金井さま ポスターについて言及するのを忘れました。とてもとても興味深いです。 ただ、わたくしは輪をかけてロシア語が全く分からないので。 左側のは、カメラ製造工場建設のためということなのでしょうか?むしろ、庶民がカメラの購入資金を貯めるために公債を買うという解釈はなりたたないのでしょうか?家一軒とはいわないまでも今で言えばローンで車を買うぐらいの価値だったことを考えると、積み立て公債という可能性はないでしょうか? photo apparat 写真機というのが前面に書かれていることからそんなことを考えました。また、公債が特定の工場建設のために発行されることがソ連で行われていたのでしょうか?興銀のワリコーみたいに、産業一般の振興資金と考えた方が自然ですが。 また右側、カメラが宝くじがお金でなく景品というのは日本でもあったような・・・。自転車も効果だったのは、映画「自転車泥棒」からも偲ばれます。カラーテレビはあったはずですが。すべて商品だったのか?15万ルーブル(?)というのは商品の価格総額なのでしょうか?一枚いくらぐらいですか? いずれにせよ、このポスターから「ロシア人がカメラ大好き民族説」というこの前からの主張の傍証としようとしているのです。戦前・戦後のカメラ普及率を各国で調べてみるとおもしろいのですが、生産台数の人口比だけでも結構意味があるかも知れませんね。
航空写真はいろいろな用途に応じて様々な種類が作成されたようです。日本の戦前の航空写真機についてですが、以下のHPが参考になります。 http://www.wetwing.com/documents/aerocam/aerocam.html わたくしが、あるショップで売っていたのを見たのはおそらく陸軍100式だったと思います。40センチぐらいの大きさで、鏡筒部分だけでも20センチを超えていました。ニッコールレンズだったと思います。これが「小型」写真機のようです。 ブローニーや35ミリでの据え付け型でない航空写真機は、現在の衛星写真のように兵力・生産力、土地の利用状況等の偵察用としても使われたと思われます。 スリットのスキャニングと進行速度とのシンクロナイゼーションについては、まさにその実用性が問題となったことでしょう。 戦前のカメラ産業については、以下のメーカーの他、ハンザキャノンの精機光学、マミヤ光学などがあるようで(他にも多数あると思われます)、戦前のピーク時の1940年に、21万台の生産とあります。トイカメラのようなものも含んでいたのかどうかは不明ですが、かなりの生産台数といえるのではないでしょうか。また、ハンザキャノンは当時で約270円というパンフも見ました。コンタックスが家一軒というのはよく聞く話ですが、戦後の直後ライカでも現在の自動車に相当するぐらいだったことから、戦前の270円はかなりの高額だったろうと思います。もっとも当時の金持ちは、わざわざ日本製を買うよりは少し高くてもドイツ製を買ったことでしょうから、特別の理由がない限りは、高価な日本製は需要がなかったようにも思えます。ハンザキャノンは何年か前にオークションのカタログで見ましたが、それこそ、家一軒(ただし上モノだけ)が建つ値段でした。つまりほとんど数が出なかったということです。 日本国内では、大体1930年頃から民間用の光学器械メーカーの生産が本格化していくようです。ベスト版が中心だったようですが、リコーの二眼レフ、キャノンの35ミリのように戦後の生産と関係する技術の蓄積はすでに戦前にあったわけです。戦前の民生機器の国産化には小原光学ガラスの果たした役割は大きいかも知れません。それまでは光学ガラスは、わずかに日本光学が自社生産する他は、すべて輸入に頼っていたようですので。 ●戦前の日本のカメラ・レンズ ○リコー系 1927年理化学興業株式会社設立 1934年オリンピックA型(ベークライトボディ・ベスト版) 1941年リコーフレックスA型(二眼・ブローニ版) ○ミノルタ系 1928年日独写真機商店 1929年ニフカレッテ(仏クラウス光学会社の社員派遣) 1937年社名変更「千代田光学精工株式会社」 1937年ミノルタフレックス(二眼・ブローニ版) ○コニカ系 1903年小西本店チェリー手提用暗函(手札版)日本初の独自ブランドカメラ 1940年Rubikon(X線関節撮影用カメラ)→KonicaT(1948年) ○東京光学系 1932年東京光学器械株式会社設立 1937年ロード(蛇腹式・セミ版) 1938年ミニヨン・シリーズ ○山崎光学 1931年大型カメラ用レンズの国産化成功(コンゴーレンズ) ○帝国光学(戦後のズノー光学) 1930年設立(主として陸軍用光学機器) ○小原光学硝子(現オハラ) 1935年小原光学硝子製造所(個人経営)設立 1936年光学ガラスの熔解開始 ▼レポルタールで気になる光学系というのは、向かって左側、ドレーカイルのようにも見える丸い小さなレンズ(?)です。ミノルタやプラウベルマキナでは単にレンジファインダーなのでこういったレンズ(?)はないのです。
活発な議論、ありがとうございます。落ち着いて読んだのですが、難しい。 航空カメラ: すみません、良くわからないのですが、そもそも、航空写真って何のために使うのでしょうか。 航空写真を利用して地図を作成する場合は、山の高さなどを補正する必要があると記憶しています。どうせ補正するならば、レンズの歪曲も同時に補正すれば良いのだから、歪曲のあるレンズだと困る事は無いと思うのですが、誤った認識でしょうか。 戦争のとき、航空写真を使って、敵軍の位置を割り出す事は重要だと思います。この場合は、歪曲があったり、複数の画像に分割していた場合(マルチオブジェクティブ )でも、位置を割り出すためには、簡単な計算をすればよいのではないか、そんな気がします。広い範囲を歪曲の少ないレンズで撮影した場合は、計算を必要としないというメリットはあるとは思いますが。。。(本職が計算屋なもので「計算をしなくても良い」は全然嬉しくないのです。) 航空写真を商用に利用するため、多くの人にインパクトを与える写真を作ろうとするならば、広い範囲を歪曲の少ないレンズで撮影するか、分割写真を上手につなぐ必要があるということは分かります。戦前のソ連で、そういった需要で、航空カメラを開発していた事はないですよね。(違うかなー。) 航空写真の目的が、全然、分かっていないので、どなた様か、お知恵を下さい。 スリット写真: すごいカメラを自作する人がいるもんですね。思い通りの写真を撮るのは、とても難しそうです。 スリットカメラをスキャンしながら飛行した場合、スキャン速度と、飛行機の速度・方向を正確に把握する必要があるので、実用的には、かなり難しいのではないかと思いますが、どんなもんでしょう。 REPORTER: すみません、けろけろさんと、hirob_pさんが「気になる」光学系ってどれですか。 eBayオークションに、REPORTERが出品されています。(高い。) http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=2958125455&category=710 TURISTもあります。 http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=2957819685&category=15247&rd=1 戦前のソ連カメラ: No.427で Масяさんご紹介のページには、EFTE-ARFOの3機種が掲載されています。ここは、KMZと関係大有りでしょう。 このページの最初のカメラ、EFTE-ARFO製のFOTOTRUDとGOZ製のFotokorには、どんな関係が有るのでしょう。見た感じそっくりですよね。FOTOTRUD前面マークはどうなっているのか、写真では判然としませんね。疑問は次々に湧いてくるのだけれど、調べるのは大変。(ロシア語は読めないし。FOTOTRUDって、「労働者のカメラ」って感じの意味ですよね。) けろけろさんは次のようにご指摘です。「ロシアの戦前のカメラ産業は…日本より発達していたのかも知れません。」 でも、戦前の日本のカメラ産業はどの程度のもんだったのか、私は知らないので。。。ハンザキヤノンなどは、どの程度製造されているのでしょう。。。戦前キャノンのレンジファインダーは、いくらぐらいで買えるのでしょう。。。 ところで、添付画像は、3月に川崎のミュージアムで行われたソビエトポスター展の2枚です。 左は1931年のもので「公債を買ってカメラのための資金を積み立てよう。社会主義建設にカメラを使おう」というポスターです。良く見ると、このカメラ、FOTOTRUDかFotokorのようにも見えます。GOZかEFTEのために公債を発行したのでしょうか。このポスターを3月に見たときは、カメラ輸入資金の調達なのか、カメラ製造設備資金の調達なのか、どちらだろうかと思ったのですが、最近の一連の投稿を見ると、カメラ製造設備資金の調達に思えてきました。 右のポスターは、1929年、宝くじの宣伝ポスターです。なんと賞品に似たようなカメラが有るではないですか。高嶺の花とはいえ、一般国民もカメラを欲しがっていたのでしょうか。55ルーブリって書いてあります。
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ありがとうございました!良い週末を(Масяさん的に)! でもこっちはなんだかちょっと曇ってきた…!?
LOMO: LOMOのOは英語ではAssociationって訳すらしいのですが、日本語では合同って訳すそうです。こう言うのって、難しい。 私のページの工場説明は結構誤りが多いので。。。困ったなー。直していない。特に、Oは企業合同だから、歴史は枝分かれして、複雑で大変です。(日本の四大Bankの変遷より簡単かな。) また、軍・民の区別も難しい。ナイトビジョンは軍民どちらか。ライフル銃はどちらか。私は、軍需品の範囲を、広く解釈しています。 UDM: UDM共和国ってご存知ですか。ストロボに添付していた文書の住所が、そうなっていました。 http://cccpcamera.myhome.cx/RussianCamera/OtherGoods/Flush/index.htm 地図で見ると、カザンよりももっと東です。ロシアは広い。
РАООМПはロシア光学機械製造株式会社の方がよさそうですね。 ВООМПも全ソヴィエトというより全ソ連邦というべきでした。
Ломо社の社史からです。 科学(と)産業センター(20世紀初頭、設立時): Научный и Промышленный Центр РАООМП(1913年): Российское акционерное общество оптических и механических производств ロシア光学機械生産株式会社 ГОЗ(1921年): Государственный оптический завод 国立光学工場 ГОМЗ(1930年): Государственный оптико-механический завод 国立光学機械工場 Ломо社だけではありませんが、おまけ ВООМП(ФЭДにありますよね): Всесоюзное объединение оптико-механической промышленности 全ソヴィエト光学機械工業同盟 あっ私のリコーフレックス使えます。
レニングラードと光学 金井さんのカメラ工場の記載も合わせてよんでレニングラードが光学と関連が分かりました。GOMZ→LOMOなのですね。でも、GOMZ=科学産業センターではないのかなぁ?「O」は光学の頭文字のようですが…イヤイヤ自分で調べますね。 フィルムカッター 私は壊れたリコーフレックスのなかにカッターの刃を入れて作りました。各部の調整がちょっと面倒(なかなか127ぴたり幅を調整できなかった)ですが、工作自体はとても簡単でした。構造はご紹介のページと全く同じです。私の場合は下板が木だと傷やホコリが付きそうだったのでプラにしました。ですが…プラを加工が楽なアクリルにしたのでホコリが集まる集まる…切る前のブロアが大変です。意味無いですね。 そろそろこちらでは四季桜が咲く頃です。カメラとおにぎりを持ってゆっくりと可憐な(四季桜は本当に頼りない感じ)花見を楽しみたいです。 大リーグは全然分かりません…この間、お爺さんが吹っ飛ばされて泣いていたのはニュースで見ましたが。吹っ飛ばした人が確かレッドソックスの人??違うか??
消化不良にはお粥というようなネタを考えていたら、レッドソックスが負けてしまいました。 こっちがお粥しか食べられないような心境です。 ロシア関係の疑問などを読むと、調べようかどうしようかと動脈硬化を起こしそうです。(なんじゃ、そりゃぁ) っで、ネットで探したらやはりカメラ本体を活かしてフィルムカッターを作られた方がいたんですねぇ。 http://www.cosmonet.org/camera/pico_film.htm 明日はオレグと例の友人、ヴィクトルを連れて科博物館の地震展へ行こうと考えています。二人に震度7を体験させてあげたいです(レッドソックスが負けた八つ当たりでもあるかも?)。 ちなみにヴィクトルって耐震や免震建築のために来日したそうです。先日の地震は怖くなかったそうです。 日曜は久里浜にコスモス見にいけるかなぁ... では、よい週末を!
管理人の金井です。活発な議論をありがとうございます。でも、最近、情報量が多すぎて、内容も高度でついてゆけない。 明日は土曜日なので、落ち着いて読みます。 今日は良い天気: 快晴です。最近、通路に銀杏の実が落ちていて、踏むとすべるし臭いし、あまり気持ちがよくありません。アスファルトに銀杏の実は、ちょっと似合わない。木々も多少色づいてきたので、へそ曲がりの私は、モノクロを使ってみたくなってきました。 16ミリフィルム: ルビテルの中に、カッターの歯を入れれば、簡単にカットできそうな気はするのですが、撮影後の現像はさてどうしようかと、そこで思考が止まってしまいます。モノクロで自分で現像した場合は、廃液処理方法で困ってしまいます。本当のことを言うと、Kiev30に「そこまでして使いたい意欲」が沸いてこないのです。 Kiev-VegaからKiev303まで、似たようなのがあるけれど、これらはみんな、ウマンスキー・ザボード・ベガで作られているのだろうか。アーセナルでも作っていたのかなー。 戦前のカメラ: 御存知のとおり、戦前のソ連カメラでは、レニングラードのGOMZとハリコフのFEDが有名です。レニングラードは言わずと知れた、ロシア革命の聖地、ボリシェビキの拠点です。(正しくは、川の北側。)ウクライナではもともとボリシェビキは強くなかったのだけれど、ハリコフはウクライナでのボリシェビキの拠点でした。 戦前、カメラを作ることが、プロパガンダとしても重要だったのではないか、だから、ボリシェビキの拠点であるレニングラードやハリコフで作っていたのではないか、と思っているのですが、どんなもんでしょう。レニングラードとハリコフを比べたら、それは、レニングラードが格上だから、より重要なカメラはレニングラード製だったのではないか、そんな推測をしています。
Привет 昨年6月の写真工業誌(唯一持っているこの雑誌)の広告にありました。東京世田谷のスタジオB.T.さんというところからブローニーフィルムから加工されたフィルムが売られています。 色々とありますが、ここで話題になったものを。価格は省略します。 127ネガフィルム、現像はコダックへ 127リバーサルフィルム、現像はコダックまたはプロラボへ 16mmリバーサルフィルム、現像はプロラボへ またフィルムカッターも売られています。 127/16mmフィルムカッター、ダークバックを使用するものと無しでも使用できるものもあります。 16mmフィルムカッター、35mmフィルムから加工するもの。 それと ミノルタ16スプール マミヤ16mmスプール 127スプール などが出ているようです。 売られているお店は アカサカカメラ、ウツキカメラ、富士越カメラ、レモン社全店っと東京ばかりですね。 最近読んでいないので、まだ広告掲載しているのかなぁ... 戦前のロシア光学界: 以前書いたことですが20世紀初頭、サンクト・ペテルブルグに科学産業センターというものが創設されました。 日露戦争で技術が発達したそうで。今のЛОМОです。 Пока
FSXさん、こんばんは(確か645モスクワをお教え頂きましたね!)。スリット写真は驚きました。写真て奥が深いですね…本当に色々な楽しみ方ができるものですね。以前私の住む近辺でギネスブックに登録されている長い写真を撮る方が居られると何かで伺った事がありますが、同じ原理なのかもしれませんね。 けろけろさん、レポルタールの離れたところの光学系気になりますね。本体側は通常の距離計ということですので、なんでしょうね。それと「お役に…」なんて言わないで下さい。お教え頂いている立場ですので…。 ここの掲示板は毎日色々なことを知る事ができるのですが、情報量が多すぎて消化不良になりそうです…。mirさん、まだあのPDF読み終わりません。googleで「日大 竹内 輸出 カメラ」で最初にかかります。
送った後でFSXさまのに接しました。 なるほど、むしろ進行方向と同一の方向でスリットをスキャンしながら、フィルムも移動させるということで、帯状の地域を撮影できたのでしょうね。ううむ、その実物を見てみたいものです。ありがとうございました。大変に参考になりました。
hirob_pさま お役に立てたようでうれしく思います。ただ、わたくしも、スリットカメラの実用性については疑問で、進行方向と直行する方向で撮影してもやはり問題は残っただろうと推察しています。広いシベリア大地を高々度から撮影するぐらいしか用途は考えにくいところです。この技術も結局パノラマカメラに転用されたということなのかもしれませんね。 ベガは、ミノルタ16を元にしているとの記述に接しました。 また戦前のレポルタールは、ミノルタの同様の機種とともにマキナが本歌であるとも。ちなみにこの戦前のミノルタは持っています。手札版だと思います。実写したことはありません。距離計は通常のレンジファインダー方式で、レポルタールも同じだと思います。ただ、ちょっと離れたところの光学系が気にはなりますが。 ロシアの戦前のカメラ産業はよく分からないことが多いのですが、フェドだけではなかったのは確かで、戦前の日本よりは発達していたのかも知れません。ただ、逆に過大に評価することにも慎重でなければと思っております。 110の一眼レフはソ連でも作っていました。これがペンタックス110と関係があるかどうかはまだ分かりません。外形はかなり似ています。 カメラというカテゴリーから落ちるものとして、ミニチュアカメラという分野があります。16ミリとかさらに小さなフィルムを使ったこれらのカメラは、30年前頃まではよくおもちゃ屋などで売っていました。戦後直後から占領軍の兵士のおみやげ用とか、輸出用に日本で単レンズ・ブリキプレスのおもちゃカメラが大量に作られました。今ではそれは、外国では結構高値で取り引きされます。 ミノルタやヤシカの16ミリカメラはこれらの延長上にあったのだと思います。 16ミリ映画フィルムと16ミリカメラのフィルムはパーフォレーションの有無に違いがあって利用できないと思うのですが。
このように写ります。 http://www.asahi-net.or.jp/~js4k-nmk/
私は127を使うので切り出しが時々巧くいって16mmが綺麗に残ることがあります。それでマミヤの16mmが欲しいなぁと思って調べていた時に映画用の16mmフィルムはネガもポジも今でも売っているということが書いてあったのを思い出しました。そうすると詰め替えだけで使えるのかもしれません。ちょっと検索してみると下記のURLに確かにあります。ということは現像も何処かでやってくれるのでしょうかね? 写真用途に出来るのかはよく分かりませんが製品名は写真用と似ていますね…。ソ連16mmではベガ30外装のベガ303が欲しいなぁぁ…。 http://www.fujifilm.co.jp/motion_p/ichiran.html
こんばんは。けろけろさん、有り難うございました。 スリットカメラとマルチオブジェクティブがよく分かりました。ホリゾン等がスリットカメラにあたるのでしょうかね。元々は航空写真用途のカメラだったのですねぇ。でも、ルサールは幾ら湾曲が少ないレンズといっても仰せのように別の手法の方が地図作製には向いてそうですね。スリットカメラは合計露出時間は長くなるように思うので、揺れる飛行機上での撮影は難しい状況もあるかと思います、一回の撮影で広い範囲を撮りたいというと偵察用途の写真等でしょうか?あれこれ考えると面白いです。
ミーシャは学生時代、普通にВегаを使っていたようです。 16mmフィルムで思い出したのがミノルタ16。小学校のとき同級生が使っていました。初期型がВегаの元なのかな? っというようにソ連でも普通に使われていたんでしょうね。でもおこちゃまは使っていなかったろうなぁ... 当時はカメラにさほど興味が無かったのですが、後年あれは110だったのかなぁ...最近になって16mmだったんだぁっと気が付きました。 ん?Вегаがスパイカメラならミノルタ16もそう言われるべき? 何かのドラマで機密を撮影するというシーンでペンタックスauto110が使われていたのを思い出しました。 まぁ、映画「ローマの休日」でグレゴリー・ペック(でしたっけ?)が使用したライター型のカメラは日本製。ミノックスを除いたらこの分野は日本の方が強い?
「移すとき」→「写すとき」です。すみません。 なぜ特許出願かということですが、民生用として商品化すること=技術の公開で、特許で守る必要が生じたのでしょう。民生用としたということは、軍事用として必要がなくなったということを推察させます。 それから誤解されがちですが、冷戦下といっても、人とかモノの交流が途絶えたわけではありません。ブロック経済だけで完結していたのではなく、米ソ間での輸出入はあったし、大学や企業の交流もあったわけです。モノを売る以上は場合によっては特許で守る必要もあります。べつに雪解けを意識していたわけではありません。 有名な、We take the brain. は、ヘルマン教授の分析では、ドイツの航空写真技術に着目したことになっています。 戦前・戦後直後の航空写真は35ミリでなるべく広い範囲を低空でとるというのが主流だったのでしょう。そして、それは占領政策の施行とか、軍事力競争のなかできわめて重要な部分を占めていたと考えられます。だから優秀な広角レンズの開発が喫緊だったのでしょう。 広角が必要だったのはおそらく、写した範囲と別の範囲とのつなぎかたが、うまくできなかったからだろうと思います。 この航空写真のスキャン方法がソフィスティケートされれば、むしろ望遠系で多数枚撮ってつないだ方が詳細なものができあがるわけです。こういった周辺技術の発展があって、広角レンズが必要でなくなっていったと考えられます。 また、航空写真機自体も大型化したことも影響しているかも知れません。わたくしがいままでみた航空写真機は、ハッセルブラッドの特殊カメラとか、日本光学製のさらに巨大なレンズとか、大型のものばかりでした。ソ連でも大型化していけば、大判のレンズは、35ミリ用レンズをそのま相似拡大すればいいというものでもないので、軍事用としてはほとんど役に立たないことになった、そういうことだろうと思います。
スリットカメラは、パノラマカメラのように、スリット部分の回転により写角を広げるもの、 マルチオブジェクティブは、複数のレンズを装着して合成写角を広げるもの いずれにせよ、「まともな」広角レンズがなかったため、そういった苦労があったということを書いてあるのだと思います。 ハイパーゴンは、周辺減光を避けるために中心部に風車があって移すときそれを回してセンターフィルターの代わりにしたものだったと思います。
Привет 我等がレッドソックスが3勝3敗のタイに。ちょっと気分がいいです。天気もいいですが。 ロシアカメラはモスクワで買うのですが、そういう大判カメラってあったかなぁ... って、ちょっとご勘弁を...えっВегаぁ? 毎週木曜は某週刊マンガを読むのですが、新連載の漫画に浅草のカメラ店が出てきて、セリフに「キエフのシャッター直したか?」って。その後が良くないのですが... あっ別にカメラ漫画という訳ではないようですので。 この作者は前作の中でライカのクラブを取り上げて、その中でメンバーのあばあちゃんが、「足腰が弱くてすぐ転ぶ。そんな時ライカは丈夫だから壊れない。」とありました。 私が唯一納得できたM型ライカを持つ理由でした。(私自身、本で読んだだけでどれだけ丈夫か知りませんが) ルサールとАЩАФА...КМЗに聞いてみようかなぁ... Пока
管理人です。リンクのページで、Moscowgiftをリンクしていました。リンクを張った当時は、カメラやマトリーシカを販売していて、一部カメラの使用説明などもありました。しかし、最近見たら、なんと猥褻ページになっているではないか。慌ててリンクを解除しました。 もし、不快な思いをした人がいましたら、申し訳ありません。 Kiev-Bega: このカメラのことをスパイカメラって呼ぶ人もいるようです。もしスパイが秘密撮影に使ったら、一枚撮るごとにガチャンガチャン大きな音がして、周り中の注目を浴びてしまう。本当はどんな状況で使うカメラだったのでしょう。 オリンパス: ついにオリンパスもデジタル一眼レフを発売したようです(まだ見ていない)。ズイコーも復活しました。時代は完全に銀塩からデジタルに移りました。そんなわけで、カメラメーカーやレンズメーカーは業績良いんですよね。
ルサールの特許出願の謎は面白い視点ですね、hirob_p さん。 たしかにすぐ緊張関係に入っていくので奇妙に感じます。 戦後すぐは、平和に東西の垣根もなくなるという観測だったのでしょうか。 ルサールに関しては何度か活発な論戦(というほどでもありませんね...)があったと思いますが 航空写真にはもっと狭い画角なはずだ、と言う意見もあったのを思い出しました。 この特許の掲示板掲載は興味のある人には最高のプレゼントになったのでは?
>АЩАФА: 頭文字を集めたものなのですね。スリットというのはあまり聞かないようにも思えますが、シャッターの変わりにスリットを使ったということでしょうかね?ボックスカメラ? >例のレンズ ってМасяさんのやつですか? 見るとピント調節用のネジ以外にファインダーと対向してもう一つのネジがありますが、もしかするとアオリ用かなぁ?面白そうなカメラですねぇ。Масяさんセット型シャッター付きの方をゲットゲット〜! そして、「Репортёр」ってカメラには変わった単独距離計が付いていますね。イコンタのドレーカイルより前にも本体から離れた距離計があったのですね。。。なんだか凄いなぁ。 ついでに先日の疑問が解消。。。ご紹介のページを拝見すると既に1926年にエバーセット型のシャッターを搭載したカメラがあるのですね。年代を追うとセット型のシャッターになって…とレンズシャッターは昔から作っていて技術があったということですね。私は戦前のソ連にはカメラ技術がないように思っていました…すみません。下地がなきゃ模倣もできませんね。
ロシア人と買物に付き合うと、いつもこの言葉が出ます(私も言うようになってしまいました。しかも"とても"を意味するоченьをつけて)。 Мир-1Ш: だってぇ、コレ一つで私の1Bが3、4本買えるんですよぉ...Индустар50なら6本ですよぉ... АЩАФА: アシチャーファとでも読むのでしょうか。何かの略です。Щелевой АэроФотоАппратっと後の4語はこうだと思う(社史から)のですが最初のАが分からない... これだけだとスリット航空写真機です。 Дробышев(Drobyshev): コレはまだ分かりません。探していてたら例のレンズはフォトコール用のОртагоз(オルタゴス)ではないか(?)ということを見つけました。 http://www.photodome.ru/Articles/Abramov/Soviet-Foto-Ind/LargeFormatCam.htm ここでフォトコール(Фотокол)が見られます。レンズのアップも見られます。 ロケット: 日産でした? 1966年日産に買収されたプリンス自動車の前身、富士精密がロケットの研究をしていました。またその前身は立川飛行機、中島飛行機...
この添付のものはベルテレの特許なのですが、普通、発明者のところにはこんな風に書かれていることが多いです。先のルシモフ?ロシモフ?のように研究機関とか会社とかが書かれていなくてレニングラードとだけ書かれているのはこのような大きな発明では珍しいと思います。当時のロシモフの出願をみたらミステリアスなイメージを抱いたかもしれませんね。連続のうえ重くてごめんなさい。
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Мир-1Шが300ルブール: 物価が変わったのでしょうか。Масяさんは、これを高いと感じているようですが、VOMZのホームページを見ると、Mir-1V:427ルーブル、Jupiter21M:1007ルーブル、Mir-47K:2079ルーブル、となっています。同じレンズなのだから、300ルーブルは、プレミアム無しの中古価格として、妥当だと思います。一眼レフ用交換レンズが1200円は安いと思う。いや安すぎる。6×9判8枚より安い? 情報収集: 本人は「いえいえ」「安直な情報の利用」と言ったりするけれど、普通はそれが、なかなか出来ないんですよ。 宇宙開発技術: 今日のニュースによると、中国が有人宇宙船打ち上げに成功したそうです。ソ・米に遅れること42年の快挙です。かつて、東京荻窪の日産では、宇宙ロケットの研究をしていました。でも、この技術が日産車に特別な技術に繋がったとは思えないのです。どんなもんでしょう。 ルサール: ルサールは歪曲・周辺光量の低下を押さえたレンズとして有名です。(でも、持っていない。)構成図を見ると外側のレンズが凹レンズになっていて、トリプレットとは逆でしょ。周辺光量の低下を押さえるための工夫で、このように外側に凹レンズを置く構成は、Leearが最初だと、どこかで読んだことがあります。トポゴンは外側が凸レンズで、Orion-15もたぶん外側凸レンズです。ルサールは歴史的名レンズなのだけれど、やはり特殊用途だったのでしょうか、数が少なくて高価です。 それから、1942年〜1945年に製造された航空写真機が、クラスノゴルスクで作られたとは思えないので、この時期はレニングラードとかクラスノゴルスクとかは、あまり関係ないと思います。まさか、包囲下のレニングラードでルサールを設計していたと言うことはないでしょう。(この前の日曜日は、レニングラード攻防戦のビデオを見ていました。)
"АЩАФА-2"(なんと読むのですか?)は面白いですね!このМасяさんの書き込みを拝見して先の特許の中をよく見てみると色々書かれていました。このレンズが航空写真用、地図作製用、測量用である事。具体的にルサールの名前もでてきます。また、ルサール以前にも1934年にLeear-6という広角レンズがあった事。その他、Drobyshev Camera?という会社?でマルチオブジェクティブ(ってどういう意味ですか?)なカメラが作られていたとか書かれています。ツアイスのトポゴン等も従来技術として触れられています。ちょっと面白いので添付しますね。
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КМЗの最初の製品は1946年のМосква-1と言われていますが、1942年(2月1日創業)から1945年にかけて"АЩАФА-2"という航空写真機が400,000台作られたとКМЗの社史に書かれています。 ルサールにはКМЗのマークがありますが、АЩАФА-2の開発にロシモフが関わったのか? そのレンズがルサールとなったのか? 特許出願にはレニングラードと書かれているんですよねぇ。
金井さん的言い回しですと、半分はうらしまレスですが…面白く拝読拝見思考させて頂きました。 フォーカルプレーンシャッターの比較: はさすが…これだけカメラを持っていないと知り得ない情報ですね。それにしても色々な種類がありますね。縦走り布幕というのはなんだか不思議なシャッターですが、どうして他に聞かないのですかね…?コンタックス関連の記載では鎧戸シャッターの特徴は走行距離の少ない縦走りという記載も目にしますが、そういう意味では布でも金属でも便利なの?と単純に考えますが…。 軍事・宇宙研究→民生転用: 金井さんのお話を読んで、考えると西側でも軍事転用技術ってそんなに多かろうか?と考えてしまいました。「例えば…」と色々と挙げられておられるので、そういう思考があったことはあったのですね。何となく、軍事研究はあっても、民生技術研究にはお金も人も割かれていたのかなぁ…と。また追々分かっていくことかもしれませんね。 また、先日なぜルサールの特許を引っ張ったかというと、うる覚えで写真工学の誌面でルサールは元々航空機用?だったかのレンズとして開発された特殊レンズだと書かれていたのに、特許出願されているとも書かれていたからです。それは矛盾じゃない?と咄嗟に思います。そこでひっぱてみると1946年の出願。どうして、ソ連はこんな時期(お互いこれから近況関係になることは意識していたのでは?)にアメリカに出願しているのだろう?と不思議です。特許というのは、技術公開の代償としての権利なので、必ず技術公開を伴います。種明かしをしていますよね。現在、アメリカでは自国の軍事転用可能な技術等には秘密にできる特殊な制度があって、民間人は見る事ができないようになっています。普通はそうやって気を遣うものだと思うのですが…また、色々考えて楽しみます。 情報収集: は間違いでしょうか。私は安直(PC前で指一本!)な情報の「利用」はしましたが、情報の「収集」はしていません。真の情報収集は他の方がされています(例えば金井さんですね!)。多少、仕事に関係して「利用」方法を教わっただけのことです。
Привет 折角撮ったのでっと、例のレンズとВЕГАです。ВЕГАをくれたミーシャは以前掲載したユーリアのお父ちゃんです。 ついでに...ミーシャの兄ちゃんのワシリーとアンナが結婚したのでオレグとは義兄弟になるんです。でもロシアってそういう感覚が日本と違うようです。 Москва5: 今回のテストでは画面の隅はバラの花及び葉ですが綺麗に撮れていると思います。春に撮った桜を四切に伸ばしたら結構あれていました。 尤もМир20でf3.5の開放でしたし...ルーペで画面を確認していませんが、大きく伸ばした時に差が出ると思います。 う〜ん、秋川渓谷、御岳渓谷、吾妻渓谷の紅葉...持っていくのが面倒だから六義園(文京区)になったりして! 携行に便利で手持ちでも撮れる...トレッキング(私の場合それ程のものではありませんが)に向いているカメラなのかもしれませんね。 一枚あたりの単価が高いですが、本来は息子用にと考えたもので...中学生には贅沢ですね。でもじっくりモノを観るタイプで、135の罠に陥りそうなので中判の方が安上がりになるかも? 今、学校の図書館で読んだ写真集、京都月光浴に影響されているようです。 Мир-1Ш: 私の1Bはワレリーが買ってくれたもので確か日本円で300円か400円くらいじゃなかったかなぁ...それに対して1Шは1200円...安くするのが目的だったようなのに。 情報: いえいえ、多少ロシア語が分かるのとロシア人の友達がいるという程度のものです。今やロシアのメーカーは情報をWEBで提供しているのでそれを見ているだけなんです。 私もルサールの特許出願には驚きました! Пока
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ルサールの特許: hirob_pさま、よく入手しましたね。私も、mirさん同様hirob_p さん、Мася さんの情報収集力はうらやましい限りです。 1946年出願と言うと、戦中の成果を、戦後になって特許出願したのでしょうか。 改めて眺めてみると、美しいレンズ構成ですね。今はコンピュータを使って簡単に設計できるけれど、当時は大変だったろーなー。広角レンズの計算は、望遠に比べて、はるかに計算量が多くなると思います。それにしても、歴史的な特許ですね。 6×9(Moskva5): 1枚あたりものすごく高い感じがするでしょう。だから、貧乏性の私は、モノクロで撮るようになります。ブローニーはモノクロ専用カメラ。 やはり、周辺の描写が悪いと言うことはないですか。テッサーだから、取り立てて欠点はないと思っていました。ちょっと安心しました。 mirさんもお持ちなのですか。そのうち、hirob_pさん も入手するだろう(勝手に決めるなって)。 Re ГОМЗのレンズ: 7/17のNo.210にありました。ごめんなさい。 ネットを介して匂いを送るという技術: 何でしょうね。匂いを3原色のように分解して、重ね合わせるのでしょうか。宇宙開発技術と関係があるのでしょうか。
おっと、書き損ねてしまいましたので連続で失礼します。 私もモスクワ5を入手してしまいました。 実は以前4でしたが持っていて、モスクワは二度目です。 もともとこの手のカメラには余り興味がなかったのですが 最近645判を使ってみて、さらに大きなフォーマットが欲しくなってしまいました。 大きなフォーマットというと ソ連にはなかったと思いますがベスト判も非常に魅力的なフォーマットですね。 思うところあって127はすべて手放してしまいましたが またまた欲しくなりそうで...
ルサールの特許、たいへん面白く(といっては失礼ですね)拝見しました。 ちょっと小さくて目がついていけませんでしたが、米国は特許がすべてpdfなどになっているのですか?すごいですね。 それにしても hirob_p さん、Мася さんの情報収集力はうらやましい限りです。
Масяさん、幾度も色々教えて頂き有り難うございます。モスクワ5は、手に取ったことも無いのですが、ネット上で拝見する限り、機能的は69スプリングの完成版と思ってあこがれているので、内心Масяさんの「凄い!」って言葉を期待していたのです…。でもやっぱり欲しいのでこれからも探しますね〜。
撮り方ですが、バラに向かってただスナップとしてf8〜11、1/250秒、手持ちで撮っただけでした。手前にあるピントが合っていない花は当然ボケています。 画面の隅までシャープだと思います。色も鮮やかです...Юпитерと同じような結果だと思います。 だから初めてЮпитерの写りを見た時程の感動がありませんでした。ただプリントがサービスサイズですから、大伸ばしにすると驚くべき結果がでると思います。 やっぱり三脚を据えてじっくり撮る風景写真に威力を発揮するカメラだと思います。 6×9でフィルム1本で8枚、現像+プリントで約1100円。なんと贅沢なスナップ... 先日話題になったМир1-Шですが、КМЗの会議室で300ルーブル(約1200円)で売られているよっと投稿がありました。 http://www.zenit.istra.ru/cgi-bin/fforum.cgi?action=get&value=22401 探しているという人へのレスみたいです。
日大の経済関連?の発行雑誌のなかに元カメラ会社の方?が書かれたカメラの品質向上と輸出検査というタイトルの論文?があって、これにとても詳しくデータと共に載っていました。今少しづつ読んでいる所なのですが、これらの関連文献共にとても面白いです。mirさん仰せのように凄い影響力があったことが伺われますね。実は先日ダウロードだけしてまだよみ終わっていないのですが…。 No.410の金井さんの書き込みはまだ未読です…。ここの掲示板って良く読んだ上に咀嚼しないと意味が分からないですね…とても面白いのですが時間がかかりますね。 Масяさん、こんにちは。モスクワの仕上がりまあまあ?だったのでしょうか…他のブローニーカメラと比較してのことなのかなぁ、135mmと比較してのことかなぁ。135mmと比較してということであればちょっと悲しい気もしますねぇ…「綺麗だけど驚く程ではない」って微妙だなぁ…。
Привет 土曜日は、デジカメが欲しいというロシア人を新宿に案内したついでにブローニーフィルムを少し買い込みました。(ワレリーの友人でありますが、あのオヤジと違って聞き分けが良い) 日曜は、朝雨が降っていましたが次第に良くなるということで昭和記念公園のコスモスを撮りに行きました。結局Москваは持っていかず、Зоркий-1+Юпитер-12にЗенит312мЮпитер9/11Aで撮っていました。 やっと土曜日に先日のМосква5で撮ったバラが出来上がっていて綺麗に写っていました。ただ驚く程ではありませんでした。大きくすると違うのかもしれませんね。 撮影から帰ってきて駅前の本屋さんで紅葉撮影のために旅行ガイドを見ていました。気合を入れてМосква5で紅葉を撮りたいと思います。その前に久里浜や荒川でまたコスモス撮りたいなぁ... アルザマス: アルザマスはニジニ=ノブゴロドから南に約100km位のところでサロフはそこから50〜60km南南東に位置します。 旧ソ連時代のことは分かりませんが昨夏、Москва5を運んでくれた友人が日本貿易振興会(JETRO)でロシアのIT事情報告会でサロフのラデュガ(Радуга:虹の意)という会社が紹介されました。 かつてはミサイルを作っていたようですが、今ではネットを介して匂いを送るという技術に取り組んでいるとか。昨年そう聞いたのですが今どうなっているか... 昨年オレグがスコットランドへ友人を訪ねたことがあったのですが、その友人というのはかつてラデュガで働いていたそうです。ちなみにオレグは当初ニジニから来たと言ってました。 ベガとレンズ: ベガは持っているというだけで全く撮っていません。写真工業の広告で世田谷のある会社が16mmやボルタ版フィルムを販売していると見た事があります。確か以前都内の大手中古カメラ屋さんで入手できると聞いたことがあります。 レンズというのは以前、135mmが話題になったころエルネマンやプラクチカのコンパクトと一緒に撮った写真を掲載したことがあります。昨日もう一度撮ったのですが... このレンズは135mm/f4.5、タイム、バルブ、1/25〜1/100を搭載した大判カメラ用のレンズです。番号が46で始まっていますがどうなんだろう... Пока
ソ連からの出願であることが分かりますね。個人的な興味ですが…面白いと思われる方もおられるかと思って…。 mirさん、例の検査協会のお話のレスは会社のPC内にあるのでまた明日…。
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これがルサールの特許だそうです。なんと1946年!に出願されているのですね。先々月だったかの写真工学でロシアカメラ特集が組まれましたが、そこで元キャノンの技術者がこのレンズの話に触れており、その記載からアメリカの特許庁から探してきました。この方曰く、ご自分が若かった頃はロシア語を勉強しないと光学の最先端は知ることができなかったというようなことを書かれていました…やっぱり凄かったのですね。
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管理人さん レスありがとうございました。 たいへん資料価値の高いページができましたね、とても参考になります、ご苦労様でした。 >フォーカルプレーンシャッターの比較検討 というほどのことはなく、浅いながら知っているもので想像を巡らせてみました。 ソ連(ロシア)のカメラは本当に奥深いというか まだまだ知られざる領域の多い分野だと、あらためて感じ入りました。
管理人の金井です。熱心な議論ありがとうございます。 mirさま。お久しぶりです。挨拶が遅れてすみません。フォーカルプレーンシャッターの比較検討をされているので、実際にはどんなものかと思い、手元にあるォーカルプレーンシャッターの写真を掲載しました。結構いろいろな形をしています。 http://cccpcamera.myhome.cx/RussianCamera/TOPICS/Shutter/FSsh.htm 軍事・宇宙研究→民生転用(その1): ソ連は宇宙・軍事で優れた技術を持っていたんだろーなーって、思えるけれど、それにしては、民生品にそれが感じられませんね。 でもね、技術の塊みたいな民生品って、本当はそんなに必要ないのでは。Zenit-12のシャッターが旧態依然とした布幕なのは、技術の問題ではないでしょう。私には、Zenit-12やSmena8Mで、ほとんど満足な機能になっていると思えます。 次に、宇宙・軍事の技術って、そう簡単には民生転換できないのではないかとも思います。民生転換するためには、やはりそれなりの投資・努力・別な技術が必要なのではないでしょうか。さらに、そういうことをしたところで、民生転換が可能な技術はもともと少ないのかもしれない。(民生転換を図る目的で開発した軍事技術ならば、話は別です。) ただし、カメラ関連にも、多少は、軍事関連技術の成果が入っているのではないだろうかと思えるところもあります。 たとえば、カメラレンズのコーティングに、潜望鏡レンズのコーティング技術が入っているのではないだろうか。(同じ技術ですので。)カメラレンズのガラス材料に、軍事物資用光学系のガラス材料は使われたのではないか。(同じものですから。)Kiev-5のレンジファインダーの設計に、タンクのサイトの光学系設計技術が使われていないか。などという思いがあります。 軍事・宇宙研究→民生転用(その2): ソ連時代の国の研究の典型に、アルザマス16(サロフ)があります。ここの技術者・あるいは技術は、その後どうなったのでしょう。 Мася さ〜ん、差し障り無い範囲で教えて下さい。(以前、書いていただいたことあったけど。) (注:アルザマス16とは、旧ソ連時代は秘密封鎖都市でした。本当の地名はサロフなのだろうけれど、地名も西側には知られおらず、手紙を出す時はアルザマス16という住所を使っていました。アルザマスは少し離れたところにある、別の都市です。) Kiev-Vega: Масяさん、もう一つ教えて下さい。Kiev-Vega使っていますか。フィルムと現像はどうしているのでしょうか。GOMZのレンズってどんなのですか。(聞いた事あったらごめんなさい。)
ちょっと古くなってしまったのですが、No.382の続きです。 Smena8Mのボディーからレンズ部をはずして、Smena8のレンズ部をつけました。その写真がNo.382に有ります。このヘンテコカメラで撮影しました。那須のエミールガレ美術館です。写真はOKでしょう、ちょっとJpegの圧縮のしすぎだけど。 ということで、Smena8MとSmena8はレンズ部分が交換できます。要するに外観以外、同じレンズです。 T-22: コンソモレッツとベスナのレンズを良く見ました(はずしたわけではないけれど)。どちらも、前群:2群2枚、後群:1群1枚のトリプレットです。ということで、T-22はトリプレットです。 トリプレットは1890年代に一世を風靡した傑作だから、広く使われているのでしょう。
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hirob_p さん いろいろ興味深いお話をご教示いただいて、わたしもたいへん印象にのこった議論でした。 これも管理人さん始め、皆さんの見識のたまものと思っております。 またまた蒸し返してしまうようで恐縮ですが ソ連のコパル風シャッターは、布幕の縦走りシャッターで試行錯誤した上で採用されているように見えますし ソ連でもコパルの技術交流以前より 縦走りシャッターの研究は為されていたのでしょうね。 コパル風のシャッターを使ったKMZの現在のサイトなど見ると とてもオープンな印象がありますが キエフは動向がまったく判らない閉鎖的で正反対な印象。 アルマツ、ゼニットの一見してコパル風シャッターの分かり易さに較べて キエフ10のシャッターの不可解さは 「コパルなど認めないぞ!」と言っているかのようで頼もしいです。 あまのじゃくな私は断然キエフ派なのです。謎が多くて楽しめますね。 けろけろさんのカメラ=楽器という例えは面白いですね。 さしずめスメナは小学校で使うリコーダーのような位置なのでしょうか? 入門用がしっかりしたものであれば理解も深まるということでしょうか。 hirob_p さんは 日本の輸出検査協会についてはすでに検索でお調べになったと思いますけれど 蛇足ながら 事実上、世界中のカメラを駆逐してしまったほどの力があったと言って良いと思います。 ソ連邦が健在だった頃とちょうど同じ時期に、日本の輸出検査協会があったわけですが 日本のいた西側のカメラ産業はこの間に殆どが衰退してしまいました。 ソ連崩壊後、ソ連カメラもこの脅威にさらされてしまったのではないでしょうか? 何とかロシアのカメラを守ってあげたいものですが コシナのような展開もあることですし、まだまだ道はあると信じています。
みなさま いろいろとご指摘参考になりました。 道具と考えるから、効率性とか利便性というハナシになるので、カメラって楽器なんだって考えたらどうでしょう?楽器なら利便性なんていわないわけですよね。 自分の芸術(写真)を表現する手段としてのカメラであれば、使いこなすことも(面倒ではあるけど)楽しみの一つであるわけでしょう。 自動ピアノのボタンを押しても全然楽しくないわけで、下手でも一生懸命ショパンを練習してひきこなすところに楽しみがある。 さらには、写真を撮るという目的すらはなれて、その感触自体をたのしむという邪道的要素も最近では市民権をえつつあるわけです。 ところが日本のカメラはおおむね、自動化軽量化という直線をひたはしってしまった。そこに、ユーザーが離れていく原因があったように思います。むろんロシアはそこを意図的にそうしたんだ、というつもりはありません。ただ、ロシアカメラの新鮮みを感じるのはそのあたりにあるのだと思います。それなのに、効率とかいいだすと、じゃあ日本のカメラを気にいっておられるのですか?ということになるのではないでしょうか? ロシアのカメラ産業のことは、どれほど外貨かせぎになったのか疑問をもっているのです。管見では、イギリスやアメリカではロシアのカメラはいくら安くても一般的ではありませんでした。カメラ屋でもおいてないところが圧倒的でしたし、たまにおいてあっても「やめろ」っていわれました。東欧とかアフリカとか中東のソ連が強いところではどうだったのかは分かりませんが。 だから、外貨かせぎなどの経済的理由からカメラを生産し続けたというわけではないと思うのです。また、少なくともこの20年ぐらいの間は、日本製はむりでも韓国製、中国製などの安いカメラがロシアでも導入可能だったのに、なぜカメラ産業にこだわったのか、それは、やはりカメラが好きなひとびとが多かったからではないのかと考えた次第です。累計生産台数が桁違いに多いのも、国内ユーザー層の厚さをものがたるのではないでしょうか?授産事業のフェドについて、カメラを選んだところなんかが、ドイツ人とかイギリス人のカメラ好きにつうじるのかな、と。 最近のロシアのカメラは風前の灯火であるのはみとめますが、日本もミノルタがああなってしまい、オリンパスなどをみるにつけ、銀塩については、やはり状況は変わらないように思います。それは、デジタル化という外在的要因と、「技術的改革」の限界という内在的要因とがあると思います。 ただ、企業的生産が滅んだとしても、カメラ=「楽器」なんだから今後は現在あるストックを好事家が大事に使い回していけばいいんだという考え方もあり得るわけです。
Привет 自分がKMの由来について書いたことが発端となって白熱した議論となってしまいましたが、その投稿中唯一答えられるのが数字の"3"で、これはтри(tri:トゥリィ)です。 ロシア人とカメラ: 私の友人達って平均的なロシア人...だと思います...じゃないかなぁ... ロシア人は写真が好きですが、カメラに対して思い入れってないと思います。使えるモノであっても必要ないということで簡単にくれました。別に要求したわけではありませんよ。 例えば、Киев2、Weltini(あっドイツ製だ)、ГОМЗのレンズ(セルゲイから)、Зоркий3С(英語の先生、名前知らないんだなぁ、あのオバチャン)、Киев-ВЕГА(ミーシャ)、壊れたСМЕНА8М(ワレリー)っと。 スメ8以外は全部使えます(ВЕГАはフィルムが16mmですが稼動します)。セルゲイはオリンパスの単焦点オート、ワレリーは京セラとペンタの単焦点オートを使っています。 壊れたとはいえ、ワレリーのスメ8なんて昨年嫁入りした一人娘のエフゲーニヤを撮り続けていたものだろうに...私なら手放しません。(私の場合はニコンEMが該当します。) 向こうでロシアカメラを使っていると知っているのは、ワレリーの弟のサーシャが122(おかーちゃんのターニャはEOS!)に彼女の家という所です。Гериосを持っていると言ってたけどボディは何だろう...彼女はキャノンA30がお気に入りです。 モスクワ国立大学でワレリーと学んだというロシア人がブルガリアから某T大学の招き(おおっオレグと同じ)で来日しているのですが、週末にデジカメを買うのに付き合う予定です。 昭和記念公園のコスモス撮れるかなぁ...あっ先週の日曜に出したブローニーフィルムは明日出来上がるって、そんなに時間がかかるのかぁ... では、よい週末を! Пока
こんにちは。 話が広がってしまい私の頭では整理収集ができなくなってしまいました…ごめんなさい。取り敢えず昨晩の自分の書き込みを読み直して考えたことがあります。 昨晩帰宅して自分のソ連カメラを眺めながらもう一度思い返しました。そうすると、やはり高性能化(「便利」にする「利便化」とは異なると思います)と私は思うものも見つけることができました。例えば、KIEV2〜4用のJp-8とJp-8Mなのですが、本などでは8Mの方が評価が高い事を知ってたった1つづつですが揃えました。確かにこれまで使ってみた感じでは8Mの方が私にも現代的な描写だと感じられます。同じようにIn-22とIn-50とも購入しましたが、やはりIn-50の方が描写が「しっかり」(安定している。回数的な安定感では無く何というのか…)しているように感じます。やはり、レンズだけをとっても、必ずしも「高性能化」と言えるかは分かりませんが、ポジティブな状況対応はしようとしてことが感じられるなぁ…と感じました(各々1つづつ個体の感想の上、ネット上や雑誌等によるすり込みが既に多々ありますので自己判断の部分は殆ど皆無ですが…)。 昨日は、仕事の合間にボディ側でKIEV2→KIEV4→KIEV5と考えたので、気付きませんでしたが、何か各々合理的な理由があって変化しているのかなぁと思い返している次第です。前言撤回的な書き込みなにとぞお許しを…。 >「10年で壊れるから買い替えなさい」 >「なおせば50年使えます」、間違いなく >前者が優れているとは、私には断言できません。 確かにそうですね。でも、これは違うことを比べているように私には感じらるのです。安定性とか恒久的な意味合いでの「優れている」、完全一致では無いかもしれませんが「高品質」と換言するとします。これと、利便性に「優れている」という事とを同じように比べることはできないと思うのです。「利便化」を「高性能化」に含めるのは日本独特の思考なのかは分かりませんが、現代の日本に生きている私には「高性能化」には「利便化」が当然含まれていると思っていました。ですが、ソ連のカメラからはその「利便化」という側面はとても薄く感じられ(そこに私は目新しい新鮮味を感じてこうして購入しています)ました。ですが、昨日は「高品質化」さえもなかったのかなぁ?とうっかりと考えてしまった訳です。でも、上記のように程度の差はあれ、間違いであるように思えてきました。本当にごめんなさい。思考・文章って難しいですね…。 それと、けろけろさんの書き込みも私のものと少し言葉の温度差が生じているように感じました。「original」にはcreativeという意味合い薄い(無い?)ように思うのですが、「独創」にはcreativeという意味合いが含まれます。私は模倣を全く無くして進歩はあり得ないと思っている種の人間(経験等の伝達が無ければ進歩できない)ですので、「original」という意味合いは余り加味しないで書き込みをしていました。それが1つの温度差を生じているのだと思えました。仰せのようにオリジナリティという意味では乏しいのかもしれませんが、具体的な技術が分からない私には現存する製品群でしか判断できませんでした。オリジナリティという側面でもこれからレンズを注視しようと思いました。 mirさん、とてもお久しぶりですね。確かあのころの書き込みを拝見してこの掲示板を楽しませて頂くようになりました(ラッパロ条約のお話はとても興味深かったですね)。ところで恥ずかしながら「日本の輸出検査協会」ってなに?ってな具合でしてすみません。今からネット検索してみます。ごめんなさい。
私も訂正: No.401で次のように書きました。 樹脂メーカーがレンズを設計して、レンズメーカーに売り込むと言うこともあるようです。 これは誤りです。樹脂メーカーではなくて、樹脂成型加工メーカーです。樹脂メーカーって書いたら、樹脂を作っている化学会社になってしまう。 カメラの思い入れ: ところで、ロシア人はロシアカメラに特別な思い入れがあるとは思えないのですが。最近製造されたロシアカメラって少ないですよ。風前の灯みたいな気がする。 このあたり、Масяさんのご意見を伺いたいですね。(Масяさんの友人は標準的ロシア人とは思えないけれど。)
訂正です。M1は縦走りじゃなかったですね。2軸式。もう自己嫌悪です。すみません。
縦走り、踏切でした。間違えました。うろ覚えですみません。 T−22ありがとうございます。よく分かりました。なお、トリオタールではなくトリプレットこれはうっかり間違いです。 縦走りのメリットは、高速化の他に横走りのドラムがないことによる省スペース化とか、ユニット化による調整不要ということもあったのではと思います。さらには、おそらくAE化に向いていたのでしょうね。エネルギーロスが格段に低いと思いますので。 調整不要ということは調整が困難ということでもあり、最近の車のように壊れたらそっくり部品交換ということになる、ということでしょうか。その方が手間賃の高い国では喜ばれます。ネジ止めではなく、カシメ、溶融接着が多用されているようですので。 省スペースは日本では重要で、一眼レフの小型化は、オリンパスM1(OM1)からで、縦走りだから可能になったのではないでしょうか。 日本では体格と体力からカメラの小型化が好まれますが、ロシアではそれほど小型化は必要でなかったのではと想像します。ゾーキがだんだん大型になるのも、かえって大型化する方が操作性の点から人気があったのではとも考えます。つまり大型化も進歩ととらえるべきではないのかと。 これが縦走りがロシアで定着しなかった理由かも知れません。またライセンス料金のこともあるかも知れませんが。 それから、Mirさまのご発言ですが、 >カメラにお国の研究→高い技術を転換した形跡はどうにも見つけられませんし そういった意欲も無くなっていったかのような製品も多いですね。 せめて品質を保持していてくれればと残念でなりません とお書きです。 しかし、大型化=退歩というのは日本の価値観です。仕上げだって、こだわるかどうか、の問題だといえます。レンズに関してはむしろ向上しているわけです。ひと頃の日本のコンパクトズームのレンズなどひどいものです。レンズの質という点からは退歩です。使い捨てカメラも、はたからみたら退歩といわれるかもしれませんね。あれほど一眼レフ大好きだった日本人が、使い捨てカメラ使っているわけですから。 つまり進歩、退歩というのも慎重に見るべきように思います。そしてひとたび退歩とバカにすれば、学ぶべきところから学ぶことができなくなります。 またたかだかカメラ、ということも大事です。たかだかカメラでその国の工業力とか技術水準のすべてを推し量ることはできません。戦後の多くの先進国ではカメラの生産がなされなくなりました。だからといってカメラを生産していない国の技術水準が低いというわけではないでしょう。カメラに過度の思い入れがあるのは日本人の特質で、戦後の外貨獲得にカメラ産業が果たした役割は大きいわけですが、それは、経済的な理由からだけではなかったろうと思います。 ロシアもそうで、経済的合理性だけだったらとっくにカメラの生産をやめているはずです。それでも続いているのは、やはりロシア人もカメラというものに特別の思い入れがあるのかな、と思ったりしています。数学が得意な国民ということも関係するかも知れませんが。
管理人の金井です。 活発な議論ありがとうございます。皆様の議論を今ひとつまだ理解していないのですが、ちょっとだけ書かせてください。 縦走行金属幕フォーカルプレーンシャッター: 1964年時点で既にコパルシャッターとの関係があったのに、ソ連カメラには、縦走行金属幕フォーカルプレーンシャッターが少なく、依然として横走行布幕シャッターなのはなぜでしょう。1964年以降現れたSLRはレンズシャッターですから、コパル技術との関連は不思議です。コパルの技術は導入したけれど、本当に使ったのでしょうか。導入した技術が埃をかぶっていることは、珍しくはないですから。 それにしても、ZENITは横走行布幕シャッターが好きですよ。ZENIT-412のスペックは、今時の日本の常識からしたら信じがたいですよね。縦走行金属幕シャッターのZENITは、ZENIT-19,ZENIT-Automat等ありますが、数は少ないです。(Zenit-18はめったに見ることのないカメラです。Zenit-16は布幕です。) でも、横走行布幕に比べて縦走行金属幕のメリットって何でしょう。けろけろ様ご指摘の、シンクロ速度の問題もあります。また、高速シャッターが可能と言うことがあるけれど、何に使うのですか。普通の撮影で困ることはあまりありません。EOS-5とZenit-EMを比べると、技術レベルは比較にならないと思いますが、実際に撮った写真ってそんなに違いないですよ。EOS-5とZenit-EMを比較したとき、どちらが優れているかは疑問です。初期のEOSシャッターには製造上の問題があって、かなりの高率でシャッター交換になっています。これ、メーカーしか扱わないんです。横走行布幕ならば器用な人なら自分で交換できるのでは、と思います。「10年で壊れるから買い替えなさい」「なおせば50年使えます」、間違いなく前者が優れているとは、私には断言できません。 ソ連のカメラ、カメラの歴史を見ていると、技術の発展とは何かと言う点に、どうしても考えが行ってしまい、思考が堂堂巡りします。 高度技術: CAPA スーパームック のなかで、三枝氏は「意外にも独創的なロシア製カメラ」という記事を書いておられる。ここでは、レニングラード、キエフ10、ゼニット5,6が取り上げられているけれど、確かにこれらのカメラは、独創的で高い技術を感じさせられるものです。しかし、これらのカメラは、その後に続いていません。それに、あまり製造数が多いとも思えません。世界初のスポルトだって、「独創的で高い技術」だったのだろうけれど、スポルトで終り。 正直言って、レニングラード、キエフ10、ゼニット5,6どれもあまり好きではありません。レニングラードは壊れそうな気がするし、Kiev-10は重いし、フィルムがスプロケットからはずれそうな気がするし、ゼニット5はモーターが動かないし。 一番好きなカメラはZenit-EM+Industar50-2と全くオリジナリティーのない、高度技術のないものです。 カメラにとって、高度技術が本当に必要なのでしょうか。「高度技術ですばらしいんですよ、ぜひ買いなさい」って、商品宣伝のために必要なだけではないかって思えるのですが。 皆様はいかがですか。今使っている時計はダブルクオーツですが、年間10秒狂うのが気に入らないので、そろそろ電波時計にしたいとも思っています。(ずいぶん矛盾しているでしょう。) レンズ設計のオリジナリティーについてですが、いまは市販のソフトを使ってPCで簡単に計算できてしまうのです。このため、樹脂メーカーがレンズを設計して、レンズメーカーに売り込むと言うこともあるようです。よほど特別なものでない限り、レンズ設計でオリジナリティーの余地はないと思います。でも、キヤノンなどは、半導体ステッパー用レンズの技術を初めいろいろな技術があるから、今後も恐ろしく高度技術を使ったレンズを出してくるかもしれません。(EF400mm F4 DO IS USMのように。) 日本でズームレンズが盛んなのは、レンズ設計のコンピュータ化のためです。以前、ミノルタのパンフレットに、スーパーコンピュータを使ってズームレンズの設計をしたとの記事がありました。 ところで、Zenit-412DXの使用説明を見ると、電池はСейко SB-B8を使うと書いてあります。なんで、こんなマイナーなのが書いてあるのだろう。 T−22: Smena,Smena-2,3,4,M,Smena-5,6,7,8,9,ベスナ2は間違いなく3枚です。前群が2群2枚、後群が1群1枚です。(はずしてみたわけではないけれど、電灯にかざして容易に分ります。)でも、コンソモレッツとベスナは、どうだったか、特にコンソモレッツが3枚かはちょっと自信ないので、確認後お答えします。 ロシア語: 3をロシア語でなんと言うかは、パスして。 レンズの名前で、3枚のトリプレットをTとして、テッサーをインダスターとしたのはなぜかといえば、そのときの気分ではないでしょうか。ソ連のカメラって、デザインと命名には、あまり気合が入っていないような気がします。技術者にはそういう人が多いと思います。デザインと命名に熱心なのは営業畑の発想ではないかと思います。ソ連のカメラは、営業的発想があまりにも弱い。 ちょっとだけのつもりが、だいぶ、いっぱいになってしまいました。