L.I.ブレジネフの思い出

ソ連共産党中央委員会、ソ連最高会議幹部会、ソ連閣僚会議の追悼文



 一九八二年一一月一〇日、ソ連共産党中央委員会書記長、ソ連最高会議幹部会議長、ソ連邦英雄(四回)、社会主義労働英雄レオニード.イリイチ.ブレジネフが急逝した。享年七五歳であった。共産党とソ連国家、国際共産主義運動と労働運動の傑出した活動家、すぐれた理論家、才能豊かな組織者が世を去った。彼の偉大な、輝ける生涯は、すべて余すところなく、一〇月革命の偉大な事業、レーニンの党、勤労者人民の利益と共産主義建設のためにささげられた。
 レオニード.イリイチ.ブレジネフは一九〇六年一二月一九日、ドニエプロジェルジンスク市の冶金労働者の家庭に生まれた。一五歳の若さで製鉄所に勤務し、そこで偉大な、名誉ある労働集団のなかで労働者として鍛練を受けた。ブレジネフは一七歳でコムソモール(共産主義青年同盟)員になり、一九二二年、共産党に入党した。
 中等専門学校卒業後L.I.ブレジネフはクールスク県、ベロルシア、ウラルで耕地整理技師として働いた。ここで彼は土地を愛し、容易でなく、かつ人々にとって非常に必要な農民の労働を愛した。
 生まれた町に戻るとL.I.ブレジネフは冶金大学に入学し、そこで学びながら同時に責任ある党および社会的委任学部の党委員会書記、労働組合委員会議長、ついで大学の党委員会書記を遂行した。大学卒業後工場で働き、ザ.ハイカル地方で軍隊に勤務、ソビエトおよび党の仕事に従事した。
 一九三九年にドニエプロペトロフスク州党委員会書記に選出されたL.I.ブレジネフは、兵器機材生産の組織という大仕事を行なった。
 L.I.ブレジネフは大祖国戦争の初期から前線のソ連軍に勤務した。戦士、共産党員、政治指導員として困難な前線にあってノボロシースクからプラハまでの道を踏破した。南部方面軍政治指導部次長、ついで第一八軍政治部部長、第四ウクライナ方面軍政治指導部部長であった彼は、カフカズ、黒海沿岸地域、クリミア、ウクライナにおけるソ連軍の一連の大作戦の策定と遂行に参加し、ファシスト侵略者からの欧州諸国民の解放に参加した。マーラヤ.ゼムリャーのソ連兵士たちの未曽有の功績はコミサール(政治委員).ブレジネフの名と結びついている。L.I.ブレジネフは、混成連隊のコミッサールとしてモスクワでの勝利パレードに参加し、前線勤務を終えた。
 一九四六年、L.I.ブレジネフは、ウクライナ共産党(ボリシェビキ)のザポロジエ州委員会、ついでドニエプロペトロフスク州委員会の第一書記に選出された。彼の直接の指導の下に、ザポロジエ製鉄所、ドニエプル水力発電所、ドニエプロペトロフスクとニコポリの冶金工場、クリボイログ地区の鉱山といったわが国の巨大企業が再興された。
 一九五0〜五二年、L.I.ブレジネフはモルダビア共産党中央委員会第一書記だった。この、当時最も若い連邦構成共和国の一つであったモルダビアの産業の発展、農業の社会主義的再編成、文化の向上のために、彼は多くのことを成し遂げた。
 L.I.ブレジネフは一九五四年、カザフスタン共産党中央委員会第二書記に、そして一九五五年には同第一書記に選出された。処女地の開拓に彼は全身をささげ、カザフ共和国の穀物の豊作を目指す偉大な戦闘で闘士たちの先頭に立った。この戦闘が勝利を収め、カザフ共和国が祖国の主要な穀倉の一つになったことは、L.I.ブレジネフの不滅の功績である。
 第一九回党大会とその後に続く党大会において、L.I.ブレジネフはソ連共産党中央委員に選出された。ソ連共産党中央委員会幹部会員候補、ソ連共産党中央委員会書記(一九五六〜五七年)、ソ連共産党中央委員会幹部会員(一九五七〜六六年)になり、一九六六年からはソ連共産党中央委員会政治局員になった。一九五八〜六六年、彼はソ連共産党中央委員会ロシア連邦共和国ビューロー員、同副議長、議長であった。
 L.I.ブレジネフは第三〜一〇次ソ連最高会議代議員、第五〜一〇次ロシア連邦共和国最高会議代議員、第三次モルダビア共和国最高会議代議員、第四次カザフ共和国最高会議代議員であった。彼は、ソ連最高会議幹部会員(一九六五〜七七年)であり、またソ連最高会議幹部会議長(一九六〇〜六四年と一九七七年以後)であった。
 一九六四年一〇月のソ連共産党中央委員会総会でL.I.ブレジネフはソ連共産党中央委員会第一書記に、一九六六年には書記長に選出された。ソ連共産党のその後の発展と強化は、彼の疲れを知らぬ理論的、政治的、組織者的活動と切り離し難く結びついている。彼はV.I.レーニンの教えと遺訓を固く守り、党がますます完全にソ連社会の指導先導力の役割、幾百万大衆の建設的創造の組織者.鼓舞者の役割、ソ連国民の政治的前衛の役割を果たせるように絶えず気を配った。
 党生活のレーニン的基準と指導原則の復活、強化、発展、党と大衆との関係強化にL.I.ブレジネフは貴重な貢献をした。ソ連共産党中央委員会書記長として彼は中央委員会.同政治局の緊密な集団的作業を保障した。L.I.ブレジネフは共和国.地方.州.市.地区党組織、初級党組織の活動の改善に多大の注意を払った。
 L.I.ブレジネフは、ソ連における共産主義建設の諸計画の遂行に巨大な貢献をした。党の経済.社会政策の基礎には、発達した社会主義の建設と共産主義への移行に関するソ連共産党第二三〜二六回大会の原則的方針があった。社会主義的工業の発展、食料計画がその重要な環になっている農業政策、生産効率の向上、生産の集約化、社会的諸関係の改善、勤労者の共産主義的教育-これらすべての問題がL.I.ブレジネフを先頭とする党および党中央委員会によって創造的に検討された。
 L.I.ブレジネフは、憲法起草委員会議長となり、その報告に基づいて、ソ連最高会議は全国民の審議と承認の後に一九七七年にソ連の新憲法を採択した。新憲法は、社会主義的民主主義の発展に新しい強力な刺激を与えた。ソビエト国家の元首の地位にあったL.I.ブレジネフの活動は、多方面にわたり、実り多いものだった。その活動は人民権力機関の権威の向上、作業の改善を助成した。
 国民の英雄的労働によって発達した社会主義の強力な物質的.技術的基盤が作られた。科学技術革命の成果と社会主義の優位性の結合が、経済の全部門で進歩を保障することを可能にしている。党と国家は国民の福祉、物質的.文化的水準の向上に日々配慮している。L.I.ブレジネフは科学技術の進歩、労働生産性の向上、労働の質の改善の諸問題やシベリア.極東の生産力の発展、宇宙開発に多くの注意を払った。
 L.I.ブレジネフは、党によるマルクス.レーニン主義学説の発展と創造的適用に多大の配慮を示した。堅固なマルクス.レーニン主義者であった彼は、科学的共産主義の理論および成熟した社会主義とその一層の進歩.発展の道に関する学説の作成に多大の貢献をした。
 L.I.ブレジネフは多年にわたって国防会議の議長を務め、ソ連国民の平和な労働を確実に守り、地上の全般的な平和のとりでであるソ連の防衛力に絶えず配慮を払ってきた。彼は、ソ連軍最高の称号であるソ連邦元帥の称号を授与されている。
 レーニンの遺産に基づいて、L.I.ブレジネフは国際情勢、国際舞台での力関係、世界核戦争の防止の具体的な道を深く分析した。戦争と平和の問題に関するL.I.ブレ.シネフの著作は、ソ連の対外政策にとって根本的な意義をもっている。
 偉大な愛国者であったL.I.ブレジネフは、この言葉の最も深い、レーニン的意味での国際主義者であった。何千本もの糸でソ連国民と結ばれていた彼は、いつも他の諸国民の運命と志向をよく理解し、強く心にかけていた。最初の社会主義国家の可能性と威力が、平和の事業、諸国民間の相互理解と友好の事業、実り多く相互に有益な協力に最大限に奉仕するよう多くのことを成し遂げた。
 国際主義の思想への忠誠は、社会主義世界共同体諸国との協力兄弟的友好の強化や、平等.相互尊重.相互援助を基盤にした社会主義諸国のマルクス.レーニン主義諸党の戦闘的同盟に対するL.I.ブレジネフの絶えまない配慮と努力に明確に体現されている。
 L.I.ブレジネフは、植民地的抑圧から解放されて、社会主義に向かう道、社会主義を目指す闘争の道を歩みはじめた諸国および政治的.経済的独立のために闘っているすべての国民との実り多い全面的関係の強化と発展のために疲れを知らずに働いた。
 世界共産主義運動の新たな、責任ある、複雑な発展段階での全世界の兄弟的共産党との関係の強化と一層の改善は、L.I.ブレ.シネフの名と結びついている。彼は同じ階級の兄弟たちの献身性と共産主義思想に対する忠実さを高く評価した。
 L.I.ブレジネフは偉大な平和の闘士として歴史に残るだろう。彼は、後の時代の戦争の破滅的な危険を深く理解していた。人間の第一の権利は生きる権利である、という世界中に広がった、インスピレーションに満ちた、心をゆさぶる思想は、彼のものである。
 L.I.ブレジネフの指導のもとに、ソ連共産党は第二四回大会で平和綱領を作成、承認し、第二五回、二六回大会で同綱領を発展さぜ、多くの大規模な平和愛好的イニシアチブを提起した。これは国際関係において緊張緩和と協力の雰囲気を常に維持し、平和共存を目指す闘い、侵略勢力.帝国主義勢力に反対する闘争を活発に行うのを助けている。平和と社会主義は分かち難い一つの.ものとして大勢の人々の意識にますます強く入り込んだ。
 L.I.ブレジネフは高度の党性、ボリシェビキ的原則性、謙虚さ、人間性を特徴としていた。彼はすべてのソ連人にとって身近で、大切な人であった。
 共産主義建設における共産党とソビエト国家に対する偉大な功績に対し、大祖国戦争でのソ連国民のドイツ.ファシスト侵略者に対する勝利に加えた大きな個人的寄与に対し、ソ連の経済力.防衛力強化に関する積極的で実り多い活動および諸国民の平和と安全のための闘争での疲れを知らぬ働きに対し、L.I.ブレジネフはソ連邦英雄の称号を四回と社会主義労働英雄の称号を授与された。
 彼は勝利勲章、レーニン勲章八個、一〇月革命勲章二個、赤旗勲章二個、ボグダソ.フメリニツキー二級勲章、祖国戦争一級勲章、赤星勲章、ソ連栄誉剣とメダルを授与された。彼はカール.マルクス記念金メダルとレーニン賞も授与された。
 共産主義運動、労働運動、民族解放運動と平和のための闘争に対する功績によって、L.I.ブレジネフはブルガリア人民共和国英雄の称号を三回、ドイツ民主共和国英雄の称号を三回、モンゴル人民共和国英雄の称号を三回、同国労働英雄の称号を三回、チェコスロバキア社会主義共和国英雄の称号を三回、キュー,ハ共和国英雄、ベトナム社会主義共和国労働英雄の称号を授与され、ポーランド人民共和国、ハンガリー人民共和国、ルーマニア社会主義共和国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和
国、朝鮮民主主義人民共和国、ラオス、その他多くの国の最高の賞を受けている。彼は国際レーニン賞とディミトロフ賞の受賞者でもあり、フレデリク.ジョリオ=キュリー記念「平和金メダル」も授与された。
 ソ連共産党員、ソ連国民、外国の友人たち、地上の平和の価値を知っている人はすべて、頭を垂れ、ソ連共産党とソビエト国家のすぐれた指導者、現代の偉大な政治家の思い出に深い尊敬を表わしている。

(この論文は「プラウダ」一九八二年一一月一二日号からの転載である)


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