ロシアの切手
Pleskauドイツ占領軍切手
Pleskauはプスコフのドイツ名。
1941年、独ソ条約を一方的に破りソ連に奇襲攻撃を仕掛けたナチスドイツは、またたくまにソ連深く侵攻、同年7月9日、プスコフはドイツ占領下になった。
この3種の切手は、プスコフ占領ドイツ軍が発行したもので、プスコフ在住ロシア人を強制労働に徴用するときの呼び出し状に使用されている。(それ以外にも使用されていると思うが少ない。)
この切手が貼られた葉書を受け取った人は、見つかれば処刑確実な徴用拒否か、徴用に応じるか、難しい選択をせまられた。徴用拒否して逃げた場合は、残された家族や隣人が身代わり処刑されたことも多かったろう。徴用に応じた場合は、苦役のため死亡したり、危険作業で一命を落としたり、理由も無くナチスに殺害されたり、ナチス撤退時に殺害されたりと、地獄の苦しみを味わった事だろう。この3枚の切手は使用済みなので、そういった思いが込められているようです。
なお、プスコフが解放されるのは、占領から3年経った、1944年7月23日である。