はじめに

ソ連の勲章概要

 1918年9月16日、ロシア社会主義共和国(Russian Soviet Federative Socialist Republics)最初の勲章「赤旗勲章」が制定された。この当時、ソ連は帝国主義国家の干渉戦争と戦っていた。(この中で、もっとも露骨で悪質なものは、大日本帝国によるシベリア出兵である。)このとき、英雄的働きによりソ連邦の国家と領土の防衛に重要な役割を演じた者に対し、その栄誉をたたえるために制定されたのがこの勲章であった。ただし、このときの赤旗勲章は、ロシア社会主義共和国のものであり、ソ連邦の勲章ではない。
 このあと、ソ連邦の勲章ができるまでの間、各共和国ごとの勲章がいくつか制定・授与されている。

 ソ連邦最初の勲章は1924年8月1日に制定された「赤旗勲章」である。これは、ロシア社会主義共和国をはじめ他の社会主義共和国で制定されていた赤旗勲章を統合したものである。
 次に制定されたのが、1928年9月7日に制定された労働赤旗勲章である。この勲章は、産業、医療、科学、芸術等幅広い分野での功績に対して与えられた。なお、この勲章と同じ趣旨の勲章が各社会主義共和国ごとに制定・授与されていた。

 その後、特に第2次大戦中に、勲章・記章の種類は増大し最終的には、およそ80種類の勲章・記章が制定されている。この中にはクラス(等級)のあるものもある。
 ソ連では、勲章・記章はソ連国民のほかに、外国人、内外の組織(工場など)、都市などにも授与されている。
 勲章や記章は、第2次大戦中の功績に対して与えられたものが多いため、大戦中あるいは大戦直後のものの数が多い。また、ブレジネフ時代は数々の勲章・記章が新たに制定され、また乱発された傾向にある。

 1985年3月11日書記長に就任したゴルバチョフはペレストロイカの名のもとに数々の制度の破壊に着手し
ソ連邦社会は混乱に陥った。こうした中、1988年8月22日最高会議幹部会で、これまでの勲章制度の改変が定められた。この制度改変により、勲章・記章の授与は大幅に減り、また、ソ連邦構成共和国独自の勲章制定が可能となった。


勲章・記章の種類
 ソ連の勲章は赤旗勲章に始まり22種類がある。(名誉記章勲章と名誉勲章は別物として数えた。)この中には、等級のあるものが軍事関係を中心に10種類ある。(2等級が3種類、3等級が7種類。)
 また、記章は57種類あり、このうち等級のあるものは3種類(いずれも2等級)である。


勲章・記章の制定

 ソ連において勲章・記章は最高会議幹部会が制定し、授与する者も最高会議幹部会が定める。さらに勲章・記章の規定も最高会議幹部会が定めた。規定では、授与の対象となる功労の内容が定められており、当該勲章・記章授与に関する具体的な規則、その着用規則も含まれている。
 ソ連邦勲章・記章授与に関する一般的問題は、1936年5月7日決定「ソ連邦勲章に関する一般規定」(1936年第24号2206項)、1958年2月11日付最高会議布告「ソ連邦勲章および記章授与の規則について」(最高会議報1958年第4号87項)によって規定されている。(この説明は1988年8月22日以前の制度についての話である。)



勲章・記章の佩用用方法

 勲章・記章の佩用には決まりがある。勲章・記章は一般に左胸に受章順に外側から内側へ佩用する。
 スヴォーロフ勲章・ウシャコフ勲章・クトゥーゾフ勲章・ナヒーモフ勲章・ボグダン・フメリニツキー勲章・アレクサンドル・ネフスキー勲章・祖国戦争勲章・赤星勲章は右胸に佩用する。
 レーニン生誕100年記章は左胸の他の勲章・記章よりも高い位置に佩用する。
 金星記章、鎌と槌記章は左胸の他の勲章・記章よりも高い位置に佩用する。(レーニン生誕100年記章よりも高い位置。)ただし、金星記章・鎌と槌記章を受賞していない場合は、その位置に軍務功労記章を佩用する。
 実際には、必ずしもこの規則どおりというわけには行かないようであるが、金星記章、鎌と槌記章を左胸の一番高い位置に佩用することはきちんと守られている。



受勲者の特典

 勲章により特典も異なる。
 栄誉勲章各等級受勲者は、労働能力喪失年金50%増、住居面積は第一種基準が保障される。また、賃貸住宅に住む場合は、当人および家族に対する家賃が半額になる。私有家屋に住む場合は、土地・家屋の固定資産税・農業税が50%引きとなり、宅地に最高15平方メートルの土地一区画が追加される。その他、年1回の鉄道往復無料乗車の権利、市内交通の終身無料利用権が与えられる。また、医療機関が認める場合サナトリウム及び休息の家の無料利用券が毎年1回与えられる。
 軍務報国勲章各等級受勲者には、年金15%増、住居面積第一種基準の保障、サナトリウム及び休息の家年1回無料利用券支給の特典が与えられる。


勲章の剥奪

 勲章の剥奪は裁判所の決定、あるいは最高会議幹部会の受理によってのみ行われる。



勲章・記章の外観

 ソ連邦の勲章、記章の一般的な形は、美しくデザインされた金属を、リボンで装飾した金属片に吊り、この金属片にピンが付いている。ただし、美しくデザインされた金属を直接ねじ止めするものもある。赤旗勲章のように時代によって形態の異なるものもある。すなわち、初期の赤綿勲章は直接ねじ止め方式であったが、1943年ごろからはリボン吊り下げ方式になった。
 なお、金星記章を初め一部の記章は吊っているリボンの形態が異なり、これらのメダルは通常他の勲章、記章よりも上につけるものである。

 

  勲章の美しくデザインされた金属の部分の大きさは物により異なるが、リボンで装飾した金属片はどれもほぼ同じ大きさである。(ただし、金星記章、鎌と槌記章、レーニン生誕100年記章、軍務功労記章、母親英雄関連の勲章・記章は異なる。もちろん直接ねじ止め方式の物には吊る部分はない。)
 
   上辺 27mm
   高さ 49mm
   一番広い部分 46mm

  

 

 

 




 レーニン生誕100年記章のリボンは少し小さい。



 また、勲章にはこのような書類がついてる。(これは勲章のためのもので、記章の場合はそれぞれ違った書類がある。手帳のサイズはみな同じようである。)
 手帳の大きさは76mm×107mmであり、この手帳は表紙を開けると最初の紙には写真を貼るところ、次のページは氏名、次のページは勲章名と勲所番号、次のページは受賞年月日を書くようになっており、最後のページには注意書きのようなものが印刷されている。