戦前FEDのカメラシステム
1932年10月、ウクライナ・ハリコフのFEDコミューン(孤児院)では、ライカタイプのカメラ3台の試作に成功する。
1934年からは、ライカタイプカメラの量産を開始した。1934,1935年に製造されたカメラを目にすることは少ないが、1937年以降になると、カメラ製造台数も年間2万台を超え、このころ製造されたカメラは現在でも容易に入手できる。 1941年6月22日、ドイツは突如国境を越えてソ連に侵攻、またたくまにソ連深く侵入する。独ソ戦の始まりである。6月29日にはミンスクがほぼ包囲され、7月9日には陥落する。7月16日にはスモレンスクが占領され、9月19日キエフが陥落する。そして、ハリコフは10月23日に陥落する。6月22日から陥落するまでの間、生産設備は慌しくウラル・シベリア地域に疎開したが、FED工場はシベリアのベルドスクに疎開している。疎開先のベルドスクでは、カメラ製造は少ない。
1946年5月、独ソ戦に勝利しても国内は荒れ果てており、特にハリコフは完全に破壊されていて、生産を開始できる状態ではなかった。ハリコフで本格的にカメラ製造が再開されるのは、1949年である。
戦前のFEDカメラには、いくつかの交換レンズや、アクセサリー類も用意されていた。交換レンズやアクセサリー類は、1938,39年ごろから製造されている。
多くのFEDには50mmF3.5が付属していた。シャッター速度は1/25〜1/500.
50mmF2.0が付属のFEDも存在する。こちらはシャッター速度が最速1/1000。
交換レンズ
FEDの交換レンズは、広角、普通の標準、明るい標準、望遠、マクロと一通り揃っていた。
このうち、マクロレンズは距離計と連動しない。
上段左から:50mmF3.5マクロ、50mmF2.0、100mmF6.3
下段左から:28mmF4.5、50mmF3.5
ファインダー
「光学式100mmファインダー」「枠だけのファインダー」「横向きファインダー」の3種が存在する。枠だけのファインダーはちょっとかさばるけれど、実用品として使用勝手は良い。「横向きファインダー」の用途がどんな状況なのか、私には分からない。
マクロレンズ用のファインダーは存在しない。(だから、マクロレンズは使用しにくい。)
100mmファインダー
パララックス補正機能あり
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枠だけのファインダー
28mm、50mm、100mmに使用できる
パララックス補正機能あり
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横向きファインダー
カメラを横に構えて撮影するためのファインダー。どんな状況で使用したのだろう。
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セルフタイマー
セルフタイマーの表面は鏡になっている。
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露出計
セレン式露出計。
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フィルムマガジン
長尺のフィルムを自分で巻いて装填するためのカセット。
キヤノン、ニコンなどでも同様のものを作っていた。
いろいろなケース
全て、表面に「FED」の文字があります。
上段左から:50mmマクロレンズケース、28mmレンズケース、セルフタイマーケース
下段左から:露出計ケース、28mmレンズケース、横向きファインダーケース
(28mmレンズケースは布張り紙製と革製の2種類が手元にあります。)