ロシアの切手 (革命期のシベリア・極東地区)
Far Eastern Republic(極東共和国)と関連地域の切手
極東とはバイカル湖以東を言う。日本の近隣地帯であり、かつては日本との関係は深い地域だった。
ロシア革命が起こると、列強は革命への介入を行ったが、その中で、日本のシベリア出兵が最大のものであった。極東共和国とは、日本干渉軍との直接対決を避けるため、ロシア共産党中央の決定により、1920年4月、バイカル湖以東の地域につくられた緩衝国であり、日本軍撤退後の1922年11月まで存在した。
ここでは、極東共和国およびバイカル湖以東の極東地域で、革命後の内戦時期に起こった政権を切手をもとに見てゆきたい。
1)コルチャーク支配地域
1918年 11月に、イギリスの後援を得て、ウラル以東のほぼ全域に樹立された軍事独裁政権。軍事的敗北により、1919年末には事実上崩壊。
2)セミョーノフ支配地域
コサック出身の軍人セミョーノフが日本軍の支援のもとにザバイカル州に樹立した反革命地方政権。1920年秋には極東共和国に敗北し崩壊。
3)アムール共産主義政権
1920年2月にアムール州で樹立された共産主義政権。短期間存在し、極東共和国樹立により吸収される。
4)シベリアチェコ軍団とシベリア出兵
ロシアの政権とは異なる。シベリア出兵の口実になる。
5)極東共和国
日本干渉軍との直接対決を避けるため、ロシア共産党中央の決定により、バイカル湖以東の地域につくられた緩衝国。1920 年 4 月から 22 年 11 月まで存在した。
6)プリ=アムールおよびマルチン州(ウラジオストック反共政権)
1921年5月、突如ウラジオストックで樹立された反共政権。当時駐留していた日本軍の黙認のもとに成立した。実際は裏で日本軍の支援あるいは指示があった可能性が高いが、そのような証拠は見つかっていない。(違うかもしれない。)
日本軍の撤退とともに崩壊。
7)ソビエト連邦
1922年10月、日本軍の撤退により極東共和国の必要が無くなり、11月には極東共和国はソビエト連邦に吸収される。