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在中国日本郵便局
日本最初のの在外郵便局は、明治9年(1876)4月15日に上海領事館に設置された。上海に続いて、この年から翌年にかけて、天津・鎮江・九江・漢口などにも郵便取扱書が設置された。このころ日本国内には欧米の郵便局があり日本の郵便主権は侵害された状態だった。この時期、日本政府は在日郵便局を撤去すべく交渉努力をしている一方で中国への侵略を着々と進めていたわけである。なお、在日郵便局は明治13年(1880)3月31日在日フランス局を最後にすべて撤去された。
日清戦争頃からは侵略政策に伴い郵便業務も拡大し、特に明治33年(1900)義和団の乱後からは在中国郵便局が次々と開設されている。
このように侵略政策の片棒を担いで開設された日本郵便局もワシントン会議の結果、大正11年(1922)12月31日限りで封鎖された。もっとも、東北部においてはなおも居座り続けた。
天津(横浜経由ドイツ宛) 明治33年(1900)11月12日 |
漢口 明治42年(1909)1月2日 |
上海 大正7年(1918)4月16日 |
青島 大正11年(1922)4月19日 |
明治33年からは「支那」字入り切手が使用されている。これは日中の貨幣価値の違いを利用して差益を得る行為を防止するためで、「支那」字入り切手を内地で使用することは出来なかった。逆に内地の切手類を在中国局で使用することは問題なかった。
左は内地用葉書に「支那」字入り切手を貼り足したものである。
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