グルジア
グルジアは社会主義運動が盛んな地域だった。1892年には、最初の社会主義グループ「メサメ・ダシ」が結成され、後のザカフカスのメンシェビキ・ボリシェビキの指導的活動家の多くを輩出している。
1917年以前にも、各地でストライキなどの労働運動や、農民運動・農民蜂起が起こっている。1917年の二月革命の後は、各都市にソビエトと市執行委員会、社会団体委員会(有産諸団体とソビエト諸団体の連立地方権力) が形成され、その中心のティフリス・ソビエトではグルジア・メンシェビキが主導権を握った。革命前からグルジアはメンシェビキの最大拠点の一つとして有名だった。
1917年11月7日、首都ペトログラード (サンクト・ペテルブルグ) で十月革命がおこると、メンシェビキや、アゼルバイジャンのムサーワート、アルメニアのダシナクツチュンなどの民族主義諸派は、ティフリスにザカフカス委員部を形成、トルコ軍の侵攻下にあった4月、ザカフカス連邦共和国の独立を宣言した。しかし、列強の干渉の中で互いの権力闘争により、早くも5月には3つの共和国に分裂した。そして、グルジアのメンシェビキはグルジアの独立を宣言した。
グルジアはドイツと協定を結び、ドイツ軍が進駐、12月にはこれに代わってイギリス軍が進駐した。しかし、1921年2月、Loriの民衆蜂起をきっかけに、同月25日、赤軍がティフリスに入城、グルジア・ソビエト社会主義共和国が樹立された。
注)Lori:アルメニア北部地域の名称。Lori最大の町は、人口10万弱のVanadzor(旧Karaklis,Kirovakon)。
1922年3月12日、アルメニア・アゼルバイジャン・グルジアは「ザカフカース・ソヴィエト連邦社会主義共和国(Transcaucasian
Federation of the Soviet Republics)」を結成する。
1)1918年5月26日独立後の切手
1919年5月〜7月に発行された | 1920年始めごろ発行された |
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3)ザカフカース・ソヴィエト連邦社会主義共和国
1922年3月12日、アルメニア・アゼルバイジャン・グルジアはザカフカース・ソヴィエト連邦社会主義共和国を結成する。はじめは、各共和国独自の切手を使っていた。郵便は1922年10月1日に統合されるが、ザカフカース・ソヴィエト連邦社会主義共和国共通の切手が現れたのは、1923年9月である。ここでは、共通切手以前にグルジアで使用された切手を紹介する。
ソビエト共和国時代に発行された切手に、金額を加刷したもの。上段はハンド加刷(1923年2月発行)。下段は機械加刷(1923年5月発行)。
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ロシア切手に、金額を加刷したもの。
1923年7月発行
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ロシア切手に、金額を加刷したもの。
1923年9月発行
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