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金井様、解説ありがとうございました。 9日に届いてから銅管に不要なカメラの物を挿入し「外付けのファインダー」急造して試し撮りしました。光モレ、ボケは撮影しないと。。。素人でもわかりますからね。 結果はとても綺麗で大変よく撮れてるように思いました。 ライカ用のファインダーを購入するには、このカメラよりかなり高値かも知れませんし、標準レンズ専用の外付け?を捜すのは力が入りません。 私もフエイク?して「折りたたみファインダー」をシューに着けようかと思いました。 お忙しい中ご丁寧な解説感謝いたします。
telefunkenさま、チョッとしつこすぎで申し訳ないのですが、二点教えて下さい。 「ずーっとグッタペルカ」って、どういう意味ですか。グッタペルカとは、もともとの意味は、杜仲の木を傷つけたときに出てくるゴム状物質のことだと思います。初期のライカでは、本当に杜仲の木から取れたゴム状物質を付けたのでしょうか。それとも、合成ゴムでカメラを被覆したとき、カメラの世界ではこれをグッタペルカと呼ぶのでしょうか。あるいは、合成ゴム(の一部)のことを、一般的に「グッタペルカ」と言うのでしょうか。 朝日ソノラマの「ライカスタイルブック」P23にライカI(C)レンズ無しの写真があります。この写真を良くみると、マウントの真下の貼り皮部分に隙間があるように見えます。グッタペルカ貼りだと、こういった隙間は現れないと思います。この写真のカメラ特有なのでしょうか。それとも、ライカI(C)のマウントの真下は、貼り皮の継ぎ目のような隙間が一般に存在するのでしょうか。
ライカは初めからずーっとグッタペルカです。ただし1929年に出たライカ・ルクスス(Leica Luxus)という豪華版は金メッキでトカゲ革張り(赤、緑、青、褐色仕上げ)です。 モルダウ トスカニーニは今聞いても凄い指揮者ですね。プラハのお城を見に行ったとき辻音楽師(つまり道端で演奏しているストリート・ミュージシャン)がモルダウをやってました。4人なので主旋律プラスアルファぐらいですが、なかなか感じが出てました。 フェイク ぼくはフェイクのコンタックスを買いました。II型ですが、中身はちゃんとしたもので、黒仕上げ。フロント左肩にご丁寧にCarl Zeiss Jenaと白い文字で入っているド珍品です。ロシヤから買ったので、たぶんウクライナ製でしょう。ちゃんとシンクロ接点も思わぬ場所(フロント右胸あたり)についています。これってレジスタンス?ンなわけないか。でもベースがキエフでなければ、ふぇーくらいかと違って、あんなに手の込んだシャッター機構を、わざわざ作るとは考えられません。売り手はまた鷹揚な人で、一度送ったヤツが行方不明になったので、もう一度無料で送ってくれたのです。
チョッとご無沙汰してました。金井です。 誕生年カメラ: 私は、持っているかなー。気にした事無いので。1950年以降生れの者は、誕生年カメラの入手は容易ですね。そう思うと、何もこだわる事も無いか、って気になります。 telefunkenさんは、すごいなー。Contax発売前のライカなんですね。 ライカ: telefunkenさま、教えて下さい。 初期のライカはボディー表面はどのようになっているのでしょう。皮貼りでしょうか、合成樹脂貼りでしょうか。 モルダウ: 久しぶりにモルダウを聞いています。トスカニーニ指揮NBC交響楽団のです。このCDではモルダウのイントロ部分は59秒でした。全体で11分の曲なので1割になります。 次は、ドボルザークの「新世界より」を聞こう。この曲は第1楽章よりも第2楽章が有名ですね。有名なメロディーの前にトロンボーンなどの前奏があります。 >こんどEktraを売りつけて思い知らせねば。(月島の注意札) 思いっきり高く売りつけてください。 LC-A,KIEV-35A: どちらも、私のHPに有りません。持っていないのです。LC-Aはどういうわけか、多くの人に愛されているカメラです。優れたカメラと評価する人も多いと思います。でも、ありふれすぎなのと、チョッと高いので、購入する意欲がわかないのです。KIEV-35Aは、特に理由も無く、もっていません。 ところで、LC-Aがどこかの売れなかったカメラを参考にしていた所があったとしても、違法性はありません。だって、世界中、何処を探したって、そんな判決も調停も、それどころか、裁判すら無いんですよ。 写真の発色: ネガカラーをプリントしたときの色は、DPEによって違いが大きく、フィルムの違いを見分ける事が出来ません。お姉さんがプリントしている店は青白く、おじさんのところは黄色見が強いと、勝手な偏見を持っています。最近はあまりプリントしないけど。(100円の現像のみ。)
Shinanoさま、始めまして、管理人の金井です。 「Ernst Leitz Wetzlarだったら、おそらくそれはライカでしょう」「Germanyだったらドイツ製でしょう」って答えではダメですよね。 FEDやZorkiはライカ2型をモデルにして作られているので、かなり良く似ています。そこで、FEDやZorkiを改造して、ライカっぽく仕立て上げられたカメラが存在します。フェイクライカと言います。 フェイクライカは、もともとは大戦中にナチスへの抵抗運動として作られたそうですが、実際に存在するフェイクライカの多くは、ソビエト崩壊後に作られたものです。 何処で作ったか、誰が作ったか、いつ作ったか等の詳細は不明です。板金や溶接のちょっとした技術のある人ならば誰でも簡単にできる事だから、かなりたくさんの人が、フェイクライカ作りをしているものと思われます。ただし、価格はそれほど高いものではないので、人件費が高いところで作られたものは少ないと思います。実際には、ロシアやウクライナで作られているものが、圧倒的に多いでしょう。アメリカで作られた物もあるそうです。日本人でも趣味でフェイクライカを作っている人もいるかもしれません。(私も作ってみたいけれど、設備も技術も無いので無理です。) フェイクライカの品質は千差万別です。フィルムが入らないものもあれば、かなり良く調整されているものもあります。改造も天板を変えただけの物から、ライカ1型のようにしたもの、金ぴかにしたものなど、いろいろあります。 Shinanoさまのライカが、ロシア製ならば、フェイクライカということになります。 ところで、フェイクライカの元になったカメラは、FEDかZorkiかという問題があります。FEDとZorkiの多くはシャッターボタンの形が違うので、これを見ると、一応の推定は可能です。でも、フェイクライカを作っている人は、たくさんのFEDやZorkiを持っていて、それらを元にフェイク作りをしているのだろうから、複数のFEDやZorkiの部品が入り混じっている事も充分に有り得ることです。 フェイクライカは私的改造カメラです。いつ何処で作られたかを詮索する事は、ほとんど不可能で、通常は無意味だと思います。
カメラもインターネット(3月末〜)も超初心者です。突然で申し訳ありませんが冗談との事でロシア製の型式不明?を入手しました。 見た目はライカスタンダードと同じですがファインダーが無くシューが2連有るだけ、あるいは、ゾルキーTからファインダーを無くし切り替えダイアルにオワン型のカバーを着けた容姿です。 四方八方HPみたのですが型式、製造社など情報が出ていません。 このカメラの画像を付ければよいのですがデジカメがありません。よろしくお願いいたします。 刻印されている情報は次のとおりです。 トップ :ID 357990 シャッターレンジカバー:Ernst Leitz Wetzlar 底蓋 :[ELEITZ WETZLR] ロゴに刻字 Germany レンズカバー :Leica レンズ :Leitz Elmax 1:3.5 F=50mm
月島の注意札 ご子息の怒りはごもっともです。こんどEktraを売りつけて思い知らせねば。 正装 までは行きませんがみな一様にダークスーツでした。また市民会館がそういう雰囲気で、ちょっとラフな服装だったぼくらのツアー仲間の一人(声のでかいジジイ)だけが浮きまくってました。場所はモルダウのほとりではありませんが程近い場所です。 Ektra の修理はさすがの早田名人がさんざんてこずって一ヶ月ほどかかっていました。幕ももちろん交換でした。あらゆるところが壮絶に壊れまくっていたそうです。 直しているプロセスの写真がいらないかといわれたのでお断りしておきました。 そんなもの眺めても仕方がない。 お誕生ワインというのがバブル期にありました。小説書きの開高にロマネ・コンティをネタにしたのがあります。その開高とぼくの買ったロマネを飲む約束をしながら、一風堂の土屋と飲んでしまいました。開高は100年前のアルマニャックの大瓶を下げて待ち合わせ場所に現れましたが。少し飲んだ残りをその店にあずけたまま、死んでしまいました。あとで店のヤツに聞いたら、ありがたく飲んでしまったそうです。 時間報酬 アメリカはそうですね。ある有名なコンサルタント業は1時間500ドルと聞いたことがあります。あと有名監査事務所も高いですね。
初期型でトリガーレバーで巻き上げるタイプです。シャッター優先EE(オートと言ってもいいのかな?例のイクラが...)も使えます。 どちらも不調だったと思いました。1台の入手は覚えているんですがもう1台はどっから入手したのかなぁ... 子供の頃、キャノン・ダイヤル・ラピードを使っていましたが、ニコン党だったせいかキャノンはどうも...今持っている使えるキャノンって110EDだけだなぁ...Date機能はダメだけど。 MEスーパーの底蓋: 外してみようかなぁ...息子が鞄に入れて学校に持って行ったらお弁当の醤油が漏れて...本体とワインダーの間にしみこんで...もう匂いませんが... 中京地区が曇って来ると明日以降こちらは... でも、よい週末を!
>ぼくが行ったのはそのクロージングでした すみません。よく読んだらNo.1873にちゃんと書いて居られました。あの記述を見ると豪華さが伝わりますね! >お誕生カメラ >ライカC型の1930年、連動距離計つきのII型が1932年 …蛇腹じゃなくてライカなんですね。失礼しました。私は自分のカメラでコカレッテを想像していました。もの凄く古めかしいカメラですが、ライカIIと伺うとそれよりは新しく感じてしまいます。でも、ライカが何台もあって、そこからお誕生年カメラが選べるって…ぃぃな。 >徹底的に直してもらって15万円 本当ですね。技術量として高くない(私には全然安くも無いけど…)と思います。技術力が高いと仕事も速いので多少安くできるのでしょうか?アメリカの弁護士からは請求書が全部時間あたりで来ますが、経験年数が少ない人だと$250/hで、経験年数が多いと$300/hとかいう感じですが、安いと思って$250/hに頼むと合計額は逆に高くなります。時間がかかるからだそうです…。そんなバカなって思うのですが。 >発表というのであれば お誕生年製造カメラと、お誕生年発表カメラですか。私の場合は確かミノルタハイマチックがあります。キャノネットってちょっと興味があります。 >Зенит312mや212Kといった新しい製品のナンバー ソ連時代から番号は周到されているのですね。分かり易くてよいなぁと思うのですが。関係ないですが、多分ですけど、MEsuperの製造年も実は分かるんですよ(あくまで予想ですけど…)。以前2台ほど分解したんですが底蓋の内側に番号が書いてあって、最初の2桁が昭和年号を表しているのだと思いました。 今日はちょっと仕事を頑張ってます…では。
14日以降書き込みがなかったので... Привет お誕生年カメラ: モスクワで気に入ったものだけ買っているので製造年まで見ていないんです。Зоркий-6やКиев-4などが前後賞なんです。 発表というのであればCanonetが2台あります。使えるんだかどうか分からない... Зенит312mや212Kといった新しい製品のナンバーも00や02で始まっていて年を表しているようです。620はどうだったかなぁ... プラハの春: っということはブルタバ河のほとり(?)で生で聴かれた訳ですね。モスクワでそういう経験がない... 一度バレェを観に行けっとワレリーに言われましたが、彼女に断ったことを言ったら「почему(なんで)?」っと詰め寄られました。 私のLPはチェコ・フィルだから本場は雫がはいる?あっコンサートは正装ですか? マイクロスクリーン: 新しいのでは全面がマイクロスクリーンのものもあるようですが私のは中央部、一般的なスクリーンの中央部の大きい方の円の中のみマイクロスクリーンです。 その他の部分は素通しガラスみたいなものなんです。 エクトラ: その氏に売るとして、代金を受け取った後に本物とするために目の前で壊す... 台風が近づいていようとも明日はなんとかなりそうですが日曜が...息子と一緒に小岩菖蒲園、堀切菖蒲園とハシゴして日暮里の駄菓子屋街(?)をと考えています。 ここのトコロ、息子は大好きな路地を全く撮っていないんです。 telefunken様が仰った月島での路地の撮影についてのことを息子に話したら某氏に対して怒っていました。 Пока
が直って着ました。徹底的に壊れていたのを徹底的に直してもらって15万円でした、10万円ほどで希少レンズの50/3.5と90ミリ付きで買ったのだからこれでも安い勘定です。名人のご意見ではレンズはさぼどだがボディはキレイとのことでした。チョー徳はもし壊れていないエクトラがあればそれはニセモノだと名言を吐いた野ですが、コレでぼくもニセモノを三台所有するにいたったわけです。一台売ろうかな。と考えています。
プラハの春 は毎年やっていて、ぼくが行ったのはそのクロージングでした。なかなかの盛況で切符が変えないほどだそうです。 モルダウ ピッチカート そう、エンエント、少なくとも16小節以上はあった気がします。でもこれの無いのもよく聞くから、編曲でいくつかのバージョンがあるのでしょうか。 誕生カメラ ぼくの場合はライカC型の1930年、連動距離計つきのII型が1932年のあいだに挟まっています。子供のとき使っていたIIIa覇もっとあとの1935年でぼくが4歳のときの発表です。
>後期になると丸くなり ニコンのデザインの特徴だと思っていたのですが最初は違っていたのですね。 >マット面がないマイクロ透過式 全面マイクロスクリーンなんてあるんですね。知りませんでした。 >サービスセンター で進められるのでしたら大丈夫ですね。最近ペンタはサービスセンターを全部引き上げてしまったので、名古屋は受付だけです。東京だとペンタフォーラムへ直接持ち込めるので羨ましいです。私のA☆200mmは上を向けると自重でヘリコイドが回るようになってしまっているので早く修理をしたいのです…。 >シャッタースピードに多少狂い >前後賞はあるのですが むしろ、前後賞をもって居られる方が凄いのかも…私は自分の生まれ年の物を意識して買ったから持っていますが、前後賞なんてむしろ有りません。 >Киев35A って製造年が分かるのかなぁ。金井さんのHP内に探したけどKIEV35Aの記載が無い…あるのかなぁ?それにしてもこのHPにある情報は膨大ですね…
映画雑誌みたいだな。 Fのファインダーですが、前期型で接眼窓が四角くて何も付けられないんです。後期になると丸くなりディオプターレンズやマグニファイヤが装着することができるんです。 私F用のファインダーってウェストレベルとフォトミックファインダーを持っています。これらもらい物でした。 っでファインダーはそう暗くはないと思いますが、マット面がないマイクロ透過式にするとムチャクチャ明るいです。私がFを入手した頃ってF2用としてスクリーンが現役で売られていました。もっと買っときゃぁ良かった。 MXのモルトが古くなり、ミラーがモルトにへばりついたりモルトが飛び散ったりしてスクリーンを汚してしまいました。掃除したつもりでしたが傷つけてしまったのでサービスセンターに持って行ったら、露出に影響するがLX用が使えると言われ、すぐに買いに行きました。 その時、シャッタースピードに多少狂いがあるようだと言われました。でもそのまま使っています。 お誕生日カメラ: ありがとうございます。 これだけ持っていても私の誕生年のってないんです。前後賞はあるのですが、唯一КиевマウントのЮпитер8M一本だけが該当します。 例のページからするとКиев35Aは現行のようです。 あっそうそう「黄河」: 国交が回復して中国のオーケストラが来日し演奏した番組を見た覚えがあります。そこでピアノ協奏曲「黄河」を聞いたことがあります。 台風が近づいているようですが週末は大丈夫でしょう。いや、大丈夫!
>ロモLC-A: 誕生日&LC-A復活おめでとうございます。なんとも奇遇なLC-Aですね(LC-Aも製造年が分かるんですね!)。Масяさんはご自分の誕生年のカメラをお持ちですか?私はKIEV4aが1台あります。他はレンズにもありません。telefunkenさんの誕生年のカメラだと凄い古いカメラになりますね…蛇腹かな。自分の息子がもしカメラに興味を持ったらあげるために2004年製のカメラかレンズを何か手に入れとこ…何にしよう。LC-A?(現行なんですか?) KIEV35A? >スクリーン: 昨晩は、ちょっと早く帰宅したのでペンタコン6のスクリーンをまたスプリットに交換し直してみました。う〜ん。こっちの方が良いのかなぁ…? あれだけ撮られている方が言われるのだし、カメラ買ったら必ずスプリットが付いているから、やっぱりスプリットが一番便利なのかなぁ?等々ファインダーを覗きながら考えてしまいました…。このカメラピント外すことが結構あるんです。でも6x6位だとスプリットが真ん中にちょこっとあってもマット面が広大に感じるので、これでいいかも…。結局ペンタコン6は暫くスプリットに戻してみることにしました。 >Fのファインダーは古いので やはり古い一眼のファインダーは高級機でも暗いのですね。古い一眼のファインダーを明るくできる方法は無いのかなぁ? ペンタS2のファインダーを明るくできればもっと使いたいんだけどな。 >Fの斜めのスプリット そんなのあるんですかぁ!!これ見てみたいなぁ。 >MXにはLX用が 私もLX2000が出た時に同時に出た(?)新しいスクリーンを入れました。一方には完全マット、もう片方には線の入ったマットを入れました。でも、両方とも広角で外縁部が多少ケラレます…。室内での広角でははっきり分かるくらいです。でも気にしない。露出は別に変だとは感じませんが、MXの露出計がまだ正しいのかが…? >T-レックスのはだ〜いぶ前に雑誌で見た 機会があれば探してみま〜す。 >日曜の19:30 あと一回だけなんですかぁ…。先週だったかに「お茶の水博士、強いなぁ〜!」とか思って見ていました。今週は日曜出勤必至です。もしヒョータンツギ研究の良い成果が得られましたらお教え下さいませ。
Привет ロモLC-A: ブラックジャックに、「あ〜ん、心電図にヒョータンツギが出ていゆのさ」、「そいつはいい、この患者は助かるぜ」という一節があり、ヒョータンツギの話をしていたせいかLC-Aのシャッターが生き返りました。 スプレー式のブロアーでシャッターの隙間に空気を送り込んだところゴミが取れたのか何なのか動き出しました。 よく見たら88年式で息子の生まれた年、息子がこのLC-Aで撮った桜があるコンクールで入賞したので、たとえ動かなくなっても取っておこうと思っていましたが直って良かったです。ちなみに昨日は息子の誕生日でした。 スクリーン: ニコンF用に全面マットや方眼など少しスクリーンを買ってありましたがやはりスプリット式がいいです。FMもMXもディオプターレンズを着けているのでマット式にしてもどうにかなりそうな気がします。(Fのファインダーは古いのでディオプター着けられない) スプリットは暗いレンズを装着すると半分が真っ暗になる場合がありますが...最近暗いトコロではストロボ付きでもレンジファインダー機、しかも広角の目測で撮ることが多いんです...そろそろ細かいのが...という訳でも... Fの全面マットは望遠系など暗いレンズに適すると書いてあったと思いました。Fの斜めのスプリットは特に見易いです。MXにはLX用が多少露出に影響があると聞きましたが問題なく使えています。 レコード: T-レックスのはだ〜いぶ前に雑誌で見たという記憶があるだけです。そういえば初めてモスクワのオフィスに行った時、友達の机の上に沢山のCDがあり古いロックが好きだということなのですが、その中に1枚日本語版のT-レックスのCDがあったのを思い出しました。 「わが祖国」のLPは日本盤です。 火の鳥: NHKだから全国共通だと思います。日曜の19:30です。でもあと未来編だけなんです。またヒョータンツギ研究家の息子に言わせると原作でヒョータンツギが登場する火の鳥は先日終わった太陽編だけだったようです。(でもTVではなし) 余談ですが、アトム誕生の地と言われるJR高田馬場駅の発車チャイムは"♪空を越えて〜"で、現在プロダクションがある武蔵野線新座駅は"十万馬力ィだ 鉄腕アトぉム〜"です。 現像: どこも機械なんでしょうが、機械だけにフィルムが同じなら同じようにプリントされると思うのですがよく分からない。 ウチの方ってお店が少ないんです。選択の余地がなく、線路を挟んだ金井さんのお宅側は何軒もあるんですよね。羨ましい...まぁ行けばいいんでしょうけど... Киев19M: 初めて買ったニコンEMが20年にしてツブれました。ニコンってメーカが"ダメだ、こりゃ"と判断したら相当の新機種を安く買えるシステムがあると聞いたことがあります。 その制度を利用してもFM10だろうから19MをEMの後継のつもりで買いました。オートじゃないけど... Пока
>マーク・ボラン そんなジャケットがあったなんて!! 私自分ではTレックスが好きだと思っていたのですが…。 >スプリット式ではない 暗いところで使う時はスプリットが邪魔になりませんか?私は極端に暗いと全画面を漠然と見ながら中心部のコントラストが最大に感じるところでシャッターを切ります。でも、スプリットがあると、中心部のコントラストの変化が分からないんです。そんな経験はありませんか?私はよくこれがあるのでMXは2台共、それとペンタコン6もスクリーンをマットに交換してしまいました。 >私が持っている全てのニコンレンズが開放測光に >Ai連動で装着でき、FM用のディオプタレンズも使える... そうなんですかぁ。1/500を我慢すればニコンレンズ用ボディとして買えるのかぁ…。 >Ma Vlastだったと思ったんだけどなぁ...チェコフィル おぉ〜外盤でしょうか?良いなぁ。 >「プラハの春」音楽祭での決まり えっこれって毎年あるんですか?チェコが開放(?)された時だか直前だかにクーベリックが戻って指揮した時のことを言うのだと思っていました…すみません。さっきの書き込み間違っているかも…。 >ピチカートで雫を表現 思い出しました。そうです!!!有ります有ります!ピチカートが。確かフルートの後は弦のピチカートですね! あれ雪解けとかなのかもしれませんね。本物のモルダウって河?を見た事がありませんが、もし「黄河」ってタイトルだったら凄いオーケストラ編成になりそうです。 >ヒョータンツギ 私も探します。何曜日の番組だったかな? >どうなっちゃったんだろう? 私が学生の頃にDPEのバイトをしたことがありますが、当時は確かプリンターに各会社用の補正機能がついていました(私はいじった事が無い…)。で、殆どのフィルムは補正機能があるにも関わらず何もいじらずにプリントしていました。プリントするときにどっちみち手元のボタンで露出・色を補正するので大抵分からないからです。でも、コニカのフィルム付きカメラから出したもの以外の物では、極端に青に偏るものがあり、色を自分の感覚で補正できないフィルムがあると聞いていました(私は当たったことが無い)。そして客に文句を言われて補正してプリントし直した事があるという話を聞きました。アグファという設定があったかとか、各社のフィルム毎にあったか等詳しいことが何も分からないのですが…実はこの時は写真に微塵も興味が無く、余りにも「静」のバイトだったので短く止めてしまいました。でも、思えばこのバイトが切っ掛けでカメラに少し興味を持つようになったのかも…。って関係無い話になったのですが、つまり、今は知らないのですが補正の有無で派手さが変わる事もあり得るのかなぁ?と思った次第です。私はどうしていつもこう文章が長くなるのだろう…すみません。
昼食でビルの外に出たらとても涼しくて過ごしやすそうでした。それ以外はビルの中... 有名人のカメラ: 今となっては世界の有名人が日本製カメラを使っていても当たり前のような気がしますが、初来日した頃のポール・マッカートニーはペンタSPを使っていたようですね。 そういえば亡きカミさんは元写真家でしたっけ?70年代に人気となったT-REXのマーク・ボランがニコンFフォトミックを持ったアルバムジャケットがありました。 ロシアカメラを持った有名人...ロモくらいでしょうね。 フィルム: ウルトラカラーでUCのようですね。カード会社ではなく。ウルトラの次はセヴンだろうが!ジュワッ! Agfaウルトラで撮った5月のチューリップは鮮やかというか絵に描いたようにプリントされました。同じフィルムを使って伊奈町のバラ園、JR大宮工場で機関車を撮ったりしましたがややフツーの感じ... どうなっちゃったんだろう? Киев月間: Киев19Mは数年前、新品で買いました。スローシャッターもあるのですが、ファインダーがスプリット式ではないのでちょっと使い難いです。20mmと併せて使ってみようかと思います。 私が持っている全てのニコンレンズが開放測光にAi連動で装着でき、FM用のディオプタレンズも使える...だけどファインダーの問題で出撃回数が少ない... 4Aも最近出番が少ないです...週末久しぶりに大学で集まりがあるのでストロボつけて持って行こうかと思っています。 あっこの用事が夕方からなので昼間は皇居東御苑と多摩川台公園に行ってみようと思ったんだぁ。Киев月間だから19MにニコンEズームでも着けてみようかな? Muj Vlast: 例の電子単語帳で"My Country"をチェコ語にしたらこうなりました(uには何か記号がついています)。LP(古いと言わないで!)のジャケットにはMa Vlastだったと思ったんだけどなぁ...チェコフィルのです。 「プラハの春」音楽祭での決まりのようになっているようですね。やはり美しい国を称えた曲だからじゃないでしょうか。 モルダウが小川(もしかしたら、ピチカートで雫を表現?)から大河へとなる様子をあらわしたこと、忘れてました! 火の鳥: 毎週見ています。毎週どこかにヒョータンツギが描かれていないかチェックしています。ブラック・ジャックと違ってスカーっと出てきませんねぇ。 仰せの通り、チェコフィルと二胡の競演です。
>デザインのお話 ヨン様のカメラ情報面白かったです。実はポール・マッカートニーの持っていたカメラもよく見たらLC-Aだったりして…。 >コダックUC100 アグファウルトラ(これもコダックウルトラじゃなかったでしたっけ?)に慣れてしまったМасяさんの目には極普通に写ったのだったりして。 >ARSENALのホームページ の発見おめでとうございます!私には全然読めませんでしたが、KIEV19(1/500まで!?)が現行品だとは知りませんでした。「Киев月間!」とのことでKIEV4aを買い足しました。 >オープニングに使われていた曲でしょうか。 その曲はしりませんが…。モルダウはスメタナが作曲した6曲組(?確か…)になっている交響詩「わが祖国」のうちの2曲目の曲です。河の流れを表現しているらしく(確かにそう聞こえる)小川から大河に流れ下る様子が演奏楽器が段々増えていって演奏されるとても有名な曲です。主題は多分誰でも聞いた事があると思います。因みに、演奏経験がありますが、先日のtelefunkenさんが仰せのピチカート部分は私にも記憶にありません…。そして、どういう由来で演奏されるのかは知らないのですが、クーベリック・チェコフィルが「プラハの春」で演奏してとても話題になりました。因みに、確か最近NHKで火の鳥の漫画をやってますけど、あれの曲をチェコフィルが演奏していたと思います。何だか随分と贅沢な漫画だなぁと思った記憶があります。 >千島列島 お話面白かったです。私はあまりに知識が無いので、先日来、ただ金井さんの書き込みを読んでいただけなのですが、最上徳内は確かに教科書で習いました。そして、この最上がロシア人から千島の詳しい状況を聞いているというのが…。 >読むのがうんざりする話 「常に資本主義に対して優位に立っている」、「西側の良い物と同等以上の物がないと困る」というのはなるほどなぁと思うのですが、そこから「優れた製品のコピーが作られた」という所へ繋がるのが私にはよく分かりません。ソ連ではコピーをしなくても、ブリュッセルで賞を受けたような優れたレンズ群を作ることができています。また、当時からコピーがあまり優れた物ではないことは既に認識されていたはずと思います。というのは、ソ連はWIPOには設立当初から加盟し、パリ条約にも少なくとも1965年には加盟しているからです。つまり、世界的な貿易同盟に加入して、知的財産を守りましょうという立て前は持っていたと思うからです(ただ、著作権関連のベルヌ条約にはいつ頃から加盟したのか分かりません)。そして、先日こちらの掲示板に掲示したように1970年頃からは日本にもどんどん特許出願をし始めています。 そして、更に「外貨を稼ぐために、類似商品を作って輸出を目論んだ」というのもの本当なのかが分かりません。外貨を稼ぐのが目的であれば、西側で指示されている物を製造し、輸出すれば確かに良いとは思うのですが、上記ののような理由から、国内で売りさばく事は出来たとしても、国外に違法コピー製品を持ち出す事はとても困難だったのではないかなぁ?と思います。国外に積極的にコピー製品を持ち出していたという事実はあるのでしょうか? >というわけで、デザイナーがおちゃめだった? 全ての理由を飛び越して、単にデザイナーがとても気に入ったからとか、おちゃめだったからとかいう理由が今のところ最も合理的(?)かも。
ドナウ河、モルダウ河ときてドニエルプル河と無理やりこじつけてネバ河へ。 Привет デザインのお話、面白いです。デザインの話で槍玉にあげられるのがLC-A。 ここの所の話題で私がЛюбительを買ってすぐに壊したというようにФЭД、ЗоркийやКиевと比べていい話題がないЛОМОですが(そうかぁ?)... 昨日、家内が歯科医院の待合室にあった週刊誌で、今をときめくペ・ハヤシヤではなくペ・ヨンジュンがロモを使っていると書かれていたのを見たそうです。 記事なのかグラビアなのか分かりませんが恐らくLC-Aでしょう。おばさま達の間で再ブレイクするか? 私のLC-Aは昨年シャッターが開かなくなりました。(やっぱり良くないオチだな) また、コダックUC100で撮った写真が出来上がりました。何の変哲もないごくフツーの出来でした。派手な写真を望むのであればやっぱりウルトラだなぁ... まだブローニー判の方が撮りきっていないのですがどんな風になるかなぁ... 対象によるのかなぁ...紫陽花や菖蒲、連休前に撮ったチューリップはウルトラで派手に撮れました。現像所の問題...同じトコロなんだけどなぁ... 一月でウデが急降下...気が抜けていた...あり得るかも! 毎日見かける観光バスに皇居東御苑のハナショウブと書かれています。見頃なようですので気合を入れて行ってみるかぁ! Пока
Zorki-11がリコー・オート35Vと似ている理由(No.1879の補足) 社会主義は資本主義の発展形態であり、常に社会主義は資本主義に対して優位に立っている、というのが建前だったので、西側に良いものがあるなら、それと同等以上のものが東側にないと困るわけです。そういうこともあって、優れた製品のコピーが作られたと考えられます。 また、輸出をして外貨を稼ぐために、西側でよく売れている製品の類似商品を作って、輸出を目論んだとも考えられます。 リコー・オート35Vは、優れたカメラとも思えないし、よく売れたカメラでもないし、まともな理由を考えてもチョッと思いつきません。 というわけで、デザイナーがおちゃめだった? 北方領土問題(No.1868の補足) 日本では、かなり以前(おそらく平安時代)に、千島の存在が漠然と知られていました。17世紀中ごろの地図には、場所や大きさはでたらめながら、千島の各島の名前が描かれています。 同じころ、オランダの航海士が択捉島に上陸し、そのときの記事がヨーロッパには流布しましたので、ロシアが千島の存在を知ったのは、17世紀中ごろです。 日本人が、最初に千島について正しい知識をもったのは、1786年、最上徳内の択捉上陸です。最上徳内は上陸した択捉島で、ロシア人・イジュヨゾヨフに出会い、彼から千島の詳しい状況を聞いています。なお、1768年からイワンチョールヌイはウルップ・択捉島民から毛皮税を取り立て、過酷な労働を強いています。(KievのArsenal創業と同じころですね。日本は鎖国中。) 択捉島の日本領有が宣言されたのは、1799年近藤重蔵が、択捉島に上陸し、ロシア人の立てた十字架を引き倒した後「大日本恵登呂府」の標柱を勝手に立てた時でした。 外務省発行のパンフレットには「日本が先に千島の存在を知っていた」とか、「ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことがない」などと、書かれています。誤りではないけれど、正しくも無いように思えます。
よく見たら今月で創業240年だそうです。よって今月はみんなでКиев及びARSENAL製レンズを使いましょう!ナンテネ。 ARSENAL社のカメラの歴史は仰る通り1947年に始まったと記されているようです。ツァイスやコンタックスについては記されていませんね。
Arsenalのホームページは、ずっと探していたのですが、ついに見つかりましたね。すばらしい。 Arsenalの歴史で、カメラ関係の記述は、1947年からカメラ製造を開始した、ってことだけでしょうか。 わが祖国: この曲、どういう曲だったか忘れてしまいました。昔、日本向けモスクワ放送の「社会主義諸国めぐり」のオープニングに使われていた曲でしょうか。(って、そんなこと、知りませんよね。) >Zorki-11とリコー・オート35V なぜ似ているか、ですが、似ているのが好きだったからではないかと思います。2つ並べて、悦に入ってた(それは、私です)。デザイナーがおちゃめだった?
あることを調べていたらARSENALのHPを見つけました。 http://www.zavodarsenal.kiev.ua/eindex.phtml ココは英語のページなんですが...メニューだけが英語で後はロシア語です。 ARSENAL社って今年創業240年にもなる老舗なんですねぇ。社史で終戦の頃を読んでも大したこと書いていないようです。 両替所でみかけるお札を数える機械はARSENALの製品だったんだぁ!それと信号機も。
こんにちは。 夜遅く山道をトコトコ帰って疲れました…。今日はボケーッという感じです。 >オスカー・フリッケのことですか? そのようです…有り難うございました。「9匹のブタ城」に続いてお恥ずかしい限りです。 >Zorki-11とリコー・オート35V とても面白かったです。お話からは確かに「デッドコピー」と言う表現は適切でないようにも思えますね。先の表現は外観だけを意識してのものなのかなぁ? 現物をどちらも持っていないのですが、写真で見る限りは外観を何故あんなにもそっくりに保持する必要があったのかが私には理解できません。ましてお話のように内部に変更を加えているならばもっとですね。西側思考(?)が染みついているので合理的な回答が無いかぁ?と探してしまいますが、そういう思考では到達し得ない理由なのでしょうかね? >な すふれだのう! うん すふれはうまいのう!
Привет ですよねぇ。「わが祖国」というより第二楽章のモルダウで興味を持ちました。これ近年では中学校の合唱曲になっているようですね。 言葉: まぁ、チェコ語ではなくロシア語を学んだ結果が今日なので何が幸いとなるか分かりませんね。 第一外国語であったドイツ語はここ数年で一気に忘れました。あ〜博士に返事がぁ!! いつもUNIVARSAL TRANSLATORという単語帳みたいなものを持っています。これ、英語、チェコ語、フランス語、ポーランド語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、トルコ語の単語が多くはありませんがそこそこ収められています。 変化形などはありませんが単語を調べる時に便利です。チェコ語には記号もついて表示されました。キーは英語とロシア語の表示です。アエロフロートの機内販売で買いました。 作曲家: ドボルザーク、スメタナときてヤナーチェクが出ない。といっても私も名前だけしか知らないんですが。 う〜ん、今週はチェコ週間かな? な すふれだのう!
rの上にかぎをつけたやつは巻き舌で摩擦音を出す独特の字でドヴォルザークのルザがこれみたいですね。あとJindrichuvっというのをインドゥリフフと読んでいたらこれはインジフーフと読むのだと教えられました。うーむ、難しい。 野鳩 というドヴォルザークの曲は夫を毒殺した女が若いイケメンと再婚して遊んでいたら、亭主の墓に木が生えてそこへ野鳩がくるようになった。どころが野鳩の声がなくなった夫が恨む声に聞こえて仕方がない。とうとうノイローゼになって自殺してしまう。というブラックな内容の管弦楽曲です。こないだプラハで聞くまで知りませんでした。 スメタナ のモルダウは最初に弦のピチカートのきれいな部分があることに、今度の旅行のあとボヘミア関係のサイトを見てはじめて気がつきました。いままで何を聞いていたのだろう。ブルタバとかいう現地名よりドイツ人のつけたモルダウのほうが音韻がうんときれい。
Привет 私がロシア語を始めたきっかけってスメタナの「わが祖国」やチェコの文化について興味を持ち、当時チェコ語を学べるところがなくスラブ語系だし、経済の関係上ロシア語でイケるだろうと考えたからでした。 コレが大間違いだったようで、ニコライで一緒に学んでいた某都立高の先生が東欧諸国でロシア語を使ったら露骨にイヤがられたとか聞きました。う〜ん... (つい最近まで「地球の歩き方 ロシア」に旅を愛する青年って書かれていましたが、私より上のオジサンです。) 医療費: モスクワで一度救急車で運ばれ、左足をギプスで固められた時は約2400円、プシキノで肩の痛みの為に往診してもらい、注射を2本打たれたた時はタダでした。 左足の怪我は帰国後の治療費のみ旅行保険を申請しました。しかしロシアの医療費ってどうなってるんだろう.... 花組: 土曜日はそんなに遠くへ行くことができなかったので文京区白山神社と王子飛鳥山公園へ紫陽花を撮りに行ってました。 雨あがりだったので割と元気よく咲いていたほうだと思います。白山神社ではあじさい祭と...そう広くない境内でテントだされると折角の紫陽花が隠れてしまうのが残念です。 飛鳥山公園は通路が狭く、沢山の見物客、地元の方々の生活用の通路なので自転車も...落ち着いて 撮れませんね。 カメラはЗенит312m+Юпитер9にЗоркий6+Юпитер12に一応Москва2でフィルムは入れっ放しのコダックUC100。 日曜は息子と一緒に自転車に乗って葛飾、水元公園、足立のしょうぶ沼公園へ菖蒲を撮りに。昨年水元公園へ菖蒲を撮りに行った時、あまりの広さにまいり移動には自転車が便利だと思ったら... こっちは菖蒲祭!テントや屋台が並び大勢の人!それに数箇所で浴衣女性の撮影会。群がるオヤジ達でゆっくり撮れやしない...としょうぶ沼公園へ。ここは環状7号線で自宅から水元公園へ行く途中になるんです。 小さくてもいろいろな品種があっていい所です。 装備は望遠をЮпитер21Mに代えました。結構近くに寄れないときも多いので200mmは便利でした。菖蒲田の中の歩道では...不便ですね。息子に初めてAgfaウルトラを使わせてみました。 しっかし、水元でレフ板持参のオヤジがいましたが、誰がレフ板持つんだろう...それと三脚族多い... 今週は天気が良いとのことですが、来週は大丈夫かなぁ...まだ小岩と堀切の菖蒲園に行ってない...佐原はどうしようかなぁ... Пока
今年はドヴォルザークの没後100年なので、『プラハの春』演奏会のクロージングは全曲ドヴォルザークで、祝典行進曲、野鳩、交響曲第9番(新世界より)というプログラムで、チェコフィルの演奏はなかなかよかったです。ツアーで取ってくれてた席もよくて、1階平土間16列中央という最高の場所で2600コルナつまり1万2千円の席でした。市民会館というアールヌーボーの建物ですがこれがまたいい。反響板を使わずにその代わりに長い旗のよう布を斜めにかけてありました。もう社会主義時代の痕跡はまったくなくて、むしろ戦前のブルジョア社会の雰囲気がそのまま復活したみたいでした。玄関のホールの横にあるレストランもフルサービスのフランス料理で、幕間はローストビーフのサンドイッチとワインという感じですね。アメリカナイズされた日本から来ると、戦前の東京や京都などのしっとりした雰囲気がプラハやウイーンやブダペストには残っていて、生活テンポが都会生活のよさがを堪能させるように設定されていると思います。たとえばコンサートは8時スタートですから、東京みたいにだだっぴろくない適正サイズの市内の各地に住んでいる人は勤めを終って帰宅してちゃんとした礼装に変えて会場に来ることができる。いまの日本でこれができるのは地方都市だけで、たとえば東京だとぼくの住んでる世田谷でも都心とは往復2時間かかりますから、ちょっと億劫になる。だから東京の場合田園調布でも世田谷でもどこでも住宅地とは名ばかりで、ヨーロッパの感覚でいうと郊外もいいとこですよね。東京の場合は旧東京市のサイズが適正だったと思います。つまり銀ブラを日課にして余裕を持って帰宅できるサイズ、端から端までいってタクシーで1円のサイズですね。資生堂のランチが1円50銭だったころの1円ですから、適正価格、というよりあれが適正サイズなんですねえ。戦後になってもタクシーもルノーの初乗り50円の頃は、神田小川町(おがわまち)から世田谷代田までいって450円でしたからよく乗りました。
以前、(株)リコーのホームページには、ロシアではリコー・オート35Vのデッドコピーが作られた、との記述が有りました。きちんと調査した上での記述なのだろうかと不思議に思い、(株)リコーに問い合わせたところ、記述は削除されました。 最近、リコー・オート35Vを入手し、分解を試みていますが、簡単に行きません。リコー・オート35VとZorki-11を比較すると、分解手順などは、それほど類似しているという事もありません。特にレンズユニットは、結構違います。 入手したリコー・オート35Vのファインダーは見づらいのに、Zorki-11のファインダーはクリアーです。たまたまかと思って、内部を見たら、原因が有りました。 リコー・オート35Vのファインダーの光学系はいたってシンプルで、ブライトフレーム表示に半透明ミラーを使っています。このミラーが腐食して見づらくなっていました。 Zorki-11のファインダーは、ミラーではなくプリズムを使っています。このため、腐食しにくい構造です。対物レンズも複数で、ファインダーの歪みも補正されていると思います。 リコー・オート35Vは機能も完全に初心者用です。Zorki-11はもう少し、上級者の使用を考えているようです。内部の塗装もZorki-11のほうがはるかに丁寧です。 リコー・オート35Vの分解は手をつけたばかりなので、まだ、詳細に両者の比較をしたわけでは有りませんが、Zorki-11をリコー・オート35Vのコピーと言ってしまうには、チョッと相違点が多いなー、と思います。 リコー・オート35Vは、コスト削減を狙ったチープカメラなのに対して、Zorki-11は、もっと、手の掛かっているカメラです。 Princelle本を見ると、"Inspired by the Japanese RICOH AUTO-35 ..."となっているし、別の本では、波多利朗氏が「単なるコピーではないゾルキー」って書いていて、「コピー」と言ってませね。 写真 上:リコー・オート35Vのファインダーユニット。ミラーを使いプリズムは使用していない。 下:Zorki-11のファインダー部。プリズムは使用している。対物レンズは2枚構成。 (レンズ繰り出しと、ファインダーの絵の表示との、連動方法も異なる。)
画 像 : img20040613111214.jpg-(67 KB)
チェコやハンガリーでは当然ながらロシヤ語が通じました。といってもヤ・ガヴァリュート・ルスキ・オーツイン・マーラですから、簡単なことしかダメですが、掃除のオバサンとかとの会話には十分です。ワルシャワ条約国時代の影響は悪い形では残っていないみたいですね。 ただウィーンなどの生粋の西側とくらべると、おなじ経営のホテルでも、タオルの厚さが違ったり、洗面所のアメニティが質素だったりという形で、社会主義時代の影響が残っていたみたいです。 ブダペストで創業百年以上の有名レストランのグンデルは、1949年に国有化されて一時閉鎖されていたようですが、1992年だかに再開されて、いまでは昔以上の贅沢さと優雅さで営業しています。中欧第一を誇るだけあって、超美味でした。アルティショのスープ、フォアグラのソテー、シャトーブリアン、パラチンタという豪華メニューで、一人一万円に届きませんから(東京なら一人二万円は軽い)こういうのは社会主義時代の影響でも大歓迎です。スタッフも洗練されていて、フランス語、ドイツ語、ロシヤ語、英語、どれでもOKみたいです。 プラハで家内が急病になって、夜中の1時頃に医者にホテルまで往診を頼んだのですが、これも結構安くて、2万7千円ぐらいでした。日本で自由診療で深夜の往診というと、これではとても済まないでしょう。ちなみに若い医者で、英語だけでドイツ語やフランス語はダメだったみたい。海外旅行保険で病気の治療費などは2千万円までカバーできるので、いくらであろうが問題ないのですが。
日露戦争の光学機器 ロシヤ側もドイツ製の光学機器を使っていましたから、やっぱり使い手の運の差でしょう。 どちらが先か というのは記事のネタとしてオイシイですから、ぼくなどチマナコで調べています。こないだ書いたことはRichard Hummelの”Kine Exakta oder Sport"という本からの抜粋(別名パクリとも)で、この本はどちらが早いかだけを論証している本です。学術上の新発見は論文の公表、特許などは出願の早さで勝負が決まりますから、どちらが早いかは非常に重要な問題です。有名なのには電話の発明で、ベルのほうが出願が数時間はやかったのでベルが発明者としての栄誉と金銭的利得を独り占めにしている。競馬などは鼻の差で大金が動き、スポーツなど も100分の1秒単位で優勝か第二位以下が分かれて、某国などでは強制労働に送られるかどうかの人生の分かれ道になりますから、たいへんですよね。 フィンランド にはカンサリス・オサケ・パンキという国立銀行があって、こっけいな響きなので知り合いのフィンランド人に話したら、銀行の人に言っておくといってました。ぼくはカレワラとかレミンカイネンとかシベリウスを思い出し増す。ハンガリーとおなじ東方系の民族ですよね。 キムビール よりも大将軍ビールでしょう。京都に大将軍という地名があって、むかし日活の撮影所がありました。そういえば昔の朝鮮を描いた絵には天下大将軍という字を書いたトーテムみたいなものがよく描いてありましたね。朝鮮人って将軍という字の響きが好きなんですね。そのころいまみたにハングル文字だけじゃなくて、漢字も使ってました。ハングル文字を作ったのは世宗(朝鮮語でチェジュ)ですが、ここまで普及するとは思っていなかったでしょう。 手を合わせる までは必要ないと思いますが、いい人ですよね。病院の勤務医を長年やって医長などを経て開業医になった人ですが、決してお金持ちじゃなくて、わりと質素なアパルトマンに住んでいます。チェコ人の父親を持つチェコ系二世でウイーン生まれですね。名前は生粋のチェコ名前です。 オスカー・フリッケ のことですか? フェリックというのは。 チェスキー・クルムロフ という世界文化遺産になっている村を観光してこの地方を1300年ごろから3百年ほど治めていたロジュムベルク(ローゼンベルクのチェコ語形)家の城を見物したのですが、帰ってからネットでみたらその城には白い服を着た女性の幽霊が出るのだそうです。なるほど、そういわれれば怪しい雰囲気の古城でした。
もう一ふんばりという所で周囲が煩くて仕事する気になれない!日本的なオフィスのレイアウトが悪いんだな。 フィンランド: 第二次大戦ではソヴィエトと戦っていたようですね。飛行機なんか捕獲したソ連製のポリカルポフも使ったようですね。(当時のフィンランド空軍ってちょっと興味があるんです。) レニングラードに滞在した時、ホテルのレストランに週末になるとフィンランド人がウォッカを飲みに来ると聞きました。 ワレリーは数年前まで年末年始をフィンランドで過ごしていました。 実は近所にフィンランド系の会社があり、フィンランド人を多く見かけます。ロシア語で話し掛けてみれば感情が分かりそうです。 東郷ってラベルだけでしたかぁ! Спорт: 従兄弟から貰った初心者用のクイズ形式のカメラ本に世界最初の一眼としてСпортとKine-EXAKTAが載っていて訳分からんコト書いていました。 っと夢中になると仕事も終わらないので、よい週末を!
東郷ビール: は無いようです。東郷のラベルを貼ったビールがあって、その俗称です。同じシリーズに、ロジェストウェンスキーのラベルを貼ったビールもあったそうです。 日本には、キムさんビールって無いのだろうか。どこかの地ビール屋さんのパロディーに有ってもよさそうですね。 以前、フィンランドのことを、ソ連の属国みたいなことを言って、謝罪していた総理大臣がいました。今頃、葬式に行ってるかなー。フィンランドにはソ連の軍事基地など無かったのに。 毎日、横を通る、米軍基地では、雑草がだいぶ伸びてきました。 フィンランド人の対ロシア感情: フィンランド人の対露感情ってどうなのでしょう。隣の大国だから、好きな人も嫌いな人もいるでしょうけど。韓国の対日感情だって、好きな人も嫌いな人もいますよね。 日本人はどうしてアメリカ大好きな人が多いのでしょう。米軍基地の鉄条網って、あんまり好きではないのだけれど。 最初の35mm一眼レフ: 博士のところには、世界最初の35mm一眼レフ製品があるのではないかって、そんな気がするのですが。 以前、軽い気持ちでお願いした写真がほとんどすべてあり、いまさらながら驚いております。 どちらが早い: telefunkenさま、さすが、完璧な解説です。 共通の物差しで計るから、比較ができるので、別々な製品をどちらが先に作ったか、など、本来、厳密な比較のしようの無いことです。hirob_pさん、ご指摘のとおりです。 ここ数ヶ月、北方領土問題って何だと思って、外務省国内広報課からパンフレット「われらの北方領土」をもらいました(無料です)。ネット上にpdfファイルもあります。下田条約までの時期の歴史解説のページ(1ページ)を、20回以上読んでしまいました。 現在、日本政府の最大の論拠は、「固有の領土」です。パンフレットには「日本が先に千島の存在を知っていた」とか、「ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことがない」などと、書かれています。存在を知るとは何か、勢力が及ぶとは何か、こういった問題を全く無視して、なんら根拠の無い(示していない)一方的な判断で、「固有の領土」を説明しています。最初の一眼レフがどちらかなどという、どうでも良い問題ならば、「世界初」論争遊びが有って、良いと思います。北方領土問題は、小学校の教科書にも政府の一方的見解を掲載することが義務付けられています。このような状況には、大いに疑問があります。
>日露戦争の光学機器 telefunkenさん有り難うございました。やはりドイツ製なのですかぁ。つまり、ツアイス又はゲルツの製品を輸入することができなければ、日露戦争に負けたかもしれない…ということかのかも。 >エクサクタ・コンパクト ドイツ内生産なのですかぁ。先日バイクカタログを見ていて、MZのバイクも超近代的になっているのでビックリしました。東ドイツにあった会社も統合後には良くも悪くも西側化しているのですね。 >製造番号2ケタ台 FEDは当初から樹脂外装だったのでしょうかね。どうして樹脂外装にしようと計画したのかがとても不思議です。 ところでオスカーフェリックのテキストをチビチビ摘み読みしているんですが、1932年11月5日付けのイズベスチャにFEDが初めて発表(? first described)されたという記載があります。日本のように簡単に新聞が見られればいいのになぁ…なんて思いましたが。「described」って表現は、日本の新車の新聞発表のように仕様だとか、写真だとかが新聞に載るイメージとは違う単語なのでしょうか?多分違うんですよね…ソ連にそんな事をするイメージはないものなぁ。 >世界最初の 金井さんは以前もこのことを気にされていましたが、どうして気にされるのですか。前の時にも少し思ったのですが、「世界最初」の判断て至極難しいと思います。 金井さんは「量産化されたものの中で」という意味で使われているとは思います。でも、telefunkenさんが仰せのように量産でなくてもOKであれば試作機等も考え合わせることになります。例えば、「試作機は先だったが、量産化は後だった」という2種のどちらが先かは、例え正確な各々の完成日が分かったとしても、判断は人によって分かれると思います。 更に「量産されたものの中で」といっても、量産の程度が問題となると思います。実質受注生産程度なのか、完全量産なのか等です。 だから、世界初の製品とおぼしき物の何処に着目するかで、世界No1は複数になってしまいます。完全世界No1、試作化No1、複数受注生産No1、量産化No1、大量安価生産No1、という感じで…。Kine-Exakta、Sport、は各々どれかのNo1なのでしょうね。 私のような仕事をしていると、元々も屁理屈っぽいのに、この誰が一番かということの証明は更に理屈っぽく難しいと仕事で実感します。結果、誰もが満足する回答は、極々限定した条件を付けて最初か否かを判断することになると思います。変な話ですみません。そんな細かい事どうでも良いよって人も多いと思いますが…。 >皆さん西に向かって手を合わせましょう! 合掌!(って違うか) >雨が降ったって行ったる! 風邪には気を付けて下さい。 明日はある人の一周忌なので今晩は夜道を北へ北へ山道を走って向かいます。雨なので億劫だなぁぁ…。では今週はこの辺で。
世界最初の35mm一眼レフ Kine-Exaktaのデビューは1936年3月3日のLeipzigの見本市で、見本品が完成したのは1935年の後半です。Sportの前身のGelvetaの見本品は1935年の1月現在で図面が完成した状態です。1936年4月には製造が始まったことを報道するソヴィエトスコエ・フォトの記事がありますが、この段階ではパノラマ画面の24x38mmサイズです。同年7月にはこの画面サイズをやめて24x36になったという報道がありますから、ExaktaとSportはほとんど同時であることは確かです。でも厳密には判りません。
Привет 思い出したらtlefunken様がエクサクタについて執筆されていたんですよねぇ...今朝の電車の中で思い出しました。 それから「プロジェクト(e)X(a)」とか言って"♪風の中のすばる〜旅はまだ終わらない〜"なんてネタ考えてました(ナ〜ニを考えているんだか...) 日露戦争の影響: フィンランドでは東郷ビールなんてあるそうですね。実物は見たことはないです。ロシアの代表的なビールはバルティカです。 水師営の歌は両親からよく聞かされました。 当時の武官: 正しい!そうでなくては!(但し自分の金でね) 先日、負ぶい紐で赤ちゃんを背負ったバーサンの肩からヴィトンのショルダーが... CD: 今日、博士からその件でメールを頂きました。ホントにいい方ですね。さぁ、皆さん西に向かって手を合わせましょう! 明日は紫陽花か?菖蒲か?っと考えています。雨が降ったって行ったる! Пока
telefunken さま。 CD受け取りました。どうも有り難うございます。恐ろしく珍しいカメラの鮮明な写真に興奮してます。 FEDの表面加工: 先日、戦後のFEDを煮たら、表面加工の合成ゴム状層が剥がれてきたと、書きました。戦前のFEDボディーは、どのような表面加工がされているのだろう、と思って、外観を見ると、表面を見た感じでは戦後タイプと戦前タイプの表面加工に違いは無いように見えます。(削ったり、煮たわけではないので、材質不明。) ところが、製造番号2ケタ台、500番代のFEDの写真では、FEDボディーの表面はシボ加工になっておらず、つるっとした感じです。Princelle本の1800番代の写真では、シボ加工のように見えます。ごく初期に、表面加工方法の変更がなされている可能性があります(ごく初期のFEDにお目にかかる機会はほとんど無いだろうけれど)。 世界最初の35mm一眼レフ: 世界最初の35mm一眼レフは何でしょう。現在の一眼レフの原型が確立されたのはContax-Sでしょう。でも、その前まで含めたら「ExaktaかSportか」って、言われることがあります。やっぱり、SPORTってしておかないといけないかなー。Exaktaが最初だなんて言ったら、「こっちのほうが古いよ」って現物が出てきそうです。telefunkenさま、どう思います? Kiev11: Kievの一眼レフカメラには、Kiev10,Kiev15といって、半円形にシャッターが動くカメラがあります。 Kiev11もあるのですね。知らなかった。
日露戦争の光学機器 はい。測距儀から双眼鏡みたいな小物にいたるまですべてドイツ製です。中身はツァイス製が主でときどきゲルツ製。日露戦争が始まったのは1904年ですから、日本光学をはじめとする日本の光学メーカーはまだ影も形もありません。第1次大戦が1918年に終わってリストラされたゲルツの技術者を雇って始めたのが日本光学です。 エクサクタ・コンパクト ほとんどの部分がドイツ製だそうです。写りはバツグン。ズームで90ミリまでいけますし、ストロボ内蔵でもちろんAF,AEですから、便利に使ってます。 二〇三高地 という女性の髪形がありました。前を高く盛り上げたスタイルです。あとラジオが発売されるとラジオ巻きというのもありました。当時の疑問符みたいな形のスピーカーの格好からのネーミングでしょう。『過ぎし旅順の戦いの、勇士の骨を埋めたる、忠魂塔を仰ぎ見よ』という歌がありましたが、いちばんポピュラーなのは、やはり陸軍関係は『水師営の会見』で、『旅順開城約なりて、敵の将軍ステッセル、乃木大将と会見の、ところはいずこ水師営』というヤツです。海軍関係の『煙も見えず雲もなく』は日清戦争ですから、日露のほうは歌がありません。でもバルチック艦隊の司令長官ラジェストヴェンスキ(ロジェストウェンスキー)中将は日本では超有名で、クロパトキンと同じくらい、いや、もっと知名度高かったですね。トルストイ並みでしょう。 ちなみに当時の陸幼(陸軍幼年学校)ではドイツ語かロシヤ語を選択させてましたから(両方とも陸軍大国)ロシヤ語のできる陸軍軍人は非常に多かったです。それはもちろん職業軍人だけの話ですから、召集される兵にはそんな素養のある人はあまりいません。海軍はもうなによりも英語ですね。ちなみに海軍では第二次大戦の中期ぐらいまでは陸軍みたいな丸刈りではなくてちゃんと髪を伸ばしてました。当時の駐在武官(各国の日本大使館に駐在して観戦などに出る武官)は非常におしゃれで、ベルリンやパリなどの駐在武官になるとエルメスで鞍をあつらえたり、一流の床屋に行ってきれいにマニキュアしている人などがいました(爪を切らせて磨かせて透明マニキュア液を塗る)。そのころのルイ・ヴィトンの衣装ケースは人間が二人ぐらいはいれる大きさで、何着も服やシャツが入れられたのです。船旅ですから一等船客は晩餐はたいてい燕尾服ですし、あとメシ食ったあと煙草すうときのスモーキング、デッキゴルフのためのゴルフウエア、停泊地で上陸するときのそれぞれの土地の気候に合わせた旅行服、もういろいろキリがないのです。
今日はフィルム屋さんに行って、フィルム巻き担当をしていたという技術者に、昔のフィルムマガジンを見せてきました。この前会った時、話には聞いたこと有るけど、見たこと無いと言っていたので。ロシア物はやめて(ロシア嫌いの人だと商談がパーになったら困るので)、キヤノンのを見せました。その場に居た樹脂成型技術者にベークライト製のケースを見せたら「ベークライトの感じだけれど、こんなものにベークライト使うわけないでしょ」。みんな若い若い。 >今日はスキップして帰れますように! はい、歌でもうたいながら帰ろうと思います。 >日露戦争・二〇三高地 この番組、後半だけ見ました。日露戦争って、中国でやったんですよね。番組の最後に、現在の203高地の姿が写っていましたが、平和な中国の土地でした。 母方の祖父は、旅順の戦いで金鵄勲章もらったのですが、私が見たときは、金がとれて銀鵄勲章になっていました。
昔のコトばかり覚えていて最近のことを忘れている... Киев: そうでした!2と2台の4に1/1250秒がありました。4A、4AM、4Mは1/1000秒でした。ホントに伝説にするところでした。 映画「二〇三高地」: 当時、結構話題になったんです。歌がさだまさし(防人の詩)で、内容も真面目、結構史実に忠実だったんじゃなかったかなぁ...最後の旅順港砲撃のシーンはモロ模型という感じだったと思いました。 測量隊のシーンは??? 陸軍だからトプコンと連想しますがまだ誕生していなかったでしょうね。 ガンダム: リバイバルではなく、進化し続けて25年!昨年のSEEDはとても面白かったです。そういえばガンダムって名古屋で誕生したんだっけ。 中には各国代表でモビルスーツでプロレスまがいのシリーズもありました。ネオロシア代表とかいって... 実は私、最新のSEED以外知らなかったんですが息子に教えられています。結構ネタに使えるセリフ多いですよ、ガンダムシリーズって。 エクサクタのコンパクト: 私もコレ好きです。私のは中古で買ったからやや古いので形がスマートではないんですが写りはいい方だと思います。レンズはEXAKTAR30mm(だったかな?)です。 台湾で新型が売られているのを見たことがあります。う〜ん、同じ頃買ったプラクチカのストロボがシンガポール製...こういった製品もそうなのかなぁ... オレグが来日直後エクサクタのズームレンズを売りに行ったのですが、韓国あたりで作られたレンズと言われたと思いました。ローライもシンガポール製からSAMSUNG傘下になったからエクサクタも? あっローライ35も全然使ってない...
>エクサクタのオートフォーカスコンパクト ってのもあるのですね。プラクチカにしても内部機構はどこが作っているでしょう?自社製なのかなぁ? >この歌が主題歌 ホントなんでもご存じ…私は見た事も聞いた事も無い映像だったです。よくこんな映画があったなぁという感想を持ったくらいです。今だと観客動員が難しいのかもしれませんが、昔はこんな真面目(?)な映画もあったのですね。 >明治の写真とは 写真展とは異なりますが、昨晩のTVにも登場しましたが明治天皇の写真っていつも見る1枚だけなのですが、あの写真はあまり写りが良くないですね。徳川慶喜の肖像の方がずっと鮮明で綺麗です。当時天皇は神様だったから写真を撮れないというルールがあったのでしょうか?天皇の肖像としては、なんか貧相な写真に思えます。 >ガンダムのことを私に話す 私もそういうオヤヂをめざします。それにしても最近リバイバルが多いですよね。歌謡曲(このいい方は古いか?)にしても、映画なんかにしても。 >最速...1/1000秒... 厳密には1/1250でしょうか?KIEVは1/1000のものですか?? 意味があるか・正確か・なんてのは別にして…。 ところで、昨晩のNHKの番組ですが、「二〇三高地を占領し、その丘上から旅順湾内に停泊している艦船の位置を測量し、その位置情報を旅順市外の別の地点へ伝え、その別の地点から旅順市の上空を飛び越して砲撃を行って湾内の艦船を撃破した」と説明していました。明治期にこんな高度な事をしていたことにとても驚いたのですが、これだけのことをする為の測量機器・光学機器は、国内製品でまかなっていたのでしょうか?それともドイツ製だったのでしょうか…?何方かご存じでしたら教えて下さい。
二〇三高地: 何か演歌っぽくなっちゃったなぁ。 この歌が主題歌になった映画が番組に使われていましたね。私この映画、市内の東映直営館(あったんですよ、西口に)で見ました。主人公はニコライ堂でロシア語を学んでいた...おおっ私の先輩か!? あっやっぱりスクエアのフォーマットでしたよね。すごい鮮明で驚きました。 昭和館で明治の写真とはこれ如何に?ここへ先日写真展を見に行きました。皇居の外れ、軍人会館の隣にあります。日本武道館がよく見えます。靖国神社と千鳥が淵はちょっと先。 オヤジ: 先々週くらいに白髪が目立ってきたので染め直して来ました。 いつも母親が息子の為にまともな格好しろと言いますが、こういう風体で学校に出かけるせいか、息子は先生や友達から「お父さん、カッコイイね」と言われるそうです。 先日、息子達と写真を撮りに行った時のことですが、息子がガンダムのことを私に話すのを見て友達が、「よくそういうことをお父さんに話せるなぁ」って...ガンダムって私が高校生の時に始まったので多少は知ってるんです(ヤマトとかだったら完璧!)。 聞くとその友達のお父さんって私より10歳くらい上なようです。話が合わないのか家ではあまり喋らないそうです。 やっぱりオヤジっぽくならないようにしなくては...その割には電車で空いている席には目ざとい... 最速伝説って走り屋か!?: 私の最速...1/1000秒...1/2000は二台とも息子のペンタ...でも意図的に1/1000で撮ったことがないです。絞りを開いているうちに1/1000になるとか、ですね。
金井さま カメラはエクサクタのオートフォーカスコンパクトを持って行きました。風景でも何でも整理されすぎてると絵にならない、というのはなんとなくわかりますが、ぼくの撮る写真は構図とかおかまいなしで、タダぱちぱちやってるだけですから、雑然でも整然でもあんまり変わりないんです。つまりカメラのことはいろいろ能書き言うけど、写真はカラキシだめというぼくなのです。
>インターネットの回線が遅すぎ 出勤時にバカデッカイ市営のマンション群が見えるのですが、今朝はオレンジ色の幟が一杯立っていて「光ファイバー開通」と誇らしげに書かれていました…いいなぁ。 >1/8000 手持ちの最高速は1/2000なので想像を絶するスピードです…。それにしてもこんな高速で機械駆動できるって凄い技術ですね。 >弾塑性体 塑性変形するにしても、弾性が残っているのであればやっぱりゴムでしょうかね? >とぼとぼ歩いて 今日はスキップして帰れますように! >そんなに飲めないけれど、エベっさんが好きです 全然飲めないけど、エベっさんのラベルが良いと思います。 >旅行社の職員としてのガイド そういうことですか。大学で専攻したにしても使えるって凄いですね。言葉って凄い仕事になるんですねぇ…って今更実感。言葉に無関心だったので最近とても色々羨ましく思うようになりました。 >でも、hirob_pさんも最近... はぁ…そう言えば確かに。自分の事は棚に上げてました…。 >東京は自動車的に小さくなる …う〜ん。これ凄く便利で面白い表現でちょっと気になりました。 >そこへお移しして ここはちゃんと敬語を使って居られる事に笑ってしまいました。 >煮干と演歌とオヤジ 平松絵理に作曲をお願いしたいな組合せです。「煮干と、演歌と、オヤジ〜♪」おっいいジャン!? >NHK 私もあれ録画してもらい見ました。2週連続だそうですね。本当に鮮明な写真で驚きました。チラッとでもカメラが写らないものかと目を皿にしていましたがダメでした。写真は見る限り全部スクエアに見えましたね。関係無いですが私が今キーボードを叩いてるのは二〇三高地からひい爺ちゃんが生還したからです。 最後に、御方々心よりお礼申し上げます。粛々拝。
Привет アクセス: 昨夜、NHKの「その時歴史が動いた」で日露戦争・二〇三高地について取り上げられたからではないでしょうか? 今回、ロシア側で撮影された写真が初めて公開されました。 う〜ん、どんなカメラで撮影されたんだろう...既にサンクト・ペテルブルクにはЛОМОの(遥か)前身は誕生していたし、КМЗの博物館でも「Мастер Оптики」にも日露戦争にも触れられている... 取り急ぎ、Пока !
ホームページに、「ソビエト連邦ミニ知識」というコーナーを作っています。最近、全然更新していないし、たいした内容もないのですが、昨夜から、このコーナーのアクセスが、いつもの数倍あります。どうしてなのか不思議です。どなた様かご存知ですか。
まず金井さま。さすがです。大賛成です。天皇は機関というか、ただの無色透明なデクノボーでなくちゃいけないので、国家が后を養成して送り込まないと天皇制は維持できない。別に維持する必要はないけど、ドイツ語だとカイザーなので、なんだかカッコイイから続けてもいいか、という感じです。でも皇居は交通を妨害してるので撤去して公園にして、地下を自動車道路を通すと東京は自動車的に小さくなる。天皇は京都御所を近代化して住めるようにして、そこへお移しして、外国からの訪問客は東京で用事を済ませたあと京都へいって天皇にあってついでに見物して関西空港から帰ってもらう。東京と電子的に連絡していれば、彼が東京にいる必要はない。議会の開会のときでも、三次元ホログラムで投影すればよい。皇太子はカワイソーっちゃかわいそうだが、天皇になるまえに減量してああいう小デブ体型を直して、顔も君主らしい威厳をつけなくちゃいかん。それは本人の責任です。 ガイドは重要で、旅行の面白さの半分ぐらいはガイドが作りますね。プラハは日本に留学していたチェコ人,ウイーンが子豚系ばあさん、この日本人のばばあは自分の次の仕事が気になるらしくて超早口でまくしたてるから何言ってるのかよくわからない。ブダペストがこないだ言った学者ふうでしたがこれがいちばんでした。 学習院 むかしの部下に学習院大学卒がいまして、真っ黒なタヌキみたいな、風采のあがらない男でしたが、愛嬌のあるやつでした。田舎の資産家の娘を見合いでもらいましたが、田舎にゆくと学習院がまだ通用するんですよ、と言って、同僚の東大法学部をくやしがらせていました。 オヤジ ぼくは煮干と演歌とオヤジが嫌いで、子供がいないからオヤジになったことがないと自負しています。でもオヤジを飛び越してジジイになっちゃった。
オリオンにドライ系がないか捜したらアサヒ系でスーパードライだった... そんなに飲めないけれど、エベっさんが好きです。 ガイド: 旅行社の職員としてのガイドであり、大学で日本語を専攻していたようです。キエフ、モスクワでのガイドさんは英語でした。 ハバロフスクでのガイドさんはソ連に帰化した日本人でしたので当然日本語は話せます。娘さんがレニングラードにいたのですが全く日本語が話せないようでした。 外国人に対してああいう決まりの時代だったから見張られていたのかもしれませんね。近年インツーリストのHPを見たらロシアのスタッフとして彼女(だと思う)写真が掲載されていました。20年も経つとねぇ... あと日本語ができるということで日本観光のロシア人を案内するという仕事もあったそうです。当時は船で来日し、東京晴海埠頭に接岸して船をホテル代わりにしていたそうです。 OYAJI: いやぁ...点数といえば...発想がもうオヤジです。でももう15年以上麻雀ってやってないんです。 でも、hirob_pさんも最近...なられましたよねぇ... 学習院: 毎日、朝晩通り過ぎています。JR山手線、目白駅前にあるんです。学習院出身者よりも学短(学習院短大)出の方を知っていたりして! あっ先ほどメール受け取りました。有難うございました。
10M: hirob_pさま、今時、何をおっしゃる。10Mぐらい、なんでもないですよ。インターネットの回線が遅すぎです。 無線LAN犯罪に対策急務 : asahi.comを見たら、こういうタイトルの記事があります。無線LANを使って、外部から侵入し、そこを足場に、不正アクセスをしたら、犯人の痕跡が全く残らないことになります。究極の犯罪?。無防備に無線LANを使っている人は対策が必要です。 感度: ISO25で1/500で撮るなら、ISO400で1/8000で良いのだから、高速シャッターがあれば問題ないわけです。ロシアカメラは最高1/500が多いので、この点、使い難いですね。明るいところで撮るときは、どうしても絞ってしまい、レンズの持ち味が損なわれがちです。 >弾力のある黒いゴムのようなもの ちょっと言葉が足りませんでした。弾力はありません。弱い引っ張り力に対して、弾性が残っているという意味です。弾塑性体。 >>男子を出産できないなら >とは言っても…そもそもXY染色体を選択 女子を出産しても何の問題もないです。たくさん出産すれば男子も出来るだろうに。。。万世一系・直系男子ってなっているのに、側室を持たないという所に、制度上の矛盾があるのです。 天皇制を自分達の利益のために利用してきた人たちの建前が、現実と矛盾したとき、その責任を、日本中がよってたかって、お二人にかぶせようとしている。 今日は仕事がうまくいかないので、米軍基地フェンスの横を、とぼとぼ歩いて帰ります。
>スーパードライの上 これからは「マグナムドライなコメント」にします。 >日本語ペラペラの女性 当時ソ連では日本人ガイドという職業があったのでしょうか? >私は低感度の方が好き 私もです。でも100と400とでは感度が違うというだけで出来上がったプリントに善し悪しを感じたことはありません。ただFED2なんかを使っていると晴れた戸外ではNDフィルターが要る…。一眼ではND持っていないので晴天戸外で400は使いません。 >USO800 満点ですかぁ!でも、ちょっと香りませんか?くんくん。あっちょっとOYADIの臭いがするぞ!?…なんて。失礼しました。 >ご学友ということで うわぁ凄いですね。私は学習院の知り合いなんておりません…。学習院の友人の友人がいる知り合い位だったら探せば居るかもしれませんが。
スーパードライの上なら...松井の?(って味はわからないけど) ガイド: 前にも書いたと思いましたけど、旧ソヴィエトを観光する場合は運転手とガイドをつけなければなりませんでした。インツーリストという国営の旅行社から派遣されるのですが。 初めての訪ソ、レニングラードでのガイドさんが日本語ペラペラの女性でした。数年後レニングラードを訪れた時のガイドさんが偶然彼女でした。 感度: 私は低感度の方が好きです。以前コダックから感度25のネガカラーが出ていましたがなくなったのが残念でした。 まぁ100で結構イケるのでいいですが。モスクワのワレリーは200を常用としていました。オレグは100のリバーサルです。しかもフジのみ。 晴天下の400は私にとって使い難いです。400は屋内のストロボ使用(フィルムは何でも可)、ストロボなしでいくならばコダック400MAXBeutyと決まりつつあります。 USO800: やられたー!っという感想で点数は...各自800点?親(管理者)でツモ、4本場(?)...というように風邪の影響か頭がまわりません...(風邪のせいにするなって?) 皇太子の教育: う〜ん、従兄弟は学習院でのご学友ということでテレビのインタビューに答えてたことがあったけど...一緒に帝王学を学んだ...んなワケない!
こんにちは。こっちは準快晴です。昨晩は帰り星が綺麗でしたからそちらも晴れ始めるかも。今朝は掲示板を開いてみると久々のウルトラスーパードライなコメントがずら〜っと! >ガイド(博識の学者ふう。40代) というのを読んで、なるほど旅行会社も値段と年齢層に合わせてガイドを使っているのだなぁと思いました。私はこんな立派なガイドさんにはお目にかかったことが無いのですが、中国では国家一級のガイドさんが妻と私の2人に1人付いてくれたことがあります。その時のガイドはもの凄く面白く、忘れられません。ガイドさんの知識1つで旅行の味は随分と変わるものですね。ガイドって面白い仕事かも。 >ブダペストはご承知のように ご存じで無かったのですが…面白い語源ですね。でもアッチラペストって街は聞いた事がありませんが、あるのかなぁ? ハンガリーで知っていることって何も無いです。毎日息子のおむつ替えをしながら見てる蒙古斑を彼らも持っているらしいこと…後は、先日のドイツA代表の敗戦くらいか…これもトホホ。 >男子を出産できないなら とは言っても…そもそもXY染色体を選択することは皇太子妃にはできないと思うのですが…。しかし、こう思ってしまうのは鬼畜教育政策に洗脳されてしまっているのかも。 >皇后・皇太子妃たるもの、生まれたときから 先日、TVで言ってましたが天皇になる為の教育(洗脳?)は3才からするんだそうですね。女王(っていうのか?天皇は男性を意味しているのですよね?女性の場合はなんて言うの?そんな単語無いのか?)OKとなるにしても、現在既に2才でしたっけか?で間に合うのか?とか誰かがコメントしていまいた。 >マウント下の部分 …なるほど、マウント部分て外装部分表面より凹んでいましたっけか?そう言えば、あの部分はどうやって成型しているのだろう? >弾力のある黒いゴムのようなもの …それは今持って弾力があるんでしょうか!? 弾力があるのであればゴムのような気がしますが、ゴムってそんなに丈夫なものなのでしょうか?成型当時になんらかの理由で巧く加硫されなかった未加硫部分なのでしょうかね?マウント金属下で空気から割合隔離されていれば酸化劣化が進まず弾力性が残っているのかなぁ?ゴムだとすれば外装は加硫ゴムである可能性が高まりませんか? 等々…頭がゴチャゴチャ。 先日来、ちょっと興味が湧いてよく見るオスカーフェリック(って読むの?)の文章を読もうとダウンロードするのですが巧くできません…10Mってでか過ぎですね。 >みんな、800なの? 最近、フィルム付きカメラは800ばかり見る気がします。1600のも普通にコンビニでうってます。 >USO800?? ・・・Масさまこれ何点ですか?
telefunkenさま、お帰りなさい。 Масяさま、風邪は良くなりましたか。 ブダペスト: カメラは何をお持ちでしたか。ブダペストでは、写真撮りました? 整然とした所って、案外、写真が撮りにくいって感じしませんか。 FED-1の表面について: >枠外に少しははみ出て硬化しそう この前、煮たボディーケースは、マウントをはずすと、マウント下の部分に、なにやら黒いものが付着していました。初めは、さびか何かだろうと思ったのですが、良く見ると、弾力のある黒いゴムのようなものです(アセトンに溶けません)。一体、これは何時付いたのだろう。 ISO800: 少年の頃、フィルムの感度は100で、400のフィルムは粒子が粗いから、夜間等の特殊用だと思っていました。今は、400は十分に微粒子で、100よりむしろ400を常用する場合が多いのでは。800も常用して特に問題ないくらい粒状性はよくなっていのでは、と思います。この前、分解した「写るんです」に入っていたフィルムは、800でした。みんな、800なの? もはや、800が標準フィルムで、400や100は時代遅れ。USO800?? 天皇制: >いまの皇太子は教育がダメで と言ってしまっては、皇太子が気の毒です。民主的な皇室を目指さないといけないのだから。天皇は主権者たる国民の象徴である、これを理解して実現しなさいと言われたら、そりゃ無理というものです。建前にとらわれず、現在の天皇制に内在する問題点を、記者会見で率直に語った点を、私は評価します。本当は、公務・私事に煩わされること無く、日本史の研究をして、成果をあげて欲しいのだけれど。 皇后・皇太子妃が民間人出身というのも変な話で、公家の伝統はどうしたのだろう。皇太子妃は皇太子が自分で見つけなさい、というところからして、無理があります。皇后・皇太子妃たるもの、生まれたときから、そのつもりで教育を施さなくてはならない。国家制度として王制を維持するなら、国家として責任を持って、皇太子妃を育成する義務があるのに、それを放置していた国の責任です。 今の天皇制はアメリカが日本を占領するためと、天皇制を維持しようとした役人の打算で、作ったものだから、問題があって当たり前です。 毎日のように、何度も米軍基地のネットの横を通ります。米軍占領下にあるなーって、実感します。 以上、全然関係ない話でした。
リスト、バルトーク、ドナウ河のさざなみ、ハンガリア狂詩曲... タイトルがヒネれましぇ〜んぶるん宮殿はウィーン。 Привет 数年前、両親が東欧を旅行した際にブダペストに行ったと思いました。あと行った場所は聖地(カメラの?レンズの?)ドレスデンを覚えています(何かしらカメラに関するものを買って来てと頼んでも何もなかったので覚えているんです。まぁなければ仕方がない)。 居間にレストランで撮られた飾り皿があります。ブダペストでのガイドさんは日本に留学経験のある女性だったとか。 ハンガリー人の名前って、日本と同じように姓名となっていると聞いたことがあります。昔、地図帳に"ドナウ河(ダニューヴ河)"と記されていたことを思いだしました。 それほどまでに綺麗な街なら行ってみたいです。でもモスクワは素通りできないからなぁ...な〜んか昨日映画公開に合わせたハリポタグッズを頼まれたような気がして... 途中まで書いて仕事していました。雨を降らせるといけないので戻ります。 え〜っと、突然ですが、hirob_pさま、ご連絡したき儀があり、お手数ですが私のトコロにご住所と電話番号をメールにて頂けますでしょうか? Пока
東京 『吾人は努力して世界的の大都府を建設せざるべからざる也。(中略)羅馬は半島国の羅馬(ローマ)ならざりし也。世界の羅馬なりし也』幸田露伴の『一国の首都』の一節ですが、明治の文学者でこういう視点をもっていたのは彼一人だと思います。帝都物語で幸田露伴を主役に設定した荒俣さんは目が高いですね。 震災後に後藤新平のプランどおりに東京を作っていたら、もっと美しい東京が実現していたのに、と思うと悔しい気がする。 天皇 いまの皇太子は教育がダメで、将来の天皇つまり元首たるものが何なのかぜんぜんわかっていない。元首や元首の妻に『自己実現』などは存在しない。国家の代表として自分を殺すことが元首の最大の責務なのだから、そういう立場になることを納得させて結婚するべきだし、それができない女とは結婚するべきじゃないんです。外国に行けないからストレスがたまるなどとんでもない話で、皇帝というものは自分の場所からみだりに動いちゃいけないんです。用事のあるものは呼び寄せるのが皇帝なんです。外国との付き合なんかは臣下を遣わして置けばよいのです。だから女房の不満をたしなめて皇室の鋳型にはめるのが筋で、将来の天皇としての自覚があるならそうするべきなのです。鋳型にはいれない女なら離婚するべきだ。それに男子を出産できないなら皇太子妃として意味がない。皇祖皇宗皇考にたいして申し訳ない。天皇制というものが意味があるのは、万世一系の男系の帝王が世襲する制度であるという一点にかかっているので、それが崩れては、なんの意味も無い。民営にでもすればよいのです。皇太子をああいうふうに育てたのはいまの天皇の責任が大きい。自分で民間から后を選んだという一点で彼はダメ天皇で、アメリカの田舎女の家庭教師に洗脳されてああなったんでしょうが、それはながいあいだに日本の天皇制を破壊して日本民族のアイデンティティを喪失させ、自分の属国にしようというアメリカの陰謀の成果でしょう。『皇室の民主化』というオキシモロン(形容矛盾)を不思議がる人が少なくなったことがそれを証明しています。帝王と民衆は対立概念で、民主的な帝王などありはしないのです。
ハンガリー語が前置詞も冠詞もない膠着語だということをこんどの旅行ではじめて知りました。考えてみればマジャール語は東方系の言葉だから当然かも知れません。ガイド(博識の学者ふう。40代)の日本人のかたのお話ですとトルコ語の影響を受けているそうです。ブダペストは温泉の街で、特にGellertという温泉宿の建物が、ドナウ河の船から夜にライトアップされているのを見ると、壮麗の限りで、この世のものではありません。そこで翌日さっそくタクシーで見に行ったら、夜ほどきれいではなくて、ちょっとがっかりしました。アールヌーボーの建物ですが、意図的にロマネスクふうの丸屋根をいくつも作って、ほんとに異国風です。このGellert(ゲレールトまたはスラブ的にゲリエールトと発音してます)にはどういうわけか、フランス人の客が多かったです。フランス人は温泉好きなのかな。このホテルは観光資本のDanubius(ダヌービウス)グループの傘下で、このグループは東欧のなだたる保養地にいくつもの観光施設を持っているグループです。名前から言ってダニューブつまりドナウ河沿岸の開発をメインにしているのでしょうね。ちなみにドナウはドイツ語形で、ダヌービウスは後期ラテン語形です。ラテン語形はDanuviusで、河という意味ですね。 ブダペストはご承知のようにブダとペストの二つの街を合体させて成立したものですが、1896年の建国1000年のときに街並みを完璧に整理したので、プラハのようなロマネスクあり、前期ゴシックあり、後期ゴシックありのごちゃ混ぜと違って、整然たる様式の統一が壮麗な都会美を生み出している。またちまちまとしたウイーンみたいに狭くるしくない。ここにくらべるとウイーンもプラハも見劣りがする、というよりハッキリ言って醜い。まあこういう点でもっとも醜いのは中世から近代にかけて都市の景観に無頓着だった東京や京都ですから、日本人としてはエラソウなことはいえません。ちなみにブダというのはアッチラの弟の名前で、ペストというのは古代スラブ語でかまどの意味だそうです。幸田露伴に『一国の首都』という名著がありますが、こういう意見を無視してできてきたのがいまの東京で、無視せざるを得なかったのは日本の国力の不足でしょう。明治にはもちろん都市の景観にも留意して、脱亜入欧、つまりアジアを捨ててヨーロッパの仲間入りをするという国是の下に、大いに東京の景観を整えたはずですが、国力がないので表通りの高層建築も一キロで息切れし、一歩裏にはいると貧弱な家屋が立ち並ぶありさまだった。日清戦争・日露戦争・満州事変・支那事変・大東亜戦争と続いてきた戦争の目的は、帝国主義的拡張競争に一歩おくれてきた日本が、欧米なみの国力をつけるという一点にしぼられると思いますが、大東亜戦争でコケて,振り出しにもどりましたね。もしシンガポールを占領した時点で敵から提案のあった講和条約を受け入れていたら、満州朝鮮台湾を支配下におきながら、プラスあのへんまでの資源を全部手に入れて、いまごろは左ウチワだったでしょう。もういっぺん世界制覇するぐらいの力をつけるためには教育 改革からはじめて50年はかかるでしょうから、かれこれ第2次大戦のおかげで100年は損したでしょう。さすがのぼくもそこまでは生きられないから、ブダペストなみの東京を作るのは次の次の次ぐらいの世代に託するより仕方が無い。いまの現役世代はアメリカなどの教育政策がうまくいったおかげで気持ちが萎縮してますから、世界を舞台に覇を唱えるという気がありませんね。
>Любитель: リュビチェリってなんか本物のロシア語っぽいですね!当たり前ですが…。格好いいからこう言ぉ! >あっ晴天下で花とかということで... これはすみません。それは確かに…変ですね?? >もっともDX接点以外感度を設定(?)するところがない... 最後はDXバーコードを騙す。でしょうか? >インプレッサ50 気付きませんでした。新パッケージで出してくれないかなぁ。 >イクラ EE3を知らずEEを想像していました。Zorki-10みたいなんですね!(イクラは今だとイラクに見えますね)。 >ボケ ボケはボケでも、写真のボケと、お笑いのボケと、天然のボケと、更に真性のボケがありますね…真性は出来れば避けたいなぁ。
Любитель: リュビチェリ。リュビテルともいわれますがLOMO製の二眼です。 ん?自分で買った二眼ってこれだけだぁ!(壊したのもコレだけ) コンパクトズーム: そんなにも暗いんですかぁ!そういえばレンズ径小さいですよねぇ。 感度: あっ晴天下で花とかということで... 400までしかないカメラで高感度フィルムを使う時は400に設定するように言われますね。コイツら書いてなかったような...もっともDX接点以外感度を設定(?)するところがない... 最近コニカ・インプレッサ50を見かけなくなったのですが生産中止なのかなぁ... ペン用フィルター: いえいえ、あのイクラのような受光窓(?)も一緒に覆ってしまうんです。35DCに49mmを付けていますがこれも受光窓を含めた全体を覆います。 ボケ: 写真拝見しました。綺麗なボケですね。最近周囲をボカした撮り方をしていない...お坊ちゃま達を撮影に連れて行くとボケ合戦をかまします。漫才やっとらんで写真撮れよぉ...
telefunkenさん。長旅お疲れ様でしたぁ。さぞかし綺麗だったのでしょうねぇ。今日からは日本の梅雨の日々ですね…マンゴパフェ(これはぁ美味しかったです!)食ったりしながら涼むことになりましょうか…。それにしてもな〜んか緊張するなぁ?? >二眼 ヤシカなんですかぁ。すみません、それ存じません。それにしても二眼を一杯お持ちなんですねぇ。 >Любитель …なんて読むの?すみません。 >私、ミノルタって好きじゃなくて... 私はミノルタってちょっとツアイスみたいで面白いメーカーなのかなぁ?と思います。日本のカメラメーカーで最後まで自社でレンズ材料まで一環して生産していた会社なんじゃないでしょうか?個人的にはとても技術力が高いメーカーだったというイメージがあります。でも、それはイメージだけ…自分では1つもミノルタ製品を持ってません。 感度800: >望遠域で5.6くらいでしょうか 今時(もうデジカメに席巻されてしまいましたが…)のコンパクトカメラの望遠側のF値って驚く程でかくて、F11、F12とかありますよ。一眼ではそんなの無いと思いますけど。 >卒業式の時だけです あぁ〜同じです。私は妻の表彰式の時が最後です。ああいう時って、フラッシュが届かないし、かといって人物は動くしで、800しか選択肢が無いですよね?他に方法あるのかなぁ? >静物ばかり撮っているなら100で十分... …私は無理ですけど。。。 >バックをボカして 二眼だとローライナーのようなものを付けて至近距離で開放撮影すると前も後ろも激ボケしますよね。下記URLはプリモJrで取った写真なのですが、ローライナー2を付けて最短で撮影しています。44フィルム上での合焦範囲は3〜5mm程?だと思います。66だともっと凄いことになると思います。花なんかを撮影すると面白いでしょうかね? 写真の植物が植わっている鉢は直径が3cmに満たない位の極小さいものなんです。 http://www1.vecceed.ne.jp/~kuro2/PrimoJr/img03.jpg >DX対応のコンパクトカメラって100/400にしか 露出補正のあるコンパクトってあるのか知りませんけど…説明書に「800を使う場合は露出をアンダーに補正して使って下さい」って書いてあったりして。そんな訳ないですね…。 >ハーフのEEシリーズ用でしょうか? そういう意味なのかなぁ? でも、よく考えるとペンEEって銀色の必要が有るんでしょうかね?間違いかなぁ? >ウチのEE3には43.5mmを ペンシリーズでも色々なんですね。そんなにデッカイレンズのもあるのですね。ん?Jp-3とかの40.5mmよりデカイ?ペンEE?
何とも畏れ多いことをしてしまいましたが、誠にありがとうございました。 帰宅後、自宅からご連絡さしあげます。 お疲れさまでした! 大変申し訳ありませんでした! ありがとうございました!
を最後に、8日間の旅行から帰ってきました。ブダペストがいちばんきれいでした。 Masyaさま。メール拝見して、いちおう買ってきました。ぼくのメールアドレスにご連絡ください。 金井さま。言っておられたカメラ、いちおうCDで持って帰りました。数日中にお送りします。済みませんがぼくのメールアドレスにもういちど住所をご連絡ください。
いぇっそんな、子連れ狼だなんて...誰も言ってないって! 二眼: ヤシカなんです。ヤシカマット124Gの前身みたいんじゃないかなぁ...露出計はありません。 他にもリコーフレックスZとワルツフレックスがあります。ヤシカが一番使い易そうです。従兄弟から貰ったものなんですが何かしらトラブルがあるそうです。一度賞味期限切れのモノクロフィルムで試してみよう。 Любительは...壊しました! 本土寺で息子の友達は私が単体露出計で光を計るのと中判カメラを初めて見たようで驚いていました。一応部でブロニカ持ってるんだけどなぁ... 私、ミノルタって好きじゃなくて...ミノルタ35モデルUもあるんですがシャッター幕を交換した後全く撮ってないんですぅ... 感度800: ズームレンズ用とか謳ってますよね。標準で付けられるレンズの明るさって広角域で3.5、望遠域で5.6くらいでしょうか。それでも400あれば十分でしょう。 私が使ったのは3月の卒業式の時だけです。夜桜だって400でイケます(但し低速シャッターになります)。 静物ばかり撮っているなら100で十分...というか絞りとシャッタースピードの関係、絞りによる効果など分かってないでしょう。プログラミングでも撮影モードを選べるということも知らないんじゃないかなぁ... 息子はバックをボカして撮りたいというので撮り方を教えましたが。SFXでの使い方を教えていなかったぁ! ちなみに私のDX対応のコンパクトカメラって100/400にしか対応していないんです(プラクチカは200も対応)。 フィルター: ペン用ですか!これはハーフのEEシリーズ用でしょうか?ウチのEE3には43.5mmを着けています。これ前面にキャップを付けられないんです。 でもИндустар用として欲しいです。 大分良くなりましたが、まだちょっとボーっとしています。
…シトシトピッチャン・シトピッチャンです。 >本人は先にヤシカオートコード 二眼だとミノルタのオートコードでしょうか?これ写りが良いと評判で人気があります。特にIIIは人気商品で結構高価ですよぉ。 >感度800 最近フィルム付きカメラでは800は当たり前で、箱入りのフィルムも以前の400フィルムのような感じで店頭にズラッと売られていますね。常用フィルム化しようとしているのかな? 800って光量が足りないところで使うより、明るいところでシャッタースピードを稼ぎたい時(望遠とか動体とか…私はあまりやらないけど)の方が威力が発揮されるように感じます。明るいところでは400も800もどっちも綺麗なのですが、暗いところだと800は粒状になって400との差が歴然として来るように思います。 暗いところでシャッタースピードを稼ぎたい時の選択肢にもなりまけど、静物を写すんであれば400で手振れと戦うと思います。暗くて粒状覚悟で動体を写す時などはしょうがなく800を選択すると思います。違うかなぁ? 皆さんどういう時に800を使われるんですか? いっつも一応何かの時の選択肢にと思って800をカバンに入れて行くのですが結局使わず、期限切れの800が貯まって行きます…期限内に使えば全然綺麗に写ったりして。 >19mmや22.5mm 店では確かオリンパスペン用と書かれていました。ホントは黒が欲しかったのですが私が買う時は銀色しかありませんでした。他にJp-12もフードかフィルターを付けた方が絞りが使い易くなりますね。 昨日No.1836で「対外的な誇示」と書きましたが、どこかでFEDは国内向け(逆?)Zorki海外向け(逆?)、として生産されたというような記載を本かネットかどこかで見た気がするのですが、もしFEDが国内向けを目的としているのならば、先の書き込みは変ですね…。 風邪お大事に。
Привет 土曜日に松戸市の本土寺へ紫陽花と菖蒲を撮りに行ったら風邪ひいてしまいました。風邪さえひいていなければ日曜も雨天であろうとも紫陽花あるいは菖蒲を撮りに行きたかったです。 そんな調子で昨日は1日中ダウンしていました。 早速コダックの100UCをЗенти312m、Москва2で試してみました...まだ撮りきれていません。ブローニーでは最初の一枚の表示が分かり難く1枚無駄にしてしまいました。 学校帰りの息子達(写真部の友達も)と待ち合わせたのですが自分のカメラ(ペンタSFX、エクサクタminiAF)を持っていかなかったので私が持って行く事に。お陰でМосква5デビューはお預けです。 尤も本人は先にヤシカオートコード(だったかな?6×6判の)を先に使ってみたいようです。 紫陽花はちょっと早かったかな?という感じで、菖蒲は好天の午後ということでちょっと元気が無かったかな?という感じでした。 ここには仏舎利があって、この仏舎利をバックに紫陽花を撮ろうとすると...夕方近くになると逆光になってしまうのが残念です。 ちょっと気づいたのが、息子の友達は感度800のフィルムを使っていました。そういえば林間学校へ行く前に顧問から渡されたフィルムも800。箱のメッセージからするとカメラセットに付属していたフィルムのよう... そんなものが余っていて渡されるのか?すりこみ現象なのか?彼は800を使っています。一度部会などで講師に行かにゃぁならんかな?取り敢えずは量販店が出しているフィルムの解説書を渡さなければ。只今改訂中でないようです。 まぁ、紅葉時期にライットアップされた境内の写真を見て撮りたがっていましたが、そういう時は800でもいい...のかなぁ... フィルター: 19mmや22.5mmというのが使えそうだと思っていましたが、これそうですか?かぶせ式は使い難そうと思います。オリオン28mmもフィルター装着したら絞りの調節が面倒そうですよね。 Пока
東京は雨ですか。こっちは昼から雨が上がって今は晴れ間が見えています。ちょっとムシムシして流石に梅雨っぽいですが。 >下地処理と樹脂の合性 これ気になりますね。下地処理と接着剤とは別物と思いますが、当時下地処理なんてものがあったのかが分かりません。金属などに相性が良い基と樹脂などに相性の良い基との両方を持つ化合物を金属表面に塗布したりします。でも、そんな化合物を当時、製造できなかったのか?と思います。下地処理したとすれば何でしょうね。 そして考えていると、下地処理無し、接着剤無しで、くっつけるにはテンションを使えると思いました。製造時に樹脂が収縮する応力が自然と残存されるからです。結果的に使っていることになります。FED-1はラウンドなのでFED-2に比べてやり易いと思います。似るとボロボロ取れる理由なのかもしれません。 でも、ボディ上で直接、加硫するなり硬化するなりすると、枠外に少しははみ出て硬化しそうに思えます。でも、探す限り、バリ様のものを取った後も、はみ出した後も見つけられませんでした。本当にどうやって何で作ってあるのか、とても私は知りたいです。(→知ってどうするって言われると困りますけど…) >合成ゴム 先日、金井さんが燃やすと古タイヤの臭いがすると仰せでしたのでゴムかもしれませんね。でも、ゴムだとするとこれはこれでまた面白いですね。合成ゴムなのか、天然ゴムなのか? 戦後直ぐに合成ゴム(ソ連は天然ゴムを安価に輸入できたのでしょうか?)をカメラに大量に使っていたとすると、対外的な誇示の要素もあったのかなぁ?等と考えます。製造年代によって違いますが、熱硬化性樹脂のベークライトやユリアは既に戦前からコダックなどによりカメラ部品として実用化されていたと思います(ユリアは戦後かもしれません。ちょっと調べないと分かりません。でも、ユリアは通常薄い色で使われていますのでこの場合違うと思います)。ですので、ゴム、しかも合成ゴムをカメラボディの外装に使用したのがソ連が初めてであれば面白いなぁと思います。 >そのうち、探そうと思います。 楽しみにしていますね! >マニュキア除光液って 最近、化粧品は全成分を開示させられているので後ろの標記を見えれば事細かに書いてあります。書いてなければ多分違法です。そして、溶剤の主成分は、アセトンかリモネンが多いと思います。トルエンは無いと思います。エタノールも主溶剤目的では入っていないと思います。私が妻のものを使った時は何となく皮膚を保護する目的なのか油分(アセトンの飛んだあとに残存するのかなぁ?)が入っているように感じたので、物によっては洗浄目的等には適さないように思います。やっぱり、そんなに高くないしペンキ屋なんか純品を買うのが良いと思います。私は友人にただで分けて貰っています…。
梅雨になってしまいました。土曜日の好天が嘘のようです。 FED-1 カメラを煮ていると、なんだか魔法使いになった気がします。ネコの心臓を一緒に煮込めば、週間予言新聞のカメラが出来上がる。。。わけないけど。 煮たカメラの製造番号は分りません。(トップカバーが無い。使い物にならないから、煮てみたのです。) FED-1の製造年は、頭2文字が製造年ということは無いので、製造年は製造番号と、各年代の製造台数から推定することになります。 このような樹脂コートって、何か特別なのでしょうか。ライカも同じ?? 金属に固着するように下地処理をした後、どろどろの物を付けて、硬化させる、って感じがするのですが、違うかなー。いいかげんに想像しています。下地処理と樹脂の合性で剥がれたり剥がれなかったり、そんなところでは? FED-1の表面は熱硬化性樹脂ではなくて、合成ゴムに分類されるもののようです。樹脂屋さん、樹脂成型屋さんは、知合いが多いのですが、今のところゴム屋さんに知合いがいなくて、聞く相手がいない。そのうち、探そうと思います。 塗装については、やはり、塗装をしている感じがします。ボディー表面の色は綺麗な黒ですが、樹脂のほうは、もっと貧乏臭い黒です。でも、塗装以外の表面処理かも知れないので、今ひとつ良く分らない。 >傘を肩にかけて撮れます。 ずいぶん器用ですね。これずっとやったら、肩がこりそう。 グッタペルカ: 杜仲茶を飲んでいます。麦茶とウーロン茶の中間みたいです。 >「剛」 シグマのマクロレンズを使っています。このレンズはピントが合っているところは、かなりシャープです。ピントが合っていないところは、ボケ像がクッキリした正八角形になることがあります。この描写、結構すきです。こういうのは「剛」とは言わないのかなー。 アセトン: 先日アセトン500ml購入しました。1000円だった。マニュキア除光液だと、100円ショップで売っているので、こちらにしようかと思ったのですが、ちょっと違うようなのでやめました。マニュキア除光液って、主成分は何でしょう。アセトン?トルエン?エタノール?(こんなの皮膚につけて、大丈夫なのかなー。こわい。)
>FED-1のボディーを煮ました 奇抜なタイトルですね…。 FED-1の戦後品の時点で樹脂製になっているのですね。戦後品ということですが、大体何年位のものなのでしょうか?例の前2桁が西暦下2桁というルールに当てはまるものでしょうか? それにしても、数十年しっかりとくっついて剥がれなかったものが煮るといとも簡単に剥がれるのですねぇ。昨晩は、実家に子供の画像を伝送しながら、これは接着剤かな?などとと考えていました。 もし、経年劣化で今のように硬化してしまっているのだとすれば、可とう性のある1mm厚のラバー素材を貼り付けることはできます。それにしては、剥がれたものをネット上でも見た事がありません。そんなに優秀な接着剤があるのでしょうか? 対して、加硫をボディ上で直接やったゴムや、熱硬化樹脂であれば、巧くやれば金属ボディと一体化して数十年経る事ができそうに思います。 この技術がソ連独自のものなのか否か私はちょっと気になりますね。画像を見ながら色々考えました。 >Zorki-4のもののほうが、ずっとしっかり金属に固着しています。 >また、Zorki-4のもののほうが、弾力が有るように思います。 これはZorki-3に似ていますね。 >FED-1のものは、もう少し黒に近い色です。 塗装をしてあるのか分からないと仰せですが、塗装されていない可能性も十分あると思います。樹脂に顔料等を最初から入れてあって、外装塗装はしていないものかもしれませんね。 >No.1831 の写真は以前からちょっと気になっているものです。どうみても、プレスの文字には見えません。プレスのものもあります。ライン生産していて、金属の金型に入れて形状のみはプレスしたけど、文字だけはプレスし忘れたのでしょうか? それとも、文字プレス金型は別にあって、その工程を忘れたのでしょうか?(←これだったら後から再度プレスすればよい) それとも、他の理由があるのでしょうか? ずっと何故か気になります…。 入れ違いですね。バラバラでも同じとのこと分かりました。余り必要でもない写真までアップしてしまいました。すみません。
>バラバラで重たくなるのでしょうか バラバラでも、まとめても、画像の容量が変わらなければ、アクセス速度は変わらないと思います。軽くするためには、間引くとか、圧縮率を上げるとかですが、今時そんなに気にしなくても良いのではないか、って思います。 回線が遅い環境で、画像をまとめて、大きなデータを投稿しようとすると、投稿できない可能性があります。 このページの閲覧のとき、画像の表示が重く感じられる場合は、「表示モード」で「テキストのみ」を設定してください。
フォトショップを使っていますが、金井さんのように画像を繋げるのはどうやるのか分かりません…バラバラで重たくなるのでしょうか?ごめんなさい。
のトップカーバーの文字は手彫りとも思しきものがありますね…。
画 像 : リューターで手彫りしたの?-(32 KB)
FED2にはJp-3が好きです。
画 像 : FED2+Jp-3-(56 KB)
フードを付けた際には、むしろフィルターが有ることで絞り操作がし易いです。
画 像 : フードを付けて-(39 KB)
FED-1のお話とても面白く拝読しました。熱湯で取れるんですね。わずかに延びて割れるのかもしれませんね。このお話はまた明日。 自宅でしかできないので写真を幾つかアップさせてもらいます。 絞りは問題なく使えます。というより使いやすくなります。
画 像 : In-50にフィルター-(38 KB)
写真添付を忘れました。 No.1826の写真です。
画 像 : FED-1ボディー-(99 KB)
FED-1の表面: FED-1の表面は金属を凸凹に加工した後、塗装したのだと思っていたのですが、全然間違いでした。 FED-1(戦後タイプ)を熱湯で加熱(鍋で5分ほど煮た)すると、表面1mmの層が少し浮いてきて、ぼろぼろ剥がれました。FED-1のボディーはアルミニウムの上に、合成ゴムのようなものの層が1mm厚さで形成されています。その上を塗装しているかどうかは、よくわかりません。 写真、左の上下は、剥がれた後。写真右上は剥離した合成ゴムのようなものの層(表面)、右下は同じく裏面です。厚さはちょうど1mmです(ノギスで測って1.0mm)。 剥離した合成ゴムのようなものは、アセトン・ベンジンで変化しません。(トルエンは持っていません。)熱湯で過熱すると、若干やわらかくなる気がしますが、ほとんど変化ありません。臭いはゴム臭い。しかし、弾力はあまりなくて、簡単に壊れます。 良い子は、せっかくのカメラを台無しにするような、マネをしないように。 時代によって、塗布しているゴム状層の材質に、違いがあるのだろうか。 FED-1とZorki-4のゴム状の層を比較すると、Zorki-4のもののほうが、ずっとしっかり金属に固着しています。また、Zorki-4のもののほうが、弾力が有るように思います。Zorki-4のゴム状の層は、茶色がかったグレーなのに対して、FED-1のものは、もう少し黒に近い色です。 ホルガ: 新宿の量販店で売られているんですか。故障・不良が多いカメラで、一般的でないと思うのですが。量販店の店頭で普通の人に販売して、トラブル無いのかなー。 オレグが50mm…を同じ条件下で撮り比べてみよう 今のレンズで優劣がつけられるほど、違いはあるのでしょうか。高いレンズは逆光に強い、は大抵言えると思うけれど、値段にものすごい違いが有るのでないなら、好みの範囲内になってしまうのでは、って思います。 安い日本のズームと、ロシアの単焦点を比べれば、違いは歴然としていると思いますが、そりゃ不公平? フェイクライカ: フェイクライカは千差万別なので、Zorkiの表面を剥がした後に、本皮を張ったのもあれば、そのままのもあるし。フェイクを作る人の、気持ち次第だと思います。 フィルター: I-22やI-50にフィルターを付けると、絞りはどうするのでしょう。
最後にもう一ふんばりという所で煩くて仕事する気がなくなりました。 フィルター: 沈胴И-22や前期固定50はフィルターを付けていません。後期の黒の50はフィルター径は35.5mmなのでフィルターもレンズフードも容易に入手できます。 一眼に至ってはフード、フィルターを装着したИ-50-2の出撃回数がダントツ一位です。このレンズアダプター介してペンタに装着すると見た目が面白いですね。 Юпитер: Lに8Mはありません。Киев用だと8、8M、8M(53mm/f2)、Гелиос10...アレ?いくつだっけ?(53mm/f1.8)...これだけでヤんなる...ボディは...今の所6台ありますが... 定時を過ぎたら煙草を喫いだしたのがいるので早いトコ仕事片付けて帰りま〜す。
>分からないんで、違うこと話してます... 分からない事は無視でいいですよね。言語・歴史・地理・人物等々のお話とかの時は私も本当にチンプンカンプンです。 >Lマウント あっ。Jp-8とかって私はキエフ用を思い浮かべてました(Jp-8MってLマウントがあるんですか?)だから、もちろんJp-3とJp-8とはLマウント、Cマウントも持ってかれるんですよね!そのうえ、前期後期も考え合わせると…こりゃぁ大変だ(←いじわる)。 >沈胴In-50 Масяさんも、In-22とかIn-50とかの沈胴にフィルター付けておられるんですか? In-22とかIn-50にフィルターが付いた映像って見た事がないんですけど…こんな事している人少ないと思ってました。 >傘を肩にかけて撮れます。 器用ですね。首で支えてってことですよね? 時々、携帯を耳と肩で挟んでいる人を見ますけど、あれも凄いなぁって思います。できるかなぁ? >レンズ表面(フィルター面?)に雨が当らないように これさえ気を付ければよいのですかね?こんど雨の日にもって出てみようかなぁ…。これからはベビーカーがあるので、レインカバーを付けて赤ん坊をちょっとハジッコに寄せて、沢山カメラを積めそう…。 >旧コメコン連合軍 私はペンタSP(←Jp-9、Mir-24用)、ペンタMEs(←A☆用)、ペンタコン6(←CZJ80〜300用)って思ってます。Zorki-3(←Jp-3、In-50用)も持って行くつもりですが使えないような気がします。なのでペンタ「混合」軍でしょうかね? >あれ?これじゃぁ喜んで撮っているみたいだ! やっぱり、ちょっと楽しいでしょ? >名古屋城や大坂城って行ったことがない... 行かなくても駅の展望台から見えるので、それが一番です。近づくと窓ガラスがはまってる?とか、エレベーターがあるの?とか、…段々興醒めしてきます。 >楽しさを教えるか?失敗するとなぁ... やっぱ、晴れてればISO100のモノクロですよ。そんで開放、最短、69縦位置の人物です!当たれば綺麗でしょうね〜!!(そんな訳ないか…) >(過ごして来ま〜す、なんちゃって) M5(←って書くと何だか格好良いなぁ…)の初陣が巧く行きますように!
私は化学系は全く分からないんで、違うこと話してます... レンズ: LマウントのЮпитер8やИндустар50といっても前期/後期、И-50に至っては沈胴まである...面白そうだけど面倒だなぁ... ん?私、レンズの保護ということで出きる限りスカイライトやUVフィルターを付けています。И-22や50の前期はつけていません。フィルターなしの状態で剛柔を言わねばならなかったかなぁ。 雨: 傘を肩にかけて撮れます。濡れてもあとで拭けばいいので。殆どのレンズにフードも付けてレンズ表面(フィルター面?)に雨が当らないようにしています。 小雨程度では傘は差しませんし。そのテのお店にあるジャングル・ハットって防水加工がしてありツバを大きくて便利です。 Зенитの時ファインダーから余分な光が入って正しく露出計が働かないときがあるので晴天時でも便利です。でも外付けファインダーを付けたRF機でピントを合わせる時は帽子って邪魔ですね。 結婚式: 2年くらい前だったかなぁ、従兄弟の結婚式以来撮ってない...ロシア/東欧(エクサクタ)カメラをバカにしたから、家族でニコンFM+ARSAT、Зоркий4К+Юпитер12、Зенит620、PRACTIKA P90という旧コメコン連合軍で撮りました。。 フィルムは何だったかなぁ...ストロボを使う屋内では必ず400、今ならば何だろう...コダックMAXbeutyかなぁ...あっクロススクリーンとソフト(フォギー)も勿論用意しました。昔だったらサクラの400でした。 相手の視線で: 果たしてそれがいいのかどうかは分かりませんが自然とそうなってしまいました。勿論バックも写るよう気を遣います。あれ?これじゃぁ喜んで撮っているみたいだ! 城: 出張などで名古屋、大阪って何度か行きましたが名古屋城や大坂城って行ったことがない...昨年京都の二条城に行きましたが天守閣がない... フィルム: そうです。コダックの100UCです。35mm版も買いました。明日息子にМосква5の初陣と考えて昨夜触らせてみました。何とかイケそうですがフィルムはどうしようかなぁ... 例のを使わせて楽しさを教えるか?失敗するとなぁ...フジの400Proがあったからコレにしよう!多少絞り込めて速いシャッタースピードも使えるし。 では、そういうことで、よい週末を!(過ごして来ま〜す、なんちゃって)
>午前に京都の会社に行って…午後は大阪の会社に行って ホント彼方此方、いつも飛び回っておられてお忙しそうですよね。 >熱硬化性樹脂 熱硬化は一般にリサイクルが難しいので「リサイクルマーク」を付けられません。だから、目に見えるハウジング等への使用は避けられているイメージが最近あります。でも、逆に目に見えない部分、電子部品関係等々では光硬化にしろ熱硬化にしろ硬化性樹脂が多用されているように思います。要は見かけだけ…か?? >HOLGA 最近、雑誌などでもHOLGAは良く目にしますよ。妻の読んでた化粧雑誌か何かでもモデルが持っているのを見た記憶があります。多分ちょっと流行ってるんだと思います。 >ソ連の場合は、低温に強いゴム …低温に強い。確かにそうですね。ソ連独自のゴムとか樹脂とかってあるのかなぁ? >なぜ 手前味噌な机上知識が無いと飯が食えない職業だから。とは言っても高分子系の授業で「可」以上を取った人ならたぶん全員知っている事と思います…。 >薬品でも加熱でも、少し軟化すれば良い 既にお持ちだったらトルエンを先ず試して見ては如何でしょうか。理由は良く知らないのですが何でもよく溶かしますよね。なんでトルエンて何でも溶かすんでしょう??(脳味噌も溶かしますものね…冗談) >Zorkiは本革張りでは無いと思います Zorki-1もそうなのですかぁ。 >ただし、フェイクライカ ってことは、フェイライカを作る人はあれを全部剥がしているってこと!?どうやってるんだろう? >グッタベルカ: 辞書で調べました。樹脂の名前なんですね。植物(杜仲茶の木なのですか?)から取れる熱可塑性樹脂だそうです。50℃以上で軟化するものだそうです。主成分は1,4-ポリイソプレンだとか。でも、天然ゴムと違ってトランス型なので弾性がない。だそうです。 No.1811で書きました安価な戦前蛇腹の表皮の「カーゼに樹脂引きしたような人工材」ってまさしくこのグッタペルカなのか?? >「剛」 硬く無機質なイメージの描写になるという意味で私は捉えました。ある程度シャープでくっきりなのは「剛」でも「柔」でもカメラレンズだったら必要な気がします。どういうものを「剛」と感じ、どういうものを「柔」と感じるのか明確には言えないですね…。 >同じ条件下で撮り比べてみよう 面白いですね!でも、条件って言ってもどんな条件を選ぶかが難しいですよねぇ…更に、写真が出来上がっても結局、選ぶのは感覚的なものになりますものね。そう考えると不思議ですね。あのレンズが良いとか、このレンズが良いとか言っても結局は好みなのですよね…。どう撮ってもちゃんと取れないレンズってのもありますけど。 下記の中では私が持っている(た)のは、ペンタと、Jp-8、Jp-8M、(In-22)、In-50、しかありません。この中ではJp-8Mが一番はっきりくっきりしているイメージです。白黒だったらJp-8が好きかもしれません。 >紫陽花や菖蒲は晴れでも雨でも 私、自分では雨の日にマニュアルカメラで撮影した記憶が無いのですが、雨の日ってカメラに雨がかからないようにとか何か工夫されているのですか? 片手に傘を持っているとピント合わせもできませんもん。AFカメラとデジカメでしょうか? >早速例のフィルムを買って帰った コダックのですか?またご感想聞かせて下さい。でも、色がビビットにでるんですよね?人物には向かないかなぁ。8月に結婚式があるのですが、この時なんのフィルムにして良いのか迷っています。今だとポートラNC400かなぁと思っています。それこそ、ほっぺにチュを試してみなくては。 >もうちょっと開けてみるとどうなるかなぁ... ピントが外れる…なんて。すみません。 >人物(記念)撮影:なるべく相手の視線に合わせて なるほど…これが基本ですか? 私は先の兄ちゃん以来、頼まれるとついしゃがんでしまいます。以前、名古屋城でAF28mm〜のズームレンズで頼まれた時なんて、28mmにして、絞って、しゃがんで、近寄ってって同じように撮りました。画面の真ん中に家族4人が写って、更に後ろにど〜んとお城ってイメージしました…(だって金鯱が写らないと名古屋らしくないと思って…)「普通に撮れよ!」って思われたかも。これからやめた方がいいかなぁ。 >赤ちゃんのほっぺ: 生まれて数日間の間はホント凄いです。触っている感触がありません!!よく化粧雑誌なんかで「赤ちゃんのお肌…」って書いてあるようなのも見ますが「ああ!これかぁ!」って感じでした。でも、残念ながらその質感は写真で残せませんでした。「ほっぺにチュ」だと写ったかな?なんて。 う〜ん…くちゃくちゃになって何を書いてんだか分からなくなりますよね。もっとバラバラに書けばよいのかなぁ。いつもすみません。
Привет 紫陽花や菖蒲は晴れでも雨でも撮る分にはいい...週末は出かけてばかりで文献を読めない... 最近、目が疲れやすくなっていて...すみません、なるべく読むようにします。 昨日、NHKニュースで京成バラ園からの中継があり今満開...この秋に発表される新種が...テレビのみの公開なのでやっぱり週末は紫陽花に菖蒲! ホルガ: 昨日、早速例のフィルムを買って帰った(ブローニーは5本パックしかないんですね)。新宿の某大型店の1Fでホルガが売られていました。 初めて見た時は面白そうだなぁと思いました。 そうそう、telefunkenさんにお会いして烏山寺町を撮りに行った時、電車の中でホルガのフィルムを入れ替えている若い人を見ました。 剛(草ヤギ?): ここ数年、ロシアレンズしか使っていないので最初の驚きがズ〜っと来ているのかもしれません。でもやっぱりシャープに思えます。絞り込んで使うことが多いからなぁ...ポートレートでも撮ると柔らかくなるかなぁ... 花なんかは回りが綺麗にボケて被写体はシャープで引き立っているように思えました(昨年Юпитер11Аで菖蒲を撮った時)。Юпитер21Mは柔らかい気がします。あっコレそんなに絞り込んで使ってないや。 私、キャノン一眼の描写って全く知らないんです...大学のころAE-1やA-1を使っているのがいましたがFDレンズの描写はどうだったかぁ... 尤もニコン党からすればキャノンはデェ嫌いなものでしたから... う〜ん、Москва2でも5でも絞り16、1/50秒というケースが多いなぁ。もうちょっと開けてみるとどうなるかなぁ... そういえば私があまりにもロシアレンズがいいと言うから、オレグが50mm(ニコン、ペンタ、ヤシカ、Юпитер8/8M、Индустар22/50/50-2、Гелиос44M、Зенитар50mm、ARSAT50mm)を同じ条件下で撮り比べてみようと言い出しました。 ヤシカ以外は私のなのでこれだけ持ち出すのも大変です。 人物(記念)撮影: ただ押せばいいというものではないので、大抵視線を下げて撮ってあげます。私の身長だと屈まなければよく撮れそうにないので腰を痛めていた時は最悪でした。 息子はまだそれほど大きくなかったので腰を屈める必要もなかったのですが、なるべく相手の視線に合わせて撮ってあげるようにと教えました。私の代わりによく撮ってあげています。 赤ちゃんのほっぺ: 柔らかいんですよねぇ。息子は小学生の頃までそんな状態(やや太めのせいもあって)だったので上級生や父兄にやたら触りたがられました。 Пока
今日はなんだかとても眠い。昨日は、午前に京都の会社に行って、熱硬化性樹脂をどのように使い、何が問題なのか聞いてました。午後は、大阪の会社に行って、これは、No.1813に書きました。 最近、仕事でも趣味でも熱硬化性樹脂が気になっています。熱硬化性樹脂メーカーの人に、「お宅の会社の製品は、どんな分野で、どんな目的で、どのくらい使われているのか調べてくれ」って、お願いしているのですが、調査はなかなか進んでいない。(無料でお願いしているから、当然。) 京都駅でHOLGAを首からぶら下げている若い女性を見かけました。こんなの、どこで買うのだろう。私は鈴木商店さんから買いました。 ゴムの重要性: タイヤにも使うし、パッキンにも使うし、雨具にも使うので、軍事的にも重要でしょう。ソ連の場合は、低温に強いゴムが必要なのでは。 軟化: hirob_pさんは、何でこんなに詳しいの? 薬品でも加熱でも、少し軟化すれば良いのですが。あまりにもカチンカチンだと「本当に樹脂?」って不安になるので。 ちょっとだけ削って燃やしてみれば良いのか。チャッカマン買って帰ろう。 あと、もう一つは、なるべく楽に、剥がしたい、って気持ちもあります。そうすれば、皮を張って遊べる。 Zorki: Zorkiは本革張りでは無いと思います。合皮張りか、合成ゴムのカチンかチンか。FED-2と同じかも知れません。これも調べてみないといけない。 ただし、フェイクライカになると、それはもう、いろいろ。 グッタベルカ: グッタベルカは健康に良いって話がありますね。杜仲茶の成分のようです。ということで、本来は天然樹脂の一種なのでしょうけれど、カメラに張った合成のカチカチゴムのような樹脂のようなものを、グッタベルカって呼ぶのでしょうか。 グッタベルカコピー?フェイクグッタベルカ? >PMMAだったらブタノールとかトルエンには良く溶け PMMAってアクリルのことです。透明樹脂の代表で、メガネレンズなどの光学部品にも使われます。 >今ロシアレンズを使っていると絶対に剛だと思える... 「剛」って、くっきり描写のことですか。EOSを使っていると、ロシアレンズは一般的に、柔らかい感じがします。 >Москваの歴史について書いてくれました。 私も知りたいです。
>中古屋さんで物色している そう言えばそうですね。私も結構見かける気がします。デザイン学校とかの生徒さんなのかなぁと思っていたけど…趣味なのかなぁ? >カネにモノ言わせて 凄いですね。私なんて…大学で買った最初で最後のカメラがイチキュッパのチノンコンパクトカメラでした。 >今ロシアレンズを使っていると絶対に剛だと思える... 私も少ないですが…自分の使ったソ連レンズは殆ど「剛」と思えます。なかでも、Jp-3は凄い「剛」と思います。割合「柔」と個人的に感じるのはIn-50(沈胴)とJp-9です。私は「柔」を探しているのですけど…。「柔」情報下さい。モスクワ5ですか? >これ以上の回答はない これで思い出しました!そうでしたね。あのお話かぁ。そう言えば、モスクワの蛇腹はとても丈夫で、穴が空いた物がとても少ないと聞いたことがありますけど…Zorki-1にしても、KMZは革が得意だったんか? >後にフョードルがЗенитのページに >Москваの歴史について書いてくれました。 >(まだ全部読んでないんですぅ...) ええぇ〜!教えて下さ〜い!是非是非。 ===================================================== これ昨日の分ですけど…昨日投稿できなかった部分です。 >もしかしたら人物が上手かった カメラを始める前の学生時代に今の妻(後にも先にも妻は1人ですけど…)と旅行で新潟の上杉謙信のお墓のあるお寺に行った時です。写真趣味とおぼしき若い男性にコンパクトカメラ(←これが上記のチノン)を渡して記念写真をお願いしたら、もの凄く近づいて来て、更に、もの凄くちっこくしゃがみこんで撮影されました。普通と余りに違うので「マニアは訳がワカラン」と思ったのですが、帰ってプリントしてみると構図がとてもよくて凄く良い写真だなぁとつくづく思って「有り難う!」と思った事があります。多分、息子さんも色々なことを考えながら撮影されているのだと思いますけど、家に帰って私のように驚き喜んでくれているといいですね! >「ベビーフィルム、ほっぺにチュ」 こりゃベビーを持つカメラ好きにはたまらんネーミングですねぇ。「パパ撮って」より食指が動きますよぉ…。お教え有り難うございました。かっちゃお。 >眼鏡フレーム ドイツ人の金枠フレームはみんなローデンシュトゥックだと思ってました。メガネが似てるから、コール元首相がやせたらベッケンバウアーに見えそうだとか思ってしまいます。
> >えっ高校生なんだからもっと若々しいモン撮らせろって? > 写真撮影自体が、年寄り臭い行為だったりして。 最近、銀塩カメラを持っている若い人増えてますよぉ。特に女性がマニュアルの一眼を持っているのや中古屋さんで物色しているのをよく見かけます。 大学時代からの悪友で、高校の頃から写真部に在籍(私は高校の頃は写真に興味がなかったんです)していて、カネにモノ言わせて高校生にしてコンタックスRTSやライカV型やコンタックスU(大学2年の体育祭でシャッターリボンが切れた!)を使っていたのがいます。もう一人高校からRTS+モードラに139+ワインダーなんてのもいました。 彼は大学に入学してからオヤジ趣味がエスカレートして20歳前にして恰幅のいいオヤジを目指していました。でもハッセルには手ェ出さなかったなぁ...今なら持ってるかもしれない、立派に一人娘のオヤジだし。 そういえば、奴がニコンのレンズは報道に、ツァイスが芸術写真に向いていると言ったんだぁ...ニッコールレンズが剛のイメージでツァイスが柔のイメージと言ってたのですが、今ロシアレンズを使っていると絶対に剛だと思える...だから好きなんだけど。(こう言ったらニッコールが柔になる?) Москва1: いつだったかイコンタが1930年代に作られたのに、何故Москва1が1946年に作られたのか話題になったので、Зенитの掲示板(会議室)で尋ねてみたんです。 そこで常連(КМЗの関係者だと思う)のフョードル(掲示板ではFVLと名乗っています)が戦争を忘れるためにМосква1を作ったと答えてくれたんです。 私としてはこれ以上の回答はないと思いました。КМЗ勤務のアルカディーから貰ったКМЗの歴史本にもそう詳しく書かれていないんです。後にフョードルがЗенитのページにМоскваの歴史について書いてくれました。 (まだ全部読んでないんですぅ...)
>ゴム製造設備が使える状態で、接収・移送出来たか これは仰せの通りですね。プラントの移動なんて不可能に近いように思えますよねぇ? 私もこういう物も接収しているという事実は面白いと思いました。これが非常に重要な技術だとソ連は知っていたんですね。 同じ本には、他にも面白い記載がありました。大戦前に、日本が東南アジア諸国を侵略したので、アメリカは天然ゴムの入手を危惧し、国家プロジェクトで人工ゴムの量産を急がせたそうです。戦後、アメリカはスグに日本のゴム生産は停止させたそうです。その後、朝鮮戦争前になってやっと、半官半民で合成ゴム会社が設立されたのが現在のゴム工業の最初だそうです。当時戦争を始めるにあたって、合成ゴムは国家プロジェクト級に重要な産業だったようですね(でも、これゴムの本だから指し引いて読む必要もあると思いますが…)。ソ連はどこから天然ゴムを輸入できたのだろう?と考えてしまいました。出来なければ合成ゴムの開発に躍起になっても変ではありませんね。 >テレピン油・酢酸エチル・エーテル・トルエン 架橋された(3次元化された)ゴムや樹脂(ゴム・樹脂・熱硬化・熱可塑等に関わらず)だったらどれでも無理と思います。溶剤に溶けるか否かは、架橋前であれば相溶性が良ければ溶けます。例えば、PMMAだったらブタノールとかトルエンには良く溶けますよね。でも、PMMAを架橋して硬化樹脂にしてしまうと、もうこれらの通常溶ける溶剤でも溶かす事はできません。架橋度が低い場合は、低分子量の部分が溶け出して本体がゲル化したようにはできるかもしれませんけど…。 溶けるか否かは、樹脂が熱可塑性か熱硬化性かに関わらないのですが、ソ連の当時には硬化させられるものは、熱硬化かゴムしか無かったはずなので、先日は、熱硬化か、ゴムと申しました。そして、カチンカチンにすることは考えられないので、多少とも弾力性を付与しようと思うと多加硫ゴムと思った次第です。今は、過度に硬化したり、不飽和部分(あればですけど)が50年の間に酸化劣化して脆く硬くなっている可能性があるので、当時の感触と同じ手触りではないと思います。 以上は、ぜ〜んぶ…机上の空論ですのでやってみないと分からないですけど…多分です。 (因みに、溶剤を使わなくてもPMMAやPTFEなどは蒸し焼きすると解重合するので、跡形もなく蒸散させることができますが、当時は無かったので無理ですね。) >写真撮影自体が、年寄り臭い行為だったりして 御意…。でも、ちょっと前はプリクラとかチェキとかはやったんですけどね。今は携帯かなぁ? いわば、銀塩写真かな?
>金属と樹脂の違いを見分けられません 見た目はグレーなのでダイカストか何か分からず見分けられないですよね。カッターナイフの刃を入れると分かると思います。樹脂層はポリポリと蝋石を削る様に削れました。その下からカッターで傷ついた金属光沢が見えました。 >熱湯で、軟化するか びくともしないと思います。元々架橋硬化してしまった樹脂やゴムは温度変化には強いと思います。私はアイロンを最高温度にして裏蓋をチンチンに熱くしましたが変化しませんでした。最表面だけアイロンの裏に少し付着しました。 >Zorkiの表面処理は同じかも 昨日Zorki-3を目の前に考えましたがこっちは躊躇してます。でも印象としてはFED2よりも柔らかく厚い層に思えます。 >戦前FEDはどうなのだろう 私は持っていないので機会あれば教えて下さい。とは言うものの…勿体なくてできませんよねぇ。 >なんで、でこぼこに加工した 革の表面の風合い(意匠)を真似ようとしたのでしょうか。 >熱硬化性樹脂とガラス繊維を貼り付ける これ色々な工夫が詰まってそうですね。熱硬化樹脂はエポキシ以外ではどうしても体積変化が大きい。また、ガラス繊維との濡れ性が適正でないと、ガラス繊維を引っ張って縮むので、剃ったり剥がれたりすると思います。かといって金属面との相性も考慮すると思います。もちろん、樹脂としての耐光性、強度特性、耐熱性等々は最低限必要です。材料選択・材料調製・成形…とご苦労がありそうですね。そうでもない? >「うーん、無理でしょう もの凄い接合力ですね! 上記のFED2の場合も削り取らないと取れない位に凄い接合力です。金属と硬化樹脂とは相性が元々よいのでしょうか?金属表面粗れを用いてアンカー効果でくっついているのでしょうか?それとも金属表面にカップリング処理などしているのでしょうか? ソ連カメラでは「剥がれ」がほぼ皆無だから、金属+樹脂と気付きませんね。実は凄い技術なのかも。 >ФЭДの時代(戦前)は飢饉(飢餓)等で牛革の供給は そうなのですかぁ。戦前のFEDは樹脂なのかなぁ?そうだとすると革よりも樹脂の方が安価だったのかもしれませんね。でも金井さんのお話ですとZorkiは革なのですよね? そもそもFEDとZorkiって最初なんで「違えた」んでしょ? >Москва1のグッタベルカ グッタペルカの本当の意味をしらないのですが、グッタペルカってカメラ外装用の皮革で、人工・天然を問わないものと思っているのですが、あっていますか?違いますか? >素材の供給ということで、戦争を忘れるために作られたという ああぁ…もうわすれちゃってる。何だか以前聞いたような聞かなかったようなぁ…すみません。どんなお話でしたっけ?ご面倒でなければもう一回教えて下さい。ごめんなさい。 毎度長くて諄くてすみません。また、追加します。
>SBRというゴムを乳化重合・・・ソ連は戦争賠償に設備ごと持って行った なるほど。生産財の接収はあらゆる分野に及んだので、ゴム製造設備を接収したことは考えられることです。でも、CONTAXの接収は、役に立たなくて、新たに発注したのだから、ゴム製造設備が使える状態で、接収・移送出来たかというと、ちょっと疑問です。 ゴム製造設備って、結構大きいものでしょう。もし、接収・移送したとすると、貨車だろうから、ブレストのところで、ゲージが変わって、そのため積み替えが必要で、…って、コンタックス移送よりも、さらに困難でしょう。 CONTAXの接収は、詳しい研究をする人がいるから、実態がかなり明らかになったけれど、ゴム製造設備の研究者は少ないだろうなー。 No.1813 の補足。 こんど、FED-2の「でこぼこ加工」が、熱湯で軟化するか試して見ます。FED-1も同じことを試してみたいのですが、FED-1はマウントをはずさないとならないので、めんどうだから、時間的余裕がないと出来ません。とりあえず試すことが出来るのは、「FED-2の裏ふた」だけです。 戦前FEDの表面加工は、どのようになっているのだろう。気になりますねー。FED-1のタイプによって違いがあるのだろうか。(タイプaは持ってないし。) ゴムを溶かす: Zerki-4の被覆を剥がそうとして、アセトン・ベンジン・エタノールと試したけれどダメだったと書きました。テレピン油・酢酸エチル・エーテル・トルエンはどうだろうって言う人がいます。どう思います? >えっ高校生なんだからもっと若々しいモン撮らせろって? 写真撮影自体が、年寄り臭い行為だったりして。
Привет 金属と樹脂: 金属の場合は銃口を塞いで明らかにホンモノとは違う金、白、黄色にして、樹脂製は黒でも構わないって、すみません、モデルガンの規制です。 新しいモノ好きのロシア人からすると樹脂の方が最先端でカッコ良く高級に見えたかもしれませんね。ФЭДの時代(戦前)は飢饉(飢餓)等で牛革の供給はどうだったのか? 素材の供給ということで、戦争を忘れるために作られたという(Зенитの掲示板にてフョードルの弁)Москва1のグッタベルカはどうだったのか?と考えてしまいました。 フィルム: 昨日帰宅途中に本屋さんでカメラ雑誌を立ち読みしてコダックのフィルムについての記事を読んできました。色の再現性ではコダックの方が忠実なようですね。 まぁ実際に使って見てっというトコでしょうね。 花: また観光バスが来ていて、堀切菖蒲園と白山神社の紫陽花ツアー。よしよし。 週末は本土寺、水元公園、しょうぶ沼公園へ。来週は小岩菖蒲園に堀切菖蒲園、白山神社の紫陽花はいつ?もっと紫陽花を撮りたいけれど...おおっ飛鳥山公園が!出社前に撮ろう。 鎌倉にも撮りに行きたいなぁっと家内と話していたら、佐原と潮来はどうするの!?って。わーい、行けるんだぁ! 早速フィルム買いに行こうっと。 Пока
金属と樹脂の違いを見分けられません。手元のFED-2(タイプB)はFED-1と同じように、でこぼこ加工した上を塗装しています。このでこぼこ加工が樹脂(ゴム?)層なのでしょうか。硬いから、金属を、でこぼこに加工したのかと思っていました。今度、熱湯で、軟化するか、試して見ます。No.1803で「FED-1は塗装です。FED-2も塗装だと思います」は取り消します。大間違い? FEDとZorkiの表面処理は同じかもしれませんね。厚さと模様が違うだけ? 戦前FEDはどうなのだろう。 塗装の下地は、グレーっぽい色で、このため、塗装が磨り減ると目立つことがあります。樹脂を塗布したのならば、なんで、でこぼこに加工したのでしょう。意匠以外に考えられませんね。 Zorkiは、樹脂(あるいはゴム)の層があるため、ゴム臭いし、高級感が無いように思っていました。でも、当時は、皮貼りよりも高級感があったのかも知れないですね。傷がつきにくく、ものすごく丈夫です。皮よりもずっと丈夫です。 鉄板の補強のため、熱硬化性樹脂とガラス繊維を貼り付ける事があります。鉄板に、やわらかい樹脂を貼り付けて、その上にガラス繊維を置いて、それを加熱すると、樹脂が硬化して強力に固着します。この場合、樹脂をどのようにして剥がしたら良いのかと思って、今日は大阪の専門会社の技術者に聞きに行きました。(本当は、別件で行ったついでに聞いてみた。)「うーん、無理でしょう、冷却して叩くと壊れるかもしれない。」だそうです。
息子が林間学校に行くのでフィルムを選んでいたら以前従兄弟から貰ったモノクロフィルムが! 賞味期限が2002年... ロシアカメラあれこれ: 考えてみれば、私は撮影派だから写ればよい、ならば外観には拘らないではないか?いじくって失敗してもどうでもいい筈?でも弄くれない! 出かける時、下手をするとЗоркий、Зенит、Москваとクラスノゴルスク首都防衛隊になります。バッグに入りきれない時は大抵Зенитを首からかけて出ます。 堂々と行きましょう!あっМосква5をケースにいれてたすき掛けで出るのって割と好きです。ストラップが異常に長いんです。 一応息子にЗоркий-1とМосква5をあげたつもりなんですが、楽なペンタSFX、オリンパス35DC、エクサクタminiAFって全部撮りきってないんだぁ! 大分前にЗоркий6にスコパー25mmをつけて井の頭公園の紅葉を撮らせたらとても上手かった...もう使いこなせると思うんだけどなぁ... そっかー、ああいうモノクロフィルムで撮らせてみようかな。 人物撮影: 学生時代は友達を結構撮りました。ニコン系ばかりでした。ロシアカメラでマトモに人物撮影ってやってないなぁ。 いつも書くことですが、頼まれてシャッターを押すというのが嫌いなのですが息子は喜んで撮ってあげています。どういう結果になったかは当然知りませんが、もしかしたら人物が上手かったのかもしれません(親バカ?)。 フィルム: 先日、フィルムを買いに行った時に似たような名前の新製品だなぁと思っていました。何か説明もAgfaに近かったような。 あっコニカの赤ちゃん用400のフィルム見つけたんだけど名前忘れたけれど、調べてみたら「ベビーフィルム、ほっぺにチュ」でした。「パパ撮って」みたいにヒネれないなぁ。 ドイツのゴム: というよりタイヤメーカー。コンチネンタルとかメッツェラーとかありますが、メッツェラーって眼鏡フレームのメーカーでもある。光学機器とゴムの密接な関係?
>本体をいじる 大事なカメラなので迷いましたが…興味には勝てずにカッターで削ってしまいました。可哀想なことをしました。でも、金井さんは焼いたんですよぉ…もっと凄い。壊れているやつかな。 >Москваシリーズは革(合皮?)ですね 蛇腹では昔から高級なものは革が貼られているようですね。でも、安価な蛇腹ではカーゼに樹脂引きしたような人工材が戦前から使われてもいます。そういえば、レチナやツイアスなどでも、蛇腹カメラは、何故か革に銘が型押ししてありますよね。だから、革がボロボロになっても交換し難いです。名無しになってしまうので…。 よく考えると、私のFED2の1つの銘は、トップカバー直接ルーターで削って付けたかのような粗悪な感じです。でも、先に書いたように樹脂にシボ型を押すんだったら、コンタックスみたいに本体の裏蓋にも「FED2」って簡単に型押しできたと思います。ちょっと格好良かったろうになぁ…。 昨日ゴムのことを本で調べていると、ソ連の話が載っていました。現在でもとても重要で、タイヤの生産には欠かせない技術なのですが、SBRというゴムを乳化重合で作る方法があります。この方法とその設備は、戦前にドイツで開発されたそうですが、ソ連は戦争賠償に設備ごと持って行ったと日本化学会のゴム・エラストマーという本に書かれていました。カメラ設備だけでなく、本当に色々な設備を戦後ソ連は手に入れることができたのでしょうね。 すみません、どうもお話がずずずぃ〜と流れてしまいます。無視して下さい。 >人物撮影 やっぱりちょっとこっぱずかしいですよね。私も家族は沢山撮りますが、親族の集まりなどでさえ、もう何となく構え難いです。まして、さほど親しくない友人の前ではソ連のカメラなんて構えられません。高校生だとやっぱり部員同士とはいえ、こっぱずかしいのだと思います。違うかな? >ウルトラカラー 見てみました。パッケージからも派手さが伝わってきますね!機会あれば一回使ってみます。先週フィルム買いに行った時は店頭では気づきませんでしたが、もう有ったのかも。 新製品のポートラの800は私はとても嬉しいです(前は無かったっけか?)。 BW400の旧品は以前何回か使ったのですが、何となくすっきりしない白黒で、微妙にシアンぽい色が入っていました。印画紙のせいかのかなぁ?でも、現像が30分で出来上がるのはとても有り難いですね。自家現像できる人にしてみれば意味の無いフィルムなのかもしれませんが…。
ビルの前に観光バスが何台も。バラの古河庭園と堀切菖蒲園...おっ菖蒲園良さそうだな。だけど共に東京北部なのに昼食を南部でとるのか... 毎晩のようにカメラを触るのですがМирやЗоркий3って何か貼ってあるようには思えませんでした。尤も張り替えるのなら牛乳パックケースを作りますが(Мир用は作成済)。 本体をいじる勇気がないんです。そういえばМоскваシリーズは革(合皮?)ですね。 高校写真部(らしく): 中等部での新入部員は相変わらずいないようですが、高校2年生の女子が数人入ったようです(部長は在籍最古参でも1年生)。以前顧問に部員をモデルにして人物撮影を考えるよう言ったことがあります。 父兄の参加もありなら、その時はストロボも含んで撮影知識総動員しますよ(三脚はなしだろうなぁ)。普段クラスでのスナップでもいいから撮れと言ってるんですがカメラを持っていきません。 フィルム: ちょっと調べてみました。 コダック プロフェッショナル ウルトラカラー 100UC/400UCです。あっこれブローニーもある!
>私の5って マスクもケースもついてですかぁ。国内と一桁違いますね…。 >っで中京、関西や九州地区のCMってインパクトが強く CMって小さい頃からおしっこの時間なので…実はあまり良く見ていないかも。中京地区で言えば、私が始めてこちらに来た時に一番面白かったCMは、鎌倉ハムというメーカーのソーセージのCMです。もう10年以上前になりますが、今でもやっていると思います。「まぁ一本、まぁ一本、と…」というフレーズから始まるのですが、「もう一本、もう一本…」という意味だそうです。バリバリの名古屋弁を初めてこれで聞きました。 >えっ高校生なんだからもっと若々しいモン撮らせろって? とは言っても…何がありましょうかね? クラブ(私が若い時はありましたが…今って?)で踊る女子高生とかですか? う〜ん、この状況って撮影知識を総動員できそうですねぇ。もちろんストロボはダメですよねぇ。 >最近コダックから出たフィルム ってありましたっけ? C-41処理のカラー印画紙でモノクロができるフィルムが刷新されたというのは雑誌で見ましたけど…。派手色のフィルムが出たんですか? ポートラVCって派手と言っても、アグファのようなものとは全然違いますもんね。あれ?ポジですか?なんだろ? 飯食ってきます…。
昨日帰って、FED2bの表面を削ってみました。 結果、少なくとも私のFED2bは金属表面に樹脂層が形成されていて、更に、その表面に塗装されていました。あの偽シボ革加工は、金属表面に形成されているのではなく、樹脂層に形成されていました。樹脂層は、金属層に接着剤などを用いず接合されていて、いわば複合基材となっていました。FED2bにある色違いは、塗装面の色だけを変えているもののようです(私のは茶色なので樹脂層とはっきり色の区別が分からないのですが)。 樹脂層が、硬質ゴム(ゴム層)なのか、熱硬化樹脂なのかは分かりませんでした。でも、いずれにしろ、当時の技術としては、表面に革を接着剤で貼るよりも、遥かに複雑なことをして、作られていると思います。 というのは、金属に直接樹脂層を接合するというのは、必ずしも簡単なことではありません。また、ライカには無かった樹脂層を加熱・プレス型押し・硬化させる為の金型が要ります。他のカメラを知らないので、何とも言えませんが、ソ連独自の方法だとするととても面白い物と思います。後に、FED2dでは張り革のものがありますが、どうして、また張り革に戻っているのかは現物を持っていないので分かりません。 でも、少なくともKIEVではこうしようにも、ボディシェルと内部機構とがネジで結合されている部分などがあり、これらのネジを樹脂層で封入してしまうことになるので、無理だったのだと思います。 樹脂層を形成することのメリットは何だろうと色々考えましたが(イングランド戦を見ていたので適当ですが…)、殆ど私には思いつきません。おそらく、このような複雑な工程を経て、温度調整等々が必要で、当時としては必ずしも安価ではない材料を用いています。ですので、安価であることは目的ではないと思えます。ネット上の記載では、手間を省く為の方法とも取れる記載がありますが、これは本当なのか疑問があります。むしろ、複雑であり、また、当時としてはコスト高であっても変ではないと思います。 私が思いつく効果は、強いて言えば、現在の自動車生産ラインのように、よりパーツとしてより扱い易くなるということ位でした。張り革は汚れやすいので、多分一番最後の工程で形成すると思いますが、樹脂層であれば、塗装の前後はあっても、組み立て前に形成できます。ですので、大量生産には向いていると思います。 FED2は、生産台数が多く、壊れ難い機構となっているとよく聞きます。そういう意味からすると、効率よく、大量に生産する目的にはあっているようにも感じます。FED2には民衆にカメラを普及させる目的などがあったのでしょうかね? Zorki−3の表面は、昨日はFED2のことを考えていて、削れませんでした。
5: 私の5って6×6マスクと革ケースが付いて約2000円(WEB上では)でした。セルフタイマーにちょっと問題がありますがまぁ使いませんので。 2はケースなしでその倍しました。でも現地で買うと安いですねぇ。面白そうなケースが作れないものかと考えています。でも5はあげらんない! CM: あのCMって収録時に結構話題になったのと野球のニュースでピッチャーを写すと丁度背後に見えるんです。 っで中京、関西や九州地区のCMってインパクトが強くて楽しいんです。 閉まりつつある門に向かって駆け込んで、"間に合ったぁ〜"というような霊園だったかのCM、これ中京地区だと思いました。 "MADA MADA逝かない"なんていう福岡の葬儀社など。我等が埼玉県は「風が吹く...美味い、美味すぎる」しかありません。 花組6月公園: 息子の学校の文化祭が例年よりもちょっと早目なようなので当然作品作りも早くかからなければなりません。今週末は天気が良さそうなので学校帰りに行けそうなトコロで菖蒲を考えています。 昨年も学校帰りに松戸の本土寺に連れて行きました。今度は堀切菖蒲園かなぁ...昨年の本土寺は菖蒲は良かったのですが紫陽花には遅かったんです。えっ高校生なんだからもっと若々しいモン撮らせろって? 日曜は自転車で葛飾の水元公園に足立のしょうぶ沼公園...他にも菖蒲園が沢山。今年こそ佐原や潮来に行けるかなぁ...鎌倉方面の紫陽花もいいかなぁ... 5月公園千秋楽にバラは終わりで6月は菖蒲を送るとモスクワに書いたら、彼女からモスクワの菖蒲のイメージが送られてきました。紫陽花はロシアでも南に行かなければないようです。 フィルムはやはりウルトラが面白そう...最近コダックから出たフィルムもこういう感じになるのかなぁ... Пока
>5ファンの ええ。ホント何度見ても良い感じです。ちょうど今朝、旧渋谷のHPを見たら綺麗なのが売れていましたね…良いなぁぁ。 >ダイエー戦の福岡ドームでよく写る「八ちゃん堂」です。 存じません…ほんと何でもご存じですね。どうして九州のことまで。 >45歳だそうです。頭は60歳以上なんですけどねぇ... そんな若いのですかぁ? 確かに頭だけ見ると45才前には見えないですね…。 今日は楽しい一日でした…
>FED-2も塗装だと思います。 塗装ということは、ゴムでは無い?ということはカチンカチンでOKと思っていたのかなぁ? 今日は無理そうなので今週末にでもfed2の表面をけづってみようかなぁ…う〜ん。ちょっとイヤだなぁ…。 >Zorki-4の後期以降は合皮を接着剤で貼り付けています そう言えばそうですね。FED-2でも、d型には貼り付けのものがありますね(→これ欲しいのです)。 >Kievは皮張り。Zenitは ごめんなさい。ソ連のLマウンカメラってつもりでした…。FEDとZorkiだけを思い描いてました。 >でも、合皮張りとゴム引きの違いを見分けるのって、 >案外難しい。そもそも、分けられる? 接着剤を使ってあるか否かは剥がせばスグにわかると思います。それと、ゴム引きでは、あとから剥がせないので、ゴムの下にネジを持って来れません。対してkievでは革の下にネジがありますよね。 >合成ゴムと熱硬化性樹脂 確かに現代の合成ゴムはパーオキシ架橋のものなどもありますし、ソフト・ハードセグメントのエラストマーの場合もあって、更にはアロイまであるのでゴムと樹脂との範疇はかなり曖昧と思います。 でも、当時のソ連では、ゴムは可とう性を僅かなりとも持っていることを意識して用いられ、硫黄加硫されていると思います。対して、熱硬化性樹脂は、ベークライトなどのように硬く形状保持性に優れていることを意図して用いられていると思います。可とう性はむしろ排除されていると思います。材料も限られた物しかなく(1930年代にやっとクロロプレンを独自に合成している)全く別物と認識できると思います。 私がもっているプリモJrというカメラの表皮は硬化してボロボロになってきているものがありますが、これは可とう性を保持する為にゴムの架橋を少なめにしたために、老化してなっているのだと思います。ですが、私のもっているソ連のfedやZorkiはそのようなゴム特有の老化亀裂が無いです。もし、本当にゴムだとすると30%〜の硫黄を含んでいるからだと思います。つまり、老化する為の不飽和部分が殆どないゴムだからです。そのため、当初からなかり硬いゴムだったのではないでしょうか。 ソ連は1920〜1930年代にかけてゴム合成分野では独自に高度な研究が進められ、ブタジエン系も、クロロプレン系も、独自に作り出してたと思います(ちょっとうる覚え…)。 でも、以前、1960年代のkiev4aを開けた時ですが、ファインダーブロックを衝撃から守っていたのは、麻布のような布でした。どうして既にあったゴムを使っていないのでしょうね…? なんか支離滅裂でごめんなさい。
スクエアで撮れるМосква5...息子のモノというせいか全く使わないで2ばっかりなんですぅ...5ファンのhirob_pさんに申し訳ないなぁ... っということで花組6月公園、紫陽花/菖蒲を5で撮ろうっと! 西日本でのCM: 九州限定だったかもしれません。ダイエー戦の福岡ドームでよく写る「八ちゃん堂」です。 ♪ほんわか、ほんわか、ほんわか ホィっ! 審判の定年: 45歳だそうです。頭は60歳以上なんですけどねぇ...
FED-1は塗装です。FED-2も塗装だと思います。FED-5はビニールレザーみたいな合皮張り。FED-3,4はどうだろう。 Zorki-1は合皮張りって言う人がいますが、合成ゴムかもしれません。Zorki-4の中期まで同じ可能性があります。Zorki-4の後期以降は合皮を接着剤で貼り付けています。 Kievは皮張り。Zenitはどうだろう。Zenit-5は合皮を接着剤で貼り付けていました。 今度、落ち着いて調べてみます。でも、合皮張りとゴム引きの違いを見分けるのって、案外難しい。そもそも、分けられる? ところで、合成ゴムと熱硬化性樹脂はどう違うのでしょう。同じ物のように思うのですが。作っている会社が違う?
う〜ん。 ホントに硬質ゴムだとするともの凄く量産性に優れたよい方法ですねぇ。 天然皮革や合成皮革は、(1)別途薄皮を作って→(2)裁断して→(3)接着剤を塗って→(4)正確に貼り付ける。という手間がいります。それなのに、経年で剥がれる事もあります。 でも、硬質ゴムではそんな面倒は要りませんし、一体成形すれば接着剤なんか使うことなく、剥がれることもありません。そして、加硫の程度によって硬度は自由に設計でき、色落ちしない発色の良い色を付けられます。金井さんがいつも言われるように、初期の条件設定はとても大変だと思いますけど…。 これはソ連独自の方法なのかなぁ? Zorki-1やFED-1は張り革なのですよね?ということは、Zorki-3(Zorki-2は知らない)やFED2から始まったのかなぁ?
>まるで古タイヤ火災の匂い そういうことですかぁ。前回から金井さんがゴムと書かれていることに気付きませんでしたが…樹脂じゃなくてゴムなんですね!そう考えると色々つじつまが合う気がします。 焼けるタイヤ独特の臭いは加硫に使う硫黄が含まれているからですが、あの臭いにおいがするということは架橋されているので、どんな溶剤を使ってももう樹脂のようには溶けません。軟化がやっとです。 しかも、Zorki-3では、かなり硬く感じるので万年筆のエボナイトのように硫黄分を多量に含んでいるゴムかもしれませんね。もし、本当に硬質ゴムがひいてあるのだとすると、とても面白いです。 なぜなら、ボディシェルごと型に入れて、型とカメラシェルの隙間に未加硫ゴムなどを流し込み、加熱プレス加硫させるというような方法で作ると思えるからです。たぶん接着剤は使用していないことになります。 そう考えると、FED2も金属表面に凹凸を付けて…と良く聞きますが、これは本当なのでしょうか? ソ連のカメラの合成皮革表面の多くは、カメラ本体で加硫させたゴムから出来ているのかもしれませんね。型側に凹凸を形成しておけば、わざわざボディシェルに凹凸を付ける必要はありません。また、硬質ゴムだと考えると、色々な色があるのが頷けます。昔からエボナイトなども色々な色に着色して構造材料に使われています。今日は凄く面白いことを伺ったように思います。 >大きくはないですが、それです。 やはりそうですかぁ。とっても立派なHPです。これからも宜しくお願いします。私は自分でコツコツ楽しめるので127カメラも好きなのですが、残念ながらソ連製は無いのです。 >あっ緑の...デジカメなんです あれ?スクエアになってましたのでてっきりモスクワだと思ってました。すみません。へんなこと書いて。 >たこ焼きのCM(西日本のみ) そんなの知りませんでした。実家に問い合わせねば…。イタリアの審判は定年があるんですねぇ。何歳なんだろう?まさか60才ってことはないと思いますけど。
今年はレスリングの浜口親子のお陰で気合(という言葉)が流行るかな? 暗い所でストロボ使うとどうも不自然なので(それならば使い方を工夫せい!って?)、夜桜を撮る時はもうストロボを使わないようにしました。 彼女に綺麗に見せるためなら当然気合も入ります(それ以外に気合を入れて撮ることなんか...ありますよ)。その前にtelefunken様にお願いした写真の内2枚、手持ちの夜桜の写真があったんだぁ。 機関車の写真: あっ緑の...デジカメなんです。実はコレ頭の部分しかなくて...他の機関車の頭と共に並べていて...晒し首のようで...おいたわしや... 明後日Москва2で撮った写真が出来上がる予定です。 ウィーン: 私が行った時はアエロフロートでモスクワ乗換え...今モスクワまでが10時間、そこから3時間くらいでした。空港でどれだけ待ったか覚えていません。 到着した時は夜で街灯がとても綺麗でした。 ザッハトルテにカフェ・モーツァルト...あれ?ここって日本の企業が買ったんでしたっけ? からくり時計...なんて言ったかなぁ...(脇にTokyoDisneyLandって...違〜う!) サッカー: 週刊誌を立ち読みしてきたら、たこ焼きのCM(西日本のみ)でお馴染みのコリーナ審判が来年で定年だとか。