。だから、カシオの電子ピアノの鍵盤が光るのとは意味が違うのでしょうね。また、光がピアノ自信から発せられるのか、音に応じて別の場所に設置されている機械から発せられるのかも分からないと言っていました。その人曰く、彼の心の中に見える色だったという人もいると言っていました。世紀末の作曲家には余りに奔放な人が多いので何を考えているのか常人には分かりませんね。

でも、そういうピアノが実在しなかったという確証もないそうで、もし、あのピアノが当時実在したのだとすると、20世紀初頭にどういゆ技術を使ってどこからどうやって光を発することが出来たのか…そこが確かに知りたい所ですね。


うわっ早いですね! お名前: Масяさん [2004/08/20] No.2294
国有化の経緯はまだ分かりませんが、年表によると1905年、リガにツァイスとゲルツのオフィスが設立されたということで工場については書かれていないんです。
そして1915年にこれらオフィスがペテログラードに移されて、国営工場が設立されたと書かれています。管理機能は支社で製造は現地工場?
以前、КМЗのフォーラムで問い合わせたとき眼鏡のレンズを作っていたと言われました。

第一次大戦が絡んでくるのかな?当時のドイツとロシアの関係はどうだったかなぁ...敵対していれば国の管理下に置かれることもあるけど...ソ連になる前でラトビアとの関係は...
週末に「Мастера Оптики」を見てみます。

アレクサンドル・ニコラエヴィッチですね。見てみます。ん、ワレリーの弟と同じ名前と父称だぁ。


国有化 お名前: telefunkenさん [2004/08/20] No.2293
1915年にZeissやGoerzが国有化というのはどういう経緯からでしょうか。お教えください。
アレクサンドル・ニコライエヴィッチ・スクリャービンは神秘和音とかいろいろの新しい試みをした人ですが、調性と色との間に相関があるという考えから色光オルガンや色光ピアノを作らせたらしいのです。どやって光を出したのか、それがちょー知りたーい。Masyaさま。ヨロシク


忘れないうちに お名前: Масяさん [2004/08/20] No.2292
Привет
暑さがぶり返してヤんなります。朝電車を待っていたら汗ダラダラ...

Арсеналに供給されたかどうかは分かりませんが、以前話題になりましたが第一次大戦初期に英国やフランスから光学ガラスを買って、ペテログラード(現サンクト・ペテルブルグ)やイジューム(ハリコフから南東70キロほどの町)でレンズになったそうです。
КМЗの年表によると1915年にツァイスとゲルツ(もうヘルツではないんですね)がペテログラードに移されて国営光学工場になりました。この工場が出来てからペテログラードでレンズが作られるようになったのかな?

Арсенал社って創業240年の老舗(何の?)ですが、カメラ以外の光学機器も作っていたでしょうから、その辺りのレンズを使っていたかな?
それと、旧ソ連国内、КМЗの前身で製造されたツァイスとしてドイツへ輸出した?
1926年にバンキ村(現クラスノゴルスク)に移され、翌年に新しい光学工場建設、1941年の疎開(この頃は第69レーニン工場と呼ばれた)までゾナーが作られた?
あ〜、混乱しちゃいました!(何事も熱さのせい)

レベル:
昔1/72や1/32の飛行機をよく作りました。新宿にあったスロットのサーキットにもコックス製品と並んでレベルのキットもあったと思いました。
このサーキットもなくなって残念でした。

スクリャビン:
Скулябин органで調べてみましたが、色々あってまだ分かりません。

酒豪:
アルコールに強いロシア人の知り合いの中で一番は...彼女なんです...ウォッカ何杯飲んでも大丈夫で、酔っ払ったのを見たことがありません。

Пока


よくぞ言った お名前: telefunkenさん [2004/08/20] No.2291
カメラやレンズにはシロトの方が訳されたようで、プロントール、チャプスキーなどは朝飯前です。新潮社もよく出したなーという感じ。
セレン光電池の製造能力説は、茅ヶ崎の有名なZeiss修理家の内田先生のお説で、長年数多くの個体を見てこられた結果の判断でしょう。
たしかに露光計をつけるとプチブル的な外観になりますね。こないだウイーンの友達のとこで見たコメータがまさに化けて出たコンタックスIIIという感じで、M3とContaxIIIを共同埋葬したあと現れれる亡霊の感じで、ContaxIIIの遺伝子が6割、ちょっと資本主義的にダラクしたファインダーマワリの外装にライカM3の面影の感じでした。時間的に合いませんが、まあいいでしょう。


ギョルツ、コンプール、プロントール(新潮社版 ツアイスより お名前: みらんぢさん [2004/08/19] No.2290
>>セレン光電池の国産が思うように行かなかったから
そういえば、そう書かれていましたね?何の記事だったか忘れてしまいました。掲示板かな?
そのイエナ関連でその情報元が判ったらぜひお願いします。

Cdsも導入がずいぶん遅かったところを見ると、露出計の受光部に関しては
歴代のソ連カメラが苦労したようですね、禁輸品目だったのでしょうか?

でも
やっぱりプチブル的だから排除したがったんじゃないかなあ。と言う説で!わたしは。
というのは、ソ連製にはプロスペックのいわゆる高級機もほとんどありませんからね。

逆に画期的と思われるKIEV10などは海外に向けてインフォメーションされていませんね。
アルマースでの宇宙遊泳とともに輝かしい共産主義の成果を
ブレジネフ書記長の偉大な業績のひとつとして資本主義者に知らしめてやれたはずです。
なにしろ、スペック的には日本製に5年ほど水をあけられていたけれど、世界でも珍しいEE一眼レフでしたのに。

金井さんの投稿の後にしようと思ったのですが、ちょっと御目汚しでした。


Kiev お名前: telefunkenさん [2004/08/19] No.2289
佐々木さん(例のkievの本の著者)の話では初期のkievにはDresdenのパーツとJena製機械によるパーツが混用されているそうで、まずDresdenから接収したパーツを使うことを考えたのでしょうね。この混用が非能率の原因だと思います。微妙な違いがあると思いますから。なおIII型の少なさについては、内田名人の話ではセレン光電池の国産が思うように行かなかったからだそうです。ドレスデン製の光電池を使っている個体が多いそうです。
さいきんの資料ではDresden から運ばれたラインも完全にダメだったのではなくて使われたみたいですから、Jenaから運んだ3本と並べて使っていたのでしょうか。ドレスデンラインに言及したはずの資料は入手しているのですが、該当の箇所まで読んでいなくてすみません。どういうわけかドイツ語じゃなくて英語で、だらだら読みにくい問答体の長文なのです。インタビューした人間がアメリカ人らしい。


赤ちゃん お名前: telefunkenさん [2004/08/19] No.2288
のゲップがビールというのは凄い。かなちゃん(ぼくの知ってるうちで最大の酒豪)に聞かせなくては。
そのかなちゃんは無事に往復アエロフロートにのってきましたが、凄くキレイな機内でほかのヨーロッパ系の飛行機と何の変わりもなかったそうです。またモスクワ空港も明るくて立派(前にぼくが下りたときは暗かった)だったそうです。
フランスでは彼氏(ウマのカメラマン)の仕事の関係でロンシャンとドービルにいったそうですが、ドービルのハイソぶりには感心していました。
ヨーロッパやイギリスでは競馬というのは上流階級のイベントなのに、何で日本では山谷系のイメージがあるのでしょうね。


訂正 お名前: telefunkenさん [2004/08/19] No.2287
ヴァンチュラはフランスで『仕事』が正しいのです。死後はマチガイ。


クルマ、Zeiss お名前: telefunkenさん [2004/08/19] No.2286
Masyaさま BRMのご教示ありがとうございました。
Widderさんの記事とは別に、Carl Zeissのレンズ製造ラインも当然没収されていますし、Schott社のガラス製造ラインも没収されていますから、設置場所がどこだったかはわかりませんが、Kiev用のレンズも最初からソビエトで作られていたと考えられます。
Ventura
みらんぢさま。イタリア人ですからヴェントゥラでいいのです。でもフランスで死後しているのでフランス人はフランス語読みでヴァンチュラと言っていました。
ヘルマンのは立派な部分もありますがマチガイも多いという意味で頼りにしていないということです。なお新潮社から出た翻訳はいただけません。Zeiss本で最近信用できるのは三部作のCarl Zeissです。Die Geschichte eines Unternehmensという副題でBoehlauから出ていますが、各巻きごとにカバーしている年代と筆者が違います。第一巻(1846−1905)はZeissのアルヒーフに在職している人(Edith Helmut)とイエナ大学の経済史の専門家のWolfgang Muehlfriedelの共著です。第二巻が1905-1945でイエナ大学で経済・社会史の講座を持っている Rolf Walterの著です。第三巻(第一巻とおなじ顔ぶれの著者)がもう出ているはずで注文も出してあるのですがまだ本屋から通知がありません。


何となく晴れない お名前: hirob_pさん [2004/08/19] No.2285
>Kiev製造ラインは、レンズもありましたよね
るつぼまであったんでしょうか…?

>ジタン
ジダンはジタンを吸う?どうでもけど…。

>スパルタン?偏執的?虐待?
聞いた時は爆笑しました。妊娠中は忠告通りタバコも酒も断っていたそうです。産後はどっちも再開したそうです。タバコはちゃんと換気扇の下で吸っているとも言っていました。とても頑張り屋なんですが、ちょっとトンチンカンで面白い人なんです。先日書きましたが天然マニアの友人もいます。こっちは素朴で、もの凄く神経質です。今度この2人を同時に家に招待してみっか!と妻と言っています。反発するのか中和するのかな…?


お名前: みらんぢさん [2004/08/19] No.2284
Мася さん
そうです、レベルのコブラです。シャーシに合うモーターがもう亡いらしいです。

そうそう
ミルクに混ぜ物をしたら虐待です。それ以上ですねー
あくまで、体を通ってしまったアルコールですから。
赤ちゃんのげっぷがビールのニオイだったので驚いて
「もう飲むのを止めました。」というお母さんがいました。
半分ネタでしょう。


お名前: みらんぢさん [2004/08/19] No.2283
ソ連人はカメラ好きなんじゃないでしょうか?
カメラ雑誌も古くからあるようですし、プレゼントプレートのカメラもよく見かけます。
あげたり、もらったり、安い物ではないでしょうが
人民にも35mmカメラは広く流通していたんじゃないのでしょうか、いかがですか?
電気露光計についてですが、あの露光計は使いにくいもので
現代では、使い方を正確に語れる人もいないくらいです。
付属の露出読みとりプレートがあったそうですが、見たことがありません。
そういうこともあって、見識のある同志が生産に難色を示したこともあるのでは?
とはいえ
いったん生産が始まると、ロングランになったのは計画生産のためでしょうか?

レンズは、後玉のところのリングに6桁のシリアルナンバーがあると
「本物の沈銅zk」だと安心できたのです。しかし
無いものもある、ということだと思います。
zeissはよく判らないので、恥を掻かないようにこの辺りは深追いしません。

ボディーですが、1951までは51xxxxと4桁までしか知りません、だから51年くらいまでは少量のうちにはいるのでしょうね。

キエフはソ連で製造されていても、zeiss時代の仕掛け部品で作っていた時期もあったはず。しばらくは持ってきた物を使っていたと思えます。
イエナ製キエフは見たことがないのですが、区別が付くでしょうか??

49年の後半のタイプは外から見たパーツもキエフそのものになっているようです。(面白みは薄れてしまいますね)
そのような個体があるとなると
わたしは49年中にはキエフのラインは完成したんじゃないかと想像しています。
49年モデルは10年前のデータでは2000台以下でしたし
どんどん研究が進んでいますから、数字やデーターは変わっていくでしょうね。
アーセナルの扉がつぎに開くのは、ソ連崩壊クラスの国難がウクライナに起こったときでしょうか。





レッドスネーク、カモン? お名前: Масяさん [2004/08/19] No.2282
こ、これは...ACエースカかと思いましたが、フェンダーからするとコブラでしょうか?

モデル:
マトラは全てスロットレーシング用のレジン製ボディで下回りがないんです。知る人ぞ知る↓のお店にあるかもしれません。

http://www.sakatsu.jp/

最近行ってませんが。アレ全て1/24です。1/43のレジンモデルなら五反田のコジマさんにあるかなぁ...こっちも最近行ってないです。F-1のMS10や670は1/43ダイキャストありますね。

ヘッドライトのテープ...泣きました。クラッシュしてカバーを割っちゃったんです。
そー言えば、530ってアラン・ドロンの愛車じゃありませんでした?谷村新司や掛布はシトロエンSMに乗ってましたね。
こういう風に走らせて遊びたかったのでモスクワで1/24ロシア車のプラモデルを捜したのですが、ロシア製のプラモデルって戦闘機や戦車、しかも古いのばかりです。
友達もみんな子供の頃作って遊んだそうです。古いのばかりだけど新しいのないんか?と聞いたらトップ・シークレットと返されました。
そういう状況なので彼女のラーダ・ハッチバックを作ろうと思って似た車の模型をを捜していたら、マツダ・ファミリア(323)にそっくりなことに気がつきました。
最新鋭機のプラモデル欲しいなぁ...比較的大戦中の飛行機のモデルは入手し易くなっているようですね。
あっまだハセガワのミウラ買ってない!

ロードカー:
黄色のアルピーヌA442Bがルマンで優勝(確か78年)した時はパリ市内をこれで走りました。っと言っても凱旋パレードでしたが。
10数年前のフランスの公道レースの復刻イベントで例の670がナンバーつけて走りました。参加車中最も過激な1台だったとか。

メルクリン:
鉄道模型も好きですがNゲージ派なのでドイツ型を集めていてもメルクリンはない...

ジタンのトレーナー:
おおっ!私は原宿(もう行けないなぁ)、表参道(マイキーカフェに行ったっけ)の交差点近くのジタンショップで白、渋谷の今は無きF-1ショップで青いのを買いました。帽子は軽井沢だったかな?原宿のお店なんてもうないだろうなぁ。
車のデカールは模型用のデカールです。フランス製で1/24と1/43用があります。煙草ヤメたからもう貼れないかな。

5ヵ年計画:
ドミトリーの返事だったかに5ヵ年計画という言葉があったと思いました。カメラの製造もこういう計画に従っていたようです。
Киевまでは問い合わせられない...


Kiev&ZK お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/19] No.2281
ZK:
 Widderさんの作ったKiev製造ラインは、レンズもありましたよね。telefunkenさま、ちがいました?
 もし、そうだとすると、1948年のZKはイエナで作られたラインをソ連に運んだものと言うことになり、製造場所はソ連に間違いないと思います。1947年製だとイエナで試作された可能性もあります。
 イエナで作った製造ラインを使ってイエナで作ったものと、その製造ラインをソ連に運んだのちソ連で作ったものとは、本来区別がつかないはずです。ところが、これが区別がつくように思えるのは何故でしょう。さらに、1950年以降のJupitarは明らかに違っています。

Kiev&ZK(Jupiter):
現実に存在しているKievはこんな感じだと思います。(ちょっと違うかも?)
・1949年まで、製造台数は少ない。さらに、個体間の違いがある。
・1950年になっても製造数はそれほど多くないが、個体間の違いはなくなる。
・1952年以降になると、製造数も増える。1950年のKievと同じ特徴をもつ。
・1952年になって初めて、露光計付きモデルが現われる。
 こういった認識を持っているので、製造ラインはソ連に渡った後に何度か改修された、1950年以降は製造ラインの全取替えか、少なくとも大幅な改修がされた、そのように想像するのです。

露光計:
 露光計の付いたKievが一般的には贅沢であると言う点に何の異存もありません。
 でも、当時ソ連では、Kievを何に使ったのでしょう。党の報道宣伝用?。軍やKGB用?。こういう所で使うのならば、露光計の付いていたとしても、決して不当に贅沢ではないと思います。
 一般労働者や子供の場合、露光計付きKievの写真を見ることにより、スターリン同志の指導の正しさに確信をもったとしても、決して贅沢ではなかったでしょう。


>そんなスパルタンな事(No.2277)
 これって、スパルタンって言うのかなー。赤ちゃんのミルクに睡眠薬を混ぜて、ぐっすり眠らせると言う話を聞いたことがありますが、アルコールや覚醒剤は混ぜたらいけないと思うのですが。。。虐待って言うんじゃないかなー。


25年前、自由が丘でジタンのトレーナーを買ったことがあります。 お名前: みらんぢさん [2004/08/19] No.2280
>>Масяさん
620はこうして見ると、いまならロードカーでもOKなデザインですね。
モデル化されてたんですねー、知らなんだ。まだ手に入るんでしょうか?
630のヘッドライトのテープが泣かせます。

下のM530はメルクリン(鉄道模型の)製1/43で、非常に不人気なので
ショップでは、よく下の方に転がっています。

マトラM530は総プラスチック製ボディーで、デザインも少し変ですが、ミッドシップなところがさらにアバンギャルドで
ボディーは弱いのか、ガタガタに歪んだ530がフランスの道ばたに置いてある写真を見たことがあります。かっこいいです。
プラスチックというと金井さんの専門でしょうか?
マトラM530のプラスチックはFRPじゃない、と言う話も聞くのですが
射出成形だったら凄いですね。

金井さん
>>ZK
これは沈銅タイプで、戦前型ゾナーとzk1948はネーム違いだ。と思っていたのです。
ところがソ連メイド(ではないか?、という)のバレルだったのでした。

KIEV IIIの露光計ですが
贅沢だと思われる理由はわたしもいくつか用意しましたよ。
● 露光計付きモデルは、付かないモデルよりも不当に高価だ、と判断された。
●つまり、単体露出計を別に買った方が安上がりではないか!というわけです。
●製造コストが高くついてしまう。じっさい、contax IIIはかなりの割高だったから、製造コストも高かったとか?。
●Zeissの高級カメラはナチの国威高揚にも一役買っていましたから
イメージ的に嫌った。

セレン電池のあたらしい供給先としてもKIEV-IIIが有効と判断され、セレン電池の増産へ貢献した、ということで、最初は反対していた党の誰かさんも
KIEV-IIIの生産を許可したことで勲章を受けることが出来て
めでたしめでたし。

などなど・・・、たんなる思いつきですから、スルーしてくださってかまいません^^

>>telefunken さん
ヴァンチュラでしたか。忘れないようにします。
アーミン・ヘルマンは80年代が初出なんですね、それでは確かにちょっと古いということでしょうか。決定本を出してください。

***下の書き込みは変になってますね。
文字化けしている...、辞書がおかしくなっていたのかも知れませんね
そろそろハードディスクのお掃除もしなくては。
生まれは京都ですが、つまらないことに東京なんです。
画 像 : img20040819125819.jpg-(23 KB)


青き正常なる世界のために(ガンダムSEED) お名前: Масяさん [2004/08/19] No.2279
Привет
マトラ+アルピーヌ+リジェです。全て走行可能です。
思い出したら、620はBRMエンジン搭載仕様を作って、630はV12仕様にしたから68年になっちゃんだぁ。
F1は確かこれも68年のモナコ仕様だと思いました。この頃ってレースによってゼッケンとか仕様が違ってたんですねぇ。
アルピーヌA110は仕様に関係なく好きなように、A442はキットのままでルマン12分用にしてあります。リジェはタミヤのミニF1の何かから適当にティエリー・ブーツェン仕様にしてみました。
私、昨年までジタン喫ってたんです。
息子の部屋で撮っていたら、「たまには走らせようか」っで、よく見たらさいたま市に新しいサーキットがオープンしていた!

デンマークのページですが、マトラのページです。排気音も聞けます。

http://www.matrasport.dk/

しかし、マイナーなクルマでこんなにも盛り上がるなんて...


BRM16:
え〜っと、F1って2.5リッター→1.5リッター→3リッター→3リッター/1.5リッターターボ...とレギュレーションが変わってきました。
何年から始まったか忘れましたが66年までの1.5リッター時代にホンダが横置き12気筒なんていうエンジンを出しましたが最後のメキシコGPで初優勝を遂げました。
その時代BRMからも1.5リッターV8エンジンが出ていました。翌年、レギュレーションが3リッターになったので二つのV8エンジンを2個組みわせたエンジンが登場しました。これがBRMのH型16気筒です。
このエンジンはBRMチームだけでなくロータスにも供給されました。重いだけでパワーがなく結局1967年のアメリカGPでロータスのジム・クラークが1勝をあげただけでした。
この時BRMに在籍していたスチュワートも嫌気がさして恩人ティレルのマトラに移籍したそうです。

F1で155勝をあげたフォード・コスワースDFV V8も同じように二つのエンジン(しかも打倒ホンダを目指した)を組み合わせたような造りです。
英国人技術者ってこうなのかなぁ...技術者もお国によって特色があるのかなぁ。

昨日、何気なくАРСЕНАЛのページを見ていたら、掲示板に日本の方の書き込みがありました。よくあのサイト見つけたなぁ...

Пока
画 像 : img20040819094617.jpg-(47 KB)


お名前: みらんぢさん [2004/08/19] No.2278
hirob_p さん
>>そんなスパルタンな事
どうでしょうね、たまにしてしまうんじゃないでしょうか、今は暑いし。
三匹目なので、その辺はかなりアバウトですよ、最初の時は今思うと偏執的に
思うくらい気を遣っていましたが・・・ま、適当で。

それにしても
ほんの50年くらい前のことでも判らなくなってしまうものですねえ。
ウィーン、ストックホルム、シカ
藷凵Xソ連製カメラの司馬遷となって、しっかりバッチリ書き残していただきたい物です。



こんばんわ お名前: hirob_pさん [2004/08/18] No.2277
こちらこそお久しぶりです。たっぷり休みをとって子供を連れて北陸や関西へと遊びに行って帰ってきたら仕事が山でした。

>戦前はZeiss IkonでもIca工場に集中
>戦後のZeiss IkonでもContessa Nettelの工員が苦労

これ面白いですね。コンテッサネッテルやゲルツからきている戦前ツイアス銘のカメラ(私が持っているものなので全部安物カメラですが)では、ネジを全く使って無くて後から調整する事なんか全然考えずに作られているように感じます。なんだか組立てるという言葉のイメージが何だか湧かないような製品なんです。

>ラインはフルライン

以前このお話を伺った時はボケッと聞いていたんですが、もの凄い大々的なラインなのですね。

>実際にイエナコンタックスを作っているので

そうか…ちょっと前にイエナコンタックスをこちらで習いましたね。

>「故障続きでそのままでは使い物にない」

先に書かれたことの意味が分かりました。

>工員のなれ

プレス機のバネとか、切削機のビットとかなんとか色々消耗品はあるでしょうから、メンテナンスもただ事じゃなかったのでしょうね。

>任那の日本府って習いました?

習ったか習ってないかさえもよく分かりません…私の頭の中は歴史知識は(も?)ほぼ空っぽだと思います。すみません。

うちと同じ時期に出産した友人が「最近凄いいいこと見つけたよ。毎晩ビールを飲んでから授乳してみな、子供が9時間くらい爆睡するよ」と誇らしげに教えてくれました。…凄いお母さんもいたものです。みらんぢさんの所はそんなスパルタンな事されてませんよね?


Kievのライン お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/18] No.2276
hirob_pさま、お久しぶりです。今日は蒸し暑いですね。hirob_pさまは、任那の日本府って習いました?

Kievのライン
 製造ラインを立ち上げるのに時間がかかるという事はあります。でも、イエナでは製造ラインを動かして、実際にイエナコンタックスを作っているので、キエフに移送した後に何年もかかるとは思えません。日本の工場の海外進出でも、日本である程度製造して、ラインが問題なく稼動することを確認してから、海外に移転します。

>キエフに運び込まれたカール・ツァイス製のラインはフルラインで主要部分だけではないと思います。
 そうですか、Widderの説明を読んだ感じでは、部品製造も含む、完全なラインの印象を持ちました。
 もし仮に、完全なラインではなく、部品は別に作るのだったら、当時のソ・独の力関係では、部品ラインも一緒に持っていったろうなー。

材料の質:
 これは多いに有りうる事です。イエナの製造ラインは、ドイツで調達できる材料を想定して作っているだろうから、適合する材料がキエフでは調達できなかった可能性はありますよね。さらに、「電気の電圧変動がありすぎた」「砂埃が多くて機械がしょっちゅう止まった」なども考えられるのではないでしょうか。
 でも、工場の人間からすると、そういう時って、「故障続きでそのままでは使い物にない」って、考える人多いようですよ。今はそんなことないかなー。

 イエナではイエナコンタックスを試作しているので、イエナ的には完全な製造ラインだったのではないかと思います。でも、それが、キエフでは、故障続きで使い物にならない可能性は十分にあると思います。

工員のなれ:
 これは当然ありますよね。キエフのラインを立ち上げるときに一緒に行ったドイツ人技術者は、いつ頃までキエフにいて教育訓練に携わったのでしょう。さっさと帰ったのかなー? だったら冷たい。

ZK:
 こちらは、KMZの話ですね。
 ZKは一番前の枠に出っ張りがあるのに、Jupiterになると、それがなくなってしまいます。こういうところからも、製造ラインは更新されたか、大幅な改良が施されたのではないだろうかと思ってしまうのです。

露光計:
>電気露光計付きはプチブル的ということで党内で反対者がいた
 この説、面白いですね。でも、それはちょっとないのではと思います。1950年以前にキエフを一般労働者が個人趣味用に持っていたとは思えないので。
 当時、電気露光計が付いていたら、とても優れたカメラだったでしょう。東側はこんなに優れた製品を作っているのだぞって自慢するためには、恰好のカメラだったろうに。このように思うので、露光計付きが大幅に遅れた理由に興味が湧きます。

京都:
 みらんぢさんも京都の人なのですか。多いですね。


ヴァンチュラ お名前: telefunkenさん [2004/08/18] No.2275
おおなつかしのリノ。あのツナギのロゴに目をつけるとは!!!
それにぼくがアンチニコンであること、しっかりチェックされてるのですねえ。みらんぢさん、おぬしできるのう。
こないだのトークショーでもニコン〔現行機)を攻撃して、関西弁で言うボロクソにいっときましたが、いま社長やってる鶴田さんに悪いのでちょっとお詫びを入れときました。


色光オルガン お名前: telefunkenさん [2004/08/18] No.2274
スクリャービンが開発した色光オルガン、色光ピアノというのはどういう構造なのか。ご存知の方はお教えください。
シムカ・マトラ
Masyaさま、すごく参考になりました。ボクサーエンジンが何だったのか、興味が大きいです。それとお話に出てきた16気筒マシーンの詳細をできるだけ教えてください。いま多気筒病にかかっています。


キエフのライン お名前: telefunkenさん [2004/08/18] No.2273
キエフに運び込まれたカール・ツァイス製のラインはフルラインで主要部分だけではないと思います。
なおアーミン・ヘルマンの本の記述は、ぼくはあまり頼りにしていません。


仏壇とキエフ お名前: telefunkenさん [2004/08/18] No.2272
かぱまんさんにウケてうれしいです。引き出しを開けると、というのが気に入りました。仏壇を新調すると拝んでもらいますがあれでインストールしているのですね。京都の家の仏壇はセカンドハウスにしたときに『抜いて』もらいました。つまりアンインストールされているわけです。二階の六畳間のひとつに仏壇をおいた理由は一階ではジャマになるという罰当たりな理由です。
キエフのラインの生産性が低かった理由はよくわかりませんが、ぼくの友達の意見を聞いて見ます。金井さまの説もなかなかイケルのですが、ああいうものはダメならダメでぜんぜん使い物にならない気がするのです。中途半端にダメという状況が想定しにくい。考えられるのは工員のなれですね。35ミリカメラの製造というのは他のカメラとはかなり違うみたいで、戦前はZeiss IkonでもIca工場に集中されていましたし、戦後のZeiss IkonでもContessa Nettelの工員〔蛇腹カメラの経験しかない)が苦労したそうです。







お名前: みらんぢさん [2004/08/18] No.2271
hirob_p さんと同着で投稿してしまったようですね。

イエナから運び出す様子は
新潮社から翻訳が出た「ツアイス」で読みましたが


もう何年も前に一読しただけだから忘れてしまいましたが・・・
財団創立50周年だかの「ツアイスの歴史(だったかな)」という本が
ソ連軍に思想的問題があるということで出版停止になった、というところを
思い出しました。
日本のチャンバラ禁止とか占領地域は厳しいんだなあ。
イラク人もきっと不満がたまっているでしょう   話が飛びすぎましたね。


お名前: みらんぢさん [2004/08/18] No.2270
>>生産数はノルマで決められていて、それよりもたくさん作ると勲章がもらえるのです。

そうでしたか、すると50年まではラインがうまく稼働していなかったのか、試験運用のように扱われて猶予があったのか...
そういえば、Peter Hennigさんのサイトにも赤い勲章?入りIIIの写真もありましたね。
当時最高級機につけられていた電気露光計ですから
電気露光計付きはプチブル的ということで党内で反対者がいた、生産計画に入れるか入れないか
党と工廠での激しい議論の末
「セレン光電池の生産増大にも貢献する!」
という発展的解釈が採択されて
ようやく1950年、生産計画に入った。
というのはどうですか?


製造台数… お名前: hirob_pさん [2004/08/18] No.2269
とうとうお盆が終わってしまいましたね。今週末に花火を見たら今年の夏も終わりという感じがしてきました。暑さだけはまだ夏ですけど…。

Kievの生産台数のお話:あまり良く分かってないのですが、色々考えると面白い話題ですね。

考えていると以前からお話にでているkievに運び込まれた「ライン」ていうのは具体的にはどのようなラインなのかな?と疑問に思えてきました。主要ラインだけなのでしょうか?それとも、やはり専用部品を製造する設備まで揃った完全なラインなのでしょうか?

部品点数の多く精度を要する製品は、別施設で各部品を専門的に製造して部品精度を確保し、これをある程度ブロック的に組み立て、そして、やっと最終的に統合して全体精度を確保して製品が得られるものと思います。

例えば、ネジ等は従来からソ連でも作っていた部品だと思うのですが、コンピューター制御のNC旋盤も無い時代にあの複雑で高い精度が必要なヘリコイド部品を大量生産できるのは凄い技術だと思います。このようなコンタックス専用部品は運び込まれたラインで製造できるものだったのでしょうか? このラインがあったとしても、いきなり最盛期のZeissの稼働率と同じ生産量をソ連で確保出来たのかちょっと疑問に感じます。各ラインにZeissで働いていた熟練工を確保できたとも限りません。

ラインの稼働率は最初から良いわけではなく、例えば、使う金属のばらつきによって切削速度をコントロールする等、少しづつ追求していく必要があると思います。詰めていってあらゆる原料などのばらつき等が吸収されて、最終的に最高の稼働率が確保できます。当時は今のJIS等のような規格があって、金属組成がコントロールされていて、所定の金属材料の番号をインプットして、決まったオイルを買って来て、という訳には行かなかったと思います。だから、Zeissと同じ金属が無い場合は、その金属に代替品を探して、例えばヘリコイドだったら、そのサイズの鋼管にする作業から始まり、あらゆる連携作業が必要だったと思います。…と考えると、ラインをZeissから買ったとはいえ、途方もない作業をしていたのだろうなぁと思えてきます。あくまで想像ですけど。

3年間くらいは稼働率を上手く上げられなくてもしょうがないようにも思いますが、当時のソ連にはそんな事はお茶の子さいさいだったのでしょうか?


キエフ製造台数の謎 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/18] No.2268
 KMZのページを見ると、KMZでのカメラ製造台数は、1948年には25992台、1949年には31312台に達しています。Kievが1949年で7000台だとしたら、いかにも少ないと言う感じがします。ソ連では需要によって供給が決まるわけではなく、生産数はノルマで決められていて、それよりもたくさん作ると勲章がもらえるのです。 製造台数が少ないのは、製造設備に問題があったか、材料調達に問題があったか、労働者・技術者の問題か、そんなことしか思いつかないのです。
 Kievの町は、戦争中ジューコフが見殺しにしたところなので、戦後、ある程度優先的に復興したのではないだろうか、そんな気がします。だからこそ、Jena製の製造設備を置いたのだと思います。だから、材料調達に問題があったとは考えにくいのです。
 と、考えてゆくと、製造設備か製造技術以外の理由が思いつかないのです。ちがうかなー。
 それとも、Jenaの製造ライン3つでは、年間数千台の製造がやっとだったのかなー。でも、もしそうだとしたら、露光計付きモデルを作らなかった理由が説明できないのです。
 うーん、なぜだ、うーん、うーん。


お名前: みらんぢさん [2004/08/18] No.2267
下の↓>>だんだん売れ行きもよくなって、生産数も増えていったのでは

そういえばキエフは5カ年計画のような生産計画に入っていたのでしたか?
だとすると売れ行きでどうこういうことはないですね。


お名前: みらんぢさん [2004/08/18] No.2266
F-1のマトラはマトラシムカフォードという長い名前でしたっけか?
「F1史上もっとも汚い音」の爆音をとどろかせたそうですね、そんなとこばかり覚えていますよ。
わたしも大好きなのでマトラのモデルカーもけっこう集めましたが
映画の(アランドロンの)『冒険者たち』、という甘いお話の映画で
中年の解体屋役のリノ・ベンチュラが
映画のなかで作っていた「夢のエンジン」をサーキットでテストするとき
背中にマトラのマークが入ったブルーのつなぎを着ているシーンがあるのです。
それが欲しくて。かっこいいんですよ。

話は変わって
キエフですが

我が国のライカコピー機は日本流の解釈と言えば聞こえはイイですが
オリジナルメーカーからすると“コピー”に手を加えた贋物にすぎないかも知れませんね。
telefunken さんの攻撃の的になっている(^^)NikonSもデザインを似せたのが仇になっているような気もします。アルマツもそうかな。

キエフはオリジナルメーカーの暖簾分けみたいなものでしょうか。
40年代の生産数は少ないと入っても
1949ではどうやら総数は7000台近いようです。

ソ連製カメラの、とくにゼニットの生産数が100万、200万という数字を聞いてしまうと極小に思えますが、同時代の日本製カメラが
名の知れたものでも数千台しかなかったようですし
ソ連国内の「コンタックス」のニーズがまだ育っていなかった事も考えられるのでは?

戦勝国とはいっても国内はまだ混乱もあったかも知れません。
決して安い物じゃなかったと思えますし
だんだん売れ行きもよくなって、生産数も増えていったのではないでしょうか?
画 像 : ぼけすぎ M530-(12 KB)


どーも間違いのようでした。 お名前: Масяさん [2004/08/18] No.2265
マトラ-シムカ(630-670)に搭載された12気筒はすべてV型のようでした。あの水平対抗のエンジンは何だったんだろう...
ちょっと面白くなってきたので、ちょっと調べてみます。630は1967年に現れましたが私が作った630は1968年仕様でこれまたうっかり!


うっ! お名前: Масяさん [2004/08/18] No.2264
Москва:
1946年に1が製造されたとくらいしか書かれていないんですぅ...
っで以前、КМЗの掲示板で製造された経緯に尋ねたら、例の「戦争を忘れるために作られた」という返事でした。
本やフョードルの記述で開発の経緯については書かれていないんです。あっそう答えたのはフョードルでした。

あっまだドミトリーに返事書いてない...


うぉう!! お名前: Масяさん [2004/08/18] No.2263
Привет
昨日はサーバ不調ということで夜覗いて見れば...シムカ12気筒!
時間がなくてロクに調べられませんでしたが当初マトラ12気筒と勘違いしていました。でもちょっと関係がありそう...

分かるところでは、1972年のルマンで優勝したマトラ670に搭載されていたようです。排気量は3リッターです。前年の660に搭載されていたかはまだわかりません。
スーパーCGでフランスのある自動車博物館が開館した時の特別展でマトラのレーシングカーにならんでブガッティばりに四角ばった水平対抗12気筒のシムカのエンジンがあったような。

っでちょっと勘違いしたマトラの12ですが、1968年には630やF1に搭載されていたようです。これはV型だと思います。この頃F-1ではマトラは二つのチームがあり、一つはマトラ12気筒を積み、もう一つはフォードV8を積んでいました。
フォードを搭載したチームを率いていたのがケン・ティレル。後年日本人ドライバーや日本製エンジン、赤羽野菜開発団(カルビーとも言う)がスポンサードしたことで日本に馴染みがあるチームだと思います。
っで、マトラ・フォードが1969年、ジャッキー・スチュワート(私の好きなドライバーの一人。スチュワートチームのポール・スチュワートの父親)で世界チャンピオンになりました。しかしマトラから1971年にマトラの12気筒を搭載しないと援助しないぞっと言われたそうです。
ティレルによると、当時マトラはクライスラーから開発資金を貰っていたそうでした。クライスラーはシムカを買収して潰した最も嫌いなメーカです。12気筒エンジン開発でマトラとシムカはここで関わっているんじゃないかなぁ...

あっ面白いエピソードが!1968年の英国ワトキンスグレン・サーキットでケン・ティレルがガソリン缶をひっくり返してパドックでボヤ騒ぎを起こしたんです。すぐに消火して事なきを得たんですが、現場にマトラ、BRM、ホンダが残されていたそうです。
この3台はとても重いので2、3人では動かせなかったそうです。特にBRMなんかは16気筒でした。でもマトラ12気筒車が一番重かったそうです。

実はマトラMS670が日本を走ったことがあります。1990年前後だと思うのですが、岡山県のT&Iサーキットの柿落としのようなイベントで往年の名レーサーが1960年代から70年代にかけてのポルシェやフェラーリで走りました。その中に1台670がありました。
しかし、純正のエンジンを持ち出すことが許されなかったのでフォードV8を積んで走ったそうです。水平対抗の所にV8積めるのか?サイズは小さいだろうけど...う〜ん、ちょっと面白そうだなぁ。

土日に彼女の住むジュコーフスキーで航空ショーがありました。沢山の写真が送られてきました。その中の一枚を!
デモンストレーション中のスホーイ30だそうです。今回スホーイとミラージュが多いです。

Пока
画 像 : img20040818094742.jpg-(14 KB)


Kievの謎 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/18] No.2262
Kievの謎
 Jenaで作られた製造設備が1947年にKievに運ばれて、それ以降その製造設備でKievは作られたのでした……とすると何も謎は無いのですが、それにしては、ちょっと疑問が湧きますよね。
 1947,1948,1949年製Kievの製造台数が少ないのは何故か。この頃のKievや付属レンズに違いが多いのは何故か。何故、露光計付きのKievは、1950年以前に作られなかったのか。1950年以降になると、Kievの製造数もぐっと増え、個体間の違いもなくなってきます。

 で、私の勝手な推測。
 Widderさんらの作ったKiev製造設備は、故障続きでそのままでは使い物にならなかった。Arsenalの技術者は、そんな設備は捨ててしまいたかったのだけれど、高い金を出して購入したのだからそういうわけにも行かず、小修正・修理をしながら、だましだまし使って、1947,1948,1949型のKievを作った。Widderさんらの作った、露光計製造設備は、修理しても使い物にならなかったので、工場に搬入したのと同時にゴミになった。こんな状態では仕方ないので、Arsenal技術者は1950年ごろ、別な製造設備を作った。

 この推測には大きな欠陥があります。Nikon-Sの存在です。Nikon-Sは外見はContaxですが、中身は複雑なContaxとはせずに、単純なライカを真似ています。ArsenalはNikon-Sのようなことをしないでも良いだけの、当時としたら高度なカメラ製造技術を、持っていたのだろうか。そもそも、ArsenalにKiev製造設備を作るだけの力があったならば、JenaにKiev製造設備を作らせるようなことはしなかったのではないだろうか。

 このあたりの事情は、Kievが情報を開示してくれないと、謎のままです。

MOSKVA:
 はどのようないきさつで作られたのでしょう。KMZの社史に、何か書いてありますか。


お名前: みらんぢさん [2004/08/17] No.2261
わたしは京都生まれなんですが、近所の記憶しか無くて
京都のイイ風物はじっさい触れずに東国に移ってしまったので残念ですよ。
床の間に祇園祭の鉾のミニチュアセットがずーっと飾ってありますが
船鉾だけ40年近くなかったのです。
このあいだやっとケースに船鉾を入れてコンプリーとしました。
つまらないことですが2代かかってコンプリートコレクションしたわけです。

ツアイスの50mmゾナーレンズには6桁のシリアルがあって
キエフの初期のレンズにもそれがある、ということになっていますが
わたしの見た1948zkにはなかったのです。

ツアイスのメーリングリストを主催している方に伺いましたらば
玉はそのものだが
後期の物はロシアンメイドのバレルだ、ということでした。
ボディーのキエフの方はフォーカシングギアなどコンタックスIIの部品らしい物もまざっていましたが
少し後のシリアル番号帯ではキエフ純度が高まっているようです。

zkレンズはツアイスのネーム違いと信じ込んでいたのですが
案外早い時期に「国産化」になっているといことなでしょうか。

ツアイスのゾナーで6ケタのシリアルがないモデルはあるのでしょうか?


お盆にちなんで。 お名前: かぱまんさん [2004/08/17] No.2260
 昨日久しぶりに送り火を観ました。近所に「鳥居形」が良く見えるポイントがあったのに、昨今の住宅立て込みであまり良く見えませんでした。でも日頃無信心な僕でも、思わず手を合わせたくなる程の荘厳さでした。
 さて、telefunken様の「仏壇はあの世からの端末」説、非常に面白いですね。ビジュアル的には、仏壇の引き出しを開けると、あの世までビューん…、という「ドラえもん」のイメージです。でも仏壇って個人の所有に属するものではないですよね。「誰それの仏壇」というよりも、「どこそこ家の仏壇」という感じでしょうか。墓石(墓地)もしかり。強いて云うなら、位牌が個人と深く結び付いているものでしょうね。お家の二階にお仏壇がある、というのも僕にとっては珍しいです。


シムカの12気筒 お名前: telefunkenさん [2004/08/17] No.2259
これの実物が出たのは何年で、細かいスペックはどんあものでしょうか。よく知らなかったのですが、非常に興味があるので、Masyaさま、お教えください。


葬儀会社 お名前: telefunkenさん [2004/08/17] No.2258
日曜のさんまさんの番組で見たのですが、64歳(不確か)の爺さんで、メル友の名古屋の女の子に会いにいったら彼氏と一緒に来ていてガックリ。落ち込んでいたら病院で女性に声をかけられた。喜んでつきあいだしたらその女性は葬儀会社のセールスウーマンで、仏壇も百万円のを値引きで売ってくれるという親切なオファーなんですが、このへんの経緯をこのジジイが替え歌で歌っていました。ぼくも病院で声かけられたら用心しなくちゃ。でも自分用に仏壇を新調する人っているのでしょうか。
京都の家の二階の一室にでかい仏壇があって、友達をその部屋の隣の部屋に寝かせたら気味がわるいとクレームがきました。お前は悪いことをしてるから、タタリがこわいのであろうと反論しておきました。でも考えてみると仏壇って自宅へ来てるあの世(?)の端末ですよね。考えた人はアタマいい。あれがあの世と光ファイバーでつながってたりすると面白い。四谷怪談のお芝居でも仏壇の中に幽霊が入ってゆくトコがあったみたいな記憶がある。するってえと幽霊は出る前や入った後は何かを経由してあの世と往復するはずだから、それが光ファイバーであったりADSLのように金属系であったりしてもよいはずだ。
昨夜は京都は大文字で、これで京都の夏は終わり、秋が嵯峨野あたりから忍び寄ってくるのです。こうなるとまた祇園あたりの濃密な夜の闇が恋しい。


大納言 お名前: telefunkenさん [2004/08/17] No.2257
アズキの大納言は、煮ても腹が切れて中身が出ない、つまり切腹しないというところからの命名だそうです。
大納言は『大臣とともに天下の政事を議し、大臣なきときは太政官の政務を専行』と『官職要解』にあるので、かなりエライ役職ですが、この大納言以上は処刑のときも死刑にはならない。切腹は無いのです。だから遠島が最高刑ですね。こないだ昭和天皇の処刑という話が出たときに思ったのですが、もし実行したなら、昔の天皇のように島流しにしたかも知れませんね。死刑になった東条さんなども大納言以上の位のはずですから、絞首刑は日本の大宝律令以来の法制から言うとおかしい。アメリカみたいな国の裁判官がリードしたのだから、そういうところはまったく不勉強だったのでしょうし、あの極東軍事裁判そのものが、依拠する法律が無い状態でしょうから、何でもありだったんでしょうね。ナポレオンも死刑にはせずにエルバ島とセントへレナと二回島流しにしていますから、教皇権の浸透しているヨーロッパでは、ちゃんとした人が仕切っている場合は、教皇によって皇帝にされた人は死刑にしないのでしょうね。ルイは皇帝じゃなくて王だったから、または仕切った人たちがそのへんの斟酌を欠いていたので死刑、ツァーは皇帝なのか王なのかわかりませんが、なぜ死刑にしたのでしょうね。宗教的権威を認めなかったからなのかな。


掲示板復旧 お名前: 管理人さん [2004/08/17] No.2256
今朝から、この掲示板は停止していました。
復旧しました。

閲覧、投稿とも問題有りません。

原因:
 CGIを若干修正しようとしたのですが、Perlは苦手なので、分らなくなってしまったのです。お恥ずかしい次第です。

今後ともよろしくお願いします。


補足 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/17] No.2255
No.2254はNo.2253への回答なので、一部説明不足があります。この投稿は、No.2254の補足であって、No.2253への回答の一部をなすものではありません。

私は書きました。
>朝鮮半島における南北国家の問題は、朝鮮民族自身が決定すべき事で、外国・外国人が干渉すべき事ではありません。

 このことに自体には誰も異存はないと思います。しかし、現実には、無関係でいると言うわけには行かず、何らかの態度が求められるわけです。

 以下のどれが正しい不干渉なのでしょう。
@常に、南の政策を支持する
A常に、北の政策を支持する
B南北の政策に対立がないときは、それを支持するけれど、対立があったときは日本の国益に沿って対処する。つまり、南の政策を支持する事もあれば、北の政策を支持する事もある、さらに、どちらとも異なる場合もある。
C南北の政策に対立がないときは、それを支持するけれど、対立があったときは、どちらにも付かない。

 日本は不干渉であるべきだと口では言いながら、その実@を強要する態度をとる人もいます。このような態度は、仲間に行くべき利益も、自分だけが手にしようとする、人間として最低な態度であって、決して賛成しかねます。
 Aを主張しているかに見える人もいます。でも、現実にAは有り得ないので、本気で主張しているわけではないと思います。
 Cは中立的態度です。このような態度をとる政治家は、今すぐにでもやめて欲しい。政治家の資格なし。でも、政治家ではない、一般人ならば、こういう主張も良いのではないかと思います。
 現実の政治としては、Bが正しい態度だと思います。何が日本の国益か。これは日本・日本人の問題です。

 以上、No.2254には不足があるので、補足で書きました。
 しかし、この話題は、この掲示板にふさわしい話題では有りませんので、特に必要のない限りあまり触れないで下さい。
 No.2253の投稿はNo.2244への反論ですので、全く問題ありません。


Re:韓国 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/17] No.2254
Jun Yoon Kim さま、投稿ありがとうございます。

>韓国と北朝鮮の問題は、日本人が干渉することは反対です
 私も同感です。朝鮮半島における南北国家の問題は、朝鮮民族自身が決定すべき事で、外国・外国人が干渉すべき事ではありません。

 しかし、Jun Yoon Kim さまの、主張がわかりません。

>韓国・北朝鮮の用語の使い方は、公平に考えたらおかしいけれど、
 この部分の日本語が理解しにくかったのでしょうか。たしかに、上手な日本語ではありません。
 「韓国」の用語が間違っているわけではありません。「韓国(あるいは大韓民国)」「朝鮮民主主義人民共和国」ならば、正しい使い方です。朝鮮民主主義人民共和国のことを北朝鮮と日本語で略称する事も正当です。このように、日本政府外務省は説明しています。
 しかし、「韓」「朝鮮」共に、朝鮮半島全体を表す言葉であるにもかかわらず、日本で「北」だけをつけて呼ぶのは、日本の政治状況の反映だと思います。
 「大韓民国」と「朝鮮民主主義人民共和国」間の正式会談で、韓国・北朝鮮の用語が使われているならば、私の認識は完全に誤っています。Jun Yoon Kim さま、そのような事実があるのでしょうか。

>日本の政治的立場を表しているので、仕方ないと思います。「韓国」は南北両方を表している言葉なので、南の政権を「韓国」と呼ぶのは、「南が唯一の合法政権であり、北は偽の政権である」との政治的立場の表明ではないでしょうか。
  私は、このように書きました。日本の政治状況の認識です。日本人である私が、日本の政治状況に対してどのように認識し、日本の政治にどのように行動しても、韓国人にとやかく言われることではありません。
  Jun Yoon Kim さまの、抗議文で、この部分をも引用している理由がわかりません。

>韓民団系の人たちは「韓国・北韓」の用語を使います
 まず、「韓民団」の用語は正しくないと思います。通常「民団」とだけ言いますよね。韓国系在日朝鮮人の団体の事ですが、「韓民団」と使うと、何か失礼にあたりますか。
 次に、ここに書いた事は、10年以上前、民団系の知人たちが使っているのを聞いた話ですが、事実に反しているのでしょうか。

>朝鮮総連系の人はどういうのだろう。南朝鮮と共和国かな?
 この部分は?をつけたことからもお分かりと思いますが、私は知らないのです。Jun Yoon Kim さまはご存知ですか。
 もう、かなり以前のことですが、日本向けピョンヤン放送を聞いていたとき、北のことは「朝鮮民主主義人民共和国」と言い、「南」のことは、「南朝鮮」あるいは単に「南」とだけ行っていたように記憶しています。Jun Yoon Kim さま、事実認識に誤りがありますか。

>管理人氏が書いていることは朝鮮民族を侮辱です
 どこが、なぜ侮辱にあたるのか、それを書いて頂かないと、さっぱり理解できません。


韓国 お名前: Jun Yoon Kimさん [2004/08/17] No.2253
私は日本の大学に学ぶ韓国人です。
管理人氏が書いていることは朝鮮民族を侮辱です。
韓国の住民として断固講義します。
日本は過去に韓半島を植民地支配をしていながら、このよう反省はない
韓国と北朝鮮の問題は、日本人が干渉することは反対です。
このような場で朝鮮民族を差別する管理人氏がまず謝罪することです。


韓国・北朝鮮の用語の使い方は、公平に考えたらおかしいけれど、日本の政治的立場を表しているので、仕方ないと思います。「韓国」は南北両方を表している言葉なので、南の政権を「韓国」と呼ぶのは、「南が唯一の合法政権であり、北は偽の政権である」との政治的立場の表明ではないでしょうか。事実、韓民団系の人たちは「韓国・北韓」の用語を使います。朝鮮総連系の人はどういうのだろう。南朝鮮と共和国かな?


名前 お名前: telefunkenさん [2004/08/16] No.2252
名前はすべて美称
そうですね。たしかに。
日本府
戦前でも習いました。
特許は有害
Zeiss財団の創設者のAbbe教授も同意見で、財団関係の企業の特許取得を、学術目的の製品については定款で禁止していました。でも1905年に自社の製品〔顕微鏡〕の特許を他社にとられたので、Abbeの後継者たちがこの禁止条項を定款から削除しました。
ジャップというブランドを自社製品〔ファッション関係)につけた若い人がいて、苦情が出て改名したのですが、ジャップが蔑称であることを知らなかったそうです。ちなみにJAPANというスペルにも問題があって、ANの語尾が形容詞語尾と同形ですから、JAPが語幹という感じがあるのかもしれません。ちなみに辞書にはjapan chinaという用例があって、日本製陶器としています。
前にアメリカ人と議論したのですが、alienというのはジャップやチンク(中国人に対する蔑称)とおなじ蔑称だと彼はいうのです。でも外国人登録はalien registrationですし、イギリスではalienを外国人の意味で使っています。もしかするとアメリカの地方によってはそういう意味があるのかも知れません。


そうなんですかぁ! お名前: Масяさん [2004/08/16] No.2251
今朝の埼京線は結構混んでいました。またちょっと遅れてました。実は私、知る人ぞ知る混雑する埼京線で殆ど毎朝座って通勤してるんです。

樹脂マウント:
ペンタMZ-Mや60の樹脂マウントを見て、実は金属マウントに交換すればいいか?っと思っていました。
できるかどうか調べてませんが...

ドミトリー:
何か金井さんと話が合うんじゃないかなぁと思いました。

日本府:
確かに「任那に日本府を置いた」っと教科書に書いてあったけど、経緯は記されていなかったと思います。息子んトコではどうだったかなぁ。今年は世界史なんですが。
中学では私立といえでも義務教育なので所在の教育委員会だったかが指定する公立の学校と一緒でしたが、かなり突っ込んだ授業を行っていたので習っていたかもしれません。
授業参観に行った時、とても中学の内容じゃないこと教えてるなぁと思いました。

夏休み:
もう自由研究はないから調べるということはなくなりましたが、昔地元で作られた軽自動車(ニッケイ・タロー)のことを調べるのにネットで捜して、代わりに所有者にメールを書いてやりました。
昨日、久しぶりに息子の幼馴染の女の子が遊びに来ました。高校(私立女子高)で特別なクラスに入れられたので夏休みはお盆時期の1週間のみ!学校の進学実績を作るための犠牲になってます。

九品仏:
私もこの辺りは久しぶりでした。高校時代、何度か同級生に誘われて隣の等々力(とどろき)にある青年の家で泊り込んで遊んだことありました。
その時、同い年にしてはフけていたのか化粧が濃いのかっという女の子がいて...某タレント(最近参議院に当選してすぐ辞めた)と某歌手の娘でした。後にレポーターで何度かテレビで見かけましたがその後は...
う〜ん、夏休み...少年時代...なんちゃって!


今日も電車が空いていました お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/16] No.2250
 夏休みも終盤に入って、少年少女たちは宿題に取り組んでいる頃でしょうか。
 最近、夏休みの自由研究では、インターネットで調べてそれをまとめる子供が多いように聞いています。インターネットで調べた情報って、信憑性が低いので、情報の評価と言う問題が生じますが、小学生から高校生まで、そういった問題はあまり教えてないだろうーなー。いいかげんなことを書いている身としては、ちょっと心配な状況です。もっとも、本も結構いいかげんなことも書いてあるし、学術論文だって、結構怪しいのが多いし、何もインターネットの情報に限った問題ではないかも知れません。

九品仏:
 あそこは、九体の阿弥陀如来坐像があって、結構壮観ですよね。金ピカって、誰が見てもわかり易くて良いと思います。
 九品仏には、もうかなり以前に、一度行ったことがあるのですが、サギソウは興味なかったので、見ていません。

>マウントが樹脂なんですよねぇ...大丈夫なんでしょうがな〜んか頼りない気がします
 正しく樹脂を選択しているならば、全く問題ないはずです。カメラメーカーも樹脂メーカもそのように言っています。とは言え、バリッと行きそうな気がして不安ですよね。でも、良く考えてみると、マウントを支えている部分は、どうせ樹脂なのだから、マウントだけ金属にしても、あまり意味はないと思います。

>彼個人の意見では特許は進歩を止めるので有害だ
 技術屋の発想のようですね。私も技術屋だから、同感です。ドミトリー氏は技術屋か、それに近い人なのだろうか。

任那の日本府:
 唐突ですが、「任那の日本府」って、小中学校で習いましたか。おじさんの私は疑いの余地のない史実として習っています。でも、最近の教科書には載っていないみたいです。皆様は、どのように習いましたか。
 少年のとき習った「任那の日本府」は、戦争もなしに唐突にでてきたので、不思議でした。朝鮮南部に日本の支配力が及んでいたって、アレは誤りだったのだろうか。

名前:
 国名も個人名も名前って、すべてが何らかの意味で美称です。隣のプーちゃんの名前が「勝男」だからといって、特に苦情を言う必要もないと思います。
 日本のことは「にほん」「にっぽん」どちらも言うでしょう。「じつぽん」とは言わないけれど、別にかまわないのでは? JとYは入れ替わるから、ジャパン、ヤポンも単に発音の違いで、ニッポンと同じなのでは。「ジャップ」とか「イエローモンキー」はいけません。


急遽... お名前: Масяさん [2004/08/16] No.2249
Привет
金曜の帰り際にオレグから電話があり、今スコットランド在住のロシア人の友達が日本に来ていて、日本庭園などを見たがっているから案内してやってくれと。
土曜日に世田谷、九品仏でサギソウを息子とその友達と撮りに行こうと思っていたので一緒に連れて行きました。こういう時、どちらかを犠牲にしないところがロシア人!まぁ二人の英語の実力を試そうという狙いもありましたが、ロシア訛のスコットランド訛の英語は聞き取り難いと言い訳していました。(二人の英語の先生はイングランド出身。)
今年の暑さのせいか、咲いていたのは4つほど...初めて九品仏に行きましたがこんなに大きいとは知りませんでした。彼は本堂や阿弥陀如来などを携帯のデジカメに収めていました。
私はЗенит312mにЮпитер11Aにテレプラス、風景用にКиев4A+Юпитер12でした。やはりロシア人にはウケますねぇ。特にКиевを見て喜んでました。古いのかっと聞かれたので79年だから新しいよ。
日本製品に興味があれば新宿にでも(息子の友達のカメラの件もあったから)行こうと思ったのですが、日本庭園がいいということで小石川後楽園へ。シーズンじゃないからガラガラ。勝手に写真撮らせて私達は木陰でカメラの話してました。
品川のホテルにいるのですが、東京湾の花火大会見れたかなぁ。(こっちとしては撮りたかった!) 久々にロシア語を思いっきり話せて楽しかったとも、最近喉の調子がおかしくて話すのが億劫なのですが日本語よりロシア語で話している方が不思議と楽でした。

っでカメラの購入についてはやはり新品がいいそうで、予算はいくらでも!ってオイオイ...前日新宿でペンタMZ-60にタムロンのズーム付きがムチャクチャ安かった!価格的に手ごろ、アダプタでM42レンズも使える、それに軽いからペンタ製がいいんじゃないかと思います。
購入動機は合宿で息子から「そろそろ自分のカメラ持ったら?」、顧問の先生から「俺もそう思う」っで、家にカメラは全くなく、頭蓋骨が写ったネガが沢山あるって...歯医者の倅なんです。なら、ドイツ語選択してるしコンタックス?ライカ?(何でそーなるの!) ん、マクロレンズにリングライトもかな?
でもコレ、マウントが樹脂なんですよねぇ...大丈夫なんでしょうがな〜んか頼りない気がします。(息子のペンタ28〜90ズームのマウント部も樹脂ですが)

КМЗ:
ドミトリーから返事が来ていました。
日本で話題になる件ですが、言いたい奴には言わせておくさっという感じです。
どこの国も技術の進歩はコピーから始まったけれど、以後技術に対して特許が発生した。彼個人の意見では特許は進歩を止めるので有害だと。
それと、Зенит-412MS(1/1000搭載モデル)は開発プロジェクトがストップしてしまったそうです。欲しかったんだけどなぁ...
いやぁ聞けばちゃんと答えてくれます。

雨と今までの疲れのせいか終戦記念日を忘れていました。

Пока


もっと補足 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/15] No.2248
 今日のニュースで、石原慎太郎知事が天皇の靖国参拝を求めたということが報じられていました。自分の政治目的に、天皇を利用しようとしているだけなのでしょうか。石原知事の発言は、自分の狭量な政治目的のために、他人を踏みにじろうとする、浅ましい動機が感じられるようで、嫌です。
 シナ人ということばを使っていたとしても、あまり、まともに考える価値の無い発言ではとも思います。


ロマン お名前: telefunkenさん [2004/08/15] No.2247
やっと暑さから開放されて読書の日。
Masyaさまのお好きなニーベルング・アーサー系の物語とは少し違いますが、ド・フォントネーの『カシオペアのプサイ』はおすすめのスケールのロマンです。
あと小栗虫太郎の人外魔境モノも、一度かいたかも知れませんがお奨め。特に『天母峰』は。
あとヴィリエ・ド・リラダンの『クレール・ルノワール』は怪絶壮絶でちょーお奨め。
よい休暇を!


名前 お名前: telefunkenさん [2004/08/15] No.2246
そういえば中共といってましたね。シナの呼称に固執する人は金井さまの指摘されるような思想があるのかも知れませんね。中華ナントカとか中国とかいうのも大日本帝国とおなじたぐいの美称ですから中国人が使うのはかまわないけどよその国の人が強いて使う必要も無いと思います。韓国も戦前の大韓帝国いらいの美称ですから他国の人が南朝鮮とか北朝鮮とか言っても別にかまわないという気がします。ハンガリーをマジャール、ニッポンをヤーパンとかジャパンというのがかまわないのと同じですね。
もし戦争裁判が正当なものなら、昭和天皇を戦犯にしなかったのは非常におかしいと思う。だからあの裁判もニュルンベルク裁判も現代的な裁判というコンセプトにはなじまない。もしなじむのならベトナム戦争のあとでアメリカを裁判にかけるべきだったという気がします。


補足 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/15] No.2245
オリンピックでは、ソフトボール日本‐台湾戦が放送されています。

 中国と言うようになったのは1972年以降で、それまでは、台湾を中国、中国を中共と言っていました。
 中国のことを「支那」と言う人は、台湾の政権を中国の正当政権と主張したい人なのかもしれません。台湾でも死に絶えたような過去の妄想をいまだに引きずっている。それで、中華人民共和国のことを中国と言いたくないのかもしれません。


8月15日 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/15] No.2244
今日は日本の敗戦の日。韓国・北朝鮮では光復節(解放記念日)。
でも、連合軍との降伏調印は9月2日、対ソ戦終了は9月3日です。

朝鮮と韓国:
 どちらを使うかは、1897年高宗による国号変更への評価の問題があるので、軽々に論じるべきではないと思います。Koreaの語源が高麗だといっても、故意に高麗とか高句麗とかを使うのはおかしい。
 韓国・北朝鮮の用語の使い方は、公平に考えたらおかしいけれど、日本の政治的立場を表しているので、仕方ないと思います。「韓国」は南北両方を表している言葉なので、南の政権を「韓国」と呼ぶのは、「南が唯一の合法政権であり、北は偽の政権である」との政治的立場の表明ではないでしょうか。事実、韓民団系の人たちは「韓国・北韓」の用語を使います。朝鮮総連系の人はどういうのだろう。南朝鮮と共和国かな?

支那:
 この用語は「清」から来ているので、日本の右翼政治家が使うとぞっとします。
 かつて、日本は清朝の皇帝であった溥儀を担ぎ出し、満州国を偽装建国し、中国東北部を支配します。
 日本の右翼政治家が「支那」の用語を使うと、中国の正当政権を否定し、再び裕仁の亡霊を先頭に中国侵略を起こそうとしているのではないかという思いがして来ます。
 英文の正式国名であるChinaの語源が「清」から来ているという理由で、「支那」の用語の使用を正当化することは、歴史と国家の正当性を無視した議論であり、とても賛成できません。

おわび:
 お詫びが必要かどうかは別として、侵略はもうやめてほしい。
 侵略を進出と言い換えて正当化するような態度をとる人がいます。「あれは正しかったんだ。何回でもやるぞ。」と言っているようで嫌です。
 こういう問題が起きるのは、侵略の親玉だった裕仁を、のほほんと国家元首のままにしたところに原因があるのです。処刑して過去とはきっぱり手を切っておけばよかったのに。


敗戦の日 お名前: telefunkenさん [2004/08/15] No.2243
hirob_pさま。非常に特殊な本ですから、まず店頭購入は不可能でしょう。lindemannsをお奨めします。
敗戦の日の特集でテレビで石原慎太郎がシナ人ということばを使っていました。ぼくらの年代では朝鮮人、シナ人と普通に使っているので何の違和感もありませんが、中国とか中国人とかいう言い方になれた人には異様に聞こえるみたいで慣れはおそろしい。もともと中華なになにというのは中華思想という言葉のとおり自分のところだけが文明の中心であとは夷荻だという考えからの表現ですし、中国というのは日本をオオヤマトとかトヨアシハラミズホノクニと呼ぶような美称つまりeuphemyで、自分で使うのはいいですが属国などが阿諛追従するとき以外に使うのはおかしいのです。ドイツ語でも英語でもChinaは戦前戦後を通じて変わりませんし、フランス語のChineもおなじです。韓国というのもデハンミンコウ、戦前のデハンテイコウとおなじ自称で、外国人であるわれわれが呼ぶときには朝鮮でよいし、区別するなら南朝鮮でしょうね。コレア、コレエも戦前から変わりませんしね。だから戦争後に言い方を変えたのは日本だけで、戦後シナ人や朝鮮人が焼け跡を不法占拠してパチンコやとか闇市を作ったりしていたときに交渉にゆくと、中国といえ、とか韓国と言え、とか言われておどかされたんでしょうね。戦時中の行為に対するお詫びならキチンとお詫びするべきで、呼び方を変えて相手の機嫌をとるというのは非常に卑しい態度です。またそんなことで喜ぶ相手と思っているのは侮辱の一種です。
お詫びというのもまたいろいろ論議が可能で、国際社会には法律も正義もありませんから、善悪の区別もつきにくい。清国がアヘンの輸入を禁止したとき清国にあるイギリス商社のアヘン在庫を没収したらイギリスが戦争を仕掛けたなどはいまのイラク戦争以上の悪のカタマリだし、インド帝国のころにインド人女工が紡績工場から逃げ出したら指を切ってどこへいっても働けないようにした、なんていうのはイギリスの悪行の典型ですが、お詫びの言葉なんか一言もありません。自分の国のやったわるいことは一言も言わない。逆に相手がちょっと何かやるとさんざん脅迫したり、戦争をしかけたりする、これが外交の基本原則ですね。


No.2229 お名前: hirob_pさん [2004/08/14] No.2242
12日から外出していて、今、帰宅しました。
telefunkenさん、お教え有り難うございました。入れ違えでこの書き込みを拝見しておりませんでした。イギリスからメールでネット接続できないので、インターネットカフェでメールを書いているから、英語でメールをよこせと来ました。まだベルリンではないようです。しょうがないのでこれから苦手な英語を考えます。マニアックな本だったら店頭に無いかもしれませんね…。

Mасяさんの記事面白そうですね。これから拝見させて頂きます。

高速道路は思ったよりも空いていました。夜走ったからかな?渋滞知らずでした。

No.2241:慣れないPCで間違えてボタンを押してしまいました。ごめんなさい。


お名前: hiroBさん [2004/08/14] No.2241
telefunken さん [2004/08/11] No.2229


Zeissのまね お名前: telefunkenさん [2004/08/13] No.2240
金井さまは喝破されました。カメラはすべてZeissのマネ。宗です。その通りです。レンジファインダー機種は完成に近づくほどContaxIIに似てきます。たとえばライカM3は丸みのあるContaxIIに過ぎません。またすべての一眼レフは作ってゆくほどContaxSに似てきます。これを唯一破っているのはManfred MainzerのデザインしたライカR8です。
北朝鮮のものはコピーしほうだい?
北朝鮮は事実(de facto)として存在していても法的に(de jure)は存在していないのです。前にも書きましたが国際法というものは存在しなくて、諸国民の法律(lois des nations)と国家間の条約があるだけで、承認していない、国交のない国とは条約が存在しないのですから、法的には無関係、つまり存在していないということですね。


お盆休み お名前: かぱまんさん [2004/08/13] No.2239
 だーれもいない会社で独り、ぽつねんと留守番です。京都市内は不思議にも、いつもよりクルマの通行量が多かったです。観光の方々?。京都の夏は殺人的なのに、御苦労さまです。さて今晩から帰省、最近腰を悪くしてしまい、あまり重いカメラが持てません。今回も予定変更、シンプル装備でいきます。
 ペンタのA3の何が一番面白いかといえば、レリーズ後の巻き上げ時に巻き戻しレバー(の円盤部分)が、軽やかな音と共にクルクルと回転するのがよく見えるところでしょうか。何か貼り付けるととても楽しそうです。


昨日以上に埼京線が空いていました お名前: Масяさん [2004/08/13] No.2238
Привет
さすがにお盆休みのせいか忙しくないです。

ドミトリーへの返事を書いていました。
КМЗは違法なことはしていないし、輝かしい業績を疑ってはいない。
だけど、日本にはデタラメなことを言う者が沢山いる、とか。

この週末はな〜んか天気悪そうですねぇ。明日はサギソウをもう一度、日曜は息子の友達が帰っていればカメラ購入の相談に乗ろうかと思っています(雨でも大丈夫だから)。
中古店に行くことがあれば、程度のいいペンタA3とかニコンF-301買っちゃおうかなぁ...kmじゃないんかい!

では、よい週末を!

Пока


ちょっと怪しい雲行き お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/13] No.2237
今日は電車が遅れていたけれど、それほど混んでいませんでした。

ドミトリー氏は若い人なんだろーなー。
 「デザインを参考」「特許」は合法に決まっています。こういった権利って、その国の法律で、その国の中で守るものだから。アメリカが絶対的に軍事経済的に優位な中では、アメリカが世界の法律になってしまうのは仕方ないとしても、ソ連健在の頃は、アメリカだけが世界の基準ではなかったのです。ドミトリー氏は若い。

 ソ連のカメラって、名前までは似ていませんよね。NIKONとIKON、PENTAXとCONTAX、日本の場合は社名自体、物まねのようです。カメラ名では、LEOTAXなんていうのが有って、Leicaのロゴを真似ていました。KMZ,Zorki,Zenit…どれもソ連オリジナルです。
 カメラのデザインは似ているのがあるけれど、NIKON-SはKievそっくりに見えるように作っているし、一眼レフなんて、どれも、Contax-Sそっくりに見えます。ざっくり言うと、カメラって、ほとんどすべてツアイス(および関連会社)の真似ではないかって感じがします。

アメリカ人ジャーナリストが記したページ:
 ざっと読んでみました。でも、カメラの外観デザインや機能の話で、メカニズムはどうなのか? いつもここが疑問になります。Elikon1は持っていないので分らないのですが、ElikonAFならジャスピンコニカにそっくりに見えます。中身はどうなのか、誰かコメントしてくれないかなー。
 以前ここにも書いたように、リコーオート35VとZorki-11は中身を比較したところ、あまり似ていませんでした。というより、設計思想がだいぶ違うなーという感じがしました。

The new Zenit Avtomat SLR is certainly Japanese inspired, but it's what might be called a universal Japanese SLR instead of a copy of a specific model.

 こういう文章があります。これを書いた人は工業ということが果たして分っているのだろうか、ちょっと疑問になってしまいます。工業製品ってほとんどすべて物は、類似製品の影響を受けています。日本のカメラメーカーもロシアのカメラを入手して検討していたことは事実ですので、何らかの影響を受けていることは間違いありません。

 で、Elikon‐AFとジャスピンコニカの比較を、私のページに記載しています。自分で書いた解説を読んでみると、独断と偏見だけで書いた、不真面目な低レベルな文章で、恥ずかしくなります。(本当は、まじめに両者を比較したいのだけれど、電気系統は見ても分らないので、手が出せないのです。)

たのしいぬりえ:
 うまーい。カメラ名がなくても、すぐに分りました。

コンタックス:
 そんなに安いんですか。Kiev修理のための部品取りに欲しいなー。


こっちも、本物ですかー!? お名前: Масяさん [2004/08/12] No.2236
コグレの300SL!これ今だったら何万になるかなぁ!コグレといえば子供の頃、フェラーリ(あの頃はフェラリー)158、ジョン・サーティースが1964年チャンピオンになったマシーンを持ってました。
どういうわけかタミヤのロータス30のシャーシとプリンスR380のスペアボディ持ってます。(組み合わせわれない!)

1/24は私の方では大宮のオールドロコがあります。その先、深谷のシャパラルとか、まだあると思うんですが...
ネコパブリッシングのmodelcarsという雑誌に全国のサーキットが掲載される時があります。

え〜っとマトラはフォードのV8エンジンを積んだ620です。シムカの12気筒を積んだ630も持っています。レギュレーション(出走年)の関係で620にしたんです。
う〜、グラハム・ヒルが優勝した670も作りたかったぁ...ホント言うと1952年か53年のルノー4CVで出場したかった...私フランス車が多いんです。

こういう所で遊んでました。

http://modenanokokoro.hp.infoseek.co.jp/

こういう綺麗なマシーンに混じって汚いので走りました。

http://modenanokokoro.hp.infoseek.co.jp/newpage2.htm

ああーっコメータ!


ど〜しようか迷っていました。 お名前: Масяさん [2004/08/12] No.2235
ざ〜っとドミトリーからの返事を読み終わりました。やはり日本製品との類似性について触れられています。
確かにデザインを参考にしたこともあると彼は認めていましたが、当時のソヴィエトでは合法であったと。また特許について知らなかったと。(いつだろう?確かペンタの特許を正式に使用する旨が記されたページありましたよね)
それと、КМЗのサイトにあるアメリカ人ジャーナリストが記したページを教えてくれました。英語で書かれています。

http://www.zenitcamera.com/articles/cameras/schneider-russians-eng.html

1986年に書かれた記事です。ちょっと読みづらいですが、みなさんにお知らせしようかどうしようか迷っていました。

いやぁ、ドミトリーがКМЗ社に代わって懺悔しているような感じがするメールですが、よくぞ話してくれた!っという気持ちです。
ますますКМЗが好きになりました。

あっウチのサーバ直ったようです。


マトラはすごいですね。630のことかな? お名前: みらんぢさん [2004/08/12] No.2234

とうとう走らせませんでしたが
コグレのスロットカーの300SLは、まだ箱も残して押入に取ってあります。
もう、さすがに1/24が走るサーキットはないんでしょうね。
300SLRの動画をカーグラテレビではじめて観たときは興奮しましたねえ。
300SLトランスポーターがカラーで見れたのも、あれが初めてだったと思います。びっくらしましたね。

コンタックスですが
>>えー!!!本物ですか。
ええ、本物です、たぶん本物。IIはキング2のプライスより安くて、IIIに至っては2万円を切っているのです!
相応にすり切れていましたが、安い。でも、ぎゅっと心も財布も締めて帰ってきました。
以前、コレクターの方の家で1万円で買った、というブラックのI型を見せてもらいましたが
見せてもらって、持ち主がシャッターを切ったらそのまま沈黙してしまい
「・・・ま、いちまんえんだからね。」
とあっさりしたものでしたが
でも安いですねえ。
画 像 : たのしいぬりえ-(34 KB)


ホント、空いてました。 お名前: Масяさん [2004/08/12] No.2233
混雑では日本で1、2を争うのではないかと思われる埼京線がメチャクチャ空いてました。
相変わらず、サーバの調子が悪くてやっとアクセスできました。

Привет
ベンツ:
ええ、有名な事故でフィルムで残されています。昔スロットカーで遊んでいた頃、毎年お店で「ル・マン24分あるいは12分」を楽しんでいました。
昼夜昼と時間を区切り、夜の部分では部屋の照明を消して車のライトだけで走るというものです。初めて参加した時の車がこの1955年に出場したトライアンフTR-2でした。(翌年はマトラ620)
以前、力道山が乗っていたというベンツ・カブリオレを見たことがあったんですがアレ何というタイプだったかなぁ...
300SLってレプリカは見たことあるのですがホンモノって見たことあったかなぁ...ミッレ・ミリアでモスの300SLRを見損ねた。コレル・マンで宙に舞ったのと同じ形式です。
ところで、300SLRって座席の後ろがバガっと開いてブレーキになるってご存知でしたか?ってどうでもいいことですね。

312mの修理:
ちょっと怖いのでこのまま使おうかと思ってるんです。週末に九品仏でサギソウを撮りがてら様子をみてみます。
なんかフィルムが巻き上げられたようにスプールを回していたら4くらいまで戻ったんです。複雑な仕組みではないと思うのですが...でも不器用な私としてはチョット怖いです。

Пока


今日は電車がすいていました お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/12] No.2232
昨日は、会社を休んで、家でボーっとしていました。今日は、会社でボーっとしている。

著作権:
 昨日の朝日新聞朝刊に、北朝鮮との著作権問題が載っていました。
 日本の放送局はこれまで北朝鮮の放送を勝手に使用していたのだそうです。北朝鮮は2003年にベルヌ条約に参加したため、北朝鮮の著作物を勝手に使用することは本来なら条約違反になるはずです。
 ところが、日本政府外務省の見解では、「未承認国家との間で条約上の権利義務関係は生じない」なのだそうで、外務省見解に従えば、正常な国家関係がない国の著作権などは守る必要がないということになります。
 著作権等の権利関係は、両国の法律と条約を調べないといけないということは知っていましたが、さらに、国家関係も問題になるんですね。難しいですね。
 ところで、北朝鮮のサイトに、日本の音楽を勝手に掲載して、日本人向け有料ダウンロードサイトを開設したら、違法になるのだろうか。

>とうとうキエフIIより安いコンタックスIIを見ました。
えー!!!本物ですか。キエフ4を改造したのなら、安く売っているけど。

>1955年のル・マン
 博識ですね。全然知りませんでした。

>312mのフィルムカウンターの件ですが、ボディの上蓋を開ければ直せる
 Масяさま、もし直したらどのようにしたのか教えてください。


はじめてみたとき、お正月のお供えみたいなシルエットに見えた。 お名前: みらんぢさん [2004/08/11] No.2231
>1955年のル・マン
は史上最悪の事故といわれていたんでしたか、30余年もメルセデスが総てのレースから撤退するくらい大きな事故ですね。
最近、力道山がアメリカで買った300SLを自分で陸送していくところを撮った
カラーの鮮明な16mmフィルムが出たそうですね〜。
早く見たいものだ...
ところで
とうとうキエフIIより安いコンタックスIIを見ました。複雑な気持ち。



飛行機2 お名前: hirob_pさん [2004/08/11] No.2230
>う〜
そういうことでしたか…すみません。でも、結局お教え頂き…。最後の「ソヴィエト時代、国営企業が他国の企業と提携することはあり得ない」って言われている部分はとても面白いですね。…ペンタとは関係が無かったのかぁ。ちょっと残念。

>ザウバー・メルセデス
CLKとかだったように思います。ぶつかって飛ぶんではなくて、単に走行中に突然飛行機のように滑空し、前を走ってた車を空で追い越している最中に、前からの風圧で押し戻されながら前後方向に3回宙返りくらいして、屋根から墜落しました。画像を探したんですがみつかりませんでした。

>1955年のル・マンで…
そんな昔のレースは…ってМасяさんも生まれておられないんでは??


Zeiss お名前: telefunkenさん [2004/08/11] No.2229
hirob_pさま。お父上に依頼されて入手が難しいようでしたら、こないだのlindemannsのサイトをごらんになることをお奨めします。カメラ・写真関係の書籍の専門書店です。


う〜 お名前: Масяさん [2004/08/11] No.2228
勤務中に堂々とロシア語の辞書を開くのもなんなので(時々やりますが)...翻訳サイトを使って一旦英語にしています。かなり読み難いです。
ペンタックスとの技術提携はなかったそうです。(どっかで読んだ気がするのですが) ソヴィエト時代、国営企業が他国の企業と提携することはあり得ないと言ってます。
デザイン的にペンタA3データに似ているスーパーAですが、シャブレヴィッチというデザイナーのものだそうです(この辺はWEBにも書かれていました)。

それと312mのフィルムカウンターの件ですが、ボディのの上蓋を開ければ直せるよって、まぁご親切に...

でも、質問があったら答えるよって親切なやっちゃなぁ。

ベンツ:
ザウバー・メルセデスが舞ったことがあるような...1955年のル・マンでピェール・ルヴェーの300SLRが宙を舞って観客席に突っ込んだのは有名ですが、これは前を行くマクリンのオースチン・ヒーレーに乗り上げたからで...
F-1はよく舞いましたね。1980年頃は飛行機の翼をひっくり返したような構造で揚力を下に向けるグランドエフクトカーというのが出てきましたね。これにより前後のウィングがなくなったのですが後に禁止されました。


飛行機 お名前: hirob_pさん [2004/08/11] No.2227
telefunkenさん
お返事有り難うございました。先程メールを出して頼んでみました。時間があったら探してくれると思います!楽しみだなぁ!

>昨日はよくもぉ...
隣に小さな巨人ファンがずっとおとなしく坐っていました。可哀想になって「なかなか打ってくれないねぇ。高橋がいればねぇ!」なんて声をかけてスルメ(当たりめ)を差し出しましたんですが、恥ずかしそうにしていました。今年も阪神はGに勝ち越したんで後は野となれ山となれなのら〜!

>なんとか力…
かぱまんさんのお面白く拝読しました。グライダーの羽は軽量化の為でなくてちゃんと理由があるんですね。確かに着水寸前のすーっも思い浮かべられます。磁気ディスクのヘッドもまた凄い話ですね。考えるとHDDのヘッドも驚異的な技術ですねぇ。

>速度に比例して、隙間間隔の2乗に反比例
数年前のルマンでベンツ車が走行中に枯れ葉のように空を舞ってぶっ飛んだシーンがありましたがあれが今回のお話に関係あるのかなぁ?Масяさんだったら見ておられたかも…。ご存じですか?結構、ショッキングなシーンでしたよね。

>ムチャクチャ長い返事がきました
どんな回答だったのか興味津々ですが…。お書きになり難い内容でしょうか?ペンタとの関係あったんですか??


書き方が悪かったです。 お名前: かぱまんさん [2004/08/11] No.2226
 すみません。人力飛行機コンテストなどで着水寸前に飛行距離がすーっと伸びるのをご覧になった事ございませんか。あれが地面効果というものです。この怪物君も、あくまでも主翼が生み出す揚力によって水上数メートル(5〜10m位?)を飛んでいます。因みに主翼の形は細長い(進行方向に短く横幅が長い)方が効率が良いです。グライダーが良い例ですね。ただこの怪物君の場合は、波浪時の波しぶきによる衝撃とかその他諸々の要因でこんなズングリな主翼形状になったのでしょう。
 しかし飛鳥が研究のみで終わっちゃったとは、知りませんでした。
 


なるほど お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/11] No.2225
「カスピ海の怪物」号の写真を見ると、飛行機に対するメリットが分りませんでした。地面(水面)スレスレに飛ぶことで、浮上力をつけるのですか。
 昔、そのような乗り物が研究されたと言う話を聞いた事があり、日本人でも、机上の検討をした人がいるかもしれません。

 磁気ディスクのヘッドはディスクすれすれの所にあるので、隙間効果によって浮上力が生じて、浮き上がってしまいます。バネで押さえつけるのですが、それだけでは足りず、ヘッド形状を上手に設計する事により、浮上力を低減します。以前、そういう関係の仕事をしていた事があり、その時、同じ原理で乗り物を研究していた人がいたと言う噂を耳にした事がありました。

 しかし、浮上力は、おおよそ、速度に比例して、隙間間隔の2乗に反比例するので、地面(水面)スレスレに飛ばないと、浮上力は、ほとんど得られないと思います。地面がデコボコだったり、水面が波立っていたら、と考えると、実用化は難しいと思います。

 写真を見ると、翼が下のほうについていて、隙間効果による浮上力を利用しているようにも見えます。でも、もしそうなら、翼は、もっと前後方向に長いのではないだろうかとも思います。翼の形からは、飛行機と同じ、揚力を付けようとしているのではないかなー。
 そう考えてゆくと、飛行機に対するメリットがなくなってしまうような感じがします。財政難というよりも、経済的メリットが無いので開発中止になったような気がするのですが。


う〜、まだ調子悪い... お名前: Масяさん [2004/08/11] No.2224
Привет
まだウチのサーバの調子が悪いようです。五輪野球チームの監督代理のように"ゼッコォチョォ〜"っといってもらいたいもんです。
っというように私はG党です。昨日はよくもぉ...っと阪神ファンならいいですね。

ちょっと気になったことがあって調べ物をしていたら、元NHKの小林和男さん(元モスクワ支局長)の「2時間でわかる図解 ロシアのしくみ」に「カスピ海の怪物」について少し触れられていて巨大ヘリコプターと共に財政難で開発は中止されたようです。
一回使用のみの巨大揚陸艇だなんて恐ろしい...コストも...

先日、КМЗのドミトリーに「КМЗとペンタックス」の関係に興味があると書いたら、どんな所に?っと尋ねられました。
昨日、ゼニット スーパーAがペンタA3デートに似ているのとペンタにもスーパーAという製品がある、またバヨネットマウントのページからどこかに技術協力のことが書かれていた気がすると書いたら、ムチャクチャ長い返事がきました。
ついでに312mのフィルムカウンターが0に戻らなくなったと書いたら、それについても返事をくれました。
気に入られちゃったかな?

Пока


Zeiss お名前: telefunkenさん [2004/08/10] No.2223
hirob_pさま。その本です。間違いありません。内容はデータ表が主だと思いますからドイツ語が十分でなくても大丈夫だと思います。www.lindemanns.deでも出ていると思います。
Zeissは写真レンズなどには昔から冷淡でコレクター的な興味に関してはまったく関心や同情が無いようです。


伝聞ですが。 お名前: かぱまんさん [2004/08/10] No.2222
「カスピ海の怪物」号について。普通の飛行機より翼がとても小さいのは、地面(水面)スレスレに飛ぶと翼の効率がすごく増す「地面効果」を利用しているのでしょう。だからこの機体では上空に上れません。実用化されなかったのは、ひとえに開発資金の欠乏だったと聞きました。アメリカあたりにアイデアが飛んでって、安全な大量輸送手段としてデビューするかも知れません(というよりその可能性大)。


いやいや... お名前: Масяさん [2004/08/10] No.2221
乗員1000人で500km/hでしたから、とても大きいものだと思います。
以下の2機が大きい部類でしょうね。これらはOrlyonok(1974)とLun (1987)をクリックしたものです。

http://www.aquaglide.ru/images/img8.jpg
http://www.aquaglide.ru/images/img10.jpg

結局実用化されなかったようでした。岩礁とか船があったら避けられそうにない...だからかな?

昨日、土曜日の花火の写真が出来ました。結構きれいに撮れたのもありますが、思った通り残った煙で少し隠れてしまいました。
う〜、また撮りたい!

動画:
私が子供の頃、父親が8mmで撮りましたが、私はビデオカメラを持っていないので息子の動画はない...あっテレビの取材のがあった!
本人、恥ずかしがって絶対に見ませんが。


その本は お名前: hirob_pさん [2004/08/10] No.2220
telefunkenさん

度々すみません。Hartmut Thieleの本というのは、「Fabrikationsbuch Photooptik Carl Zeiss Jena 1927-1991」という本でしょうか? 丁度暫く父がベルリンに滞在しているので普通の本屋で売っている本だったら頼んでみようなぁと思います。ネット検索では約50ユーロなのでそう高くもないなぁ。でもドイツ語読めない…。

今日はこれから中日-巨人の首位対決を見に行ってきま〜す。阪神好きなのでどっちが勝っても良いんだけど…。


いろいろ… お名前: hirob_pさん [2004/08/10] No.2219
>カスピ海の怪物
Масяさん有り難うございました。凄い乗り物があるんですね。これ日本の飛鳥のように研究だけで終わったものじゃなくて、1980年代まで実際に使われていた乗り物なんですか? が…マジマジと写真を見るうちに飛行機に対するメリットって何なんだろう?って考えてしまいました。

>飛行機にするには大きすぎる、船だったら遅すぎる
>ということからかこういうものが開発されたのか?

やはり、そういうことなんでしょうかね?でも、これってアントノフよりもデッカイ船なんでしょうか…。新日本海フェリーとかが時速500kmで函館へ向かう姿を想像すると何だか違和感が…。

>telefunkenさん
ツアイスは自分で番号を打っていながら公開していないんですね。戦争でゴチャゴチャになってしまったのかなぁ。Hartmut Thieleで今から検索してみます。お忙しいところレンズ番号について本当に有り難うございました。

>動画と写真…
ああいわれればこうチックな内容で、注視する事によって考える事は人各々だとは思うのですが。反対の意見をちょっとだけ(どこがちょっとやねん?)。

子供が生まれて動画を撮るようになったんですが、録画再生って極端には過剰な情報のインプットだと思う時があります。動画は静止画の連続と考えられますけど、写真だったらこのワンショットがありゃ十分って思うこともあります。勿論、音声や動きは分かりませんが、人間はこれらを瞬間的に無意識に再生しています。なので、3D等色々な動画が出来たとしても、やはり写真(絵も同じ)という手段は、最も単純にイメージを伝えられる優れた手段であることには変わりないと思います。

例えば、最近、ネット上ではよく新製品紹介が動画でされています。こういうのを見るといつも、写真だったら2つ程もあればほぼ同じような事が伝達できるのに…って思ってしまいます。また、例えば、TVの旅番組でも、延々30分もかけてインプットされる情報は、上手な一文と写真と地図があれば基本的には済んでしまう情報です。要は動画というのは、より情報を正確に伝える為により多くの情報を伴って伝達されている手段と思えます。極端に言えば、かなりの無駄を含んでいる事になります。

と言う訳で、必ずしも全ての面において動画が写真の代替になるとは思えません。例えば、脳に電極を直接差し込んで、30分の動画を視覚を通さずに1秒で直接、脳に記憶させてしまう事ができるようになれば、写真の意味はある程度無くなってしまうかもしれないな…とは思います。これまたへそ曲がりな見方でしょうか…。

DVとデジカメは将来的にはくっつくんでしょうけど、個人的にはカメラスタイルの形状が残って、テレビカメラスタイルの形状が廃れるような気がします。

>確かに、無政府状態で、赤旗が振られていた
最初は半分冗談のつもりだったのですが、よく考えると騒ぎに参加していた中国の人は本当にアナーキーな感覚を楽しんでいたのかもしれませんね。


レンズ番号 お名前: telefunkenさん [2004/08/10] No.2218
Zeissでは特にっ公開はしていませんが、いろいろな研究家が自分の調査結果を公開したいます。最近ではHartmut Thieleのもの(題名度忘れ)のものがもっとも充実しているらしいです。
報道写真は無意味
金井さまに賛成していただいて光栄です。こないだのトークショーでも報道写真をケナシテおきました。ついでに報道写真家が必ず持っているニコンが嫌いだという話もしました。
カスピ海の怪物
知りませんでした。凄い乗り物ですね。


カスピ海の怪物 お名前: Масяさん [2004/08/10] No.2217
Привет
週末、ビル全体が点検の為か停電になるというので社内の機器を電源をオフにして立ち上げ直したら、な〜んかサーバが重い気がします。
ということで簡単に。

コレ、1960年代に研究、開発された巨大高速艦のようです。

http://www.aquaglide.ru/history_e.htm

ここに色々と写真が載っています。初めて「ソヴィエト赤軍興亡史V」で見てオルリョークだけかと思っていたら他にもあったんだぁ...
チョコっと書きましたが、翼があって水面スレスレに持ち上げて高速で進むものなんです。飛行機にするには大きすぎる、船だったら遅すぎるということからかこういうものが開発されたのか?
ヒントはペリカンのような大きな水鳥が水面スレスレで飛ぶことだったそうです。
日本では現在高速交通機関として地上から浮かせた、カスピ海の怪物のような乗り物を研究している大学があります。

Пока


いろいろ お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/09] No.2216
今のところホームページは順調に動いています。

 三夜連続して、夜中に止まってしまいました。4時、5時、2時ごろでした。
 昼間は止まらない。何故だ。誰かが攻撃するのでしょうか。攻撃している人、止めてください。って、本人は意識しないのに、PCが感染していて勝手に無差別に攻撃しているのだろうけれど。意識的に私のページを攻撃する人は居ないでしょうね。

 仕事をしているフリをして、PCのLANの死を、自動的に検知して、自動再起動するソフトを書いていました。ネット上にいろいろと部品が転がっているので、こういうソフトを書くのは楽です。
 でも、このソフトが動くかどうか、不安です。PCが異常動作しているときに、再起動命令出しても、聞いてくれないかなー。

写真の意義:
>違う見方すると…写真は、不思議にも過去の瞬間を視認でき…
 それはそうなのですが、個人的に楽しむためならば、人それぞれだろうから。でも、今では、そういう目的には、動画のほうがよろしいのではないかとも思います。もちろん、写真の歴史的意義は別です。動画が手軽でなかった時代は、静止画でも十分に意義を持っています。が、今は動画も手軽に撮れるからなー。でも、動画って、撮る物、無いですよ。子供が小さいときは、動画がよろしいのではないかという気もします。うんと小さいときは、動かないから、静止画でしょうけれど。小学校に入るころからは、運動会以外撮ることって、あまりなくなります。
 という事は、多くの人にとって、静止画も撮るものってあまり無いのではないだろうか、そんな気がするのです。

>スナップというのは報道写真のマイナーな一部門だと思ってるし、報道写真というものを軽蔑(なぜならテレビのある現在には意味がない)
 ここまでおっしゃると、極端な気もするけれど、正直言って、まったく同感です。もうすぐ、3D 動画の時代かもしれないので、そろそろ普通の動画も時代遅れ?
 川口市のNHKアーカイブスでは、過去のテレビ番組を見ることができます。

>土曜日の試合は凄いアナーキーでしたね…。
 うーん、確かに、無政府状態で、赤旗が振られていたけど、アナーキズムとはちょっと違うような。
 土曜日は、「世界が100人の村だったら2」を見ていました。ウラジオストックの浮浪児が出てました。寒いところの浮浪児は大変ですね。


お盆も近し お名前: hirob_pさん [2004/08/09] No.2215
ここ暫く花火大会が目白押しですね。

週末は結婚式の写真を撮りました。あまりに散々で悲しく…。結婚式はデジカメに限る。でも当たりはずれが大きいのでフィルムカメラは面白いのか?って思いました…(当たりはずれが大きいのは私だけでしょうか)。

>先日の経験を活かして(?)絞り8でバルブ5〜10秒で
私も挑戦してみます!こっちは8月終盤だったかなぁ?

>「カスピ海の怪物」
これなんですか。凄く興味をそそられるのですが…。ロシア?の船?

>写真って、存在する物しか写らない、
>自分で見たものしか写せない

違う見方すると…写真は、不思議にも過去の瞬間を視認でき、自分しか見ていなかった過去(近い過去も遠い過去)を他人にも見せる事ができる。これって、未だに凄い技術だと私には思えます。

私は5代前の先祖とおぼしき腰に刀を挿した侍が写ったガラス乾板を持っています。この写真を初めて見た時は何とも言えない不思議な感覚を覚えました。おそらく100年以上前の祖父(とは言わないが)の顔が克明に写っているのです。

それから、昨日は自分の子供の100日目でお食い初めをしましたが、デジカメで撮った写真は直ぐに実家に転送しました。その場に居なかった両親はその場の雰囲気を直ぐに一瞬で把握できます。人間には想像力と記憶力があるので、現場を自分の思考の中で再構築出来る(正誤はどっちでもいい)からです。つまり、手紙の文章や動画のように時間軸を伴って提示しなくてもOKなのです。時間軸は写真を見た人が再構築してくれます。本当に写真の力は凄いなぁと思う事は度々あります。

>リバーサルフィルムはお使いですか
少なくなっているのですか。ヘタッピにはネガが有り難いですから、ポジはあまり使いません。

>デジタル人気にかげり
やはりある程度普及してしまったんでしょうかね。週末の式では、昔だったらカメラを持っていなかったよう人までデジカメを持っていて、昔だったらカメラを持っていると、写した写真をプリントして手紙を添えて送らなければならないめんどくささがあったですが、最近だと余りに皆デジカメを持っているのでわざわざ写真を送る必要が無い感じでした。

>ブロードバンド
さっぱり…。

>赤がないとアナーキズムって感じがしない
土曜日の試合は凄いアナーキーでしたね…。

>写真家
よく知らない…。

telefunkenさん、とある掲示板でCZJの1941年までのレンズナンバーなるものを見たのですが、そういう物はツアイスから開示されているのですか? シュナイダーでは自社のHPで公開しているので見た事がありますが。このCZJのナンバーは1941年までの6〜7桁の番号で、年々最初の1桁の数値が増えていくシュナイダーと同じような感じのものでした。手元のカメラで見ると存在しない数字がありましたが、合っていそうな数字もありました(2つしか無い…)。ご存じでしたら教えて下さい。


ホームページ不調 お名前: 管理人さん [2004/08/09] No.2214
 管理人の金井です。サーバーがなんとなく不調で、ホームページが閲覧不能な状態が断続的に発生しています。ホームページが見えないときは、暫くお待ちください。数時間後に復旧します。

 この掲示板は関係ありません。投稿・閲覧ともに問題ありません。

原因:
 Bフレッツ光にしたのに、回線速度が上がらないので、PCのランカードを変更しました。そうしたら、何故か数時間に1回ぐらいの割合で、LANが見えなくなります。PCを再起動すると回復するのですが。。。
 ランカードを古いものに戻すか(ドライバーを再インストールする必要がある)、LANが見えなくなったのを検知したら、PCを自動再起動するようにするか(ソフトを書かないといけない)、PCを買い換えるか、何らかの対策を考慮中です。 


難しい... お名前: Масяさん [2004/08/09] No.2213
Привет

土曜日に背景用の色画用紙を持って昭和記念公園のサギソウまつりに行ってきました。暑かったぁ...でも入場口に近い所でよかったぁ...以前だったらかなり歩かなければならなかったんです。
息子のズームレンズって90mmで40cmまで寄れるので大部分をそれで撮らせていましたが、数枚私と同じようにリバースアダプタでレンズを逆転させましたが悉く失敗...私も...
これは写真やその他平面のものをコピーする方法ですね(ウデが悪いだけだろうって?そうですが...) 結局Юпитер11Aでフツーに撮ったものが一番良かったです。もう一回昭和に行くか浄真寺で勝負か?
あっカメラはアダプタの関係上、212Kでした。ひまわりはもうおしまい...そう言えば先週彼女からウクライナで取られたひまわり畑の写真が送られてきてたんだぁ。

夜は花火大会へ。金井さんが仰ったのは8月8日で地元のお祭の最後に打ち上げられたものではないですか?
私の方は戸田の花火大会ですが...7時から8時までテレビを見ていてそれから荒川土手に出かけたら終わり...でも遠く豊島園の花火大会が見られ、しばらくして板橋の花火大会が始まりました。
一箇所で3箇所の花火大会が見れたんです。過去7箇所の花火大会が同時に見れたことがありました。
親子共に135mmで撮ってみました。今度は312mです。先日の経験を活かして(?)絞り8でバルブ5〜10秒で取ってみました。

8時からのある番組で、謎とされていた「カスピ海の怪物」が取り上げられるというのでビデオに録画しておいてもらいました。
A-90オルリョーノク半飛行式高速艦というもので水面スレスレに浮き上がり時速500キロで進む船なんです。スゴイ!1993年に米国のスパイ衛星から写真が撮られたのですが航行(?)している画像があったなんて!

大分前にフィルムを入れたまま撮りきっていなかったКиев4Aがあったので、日曜の谷中全生庵の「円朝祭」へ持っていきました。息子もモノクロを撮りきっていなかったのでオリンパス35DCを持って(Зоркий-1も撮りきっていなかったので私が持って)行きましたが、お祭を撮るというよりも周辺の路地を撮りたかったようでした。
サイの頭を被ったこぶ平がお客さんと一緒に写ったり、何故サイかというといっ平、きくおといった二世(いっ平は三世か)落語家が全国から集めた地サイダーを売っていました。どこだったかマスカット味のサイダーが気に入りました。
美人落語家の三遊亭歌る多に声掛けて...実は高校の一年後輩で約20ぶりくらいに話しました。暑さのあまり化粧が落ちるからと最初っからノーメーク!ホント高校時代を思い出しました。

このお寺は幽霊画で有名なので数点公開されていました。この「円朝祭」を記念して、ある幽霊の顔をアンディ・ウォーホールのマリリン・モンロー風に処理したTシャツが...息子が喜んで買って帰りました。

こんなコトやってたら...暑さのせいか頭イタイ...

Пока


8月8日 お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/08] No.2212
昨日・今日と外が騒々しいと思ったら、花火大会。そう言えば、Масяさんがお書きでした。

写真:
 昨日の朝日新聞の天声人語は”写真家アンリ・カルティエブレッソンをめぐる「決定的瞬間」という言葉”の話でした。
 個々の写真家の評価はともかく、写真好きな人多いですね。私の場合、そもそも写真ってあまり好きではないのです。写真って、存在する物しか写らない、自分で見たものしか写せないので、面白くもないような気もするのですが。(って、へんなこと考えるでしょう。)
 写真は芸術か・記録か。芸術と言うにしては、機械の要素が大きすぎのような気がするし、記録にしては、時代遅れの気がするし。
 リバーサルフィルムはお使いですか。リバーサルフィルムの需要が激減しているとのうわさを耳にします。アマチュアの利用はそれほど変化ないかもしれませんが、広告等のプロ需要が激減しているそうです。デジタルに急激に移行している。リバーサルはモノクロの運命をたどりつつあるそうです。
 デジタルカメラの売れ行きも、頭打ちのようです。デジタル人気にかげりが出たというよりも、すでに十分に普及してしまった? それとも、携帯電話に食われている?

 アンリ・カルティエブレッソンは、実存主義の影響にあるのでしょうか。

8月8日:
 クロポトキンを日本で紹介したのは大杉栄です。大杉栄は関東大震災の混乱のさなか、憲兵大尉甘粕正彦によって、家族ともども暗殺されます。
 甘粕正彦は懲役10年刑を受けるが3年で出獄。その後、中国東北部で謀略活動を行い、満州偽国建国に一役買うことになります。建国後は、いくつかの要職を歴任し、その裏で、数々の謀略に携わります。
 1945年8月8日、ソ連は日本に対して宣戦布告し、翌8月9日、ワシレフスキー率いるソ連軍はソ・満国境を突破し、中国東北部を解放、満州国は崩壊し甘粕は自殺します。
 クロポトキンの名前を見ていたら、中国東北部の解放を連想しました。

アナーキズム:
 「有機農法などにまで広がっているイデオロギー」をアナーキズムと関連付けて考えるのですか。有機農業を主張している人たちって、農業のプチブル的経営を目指しているのではないだろうかって、そんな気がしているのですが。。。アナーキズムというと、資本主義に対峙するって感じがしているのですが、有機農業の人たちは、どうなのでしょう。私が知っているところでは、資本主義の中で、上手に生きてゆこうとしているような、そんな感じがするのです。宣伝としての有機農業。

 先日、赤と黒のマウスを買いました(Logitech製)。赤がないとアナーキズムって感じがしない。


遅い お名前: telefunkenさん [2004/08/07] No.2211
ルータは使っていません。金井さまご指摘の可能性を検証してみると、どうやら私のセッカチという結論になります。セッカチは友達のすべてから指摘されていますから、事実なのでしょうね。わがままとセッカチはおなじことの違う表現だと自分では思っています。
プルードン
そうでしたか。ひとごとながらすこし安心しました。財産とは窃盗である、でしたっけ、強烈な思想を残した人ですよね。永久に残ってほしい。


ブロードバンドなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/06] No.2210
ブロードバンド:
 先日、Bフレッツ光にしたので、回線速度を計測してみました。

 @モデム+ルータ+古いPC 上下とも5Mbps
 Aモデム+ルータ+新しいPC 上下とも10Mbps
 Bモデム+新しいPC 下:20〜50Mbps 上:10Mbps

 古いPCと言うより、古いLANカードです。ということで、回線の速度は下りで最大50Mbpsはあるのに、ルータが10Mbpsしか出ていない、さらに、古いPCのLANカードが5Mbpsしか出ていないようです。取り合えず、古いPCのLANカードを交換します。そのうち、ルータも交換しようっと。

telefunken さんが、回線が遅いと感じているのは、なぜでしょう。
@本当は速いのにセッカチ?ALANが遅い?BPCに問題があって、ブラウザーが遅い(特にJava)?C本当に回線が遅い?  「ネットに接続するときに余計な手間が一つ増えた」とお書きのところをみると、ルータは使っていませんよね。

プルードンが消えた:
 すみません、私の書き方が悪いようです。プルードンの著作は出版していると思います。どれが、アナーキストのプルードンか分らなかったのです。

地震:
 そうか、早朝地震がありましたね。すぐに再び眠ってしまった。


もう夕方だぁ…どうしよぉ お名前: hirob_pさん [2004/08/06] No.2209
今週は尻叩かれ週でした…。来週はよい週でありますように。


ツァラトウストラ お名前: telefunkenさん [2004/08/06] No.2208
は言っちゃった、とかいうパロディをみたことあります。なんだかスソまくったツァラのマンガが書いてあって、お気に入りでした。
きのう桃ゲリノかなちゃんがフランスから帰ってきました。アエロフロートで。そして夕方にはもうバイト先に出ていたので電話したのですが、なんというタフな娘だ!そういえばこないだレナちゃんはイラクに行っていたな。
今度あったときに、アエロフロートの経験をよく聞いておきます。


なぜか ♪しらねどぉ〜 夜の埼玉はぁ〜 お名前: Масяさん [2004/08/06] No.2207
業務の方が落ち着いたぞ!っと緊張が解けたのか今朝の地震で早朝に起こされたのか、ものすごォく眠いです。
ドミトリーからサーバの件で返事もらったけどこちらからの返事はいいだろう...

写真家:
私、好きな写真家っていないなぁ...息子は土門拳(テレビで見て気に入っちゃいました)の写真展に行き、買ってきた図録を見ていて「江東の子供たち(だったかなぁ)」がいいなぁと思いました。
でもこういうのってスナップになるのかなぁ。こういう時ってやっぱりレンジファインダー機がよさそう...

花組:
昨日、家内にサギソウの状況を確認してもらいました。昭和記念公園では早咲きのものが開花して「サギソウ祭」が始まったようです。世田谷浄真寺では今年はやや遅くて今月半ば頃が見頃だそうです。
今、息子の友達がニュージーランドに行っているようなので、戻ってきたらカメラの相談がてら浄真寺と等々力渓谷をと思います。春休みにホームスティした所にもう一度行ったようですが、サギソウの写真があればウケたんじゃないかと思います。
そういえば、昨年私達の市の花木園でサギソウ展があったのに今年はなかったなぁ...
Зенит212K+リバースリング+Гелиос44/Мир1-Вは確定。今回もレンジ機はお休みだろうなぁ...
夜の花火は312m(まだ撮り切っていないから)+Юпитер21Mか?

うわっ現代哲学!実存でニーチェが好きでしたが、最近は全くよまないせいかもうダメ...ヘーゲルなんか昔から分からない...
たまには「ツァラトゥシュトラはかく語りき(ツァラトゥストラはこう言ったなんていうタイトルもありますがスッキリしない)」を読み返してみようかなぁ...
それよりも全く読んでいないロシア関係の本が何冊も...

では、よい週末を!(お盆休みを!かな?)


アマゾン お名前: telefunkenさん [2004/08/06] No.2206
などでわざわざ検索してくださって、金井さま、ありがとうございました。プルードンが消えたのは象徴的ですね。自由契約による組織なんて、いまの反国家主義の綱領にしたいぐらいなのに。
京都でサッコ・ヴァンゼッティ事件のことを話したら、知らないという学生がほとんど、いや、全部でした。アメリカ共産党って言ったら、アメリカにも共産党アッタノ?とかいわれて、おじいさんはガックリ。ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトも、あんのじょう知りませんでした。ダレ、ソレとか言われて。いまどきのガッコは何を教えとるんじゃ!
ちなみにこないだウイーンにいったとき、オーストリアの人にこの二人の名前を出したら、あああの犯罪者ね、といわれてここでもガックリ。いまはそういう教育なんですね。こないだのレニ・リーフェンシュタールを知らなかった27歳のドイツ女といい、世もすえじゃ。


クラポトキン お名前: telefunkenさん [2004/08/06] No.2205
Masya様、ありがとうございました。そうです。この顔の人です。ロシヤ語のテキストは読めませんが、バクーニンなどの固有名詞を手がかりに辞書をひきながらぽつぽつ読んでみようと思います。
発音はご指摘の通りで、ぼくはロシヤ風の発音に近く表記したつもりです。ちなみに日露戦争のいわゆるクロパトキンはKyとyつまりuがはいっています。


なぜか お名前: telefunkenさん [2004/08/06] No.2204
コジェーヴのヘーゲル講義やサルトルがフライブルクのフッサールの教えを受けたりしたのをきっかけに、フランスが初めてドイツ観念論哲学の洗礼を受け、そこからマルクスの唯物論という巨大な山脈にぶち当たったのは、アルチュセールなどの新しいマルクスの読解によるものだと思いますが(よみがえるマルクス)
哲学というものが現代最先端のかたちをとっているのが、かつてのドイツにかわってフランスであり、その根底にあるのが後期マルクス主義だというのがぼくの理解なのです。つまり哲学の中心現代フランスの哲学者はみなマルクスの深刻な影響を受けたという意味で、マルクス主義こそが現代最先端の思想だといえるという考えです。
レーニンの政治的読解によって新しい形になったマルクス主義が国家形成に役立ったのが1917年革命だと思いますが、それと同時期に起こっていたいろいろな思想、とりわけアナーキズムに、ぼくは大きい興味を持っています。とくにアナーキズムがマルクス主義ないし史的唯物論(通時的歴史観ではなく構造的社会観としての唯物史観)に対して下している評価がどんなものなのか、それに興味があるのです。それは現代の代表的思想として復活しているマルクス主義が、アナーキズムにはどうとらえられていたか、という疑問なのです。
なぜアナーキズムにこだわるか。それはアナーキズムはいまでも生きている、というのがぼくのかんがえだからです。レベルの低いところではNGO活動などに見られる脱国家主義、市民運動などにみられる反国家的態度などが、アナーキズムの新しい形ではないかという気もするのです。ヘーゲルが否定した市民社会のモラル、それを超克するものとして示した国家概念、それに対向するものとしてアナーキズムを捕らえると、それは現代にもこういう変態を遂げて生き残っているという気がします。それは有機農法などにまで広がっているイデオロギー、反国家、反文明の思想だという気がするのです。


なんなんだかなー お名前: Масяさん [2004/08/06] No.2203
Привет
昨日、クラポトキンで調べたのですがクロポトキンで調べたらこっちの方が多い。なんなんだか...

http://hronos.km.ru/biograf/kropotkin.html

こんな人ですか?

っでКропоткинですが、ロシア語の発音ってアクセントのないоって"ア"って発音されるんです。
日本ではそのまま読んでしまいますのでМоскваはモスクワになりますがロシア人はマスクヴァーっと言います。
どうように普通に読んだクロポトキンとロシア的に読んだクラポートキンとがあるのかもしれませんね。

取り急ぎ Пока


クロポトキン お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/06] No.2202
 Amazon.co.jpで「クロポトキン」で検索すると12冊しか引っかかりません。「バクーニン」は僅かに2冊。「プルードン」は良く分らない。左系の学生ならば一度は手にしただろうアナーキーの図書も、今ではほとんど見向きもされなくなってしまいました。

>クロパトキンまたはクラポトキン
 なんで、クロポトキンって言うのでしょう。Kropotkin?
 

 telefunkenさんは、何でいまさら、クロポトキンなのでしょう。
 ネットで調べると、現代思想'74年4月号 に「本邦初訳レーニンへの書簡クロポトキン」ってあります。社会主義思想が流行ったのは、1970年代か1980年代前半頃までですよね。あまり見向きもされなくなってしまったのではないかと思います。
 そうは言っても、昨年「マフノ運動史 1918‐1921―ウクライナの反乱・革命の死と希望」が出版されています。マフノはボリシェビキと対立したウクライナのアナーキストです。何でいまさらマフノなんだ、と思って、早速読みました。

 ロシアの人たちは、クロポトキンやバクーニンをどのように習っているのだろう。


そうですとも お名前: telefunkenさん [2004/08/05] No.2201
金井さま、あの有名なクロパトキンまたはクラポトキンのことです。
地理学者でもあったそうですが、レーニンとはよい関係だったのですか。
うわー2300件もあるのですか、Masyaさま。索引ありがとうございました。
知りたいのはアナーキストの彼がソビエト政府というものをどう評価していたか、という一点に絞れます。
将来なにかでお気づきになったらぜひお知らせください。


RE:クロパトキン お名前: 管理人(金井)さん [2004/08/05] No.2200
 アナーキズムの、クロポトキンのことですよね。大杉栄や幸徳秋水にも多大な影響を与えた、あの有名なクロポトキンですよね。
 でも、彼の著書は読んだことないので、全然知りません。レーニンとは敵対関係ではなかったですよね。違いましたっけ。
 クロポトキンはロシア革命のさなか帰国して、その後はロシアで活動していたのでは?違ったかなー。


Return

Home 北方領土問題 やさしい北方領土問題 竹島問題 やさしい竹島問題 尖閣問題 やさしい尖閣問題 Blog