1)コルチャーク支配地域

コルチャーク Aleksandr Vasil’evich Kolchak 1873‐1920

 コルチャークは帝政ロシアの提督、日露戦争に従軍し戦後の海軍再建に奔走した。第1次大戦中は黒海艦隊司令官。しかし、革命で高揚した水兵の要求で 1917 年 6 月に辞任。
 革命後の1918年 10月(11月)に、イギリスの後援でオムスク・シベリアに樹立された反ボルシェビキの政府の陸海軍相となる。11月オムスクでクーデターを起こし、ウラル以東のほぼ全域に軍事独裁体制を行う。
 初めは、ボルシェビキに対抗する臨時政府としてDenikin将軍と同様に連合国によっても認識された。しかし、軍事的敗北により急速に力を失い、1919年末までには事実上崩壊した。
 1919年11月14日、イギリスに見捨てられたコルチャークは、皇室が蓄えていた金を奪取し、オムスクを脱出、チェコ軍団と共に、シベリア横断鉄道で東に向った。しかし、この汽車は壊れており、更にチェコ軍団が略奪した品物が満載されていたため、脱出行は遅々として進まず、ついに1920年1月15日、イルクーツクで赤軍に追いつかれてしまった。チェコ軍団は赤軍と取引を行い、チェコ軍団を東方に安全に逃がす代わりに、コルチャーク・金を赤軍に引き渡した。コルチャークはイルクーツクで革命委員会の裁判をうけ、2月7日アンガラ川のほとりで銃殺された。彼の遺体は、アンガラ川の氷にあけた穴に無造作に投げ捨てられた。
 コルチャークは支配地域で大量虐殺を行っており、オムスク脱出時の大量虐殺で、多数の死体が折り重なった写真が残されている。



 以下はコルチャーク支配地域で発行された切手である。旧ロシア帝国切手に金額が加刷されている。

クリックすると画像を拡大します


Back Next 目次へ