LOMO


 左のマークはLOMOの前身、GOMZ時代に使用されたものである。(最近のLOMOには無い。)


 左のマークはSmena8M等に見られるLOMOマークである。
LOMOのカメラに見られるマークは "LOMO","ЛОМО"の文字そのものか、これらをデザイン化したものである。

 LOMOにはマークの無いものも多い。初期のSMENAのようにマークが無く、しかもLOMO,BelOMO双方で製造されたものは、どちらの製品か見分けがつかない。



 LOMOの正式名称は、ЛЕНИНГРАДСКОЕ Оптико-механическое Обьединение(レニングラード光学機械合同)である。ただし、ソビエト崩壊後は、名称も変更になって、単にLOMOのようです。

 LOMO住所は、「St.Peterburg Chugunnaya」 ですので、ネバ川の北になります。もう少し言うと、オーロラ号停泊地から、2kmほど北です。
 最近、レニングラードには日本人もかなり観光に訪れています。しかしLOMOのあるところは、観光スポットから離れているため、あまり訪れることはないと思いますが、どなた様か、この付近に行ったことのある方はいらっしゃいますか。

 LOMOの前身の戦前における変遷は複雑である。

 戦後レニングラードで生産を開始したときは、GOMZの名称であり、1962年にLOOMPと改称された。1965年1月1日、他の工場と統合し、LOMOになった。(上図下のLOMOマークは1962年ごろから使われている。)

注)GOMZはГосуларственный Оптико−Механический Завод(国立光学機械工場)である。




左は、1963年のマニュアルにあった表記である。LOOMPであることが分かる。しかし、既に、現在と同じLOMOのマークが使われている。
 なお、1行目は「レーニン勲章」と書いてあります。LOMOはレーニン勲章受賞工場なのです







 左は、1969年のマニュアルにあった表記である。
 LOMOに変更されていることが分かる。





 GOMZ-LOMOの製造した代表的カメラには、二眼レフのルビテルシリーズ、コンパクトカメラのSMENAシリーズ、レンジファインダーのレニングラード、一眼レフのALMAZ等がある。その他、VOSKHOD、SOKOL2、LOMO135BCのような、変わったカメラもある。二眼レフのステレオカメラ(要するに三眼)SPUTNIKもLOMO(本当はGOMZ)の製品である。また、世界最初の35mm一眼レフカメラSPORTの製造も行っている。

 ソ連時代、LOMOは30000人の技術者労働者を抱える巨大コンビナートであり、LOMOの生産の90%は軍事、宇宙開発のためのものであった。このため、LOMOが極めて強大なコンビナートな割には、案外カメラ製品は少ない。
 なお、1976年クリミアに作られた口径6mの天体望遠鏡はLOMO製である。この望遠鏡は日本のスバルができるまでは世界最大口径を誇った。(理科年表にはLeningrad OMO製造と記されている。)

 ソ連崩壊後、LOMOは民製品(顕微鏡、医療機器、観測機器)に生産の主体を移し、輸出に力を入れており、1995年の輸出割合は50%に達している。(ここで、輸出には旧ソ連邦は含まれない。)なお、輸出割合はヨーロッパが80%、米国が10%、アジアが10%である。

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