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バレエ お名前: telefunkenさん [2004/03/15] No.1401
をやっているといっても振付家兼創作舞踊家で、その道では有名な人ですが、その友達といま電話で長話しました。もともと東京にいたんですけど、いま大阪に行って、ミナミの高級クラブのショーに出ている専属ダンサーの振り付けをやってるんですが、このダンサーが全員サンクト・ペテルブルクから来ているんです。彼はセルジュ・リファールと同門の兄弟弟子で、大正15年生まれですからもう79歳近いのですが、まだまだ踊れるみたいです。ボクもがんばることにしました。負けてらんない。そういえば大野一雄さんはもう100歳近いんじゃないかなあ。まだ踊っておられますね。絵描きとか舞踊家とかには長生きが多いんですけど、なんでだろー。
バレエといえば、20世紀最大のインプレサリオ、バレエ・リュッスのセルゲイ・ディアギレフを忘れるわけに行きません。イーゴリ・ストラヴィンスキーを発見してのも彼ですし、フォーキン、レオニード・マッシーンなどの名ダンサーを育てたのも彼です。パブロ・ピカソの舞台装置でストラヴィンスキーの音楽とくればもうこたえられない贅沢ですよね。あーモンテカルロへ行きたい。あすこの劇場を見て、オテル・ド・パリに泊まりたい。


よい休日 お名前: telefunkenさん [2004/03/15] No.1400
だったですか。Masyaさま。ワザワザ聞いて下さって、ありがとうございました。ぼくは連絡とらなきいけない友達が携帯を忘れて旅行にでも行ってるらしくて、イライラするので、修繕中のエクトラにかわってどうしても手元に欲しくなって、東京の名だたる中古カメラ屋に電話掛け捲って、数寄屋橋のマツキヨの上のSカメラでゲット。こんどは1.9つき。値段は元帥さまの買われたのとおなじくらいでした。ためし撮りしたらぜんぶよーく写っていて大満足。はじめてカードのリボ払いというのをやったら、金額に関係なくまいつき2万円なので、余勢をかって別の店でエクター35ミリをゲット。あーもうぼくはどうしてこうなんだろう。ここ2,3日は家内は友達とマージャン旅行。一人なので紀尾井町で外食して上智の土手をあるいて四谷まで。荻窪からタクシーです。
これで某名人のところのエクトラが帰ってきたら2台。うれしいのかどうか自分ではよくわかりません。でもうれしい。いや、お金をつかいすぎてよくない。いや、やっぱりうれしい。


あせっ!(ゴロゴ13か?) お名前: Масяさん [2004/03/15] No.1399
Привет

今朝はクレムリン近くの展示場での火災のニュースで起こされました。家具の展示会中だったらしいので関係がなかったかと思っていたら、一度ワレリーの家で会ったフィンランドから家具の輸入をしている夫妻に会ったことを思い出しました。後でちょっと聞いてみよう。
同じく今朝、駅前で「パーン!」っと爆発(破裂)音! 久々の戦隊モノのロケでした。

土曜日に新宿御苑にシュゼンジカンザクラその他サクラを撮りに。枝垂れその他が咲き始めています。シュゼンジカンザクラは葉桜です。18日という東京の開花予想って早いんじゃないかなぁと思っていましたが、まんざらでもなさそうです。毎日サクラの開花状況をチェックしなければ。
昨日は地元の植物園(本当は花木園)でサギソウの育て方の講習会へ。1000円の受講料で種(球根?)が大小18個に鉢2つ、鹿沼土にミズゴケ付き! 
園に着いたらサクラが満開!フィルムを撮りきっていなかったКиев4だけしかなく予備のフィルムも持っていなかったのでロクに撮れず...

新宿御苑の帰り赤羽駅で駅弁フェア。駅弁と並んで「かもめの玉子」が! またtelefunkenさんがスーパーでお求めになられたぁ!
その前にYカメラの書籍コーナーで「クラ専」がなくなってる! カメスタ24号と旅の写真の桜特集2号を買って帰りました。

古い雑誌を引っ張り出したら表紙のイラストがコダック エクトラ! っと思いきやメダリストでした。ってWEB上でエクトラを見た程度でよく知らないんですが...

明日は有休を取って息子の卒業式に行ってきます。息子が学校で廊下を歩いていたら隣のクラスから声を掛けられ、集合写真を撮るからシャッターを押してくれと頼まれたそうです。
最近の流行では、「1+1は?」と尋ねて「に〜」っで撮るようですが、某テレビドラマの影響で「3256÷1628は?」っと尋ねたそうです。返事は...「わかんねェよ、んなもん!」だったそうです。いつかはやるかと思ってましたがホントにやりやがった!でもこのタイミングで撮ってたらスゴイだろうなぁ。

「よい週末を!」というロシア語ですが、彼女に聞いてみました。"Желаю хороших выходных"で「良い休日(複数形)を望みます」という意味だそうです。
そういう訳で、明日は自分に「良い休日を!」って写真を撮る大役があったんだぁ!

Пока


かもめ お名前: telefunkenさん [2004/03/14] No.1398
かもめのタマゴ、
近くのスーパーの駅弁大会で売っていたので買いました.買ってよくみたらぼくのにがてなホワイトチョコなんだけど、まあMasyaさまのかきこみに反応しながら食べます。きのう人形町で玉秀堂のやきもち買いました。さいきんは五色餡の玉饅かってない。
大統領にハカマダさんが立候補されてるのですか。知りませんでした。そういえば野坂参三さん、志賀義雄さん、徳田球一さん、みななくなりましたね。宮本さんは長生きですね。おくさんの百合子さんはもう亡くなったみたいんですが。伊藤律事件もけっきょくうやむやですよね。
サギ師があと250ドルおくればカメラ送るといってきたので、さきにカメラ送ったら250ドル送るといってやりました。それで950ドルだからほんとなら安い。まあウソにきまってるけど。
桜の園のことが、桜の時期になると思い出されます。東山千栄子さんのを見ました。でもなんで演劇関係の人に党員やシンパが多かったのかな。あと人形劇!これもなんだかサヨクの溜まり場みたいになってましたよね。広報宣伝活動の一環として党で奨励したことでもあるのかな。そういえばむかしエスペラント語を習ってるだけで怪しいと思われたそうです。



ロシア大統領選 お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/14] No.1397
 今日はロシア大統領選。スペインの列車爆破事件があったばかりなので、ロシアでもテロが起きないか心配です。

 大統領選候補のハカマダ氏は、元日本共産党員の故袴田陸奥男の娘さんだそうです。国際政治学者で青山学院大学教授の袴田茂樹氏とは兄弟と言う事になります。さらに、元日本共産党副委員長の故袴田里見氏の姪にあたります。
 と、言う事で、関係ないところで、日ロ関係が現れました。


またエクトラ お名前: telefunkenさん [2004/03/13] No.1396
ファインダーを覗くと254ミリまでのズームファインダーなので、それを動かすための円盤をまわしながらズームごっこしてると面白い。凄くクリアです。距離計のほうは上下像合致式の軍用とおなじヤツで、上下に分かれている画像がピタリあうと感激がどよどよっと。これには視度調整が別のディスクについているので、覗きながらピタリあわせると上下像の分離も合致もすごくよく見えます。レンジファインダーカメラの究極のかたちですね。これにくらべればコンタックスなどオモチャです。ましてライカなどオモチャ以下ですね。
このカメラこそ新品元箱で欲しい。思えばサギ師はそのへんの心理をよくつかんでいて、新品元箱未開封をうたってましたね。でも90ミリスペアレンズつきをドカドカっと10何人もオファーしてくるなんて、その段階で疑うべきでした。倒産会社のデッドストックものという話にまんまと引っかかって、考えてみれば2000台しか作られなかったカメラを何十台も新品で1941年の発売以来60年間、1948年の再発売以来でも50年以上ストックしていた会社なんかあるわけないんですよね。


エクトラ お名前: telefunkenさん [2004/03/13] No.1395
は実際に使います。といってもコントラストと解像度を読み取りやすい被写体を選んで撮るのと、あとはぼくは建物(ビル)の写真が専門なんです。だから友達に見せると何と味気ない。こんな写真を撮って何が面白い、といわれます。
標準レンズはよくみたら50ミリの3.5でした。1.9より珍しいので喜んでいます。
今日ためし撮りをしたら、シャッターのしまり方がわるくて、スリットが開いたまま巻き上げられるカットが多くて、まともにに撮れているカットは10枚のうち1枚だけなので、浅草の名人のところへ。10万円コース、とやはり言われてしまいました。サギとあわせると34万になりますから、普通の値段に近づいたか。でも90ミリが付いてるので、友達の話だとそれでも安いそうです。うーむ、サギさえなければなあ。ちなみに名人は行ったときエクトラの修理中で、これは某超大国のもと駐日大使でエクトラ収集家として有名な人がわざわざ来日して持ち込んだもので、複数台あって、そのうちの1台はまぼろしの2型、すなわちゼンマイ式のモーターワインダーがついたやつだそうです。これは世界中に6台しか現存していないカメラで、一つは大阪のN博士のところにあることをキャノンの魔人永田から聞きました。だからぼくはこれでエクトラ2型の6台のうち2台の存在場所を知ったわけです。あーぼくも2型がほしい。よーし、こうなったらゼッタイさがしだして買ってやる。そして3台目の存在場所の知られたエクトラのオーナーになってやるぅ。
浅草へはひさしぶりなので虎屋のヨーカン、どうせ会うにきまってる和尚には虎屋のモナカを持って行きました。果たせるかな、しばらくして和尚がコーヒーの出前みたいに2杯もって出現。
浅草のあと人形町へ出てライター仲間のガンxxxと初音へ。彼は豆かんでぼくはアンミツ。エクトラが手元になくてさびしくて、なんとなく割り切れない気持ちのままで夕陽と春風のなかを明治座横(ここでぼくが最後にみたのはなんと大矢市次郎の『日本橋』、古いなあ。前の、いや、前の前の建物のときか)から甘酒横丁から浜町河岸、都営新宿線で烏山村に帰りました。


エクトラ お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/13] No.1394
元帥さま。書き込みありがとうございます。管理人の金井です。
レニングラードの元帥さんですか。

 以前、ヤフーのオークションでエクトラが40万円だったように思っていたのですが、あれは、詐欺だったのですか。交換レンズも付いていましたよね。
 珍しい有名カメラなので、詐欺が横行するのでしょうか。嫌ですね。
 エクトラをお使いの感想はいかがですか。


telefunkenさま。
 1000ドルで交換レンズ付だったのですか。随分安いような気がします。
 標準・90ミリ・135ミリと来れば、次は150ミリ。と、勝手に想像しています。
 ところで、入手したカメラは、実際に使われるのですか。telefunkenさんは、どんな撮影をするのだろう。


Ektra お名前: telefunkenさん [2004/03/12] No.1393
シャッターボタン、動いてシャッター切れるようになりました。あとシャッタースピードダイヤルだけちょっと調子おかしいので、どっちにしても浅草の名人ゆきです。


竹ノ塚 お名前: telefunkenさん [2004/03/12] No.1392
わはは。いや、そうではありません。ホントのタカラジェンヌのです。でもあのネタよかったですね。あとバニラさんも好きでした。またやってほしい。
モペッタでしたか。でもそれでもいいです。あのかわいい車に乗ってる人にも興味あります。
Ektraつきました。でもシャッターボタンが動きません。Wienの友達ののろい(偉大なカメラだ、もし動けばね)があたったみたいです。さっそく浅草寺の某和尚の友人の某名人に電話しました。10万円こーすだね。と軽くジャブ。うーん。全体の程度はなかなかみたいで、なんとその値段で標準の1.9以外に90ミリレンズが一本付いて、両方を収納する専用革ケースにはいって、裏ブタあけると1961年にコダックで修理したステッカーが張ってあり、幕はキレイ。圧版ピカピカで、ファインダーも比較的キレイで、ちゃんと無限合ってますし、ズームファインダーもしっかりしてます。軽症でなおることを祈るのみですね。あと余勢をかってアメリカの中古会社で135ミリをゲット。これも200ドルあまりでまあまあ。
元帥さんはじめまして。
青山って望月さんのトコですか。望月さんとは先週有楽町でヒルメシ食いました
元気でした。血色よく、ちょっとふっくらの感じでした。
かもめのタマゴってお菓子あるんですか。知りませんでした。さいきんは曙の粟(あわ、栗にあらず)大福にハマって増す。癌のほうは五分五分より可能性小さいときょう本郷の病院で言われてちょっと安心。では良い週末を。Masyaさま、これロシヤ語で何というんですか。




大判 お名前: Масяさん [2004/03/12] No.1391
会社が加入している健康保険組合の冊子に4×5の手作りカメラについて書かれているのを見て思い出しました。
大判フィルムって8×10が最大で9×12ってないんですねぇ...
学研の科学雑誌の付録のピンホールカメラのように印画紙をフィルムがわりに使う?って出来るかどうかは知りませんが...

しかし、フォーマットによって大判、中判があって35mm以下を小判と言わない...山吹色のぉ...ライカやペンタLXしか言われないかな?

かもめ:
そうです。テレシコワですね。"Я чайка"。"かもめが飛んだ日"は渡辺真知子、"かもめはかもめ"は研ナオコ。
"かもめの玉子"は東北のお菓子。ナンテネ!

それでは、よい週末を!


EKTRA お名前: 元帥さん [2004/03/12] No.1390
はじめましてEKTRAの話題が出ていたのでカキコします。
私も昨年の夏頃急性EKTRA中毒にかかった者です。
ヤフオクで最初に出ていたのを私は落札しそこねました。
それはかなり熱くなり最終落札価格が40円まで行ったかと思います、
今考えると落ちなくて良かった!!
その後に検索で引っかかったのを見ると同じ画像でした、出品者が違うのに!!
かなり疑問に思いフィードバックを見るに評価良し、でもよくよく見ると
安い物ばかりで評価を上げている出品者でした。
こいつは怪しいと思い見送りました、そしたら詐欺だったというのが後日判明!!見送ってよかったです。
結局EKTRAは青山のカメラ屋で委託品を22円でGET!!しかしスローが効かなくなり
自分で幕速のテンションを上げて使っていました。
フィルム3本目で悲劇は起こりました!!
リボンが切れた!!!
修理に出すこと2ヶ月O.H幕交換でなんと7.5円!!
でも非常に調子がよく、6ヶ月の保障も付き、まあ納得の値段でした、、、、
E-Bayなんかでも出ていますがやはり怖いですね、、、、
届いただけでもラッキィーと考えるしかないのでしょうか、、、、
参考に
http://www.cameraquest.com/ektra.htm
に載っていますどうぞ。


エクトラなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/12] No.1389
エクトラってどんなカメラ?:
 Googleで「KODAK EKTRA」と指定してみてください。いくつかのページが検索できます。
 確かに、エクトラのページって少ないですね。珍しいカメラなので、持っている人が少ないのだと思います。3台も欲しがるなんて、ブルジョア。

 エクトラのファインダー基線長はコンタックスよりも長くなっています。基線長が長いほうが距離計精度が上がるので、必要上この長さになったのか。コンタックスよりも優れたカメラなんですよー、って宣伝するために、この長さなのか。エクトラと言えばファインダー基線長の話は避けて通れないのです。

 telefunkenさんの手元に、すでに届いているでしょうか。シャッターは動きますか。
 エクトラはいろいろと特徴のあるカメラだけれど、特にファインダーに特徴があります。でも、珍品なので私は見たことありません。ファインダーを覗くとどんなふうに見えるのですか。


ちゃいか:
 は高級車の名前なんですね。安いカメラの名前と思っていました。


あっいえ、そんな! お名前: Масяさん [2004/03/12] No.1388
Привет
サギソウ:
市の広報に講習会の案内が載っていたので、ご覧になられたかなぁっと。3月8日から受付だったので8時半に電話してもらって申し込みました。気合はいってます。
撮影方法は何がなんでも大きく撮ろうとして持っている機材を組み合わせたらこうなってしまいました。小さいとはいえ三脚やレリーズを持っててよかったです。
九品仏での話は花をメインとしたウォーキングガイドにあったことを覚えていたんです。サギソウの名所って昭和記念公園しか知らなかったもので。
分布範囲は東アジアで日本、台湾、中国、朝鮮半島にロシアにも範囲が及ぶそうです。
いつもсагисоуと言ってますが、Хабенария っと学名Habenaria radiataからきたロシア語名があるそうです。
花組って...そんな...男装の麗人のよう??? 竹ノ塚歌劇団(スマスマの)ですかぁ

三輪車(さんりんぐるま):
ぶりゅっちゅ:
すみません、間違えました。日本にあるのはモペッタでした。

http://www.schouwer-online.de/technik/bruetsch_mopetta.htm

一人乗りで小さいからもっと面白いかも?

メッサーシュミット:
父親がひこう(今や)老人なので小さい頃から飛行機について教えられました。でも自分で調べた方が多かったですが。
この例ってあの件にちょっと継がるかなぁなどと...109(飛燕)、163(秋水)、262(橘花)...秋水や橘花はドイツから設計図を持って来て作ったと思いましたが飛燕はどうだったかなぁ...
イタリアのマッキとは兄弟みたいなもの?
この車が分からない方は「ルパン三世」の第二話、魔術師と呼ばれた男に出てくるんですが...余計わからなくなる?

新宿御苑でシュゼンジカンザクラやオオカンザクラが満開だというので息子のSFXのフィルムを撮りきってきます。当然それだけではモノ足りないのでМосква2かな?

Пока


*** お名前: **さん [2004/03/12] No.1387


(*** この記事は文字化けのため削除しました ***)





眠たい… お名前: hirob_pさん [2004/03/12] No.1386
明日は有給予定なのですが、厳しいしわ寄せが…。
でも、晴れるといいなぁ。カメラは何を持って行こう。

エクトラってネット上で検索しても全然画像も何も
でてこないのですね?なんか凄そうなカメラですね。
telefunkenさんがワクワクされるのだから凄いんだろうなぁ…。

Масяさんのサギソウの撮影方法勉強になりました。
毎年、梅雨時に富貴蘭がベランダで咲くのですが、サギソウみたい
に純白で巧く撮れません。去年は諦めてデジカメでやたら撮ってみました。


ロレーラ、など お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1385
エーメチャクチャ面白くて、きゃーカワイイという系統のタイプですね。こういうの大好きです。メッサーよりこっちのほうがボケ味が効いてて趣味がよいです。
そうですか、くんぶつでサギ草にゆかりの寺が、知りませんでした。さすが花組のMasyaさま、よくご存知ですね。サギ草ってなんだか十字架のような感じもあるので、キリスト教圏のひとは喜ぶみたいです。ヨーロッパにはないのかな。135+テレプラス+クローズアップ。もうコテコテですね。
迷彩塗装で乗りたい、いい趣味だなあ、ぼくもやりたい。ただ迷彩服は佃島の例の先生のイメージが強すぎて最近ちょっとオフ。
チャイコフスキーの名前の一部やチャイカに関係あるんだろうか。たしかヤ・チャーイカという女性飛行士の交信で有名になりましたよね。
Me109、163、262などと、できるのう。いつもながら。
金井さま。たしかに合計2400ドルは安いっちゃ安い。でもそれで3台持てたはずなんですよ。3台!
むかし小栗虫太郎の小説で、2メートルぐらいの筒型のちょうちんがお不動様の玄関に下げてあったところ、その寺の生臭坊主が、ちょうちんの中へ入れられて殺された。頭が底へ来て、ローソク立ての針で脳天を突かれていたという話です。これって奇抜な設定で印象に残っています。小栗といえば例のぺダンチックな黒死館殺人事件で、独仏英ラテンギリシャありとあらゆる文献を博引傍証するスタイルはアタマがくらくらしますが、ドグラマグラなんかよりはうんと面白い。何しろ外国人の弦楽四重奏団をやとって屋敷に住まわせておく当主は、天正少年使節の一人千々石清左衛門とメディチ家のカペロ・ビアンカのあいだに生まれた子の末裔で、家紋がフィレンツエの市章十二オリーブ冠だってえから、なみの家柄じゃござんせん。


エクトラ お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1384
コレクターっておなじものを何台も欲しいのです。一時コンタレックスSEの黒ばかりを5台、白を一台持っていました。サギのエクトラは700ドルならはたとえオークションに出しても損をしないで売れるでしょ。と自分をだましているだけで、ほんとはたくさん持ちたいだけなんです。二口だまされたのは自分でも凄いと思います。サギも寄付金みたいに何口と数えるのかしら。そういえば手口というからヤッパ口なのか。サギ師は返金するとかいって二回ほどデタラメの送金番号をメールしてきました。そうかと思ったらやーいバカヤロと書いてきたりしてます。発信時間を調べるとバカヤロ系は夜中で酔っ払ってるらしい。送金系は朝で正気に戻って反省してるらしい。


花粉の季節です お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/11] No.1383
エクトラ:
 以前、ヤフーオークションで40万円くらいだったような記憶があります(いいかげん)。だまされたのが1400ドルで購入が1000ドルならば、決して高くはないですね。2口だまされるというのもすごい。2台有ってどうするのでしょう。

くしゃみと眼のかゆみ:
 同じく。抗ヒスタミン剤とマスクが手放せない。ねむい。

ピオネール:
 コムソモールはもうないのでしょうか。
 ピオネールはあっても、ウリヤノフ(レーニン)バッヂは使ってないかなー。

サギソウの育て方教室:
 ごめんなさい、知りません。本当は、サギソウってなんだか分らない。九品仏には何度か行った事があります。このお寺、揉め事があって、殺人事件に発展したことが有ったような。


ぜつみょぉ〜 お名前: Масяさん [2004/03/11] No.1382
サクラとサギ、なんという上手さ!
実は...金井さんはご存知かなぁ...私たちの市の植物園で日曜日にサギソウの育て方教室があるのですが...参加してきます。
何としてもモスクワで咲かせたいんです。

世田谷の浄真寺(だったかなぁ)というより九品仏ですね。サギソウにまつわる伝説がありサギソウ園もあります。そこに因んでいるのかな?
撮りに行きたいと思いましたがムチャクチャ暑い時期でしたので...昭和記念公園のサギソウ祭りでの撮影で済ましてしまいました。
でも昭和では撮影用に鉢を貸してくれるのでバック用に黒い紙などを持参すれば綺麗に撮ることができます。
モスクワで最もウケたのがサギソウの写真でした。Юпитер11A(135mm)にテレプラスを付けた上にクローズアップレンズを付けて撮りました。(なんちゅう大掛かりな...)

今度はカモメ:
そうです。チャイカ(чайка)はカモメです。かもめ第三小学校はカツオくんとワカメちゃんが通う学校です。(前にもやった気がするなぁ)

ロレーラ:
面白いでしょ? メッサーシュミットやハインケル、BMWイセッタといったドイツの三輪車が有名ですが、ロレーラが一番面白そうですよね。
日本では50ccのメッサー(レプリカとはいい難いですが)があり、英国ではメッサーのレプリカがあります。これをMe109、163、262といった戦闘機の迷彩塗装で乗ってみたかったです。
あっ今となってはロシア/ソヴィト派だからなぁ...日本製メッサーで飛燕?秋水?橘花?


面白い お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1381
この車、98CCですかー。原チャリの箱つきってとこですね。面白い。8台作ったなんて、オークションに出れば凄いでしょうね。


サクラとサギ お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1380
おお、サスペンションの固い車って、大好きなんです。ヨーロッパ車の伝統ですよね。そう聞いてなおさらほしくなりました。
アメリカ車の感じを出そうと設計したのかも。広さというアメリカ車、固さというヨーロッパ社のいいトコどり。チャイカってカモメでしたっけ。
MITAKA SEAなら井の頭もいいけど、神代植物公園も射程距離だと思います。その頃なら桜はソメイヨシノはだめでしょうけど、あそこにはしだれもあったかな。
ぼくはeBayを含めて海外通販は250回ぐらい買ってますけど、詐欺ははじめてです。ニャロメ。
ちなみにサギ草って世田谷区の区花だったはずです。


うわっうわっ! お名前: Масяさん [2004/03/11] No.1379
寺社、川に桜...日本的で良いですねぇ...う〜っそう聞いてしまうと撮りに行きたくなります。そちら方面へは例のMITAKA-SEAに行った際に井の頭公園の桜をと考えていました。
でも4月18日じゃもう遅いかなぁ。毎年靖国/千鳥が淵に行きますが、たまには他の地域へも行こう!こっちは平日に夜桜を撮りに行けばいいんだ!(毎年撮ってますしねぇ)
今年は枝垂をちょっと追っかけてみたいと思ってます。もちろんМосква2でです。っの前にケース作らなければならないかなぁ。

チャイカ:
シートもサスペンションも硬めでした。空港間の移動はちょっと特別だったので未舗装の道を通ったのですが飛び跳ねました。車内が広いのはいいですが。
この乗り心地に近かったのはアメリカのタクシーです。サイズ的にも米国のタクシーに近いと思います。大きなアメ車に慣れていれば運転できそうですね。あれば日本に持ってくることは可能でしょう。ウラジオあたりから新潟へ、だったら安いかな?
でも今や見ませんね。ニュースで見ていてももう使われていないようですし。日本に持ってきても排ガスの問題でナンバーを取得することは難しいでしょうね。ん?都内のミニカーショップでチャイカのミニカーを手に入れたけどデザインが角張っていたようだったなぁ。(モデルチェンジしたのかな?)
ロシアのミニカーって4ドア車のドア全部開くのがイイんですねぇ。

ロシアの車を誉めて頂いた(?)からというのではありませんが、私もドイツの車を...まぁドイツ車は有名なのですが、小さな車も多いんですよね。
私、そーゆー性格ですからこーゆーのが好きなんです。

http://homepage.sunrise.ch/mysunrise/oliver.meier/mopetta/de/rollera.html

日本に1台だけあるそうですが、やはりナンバーが取れないそうです。

詐欺...:
これはもうなんとも...気が小さい私は怖くて海外通販に手を出すことができません。
でも、ワレリーに、弟(サーシャ)の店でコレ買っといて、友人に渡しといてっとМир1-ВとМосква5を手に入れました。コレも通販の一つ? Мир1-Вはあまりに安かったのでプレゼントで、Москва5はデジカメのバッテリーと三脚代の代わりということで現金は動きませんでしたが。


ちゃいか お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1378
ってすばらしいと聞きましたが、乗車感はどんなものでしたか。日本に輸入可能なのでしょうか。冥土のみやげにいちど乗って見たい。いや、中古とか安ければ買いたい気もする。お金は、うーん、そのときはそのときで。
肝臓癌の話を友達にいろいろ聞いたら、さいきんはアルコールを注射して癌を殺す療法があるそうで、これなら2,3日で退院なんだそうです。だからもしがんならこれでやってくれと言っておきました。癌のヤツが、酔わせてどうする気?とか聞くだろうか。どっちにしろぼくのは5ミリほどの小さいヤツなので、悪性かどうか診断が非常に難しいらしい。
さくらは中判で撮りたい気もするので、Exakta 6x6も使ってみるか。これは露光計つきなのですが、前に露光計の調子がわるかったので、Pentaconで修理させたら、100ドルほどで済みました。いまは非常によく判断してるみたいで、いい色であがります。
明日よりは志賀の花園まれにだに誰かは訪はむ花のふるさと


びゃっくっしょn お名前: telefunkenさん [2004/03/11] No.1377
とぼくはくしゃみと眼のかゆみ。
距離計はちょっとやめます。なんだか疲れちゃった。
桜、いいですね。うちの横丁には寺院どおりというのがあって、一丁京都といわれてますが、関東大震災で下町のお寺がぜんぶ引っ越してきたんです。そこが桜、神田川沿いの遊歩道が桜、玉川上水がさくら、で、エクトラが来たら、ゼッタイ取ります。いま郵便局でしらべたら、3月10日に東京国際郵便局に着いたので、成城局内ならもうすぐ配達! mailでWienの友達に自慢したら、動けば偉大なカメラだ、と書いてきました。ムムム、不吉な。
実はこのEktra(アメリカから)を入手する前に、詐欺にあって、700ドルを二口、合計1400ドルだまされたのです。エクトラが新品元箱入りというのに引っかかったんです。なんでも在庫を持ってる会社が倒産したので、処分品格安、という触れ込みで、これなら二台買おうと、ロンドンとローマから買ったのですが、これが詐欺でした。バカメとメールが来ました。おまえの裸の写真を送ったら金かえしてやるよ、というので、こんなジジイの写真より、若いfemaleの写真おくるよ、といって、イヌかネコの子供のメスの写真を送ろうと思ってるのですが、肝臓の検査で小さい癌の可能性が残るとか言われて、病院のハシゴ中で、まだサギのほうまで手が回りません。ニャロメと思いながら、サギ師とメールやりとりしてる最中です。こんなぼくって変? というのが、Gacktのマネのネタでありましたね。


びぇ〜 お名前: Масяさん [2004/03/11] No.1376
Привет

昨日は普段使用している機器のOSを入れ替えていて何も書き込めず...と言っても距離計のお話では加わることができませんでした。

昨日、桜の開花予想が2日早まったそうですが会社の近くの桜はまだまだっという感じです。素人の目だからアテになりませんね。
駅に置いてあるハイキングのパンフレットを見ると、エっこんな近くにこんないい所がっと新たな発見があります。こりゃぁ今年も京都や高遠は行けないなぁ...その代わりに鎌倉には行こうと思います。
東北も早そうだから角館...弘前...有休とって撮りに行っちまうか!

一昨日、彼女から家で育てているチュリーップが咲いたと全部で5MB近くイメージを送ってきました。千葉の方にチューリップの名所があるようなのですが、咲くのが桜と重なる...チューリップを撮ったらその日は桜が撮れなくなる...
どっちを撮るべきか相談したら、モスクワでは屋外ではチューリップは5月に咲くからどちらでも嬉しいっと。ホントは近くに桜の名所があるんですが黙ってました。

っで彼女はバレーボールが大好きなんですが、日本ではVリーグというものがあって、女子リーグでパイオニアのチームが優勝した。添付した寒緋桜はパイオニアで撮ったんだけどパイオニアって会社知ってる?と聞いたら、"ピオネール"ならみんな知ってると返されました。共産党から離れてもこの組織はまだあると思いました。

来週の卒業式の撮影でМоскваでの集合写真撮影案はボツになりました。ちえぇ...

外貨獲得:
旧ソ連時代、外国人向けタクシーってあったかどうかは分かりませんが、外貨を獲得するための外貨専門ショップ、ベリョースカ(白樺)がありましたね。ドルで買い物したらマルクでお釣りが返ってきたりしました。
闇ではとんでもないレートでドルとルーブルが交換されていました。でもルーブルの海外持出しは禁止なので使い切るのが大変だったんじゃないかなぁ。ツァーで一緒だった人が大量のルーブル札を見せてくれました。1ルーブルが330円の時代でした。
タクシーではありませんが、シェレメチヴォ第一(国内線)から第二(国際線)に移動する時、政府要人用のチャイカに乗ったことがありました。
ん?当時外国人観光客は運転手とガイドをつけなくてはなりませんでした。でも運転手は外国人向けに英語が話せるとかありませんでした。車もボルガでした。レニングラードでのガイドさんは日本語ペラペラでした。

Пока


タクシー代 お名前: telefunkenさん [2004/03/10] No.1375
いままで払った最高のタクシー代は旧東独のワイマールから旧西独のフランクフルトまでで、日本円換算で8万円ぐらいでした。1988年ですが、わりと安い感じだったと思います。ちなみに車種はVolvoでした。当時の東独には外貨払いで外人専用のそういうタクシーがあったのです。


頭がポー お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/10] No.1374
今日は風邪薬を飲んだら、頭がポーっとしている。

近接撮影用RF:
 KievにもFED,ZORKIにも、近接撮影用ファインダーは有りません(たぶん)。戦前FEDにはマクロレンズが有るのに、ファインダー無しです。なんで、近接撮影用ファインダーを作らなかったのか不思議です。というわけで、戦前FEDのマクロレンズ、まだ使えていません。

>まともに考えれば…
 あれれ。No.1372の書き方では、hirob_pさんを批判しているように誤解されかねない表現でした。ごめんなさい。
 「日本では(特にM3以降は)営業宣伝上の問題が大きい」ということが、「まともな思考」からずれていると思って、このような表現をしました。

豊田から名古屋まで、タクシーを使う距離を超えている:
 やっぱりそうですよね。私には選択権がなかったので、しかたなく名古屋までタクシーとなりました。もし、自分で選択するなら、最寄駅まで歩く(30分以内ならば)=>名鉄三河線で知立=>名鉄特急で名古屋。あるいは、名鉄豊田線・地下鉄で鶴舞=>JRで名古屋。
 高速料金は3回払っているように感じました。(2回だったかなー。)タクシー料金は1万円を超えていました。


今日は、もう帰って寝ます。


いろいろ お名前: hirob_pさん [2004/03/10] No.1373
>近接撮影では「基線長が短いほうが有利」
現実的なカメラの構造上の条件が既に入っているということですね。実際レチナ用にもコンタックス用にも近接撮影用の基線長の短い単体RFが発売されていますし、感覚的には分かるのですが。この近接撮影セットは、ソ連ではKIEV用に発売されていませんね。前にお話に上った側方から覗き込むヘンテコなファインダーよりずっと実用的に思えますが…。

>基線長4.5cmのRFを作ったら測距範囲は最大400m
単純計算では凄い距離になりますね…。

>まともに考えれば…
確かに仰せの通りです。私の質問が漠然としていて不適切だったかもしれません。すみません。FED1と2との比較は理解出来ました。有り難うございました。

>FOTOKOR(9×12)で写真を撮りたい
4x5フィルムから9x12を作る。装着できる120用6x9フィルムバックを探す。適当に6x9フィルムバックを購入して加工して装着可能にする。…この位しか思い浮かびません。

>豊田から名古屋までタクシーで結構時間かかった
私にはタクシーを使う距離を超えているとと思いますが…。知立までタクシーで行き、知立から名鉄特急で名古屋駅まで行くと最速だと思います。他に三河安城までタクシーで行きこだまに乗る方法もあります。

>名古屋の高速代は高いと思う
名古屋高速自体は一律650円ですが、多分、第2東名高速を一部使ったから高いのだと思います。


レンジファインダーなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/10] No.1372
レンジファインダー:
(レンジファインダーがあまり好きでないものの意見です。コンタックス派の人だと考えが違うと思います。ライカM3派の人だとさらに違う意見だと思います。)
hirob_p さんの疑問は、全く正当です。『近接撮影では「基線長が短いほうが有利」』とは極限では言えません。パララックスの影響は、基線長が短いほうが少ないので、その観点だけでみたら、基線長が短いほうが有利と言えるだけです。
 ただし、現実には、基線長はファインダー窓よりも大きいので、基線長が極限に短いレンジファインダーは存在しないと思います。その範囲で、近接撮影では「基線長が短いほうが有利」だと思っています。

 基線長が5cmと7cmのレンジファインダーで30mを測距する場合、もし、両方のレンジファインダーの加工精度や光学系が同一ならば、遠方の側距では5:7の精度違いが有ります。しかし、レンジファインダーの加工精度や光学系が違ったら、単純な比較は出来ません。

>ちなみに基線長4メーター半の九三式の測距範囲は1千から4万メーターとなっています
 もし同じように、基線長4.5cmのレンジファインダーを作ったら、測距範囲は最大400mになるので、カメラ用としては、これで充分な精度と言う事になると思います。でも、軍用測距儀とカメラ用は違うから、そうはならないのでしょうね。
 基線長15メーターの戦艦大和の距離計は、どこまで測距できて、敵艦を攻撃できたか。単に、ミラーの回転角だけを考えた机上の空論では敗戦確実です。

 実際の基線長はどのようにして決められるか。まともに考えれば、交換レンズ構成をどうするかとか、そういうことが関係するのでしょうけれど、実際には、日本では(特にM3以降は)営業宣伝上の問題が大きいようです。
 なお、FED1と2を比較すると、二眼式と一眼式の違いが有り、それに伴って距離計倍率に違いが有るので、基線長が長くなったのだと思います。

エルネマンの4×5:
 こういったカメラのフィルムは、入手できるものなのでしょうか。
 ちょっと関係ないのですが、FOTOKOR(9×12)で写真を撮りたいのだけれど、フィルム(?)が入手できない。

 昨夜は、名古屋9時ごろの新幹線に乗り遅れたので、自由席で帰りました。(豊田から名古屋までタクシーで結構時間かかった。名古屋の高速代は高いと思う。)


これが例の壁…? お名前: hirob_pさん [2004/03/09] No.1371
実は自分でごっちゃなんです(先日は、測距と調整とをごっちゃにしていましたが他にも色々ごちゃごちゃです)。だから読んでいる人にも分からなくて当たり前なんです…ごめんなさい。

例えば、戦艦大和のRFで1m(RFカメラの最短)にある物を測距しようとしても、被測距物が見えず不可能と思います。一方、1mの所にある物を基線長が1mmしか無いRFで測距しようとすると、70m先にある物をContaxIIのRFで測距するのと同じ事になってしまいます。だから、『望遠では「基線長が長いほうが有利」』は感覚的に分かるのですが、『近接撮影では「基線長が短いほうが有利」』とは極限では言えないのでは?と思えてしまいます(ごめんなさい、数学が大苦手で先日の金井さんのご説明が理解できません)。

現実的には、カメラではカメラボディの幅が実用範囲に収められ(ガリバーコンタックスは別にして…極端に大きい小さいは無い)、また、レンズの性能上、測距を要する範囲が1〜30m?程度だと思えます。ですが、30m先にある物の測距において、基線長が5cmであろうが7cmであろうがあまり変わらないと思います(一番簡単な直角三角形なので計算すれば回転角がでると思いますが…いずれも非常に小さくなると思う)。一方、1m先にある物の測距では、5cmと7cmの差は効いて来るように思えます。この「効いてくる」か否かは、先に仰せの人間の目の能力値を超えているか否かだと思います。こう考えると、目の分解能が有効な範囲を例えば5分以上などと例えれば、7cmの基線長において、測距に耐える距離範囲がでそうに思えます。

でも、人間の目の標準的な分解能が1分であっても(とは知りませんでした)、例えば、それを超える5分の回転角でピントを合わせようとした場合、ミラー回転角自体は小さくても、ミラーの回転角度を操作する距離は大きくすることができます(2辺に挟まれた角度では中心に向かう程、弧の長さは短くなるから、中心から遠ざかる工夫をすれば良いように思う)。そうすると、ピント精度は向上するように思えます。

また、よく言われるファインダー倍率を上げれば、確かに、見かけの分解能は向上するように思えます。

等々…どこからがカメラの現実的な話で、どこまでが数学的な理想のお話なのかがよく分かりません。やはり、数学上は『望遠では「基線長が長いほうが有利」、近接撮影では「基線長が短いほうが有利」』となるのでしょうか? 自分の頭の中はごちゃごちゃです。すみません。(「バカの壁」って本に何が書かれているのか知らないのですが、こんな人の事でしょうか?)

それと…一番最初の質問は、FED、Zorki、Contaxなどで基線長が長くなったり、短くなったとするのは何故か?というものでした。この点は何を基準にカメラ設計をしているのでしょうか? ContaxI→II→IIaと基線長は段々短くなっていっています。FEDでは1→2→3と、基線長は短→長→短となっています。これの理由が本当は一番知りたかったことなのです。


基線長 お名前: telefunkenさん [2004/03/09] No.1370
あっ別にとがめているのではありません。hirob_pさま。気にしないでください。ただどこがわからないポイント(!)なのか気になって、いい説明ができればなーと思っただけなんです。距離計にはちょっとウルサイもので。


お名前: hirob_pさん [2004/03/09] No.1369
基線長のお話はぁぁぁぁ…telefunkenさん、すみません。


基線長 お名前: telefunkenさん [2004/03/09] No.1368
高千穂光学は神様用というのは、昼飯くってて吹いてしまいました。今年度最高賞の候補です。
基線長の問題、やりとりを読んでいたら、hirob_pさまが何がわからないのか、わからなくなってきました。1340の金井さまのご説明どおり、回転角の大きさを検出するわけですから、おなじ被写体に対しては基線がながいほうが回転角が大きくなります。小さな回転角だと、検出誤差や検出量の伝達誤差に埋もれる可能性が大きいですが、大きいと誤差水面から上に顔を出すぶんが大きくなって、精度があがるということです。なお鏡を使えば鏡のクビ振り角度が回転角ですが、光路の偏角用に向き合って回転する光楔などをつかえば、単位偏角にたいしてうんと大きい回転角が必要になり、なおさら精度があがります。Zeiss ikonで作ったDrehkeilドレーカイルというのがそれです。これの長所は偏角エレメントを空間的に分離することができることで、Super ikontaやモスクワ2,4,5などがこれを使っています。
なお距離計の多くの方式では二重像が合致するのをみるわけですから、観測者の肉眼の性能(分解能:標準は1分)が非常に大事です。
なお無限遠あわせに何を使うかは、基線長によって決まります。難しく言えばいろいろ測定法があるのですが、カメラやフィルムの持っている誤差を考えると、あまりやかましいことを言っても無意味なので、日常的にはライカM3ならちょっと遠いビルのアンテナ(分解能を安全率を見て2分の1の2分とし、有効基線長を70ミリとすると121メーターが測距限度)、コンタックス1型ならもっと遠いビル(100ミリで172メーターが測距限度)のアンテナで十分でしょう。でも軍事用測距儀や測遠機の測距限度何万メートルクラスのものだとそうは行きません。



そう言えば... お名前: Масяさん [2004/03/09] No.1367
Привет

私の両親の赤ちゃんの頃の写真が残っています。祖父の形見のエルネマンの4×5が残っていますがこれで撮られたのかなぁ...
何をしていたか知りませんが戦前は結構羽振りが良かったようです。残っている写真では母の方が多いですが何で撮られたか聞いたことがありません。
昨年、祖母の家を片付けていたらキャノネットQL17が出てきました。ケースにはダイモ(今や懐かしいなぁ)でF...NAKAMURAってフォトグラファーの某先生のじゃないの!

私の父親はトプコンRを使っていました。これも私が管理しています。レンズの絞り羽の修理をお願いしようかなぁ...

っで軍:
日本光学が海軍で東京光学が陸軍。地名がつく光学会社は軍に関係する?ならば千代田光学は近衛連隊?高千穂光学は...神様用?

新聞:
前にチョコっとお話しましたが、「紙面がモノクロで残念...」っというようなことが書かれています。それ程のモンじゃないのにぃ...
しかし、ご指摘の通り日本的なものばかりで外国人ウケするあざとい写真ばかりだったのかもしれません。京成バラ園の写真はおばちゃんが気に入ったようだったから持ってっちゃったかな?

戦艦ポチョムキン:
見たことはありませんが、オデッサの階段のシーンは紹介などで良くみました。私もあのシーンが怖いです。だから見たくないんです。

Пока


測距儀など お名前: telefunkenさん [2004/03/08] No.1366
軍用測距儀を作っていたのは、グラスゴーのさっき言ったバー・アンド・ストラウドやドイツのツァイスとゲルツ、日本の日本光学のほか、アメリカのボシュ・ロム、イタリアのサン・ジョルジョ、ガリレオなどの会社があります。このうちぼくが行ったことのあるのはツァイスとサン・ジョルジョだけです。
面白いのは海軍の測距儀が陸軍では測遠機だったことで、海軍のが英語のrange finderの訳、陸軍のがドイツ語のEntfernungsmesserの訳でしょう。また陸軍の測地製図用機器もZeissのMultiplexやStereoplanigraphの模造品です。模造をやり始めたのは前者が昭和11年、後者が大正15年です。これも日本光学で模造しました。
なおさっき1365で、『改良』と書きましたが、当時の資料を見るととても改良とはいえません。模造です。陸軍が日本光学に模造させたゲルツの測遠機は、ゲルツ社と特許係争を起こしていますが、日本では公知だという理由で押し切っています。こういう特許係争での日本側の典型的なやりくちを評して、ある外国の人は特殊な事例を拡大して公知だといいはる強引な論法だといっていますが、この陸軍の場合も、昭和3、4年の時点で、『一種の俯角計算尺を円形に直し、望遠鏡にて目標の喫水線を照準することにより、log tan eが計算尺に自然に想定され、距離が直ちに看読出来る』『実に巧妙に出来ておる』ような設計に、公知性があるとはとて思えません。きわめて優秀な技術者のアタマの中には、あるいは存在したかもしれませんが、それは公知とは別のことです。
ぼくがニコンを嫌いな理由のなかには、もしかするとこういう歴史的な模造のことが、あるいは影響しているかな。


ヤマトの距離計 お名前: telefunkenさん [2004/03/08] No.1365
戦艦大和の距離計は基線長15メーターで世界一の長さでした。日本光学製です。戦前でもたしか昭和10年製作の海軍の九三式などは4メーター半ありましたから、基礎的な技術はかなりあったのです。バー・アンド・ストラウド、ゲルツ、ツァイスなどの原型をもとにして改良を重ねてきた日本の測距儀も、この頃になるとひとり立ちできるようになって、昭和11年から12年にはタイから練習艦2隻(浦賀ドックで建造)、軽巡洋艦2隻(川崎重工で建造)
、潜水艦4隻(三菱重工神戸で建造)の注文を受けていますが、これらの測距儀を海軍の指導で日本光学で作っています。三メーターものがメインだったはずです。五角プリズム48ミリx48ミリなどのスペックが残っています。いずれにせよZeiss製の改良品ですが、立体式測距儀の場合にはも『設計要領も亦た英式(Barr)より独式(Zeiss)へと変化した』と言っているとおり、Zeiss製の濃厚な影響を受けていました。設計要領っていい言葉ですね。ちなみに基線長4メーター半の九三式の測距範囲は1千から4万メーターとなっています。


ピザパンとカレーパンを食って… お名前: hirob_pさん [2004/03/08] No.1364
>無限大を見るときには回転角が正しく0になって
>いることを前提としています。

ごめんなさい。頭がこんがらがっていますね。無限遠は0で良いのですね…だめだこりゃ。多分、何も分かっていません…またゆっくりと考えさせて下さい。

>戦艦ポチョムキン
は耳にしたことはありますが…??

それと、何回か続く、昔のお話を伺っていてふと思い出したことがあります。また、まとまったら書こうと思います。でも、ソ連とは何も関係がありません…。

pdf:
>でも本文には...
そんなこと仰っても、読めませんよー(内容的には金井さんと同一です)。

>日本舞踊
、桜、5重塔などの日本的でKMZの人には本当にインパクトのある写真だったのではないかなぁと思いました。


RFなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/08] No.1363
RF:
>例えば、RF無限遠調整を夜月を使ってやった場合を考えると・・・
 ちょっと説明不足でした。No.1340の図では、レンジファインダーは無限大を見るときには、回転角が正しく0になっていることを前提としています。
 レンジファインダーで距離合わせの精度だけを考えるならば、基線長が長いほうが精度は上がります。

 No.1340で、箱の正面と側面を持ち出しましたが、これに対しては、反論があると思います。「点光源をファインダー中央で合わせる場合は問題ない。」
 点光源は2色塗り出来ないです。というわけで、パララックスの問題などは、熟練で解決できるかも知れません。(だから、レンジファインダーは嫌いです。)

高速走行のベビーカー:
 戦艦ポチョムキンのオデッサの階段のシーンを思い出してしまった。怖い。

ドラマでしか知らない大金持ち:
 私の育った田舎で、戦前にライカを持っていたのは、町いちばんの資産家だけでした。カメラを持っている人なんてメッタにいないので、多くの人は写真屋で特別な日に写真を撮っていました。私の父は、貧乏だったので、写真などない。唯一、郵便局員だった頃の身分証明書に張ってあった(らしい)写真があります。みんながカメラを持てるようになったのは昭和30年代以降です。
 私の母は、ある程度金持ちだったので、子供のときの写真があります。家に、女中が何人もいたと言っています。でも、しかし、にもかかわらず、カメラはなかった。まして、ライカはなかった。(米は有ったけれど、現金収入は少なかったのです。)
 telefunkenさんは、小学校高学年で、ライカ、その後コンタックス。うーん、恐ろしい金持ちダ。田舎には存在し得ない大金持ち。貧富の格差って、個人個人の他に、都市と農村、あるいは地域と地域に、強烈にあったんですね。今のロシアもきっとそうなのだろーなー。

pdf:
>でも本文には...
 そんなこと言ったって、読めないよー。


また忘れてました! お名前: Масяさん [2004/03/08] No.1362
いえいえ、そんなきれいだなんて...
私としてはちょっとボケているんじゃないかなぁと思っていました。モノクロで救われた気もします。でも本文には...
ワレリーなんかボケていても重たい画像を平気で送ってきます。
ロシアレンズってくっきり写るからボケている方が有難いのかな?(んな訳ないだろうなぁ)


戦前 お名前: telefunkenさん [2004/03/08] No.1361
は日本は貧乏だった、というイメージがあるようですが、すくなくとも中流ではいまより生活の質はうえだったと思います、だいたい女中さんがいて、家事はほとんどやってくれましたし、ちょっと大きい家になると、女中さんも上女中という奥向きの仕事をする人が数人、下女中という台所仕事や庭掃除をする人が数人いました。そのころの庭のおきまりは池があって紅葉と築山というこしらえでしたから、掃除も一仕事だったのです。大きい家では書生という若い男の使用人が何人もいて、学費を出してもらいながら家の雑用をしていました。女中さんは年頃になるとちゃんと荷物を作ってあげて、しかるべき家に嫁に行かせてあげたのです。書生も学校を出ると就職の世話をしてもらっていました。これぐらいの家になると料理人や運転手がいて、かなりの大所帯でした。主人が出かけるときは、玄関の式台まで奥さんが送りに出ると、手の空いてる使用人は整列して見送るのです。女中(お手伝いという言い方は偽善的でオカシイ)さんといっても、貧しい家の娘とはかぎらず、ちょっとした商人などでも、行儀みならいということで娘を奉公に出していました。当時は子沢山でしたから、よそへ奉公に出すと養育費がかからずに一人前になって行儀作法もみについて、おまけに結婚の相手やら嫁入り荷物まで面倒見てくれるのですから、親としては助かった面もあるのです。
貧しい家では女工や女店員などにも出していたようですが、収入はよくてもきつくて、女中のほうがはるかにラクで世間体もよかったと思います。当時はバスの車掌とか電話交換手とかタイピストとかの職業婦人もいましたが、ちょっと特殊な感じでした。ひところの初等教育では、戦前は悪いことばっかりだった、みたいなことを教えていた感じですが、そのころの人がいま中年になって、戦前についてちょっと事実と違った見方を持っていても、それはやむを得ないと思います。


新聞で お名前: Масяさん [2004/03/08] No.1360
写真で右手からぶら下がっていているのはご指摘の通りオリンパスのデジカメです。
一応両手で持っているのがЗоркий-С+Индустар22(КМЗ製)です。お手製の速写ケースに入れてHANSAのクラシックメータをストロボアダプタを介して取り付けてあります。
このСって1957年製だったと思うから46年ぶりの里帰り?

お寺は松戸の本土寺で紫陽花の頃に撮りました。私ここだったら紅葉の写真の方が良かったんだけどなぁ...
日本舞踊はЗоркий-3СにЮпитер9を手持ちで撮ったものです。確か1/4か1/8秒くらいで、ここでちょっと話題になったものです。
息子が花火の写真の下の雪の結晶のイラストを見て、「どこで撮ったの?」ってコノー!

新聞はワレリーのオフィスと自宅に1部づつ、彼女のオフィスに1部配ったそうです。ウェブサイトに載ったことはオレグとワレリーの弟のサーシャに伝えました。
「お前んトコで買ったМирで撮った写真が2枚載ったぞ」ということで。

あっ思い出しました!
以前、木村伊兵衛さんがレンガをカメラに見立ててトレーニングと書きましたが、土門拳さんの間違いでした。
「復活 レンジファインダー」という本に書かれていたのですが、ニコンS2に見立てていたのかな。


N-Ikon お名前: telefunkenさん [2004/03/08] No.1359
ニコン嫌いは、もしかするとZeiss Ikon好きの血があるからかも。いや、まじめに考えると、なぜキライか判りません。ちょっとよく考えてみます。
ニコンではSPなどよりは前に一眼レフ(たぶんF)を完成寸前まで持って言ってたところ、アメリカの代理店のエーレンライヒがどうしてもライカM3に対向するカメラを作れというので、そっちを優先させたのだそうです。もと社長の二人が対談してる記事があって、それで読んだ記憶があります。うろ覚えですから違ってるかも。ペンタプリズムはご承知のようにむかしから測距儀などで使っていましたが、量産はできなかったのでしょうね。だからもしFを先に出していたらどうする気だったんだろ。
ぼくはボール紙製のつぎのつぎに小学校高学年で使ったカメラがライカIIIaで、指があまるようになってContaxIIIを使いました。両方とも戦災で焼けましたが。別にたいした家じゃありませんが、いちおうの暮らし向きではあったようです。中学の友達にもコンタックスを親が持っている子がいました。
戦前は日本橋の旦那衆のあいだにライカとかオートバイとかがはやって、芸者をサイドカーに乗せて箱根にあそびにいってライカで写真を撮る、なんてことをやってたみたいです。マミヤの間宮精一なんかが中心でライカクラブとかできたのもそのころでしょう。また空想小説(いまのSF)作家のあいだでは飛行機熱が盛んで、北村小松を中心に飛行クラブができて調布の飛行場あたりから飛んでたみたいです。昭和12年ごろの新青年の読者のQ&Aで大西洋航路のファーストクラスの食堂では燕尾がいいか略式のタキシードでいいか、なんていう質問が出てました。平和でぜいたくな時代ですね。


はれ お名前: hirob_pさん [2004/03/08] No.1358
>光路を確保することがニコンはできなかった

設計の問題ということでしょうか。KIEVの軍艦を開けると大きなファインダーブロックが入っていますね。

基線長のお話、よく分かったような、分からなくなったような…。箱の正面と側面とで説明頂いたのがとても分かり易かったです。最後の辺りは難解…。

ただ考えていて、例えば、RF無限遠調整を夜月を使ってやった場合を考えると、金井さんの図では、実質的に赤ライン光線と青ライン光線とは平行光線になってしまいます。この場合も、近接とは逆に回転角が極小になるのでしょうか?

→とすると、RFの無限遠合わせってある程度、というのか、中距離と表現すれば良いのか、距離合わせに適した距離というのがあるのでしょうか? つまり、回転角を大きく取れる範囲の距離で距離合わせをしないと精度に問題がでるの??

そう考えると(まだ上記の事が正しいのか分かりませんが)結局のところ、測距は人間の目の能力に依存する部分も大きく、RFでの基線長の長短は、測距し易い距離が、どちらか(長距離側か短距離側か)にシフトしているだけであって、長くても短くてもどっちでも良いということになりますね…。

ファインダーの見え易さ、人間の目の能力、レンズの絞り値等々色々な条件が絡むと…訳分からなくなります。

>Exacta(Exakta?)
については、先日丁度telefunkenさんの辛口記事を拝読したことろでした。昨日、やっとクラ専を見つけましたが…値段をみて取り敢えず撤退…。これまでもあんなに高価な雑誌でしたっけ??

>自転車:
凄い格好の自転車ですね!先日、ベビーカーを選んでいる時にも、こんなイメージの高速走行できそうな外国製のベビーカー(前1輪&後2輪)がありました。赤ちゃんを乗っけて走る必要性は特に考えられなかったのでやめましたが…。

>pdf:
手にお持ちのカメラがオリンパス製のように見えるのは気のせいでしょうか…。どれも綺麗な写真ですね!!!


N-Ikonなど お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/08] No.1357
国際婦人デー:
 そうか、もうそんな季節なんですね。

telefunkenさんは、なんでNIKONが嫌いなのでしょう。
 NIKONは世界に誇れる、日本を代表する工業製品です。(ということになっている。)一説に、IKONを否定している名称だ、とも言います。

 NIKON-Sが現れた1940年代後半の一眼レフは、ウエストレベルです。唯一の例外が、コンタックスS。一眼レフでアイレベルファインダーを作るためには、ペンタプリズムの量産技術が欠かせないので、技術の壁が有ったのだと思います。ニコンがウエストレベルファインダーの一眼レフを選択しないで、アイレベルのレンジファインダーを選択したのは賢明な経営判断だったと思います。
 ニコンが一眼レフに参入するのは、他の日本のカメラメーカーがペンタプリズム内蔵一眼レフに参入したのと同時期最後の、1950年代終わりです。この頃になると、日本のメーカーでも、ペンタプリズムの量産技術を持っていたのでしょう。

 ソ連でZenitが現れるのは1953年ごろです。ライカM3が現れるのも同じ頃です。ライカM3は実像式ファインダーなので、ファインダー内にペンタプリズムのような複雑なプリズムが必要です。
 ペンタプリズムの量産の観点に立つと、ツアイスは1940年代終り、KMZとライカは遅れること4,5年、日本のメーカーは、更に遅れること4,5年、という感じになると思います。ちょっと違うかな。

ニコン-Sの基線長:
 頭悪い感じかどうかは別として。コンタックス・キエフではピント調整のときに、ファインダーを手で覆ってしまうことって有りませんか。頭悪いからそんな間抜けなことするのだ、って言われると、その通りです。ニコン-Sの基線長がコンタックスより短いのは、ピント調整をファインダーの外側に持ってきたからでしょう。やっぱり、頭悪い感じか。
 ところで、世界でいちばん基線長の長い距離計は何でしょう。日本の戦艦の距離計で、ニコン製ではなかったかと想像していますが、違いますかね。(いいかげんに書いている。)

ライカ・コンタックス
 知合いに「俺の親父は戦前にライカを持っていたんだぞー」って言う人がいます。戦前にライカを持っているって、金持ちの証拠です。でも、コンタックス持ってた知合いはいない。戦前にコンタックス持っていた日本人て、いったいどんな人だったのでしょう。
 ところで、キヤノンでも戦前にライカ型カメラを作っていましたが、ごく少数だったようで、ほとんど見かけることが有りません。戦前、日本で、35mmレンジファインダーを持っていた人って、ごく限られた人だったでしょう。
 それに対して、ソ連ではFEDがかなりの数作られています。今でも、入手は容易です。いったいこの違いは何なのだろう。

Exacta:
 最近入手したExactaは、シリアルナンバー64****です。Made in Germanyとスタンプはないけれど、キネ・エクサクタの第5バージョンに間違い有りません。ソ連への賠償なのだろうか。
 「EXACTA−えはすた」は面白い。


すみません! お名前: Масяさん [2004/03/08] No.1356
ロシアカメラ持って出かけたとはいえ、デジカメで撮った関係のない画像を投稿してしまいました。


いろいろ お名前: Масяさん [2004/03/08] No.1355
Привет

今日は「国際婦人デー」でロシアは休日です。昨日の内に撮りためたイメージにメッセージを添えて10数人に送りました。

自転車:
プジョーをと考えていて最新モデルが28インチでよさそうだなぁと思ったけれどフレームが低すぎて疲れそう...ということで初めて見てから気になっていたのにしました。
お分かりと思いますが、私ってこーゆー性格なのでどーもフツーなのがイヤなんでこーゆーのを買いました。
すごく楽です。父親も楽で面白い、息子は叫びたくなるほど面白い(♪盗んだバイクでぇ〜なんて歌いながら走ってました)っと。
土曜日はКиев4を持って荒川土手を走ってみました。多少寒緋桜を見ることができましたがソメイのつぼみはまだまだという感じでした。何キロ走ったか分かりません。

ロシアと外国:
フランスとロシアって仲がいいような気がします。フランス人って結構ロシアに観光にくるようです。っが、市民がフランス好きという感じはしませんね。いまやアメリカに対する憬れのほうが強いんじゃないかなぁ...
友人達は私の影響か日本に関心があるようですが。私達が思っている以上に旧ソ連は欧州と上手く付き合っていた気がします。
ロシア語ではカ行はすべてKになってしまいます。外来語をロシア語表記する時って我々がカタカナを使うように読み方をキリル文字で表記します。ローマ字的に表記されるせいかより一層親しみがわきました。
ん?EXACTA−えはすた? EXAKTA−えはくた?ロシアのカメラ雑誌持っていますがどう書いてあったかなぁ...

ニコン×キャノン:
リトルとは言え最初に手にした一眼がニコンEMだったので今でもニコン派でもあります。そう言えば私の持っているキャノン製品で動くのって110EDしかない...

会議は踊る:
母親がよく言ってました。私は見ていないので映画の内容は分かりませんが、主題歌が「あなたが選ぶ映画音楽」のような番組で毎回上位にランクされたと思いました。
たしかドイツ語の歌でしたよね。♪〜uns beide...だったかなぁ...

昨日は"ロード オブ ザ リング 王の帰還"を上野で見た後、来週の卒業式用にコダックMaxビューティ800を買いにYカメラの上野店へ。すぐそばの上野公園の入り口両脇の寒桜が8分咲という感じでした。デジカメで撮りましたが、もうカメラが手放せない時期になったか?
クラ専はなく、カメスタはあったのですがフィルム用に領収書が必要だったので昨日は諦めました。
(先週のスマスマのお陰でフロドが"ダメ人間"に見えてしまって...)

催促したせいかどうか分かりませんが...

http://www.zenit.istra.ru/newspaper/patriot-2003-12-29.pdf

掲載されました...

Пока
画 像 : img20040308102213.jpg-(89 KB)


Exacta お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1354
Exakta Cameras 1933-1978という本によると、Exactaはキネ・エクサクタの第5バージョンで、KがCに変わっものだが、シリアルナンバーは613000から650000まで。また戦前のキネ・エクサクタと比べてストラップ金具が固定式になった。スローダイヤルの溝がなくなり、スロー、セルフとも10分の1のかわりに5分の1になった。背面のイハゲーのロゴが消え、ミラーボックスが若干変更で、毛屑仕上げだったのが波板にかわって迷光を減少させた。三脚穴のブッシュがフラットだったのが半ミリ突出になり強度が増加した。個体によってMade in Germanyとスタンプしたものあり。としています。


エクトラ お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1353
怪カメラ・コダックエクトラ。ついに買いました。この裏には公開をはばかるひどい話があるのですがーーー(泣く)
ともかく、さあ買ったぞ、といううれしさ。アメリカから着くのが待ち遠しい。
有効基線長230ミリのレンジファインダー。おまけに254ミリまで対応のズームファインダーつきですから、うーむ(とひとりで興奮している)
これがRF好きのぼくの終着駅カメラかも。
これで明日のMRI検査も怖くない。矢でも鉄砲でももってきやがれ。
今日は恵比寿ガーデンで会食の後、三越で赤福もち、かるかん饅頭、縫月堂のつやぶくさ、そのほか多数買い込んで、グリコヘモグロビン値ガドヒョウウギワのくせに、何を考えとるんじゃ。
でもエクトラがあるから、それも大丈夫。
千ドルちょっとで安かったのですが、その前のひどい経験で、すごく高いものになりました。でもセットで8千ユーロとかで出てるのに比べればムリできる範囲内でした。あー。


ロシヤびいき お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1352
の方なら必見の名画が、『会議は踊る』です。
全ヨーロッパの君主をあつめたヴィーン会議で、接待攻めにして自国に有利にことを運ぼうとしたメッテルニヒの裏をかいて、ロシヤ皇帝アレクサンドル一世が活躍する話で、ロシヤ以外で作られて、これだけロシヤを持ち上げた映画はほかにありません。まえから書こうと思って忘れていました。ストーリーの主題はウィーンの手袋屋の娘と皇帝との恋愛ですが、主題歌の『ただ一度』は一世を風靡した名曲です。お奨めの一本。原題:Der Kongress tanzt. 邦題:会議は踊る。製作:ウーファ、1934年。エリック・シャレル監督。ネットで探せば入手できると思います。


日露戦争 お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1351
こないだのイラクでの戦闘のときに、日露戦争のときはどうでしたか、とある編集者にいわれて、ギャグのはずだったのだけれど、若い女性なので、一瞬マジかと思って、ええ、乃木将軍が二〇三高地の戦闘で、ずいぶん苦労されたのだけれど、ドイツなんかでもゲネラル・ノギは有名で、ロシヤ軍の総司令官ステッセル将軍との水師営での会見は、歌になりましたよ、と言って、『旅順開城約なりて、敵の将軍ステッセル』から、『われは讃えつ彼が防備、彼は讃えつわが武勇』のあたりまでを歌って聞かせたら、本気で聞いてました。そのあと古典的な戦争のフェアプレー精神とかを講釈して、すっかりご機嫌で帰宅。なんだか内田百關謳カになったような気分でした。降る雪や明治は遠くなりにけり。


ロメル将軍 お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1350
がライカをもらったときの礼状で、便箋の写真を見直したら、アフリカ機甲師団
最高司令官という印刷入りの便箋でした。前線司令部にて、1943年2月6日と発信場所と日付があり、最後に『武運ヲオ祈リイタダキ重畳ニ存知候。目下我軍ニ最モ重要ナルハコレニテ候。ハイル・ヒトラー』とあって、署名の下にはゲネラルフェルトマルシャルと元帥の職名がはいっていて、超カッコいいー。こういう軍隊とか警察とかがらみの官僚的なものに弱いぼくはヘンタイでしょうか。


Exacta お名前: telefunkenさん [2004/03/07] No.1349
わはは。金井さまにはソビエトの背後霊がついているのでしょうね。ぜったい逃げられないのです。
テッサーとトリオターはその時期には製造をまだやってないかも知れないので、戦前の在庫かも知れません。何にしろIhageeがZeissから買ったのうでしょうが、代金はボディの製造コストとおなじようにザクセン州政府が払った可能性はあります。でもそこまでは調べるのは難しいです。

CanonよりKwanonがよかったというご意見には大賛成。Kwannonのほうがもっとよかったかも。
ちなみに戦前は(今でもか)関西学院はKwanseiと綴ってました。


Exactaお名前: 管理人(金井)さん [2004/03/07] No.1348
久しぶりにソ連と関係ないカメラを入手したと思ったのだけれど、関係大有りのカメラでしたか。
付属レンズは、CZJのテッサー(5cm)とToriotar(13.5cm)です。Toriotarは3群3枚ですので、ゾナーに比べて安価レンズです。これも、賠償だったのだろうか。

CとK:
 CanonよりもKwanonのほうが良かったのに。


Exacta お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1347
もしExactaがソビエトへの賠償用なら、考えて見ると判る気が。革命前はフランス語が上流階級では日常的(これはロシヤだけでは無い)でしたし、フランスふうのつづりに対するあこがれが戦後すぐのロシヤの一般人にあってもおかしくないですよね。いまはどうでしょうか、Masyaさま。Kをカ行の音に使うのは国産風で外国風じゃないイメージがあるから、KをCに変えろというソビエト軍の担当者の命令がーーーー?面白いことにフランス人はKの字をエキゾチックに感じるんですね。フランス語には使いませんから。ジャン・コクトーでもKodakについて、Kの字がコンタンポラン(現代的)だといってますし。
ContaxだってKontaxだとちょっとごつい。ほんとは20世紀はじめの正字法ではCじゃなくてKにしなきゃいけないんですケド。
ロメル将軍がライカをもらったときのお礼状で、秘書がLeikaと正字法で書いてます。野戦大隊本部の便箋ですごーくカッコいい。、文末の挨拶だってハイル・ヒトラーでこれもxxx。ぼくって危険人物かしら。


Exacta・RF お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1346
Hummelの本によりますと、これは輸出用は輸出用でも賠償用だそうです。1946年から48年にかけて作られた、とあります。ソビエトへの賠償のことが本文には出てきますが、これがソビエトへの賠償用だったのかどうか判りません。もしそうならなぜKをCに変えたのか、意味がわかりません。アメリカやフランスへの賠償ならわかりますが、この両国への賠償カメラの話は聞いたことがないし。
1946年の1月3日にソビエト軍から注文を受けた賠償台数は2万台で、必要な機材や原料はソビエト軍が援助して入手したそうです。製造代金はザクセン州が払ったとか。
ぼくはRFで育っているので、わりとRF好きですが、最初に使ったカメラがライカIIIaで、その後ゆびがあまるようになってContaxIIIに変えたので、この二つに対する思い出が多いです。M3は発売のときみて、すごく拒絶感が多くて、こんなものはライカじゃない、と思った記憶があります。ほっそりした美人に何年かして会うと、いきなりデブのおばさんだったみたいなショックを感じたのです。ぼくの年代はM3にそういう感じを持っている方が多かったらしくて、北野邦雄先生もフォトキナで見てスタイルが相変わらず野暮ったいと酷評しておられました。


Exacta お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1345
Exaktaのイハゲー社が一時期輸出用にKをCに変えて作っていたものです。
日本ではエキザクタと誤読(戦前からの伝統ある誤読)していますが、ドイツ語ふう発音ではエクサクタ、英語風ではイグザクタまたはエグザクタ、フランス語ふうではエグザクタが普通でしょう。


ちょっと訂正 お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/06] No.1344
 No.1340の終りのほうで、「ファインダーの虚像実像の話も詳しく載っています」と書きました。ウソです。正しくは「ライカM3ファインダーの話が詳しく載っており、虚像実像であると書かれています」です。
 別に、虚像実像の話が詳しいわけではありません。

 先日、RFカメラ開発責任者だった人に、実像距離計式ファインダは何故良いのか聞いてみました。評論化諸氏はいろいろ言うけれど、実際に実像距離計式ファインダが有効活用できるように製品精度を保つ事は大変だそうです。
 レニングラードは、実像距離計ファインダーですが、メリットを生かすほど、きちんと調整された個体は少ないかもしれません。

telefunkenさま、お褒めいただきありがとうございます。RFが好きでないもので、どうしてもRFの超えられない欠点であるパララックスを言いたくなってしまいます。


全然話は変わって:
 最近、Exactaを入手しました。これ、なんて読めばよいのでしょう。


時計 お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1343
関係の翻訳をたのまれてやってるのですが、いろいろ面白い発見があります。振り座とか辞書に出てるのでそのまま書いていますが、なんのことやら判っていません。文字盤のことを日本では最初は干支と言ったんですね。そしてムーブメントのことを干支裏といったそうです。文字盤はむかしは十二支の表示ですから、干支というのはよくわかりますが、干支裏とはよくぞ言った。なお脱進装置の中のガンギというのはスイスでもガンギというそうです。なんでだろー。


そうですか お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1342
専科はそういえばライカM3特集でしたね。実は例のWidderさんの記事さえ見てないんです。いろんな書類のしたに積んであってーーー実像虚像の話が載っているんですか。見てみます。


さすが お名前: telefunkenさん [2004/03/06] No.1341
金井さま。明快なご説明で感心しました。parallaxのことは距離計関係で言及する人が少ないので、よくぞ言ってくださいました。
この関係で思い出したのは、1936年に出たBeiraという24x36cm画面のカメラで、なんと望遠鏡の連動距離計をつけていました。これはマネする会社がひとつもありませんでした。中古で買いたいのですが、見たことがありません。非常に高いでしょうね。


基線長・・・長いほうが良いか、短いほうが良いか お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/06] No.1340
 レンジファインダーでは基線長が長いほうが測距精度が上がります。telefunkenさんNo.1337の説明で充分なのですが、しつこく図で説明します。
 上の図は、基線長が長い場合です。赤線は距離計像(ファインダーの小さい像)の光線を示しています。基線長が長い場合は、「回転角」と書いてある角度(ミラーの回転角に相当します)が大きくなります。中央の図は、基線長が短い場合です。同じ被写体を見る場合、ミラーの回転角が小さくなります。被写体までの距離は、ミラーの回転角によって検出するので、基線長が長いほうが測距精度が上がるわけです。

 普通は、これで説明は終りなのですが、私はしつこく説明を続けます。

 被写体が「緑と紫で塗られた箱」を真正面から撮影する場合を想定してください。箱正面は緑色、側面は紫色に塗られています。
 ファインダー像(ファインダーに見える大きい像)は正面から見ているので、緑面のみ見えます(下左図)。ところが、距離計像(ファインダーの小さい像)は斜めから見るので、箱の側面が一部見えます(下中央図、下右図)。このように、斜視によって起こる、パララックスが生じます。基線長が長い場合は、斜視がより大きくなるので、正面から見ている像とのずれが、より大きくなります。(緑面の幅は回転角のコサインに比例して狭くなります。)

 というわけで、望遠では「基線長が長いほうが有利」、近接撮影では「基線長が短いほうが有利」と言う事になります。

更に、しつこく考察。
 被写体距離はミラー回転角のコタンジェントに比例するので、ミラー回転角が小さい時は、測距精度は回転角に比例します。一方、斜視による像の痩せは、回転角のコサインに比例するので、ミラー回転角が小さい時は、回転角の2乗に比例すると言う事になります。(言葉での説明では分りにくいと思います。タンジェントとコサインのテーラー展開を考えてみてください。)
 回転角に比例する成分と、回転角の2乗に比例する成分を比較したら、回転角に比例する成分のほうが、より重要です。だから、一般には、「基線長は長いほうが良い」と言う事になります。でも「長ければ長いほど良い」と言うものでもないわけです。

 ライカ・コンタックス論争で、コンタックス派は「基線長は長いほうが有利」を主張します。斜視の問題はライカ派が主張すると言う事はあまりないと思います。パララックスの問題はレンジファインダーに付きまとう、解決不能の本質的問題です。

 
hirob_pさま。
 ファインダーの虚像実像の話は、ライカM3ファンが持ち出す話です。いかに、ライカM3はすばらしいかの論拠になります。一眼レフ時代ではどうでも良い事かもしれません。telefunkenさん、ご紹介のクラシックカメラ専科71はライカM3の特集になっています。それで、ファインダーの虚像実像の話も詳しく載っています。(斜視によるパララックスの話もどこかに載っているかもしれません。まだ良く読んでいないのです。)
 ロシアRF機では、レニングラード以外は虚像です(たぶん)。レニングラードの距離計像は実像です。
画 像 : img20040306155339.gif-(11 KB)


えーと お名前: telefunkenさん [2004/03/05] No.1339
なんて、ベタベタのネタやんけ。とちょっと関西弁もできまっせ。
そうですか、ロシヤに干支があるのですか。ぼくはモンゴル系の辺境住民のためだとばかり思ってました。
Masyaさまのお父上は世界旅行とはお元気ですね。しかも心筋梗塞のアナムネーゼがあるのに。Masyaさまは脂肪肝ですか。ぼくはC型で定期検査ですが、こないだ5ミリぐらいの何かが見つかって、MRIまちなんです。肺と心臓はまあまあ。
アタマもMRIとってます。
ぼくは週五日3キロ走るだけですが、1キロごとに休みながらですけど、有酸素としては有効みたいです。でも自転車のほうが面白いですよね。プジョーとか高いし。こないだBMWの電池式チャリ麻布でみました。超高そー。70万円とか?





魔人 お名前: telefunkenさん [2004/03/05] No.1338
永田についてもう少し。天体望遠鏡についての話から、フーリエ変換と逆フーリエ変換でぼくを煙に巻いた後、余勢を駆って世界各国政府の特許オンラインサービスのサイトでドイツのDepatisしか知らなかったぼくを圧倒し、ついで奇怪カメラ・コダックエクトラの設計者の、ハンガリー生まれのミハリの伝記を〔アメリカの田舎で出た私家版ですが、こんな本が存在すること自体が驚異)ぼくに貸してくれて大きい貸しをつくり、コダックエクトラのスタイリングデザインをやった大物インダストリアルデザイナーのティーグの有名ぶりを知らなかったぼくを恥じ入らせ、ヒゲをはやして葉巻を吸い、例の関西の3000台もってるN博士と東大で同級生だった、キャノンの主任研究員で、ぼくは心中ひそかに恐れをなし、コノヤロと思いながら尊敬しているのです。ぼくを生き字引よばわりしてくれたhirob_pさん。世の中は広い。上には上があるんです。恐るべし、魔人永田。
ちなみにコダックエクトラの有効基線長(基線長x倍率)は堂々の230ミリで、史上最高、空前絶後、えーい、頭がたかい。というスグレものです。おまけにファインダーがズームファインダーで254ミリまで。アー早くほしい。いま入手しつつあるような、ないようなーーー。トホホ。


基線長 お名前: telefunkenさん [2004/03/05] No.1337
RFの距離計は三角測量ですから基線が長いほうが測距精度があがるのです。
直角三角形を書いて測量対象までの距離を垂辺として、底辺がうんと長い場合とうんと短い場合を考えてください。
その底辺のコタンジェント頂角が垂辺の長さですから、計算式がなくてもこの作図だけで直観的にわかるでしょ。
ついでにいうと恒星を対象にした三角視差の測定には、地球の公転軌道の長径を基線に使うそうです。へこんでるときとかそれを考えると、アタマが宇宙に持っていかれて、気分がすーっとしますね。
ニコンの距離計まどはギヤ手前でとまっています。コンタックスのはあそこを乗り越えています。その光路を確保することが、ニコンはできなかったとか、というだけの意味です。ニコンのあの前面の表情ってすごくアタマわるい感じ。
ついでですが、現代一眼レフカメラでいうとぼくはニコンぎらいのキャノン好き
なんです。そして日本一ニコンが似合わない男という評判をとっています。ぼくのまわりのプロ(スタジオで写真撮ってる人)はみなキャノンですが
報道関係がどういうわけかニコンですね。汗臭いバナリパベストにニコンという組み合わせがなんともいやな気がする。どうしてだろう。
キャノンに永田さんという人がいて、この人は何でも知ってる変な人で、ぼくは魔人永田と呼んでいますが、キャノンがすきなのはこの人の影響かな。


いろいろ お名前: hirob_pさん [2004/03/05] No.1336
>カウンター
折角詳しく教えて頂いたのですが、本当にPCには疎くて理解に苦しみました(はっきり言えば理解できません…)ごめんなさい。私の場合は、ネット上で「アクセス」「カウンター」と検索してひっかかった中に、無料カウンター?といのが有ったので指定のtext一行をhtmlにくっつけただけです。そうしたらカウンターになっていました。理屈は全く分かりません…。

>えっ車だめなのぉ!
ちょっと笑ってしまいました。パンパンバシバシで頑張って下さいね。装備を伺うと凄いですね…。

>せめて息子のクラスくらいは...Москва5で。
うん!うん!


基線長 お名前: hirob_pさん [2004/03/05] No.1335
だいぶ前にこの掲示板でお教え頂き、基線長について何となく分かる(ように思える)のですが、ファインダーの虚像実像のお話は皆目です。すみません。

一方、先日、書き込んだ疑問は、例えば、ContaxIIaやソ連カメラでは、交換レンズ群自体の変更は無いのに、これを取り付けるボディの基線長が変更される理由が簡単であれば知りたかったのです。特にソ連カメラは、基線長を変更するが為に(なのか?)、カメラのデザインが大幅に変化しているように見えます。FED1→FED2→FED3は基線長が短→長→短と変遷していますよね?

そんな事を思っていたら、先日telefunkenさんが、「…ここから先へ伸ばす技術がありません…」と偶々書かれていたので、基線長を長くするカメラ設計というのは難しいものなのか?と改めて思い出した次第です。

個人的な疑問ですみません。お時間ある時に、もし簡単にお教え頂けるのであれば、教えて下さい。


パンパン、バシバシ! お名前: Масяさん [2004/03/05] No.1334
Привет
高見盛関の取組み前の気合の入れ方を真似て...

昨夜、帰宅途中に本屋さん(駅の中の小さなお店でカメスタやクラ専はありません)に寄って花を中心としたウォーキングガイドを購入。
桜のシーズンを前に気合が入ってきました。土曜はちょっと遠くへ日曜は近場へ!
パンパン(頬を張る音)!

っで帰宅したら、息子の卒業式で生徒一人一人卒業証書を授与される所を舞台袖から撮って欲しいとのこと。モードラ、ワインダーが必要なのでペンタMX+モードラ、MEスーパー+ワインダーにSFXと旭の連合艦隊で出撃します。
レンズはペンタ135mmにアダプターを介してЮпитер11Аは決定。クラスの集合写真は撮らないらしいですが、せめて息子のクラスくらいは...Москва5で。
スナップや予備にЗенитを持っていくでしょうから気合をいれなきゃ持っていけないです。えっ車だめなのぉ!
バシバシ(胸を張る音)

父親:
そうです。昭和7年生まれで来月72歳になります。十数年前に心筋梗塞で入院しましたが、今は元気で毎年1回は海外旅行へ出かけます。
エジプト旅行のデジカメでの撮影は私がPCに取り込んだので見ていますが銀塩の方はまだ見てなかったぁ!こっちにナイル川クルーズの写真があるそうです。

干支:
ワレリーの奥さんのイーラがロシアの干支の人形を集めています。日本の干支と比較して何か一つくらい違っていたような気がしましたがほぼ日本と一緒でした。
昨年、何か忘れていたなぁと思っていたら干支の置物を持って帰るのを忘れてました。

健康:
数年前から健康診断で毎回、脂肪肝でひっかかります。昨年は肺に異常が。有酸素運動の為に自転車を購入したんです。撮影行と併せて一石二鳥です。(ホントかなぁ...)
先日、会社帰りへ新宿へ。普段ならカメラ屋さんへ...その日は反対側のハンズへ自転車のパーツを見に...
とりあえず明日は自宅近くの荒川周辺を走って桜の様子を見てきます。

うっしゃぁ!(気合をいれないと動けない?)

Пока


お父上 お名前: telefunkenさん [2004/03/04] No.1333
は昭和7年うまれですか、Masyaさま、ということは年男ですね。
ぼくは去年は年男でしたが、ロシヤから来たクリスマスカードを見てたら、ヒツジの絵が描いてあってビックリしました。考えて見ると辺境には十二支を使っている人たちがいるんですね。
目標は96歳にしておこうか。24年後の年男。うーむ。ムリか。
肝臓の検査で引っかかってるんで、ヤバイ。
眼はおかげでめがねは使ってません。でも小型辞書はルーペで見るときが。歯は自前です。髪の毛はうすくなった。
でも内部感覚的には40代後半でとまってます。


ん〜、ではЗоркий派から お名前: Масяさん [2004/03/04] No.1332
Привет

なんて言いますが、Зоркийの基線長って3パターンありますよね。
1−2C、3-4K&Мир、5&6と。実際に計測したことがないので1-2C系と3-4K系が同じように思えてしまいます。
1−2Cってコンパクトなので50mmあるいは35mmをつけて旅行用に、85mmや135mmを使う時には6を使おうと...
でも実際は1でも85mmや135mm使っちゃうんですよねぇ...そう言えば新聞に載った花火はЗоркий-Сに135mmで撮りました。
無限遠に合わせてシャッター開けっ放しで撮りました。同じく新聞に載った日本舞踊の写真は3Cに85mm。これはシャッター音が小さくてf2という明るさだから...
風景などは広角であれば被写界深度で、望遠ならば無限遠で外付けファインダーを覗いて...

すみません、いい加減で意見になりませんね。私の場合、レンズの性能任せで気軽に撮ってます。

あっ3以降に搭載されている視度調整って近眼には使えないんじゃありません?
telefunkenさんより一つ年下である私の父親に6を持たせてレバーを調整させたら老眼鏡なしでよく見えたそうです。

Пока


RF お名前: telefunkenさん [2004/03/04] No.1331
はハイアマチュア・プロ用というのは、そうだと思いますが。むかしは一眼レフが無いので、普通のカメラは目測であわせるんです。高級カメラになって始めてRFだったんです。ですから高級カメラなら有無をいわさずRFだったといえます。
境界のところで使うのは、ご指摘のように熟練がいりますね。でもなんとなく慣れでやっています。レンジファインダーで育ってますから。


あっそうでした。 お名前: telefunkenさん [2004/03/04] No.1330
金井さま
そうですね。バカなことを書いてしまいました。凹なら像面より前になくちゃいけませんね。凸プラスダハ入れるとか。原稿書きながらだったので、錯覚しました。
露光計つきが遅れたのはなぜでしょうね。考えて見ます。友達にも聞いてみます。
Kievのカセッテはコンタックスラインで作ったのだと思います。
ただカセッテて、ライカ用でもコンタックス用でも、値段たかいですね。だからキエフ用の売れなかったんでしょうね。
カセッテ(Kassette)というのはもともと宝石とかをいれる手箱という意味で、写真関係だと取り枠で、むかし組み立て暗箱で使っていた、木製で引きブタとついたアレです。またレントゲンの直接撮影で使っていた、写真立てみたいな構造の金属製のヤツとかもカセッテと呼んでました。ぼくは50年台のはじめにレントゲン技師の学校でバイトで講師やってたんですが、そのころはなんでもドイツ語でやってましたね。レントゲンの写真を入れてみる蛍光灯のはいったボックスもシャウカステンといってました。


お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/04] No.1329
telefunken さま、ご回答ありがとうございます。

露光計:
 イエナ・コンタックスにはContaxVがあったのですか。知りませんでした。
 「イエナではKievUとKievVの製造ラインを作った」ですね。

 でも、1947年にウクライナに移送しているにもかかわらず、KievVが現われるのは1952年ごろです。この間5年も経っています。露光計(セレンメーター)製造設備は、5年間埃をかぶっていたのだろうか。それに、製造ライン立ち上げにウクライナに渡った技術者がいたとしても、5年もウクライナで遊んでいたとは思えないし。謎が深まります。

カセット:
 Kievに入っている真鍮製カセットはコンタックスのラインで作られた可能性があるのですか。STARTのカセットは材質は違うけれど、そっくりです。謎が深まる。(注意:これらは、SMENAのカセットは全く違うものです。)



基線長:
 コンタックス派のtelefunkenさんが「長いほうが測距精度があがるから良い」とおっしゃるのは良く分ります。
 ライカ派だったら違うことを言うだろうなー。

実像式:
 「実像式では、境界のところで上下像合致式に使え」ますか。同じ面に2つの実像があるのならともかく、片方が虚像の場合は、設計通りの見方をしないと、うまく行かないと思います。(たぶん1mくらいのところを見ているとして設計されていると思います)。上下像合致式で使うには、熟練が必要です。
 RFって、ハイアマチュア〜プロ用なんですよね。

 「コンタックスの場合も実像式にしようとすれば、距離計窓前に凸レンズをおいて実像を作り、接眼部に凹レンズをおいて打ち消せばいいわけですが」・・・失礼ながら、それは無理だと思います。凸レンズをおいて凹レンズをで打ち消すには、凹レンズを像面よりも凸レンズ側に置かなくてはなりません。実像の後ろに置くレンズは凹レンズではなくて、凸レンズです。でも、そうすると、像が反転するので、光軸を変えないためには、途中にダハプリズムを置く必要があります。(あるいは、実像を二度作る。)


基線長 お名前: telefunkenさん [2004/03/04] No.1328
長いほうが測距精度があがるから良いといわれています。
理由は三角測量なので、頂角をaとした場合、被写体までの距離は基線のコタンジェントaですが、基線が長いほど誤差にたいして敏感になるでしょう。基線を無限大にした場合と無限小にした場合を考えるとすぐわかります。
距離計窓の境界がはっきりするいわゆる実像式では、境界のところで上下像合致式に使えるので、一段と精度が向上〔たしか2倍とか3倍とか言うレベル)すると小倉磐夫さんなどは言ってました。こういうのをヴァーニア・アキュイティというのだそうですが、言葉から見ると、ノギスの副尺(vernier)の読み取り精度みたいなことらしいです。
コンタックスの場合も実像式にしようとすれば、距離計窓前に凸レンズをおいて
実像を作り、接眼部に凹レンズをおいて打ち消せばいいわけですが、ぼくがやっているのは、ファインダー倍率を小さくしている凹レンズをはずして、もとの基線長をそのまま使って精度をあげています。
ライカM3などで見ると、たしかにいわゆる実像式は見やすい。目の前が明るくなりますね。


お答え お名前: telefunkenさん [2004/03/04] No.1327
露光計
belichten〔ベリヒテン露光する〕から出たBelichtungsmesser(べりヒトゥングスメサー)の訳語で、英語のexposure meterをもとにした露出計といういいかたもありますが、暗室でカセッテを開けても露出ですから、不正確な言い方で私は使っていません。
カセッテを閉める機構
コンタックスやライカが発売されていた20年代なかばから30年代にかけては、現在のようなパトローネ入りの35ミリフィルムはあまり市場になくて、みな長尺のフィルムから専用カセッテ(英語だとマガジン)に詰めていました。コンタックスやライカを使うほどのハイアマチュアなら、みな暗室を持っていますから、これは造作もないことですし、また旅先などで暗室が無いときは、最寄の写真館などで頼んで暗室を借りて詰めてました。でも35ミリフィルムは普通の写真館などでは常備していませんから、アグファの青缶とかデュポンとか、みな持ってあるいたものです。
ですからカセッテからカセッテへの巻ききりが普通で、巻き戻しノブというのは二重露光のときとか、最初にテンションをかけるときのためで、ぐるぐる巻き戻すための物ではありません。だから小さなノブで十分なんです。クランクなどの必要は使い捨てパトローネの普及で巻き戻しが主流になったからです。
したがってライカでもコンタックスでも、カメラの蓋を閉めたときカセッテの蓋が開き、カメラの蓋をあけたときにカセッテの蓋がしまるようになっていました。ロックの裏側にあるカタツムリ状のもののくぼみがカセッテのピンをひっかけるのです。
露光計つきコンタックス
はコンタックスIII型で、1936年、II型と同時に発売されたものです。
ソビエト軍からのコンタックス製造ラインの注文を承知したとき、II型かIII型かあとで説明するIV型か、どれがいいかという質問を出しました。
ソビエト軍はII型とIII型を選んだのです。
だからWidderさんのグループに露光計の担当がいるのは当然なのです。
イエナコンタックスにも、従って、露光計つきがあります。
ごく少数で、珍品あつかいです。
市場に出たら大変な値段になるでしょう。
キエフの初期型はコンタックスII型とおなじです。つまり露光計なし。
露光計はコンタックスIII型とほとんどおなじ外観で1952年に出たキエフIII型ではじめて付くようです。
コンタックスIV型
ツアイス・イコンでは内蔵露光計とシャッタースピードが連動するカメラを開発済みでした。アメリカでの特許は1934年11月15日に出願されています。
これはコンタックスIVとして発売されるはずでしたが、コンタックスII型III型が出たのが1936年で、38年には戦争が始まってますから、発売を見合わせたのでしょう。プロトタイプの写真を含めた詳細はカメラスタイル23号に書いておきました。ちょっとネタックスに似た外観で、ネタックスのようにドレーカイルつきのレンズを着脱交換する仕掛けです。AE化に向けての第二歩〔III型を第一歩とすれば〉ですね。でもコンタックスはI型の黒いヤツからこのことを考えていたらしくて、特許図面がのこっています。あまりに高くなるのでやめたのでしょう。このプロトタイプは現在ウイーンにあります。


いろいろ お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/04] No.1326
今日はとても寒い。
昨日は名古屋駅でラーメンを食べました。いつもすごく込んでいるので、一度食べてみたいと思っていました。食べた感想。ま、おいしかったけど、それほど並んでまで食べるほどでも。。。

リコーオート35V:
 (株)リコーのホームページに「旧ソ連でデッドコピー製品が作られた」の記述があり、この件に対して、リコーに質問しました。(株)リコーからMailにて説明いただきました。(私、個人宛てMailなので、公開しません。)この記述は、表現に不適切な点があったので削除されたようです。
 

カウンター(No.1313 hirob_pさんの記事に関連して):
 ホームページの閲覧数のカウンターのことです。
 カウンターって結構難しくて、「何を持ってカウントするか」が問題です。クリックのたびにカウントすると、画面更新ボタンをカウントしてしまい、過剰カウントです。
 クッキーを使って、閲覧者側のPCに閲覧情報を書いておき、それをもとにカウンターを動かすようにすると、ホームページ管理者側としては良いのですが、閲覧者に負担を強いているようで嫌いです。
 私のカウンターは、プロバイダー提供のものをそのまま使っている場合と、自作のものとがあり、併用しています。自作品は次のようにしています。@閲覧者IPアドレスを最新のもの5つを保存。A新たに閲覧があったとき、閲覧者のIPアドレスを見て、登録5件と一致したときはカウントしない。B登録5件と一致しないときはカウンターをアップし、登録していた5件のIPアドレスを更新。C自分の自宅、および職場のIPアドレスから閲覧があった場合はカウントしない。
 IPアドレスを見ているので、同じ職場から閲覧があった場合は、カウントしないことになり、場合によっては過少カウントです。また、保存件数が5件なので、ヒットが込み合うと、画面更新ボタンをカウントし過剰カウントになります。

連動距離計の基線長(同じhirob_pさんの記事に関連して):
 距離計の基線長は長いほうが良いのか、短いほうが良いのか、どちらでしょう。長いほうがピント精度は上がりますが、斜視になるので、2つの像に視差が生じます。望遠には基線長は長いほうが良く、近接撮影には短いほうが良いと思うのですが、いかがでしょう。
 目が良くない私は、二重像をあまり見ていないので、どちらも関係ないのですが。
 それから、距離計の像は虚像よりも実像のほうが良いのでしょうか。「ずれた像の境界がくっきり見える」からって、何か良いことあるのでしょうか。


しつこく、戦争直後のカールツアイス お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/03] No.1325
telefunken さま、

『ソビエトはおそらく金で払ったと想像』ですか。落ちが有るとおもしろいかと思ったのですが、普通でした。

それから、五月雨式に質問して申し訳ないのですが、


カセット:

『コンタックスU型のもともとのフィルム給送は・・・裏蓋を開けるとき、カセットの蓋をしめる機構がついている。・・・機能は残したが、カセットが非常に高くつくので、ほんの少ししか製造しなかったから、無用の機能になったのだ。』

 この文章は、実際のカメラではどの部分のことをいっているのでしょう。コンタックスU型や、初期のKievは持っていないので、何のことだか分りません。1950年以降のKievにも存在する機能なのでしょうか。
 ここで言うカセットって、フィルムマガジンとも言うもののことですよね。Kievを入手すると、時々フィルムカセットが付いてくる事があります。Kievのは真鍮製でSTARTのはアルミ製です。FEDロゴのある真鍮製のものもあります。
http://cccpcamera.myhome.cx/RussianCamera/OtherGoods/SPOOL/KIEV/Kiev.htm
これらとは、違うものなのでしょうか。


露光計:
 『ただし露光計だけは別で、これは電気関係のラインシュ・・・』

 露光計って、露出計のことですよね。この部分は、Kiev製造ラインのことを言っていますよね。最初から、Kievには露光計が付いていたのだろうか。イエナコンタックスに露光計付きは無いですよね。


イエナ お名前: telefunkenさん [2004/03/03] No.1324
いまではJenaのZeissの資料室が整備されたので、かなりのことがわかります。一度いか泣きゃいけないのですが、おアシが。
カメラとかよく買うくせに、ちょっとそれを節約すればーーー。
Masyaさま、クラシックカメラ専科、見ていただいてありがとうございます。カメラスタイルのほうもよろしくネ。


イエナ・コンタックス お名前: telefunkenさん [2004/03/03] No.1323
ハイ。ここで言ってる早朝の連行のときには、イエナコンタックスの関係者(つまりWidderさんと作業していた仲間という意味)は一人も対象になっていなかった、ということです。
ただ別の記述〔確かKuc〕によりますと、この製造ラインの立ち上げには、Zeissの社員が参加した、とありますから、このときの連行とは別に、何人かがソビエトに招聘されて行ったのでしょう。
なおたったいまWidderさんと話したのですが、ソビエトはおそらく金で払ったと想像する、といってました。なお材料の鋼鉄などは、ソビエト側が手配してくれて、これの代価は、Zeissからソビエトに支払われたはず、ということです。それ以上のことは彼にはわから無いそうです。彼はいま76歳、もうすぐ77歳で、貴重な生き残りですね(もうすぐ73歳のおれもだあ)
Zeiss Historica会長のGubasがよくJenaに行きますから、何か資料があれば、見てきてくれるように頼んでおきます。
あるいは資料室長にメールで聞いてもらえるかも。


活字 お名前: Масяさん [2004/03/03] No.1322
Привет
今日はひな祭り、後で雛人形の写真をモスクワに送らなくては。

先日羽根木公園に梅を撮りに行った帰り、新宿乗換えなので大手量販店で「クラシックカメラ専科」立読みしました。
立読みで済ます内容ではありませんよね。カメラスタイルと共に必要なんですが...

昨夜、モスクワからワレリーが友人に例の新聞を託したと言っていたので、昼休みを利用して貰ってきました。
5枚の写真は本土寺、ディズニーランドのエレクトリカルパレード、日本舞踊、小石川後楽園の枝垂桜、それに板橋の花火でした。
他にいいのがあったと思ったんだけどなぁ...39枚贈ったようでした。半端だなぁ...でも紙面がモノクロで残念だと書いてありました。
レンズがいいんでしょうね。あっ一枚スコパー25mmで撮ったのが...

一応КМЗの方に早くサイトに記事を上げてくれと頼んでおきました。

Пока


戦争直後のカールツアイス お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/02] No.1321
telefunken さま。

従業員の国外連行のところで、
「イエナ・コンタックスに関係していた人間は、一人も連行されなかった。」
となっています。

 この記事を見る限りでは、コンタックス製造のため、イエナからキエフに「連行」された人はいなかったように、思えます。
 そういうことですよね。

 この記事の筆者は一人だけ背が高いんですね。


戦争直後のZeiss お名前: telefunkenさん [2004/03/02] No.1320
あの記事はいままでわからなかった事実に照明をあたている点がよいと思います。金が払われたかどうかについては、筆者に聞いて見ますが、おそらく当時の彼の身分では、そこまでのことはわからないと思います。
ぼくの感じでは支払われていると思います。援助と相殺するほどソビエトはケチじゃないと思いたい。それぐらいなら初めから賠償の一環としてタダで作れと命令するでしょう。それができる立場にいたわけですから。
最初の命令がきたときに、Zeissではカメラ製造ラインなんか作ったことがないと辞退したそうですが、担当のソビエト軍将校は、Zeissなら何でも作れる、と相手にしなかったことが、たしかKucの本に出ていました。


追加 お名前: hirob_pさん [2004/03/02] No.1319
尻切れトンボになったので、追加します。

機能を模倣した事によって必然的に形態まで模倣してしまう場合と、機能とは別に形態のみを模倣する場合とがあると思います。

我々がいわゆる「コピー」と強く認識するのは「少なくとも形態が似ている」場合が多いと思います。内部構造まで詳細に見ていないと形態を伴わない機能だけの模倣は目には止まりません。

そういう目で見ると、リコーが許可していない場合(但し、許可する必要は当時の法律上無い)、Zorki-10の形態は、機能を模倣した為に必然的に生じたものかが私には気になります。

先日、お話に登ったLC−Aは、私は、例えば、イコンタ35の機能を模倣すれば必然的に似たような形態になってしまうと思います。だから、C1、LC−A、ミノックス35等似たような形状が幾つもできると思います。イコンタ35が原型か分かりませんが。でも、確かにC1とLC−Aとは機能と分離した形態と思えるような部分まで似ているので「コピー」という観念が強くなるのだと思います。


機能と形態 お名前: hirob_pさん [2004/03/02] No.1318
美観の為の形態は機能と別に考えることができるものも多いと思います。でも、美観の為では無い機能と密接な関係を持つ形態も多いと思います。

例えば、多角形の鉛筆では、「転がらないという機能」と「多角形という形態」とは別に考えることができません。空力デザインにおいて「空力特性」と「デザイン」とも同じです。タイヤのトレッドパターンの「タイヤ性能」と「トレッドパターン」ともそうだと思います。カメラでもそういう部分は多いのではないでしょうか? 

私の勝手な思いですが、ソ連のカメラの場合、何となく美観の為の形態よりも、機能の為の形態が多いように思います。以前のスメナ8Mのお話に似ていると思います。

クラ専が欲しい…。


戦争直後のカールツアイス お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/02] No.1317
クラシックカメラ専科の「戦争直後のカールツアイス」読みました。
 「いちばん難しかったのは・・・コンタックスの現物から図面を作り直す作業だった。」と書いてあります。大変だったろーなー、担当者の技術レベルが高かったから可能だったんだろーなー、って思います。そういった困難を乗り越える、さすが、ツアイスです。


 私が「パクリ」の用語が嫌いな理由はМасяさんの理由のほかにもう一点あります。
 「現物から図面を作り直す作業」 が実際はものすごく大変のだという事実に目をそむけているように思えるからです。特にレンズの場合は最初から作るのと同じくらい計算しないと、たぶん無理ではないかと思います。本当は、「コピー」「模倣」も、カメラ製造に使うことは、好きではありません。
 三枝氏は「カメラというものは精密機器であって、本物から型をおこしてモナカのように作れるもにではない。」と書いておられるけれど、戦争直後のカールツアイス技術陣は身をもって困難さを体験したわけです。
 

用語:私は以下のように思います。
 機能も形態もロゴマークもかわらない=>にせもの(コピーと言う場合もある)
 機能も形態もかわらない(名称などは違う)=>模倣あるいは参考にして作った(コピーと言う人もいる)
 機能がおなじで形態が変わった=>新規デザイン
 機能が進歩して形態がおなじ=>改良あるいは発明
 機能も形態も進歩した=>改良・発明&新規デザイン
表現は人によって違うとしても、機能と形態は別ものだと思います。


話は、「戦争直後のカールツアイス」に戻って。
 ソ連は300万マルクを払ったのだろうか。食料等の援助と相殺したのだろうか。

この記事を読んで疑問なこと:
 記事とは関係ないのですが。記事によると、イエナのコンタックス製造ラインは1947年10月に移送されています。1947年製Kievが少ないのはこれで分ります。でも、実際には1948,1949年製Kievも少ないのです。なぜでしょう。


訂正 お名前: telefunkenさん [2004/03/02] No.1316
定義の訂正です。
機能も形態もかわらないのがパクリ。機能がおなじで形態が変わったのが模倣、
機能が進歩して形態がおなじなのが改良,機能も形態も進歩したのが発明、ということにしました。どうでしょうか。
この訂正を機会に今後この掲示板に書くときはパクリという言葉を自粛することにつとめます。


特許 お名前: telefunkenさん [2004/03/02] No.1315
を含めて、知的財産という考えそのものが、人類の共有財産である文明の私物化ですから、非常に資本主義的なものです。ソビエトでは特許の制度がなかったと聞きましたが、当然だと思います。中国や北朝鮮ではいまでもないのかも。
40年近く前に、ぼくの勤めていた多国籍企業の本社で特許係争があって、ある化合物に関する日本の昔の文献を探し出して、その筆者であった学者をたずねて談話をとったことがあります。そのおかげで係争はこちらの勝ちになったそうですが、このとき以来、法務部の仕事に興味を持つようになりました。法務部の特許関係の方針は、研究部門での発明の特許請求範囲を、いかに広くするか、という一点に絞られているといって過言でありません.クモは自分の巣を最大に広げる習性があるかどうか知りませんが、資本主義社会の中の企業は、自社の特許の範囲を最大限可能なかぎり広げようとしています。これは研究部門の人間の意識のなかにも浸透している考えで、これに反する思想を持つ社員は、技術者であろうが何であろうが、危険思想の持主とレッテルを貼られて、人事部ににらまれても仕方が無い、日本の会社、いや、世界中の資本主義国家の会社は、そういう風土になっていると思います。
企業は社員の内心までを管理しようとして、いろいろな研修などを通じて、人格や思想を企業に適合したものに変えようとしていることは、少なくとも多数の社員のいる企業では通例だと思います。むかしはやっていた生産性運動なんかは、その適例でしょう。これは企業がセミナー屋の食い物になっている戯画的風景だという気もしますが。


私は嫌いです。 お名前: Масяさん [2004/03/02] No.1314
Привет

血の半分は関西ですが私は「パクリ」という言葉には悪という要素があるのでいい言葉だと思っていません。
それなりに使う場を選ぶべきだと思います。

ソヴィエトカメラに対して平気で言えるのは、どうせロシアには聞こえ(読め)やしないだろうという意識があるのだと思います。(大使館は日本で刊行されたロシアに関する書物って集めていないのかなぁ...ソヴィエト時代、新聞や雑誌の持込が厳しかったです。)
それだから、キャノン、ミノルタ、ニコンに対して同様に言わないのでしょうね。何とな〜く島国根性で中のことは上手く立ち回って外のものは排除するという気がします。(未だに攘夷かよ。)

この辺、欧州人の意識はどうなんだろう? 

「このメーカは、オートフォーカス一眼で大きなシェアを占めているんだけど、ライカのパクリから始まって大きくなったんだぜぇ...」

言わないでしょうね。

Пока


無題 お名前: hirob_pさん [2004/03/02] No.1313
今日も薄曇り。はっきりしない天気です。雨よりましかなぁ。
昨日のお話を今日読むと食傷気味…ごめんなさい。

>ここから先へ伸ばす技術がありません
この連動距離計の基線長を伸ばすのは難しいことなのでしょうか? 以前から思うのですが、ContaxIIからContaxIIaへの移行の際に基線長が短くなったのは何故なのでしょうか? ソ連のFEDでもそうなのですが、FED2で伸びてFED3でまた縮む。Zorkiもそうで、Zorki5,6で突然伸びる。というように各社伸びたり縮んだりするのはどういう理由なのでしょうか? …と分かりません。

自分の作りかけのページにカウンターをくっつけてみました。すると見るたびにどんどん増えているので嬉しくなっていたのですが、半分は自分でした…トホホ。


パクリ お名前: telefunkenさん [2004/03/02] No.1312
という言葉は、模倣に少しの軽蔑を浴びせていますが、拒絶的であるより許容的で、ヨウヤットルヤンケという関西ノリの揶揄的成分がはいってます、だからそれほど深刻な侮蔑ではないという印象の語感ですね。カンニングという程度の悪って感じですね。
パクリにもホンモノにケンカ売るような面魂のものもあるし、情け無いしょぼくれてたやつもあって、ぼくはニコンSの外観はみすぼらしいしょぼくれパクリの見本だと思う。その理由は距離計まどが、Contaxみたいに堂々と端まで来ないで、途中のギヤあたりでとまってるのが、すみません。ここから先へ伸ばす技術がありません、と泣いてるみたいで情けない。また中身がコンタックスとまったく違うライカ型原始的構造なのでこれも情けない。日本光学工業の代表がこれなら、これは面汚しだ。エーレンライヒの口車に乗ってその後もRF路線を続けて一眼レフへの転換が遅れたのは経営ミスで、もっと早く新天地の一眼レフに移住してれば、黄金フォルムを決めているのはContaxDしかないんだから、仕事うんとやりやすかったはずなのにな。ニコンSにくらべればニッカやレオタックスのほうが、うんと堂々とパクッテ、どっちがホンモノカわから無いぐらいの上出来の面構えだ。
ぼくは成型などのことは皆目判らんが、何かを改良することイコール模倣と考えるのはおかしい。形態と機能が密着してるもので、機能がかわらないのに形態を変えたらパクリ(ハート型の洗濯バサミ〉形態が変わらないのに機能が変わったら改良。両方とも変わったら新発明、ぐらいの荒さでいいんじゃないだろうか。

特許、意匠、その他の知的所有権に関する法制は近代から現代の工業社会の進展にそって整備されてきたのだが、旅館の継ぎ足し建築以上の迷宮構造になっている。特許部の仕事は研究本部とかから回ってくる発明原案をどれだけ拡張して、特許請求の範囲を広げるか、に尽きるので、それがうまく料理したおかげででかい網ができて、それを特許庁にみとめさせたら部の任務を果たしているわけだ。
このためにプロの集団が社内にも社外にもいて、超大物の事務所では超大型の網を作ってくれる。ちょうど税理士事務所が脱税、おっと、節税の秘法を駆使して申告書を作るのとおなじ、または法廷技術に優れた業界のボス弁護士事務所にたのんで、どんな裁判にも負けにくい態勢を作るのもこの部の仕事だ。
こういう仕事は発明者の手を離れた段階で法務部・特許部などの別の部門で行われているので、発明者が自分の仕事は模倣か改良かと悩んでいるとき、そういうものをまったく無視して動く権利獲得機構が会社の別の部署では活動しているのですから、技術側からそういうテクノポリティカルグループに何か注文をつけることは不可能だし、何かタトエバもっと請求範囲を縮小してくれなんて注文をつけても、会社のポリシーだということで無視されてしまうのが普通です。
法廷での弁護技術体系を見ると、実際の犯罪はたんなる発想点の位置に押し込められていて、それがどんな個人の思いや事件を抱え込んでるか、などには関係なく作業が進みますね。つまり犯罪をネタにして検察と弁護がサッカーやってるっ様なものです。発明もこれとおなじで、係争中の会社のそれぞれの会社の特許部のあいだを行き来するボールになるわけですから、まずどこからけられても疵がつかない、そしてどんな敵のゴールに入りやすいボールに仕立て替えされるわけです。ルドルフのテッサーも、たぶんこういうプロによる作業のせいで大風呂敷になったのでしょう。あんな考案からあそこまでの範囲を請求して通させたのは第一級の弁理士で、ぼくが経営者ならぜったい離さないしボーナスだしますね、

しょう。、


あっけに… お名前: hirob_pさん [2004/03/01] No.1311
>どこまで広げて見せて、有利な特許をとるか
>否かは、樹脂の技術の問題では有りません。

全くその通りと思います。特許庁は「クレーム技術」という言葉を使っています。樹脂の技術とは異なる架空の愚かしい技術にも思えます。経済的には役に立つのだと思うほか無いですね…(自分に言い聞かせる…)。ただ、広く見せる事は必ずしも良い事では無いように法設計もされています。しかし、今の日本では訴訟費用が異常に高く、わざわざ訴訟を起こして注意を喚起する事は容易ではありません。だから虚偽の権利を監視するのは利害関係のある企業に必然的に押しつけられてしまっています。

アップしたように(不必要な部分は削除して加工してあります)見ればあっけにとられる特許も、大きな企業から平気でだされています。しかも、特許庁はこれを阻止出来ず特許として認めました。それも1998年と最近の事です。更に、この企業はこの特許を元に権利行使を図りました。端から見ると余りに厚かましいと思うのですが、他の企業も相当怒ったらしく、数社共同でつぶしにかかりました。正に法の穴なのでしょうね…。

>「真似」「独創」という言葉で二者択一的に
>捕らえられることって、ほとんどないのでは
>ないか、そんなふうに思います。

う〜ん。確かにそうですね…。これについてはもう少しゆっくり思い返してみます。

>カメラを評価する場合は製品としてコストを
>含めた総体で評価すべきです。

文章とするとこうなるのですね。金井さんの思考の全部が含まれているとは思いませんが。現行法に照らして、現在の価値判断でソ連のカメラのコピーの有無を論じるよりも、技術的な側面がもっと見えるようになると良いですね。そもそも殆どの場合、ソ連のカメラってコピーであるために国際間で紛争となる事って無かったのでしょうから。それより、どうしてリコーのあの製品をソ連はピックアップしたのかがとても不思議ですね。

>なんで(冒頭の)
いつも暇だからだと思います(金井さんの真似)。本当は金井さんのお話がとても面白いからです。知識が記憶と関係するとすれば、金井さんのお話は知識ではなく思考と関係する部分が多いと思います。お話の元となる細かい条件設定が正しいか否かはどうでも良い事で、思考の筋道が面白いんです。聞くと当たり前の事と思いがちですが、本当は忘れて、いつの間にかずれてしまっている事が一杯あることに気付かされます。
画 像 : img20040301194110.gif-(13 KB)


質問と回答 お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/01] No.1310
2月26日に、株式会社リコーにホームページについて質問しました。リコー オート35Vの解説で、「旧ソ連でデッドコピー製品が作られた」との記述の質問です。

この質問に対して、もう少々お待ちください、との回答をいただきました。


難しい お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/01] No.1309
hirob_pさんは、なんで、こんなに短時間に的確な指摘をするのだろう。感心しています。

>変に思うのはコピーを全部コピーと部分コピーとに分けてお考えでない
 まったく、ご指摘どおりです。「外観が似ている=完全コピー」絶対にそんなこと有りませんね。

 ソ連のカメラにコピーってありますか。合法的な部分コピー&随所に独創的なカメラならばあります。(三枝氏と同じような表現です。語彙が貧弱てごめんなさい。)
 逆に、完全オリジナル製品、などというものも有りません。

 完全オリジナルは存在しないし、完全コピーも普通には存在しない。No.1288の最初の部分の趣旨です。
 さらに言うと、「特許が成立したとしても、その部分がすべてオリジナルとはいえないのではないか」「特許に抵触していても、独創の場合だってあるのではないか(抵触すると法的に困りますが)」

 樹脂の成型って「材質の選定」「成型条件」「微妙な設計変更」が相互に関係しています。何が先人の知恵で、何が先人の知恵の利用で、何が独創なのか、よく分らないです。特許をとろうとしたならば、独創部分をなるべく広げてみせる分けです。どこまで広げて見せて、有利な特許をとるか否かは、樹脂の技術の問題では有りません。

 さらに、何が法的保護を受ける独創で、何がその必要のない改良なのか、政治的に定まることです。
 
 ちょっと話が横にそれます。コンピュータアルゴリズムに特許権・著作権が成立するか、そんなことが真剣に議論されたことがあります。アルゴリズムの表現には著作権が成立しますが、アルゴリズムそのものはどうだ、そういう問題です。今から考えると、大昔のことのように思えます。

 いま、製品を精密計測して、変形を見込んだ金型を作ることができるか、って話をしている人が、近所にいます。うーん、難しいね、って答えてます。樹脂で同じ物を作るって、大変です。
 樹脂製品の場合、金型そのものか、金型の設計図(通常そんなもの有りません)が、ない限り、全部コピーって不可能なんです。だから、デッドコピーなど存在しないと思っています。


>後者の独創部分は、デザインではなく、燃費を良くする他の工夫
 そうです。デザインとは別の問題です。美術学校出身のデザイナーではなくて、工学部出身です。No.1305では、違う問題をごちゃごちゃにして書きました。
 「意匠」って立場だけで見たならば真似だったとしても、別の視点で見たら「ちょっとした工夫」です。オリジナルデザインとちょっとした工夫と、どちらが困難か。全然違うものの無意味な比較ですね。現実の人間の営みって、「真似」「独創」という言葉で二者択一的に捕らえられることって、ほとんどないのではないか、そんなふうに思います。
 もし仮に、ある商品が、別の商品の真似ということが、裁判で確定したとします。真似商品のほうがはるかに困難を伴って作られた商品だって可能性もあります。カメラを評価する場合は製品としてコストを含めた総体で評価すべきです。

>必ずしも皆がそう言っていない事に気を付けなければ 
 特定のカメラが、真似かどうかなんて、いろいろなカメラを余程良く知らないと、とても不可能です。そんな人、めったにいません。「ニコンがすると立派な開発」「ソ連がするとパクリ」っていう二重基準の人って、ごく僅かですね。ご指摘の通りです。多くの人には、オリジナルかどうかなんて、どうでも良いことだと思います。実際、1年程前までは、私も全然そんなこと気にしたことなかったのです。
 本当は「パクリ」って表現、なんか悪意があるようで嫌いです。でも、何に対しても、堂々と「パクリ」って言う人には、反論できない。


間違い! お名前: hirob_pさん [2004/03/01] No.1308
すみません…。翻訳は二次著作物に含まれます。編集著作物には含まれません。でも、いずれにしろ保護されます。


コピー2 お名前: hirob_pさん [2004/03/01] No.1307
気になったので書きましたが…変な事を書いているかも…間違っていたらいつもの如く指摘して下さい…。すみません。

現法制度を当てはめることの妥当性:
これは私は指摘を受けて妥当でないと思い返しました。やはり、法律は、地域、産業形態、時代、その他、色々な要素で変化させるべき物と思います。特にこの掲示板で現れる産業に関係する法律であれば尚更と思います。普遍的な人間のモラルのような法律もありますが、これとて100年前には通用しても、5000年前の人には通用しないと思います。

ついでに、関係無いのですが。誰が言ったのかしりませんが、「法律は最低限のマナー(モラル?)」という言葉が好きです。つまり、法律には人が尊重すべき内容の最低限しか書かれていないという事です。これも常時適用出できる言葉ではないと思いますが、私は仕事の上で、時々これを意識しなおします。産業に関係する法律は、自国内では上記の条件を充足しても、対外的にはこの側面を欠いている場合が往々にしてあるんです。これもしょうがない事なのかなぁ…。

>「ニコンがすると立派な開発」
>「ソ連がするとパクリ」っていう二重基準です。

必ずしも皆がそう言っていない事に気を付けなければならないと思います。こう言う人も居るというだけと思います。金井さんはこのように大きなサイトをお持ちで、ソ連の製品をお好きであり、閲覧者もとても多いから、そういう意見をより良く耳にされるのだと思います。

でも世の中には、上記のような事を「無意識」に思っている人も多いと思います。無意識の人はまだ金井さんのような思考に到達せずに、その前の段階にいるのですから、疑問を投げかければ、どちらかを判断されると思います。それでも、やはりソ連はパクリと判断される人に対して、金井さんがいつも仰せのことを言われるのは分かるのです。

でも、時々説明を読んでいると世間みんながソ連はパクリと言っている。だからそれは変だと金井さんが言って居られるように読めると「感じる」ことがあります。そういう時は、私もちょっと違和感を感じます。「自分が金井さんの言われる事を、書かれていることを理解できないのかな?」と思考します。でもやはりそう読める事があるんです。

>Zorkiに何の問題もないと思います
全く仰せの通りです。先の書き込みの際に「(その時代に、そういう関係にあったとすれば)」と自分では挿入したつもりでした…ごめんなさい。

ただ、現在、殆どの先進国で採用されている思考は「世界公知」です。つまり、「公示しない地域で、意匠登録が適用されるはずもありません」と一概に考えて、もしお仕事をされると問題がある場合があります。侵害には成らないのですが、権利者側であった場合には登録を抹消されることが多々あります。枝葉末節ですが、一応。権利を潰すのに、他の国の過去の本を掘り返すのは日常茶飯事の事なんです。そんなの知る訳ないじゃん!!というような物でも…。本当はこれは変だと思うんですが…これも法律の矛盾でしょうかね。


コピー お名前: hirob_pさん [2004/03/01] No.1306
話が広がって、全部に対して書く事が出来ないので、1つコピーの考え方について知っている(結局現行法ですが)ことを書きます。他の事については今すぐは書けません…ごめんなさい。

>コピーについて
金井さんのお話を読んでいて、私が変に思うのはコピーを全部コピーと部分コピーとに分けてお考えでない場合がある事です。

先日、「>光学系の支えの部分をあと0.2mm程度厚くする。これが正に、金井さんの独創部分と思います。」と書いたのはその部分なんです。レンズ全体としてはデットコピーに見えるかもしれませんが、金井さんの独創部分は、その「厚くする」部分と思うのです。他の部分、例えば、材質、概形などなどは先人の知恵となります。

>デザイナーが車のデザインをして、そのデザインに
>基づいて、車を作った。空力特性が悪くて、燃費が
>悪い車だった。別の人が、デザインを真似て、素人目
>には同じデザインに見えるのだけれど、微妙に異なる
>デザインの車で、燃費が良い車を作った。

この例の場合も、デザインはあくまでも前の人の知恵だと思います。後ろの人は、デザイン以外の他の部分の工夫を行ったから、結果として良いものとなったのです。だから、後者の独創部分は、デザインではなく、燃費を良くする他の工夫だと思います。

それが、もしデザインの一部を極僅かに変化させることで出来たのであれば、そのデザイン変更部分が独創部分と思います。こういう形態を「利用」ということもあります。つまり、前者の優れた独創的な概形を「取り入れ」、後者が一部を変更することでより優れたものを開発した事になります。前者は燃費を良くしようとすると、後者の工夫を取り入れなければなりません。

>最初のデザイナーに著作権・意匠権があることは
>明白です。2番目のデザイナーにはそういった権利
>は発生しません。

いいえ、これにもちゃんと著作権は発生します。二次著作物と言います。翻訳などは編集著作物と言います。両者とも少なくとも独自性の認められる部分は保護してあげようというものです。例えば、先日ちょっとお話にでたアンディーウォーホールの絵で有名なスープの缶を並べた絵があります。もし、スープ会社が自分のスープの缶のデザインに著作権を主張(普通は法人著作は稀なのでありませんが)した場合、アンディはスープ会社の著作権を利用して、自分の絵を作製したことになります。アンディはスープ会社に著作権料を支払う必要が生じる事もあります。

>著作権にしても、特許権にしても、表向きの趣旨
>が上記であることに異存はありません。

>真似、独創の区別(線引き)って、結局、人為的
>に決めるしか有りません。

これは本当にそうだと思います。テッサーの特許のBのような場合には、現在でも巧く法律が対応できない面が沢山残っています。現在でも、いたちごっこで、法改正が重ねられています。確かにレアケースや、悪意のあるケースに巧く対応できないのはそうですが、かといってその概形をレアケースの為に犠牲にすることができないという面が含まれていることは否みようがないと思います。


また追加 お名前: 管理人(金井)さん [2004/03/01] No.1305
私は、技術のオリジナリティーとその評価について、日ごろ思っていることをNo1288に書きました。telefunkenさん 、hirob_pさんから、いくつかのご指摘を受けました。No1288は日ごろ思っていることを書いたので、誤解を与える表現です。No.1290と1292などに、ちょっと説明を書き足しました。hirob_pさんのご指摘をよく読んでみると、まだ説明不足のように思えるので、追加します。

>何故コピーはダメか。皆が野放しでコピー可能にしてしまうと、最初の人の到達点までは何の苦労も無く行けてしまいます。その人は、そこから自分の知力を絞れば良いのです。でも、先人は、そこまで達するのに、多大な苦労を払っています。
 著作権にしても、特許権にしても、表向きの趣旨が上記であることに異存はありません。でも、テッサーの特許はそうなのかなー。
 @先人が入り口に到達するまで、多大な労力を払った。(先人の中にルドルフ本人がいることも事実です。)
 Aルドルフはテッサータイプレンズの一つを見つけた。
 Bルドルフは、テッサータイプほとんどすべてを網羅する特許をとってしまった。
 ルドルフにテッサー開発で、一定の功績が有ったことは否定しません。どういういきさつかは知らないけれど、ルドルフは自分の功績を膨らませるだけ膨らませた。何が発明で、何が模倣か。政治力か。
 テッサーを開発したルドルフには「先人としての多大な苦労」があって、Industar-50を設計した人は「何の苦労も無く行けた」とはとても思えません。苦労はどちらが多かったかは、私には判断できません。しかし、Industar-50がテッサーのコピーであると評価されていることは事実です。
 Industar-50-2が手元に10個ほど転がっています。何故コピーはダメか。Industar-50-2を見ていると、一般に言われている説明は普遍的妥当性を持っていないと思います。

>デザイン以外の技術内容も含めて、・・・真似は独創に対してより容易であるというのは過言ではないと思います。意匠においては尚更です! 
 「真似は独創に対してより容易であるということもある」には賛成ですが、たとえば、次の場合を想定してください。

 デザイナーが車のデザインをして、そのデザインに基づいて、車を作った。空力特性が悪くて、燃費が悪い車だった。別の人が、デザインを真似て、素人目には同じデザインに見えるのだけれど、微妙に異なるデザインの車で、燃費が良い車を作った。

 私には、工業デザインとして見た場合、最初のデザイナーだけがすぐれていて、2番目がより容易であったとはとても思えません。
 最初のデザイナーに著作権・意匠権があることは明白です。2番目のデザイナーにはそういった権利は発生しません。これは、現在の法制度がそうなっているから、ということに過ぎません。将来、法制度が進めば、変わってくるかもしれません。
 現在の法制度に従って、社会的には最初のデザイナーが評価されることに異存ありません。しかし、技術を知らない政治・法律屋さんの評価だけを鵜呑みにするのも抵抗あります。
 真似、独創の区別(線引き)って、結局、人為的に決めるしか有りません。


現在の法制度を過去に当てはめて、正否を論ずることの妥当性:
 現在の法律や条約で禁止されていることが過去に有った場合、その行為を批難することは可能でしょうか。当時の法制度を当てはめた評価をしないといけないのでしょうか。
 評価って、その人の考え・立場によっていろいろとあるだろうから、どちらも有りだと思います。どちらの立場も正しい。(正直言うと、素人の私には、判断できない。それだけです。)

 私が嫌いで信用しないのは、「ニコンがすると立派な開発」「ソ連がするとパクリ」っていう二重基準です。
 ソ連製品の外観意匠が、日本の三流会社の売れなかったヘナチョコカメラに似ているからって、それがどうした、って言いたくなってしまいます。Nikon-Sはどうでしょうか。当時、世界最高峰のコンタックスの外観意匠をまねています。しかし、Nikon-Sを「コンタックスのパクリ」と言う人が少ないのはなぜでしょう。(「パクリ」って表現を平気で使う人の中で、まともで信用できる人はtelefunkenさん一人しか知らない。 )ところで、内部を見ると、Nikon-Sは、複雑精密なコンタックスとはかなり違っています。猿真似の技術もなかったのか、と言って馬鹿にすることも可能です。

 しかし、私はそういう立場ではなくて、ニコンは優れた会社だと思います。ツアイスの高度技術を真似することにより、自分のところに技術を蓄積してきたのですから。ツアイスの技術は、高度すぎて、猿真似など到底できるものでは有りません。ニコンはいきなりすべてを猿真似するのではなくて、できるところから順にまねをして、自分のところの技術力を向上した。だからこそ、現在のニコンが有るのだと思います。技術力・経営判断ともに優れた会社だったからこそ、実現できたことです。

 ところで、リコーとZorki-10,11を比較した場合、現在の意匠法に照らし合わせても、Zorkiに何の問題もないと思います。まず「意匠」は登録制です。登録・公示しない地域で、意匠登録が適用されるはずもありません。
 不正競争防止法は日本に輸入しない以上、問題ないでしょう。発売後3年以上経過してからの輸入は問題ですか?
 
 



模倣:No.1296で、telefunkenさんは、書きました。
>ベルテレがサルマネの日本人・・・憎悪していた・・・カール・ツァイスやライツなどの会社レベルでは、日本のものをわりと評価していたみたいです。
 この話だと私には以下のような印象を持ちます。
 ベルテレは単なる職人で、「大学時代古代ギリシャ語の授業をとっていた」人のような、知識の幅がなかったので、技術を正当に判断評価する能力に欠けていた。単に、それだけのことでしょうか。

No.1298で、telefunkenさんは、書きました。
>マルクス・エンゲルスがいなくてもいずれ『資本論』や『共産党宣言』は誰かが書いた。・・・心情的には・・・賛成したいけど、ちょっとムリかもしれないなあ。
 もし仮に、資本主義・帝国主義の矛盾を解決し、人類を幸福に導く唯一の手段が、共産主義であるならば、共産主義にマルクス・エンゲルスは必要なかったと思います。私も、心情的には賛成したいけど、ちょっとムリですよね。


μιμησισ(ミメーシス) お名前: Масяさん [2004/03/01] No.1304
Привет:

金曜日は月末と言うことで報告書等の作成に時間を取られ、オリジナリティと評価についての考察を読むだけでした。
ギリシアのことで思い出したのが、プラトンのミメーシス。この世のモノは全て天上界にあるものの模倣であるという論。
誰が一番先に天上界からそれを引きおろしたかが今問題となるのか? 人間の考えることなんてみんな一緒のようなものだから世界で何かが必要となれば誰もが似たようなことを考えるでしょう。

現代のように法によって権利が守られていない時代では一つの発明に対して他の者がそれをベースにして改良を加えても問題はなかった(と思う)。
それ故に技術が急速に進歩したのではないかなぁ...そして法が整備され、発明者の権利が保護され権利がビジネスとなり、特許料を支払いたくないものは独自の技術を模索する。
それによって急激な進歩が止まり人類滅亡に向けて歯止めがかかったのではないかなぁ...文系の者の考え...ナンテネ!

光学の歴史:
河出書房の「新・遊びの百科全書、映像装置」では紀元前3世紀にアリストテレスの凹面鏡で敵の船を焼き払ったとか、前2世紀の中国の墨家も凹面鏡の研究が為されていたようだっと。
ローマ時代の哲学者セネカが水が入ったガラスに拡大する働きがあると記したようですが、水晶やガラスを研磨してレンズは作られていないようでした。
ずーっと時は流れて、ガリレオの望遠鏡は屈折式でベネチアのレンズが使われたようです。ガラス工芸は古くからあったそうです。
ガラスは中東シリアで興ったようで(いつ頃か分かりませんが)、ローマ帝国支配下にベネチアに伝えられたんじゃないかな?ん?レンズの歴史は...
ベネチアにてイスラムとの交易が始まったのは8世紀ぐらいかもしれないっとベネチアについての論文を提出したばかりの息子に教えられました。

撮影:
土曜日は世田谷の羽根木公園の梅まつりに行ってきました。カメラはフィルムが残っていたЗокий-1+Индустар50にКиев4+Юпитер12でした。新宿から10数分というところにこんないい所があるなんて知りませんでした。
沢山の人出はありましたが、三脚じいさんは殆ど見ませんでした。(日曜が多いのかな?)
日曜は天気が良くないと聞いていたので買物に行ってました。そこで健康の為にと念願の自転車を買って貰いました。これで自宅から15km?10km?圏内の撮影行が容易になります。
問題はどうやってカメラバッグを持つか?リュックか荷台に縛り付けるか。

甘いもの:
羨ましいです。自由にお菓子が買えるということも羨ましいです。
私なんかお小遣いが少ないから100円玉を握り締めて駄菓子屋さんに行くくらいしか...(いくら駄菓子屋さんでも100円でどれくらい買えるかなぁ)

おやじミニ四カー:
実はこれの取材でツヨポンと共演(?)したんです。

リコー:
リコーフレックスを持っているのでそのページからみてみたら、35mmフィルムを使用するための「リコーキン」、これって「ローライキン」の真似?
FF-1の前蓋はミノックス?コンテッサの真似?
リコーじゃないけどチノン・ベラミの観音開きはフォクトレンダーの真似?

久しぶりにギリシャ語を書いたなぁ...実は大学時代、私も古代ギリシャ語の授業をとっていたんです。まったく使い道がないので忘れました。
動詞一つで72の変化があるなんて覚えられません。

Пока


テッサー お名前: telefunkenさん [2004/02/28] No.1303
何『から』テッサーを着想したか、その真実はわかりません。彼がトリプレットを熟知していたことは疑いありません。テッサーの設計のときにトリプレットのことを意識していないと考えるのは、むしろ不自然でしょう。金井様のこの段はまったく正しいです。しかしトリプレット『から』テッサーを思いついたか、ということになると、ぼくはその可能性は小さくて、ウナーへの不満から、その前群とアナスチグマートの後群の利用、という発想の可能性が大きい気がします。(ただし人間の脳内の発想という過程が、こんな具合に線形に生起するものかどうかには、疑問があります。xxxからxxxを思いついた、という風に表現するのは、ひとつの比喩であって、ほんとはいろいろなものが渦巻いている混沌から、あるとき忽然とひらめく、みたいな非線形な起こり方という気がします)
ただしこれはただ『気がする』だけで、確証はありません。したがって一つの説に過ぎません。歴史事実に関しての説は、考証しようとする人のかずだけありうるでしょうから、ぼくはこの見方に味方してるだけです。
命名に関してはお説のとおり、トリプレットとの差別化の意識が強く働いているでしょう。レンズを現在の立場で分類した場合に、テッサーがトリプレットの中に入ることには、何の抵抗もありません。それは分類の問題で、分類が発展史と独立していることは、まったく不当ではないからです。
ルードルフの成功が、過去の蓄積や協力者の存在によって支えられていたことは、疑う余地がありません。これらの成功者は、文明発達史のなかの結節点みたいなものだと思います。ルードルフの特許は自分で書いたものか弁理士みたいな人の知恵がはいったのか知りませんが、ものすごく広範囲で、ずるいといえばこんなにずるい特許はあまり見たことがありません。
テッサーはテッサータイプすべて、つまり類概念だと思います。アナスチグマートがそうなったように。だからそれらは現代の技術者の中にも生きていると思っています。
ElmarについてのKingslakeの分類はテッサーについての彼の所論と矛盾しています。彼が生きていたら指摘して改訂させることもできたでしょうが、いまとなっては手遅れです。訳本は読んでいませんが、原書でもこの矛盾は存在していて、何の注釈もありません。
ちなみにElmarがテッサーからという説は、前にも書きましたが、ベレーク自身が認めていたらしくて、ElmaxをElmarに変えたのは、Tessarに敬意を表すためだったそうです。Berekの温和な人柄がしのばれる話ですね。いっぽうルドルフのほうは、Palmos事業部を社外に出してIcaの中核にする決定に腹を立ててZeissをやめてます。Palmosを創立して時に自分が中心に動いたという背景もあってのことでしょうが、いくらTessarのライセンス料の一部をもらってお金持ちになっていたといっても、ちょっと短気な仕打ちという気がしますし、高潔な人格者のアッベ教授にたいして、よくない感じがあります。



Re:テッサー お名前: 管理人(金井)さん [2004/02/28] No.1302
telefunkenさま、テッサーの由来の解説ありがとうございます。

 テッサーをトリプレットの発展型と捉えるか、プロター・ウナーの発展型(混合)と見るか、両説あります。
 日本で、後説を唱える代表がtelefunkenさんなので、No.1293は、きわめて論旨明快です。

 写真用標準レンズを分類して説明しようとすると、テッサーをトリプレットの発展型と見るのは、自然だと思います。三群構成なので、凸凹凸のエレメントになっています。 No.1194で、優れた3枚玉標準レンズは、すべて凸凹凸のトリプレットになる、と書きました。テッサーはこの定理の範囲内にあります。
 この見解は、写真レンズの発展史を無視して、レンズを現在の立場で分類しようと言う視点です。

 もう一つ、テッサーをトリプレットの発展形と見る論拠には、テッサーがトリプレットに対抗するレンズとして設計されたと言う事実があります。
 テッサーって名前はトリプレットを意識しているように思えます。トリプレットが3から来ているのに対して、テッサーは4に由来しています。

 テッサーを開発した当時のルドルフは、ウナー・プロターの知識も、トリプレットの知識も当然持っていたはずです。ルドルフがこれらの知識を駆使してテッサーを開発したわけです。そのとき、トリプレットを意識していたであろうことは容易に推察できます。( telefunkenさん、この段は間違っていますか。)

 テッサー構成の概略デザインに思い至った経緯は何であったのか。この視点に立つと、Kingslake説が出てくるのだと思います。ルドルフは勝手知ったるウナー・プロターの知識から出発したであろうことは、容易に想像できます。


 事実はどうだったかを推定してみると。。。ルドルフはいろいろな知識を総動員して、テッサーの原型をデザインした。それから、実際のレンズを設計するために、多数の計算人を使って、膨大な計算を行った結果、テッサーを開発するに至った。。。簡単に言ったらこれしかないと思いますが。
 「テッサーはルドルフの成果だ」って言う人がいたとしても、結局過去からの人類の積み重ねの中にあるのではないか。そして、多くの人の地道な計算努力の上に乗っかっているのではないか。

 もし、「テッサー」という言葉を、1902年にルドルフが最初に開発した曲率のレンズのみを指し、それ以外のすべてのテッサータイプのレンズはテッサーにあらず、と、テッサーの意味を限定的に捉えるならば、テッサーの功績のほとんどすべてをルドルフとその開発チーム要員に与えても良いと思います。(カビの生えたテッサー)
 しかし、インダスターを含むテッサータイプのレンズすべての総称ならば、テッサーの開発の功績者に、テッサーを改良・進化させてきた多くの技術者を無視する事は出来ないのではないか、そんなふうに思います。(現代に生きているテッサー)(ルドルフの特許は広範囲にわたっており、ずるい気がして嫌いです。)


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 Kingslakeのテッサーの位置付けの疑問

 telefunkenさま、以前から疑問に思っていた事があります。telefunkenさんのご見解を教えて下さい。

 キングズレークの訳本『写真レンズの歴史』を読むと、テッサーは「初期のアナスチグマット」に分類されております(訳本P87)。テッサーはトリプレットの発展形でなく、アナスチグマートからテッサーにたどりついた、説だからです。

 ところが、エルマーは「トリプレットとその改良型」に分類されています(訳本P114)。

 もし、そうだとすると、エルマーは、テッサーと開発過程が異なっていると言う事になります。訳本を見る限りその論拠に対する説明がありません。
 レンズ構成を見た場合、エルマーとテッサーとは、絞り位置以外違いがあません。にもかかわらず、系統が異なるレンズに分類するならば、よほどの論拠が必要だと思います。(原書には何か書いてありますか。)

 telefunkenさま、いかがでしょうか。


すっきり お名前: telefunkenさん [2004/02/28] No.1301
明快なご回答ですね。さすがは金井さま。鼻ずまりが直ったみたいにすっきりしました。でも今夜よふかしするネタがなくなって困る。
単一解の問題はいずれ誰かによって解かれる。ナルホド。理想解の集合としてのトリプレット。美しい表現ですね。感心しました。
テッサーがそうかどうか、ぼくにはわかりません。だからいずれ誰か系の発明なのかどうかも、わかりません。
張り合わせが後群になってる理由、聞いておきます。


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