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日露戦争
日露戦争凱旋記念切手 |
逓信省発行軍事葉書
事務用葉書を軍事転用 明治37年(1904)7月7日 |
第二軍 明治37年(1904)9月2日 |
第二軍 明治37年(1904)9月19日 |
第四軍第六野戦局 明治39年(1906)1月2日 |
逓信省は軍事郵便に使用するため、軍事葉書を発行している。
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日露戦争戦役記念絵葉書
日露戦争に伴い慰問用のはがき需要が増えたので、逓信省は明治37年から翌年にかけて40種類あまりの絵葉書を発行した。これらは、軍事葉書として出征兵士に支給されている。(画像をクリックすると拡大します。)
遼陽における歩兵の戦闘
明治38年(1905)2月11日発行
戦利カノン砲で遼陽停車場を砲撃する光景
明治38年(1905)2月11日発行
南樺太占領
日露戦争により両国が疲弊する中、米国大統領 T.ローズベルトの斡旋により、講和の気運が高まった。
6月9日、ローズベルトの講話勧告が出されると、講和前に領土を奪い取ろうとした日本は、独立第十三師団を結成し、7月7日急遽樺太に上陸、またたくまに南樺太を占領する。原野に逃げ込んだロシア軍を一掃したのは、講和会談開始20日後の8月30日だった。
独立第十三師団の軍事郵便局は、明治38年7月コルサコフに開設され、
その後範囲を拡大し、9月、樺太守備軍と改称されるまで続いた。
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朝鮮支配
日露戦争のさなか、日本は韓国の郵便・通信を支配した。
軍票
日本軍が物資調達のために現金の換わりに使った軍票。日露戦争が終結すると、軍票は現金と交換したため、残されているものは多くない。特に高額軍票は少ない。
朝鮮半島が日露戦争の戦場だったため、裏面にはハングル文字が書かれている。
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