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在朝鮮・韓国日本郵便局


 明治9年(1876)朝鮮に対して不平等条約を押し付けた日本は、遅くとも翌年までに釜山浦に郵便局を開局している。釜山浦に続いて、明治13年に元山、明治16年に仁川港、明治21年に京城にそれぞれ開局している。そして日清戦争勝利後の明治30年代は、木浦をはじめ各地に拡大した。
 日露戦争のさなか明治38年4月1日、日本は韓国に対し「日韓通信合同」を押し付け韓国の植民地化を進めた。そして、ついに明治43年、韓国を完全に植民地にしてしまった。
 

図1 朝鮮  元山
明治26年(1893)1月16日

図2 韓国 元山
明治31年(1898)5月12日
図3 韓国 仁川
明治37年(1904)7月14日
図4 新義州
大正9年の年賀葉書

 図1,2は元山局で使用されたはがき。明治30年(1897)国名が朝鮮から韓国に変わったので、消印にもその変化が見られる。


 1900年5月18日、韓国政府は1銭葉書を発行した。当時、韓国はUPUに加入していたが、日本と在中国フランス局間では特別協定があって、お互いに国内料金で通郵することが定められていた。日本は1899年4月1日に葉書料金を1銭5厘にしたため、韓国から日本へ差し出す場合、韓国葉書を使ったほうが安くなった。額面料金の他に日韓間の通貨価値の違いがあって、韓国葉書を使った場合は実勢価格で半額程度となった。このため、日本政府は韓国政府に対して、日本宛葉書料金を2銭に値上げするように強要した。韓国通信院の反対で、日本の要請は半年間引き伸ばされたが、結局、1901年10月1日より、日本・在中国に本局宛料金は葉書2銭・封書4銭に値上げされた。
  参考文献:陳錤洪/著『旧韓国の切手(2)』日本郵趣協会(1968)PP29
  参考文献:水原明窗/著『朝鮮近代郵便史―1884-1905』日本郵趣協会(1993)PP291

 明治38年4月1日、日本は韓国に対し「日韓通信合同」を押し付け、韓国の逓信業務を日本の独占とした。左図は、日韓通信合同を記念して発行された記念切手。

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日清戦争

日清戦争凱旋記念切手(画像をクリックすると拡大します)


 朝鮮半島への侵略をもくろむ日本・清国により明治27年(1900)8月2日、日清戦争が勃発した。戦争は日本の勝利に終わり、翌年4月に講和条約が締結された。この戦勝をきっかけとして日本の大陸侵略は本格化した。



 第二軍第二野戦郵便局 明治27年(1894)11月27日

 日清戦争は日露戦争に比べ規模も小さかったため、郵便物も日露戦争に比べずっと少ない。


 

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