ポーランド兵団
ロシア革命期にポーランド兵団がボブルイスクで使った切手
1917年3月ロシアで3月革命が成立し、ロシア帝国は終焉した。
1917年6月、ピウスツキを名誉議長とする「ポーランド最高軍事委員会」が設置された。また、1917年8月21日に、ドヴブル・ムシニツキに率いられた、第一ポーランド兵団がつくられた。さらに、同様なポーランド部隊も作られている。これら、ポーランド人部隊は、革命が激化するにつれて、しだいに、ベラルーシやウクライナのポーランド人地主の財産を保護する役割を果たすようになった。
1918年1月、第一ポーランド兵団はボブルイスク(Babrujsk)(Bobruisk)に本部を移す。ボブルイスクはミンスクとスモレンスクの間にある、第二次分割(1793年)のときロシア領になった主要都市である。第一ポーランド兵団が本部を移したとき、ボブルイスクは周りをドイツ軍に取り囲まれていた。
1918年2月、ドイツ軍の了解の下、第一ポーランド兵団はボブルイスクをポーランド占領地とする。ボブルイスク占領地からワルシャワへの郵便はドイツ軍事郵便を使って逓送された。郵便局は1918年4月1日からはじめられ、兵団が解散する6月29日まで続いた。
ポーランド兵団ではロシア切手に加刷した切手が発行されている。加刷は2タイプ存在する。
参考
ロシア革命前、ポーランドはロシアの領土だったのでロシア切手が使われていた。
この葉書は1913年にワルシャワからベルンに宛てられたもの。