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関東州・満州の郵便
関東州の郵便
ポーツマス条約の結果ロシアから継続した関東州租借地、満鉄付属地の支配をするため、明治39年(1906)9月1日から関東庁(初めは関東都督府)が置かれた。
関東州内の郵便物は基本的には本土と同じであるため、消印の地名、差出地名でしか判別できない。ただし、機械消印は独自タイプを使っていたため地名を見なくても関東州の郵便であることがわかる。
新旅順 昭和8年1月3日 |
沙河口 昭和14年12月21日 |
関東庁内での郵便料金は初め本土と同じであったが、大正11年(1922)11月1日から満鉄付属地間相互および満鉄付属地から中国宛郵便料金が改定され、これに伴い独自の葉書が使用された。なお、この特別料金は関東州租借地には適用されず、また満鉄付属地でも日本宛郵便には適用されなかった。
この郵便料金は昭和9年(1934)3月1日に廃止された。
以下の2枚はこのときの葉書で下に「関東庁発行」とある。
撫順 昭和2年8月15日 | 奉天 昭和8年9月18日 |
731部隊員が差し出した軍事郵便はがき。
昭和13年11月12日差出
この葉書では「石井部隊」となっているが、「東郷部隊」「加茂部隊」と書かれている場合もある。「石井」とは731部隊長・石井四郎のこと。東郷は石井の変名。加茂は石井の出身地・千葉県山辺郡芝山町加茂にちなんだ名前。
満州の郵便
昭和7年(1932)3月1日、日本は中国東北部に傀儡国家「満州国」を樹立した。
「開拓団」というと、原野を切り開くようなイメージがあるが、満州開拓団の実態は、日本軍と共に行動して、現地人の土地を強奪することにあった。開拓団は、軍と行動を共にしたため、無料軍事郵便を使うことも多かった。
こんな露骨な宣伝切手もありました。(この画像はクリックしても拡大しません。)
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